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2025-12-09

anond:20251208133212

規模が違うだけで、俺たちと同じようなコレクター

社長が自宅近所の屋敷を買い取って、そこに好きな自動車や、絵画を買い集める

年に一回ご近所に公開していたけれど、最終的にはそれが博物館なっちゃった日本自動車博物館石川県)や、ホキ美術館千葉県)のパターン

石油王のJ・ポール・ゲティ美術館も同じ

anond:20251208133212

マジレスすると、家族3〜4人に対して船員70人くらいのスーパーヨット世界のそこかしこを旅したり

日本はこれが停泊できる場所が少なかったのでコロナ前、TOKYO 2020に向けて慌てて整備していた)

美術館やら博物館有名ブランド店舗を夜とか休館日とかに貸し切ってパーティーを開いたり、

世界的に有名なアーティスト達に自分の家に飾るとてつもなく巨大だったり、材料も含めたコストをかけまくった贅沢なアート作品を作らせたりといった趣味比較的良い人もいれば

オイルタンカーなどの巨大な船を並べて、その上でゴルフを楽しんだりみたいな、ちょっとおバカな遊びに走る人もいれば

お金のために何でもする人達を買って色々なことをやらせてそれを楽しむような悪趣味な人も、

アラスカニュージーランドか、終末戦争の後、より安全なのはどちらかの検討をして、

そこに作った核シェルターで、今と変わらない生活ができるように核シェルター整備を趣味にしている人とかもいて

結局は人それぞれ

2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室 化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作 キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬 アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たち アメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1 新潟VS山口 総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

2025-12-04

anond:20251204104840

基本的地元から出るつもりはないんだけど、そういうところで都心はいいなあと思うわ

美術館とか博物館の展示だって都心はいろんな面白そうなことやってるし

2025-12-03

anond:20251203110007

基本的地元から出るつもりはないんだけど、そういうところで都心はいいなあと思うわ

美術館とか博物館の展示だって都心はいろんな面白そうなことやってるし

2025-12-02

anond:20251202061747

地方だと、各種の習い事社会でどう結実するかがわからない。バレエをやっててもバレエの公演は観られない、水泳やってても水泳選手は見たことない。英語を習っても英語を喋る適法滞在してる外国人を見たことないとかね。美術館博物館存在すら知らず、故にハンデすら気づかない子もいる。

東京にきて「え?こんなに公演が?」とびっくりしたよ。一歩ずつ追いつくしかない。

anond:20251201041524

都会と田舎文化資本格差って、美術館博物館とか以前に

地方で1人で映画館映画を見るためには映画代・燃料費・高速代で6000円以上必要な上に、行って帰ってくるだけで休日が終わるので『上映中の映画を見るのが趣味映画人生を賭ける人』みたいな認識になる」

とかそういう次元なんだよな

2025-11-28

わたしの「虚弱に生きる」

虚弱に生きる」とはまた少し違う話になるのかもしれないが、書きたいと思ったので書く。

精神障害者になってから、思うように体が動かなくなった、という話なだけなので、「虚弱に生きる」とは少しズレているかもしれない。

虚弱に生きる』の筆者は、診断ももらえず、手帳もなく、内科的な病気も見つからない、という立場だと聞いている。そういう意味では私とは違う。でも、どこか近いところがある気がして、思うことを書いてみる。

わたしの「虚弱」も、かなり近い場所にあるように思う。

外出は多くても月に1回程度。電車で30分以上かかる場所へ行くことは、それ以上の頻度では難しい。

それ以外の予定は、すべて「最悪ドタキャンになっても大丈夫もの」だけ。家族と近所で食事をするとか、本屋に行くとか。徒歩圏内か、乗り換えなしで15分前後場所なら、なんとかなる。

一番頑張っている外出は、月に1〜2回の精神科通院で、電車で1時間ほどかかる。とても信頼している先生なので、ここは変えるつもりがない。これ以外で、片道1時間以上かかる場所へ遊びに行くことは、現実的ではない。

遊んだ次の日もまた外出する、というのは極力避けている。できれば翌日は一日中横になっていたい。

夜遅くまで外で飲む、というのも気が進まない。オンライン飲みは少し好きで、たまに(本当に数年に一度くらい)夜更かしすることはあるが、翌日何も予定がないときだけだ。それもジュースお茶のみ。

飲み会も苦手。精神科の薬の関係もあるし、もともとアルコールにとても弱い。飲み放題プランでは必ず損をする。

コース料理も、おつまみ中心でお腹に溜まらず、一品一品一口二口しか食べられない。お酒も飲めず、ずっとお茶を飲んでいる。人と話すこと自体は好きだけれど、あのにぎやかな空気の中にいると、帰宅後は一歩も動けなくなる。お腹をすかせたまま帰ってきて、数千円を払う。ときにはそれ以上の金額になることもある。身の回りの人と金感覚が合わないことを自覚している。

コミュニケーションのためだということは理解しているが、「飲み会自体に良い印象はあまりない。人との潤滑油のためだと割り切って、時折参加している。

オフ会にもよく誘われる。ありがたいことだと思っているし、仲良くしてくれる人も多い。

ただ、オフ会の頻度があまりに高く、断ること自体に疲れてしまい、最近は「行きたいときに行くから、もう誘わないでほしい」と、少しきつい言い方をしてしまった。限界だった。

観劇テーマパークイベント旅行SNSには楽しいことだけを載せている。

その裏では、何か月も前から段取りをして、体調を逆算して、やっと年に数回参加できるだけだ。SNS上では「アクティブな人」に見えているかもしれないが、旅行にいけば部屋は泥棒が入ったかのように散らかり、片付けるまで1ヶ月はかかる。

本当はもっといろいろなことをしたい。体がついていかない。

働くこともあまりできていない。

虚弱」を名乗る人の中には親の扶養に入っている人も多いようだが、私はそうではなく、一人暮らしをしている。

正直に書くと、生活保護受給している。精神障害の診断があり、働くことが難しく、診断書を経て受給が決まった。ありがたい制度だと思っている。

週に1回、小さなアルバイトをして、少しだけ社会とつながっている。週1回以上働くと、調子を大きく崩してしまう。周囲がすべて自分攻撃しているように感じ、普通に生活すること自体が困難になる。

生活費の中から少しずつ積み立てて、「楽しみ用」のお金を作り、たまに外出やイベントに使っている。

生活保護障害のことは、身の回りの多くの人には話していない。話すようなことではないと思っている。

何度も飲み会旅行に誘われるのはしんどい。行けば体力もお金も削られ、断っても気力が削られる。

(生活保護で生きていけていることには本当に深く感謝しております無駄遣いをしないよう、業務スーパーと激安スーパーの激安切り落とし肉とブラジル産鶏肉生活を回している。本当にありがたいことです。)

わたしはいわゆる「ギリ健」なのだと思う。

精神障害者3級は美術館博物館のためのクーポンであるなんて意見もあったが、わたしはこの3級手帳のおかげでなんとか健康的で文化的な最低限度の世界を送れている。

「ギリ健」なので、周囲からは健常者として扱ってもらえる。しかし、「みんなとおなじ」ように振る舞ったあとには、大きな揺り戻しが来る。

これまで読んできた、いわゆる「本当の虚弱」(長時間眠るほとんど起き上がれない、退学や留年など)と比べると、私は動けている方だと思う。一人暮らしもできているし、診断も出ている。

から虚弱を名乗るな」と思われるかもしれない。でも、それでも「ギリ健の生活」については、書いておきたかった。

精神障害に至った経緯や詳しい事情については、身バレ防止のため伏せます。診断名は統合失調症です。

追記:「あの人のことかな」と思っても、わざわざ聞かないでください。そうかもしれない、と思うにとどめて欲しいです。

2025-11-26

anond:20251125190757

都会→田舎引っ越した民です!

田舎つっても準地方都市?って感じだからガチ田舎ではないけどね。

田舎子育てで一番の敵は科学館、美術館博物館水族館とかの、○○館の少なさと出かけるハードルの高さ!これにつきる!!!

私自信は23区内で育ったので○○館は近所のでかめ公園レベルのお出掛け場所だった。

地方だと都市にもよるけどこれがなかなか厳しい。だから意識して○○館系に行って、ハードルが低い場所だと刷り込んだ方がいい。

2025-11-25

anond:20251125205815

旅行の内容によるけど、紅葉の名所とか万博みたいなイベントとかアクセスの悪いとこへのハイキングとかなら駐車場まで

普通の名所や美術館博物館なりなら現地で臨機応変かな、そのほうがガチガチよりとっさの変更にも対応やすいし

2025-11-16

地元で働くハードルが高くない人が羨ましい

東京まれ東京育ちで東京地元だと思ってるけど、先祖代々東京人というわけではないから胸を張って東京故郷というのは気が引けるくらいのよくある家。

公務員とか地域密着企業とか、地域に根ざした仕事がしたいと思うけど、東京競争が激しく、かといって縁もゆかりもない地方に行ったとて「なんでお前が?」という反応になるのが目に見えている。

「生まれ育った愛着がある土地で、家族の近くで就職したい」と地方出身者が言ってても、何も言われないどころかむしろ親孝行だねとか郷土愛があるねと言ってもらえるのに、東京出身者がそう言うと、東京実家がある自慢かよとか、そんな甘ったれたこと言ってても東京競争激しいからねと責められる。

東京一極集中恩恵享受していることは自覚しているけど、東京or地元という選択肢があり、地元以外を選んでも不思議に思われないということ自体が羨ましい。こっちは東京地元で、東京以外を選ぼうとしたら孤立無援の上に不審がられ、かといって東京就職しようとすると高い壁が聳えているのが辛い。

上京して大学院で学び地元博物館就職したという人をネットで見かけ、地元への愛や地縁があって、やりがいある働き口もあったんだなあということが羨ましくなっての愚痴。隣の芝は青い。

トドがでかい

命の博物館剥製あったから見たけどでけえわ

思ったよりでかい

そりゃペンギンおやつ代わりに食うわって感じのでかさ

東京国立博物館の改修イメージ見て、目ん玉飛び出そうになった。

工事やりたがり、新しく作り直したがりの、都内の無個性爆死施設の二の舞みたいで、センスないだけでも気持ち悪いのに、ビアガーデンとかコンサートやるとか言ってて、まじでやめてほしい。

博物館のことは全く考えない、音頭取りの金稼ぎがチラつきすぎて吐き気する。ひたすらに下品

2025-11-14

anond:20251114134056

とりあえずできることは

故宮博物館に早めに行っておくことかな

2025-11-13

東京国立博物館の池撤去して公園にするやつ

東博の池を撤去して公園にして、ビアガーデンとかできるようにするらしいな。

それに対して批判の声が多数あがってる。

あの美しい池を壊すなんて!みたいな感じ。

しかもったいないとは思うけど、もう大部分の日本人東博のもの価値とかわからいから仕方ないんじゃないか

中国とかだと国賓博物館に招いたりしてる印象あるけど、日本はあまりそういう感じにも使われてない気がするし。

盆踊り会場にでもしたら良いだろ。

上野ラブホ的なのも近いし、教養ある系の人を集めて盆踊り出会わせてマッチングの場にでもしてやれよ。

もうのんびり優雅博物館できるほど日本も余裕ないだろ。

まあ厳かな博物館が良ければ京都かにもあるしな。

大阪のことを芸術尊重しないとか散々馬鹿にしてたのに東京も同じになってて正直わろたわw

東京国立博物館東京都民のもの

博物館の前の池をなくして芝生にしてビアガーデンなどに利用するそうだ

https://artexhibition.jp/topics/news/20251112-AEJ2779659/

東京都民でも反対してる人はいるだろうけど)

ビアガーデンなんて東京会社帰りのサラリーマンが利用するだけでしょ

地方から来る人のことなんかより東京ファースト

田舎にはイオンモールしかないとして地方ヘイトして炎上しい美術手帖の橋爪勇介って人、

東京博物館が池を潰して広場にするって案を肯定的に受け止めてるのかよ。マジで

この人の言う美術芸術って一体何!?

2025-11-02

知らんおっさん、気安く話し掛けてくるな

外出先で知らんおっさんに声掛けられて絡まれてるのほんとになんとかならんか…となっている

愚痴、タダの愚痴 ブスの愚痴

スポーツ観戦行っても博物館行っても美術館行っても神社仏閣行っても

知らんおっさんから「なんでひとりでこんなところに?どこから来た?そもそも何で女がこんなところに?」という絡まれ方をすることn年のブスです(自己紹介

あいうのって、そちらさんの連れがいても、こっちが何か スマホ弄ってるとか音楽きいてるとかしぬほど写真撮っとるとか してても、えっらいしつこく話しかけてくるんだよな

まじで何?喋ってないと死ぬやつ?そんで反応ないと寂しくて死ぬやつ?

こちとら普通に社不+知らない人からしかけられても相手しちゃいけませんって言われてるのと

あとは適当にあしらう技量もないので無視することが多いんだが、

そうすると「なんだ感じの悪い」とか、「話しかけてやったのに」みたいな。

その感じの悪い(しかも知らん人間、かつブス)のにわざわざしつこく話しかけてくるお前のほうがなんだ〜?だわこっちからすると

必要あってのことならまだしも、自分が会話仕掛けたら当然(たまたまそこにいただけの、かつ何かの作業にいそしんでいる)相手がにこやか〜に会話に応じてくれると思ってるの、まじで何なんあれ

話し相手くらいなってやったらって思う人間もおるかもしれんが

普通に知らん人間と会話なんかしたくないんだわ、しかもこっちの作業中断してまで

まあおっさんじゃなくてもいきなり話しかけてくる奴は基本たいてい無理だわ〜と思うものではあるが

ここ最近そういうおっさんとの遭遇があまりにも多すぎて 何〜〜〜???となっている

なんだ?みんな家庭内とかのコミュニケーションに飢えすぎて他人に話しかけたくなる時期なんか?キモ

話し相手探しおぢから脱線して

これは性別わず、なんかすげえ道案内とか時刻表とか田舎ワンマン電車の降り方とかも聞かれるんだけど、あれもまあまあムカつく

スマホ持ってんだろ自分で調べろやカス…と思う

知らん時はイヤ知らんすね〜って返すんだが、なんべんか「その持ってるやつ(話しかけられながらガン見操作してるワイのスマホですね)で調べてよw」とか言われたことある ハ?

あとこないだちょっと変化球パターンで向かい歩道歩いてたジジイが斜め横断してきてこっちの道塞いでまで「駅どこですか⁉️」て聞いてきたときはさすがに笑いそうになった 無視した 脱線終わり

そんなこんなで知らん人間に話し掛けられずに済む方法なんかねえかな〜て考えてるんだが

もうちょっと見た目にわかやすくオカシイ感じで近寄らんほうがいい雰囲気とか醸し出したほうがいいんだろうか ダルい

2025-10-31

anond:20251029203200

前々から福井恐竜博物館に行ってみたかったけど、関東の某県住みなので色々めんどくさそうだなと思って結局行かずにいた。

そしたら今逃したらもう二度と見れなさそうな展示がある特別展がやってたから意を決して行くことにした。

から

肝心の恐竜博物館は見るもの普通に多くて、1日じゃ常設展だけでも見きれないし、特別展博物館の周辺施設に行くことも考えて泣く泣く見きりをつけることに。

がぶっ飛びすぎやろ。文脈を読むに旅行代理店スタッフから「せっかく行くなら博物館だけではなく色々行ったらどうか」的にお勧めされて受け入れてしまったということなんだろうけど。

メイン目的地は外すな。1日で全部見られないなら2日間博物館に籠ってれば良いだけやろがい。

anond:20251029203200

旅行代理店使うようなとこか?ってまず思った

電車乗って博物館見て夜になったら満喫に泊まってまだ見たいならもう一度博物館行ったらいいし満足したらそのまま寄り道しながら帰ったらいいし

2025-10-29

アラサーが初めて1人で旅行に行ってきたけどさ

前々から福井恐竜博物館に行ってみたかったけど、関東の某県住みなので色々めんどくさそうだなと思って結局行かずにいた。

そしたら今逃したらもう二度と見れなさそうな展示がある特別展がやってたから意を決して行くことにした。

旅行代理店にお願いして金沢に寄り道しつつ2泊3日で行ってきた。

肝心の恐竜博物館は見るもの普通に多くて、1日じゃ常設展だけでも見きれないし、特別展博物館の周辺施設に行くことも考えて泣く泣く見きりをつけることに。

特別展金沢兼六園も楽しめたし、越前そばカルチャーショックを受けたりして総合的には楽しめた…はずだった。

帰ってきてからから「もう半日くらい使ってもう一度博物館見てくれば良かったのに」と言われて、楽しかった思い出が一気に吹き飛んでしまった。

後悔と自分計画性の無さと他人から言葉にすぐ影響されるメンタルが憎い。

仕事中に思い出して叫びだしたくなるレベルの後悔だ。

また福井に行ける保証はないのに。

どうすればこの感情をまた楽しい思い出で塗りつぶせるんだ。

結局旅行なんて行かない方が良かったのかもしれない。

追記(10/30)

とりあえずまた行こうかなって気にはなれた

海外博物館から借りてる貴重な展示が2033年までらしいのでそれまでにはまた行きたいところ

どうしても今後自分家族の身に何か起こって行ける状態じゃなくなったらどうしようという不安はあるけどね。

ブクマで言われてるように、「他人に何か言われる→それを気にして後悔」は今までずっとやってるけど、もう染み付いちゃってて改善できるか分からん

因みに金沢兼六園は行きました。

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