はてなキーワード: クリエーターとは
アニメやら映画やらゲームやら漫画やらで「フェミニストに合わせるかファンに合わせるか」とか「DEIを重視するかファンに目を向けるか」みたいに言ってるやつがいるけど、それ普通に「誤った二分法」みたいなもんだと思う。
私自身がフェミニストでセクマイな人間だけど、仕事終わりにゲームめちゃくちゃやるし、アニメは疲れるからちょっとしか見ないけど(でも炎上してたぼざろは一話見たらハマって一気に全部見たし、ボトルネック奏法シーンとかテンション上がり過ぎて周りにも勧めたよ)、漫画は大好きだ。
フェミニストやセクマイの仲間と話してても、好きな漫画の話題や最近やったマイノリティ描写の優れたゲームの話題とか頻繁に出てくる。ペーパーマリオなんかもトランス女性キャラが出ると聞いて慌てて買ったし、ドラクエ3も女性キャラの露出が減ったと知って買った。
ファンかフェミニストかと語るとき、フェミニストなファンのことが無視されてるんだよ。普通に消費してて、かつフェミニズム的な見方が反映されたら喜ぶ層ってのはちゃんといるし、だから一部のクリエーターはそういう仕事をしてるんだ。クリエーター側にフェミニストやセクマイがいて、そういう作風を積極的に望む場合があることも無視されがちに感じる。
DCコミックのセクマイ特集号とかも楽しみに読んでるけど、これとか逆に漫画ファンでも読んでるやつ少ないだろ。何年か前に炎上してたスーパーマンの息子のコミックもちゃんと買って楽しんでるぞ。そもそも本人じゃなくて息子の話だと理解してない人間も多かったけど。
別にそういう価値観に賛同する必要はないけど、そういう価値観のファンがちゃんと一定数いることは無視しないで欲しいし、フェミニズムやDEIの話をするだけでファンじゃない人間扱いするのもやめて欲しい。
なぜお前はkemono.suを知ってるかのような物言いなのか?クリエーターだから?
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吉田恵里香の「ノイズ」云々でなんか議論が沸騰しているけれど、
「原作の数ある要素の中から、一編のアニメなりドラマなりに構築するさいに、何を抽出し、そぎ落とし、足りない部分を補うか」という取捨選択と肉付けの作業は、吉田に限らず、全脚本家が行うことである。
言葉の枝葉末節はあれど、吉田のスタンスは基本的には当然だし、「ぼっち・ざ・ろっく」は原作・アニメとも未見のため、細かな表現そのものを問えないが、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズを排除した物語」は支持されたのだろう。
その上で言うのだが。
「虎に翼」で、<追加した>あえて言うならば</ここまで>原作に相当する史実にはない「寅子の花束拒否事件」をぶち込んだ吉田が言えることかよ、と。
(ツッコミが入っているので、「あえて言うならば」を追加しておく。でもここ、議論の取りかかりになっている「原作のノイズ」と対応させるためだけの言葉だよ)
「虎に翼」を視聴していた多くの人が首肯すると思うが、
穂高教授への、寅子の花束贈呈拒否のシーンは、あまりに唐突だった。
父親が疑獄に巻き込まれた際は、弁護について冤罪を晴らした恩人でもある。
その恩人の退任式で、花束贈呈役だった寅子が、
スピーチ中の、「結局私は、大岩に落ちた雨垂れの一雫に過ぎなかった」という一節を聞いて突如としてぶち切れ、
贈呈を拒否して会場を立ち去り、さらに、廊下で穂高教授に激高するのである。
「なんだこれ?」と。
ただ同時に、これはきっと、実際にそういった事件があったのだろう、とも思った。
寅子のモデルである三淵嘉子さんが、式典で花束贈呈を拒否するエピソードがあるならば、この唐突さも仕方がない。三淵さんも、エキセントリックな人だったんだな、と思った。
ところが、そんなエピソードは、ない。
(余談だが、この件はずっと引っかかっていたので、ネット上ながら折に触れて探しているが、少なくとも、自分はいまだに確認できていない)
公の場であんな事件が起きたら、まず新聞なり雑誌なり、誰かの日記・手記などに記録が残るが、そうした史料はないはずだし、史料があって採用したならば、吉田自身が必ず言及するだろうが、それも確認できなかった。
これは自分だけではない。旧twitterのタイムラインも混乱しており、賛否両論とかではなく、「謎否両論」といった感じだった。
その後、「あれは『父親殺し』のメタファーじゃないか」とか、いくつかの考察があり、少しだけ落ち着いたのだが、やはり「謎否」の反応が与えた物語への影響は大きかったのか、最終回の最後の最後は、「雨垂れの一雫を強制されるのは嫌だが、自分から選ぶのはいい」とかいったような、おかしな言い訳というか説明セリフで終わるという、締まらないラストになってしまった。
で、話を戻すが、なぜ寅子は穂高教授への花束贈呈を拒否したのか。
吉田はこう書いている。ちょっと長いから、引用は飛ばしてもOK。
寅子「どうもできませんよ! 先生が女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したことも! だから、私も先生には感謝しますが許さない。納得できない花束は渡さない! 『世の中そういうもの』に流されない。以上です!」
(略)
寅子の人生について、妊娠したとき、勝手に彼女の一人称を「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。
(略)
私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意で自分を排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。
(略)
寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。
(略)
寅子と穂高先生の関係については、自分を女性最初の弁護士として引き上げておいて、その糸を高いところから切られ、地面に叩きつけられたというような気持ちが私は大きかったんですね。
それを穂高の退官祝賀会という晴れの場で「許すことを強要される」ことへの怒りで。現実社会でも、こんなふうに世界中の女性が渡したくない花束をどれだけ渡してきたんだろうということに思いを馳せて書いたところもありました。
(略)
本人との関係が深い女性が渡すなら良いけど、「女性だから」と花束を渡す係にするのはおかしい。そんな思いを込めたシーンでした。
ドラマではカットされましたが、もともとの台本では祝賀会の壇上で穂高先生が寅子に向かって、まず寅子が妊娠し弁護士を辞めたときのことを「すまなかった」と謝るんです。それに対するアンサーとして寅子が花束をあげてしまうと、「許した」ということになってしまうから、彼女は「花束を渡したくない」と怒ったという流れがありました。
https://president.jp/articles/-/86235(1,5,6ページ)
最大のポイントは、
式典の前に花束贈呈役を打診されて、「私は先生を許さない。だから花束を渡さない」と突っぱねるなら、まだ分かる。
史料に残らない、内輪の場で、こんなことがあったかも、と想像の翼を広げるのは自由である。
ところが、本当は許していない寅子に花束贈呈役を引き受けてさせて、いざ式典の最中に「やっぱり許せない」とその役割を放り出させるという、史実にはないシーンをぶち込んだ吉田の意図は何か。
それは、
吉田が穂高教授という“古い男性の象徴”を、「公衆の面前で」辱めたかったから
だと推察した。
そうでなければ、意図が取れないのだ。
(あと、寅子と穂高教授って、男女とか関係なく、めちゃくちゃ深い関係で、「女性だから」花束を渡す係になったと思った視聴者は誰もいないだろう)
ただ、吉田の意図は、はっきり言えば吉田以外には全く伝わらなかったのではないか。
この増田を書くに当たって検索し直して、見つからなかったのだが、穂高教授を演じた小林薫は、確か
「どう演じたら一番かわいそうに見えるか、演出の人と何度も相談した」
といったことを言っていたはずだ。
確かに、穂高教授の身になれば、晴れの場で愛弟子から突然激高されて式は台無しにされ、その後も怒りをぶつけられて途方に暮れるのだから、かわいそうとしか言いようがない。演技として間違っていない。
だが、吉田が寅子へ託した怒りがあまりに強すぎ、伊藤沙莉の演技もうますぎたせいで(前に引用した通り、伊藤は「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」と脚本で指定されていた)、穂高教授がただただかわいそうな人、寅子がおかしな人になってしまった。
あえて吉田の意図に乗るなら、小林は例えば、「保護する対象として見ていた女から牙を向けられ、辱められて、怒りに震える」演技をすべきだった。
名優の小林でさえ、吉田の意図をくみ取れなかったし、また、小林の演技プランを、演出サイドが止めなかったのも、演出家が吉田の意図を理解できていなかった傍証である。
NHK公式サイトの伊藤のコメントはすでに削除されているので、引用した記事からの孫引き。
演じるにあたっては、なぜ寅子は穂高にここまで怒るんだろう?と悩みました。その気持ちを監督に話したら「表現としては怒りかもしれないけれど、ここは寅子から穂高に愛情を伝えるシーン。ここで2人は、ただの仕事相手や師弟関係じゃできないケンカをしている。もはや、ある種の親子ゲンカであって、これは大いなる愛なんです!」と。そうした視点で脚本を読み返したら、腑に落ちたんです。きっと寅子は、穂高先生のあいさつを聞いて「今までやってきたことすべてが雨垂れの一滴だと言うの?凄くことを成し遂げた先生を尊敬していたのに、そんな後ろ向きなことを言わないでよ!」と感じたんですよね。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/07/05/kiji/20240704s00041000217000c.html
前述の通り、吉田が意図した怒りのポイントは、「寅子自身も『雨垂れの一滴たれ』とされたと思った」ことなので、伊藤もずれているのだ。
結論を言うと、
「自分の怒りをむりやり乗っけたせいで、余計なノイズになり、現場も視聴者も混乱させた吉田が『ノイズを排除』なんて言うな」
である。
最後に、「虎に翼」を監修した方の、14週のコメントを引用したい。
穂高先生と寅子のわだかまりは最後まで溶けることなく、穂高先生は亡くなってしまいました。寅子の気持ちも分からないではありません。穂高が「女子部を作り、女性弁護士を誕生させた功績と同じように、女子部の我々に『報われなくても一滴の雨垂れでいろ』と強いて、その結果歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出したこと」、いわば捨て石としたことを、寅子はどうしても納得できなかったのです。しかし、雨垂れになる 虞があることは、母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします。台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。
「母親のはるも桂場判事も、何度も警告していましたよね。それを自分の意志で突っぱねてきたのは寅子であって、責任をすべて穂高先生に押し付けるのは、ちょっと違うかなという気がします」の指摘はその通りだと思う。
あと、
台本では「(全部言ったった!と、興奮して叫ぶ)」という場面設定でしたが、出来上がった映像では、「全部言ってしまった」と頭を抱えて座り込むという複雑な心情を表わした演出になっています。
吉田の意図とは異なるのだろうけれど、脚本のままだったら、もっと寅子は嫌われていたと思う。
「男性(性)を公衆の面前で辱めて勝ち誇りたい」という己の欲望を満たすために、史実をねじ曲げてまでねじ込んだ「寅子の花束拒否事件」は、本当に誰も理解できない、純然たるノイズだった。
yas-mal 「根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人」の一員として、あれは刺さったよね。増田にも刺さったから、これだけ必死に否定してるんでしょ。吉田さんの意図通りでしょ。
あのさあ。
その意図のせいで、話にでっかいノイズが入って、視聴者のほとんどが頭に?マークを浮かべるわ、最終回に言い訳入れるはめになるわで、話がぐちゃぐちゃになって完成度が落ちた、という話をしているの。
盛り込むなら盛り込むで、うまくやれって話をしているの。
そもそも、引用で挙げているように、吉田自身も「ここまで擁護されるとは思っていませんでした」「擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました」って言っているのだから、全く意図通りじゃないぞ。
dusttrail 本筋とは関係ないんですが、ネット上を探しただけで「見つからなかったからそんな史実はなさそうだ、創作に違いない」はちょっと…。
言わんとすることは分かる。その点は、「史実にあるなら吉田が必ず言及する」ことを担保にした。
なぜなら、吉田が(三淵さんを通してつくりあげる)寅子にやらせたいことにぴったりのエピソードなのだもの。
また、当時の解説のどこかで、「このようなことはなかった」と書かれた記事を読んだ覚えがある。
いずれにしても、ないものを証明するのは難しいので、申し訳ないが容赦してほしい。
当然、史実も創作も織り交ぜる(言い方を変えると、史実の面白いエピソードをうまくピックアップして創作する)ものだし、そう書いている。
ただ、「花束贈呈拒否事件」は、公の場での出来事に設定しているし、あまりにも唐突だったので、逆に史実だろうと思ったら(恐らく)創作だったことに、「なぜに!?」と思った。
むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベルの唐突さだから。
で、史実でないならば、もっと別の設定、別の場所で穂高教授に怒りを向けることもできるのに、なぜあの公の場で拒否というエピソードを創作する必要があったのか。
それによって話のバランスが崩れても、なお盛り込みたかったのか。それが推察の出発点になっている、というだけ。
segawashin アレ虎に翼に原作なんてあったんだーと思っていたら「原作に相当する史実にはない」という超理論で腰が砕けた。この理屈なら殆どの史劇がアウトになってしまうが、現実とフィクションの区別がつかない人のなのかな? 本文は読んでない
せめて読んでからコメントしてくれ。後半の疑問にはすでに答えているぞ。
todomadrid 脚色加えるのはノイズ、ベースとした史実と違うからノイズ?何を言ってるんだろう。そう思うなら原作や歴史書だけ読んでいてほしい。クリエーターが自分の思想や主張を作品に反映させるなんて当然。それが作家性だよ
最初に書いているだろ。
「原作の数ある要素の中~一般論として、吉田の主張は正しい」まで。
脚本家の脚色や作家性を否定しているなら、こんなこと書くわけないだろ。
ブックマークしたのはかなり後だから、追記を読んでいるはずだけど、
「むしろ史実だとしたら、脚本家によっては「ノイズ」として切る人がいてもおかしくないレベルの唐突さ」と書いているだろ。
花束贈呈拒否事件は、あまりに唐突すぎて、多くの視聴者どころか制作者も置いてきぼりにするような創作で、理解を混乱させて作品の完成度を下げたと感じたからノイズだと言っているの。
kura-2 原作アニメ見てないやつはその作品についてなんも言う資格ねえなあ。物語の順序入れかえたり変更された部分に対して必ずしもノイズ扱いされているわけではなかろう。増田が結論ありきで書いてるだけ。
いや、「ぼっち・ざ・ろっく」の作品についてなんて、一言も語っていない。側聞だけ。
いやまあお前のブックマークだから好きに書けばいいけれど、公表しちゃっている以上、それって全世界に「まともに反論する能力がありませーん」って宣言しているのと同じだぜ。
「まともに相手するのもばかばかしい」というなら、そもそも相手(ブックマーク)する必要ないじゃん。要は、ただ攻撃したいだけなんだよね。
ええーっ…。何これ…。
いや、誤読は仕方ない面もあるよ。もちろん、こちらの書き方が足りていないこともある。
でも、これは誤読以前じゃん。
煽りにしてもひどすぎる。
冒頭に書いてるだろ。
見たかったも何も、そもそも作品に触れてもいないんだって。マジで。
あと、「吉田のスタンスは基本的には当然だし、アニメはヒットしたと側聞しているので、「ノイズを排除した物語」は支持されたのだろう」と書いてるだろ。
自宅の水風呂に入れるときに、水着を着せたんだってな。昨日初めて知ったけど。
このことについて、「けしからん」とか「ふざけるな」とか、そんなの、どこにも、何にも書いていないし、
覇権を取るために風呂場の裸というノイズを排除し、純度を高めた戦術は、全く否定していないぞ。
なあ、id:hate_flag。
あんたはこの増田のどこをどう読み、どんな理路で、嘘つき扱いしたのか。
書いていないこと、しかもこちらの思いと全く異なることを書いて煽ってきたのか。
ー
t-tanakaです。ブコメに返答。
性被害にあったときの心痛や、社会的なダメージも関係してくるお話だと思う。女性の性を社会や男性ではなく、女性当人のものにするための議論だと思う。
あなたの性は,あなた当人のものであるべきです。それは誰も侵害するべきではありません。ですが,その代償として,あなたは他の女性が自分の性を自由にすることを,それこそ売買することすらも認める必要があります。
また,「心痛を受ける人がいるから」という理由でコンテンツやそのクリエーターの存在を否定するべきではありません。コンテンツの規制は実際の被害の防止の観点で議論されるべきです。AVの存在によって性被害が増えている,という事実があればAVを規制するべきであると思いますが,私はそのような事実はないと思っています。
CAPCOMストリートファイター6の乱入イラストコンテストの入賞作品にAI生成疑惑が出てプチ炎上してる。
問題のイラストはこれ→ttps://pbs.twimg.com/media/GwiY4wfbMAAmO6X?format=jpg&name=large
この事件で思ったんだけど、もうAI区別するのアホらしいからやめないか?
誰も言われなきゃAIだって気づかないし選考者も見抜けないレベルだし。センスが良い絵はセンスが良い絵でいいじゃん。誰も困らんでしょ
AI禁止は料理人は禁止で、料理を作る場合は自分で野菜を栽培しなければならないと言ってること変わらなくない?自動車だって自社で作ってるのエンジンくらいであとは部品メーカーの寄せ集めだよ?
エヴァンゲリオンだって庵野秀明一人が作ったわけじゃなくて才能あるクリエーターが集まって傑作が誕生しただけだよ?なんでAIだけ目の敵にされるのかわからない。
誰もが気軽にAI駆使して良い作品作れるわけじゃなくてAI活用もセンスが必要でしょ。たぶん。新しい時代の料理人みたいな認識でいいんじゃないの。
注:ちなみに今回のイラストコンテストに関しては注意事項にAI生成禁止と表記されていたにも関わらずAI生成なので違反は違反です。でもAI生成禁止自体も時代遅れなんじゃね?って議論もすべきだと思う。
いち弱小(というか誰にも認識もされてない)ブクマカでしかないが
自分が気持ちよく生きるために、家族や一緒に居て楽しい友人、役に立つ人(知り合い以外でも、必要な仕事してくれてる人たち)も優先度は違うが幸せでいて欲しい
自分がの楽しく生きるために、漫画もアニメもゲームも小説も映画もドラマもAVも必要だし
美味しいものを食べるためにある程度の環境も守っていかなければ困るし、肉禁止みたいなのはやだ
己の武力に自信がないので、治安の良さも要るし、治安悪化しないとしても経済も安定してて欲しい
自分だけ、自分の世代だけが逃げきれたらよいとも思うが、そこまでなると、死に際とか結構ギリギリになって不安
急に暴動がおこるかもしれない、なので100年200年とはいわなくともできるだけ安定は長続きして欲しい
で、幸いにして、現状そこそこ余裕はあるので
野良猫の殺処分無くしたいとか、海外で安くコーヒーやらカカオ作ってる人の心配もたまにはできる
困りきってはないので、何かを切り捨てるみたいな極端な案が絶対必要という立ち位置にまではたどり着いてない
人権は大事だけど、何故大事かというと、どっかほころびたら(もうすでにというか元々ほころびというかぶっ壊れてたのを取り繕ってるのでそもそも完全になったことはないが)それが自分に到達してしまうからでしかない
自分(と家族、大切な友人やお世話になってるクリエーターさんや替えの効かない仕事してる人)には関係ないのが保証されるのであれば、まあ人権もそこそこ以下でよい(海外とかそだし
周りの目もあるからきれいごとを言ってはいるが、自分一人では生活が出来なくなった人とかはどっかで年齢区切って、介護も医療も保険適用せず自費でよいとかは思ってる
(年齢区切るのは、障害を持ったこどもも同じ扱いだと厳しすぎるからというエゴ)
その年齢の過半数がお荷物になってる歳とか毎年判定できたらよいのだけど。そしたらそこから3年経過以降は見捨てるとかできる。
そんな施設地域は作れないが、姥捨て山みたいなのの人道的なものはあってもいいかなと思う。主に効率のために
もちろん姥だけじゃなく、家族で面倒みきれん障害者やなんらかの理由で稼げない人も。主に効率のために。
各県レべルででも一か所に集めたら、どれだけ費用が浮くのか知らんが。
そこそこ快適さを保っても入りたがらない人が居たりして、ホームレス化して治安が悪化して、マンハンターの出番とかなるのかなぁ
みたいなことを考えると結局極端な対応ってどの分野でも難しいのよね
農業でも集約化~とかでも
中国語の公式CV使った公式案件のクリエーター作品ってことみたいだな
自分は運良くYouTubeのおすすめが仕事してくれたお陰でキャッチできたから良かったもののね
過去に原神でも公式ファン作品系の大きめのプロジェクトに参加してきた方みたいだ
日本のプレーヤーにも届くように完璧な日本語字幕・概要文つきで発信してくれてありがてぇが過ぎる
このムービーやゲーム内でも(※衛非地区の方言)が気になったけどこれは広東語が元ネタっぽいな
あとシナリオ進めながら調べた初耳ワード「道観」ってのは道教における寺院みたいなもんで、要するに雲嶽山は道教モチーフってことね
んで、道教といえばで突然原神に飛ぶが、スカークのキャラクター紹介に出てきた「至人の心を用うるは、鏡の如し。将らず、迎えず、応じて蔵めず。故によくものに勝えてそこなわれず。」
https://www.hoyolab.com/article/39293714
これも荘子の言葉で、つまり道教ってことで、毎度のことながら細かいとこでタイムリーにリンクさせて来るねぇ。
意味は、「道(タオ)を極めた人の心の使い方は鏡のようじゃ――つまり対象をそのまま映すが自分の意思を介入させることはない。過ぎたことに囚われず(≒去るもの追わず/将らず)、取り越し苦労することなく(≒来るものは来るに任せ/迎えず)、臨機応変に対処したあとは(≒応じて)いつまでもモヤモヤを抱え込まない(≒蔵めず)。だからこそ堅牢な心持ちで居られるんじゃよ。」的な話。
というかせっかく書き下してもらっても読めないんよ。教養レベルが高すぎてw 調べた。
将(おく)らず=送らず。送別とか、惜しむ的な感じかな。
蔵(おさ)めず。収蔵する意味だが、この場合は胸の内を秘蔵する、心にしまう意味。オープンマインド、ないしヤなことは忘れろ的な。
勝(た)えて=耐える、堪える。
応じて、は臨機応変の応だが、道教的には、無為自然、自然の法則に調和し順応する的なニュアンスがあるかも。
なんの話やねん、と。
ああ、自分が好きになるキャラの特徴で、こういう無為自然スタイルからくる泰然とした雰囲気のある人が刺さるんよね。
もちろん、精神的には成熟してるけど時折人間くささ、子どもっぽさが入ってくるキャラってのも可愛げがあって好きなんだけど。
そういう可愛さとはかけ離れた、世俗離れした無執着人間が好きなんだよね。
Xは広告主に対して「広告を出さないと訴える」と圧力をかけ一定の成功を収めている
https://gigazine.net/news/20250612-x-twitter-revenue-campaign-lawsuit/
まーじでヤ○ザ
これもう広告ブロックしてない人間はヤ○ザに加担してるようなもんだな
YouTubeもAmazonプライムの広告拡大の影響でシェア分散して広告収益が激減してるっていうし
Web広告というビジネス自体を本格的に滅ぼしてオワコンにしないと
普通のクリエーターや発信者は一生広告に振り回され続けるのでは?
Amazonプライムの広告はどんどん増えていってるようだしな
Amazonプライム・ビデオの広告が開始時の2倍に増加
https://gigazine.net/news/20250612-amazon-prime-video-doubles-ad-load/
他のツリーでも書いてるが、30年もネット徘徊して色んな作品ごしに間接的に触れてると、見てなくてもどんなもんかだいたい分かった気分になる。
俺は映画もほとんど見ないほうだが、スター・ウォーズとか……スター・トレックとか……見てなくても、結局どんなもんか想像できるだろ。見ちゃってるなら適当なアメコミとか想像してくれ。興味なくて見てすらいないのに誰々の正体が誰々みたいなネタバレも知ってる部分あるし。それと同じ。
そりゃまあ細かい人間関係とか勢力図とかはまるっきり分からんが、大枠が分かっているのに作風が好みじゃない長大シリーズをわざわざ見に行く気になる人間はいないだろう。エアプ乙と言われてもエアじゃなくするための労力を払う意義を感じない。
それよりは自分に刺さる最新の若いクリエーターが作った作品に、大河になるかもしれない源泉に触れていたい。既にある大きな流れに乗ることを優先するんだったら、まるでハルヒが球場で感じた感覚のように、自分をちっぽけな大衆にしてしまう気がする。
オタクというのは、自分のセンスを信じて貫くことで、自分の中に世界を創造する人だと思うんだよ。それがあんたの言う無知に立脚していたとして、俺は気にしない。嗜好の偏りこそが、オタクをオタクたらしめる。
感動を共有できることの良さを知らないわけじゃないが、自分を特別と信じてあげられるように、他者と線を引いていくことも不可欠だと俺は思ってる。
AIが力を持ちつつある今こそ「人力」というブランドが価値を帯びる
AIらしくない文章を書けとやるともう見抜けない人も普通にいるような文章を出してくるのだから。その極致にAIと人間で成果物に差がつくようには思えない。
大事なのはブランド。工業化されている今でも「手作り」に価値を見出す人がいるのと同じ。
あの人たちって別に必ずしも手作りと工業製品を見分けることができるわけじゃない。
しかし「手作り」にはなにかそれにしかできない味などがあると妄信して手作りというブランドに金を出す。
人間がこうした虚像を信じられるような存在であるかぎり、人力に価値を見出す人はいるから、人力のクリエーターが完全に仕事を奪われることは無いのだろうと思う
にしても、若い日本人はもう中国ゲームブランドの方を信用しはじめているのに
落ち目のコンシューマでしか名作を出せてない日本ゲームメーカーの過去の栄光に感化されたせいで
中国の若く有望なオタククリエーターが日本企業みたいな泥舟に引き寄せられちゃうのは申し訳ない
彼らの大半が作ることになるのは時流に沿って運営型のゲームになるだろうし、日本はそれヘタクソすぎるんだよ…
むしろ救ってくれるつもりで来てるのか…?
日本人はメーカーもユーザーもスマホゲーを舐めてて本格的なものを敬遠する節がある上
下手したらゲームとは別物のパチンコやギャンブルに近い恥ずかしいものとして受け入れてソシャゲの域から突き抜けるビジョンすら持たずに手慰みとして消費してるきらいすらあるから