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はてなキーワード: パラリンピックとは

2025-02-12

anond:20250212153821

議論余地はないって前提にして反論させようとしたのが結論でバレててワロタ

あなたの指摘する点には重要論点が含まれていますが、それに対する反論を以下のように整理します。

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1. 「基準がある=公平性が完全に確保されている」わけではないという指摘について

反論:

「完全な公平性」が確保されていないことは事実だが、それはスポーツ全般に当てはまる問題であり、トランス女性問題に限らない。

スポーツはもともと完全な公平性保証するものではない。

例えば、同じ「女性カテゴリー内でも、遺伝的要因(骨格・筋肉・肺活量の個人差)、環境要因(トレーニング機会、栄養設備)などで大きな差がある。

身長の高いバスケットボール選手遺伝的に速筋繊維が発達している短距離ランナーなど、すべての競技者に同じ条件が与えられているわけではない。

筋骨格構造の違いが競技結果にどう影響するかは競技ごとに異なり、個々のケースを検証する必要がある。

既存研究では、ホルモン抑制を行うことで一定の筋力低下があることが示されている。どの程度の影響が残るのかは競技個人差に依存するため、個別検証が求められる。

まり、「ホルモン抑制だけでは不十分」とするのは、科学的に未確定な領域について過剰に断定することになる。

科学データ流動性理由現在基準否定するのは早計。

科学データが発展途上である現在基準無効」という論理は成り立たない。科学基準は常に更新されるものであり、現時点での最善の指標として運用されている。

例えば、ドーピング規制科学的知見の進展によって変更されるが、それを理由に「現行のルール無意味」とはならない。


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2. 「基準運用が一律ではなく、混乱が生じている」について

反論:

異なる競技団体ごとに基準が異なるのは、競技ごとの特性に合わせて公平性考慮している結果であり、混乱ではなく合理的判断の現れである

競技ごとの公平性考慮するために、基準統一されていないのは当然。

ウエイトリフティングアーチェリーでは、筋力が果たす役割が全く異なるため、同じ基準適用する必要はない。

実際に、世界陸連(WA)は厳格な制限を設けたが、FIFA競技特性上、より柔軟なルール採用している。

スポーツにおけるルール地域差トランス女性問題に限らない。

例えば、アメリカ大学スポーツNCAA)とオリンピックではドーピング基準年齢制限が異なることがあるが、それは競技特性文化的背景によるもの

これは「不公平性の証拠」ではなく、「適応的なルール設定」の結果。

統一基準がない=公平性が確保されていない」とはならない。

競技ごとに異なる基準を設けることは、むしろ競技公平性を維持するための柔軟な対応である


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3. 「一律にトランス女性女性」ではないという表現問題

反論:

スポーツにおける「女性」の定義は、競技団体ごとに決められるものであり、社会的法律的な「女性」の定義とは異なることは前提とされている。

女性カテゴリー」の定義スポーツ公平性を維持するためのものであり、社会的ジェンダー認識とは異なる。

例として、パラリンピックでは障害の種類やレベルに応じたカテゴリーが設けられているが、これは「障害者の定義」そのものを変更するものではない。

同様に、スポーツにおける「女性カテゴリー」は、競技公平性を維持するための基準であり、社会的な「女性」の定義区別されている。

「一律にトランス女性女性」としているわけではなく、実際には基準に基づいて判断が行われている。

例えば、世界水泳連盟(World Aquatics)はエリート競技においてトランス女性の参加を制限する一方、別カテゴリーを設けるなどの対応を行っている。

これは、競技公平性を維持しつつ、トランス女性の権利も考慮するバランスを取る試みであり、「一律な扱い」とは異なる。


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4. 科学データに基づく議論限界

反論:

科学データが完全ではないことを理由に、現行の基準否定するのは不適切データの蓄積が進むにつれて、基準はより精緻化されていく。

科学データが完全でなくても、現在の最善の基準に基づくルール必要

例として、COVID-19のパンデミック時には不完全なデータに基づきながらも、マスク着用やワクチン接種などのガイドラインが設けられ、後に修正されていった。

スポーツ基準も同様に、現時点で最も信頼できる科学的知見に基づいて運用されており、完全でないからといって無効とは言えない。

データ解釈政治的影響があることは事実だが、それはどの分野にも当てはまる。

科学的知見が政治的に利用される可能性はあるが、それをもって「科学基準が不確かである」とするのは論理の飛躍。

重要なのは、できる限り客観的データに基づいて、透明性のある議論を行うこと。


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結論

スポーツ公平性は、トランス女性問題に限らず、個々の競技特性によって異なる課題を持つ。

競技ごとの基準が異なるのは合理的であり、不統一不公平ではない。

科学データの発展途上であることは、現在基準を完全に否定する理由にはならない。

社会的な「女性」と競技の「女性カテゴリー」の定義が異なることは、すでに議論されており、ルールに反映されている。

したがって、「明確な基準があるから議論余地がない」という主張は短絡的である一方、「基準が不完全だから無効」とするのもまた短絡的であり、科学的・競技的な観点から継続的議論と調整が必要である

anond:20250212121851

しろ別にトランススポーツ金メダル取らなくたっていいではないですか。

トランスを同じ土俵で競わせなくてはいけない、という論理は、障害者枠によって救済されるべきもので、トランス種目はパラリンピックにおいて実施するという考え方がありうるのではないか。念のため申し上げておきますが、私はパラリンピックの素晴らしい価値を最大限に評価し、むしろオリンピックよりも守るべき価値観だと思う人間です。

anond:20250211183705

えっみんなわざと間違えてるの?

議論稚拙とはいえ元増田が言いたいのは

能力基準をもとにトランス女性競技参加を排除する理屈に従えば黒人競技参加も差別することになる」「現代価値観ではそれは許されない」「したがってトランス女性競技参加を排除する理屈も、現代価値観のもとでは成立しない」

ということですよね?

もうちょっというと、現代価値観というより、ウォーク論理によれば、ということではあるでしょうが

個人的には賛成で、激変緩和しないといけないので一世代くらいの時間は最低必要だと思うが、将来的には、ウォーク論理に従って考えるなら、オリンピックなどの国際的競技では男女別枠の撤廃という選択肢しか取りえない気がしています

結局、みんなが何を見たいのかというところが整理されてなくて、たとえば、同じ努力をしても男性の方が女性よりも競技得点が高くなりやすい、というのは、統計的にはそうなんでしょう。

しかしその考えは、同じ努力をしてもアフリカ男性の方がアジア系男性よりも100m走で速い時計を出しやすい、統計的に。ということと全く同じ構造になっていると思います

従って、同じことを言っている、トランス排除をすべきでない(と言っているんだと思うが)という元増田の主張に賛成です。

**

しろ別に、みんながみんなスポーツ金メダル取らなくたっていいではないですか。

女性男性と同じ土俵で競わせるのはおかしい、という論理は、障害者枠によって救済されるべきもので、生物学的(染色体女性限定種目はパラリンピックにおいて実施するという考え方がありうるのではないか。念のため申し上げておきますが、私はパラリンピックの素晴らしい価値を最大限に評価し、むしろオリンピックよりも守るべき価値観だと思う人間です。

2025-02-10

anond:20250210163646

パラリンピックホルモン剤の枠を作ればいい」って、それこそ暴論やん。パラリンピック障害を持つ選手のための大会であって、ホルモン療法を受けてるかどうかで分類するもんちゃうやろ。

それに、トランス女性女子スポーツに参加したい理由は「無理やり出たがってる」からやない。自分性別として認識される場所競技をしたいっていう、ごく自然な話やん。それを「意味不明」と切り捨てるんやなくて、ちゃんと向き合って考えなあかんのとちゃう

anond:20250210162408

ホルモン剤で不利っていうなら、パラリンピックホルモン剤の枠作ればいいんやんね

なんで無理やり女性枠に出たがるのか意味不明すぎる

2025-02-07

トランスパラリンピックでいいんじゃね?

障害者障害の重みで階級が細かく分かれていてそれで競技するじゃん

脚ない人部門、手がない人部門、目が見えない人部門脊髄の損傷の位置の差、などなど

トランス部門があればトランストランス同士で争えるよね

それで解決なのでは?

トランス障害かどうかという話はどうでもよくて、個性に応じた階級分けをするスポーツ大会パラリンピックなわけだから

オリンピック無差別級パラリンピック階級別という認識になればそれでもう解決でしょう

anond:20250206162226

スポーツは同じ肉体的機能もつもの切磋琢磨して競い合いながら楽しむために存在する

男女では身体機能に差があるから男女別となり

柔道ボクシングなどは同性の中でも体重別にわかれ、

身体障害者でも楽しめるようパラリンピックが生まれ聴覚障害者のためにデフリンピックがうまれてる

こういうのを踏まえれば、生まれ持った性別で戦うか、トランス枠を設ける以外はないと思う

女子スポーツ障碍者枠に移した方がよくない?

オリンピックはどんな性別でも受け入れる無差別ジェンダー級だけあればよくて

たまたまホルモン分泌の関係で筋力増強が難しい方の性に生まれた方はパラリンピックでやればよくない?

女性スポーツMTFが参加して暴れているっていうのは、

健常者の陸上選手事故で足を切断して障碍者スポーツに参加したら

今までの筋肉経験の蓄積があって先天的障害のある人より有利みたいな話でしょ。

XX染色体の人のスポーツ障害スポーツとして細かく階級分けすればいいだけだろ。

そもそもホルモン分泌には個人差があって元々フェアじゃないんだし。

anond:20250206162226

2025-02-06

anond:20250206220132

残念ながら障害者のうち障害年金がもらえるのは一部です

身体障害認定のものは6級や7級までありますが、先天的障害ですと国民年金になるので1級と2級しかありません(等級認定基準は完全に同じではありませんが)

パラリンピックに出場する選手が必ずしも障害年金をもらってるわけでもありません

ちなみにトランスジェンダー障害年金は貰えません

anond:20250206215213

誰でも出られる無差別級と様々なハンディ階級分けするパラリンピックという分け方ですから男性スポーツがどうこうは的外れです

トランスジェンダー女子スポーツ参加が禁止になって喜んでるの

意味からなくない?

トランスジェンダー女子トイレ使用女子風呂使用禁止を訴えるのもそうなんだけどさ

禁止するか許可するかって問題じゃないだろこれ

男女の枠組みから外れて活躍のないトランススポーツ選手活躍の場を与えるのがまず先で

それがない中で禁止許可だって言っても意味が無い

問題本質はそこじゃない

男女の枠から外れてるトランスに男女と同じように当たり前にトイレ利用風呂利用出来る環境を整えるのが先だろうよ

例えば、自分学生のころトランス立場なら、トイレ風呂をどうやったら安心して利用できたと思う?

そこから考えて行けよ

馬鹿じゃないか思えら






追記 めんどいので反論あるなら増田に書いてくれたらいいよ

死にたくなるぐらい反論してあげる

ブコメに逃げないできっちり文字数書ける増田で返信してね

議論が怖くて出来ないんだろうけど、それなら初めからブコメしないでねw

usi4444 答え:トランス女性男子競技に出られる。リベラルNYT紙の世論調査国民の79%がトランス女性女子スポーツ参加に反対。民主党支持者でも67%が反対。もう結論は出ている。後は米民主党トランス運動から離脱できるか。

結論は出ている(ドヤァ)」って、それはただの世論調査の話でしょ? 世論絶対なら、過去には「女性参政権なんていらない」「黒人白人は別の学校OK」なんて意見多数派だったけど、それが正しかった? 法律権利の話を単なる人気投票で決めるなら、憲法なんていらないね

トランス女性男子競技に出られる」って、そもそもトランス女性は“女性”だから女子競技に出たいんだけど? あなたがもし「トランス女性男子競技に出ろ」と言うなら、それは「生物学的な性だけで競技を分けるべき」という立場だよね? じゃあ、男子競技にも女性ホルモンを何年も投与して筋力を落とした人が混ざるのが妥当? 本気でそう思うなら、まずは男子競技の方に「性別関係なく競争しようぜ!」って提案してみたら?

それに「民主党支持者でも67%が反対!」って、そんな数字を持ち出すなら、共和党支持者の何割が「気候変動はデマ」とか「トランプが実は選挙に勝ってた」とか信じてるのかも調べてみる? 世論調査の結果なんて、その時々の政治的空気に流されるもの特定の層が不安を煽られた結果を「絶対的な結論」みたいに語るのは、ちょっと知的怠慢すぎるよね。

結局、重要なのは「どうすれば公平な競技環境を作れるか」という議論であって、「世論がこうだからもう終わり!」じゃないでしょ。もし本当に「女子スポーツを守る」ことが目的なら、資金不足や女子選手へのリスペクト不足の方がよほど深刻な問題じゃない? なのに、そこはスルーして「トランス女性のせいで女子スポーツが終わる!」みたいな単純化した話しかしないの、なんか都合がよすぎない?





トランスジェンダーに限らず、生まれつきの身体能力、持病、性格、服用薬など色々な理由スポーツ競技活躍できないことがあるのは当たり前なので、レギュレーションに合わないなら仕方ないし差別でもないと思う。

いや、それ本気で言ってる?

そもそも俺が言ってるのは、「トランススポーツ選手活躍の場を作るのが先」ってことなんだよ。それを無視して、「ルールに合わないなら仕方ない」って言うのは、根本的に人権意識が欠けてるだろ。社会の中で不利益を受ける人がいるなら、その人たちの居場所をどう作るかを考えるのが先じゃないのか? ただ「仕方ない」で終わらせるのは、問題解決放棄してるだけだろ。

それに、「生まれつきの身体能力や持病と同じだ」とか言ってるけど、じゃあ障害者スポーツは? ただ「健常者と違うから仕方ない」で放置せずに、パラリンピックみたいな場が作られてるよな? なんでトランス選手だけ、「ルールに合わないなら無理」で終わるんだよ? そこを考えずに「差別じゃない」と言い切るのは、当事者現実をまるで見てない証拠だよな。

歴史的に見ても、スポーツルール社会の変化に合わせてアップデートされてきた。昔は女性マラソンに出ることすら禁止されてたけど、それが今では当たり前になったように、ルールは「現状を正当化するためのもの」じゃなくて、「より公平な競技環境を作るためのもの」なんだよ。「今のルールに合わないから終了」って、それこそ思考停止じゃない?

から、まずはトランス選手活躍の場を作る議論をするのが先。その視点を抜きにして「レギュレーションから」で片付けるのは、単に弱い立場の人を切り捨てるだけの雑な議論だよ。そんな態度で「公平なスポーツ環境」とか語るの、さすがに薄っぺらすぎない?

わかる?


※追追記

議論から逃げた馬鹿晒していきまーす

逃げた上にブコメだけ残したんだから規約的にも問題ないよね

いつでも逃げてなくて話ししたかっただけですって人は言ってね

増田で話するから

mayumayu_nimolove

develtaro

taguch1

inatax

2024-11-22

愛は地球を救えると、証明することはできたのか?

昨年は募金の着服を筆頭に数々のスキャンダル情報があふれ、当の障碍者が出演するNHKバリバラからは毎年のように直球で揶揄され、パラリンピックの開催時期にばっちりぶつけられた2024年24時間テレビ

愛は地球を救うのか?」と、自分たちの考え方や番組作りを考え直し、真に価値あるチャリティー番組イベントであることを証明するかのようなテーマに変えて臨んだわけだけど。

果たしてその証明はできたの???

ぶっちゃけ辟易して一つも見てないんだけどさ。

2024-11-15

anond:20241115171951

パラリンピックのように、障害者希望を持たせるために、障害者のための大会を開いてあげるのが、ノブレス・オブリージュなんだよ。

生物学女性には、肉体的にもホルモンバランス的にも強いハンデがあるからこそ、生物学女性向け大会を開いてあげるべきなんだ。

2024-11-01

PIZZICATO FIVE史上最も重要な「東京は夜の七時」10

TM NETWORK史上最も重要Get Wild 10

https://anond.hatelabo.jp/20241028143457

ブコメ

「全部同じじゃないですか!?」「ちがいますよーっ」「これだからしろうとはダメだ!もっとよく見ろ!」

といういつものジャーゴンがついていたので、えっ、Get Wildときで聞き分けが出来ないの?じゃあ、こっちだとどうなんだろ、とおもって書いてみたGetWild増田です。

Pizzicato Fiveは本格的にファンになったのは95年ごろだけど、それ以前も周りの友人にファンがいたり、学校帰りに当時のHMVに通っていた渋谷系世代なので基本的な流れはだいたい抑えられているはず。

 

こちらも選考基準独断偏見だが、TMと違ってPizzicatoは再結成をしていないので、歴史的には解散以降の方が長くなるので、Pizzicato Fiveとしての音源フォローできるだけしておく。

Get Wildと違って1枚にまとまった作品集はないけど、検索すればそれなりに出てくると思うので、必要に応じて聞き比べを。

 

もちろん元ネタこち

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

 

東京は夜の七時 (1993年

オリジナルバージョンはもともとフジテレビ系で始まった「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングテーマとして作られた。曲名矢野顕子から引用小西康陽曰く「放送が7時からからこのタイトル引用した」とのこと。オリジナルバージョンは実は小西ではなく福富幸宏編曲によるハウスミュージックとはいえ、この時期のPizzicatoの諸作はマニュピレーターとして小西氏をサポートしていた福富氏なので、他の曲とがらっとバージョンが違うわけでもない。イントロピアノグリッサンドのようなアルペジオや「A New Stereophonic Sound Spectacular」というサンプリングなど後々の小西氏のシグネチャーサウンドがちりばめられている。個人的にはこのバージョンのサビに使われるシンセの「テッテッテッテテーテ」という音が好きなのだが、意外と他のバージョンでは使われていない。

 

東京は夜の七時(talking toolbox mix)(1993年

シングルカップリングバージョン。音が当時のニューヨークハウスっぽい。もともとそれなりに長い原曲だがこれはさらに長く8分ほどある。1ループフレーズを繰り返してボーカルだけ残すこのパターンはいかにも当時の向こうのR&B曲のハウスミックスって感じでかっこいい。フィンガースナップの音とか時代だなあと思う。途中からオルガンアドリブが入って自我が芽生えたみたいな感じなのもよい。一番DJ向きなバージョンDJミックスCDなどにはこれが入ってることがわりとある

 

東京は夜の七時(readymade mfsb mix)(1994年

ウゴウゴルーガピチカート・ファイヴ」が初出のリミックスバージョンmfsbというリミックス名がわかる通り、原曲ニューヨークハウスフィリーソウル風にアレンジ。一番生音っぽいバージョンなのとブラスストリングスの入り方など非常に華やかなバージョンなのでこれが一番好きな人が多いと思う。「デデッデデッ」というストリングスアタックが非常に気持ちよく、後々のカバーでも割と参照されている。原曲にもあったピアノグリッサンド風のアルペジオや「A New Stereophonic~」のサンプリングなども効果的に使われていてこっちが原曲だと思ってる人も多そうなくらいによい。一番人気のあるベスト盤Pizzicato Five JPNにもこのバージョンが収録されている。

 

東京は夜の七時(one year after)(1994年

実はこの前後で、Pizzicato Fiveは長年共にした高浪が離脱し、小西と野宮の二人になる。それを反映したアルバムOverdozeは結構シリアストーンであり、そこに収録された東京は夜の七時もその不安感を反映した10分超えのニューバージョンとなった。福富アレンジをしてるのは同じだが、なんかサウンドの取り方が日本90年代ハウスっぽくなってる。いや日本の曲なんだが。そしてここまで書いてこなかったが東京は夜の七時は華やかな曲調のわりに歌詞はかなり冷たい都会の不安感を表したような曲なのだが、それがさらクローズアップされたような歌詞に変更されている。正直、この曲名メロディにこんな不安定な歌詞ありかよと思わせる。今だったら大森靖子が書きそうな歌詞

 

東京は夜の七時 (the last episode)(2001年

2001年解散時にでたベスト盤 Pizzicato Five R.I.Pに収録されたニューミックスリミックス小西が当時使ってたDJよしお名義でリミックスしている。変則的ブレイクビーツ不安感のあるシンセパッドを使ってたり、当時を思い返すと、小西さん完全に解散したくてたまらなかったんだろうなと思わされるリミックス。途中途中で時報の声が入ったり不穏すぎる。なんか全体的にせわしない。

 

東京は夜の七時(the first cut) / 野本かりあ2006年

ここから解散後のカバーなど。小西氏がreadymade international運営に本格化していく中で、新たなミューズとなったのが野本かりあ、というか外部目線的には、小西は本当は野宮を首にして第4代目ボーカリストとして野本を起用したかったんだけど、Pizzicatoのパブリックイメージが野宮になっていたのでレーベルなどから拒否されたんじゃないかと思えてならない。これも世相に合わせて歌詞を変えている。アレンジは前のバージョンからかなりアップテンポの4つうちになってる。このバージョンのマニュピレーターは吉田哲人。野本はもともとテクノ好きだったらしく、その意思を汲んだのかけっこうハードテクノっぽいリズム小西はこのバージョンお気に入りらしく、自分DJするときはこれをかけることが多い。ちなみに故KAGAMIリミックスもある。この辺の東京テクノ人脈とreadymade周辺はもっと接近した方がよかったと後から思う。

 

東京は夜の七時(盆踊りversion) / 野宮真貴2016年

ソロ活動が割と自身渋谷系パブリックイメージ再生状態になっていたようにはたから見えていた野宮が「東京は夜の七時の盆踊りバージョンを出す」というニュースを聞いたときの、往年のファンの複雑な心境を想像してほしい。というかその企画小西はよく許可したなと思った人が大多数だろう。俺も思った。もともと、ケイタマルヤマの「おしゃれ盆踊り」という新宿伊勢丹屋上でやる盆踊り企画のために作られて、そこで披露されたらしい。いちおう振り付けもある。狂気か。Get Wildですら盆踊りはないぞ。まあそういったこともあるので、僕は全く聞く気が起きなかったのだが、今回の記事のためにはじめてちゃんと聞いてみるとこれはこれでよいのではという複雑な心境になってしまった。というかアレンジが良く出来すぎている。なんだこれ、モダン盆踊りの傑作かもしれない。しつこく入る「いよーっ」という掛け声が今の時代だとすゑひろがりず想像させすぎて勘弁してほしいが。

 

東京は夜の七時〜リオは朝の七時〜 / 浮雲2016年

2016年のリオパラリンピック閉会式披露され、ぼんやりTVを見ていた渋谷系好き中高年の度肝を抜いたカバーバージョン椎名林檎歌詞を大きく書き換え、編曲も行い歌は浮雲こと長岡亮介歌詞の変更は小西と何度もやり取りしたと言われてる(含みを持たせる言い方)。東京プレゼンテーション的な曲調になっていてかなり感動をさそう内容のプレゼンテーションだった。五輪関係権利が色々がんじがらめらしく正式音源リリースはない(※追記: そうだよね?配信されたという話もあるが見つからなかったので)。東京は夜の七時という曲をJ-POP史上にリプレゼンテーションした作品という点で、この曲のファン的には感謝したい。

 

東京は夜の七時 feat. Night Tempo / 野宮真貴2021年

小西2018年に久々に野宮とコラボした少林兄弟バージョンを入れようかと思ったが、個人的な好みでこちらを。韓国人シティポッププロデューサーNight Tempoを起用したバージョンPizzicato Fiveオリジナルバージョンをしっかりと参照したバージョンで正直複雑な心境になるくらいによい。ほとんどのカバーリミックスmfsbを参照していると思われるのに対し、原曲を参照しているというのが興味深い。Night Tempo言動シティポップをめぐるあれこれもあって、あまりよく思わない人が一定数いる、かつ、おそらく旧来のPizzicato ファンにはそういう人が多そうだが、この90年代ハウスな音は原曲への深い理解があると脱帽せざるを得ない。全東京は夜の七時の中ではトップ3に入るくらい好き。

 

東京は夜の七時 / 小西康陽プレイボーイズ (2019年

順序は前後するがなんとなくこれが最後がおさまりが良さそうなので。「井上順プレイボーイ講座12章」に収録されたジャズインストゥルメンタルバージョン。もともと「円楽プレイボーイ講座12章 / 前田憲男プレイボーイズ」というアルバムがあり、それの現代版として作られたアルバム井上順ナレーションが乗ってる。(いちおうナレーション無し版もある)軽音楽的なジャズインストクリーントーンのギターの音が良い。そして気づいた人も少ないかもしれないが東京オリンピックの閉会式で使われている。つまり浮雲版と対になってる作品である

 

ということで、また書いてみました。

ほんとはあと数曲(特にカバー曲でヴァニビとかを)入れたかったのですが、泣く泣く断念。

個人的には東京は夜の七時はPizzicato Fiveの曲では好きな曲としては6位くらいなので、そこまで思い入れはないです。

2024-10-21

じゃあ俺にもおすすめ政党教えて

地方都市40代独身無職精神障害者手帳はもらえても障害年金は今の基準自治体だと難しいっぽい。ていうか手続き煩雑引きこもりにはできるかできないか確認すら無理。

・数少ない人生の楽しみは二次エロでシコること。マジメちゃんなせいで酒とタバコギャンブルは苦手だからね~。だがそれもいつまで性欲が持つか。ロリとスカが好き。あと半ば惰性だがゲームアニメペットは飼えない。

・わかりやす政治的な望みは、簡単手続きで十分な精神障害年金がもらえることだが、そういうことを直接訴える政党はいない。ふわっとした手厚い福祉を掲げられても、だいたい障碍者雇用しかパラリンピックみたいに身体障害中心)だの、社会復帰だの、俺は基準外のよくわからん仕組みだのに回される。

最近一番怒ってるのはエロに対して世間がやたら厳しくなってること。特にロリ系。絵ならいいだろ。クレカ会社に対して誰か戦えよ。また、欲望充足を最優先とした広義のポルノ……たとえば暴力、俺スゲー、感動ポルノ皮肉表現にも、妙に倫理のカセをハメようとしてくる世間の流れもダメだ。クレカ会社以外にも、そういう正しさみたいなのを押し付けてくるやつらと国内国外わず戦ってくれねえか。ゾーニングも極力すべきでない。

・一番ストレスなのは親が年食って頭の回転が遅くなり、かつ感情を抑えらず、しかもそれに開き直ってワガママになり、体調の悪い家族墓参りに付き合わせたり、最近ネトウヨ的な動画見出してること(俺みたいなクソを年金で養ってくれている恩と申し訳なさはドデカいがそれはそれとしてストレスがすごい)。

最近国内でげんなりしてるのは統一教会自民党その他政治家の繋がり。国外でげんなりしてるのはイスラエルとそれに対する欧米政府の支持が、会話が通じなそうな異様な強硬さがあって怖いこと。俺は反宗教だ。ボートマッチングサイト公明党を一番に推してくるのをやめろ。親戚は神社のお守りとか送ってくるのをやめろ。天皇カレンダーとか買ってくるのをやめろ。

経済政策には意見はなし。大学で少し学んだが、何を主張する学派も説得力ある説明してるし、俺じゃ判断できねえやと思った。増税も減税も賭け。良い財政悪い財政は、俺の知識では結果論しか言えない。

少子化対策については諦め。非婚化・少子化根本は、金のなさ以上に「十年二十年かけてじわじわ幸せや生きがいが得られる期待」と、「今後五年色々なもの犠牲にしなければならないし相当大変な不安」を天秤にかけて、前者を選ぶ方が減ったというせいだと思うし、これは価値観というよりイマ・コノ時の自分犠牲にするのはダメという道徳観の変化だと思うので、道徳前世紀まで戻す必要があると思うがこんなこと言うと叩かれるだけなので諦めてる。童貞の俺が偉そうに言える分野でもないし。短期的に直接利益があるものでもないし。

・あふれるほどのパンとサーカスをくれ。俺は社会へのフリーライダーだし寄生虫だしそこから抜け出す気もないが、それでもパンとサーカスはたくさんくれ。大谷やらアイドルやらは好きな人はいサーカスだろうが俺は興味ない。

・教えてほしいのは俺に近い考え方の政党というより、俺に都合のいい世界に近づけてくれそうな政党。考え方が俺に近くても、発言力がない政党なら意味が薄い(皆無ではないが即効性がなさすぎ)ので。ただ何議席くらいから国政に影響を与えられるか知らないので、その辺の線引きははてな識者に頼む。

2024-09-25

義母疲れた、義父は頑張って生きている

30代前半の結婚して1年半になる。

疲れたから垂れ流す。キモい文章になる気がする。

義父が癌で2年前に余命宣告されている。

その時は次のオリンピック(パリ五輪)の開会式絶対に見る事ができませんと医者は言ったらしい。

どうしても手術で取り除けないタチが悪い場所に癌ができてしまい、投薬での完治も見込めないフェーズでの発見だった。

義母は大層悲しんだ。当然だと思う。

残された時間を少しでも一緒に過ごせるように、時間があれば義実家へ足を運んだ。

夫と私は義実家まで行くのに車で片道3時間超の場所に住んでいる。

大きな病院義実家我が家中間地点にあるので、通院のついでに足を伸ばして我が家に来ることも多かった。

日帰りは体力的に厳しいので、毎回ゲストルーム(比較的新しめのマンション住まいなのでゲストルームがある)を手配していた。

ゲストルームがとれない時は義両親に私たち夫婦のベッドを明け渡したことも数度あった。

だいたい月に2,3回はどちらかの家で顔を合わせていた。

義母は事あるごとに言うのだ。

『もう最期かもしれないから会いに来て』

嘘ではない。余命宣告をされているのだから

結果的に義父はオリンピックパラリンピック閉会式まできっちり見た。なんなら甲子園も全部見てようだ。

1日でも長く少しでも苦痛なく生きていれるならそれはとても素晴らしいことだと思う。そう思う気持ちは嘘じゃない。

長年連れ去った最愛の人が少しずつ弱っていく姿を間近で見ることはきっと凄く辛い。

夫との電話で取り乱している義母の声が漏れ聞こえると会いに行かないといけない気持ちになる。

今日義母から休みに連絡がきた。

『もう最期かもしれないから会いに来て』と。

午後から無理を言って休みを捻じ込み夫と合流し義実家へ顔を出した。

今日病院へ行く日(義父の希望入院ではなく定期的な通院と在宅医療のお世話になっている)だったらしいのだが、生きていることが不思議なくらい数値が悪くなっており数日中かもしれないと、今度こそ最期になるかもしれないと言われたようだ。

この連絡がくる数日前には義母から夫へLINEが送られてきていた。ここ数日は1日の大半は寝ていて床擦れもできてしまったとのことだった。

会いに行かない理由なんてなかった。

義父はしんどそうだけど意識ははっきりしていた。

病院帰りに外食もできたらしい。

義実家に到着した時義父は身体を横たえて寝ていたが、その少し前までは普通にテレビを観ていたらしいし、起きてからは一緒にお菓子を食べて団欒もした。

安心したような拍子抜けしたような。

もう何度も拍子抜けしてはいる。

夕方にお暇して21時過ぎに家に着いた。

当然ながら明日仕事だ。

私はこの2年必要最低限しか自分実家に帰っていない。

小学校の頃からの友人の結婚式も欠席することになった。

地元の友人にも当然ながら会えていない。

義父がいつ急変するか分からないので。

両親は、大変な時だし嫁いだ身なのだから義母や夫のサポートに専念しなさいと言う。

正しい意見だと思う。大変なのは事実だ。

ただ、この2年で数えるのも億劫になるくらいには最期かもしれないと言われた。

オリンピックが過ぎてからは頭の片隅でどうせ大丈夫だろうと考えてしま自分がいる。

でも、万が一、本当に最期なのだとしたら、夫は会うべきだと思う。

その時は夫に寄り添ってあげたいとも思う。

そう思うと毎回の呼び出しに応じるしかない。

このような状態結婚からずっと続いている。

このような状態なので結婚式は挙げなかった。

元気なうちに家族での写真は欲しいと義母が言うので家族写真が多めのフォトウェディングは撮った。

結婚式を挙げるかどうかも、帰省するかどうかも、休みの日に遊びに行くかどうかも全部、義母は私の好きにしたら良いと言う。きっと本心からそう言ってくれているのだと思う。

でも私は良い子でいることを選んでしまう。

私の我儘のせいで夫が最期に立ち会えなかったら?後味の悪い最期になってしまったら?到底責任は取れない。

加えて、向こうの親族自分を優先した本家長男の嫁と白い目で見られることがすごく怖い。

結局自分自身が保身に走っていると自覚しているから誰にも何も言えない。

うじうじして一人で勝手に疲れてしまって馬鹿みたいだなと思う。自業自得

さっさと全て終われば良いとすら思ってしまう瞬間がある自分が嫌になる。最低だと思う。

解決策が何もないのだ。上手くやれない自分が悪い。

なんかもう疲れたな。こんなツラツラ文章打ち込んでさ、被害者ぶってるのかな。良くないよな。義父も義母もしんどくて大変で夫も精神がすり減ってるのに私がこんなんじゃダメだよなあ。

そういえば新婚旅行も行かないままなあなあになってるなとふと思い出した。自己中だよな。

2024-09-24

anond:20240924012152

しかったら、逃げてもいいんだよ。

学校先生負担限界に達してることは、保護者も知ってる。

先生が足りなくなったら、障害児の面倒は親が見るよ。

障害者の親兄弟覚悟できてる。

凄い専門職だったけど、子ども障害が発覚したらきっぱり辞めて、専業主婦になったお母さんも大勢いるよ。

ただ…もう数年、踏ん張れるようなら、文部科学省改革が功を奏すかもしれない。

それを待てるんだったら、待ってもらってもいいかも。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240913/k10014581031000.html

文部科学省は、高い専門性を持つ外部人材教員免許がない人に「特別免許状」を出して、教員として採用することを自治体に促していて、この夏のパリオリンピックパラリンピックきっかけにアスリート先生として採用やすくなるよう新たな取り組みを始め、13日、全国に通知しました。

具体的には、競技団体などと協力し、教職に関心のあるアスリートリストを作って、各教育委員会提供するほか、必要知識技能を学べるよう、研修の教材を提供することにしています

また、オリンピックパラリンピックデフリンピックへの出場経験があるアスリートが、先生となる場合は、本来決められた教員の定数とは別に学校に配置できるようにしました。

教員免許がなくてもアスリート先生になれるようにしてて、その中にはパラリンピックデフリンピック選手も含まれてる。

主さんみたいに健常者の先生が教えてくれるのもいいけど、パラリンピック選手特別支援教育にも携わってくれるのが期待できる。

同じ障害のある先輩と後輩として、実体験に基づいて、身の回りの自立の方法も教えてくれるんじゃないかと。

その頃には、主さんの負担も今よりはだいぶ減ってると思う。

2024-09-13

パラリンピックってもしかしてものすごく不平等イベントなのでは・・・

水泳みたいに装具もそれなりの経済力社会水準のある国でないと戦えるモノを用意できないし、

医療水準の低い国だったらここまで成長するまでに亡くなっちゃうよね…

うわー。もう純粋な目で見れない。

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