はてなキーワード: 技能とは
https://www.youtube.com/watch?v=Te7fNzLeckY
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自民党の最新方針(2026時点)「移民政策」はとらない: いわゆる「移民」の受け入れは推進しない方針を維持しています。受入上限の厳格化: 「特定技能」や新制度(育成就労制度)において、業界ごとの受入上限(見込み数)を厳格に設定し、不必要な増加を抑える方針です。
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外国から必要とされて日本に来て働いているのに文句を言われて場合によっては差別されるのはおかしい。
日本社会に統合されることが目的のベトナムから来た人に対して「お前は外の国の人間だ!!」っていうのはどうかと思う。
今後多数の移民を受け入れてもいつまでも日本社会の外の人間という枠に入れられて分断が発生すると予想する。
いい加減「外国人」とか「○○人」という言葉を利用するのはやめるべきでは。
役所で使うなら手続き上区別が必要なんだろうけどバスの運転手を国籍で区別する必要はないだろう。
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「ベトナム人だから、○○人だから不安」的なというコメントがあったが、これもベトナム人とタイトルに書いてあるから不安を煽ったのか!?
逮捕のマイクロバス運転手 なじみの飲食店で事故3日前「免許返納しようと」 2カ月前から数回事故 前日夜には飲酒か 磐越道21人死傷
https://news.yahoo.co.jp/articles/541de319feefe35d56ce8ae620c93283ef50dc64
日本で今までバスの運転で事故が一度も起きていないかというとそうではない。
“かつての社会であれば、人間が長年かけて蓄積するしかなかった技能や知性を、テクノロジーが代替するようになった結果、組織や社会やコミュニティにおける年長者・高齢者の価値が曖昧になっているのです”
“例えば、ワインのテイスティング、レントゲン画像の診断、さらには法的事案の判断といった領域においても、長年の経験を積んだエキスパートの能力を、AIが凌駕するケースが現れています”
“職能等級制度には、日本社会が抱いている「時間・経験の量は能力・成果と線形的に比例する」という世界観がよく表れています”
“もし年長者・高齢者が、量的には社会の重心をなしながら、価値創出の文脈においては周縁化されていけば、「数だけはやたらに多いが、社会的に意味を持たない存在」という危険な位置づけに追い込まれてしまうことになります”
https://news.yahoo.co.jp/articles/b3d407fc61396b04471e07f7dc98ff5ee6686c0e
中国の指導層、特に1990年代の日本の崩壊をリアルタイムで観察していたエリートたちは、日本の失敗を国家主権を失った国が辿る末路として徹底的にケーススタディした。
中国は、日本が米国の圧力に屈して急激な円高を受け入れ、バブルとその崩壊を招いたプロセスを最大の教訓とした。米国が長年人民元を切り上げろと圧力をかけ続けても、中国は決して一気に応じなかった。自国の輸出競争力と通貨の主権を手放すことは、国家の自死を意味すると理解していたからだ。
日本が金融自由化の名の下に外資の浸食を許したのに対し、中国は資本の流出入を厳格に管理し、グローバル資本が国内経済を根底から揺さぶることを許さなかった。中国は通信、エネルギー、金融といった国家の背骨となる部門を、決して民営化(=外資への売却)しなかった。
市場経済を取り入れつつも、最終的な決定権を国家(共産党)が保持し続けることで、資本の論理が国家の主権を上書きすることを防いだ。日本の林道整備が収益性で切り捨てられたような事態を、彼らは国家の弱体化として回避した。
日本が製造業の現場を軽視し、派遣労働の拡大で技能を破壊し、技術を米国や周辺国に流出させた失敗も、中国は注視していた。サービス業や金融への偏重(経済のソフト化)が国力を削ぐことを見抜き、製造2025の掛け声のもとにハイテク製造業での自給自足を急いだ。
西側の技術を導入しつつも、それを自国のものに昇華させ、逆に西側が中国のインフラ(5GやEVなど)に依存する構造を作り上げた。
中国の躍進は日本のようにだけはなるなというスローガンの上に築かれている。彼らは日本がバブルの宴に酔い、竹中平蔵のようなパシリによってシステムを解体され、最終的に搾取対象へと転落していく様を、冷徹な目で見つめていた。
皮肉なことに、日本が米国に差し出した果実が大きければ大きいほど、中国は主権を失うことの代償を強く認識し、独自の軍事力と経済ロジックを磨き上げることができたのだ。
覚悟がなければ未来はない。中国は米国と衝突してでも主権を守るという覚悟を決め、日本はその覚悟を捨てて隷属の安寧を選んだ。その結果が、現在の両国の決定的な国力の差となって現れている。
巷で言われる、ヒトへの進化では一般的知能がまず発達し、次にそれが芸術などの特殊化した技能に割りあてられた、と言う説は妥当だろうか?
心理学では、一般知能因子gなるものは、提唱されたものの見つかっていない。
まず整理したいのは、上記主張者は、精神的能力とは自然選択で発達した(し、そのような能力は大きな脳を持つ個体としての指標となり、性的な魅力があった)と強く主張する点です。脳のサイズが大きくなったのはシマウマを槍で狩る能力として自然選択されたのだ、と言うことはできます。しかし、シマウマを槍で狩るのを可能にした能力が、かたや数学の能力を発展させたと考えることも、同様に妥当なのでしょうか?
これに反するようにみえる例として、精神遅滞にあるが音楽、計算、または絵画などですぐれた能力を示す、サヴァンと呼ばれる人々の存在があげられます。これは、一般知能→特殊能力、というスキームに一致しません。
たとえば、脳がある一定以上に大きく発達すると(ホルモンなどは、脳の各部のサイズを比例して大きくするため、例えばある領域が数学の能力に必須であれば)、自然選択とは無関係に新たな能力が生まれるようになると考えることもできます。
サヴァンは一般には創造性を示さないのではないか、との反論があります。それでは、となりの大学教授(高い言語性IQをほこる)に、「10分あげるから、”ばかばかしく過度な行為をする”比喩を作ってみてください」と言ってみましょう。
答案は、次のシェークスピアの一節です。
—— 純金に金箔を貼り、百合の花に絵の具を塗り、すみれに香水をふりかけ、氷をなめらかにし、虹にもう一つ別の色を付け加える…….は無駄で、余分で、ばからしいことでありましょう。
大規模TRPGサーバーで、PLやKPをしてたまに遊んでいる。
身内卓でやってるときはまったく気にならなかったのに、野良卓でやるようになってからメアリー・スーが嫌いになった。
身内卓でやってるときは、そもそもメアリー・スーがいなかった。みんな一般人だった。
特殊なHOだったとしても、基本的には弱点があって「このキャラがいるならシナリオ攻略余裕!」って程の技能やステにする人がいなかった。
しかし、卓募集でPLを集めると絶対ひとりはメアリー・スーが来る。
なんなら、3人シナリオで全員メアリー・スーだったこともある。
あのね、「一般人で来てください」って言っても、大金持ちの家でメイドしてる身長180cmの拳銃などの戦闘技能盛り盛りPCが来るの。
ゴリゴリ戦闘シなのに、うちのエモシ向けのパンピ連れてったら大顰蹙だよ。
戦闘シに、回避すらないPC持っていかないのと同じように、エモシに呪文AF特殊技能特殊設定爆盛りのPCで来ないで欲しい。
エモくない。
これがメアリー・スーしたい人とそうじゃない人の違いというか。
Xの方ではCoCプレイヤーのスタンスやCoCの日本人気について議論されてるけど、私がCoCを始めたのは「自分だけのエモいストーリーを作りたい」という理由からだ。
もちろん戦闘シでも、唯一無二の、その卓だけのPCだけの素晴らしいストーリーになる。
他システムはあまりやったことないけど、戦闘特化のシノビガミでも、RPでキャラ全員の個性が立つセッションになったこともある。
けどそれはPLとの噛み合わせが良かっただけで、ここが合わなかったら私の求める「唯一無二のストーリー」がなくなっていただろう。
エモを求める層が手を出すのが、CoCによく見られるエモシや、そもそも技能や判定をシンプルに削ってRP中心に進められるエモクロア、判定は一切ないが自分の推理力でエンドが変わるマダミスなのではないだろうか。
私がよく卓を囲む、つまりメアリー・スーをしないPLの多くがエモクロアやマダミスに手を出している。
実際にプレイしたことがなくとも、エモクロアやってみたいマダミスやってみたいという話はよくあがる。
エモクロアプレイヤーとシノビガミプレイヤーの合流地点がCoCなのではないだろうか?
秘匿メインとかうちよそ向けとかガッツリ世界観やキャラの方向性が決まってるシステムもあるけど、CoCはルルブ一冊でどんなシナリオにも行ける。
1d100の、パーセントの分かりやすい判定値に、数多くの技能。オリジナル技能も当たり前に作れる。
探索でも謎解きでも戦闘でも。
それがCoC人口が多い理由であり、今回のようなメアリー・スー問題の原因だと思う。
RP勢と戦闘勢で、本来はシステムで住み分けるところを同じシステムで楽しめてしまうのだ。
1920年代のアメリカが本来の舞台とか、探索箇所を提示しないクラシックとか、白い部屋とか、そういう話じゃなくなっている。
私もここ1年で参入したタチだから偉そうなことは言えないけど、とにかく「自由度の高さ」がCoCの特徴であり、魅力であり、嫌われる要因なのだろう。
と思えば、異形の力を借りて神話生物に自ら立ち向かうこともできる。
あつ森で住民と仲良くなることを楽しみにしているプレイヤーと、エルデンリングで強敵相手に死に覚えで攻略していくプレイヤーが同じゲームを自分のスタイルで遊んでいるようなものだ。
あつ森ユーザーがエルデンリングプレイしても、戦いに慣れてなくて勝てなくておもしろくない。
エルデンリングユーザーがあつ森プレイしても、手強いボスなんていないし攻略法を自分で見つけてプレイテクで打ち負かす刺激はない。
つまるところ、本来我々RP勢とメアリー・スー、戦闘勢や攻略勢は相容れない部類なのだ。
長々と書いたが、私が言いたいのはメアリー・スーをやめろではない。
なんで探索者たちで旅館に泊まるストーリーに身長200cmヤニカス酒カス借金返済のためにマグロ漁船乗ったことある元刑事が来るんだよ。
なんで大事な幼なじみが行方不明になるストーリーで記憶喪失の10歳ロリ脳外科医が遊びに来るんだよ。
うちのボカロPやりつライブハウスのバイトで細々と食いつないでるベーシストでイゴーロナクと戦ってやろうか。
邪魔だろ、どう考えても。
しかも後者ならすぐ死ぬから良いとして、前者は全然死なないから本当に邪魔。
これはもはや戦闘狂に対する愚痴になるけど、メアリー・スーやる人ってやたらと戦闘技能と武器をごねがち。
通常探索でダイス失敗してもごねないのに、武器獲得のダイスで失敗したら「〇〇のためにこの場所をよく見てみます!」とかで追加技能振りがち。
なんなら、シナリオから提示されてないのに倉庫とか物置小屋に入ったら「武器になりそうなものがないか探します」とか、観光地で「木刀を買います」とか、戦闘あるよとも言ってないのに武器欲しがる。
武器なんてないって言っても「ハサミならあるんじゃないですか?」とか言ってくる。
そこになかったらないんだよ。
KPが「ないです」とごねを却下したときは、シナリオ的に有り得ないのももちろんあるけど、あったらうざいときが多いです。主観。
あのね、武器がないと終わるシナリオはね、ちゃんと探索者作成のときに書いてるからね。
武器があるかどうかを幸運で探せるのは、別にそれが失敗でも生き残れる程度の難易度だからだよ。
強い武器と高い戦闘技能と高ステータスが求められるシナリオでは書いてますからーーーー!!!!!
ダイス振るまでもなく、NPCから武器配られたりしますからーーーーー!!!!!!
メアリー・スーを楽しむのは良い。
野良卓でも、戦闘シナリオで他の人とキャラの食い合いになっても楽しめるのなら良い。
RP勢のいたって善良なる一般市民探索者の個性を奪って、RPを奪って、物語の手綱を握らないで欲しい。
メアリー・スー勢って言うてRPでも出張ってくるから他のPCが発言できないこともわりとあるから本当に配慮して欲しい。
PLだったら「PCはどうするの?」って自然にRP促せるけど、KPからやたらと「PLさん、なにかRPありますか?」って言ったら没入感がなくなってしまうから言えないのだ。
なら、最初からナーフの必要のない一般的なPCを用意していてください。
エモシはノイズの少ない探索者で来てください。
シナリオの前提にない設定をもって来ないでください。
過去一ひどかったメアリー・スーは「HOの調査内容(自発的)を、友達のニャルラトホテプから依頼されたので、シナリオのメイン事件には興味ないけどなんか来た」探索者。
HOに沿ってないからシナリオの究極のシーンで辻褄合わなくて他のPLのシナリオ体験を穢してしまった。
他にも色んなメアリー・スー要素で、PLのひとりがキレて「KPがダメって言ってるんだからダメだよ、こっちはニャルとか関係ないんだよメイン事件に集中しろ」って、あわや卓解散の危機すら感じた。
あ、ちなこの探索者、CSには一言もニャルラトホテプとか書いてなかったです。
当日の導入RPで突然「この子は友人のニャルラトホテプに呼び出されます」って言われた。
TRPGをやる上で、それだけは忘れないで欲しい。
最近、主ににじさんじの男性ライバーを見ていて、ずっと気になっていることがある。
それは、男Vtuberは字がヘタな人がかなり多いのではないか、ということだ。
もちろん、これはきちんと統計を取った話ではない。
私が配信や企画を見ていて受けた印象に基づく、かなり主観的な仮説である。
字のうまさはある程度まで「その人がどんな時間の使い方をしてきたか」を反映する。
手書きの機会が多かった人、学校的な訓練をそれなりに受けてきた人、あるいは家で親に字について注意されたり、整える習慣を身につけた人は極端に崩れた字にはなりにくい。
逆に、そういった時間や機会を別の技能に時間を振ってきた人は当然字のうまさはそこで止まったまま大人になる。
そこでVtuber、特にゲーム配信に強いタイプの男性ライバーを見ると、ひとつの傾向が見えてくる気がする。
この業界は、少なくとも視聴者から見える範囲では、「何か一芸に秀でている人」が強い。
その一芸が、トークである場合もあれば、歌である場合もあるが、最近はもっぱらゲーム系なのではないかと思う。
字を書くスキルなんてひとつもいらない、ただキーマウかコントローラーさえあれば完結する。
そう考えると、「字がきれいであること」にコストを割いてこなかった人が散見されるのは、ある意味では自然なのかもしれない。
学生時代から、一般的な人間よりゲームやネット文化の側に重心を置いて過ごしてきた人たち。
紙と鉛筆より、モニターとコントローラーに時間を使ってきた人たち。
そういう人材がVtuberという職業に流入しやすいなら、字が下手なのもうなずける。
(ここで補足だが、「字がヘタ=教育を受けていない」と単純に言い切るのは危険だとも思う。
字のうまさには個人差があるし、発達特性やディスレクシアが関係する場合もありうる。)
そういう意味で、えにからのような配信をエンタメにする会社はすごいなーと思うわけだ。
学校や家庭の中では高く評価されにくかった技能でも、配信の世界ではそのまま商品価値になる。
昔なんて(今でもか?)字のきれいさに加え、箸の持ち方や魚の食い方なども人を測るものさしになってきた。
今はそういったものは関係ないという風潮もあり、単なる「字がヘタで草」で終わる話でもある。
学校教育についていけなかった、枠組みから外れた人たちは今でこそ「グレーゾーン」や「発達障害」などとカテゴライズされているが
従来の教育や家庭環境のなかで取りこぼされがちだった適性が、別の経済圏ではしっかり価値を生み出せるのはすごいと思う。
なので私の中では、
「男Vtuberは字がヘタな人が多い気がする」
というどうでもよさそうな観察は、最終的に
在留は「権利」ではなく「許可」である。日本のルールを守らず、国民の生命・尊厳を傷つける者に在留を許可し続けることは、国家による国民保護義務の放棄に等しい。
まず不法・不良外国人を一掃し、厳格な審査と総量規制のもとで最小限の受け入れに留めることこそ、真に合理的かつ人道にも適う政策である。
特定の事件や行為に起因する恐怖・嫌悪を一律に「差別」「ヘイト」と断ずることは、現場で起きている実害を無視した正義感の押し付けである。
恐怖・忌避は、具体的な被害実績を前にした生存本能に基づく自衛反応である。これを議論せずに「差別」と封じることは、被害の再発防止を妨げ、かえって社会の分断と憎悪を増幅させる。
旧入管法の「送還停止効」と「仮放免」の隙間、および執行猶予を付与した司法判断が、再犯による新たな性犯罪被害を招いた。
| 時点 | 内容 |
|---|---|
| 2023年5月 | 県青少年健全育成条例違反で懲役1年・執行猶予3年 → 身柄拘束されず地域に留まる |
| 執行猶予中(3ヶ月後) | 12歳の少女に性的暴行(再犯) |
| 2025年7月 一審 | さいたま地裁 懲役8年(求刑10年、「反省が全くない」) |
| 2026年2月 二審 | 東京高裁 懲役6年6ヶ月に減刑 |
| 公判中 | 傍聴女性が「人を殺したわけではない」と擁護発言 |
難民申請中でも送還可能となる基準が「3年以上の実刑」、永住権取消しが「1年超」というのは、被害者と国民の安全を軽視した設定である。
| 制度 | 現行基準 | 提言基準 |
|---|---|---|
| 難民申請中の送還停止効 例外 | 懲役3年以上 | 罪種(性犯罪・強盗・恐喝・騒乱等)で即送還 |
| 永住許可の取消し(2027年4月施行予定) | 1年超の拘禁刑 | 罪種不問、有罪判決の時点で取消し |
| 再入国 | 5〜10年で解禁可能性 | 生涯禁止(永久追放) |
| 秩序破壊行為(ヤード騒乱・迷惑行為) | 刑事罰前は在留継続可 | 反復した場合、在留資格を更新せず排除 |
「3年」基準は執行猶予が付かない実刑ラインに依拠しているが、1〜2年の実刑でも被害者の人生は破壊される。被害の重さは刑期の長さではなく罪種で決まる以上、性犯罪・強盗等は期間を問わず即排除が合理的である。
国際条約(ノン・ルフルマン原則)も「極めて危険な重大犯罪者」の送還を否定しておらず、罪種ベースの基準は十分に説明可能である。
高市政権は厳格化を掲げつつ、同時に過去最多規模の外国人労働者受け入れを推進しており、治安改善の実感が得られない構造的原因となっている。
犯罪者排除策をいくら強化しても、それ以上のスピードで流入が続けばトラブルの総数は減少しない。国民が求めているのは治安改善の実感であり、「管理の強化」だけでは不十分である。そのためにも「総量の抑制」が合わせて必要であり、政権の優先順位が「労働力確保」から「国民の安心・安全」へ明確に転換されない限り、現状の施策は体裁に過ぎないと言わざるを得ない。
経産省「2040年の就業構造推計(改訂版)」(2026年1月26日発表)は、DX・AI活用・高齢者/女性の労働参加により、外国人に過度に依存せずとも成長維持が可能な道筋を示した。
犯罪者の「排除」は排外主義ではない。ルールを守る者の尊厳を守るために、守らない者を明確に線引きする。これこそが多文化共生を本当に成立させる前提である。
「文系がIT系のほにゃらら(プログラムとかアプリ開発とか)やってみました」系の記事を読むたびに思うんだけど、普通のそこらの開発やSEやる上で、理系も文系も関係ないと思うんだよな。
そら先端の、例えば新規の深層学習の本体書きますとか、そういうレベルの開発なら理系にアドバンテージあるだろうけど、広く一般に求人かかっているようなアプリ開発レベルで、文系も理系も関係ないだろって毎回思う。
むしろごく普通の高校レベルまでの教育とか、物を調べる技能とか、PDCAを回すサイクルの早さとか、もっと露悪的に言っちゃえば「机に向かう態度のあり方」とか、そういうレベルが必要とされる職業だろ、と。
更にもっと言っちゃうと、日本の文系っていう選択そのものが、「なにかを調べて論理的につきつめて思考や情報を整理していくこと」が苦手な、面倒で、そういうのやりたくない人の、逃げ口上みたいになってるんではないか? っていう疑惑がうっすらある。個人的には「アホか! とんでもねぇわ! 文系にだって、いいや文系にこそ情報の整理や分析や体系化必要だろ!」って思うし、学問の素養の問題として要求能力が劣るなんてことはないとも思っているのだけれど、なんか世間のうっすらとした認識がそういう逃避になってるように感じる。
加えて言うと理系選択したやつにだって、そういう能力が劣る、他人の書いたもの(教科書でも論文でも)を写経するのが得意なだけのクズってのはいるぞ。
「引きこもりから社会復帰できた」という元増田を見て、自分も書こうと思った。
俺も現在38歳の男だ。
元増田のように看護師という専門職ではないし、給料もそこまで高くないけれど、俺もなんとか社会の端っこにぶら下がることができた。誰かの希望になればと思って、柄にもなくキーボードを叩いている。
35歳まで、俺は見事なまでの「子供部屋おじさん」だった。
大学で人間関係につまずいて中退して以来、実家の自分の部屋に引きこもった。たまに親に泣きつかれて、短期の倉庫の仕分けバイトなんかに行くことはあっても、数日で行かなくなる。基本は昼夜逆転生活。ネットゲームと、まとめサイトを無限に巡回する日々。ゲームの画面の中では古参プレイヤーとしてふんぞり返っていたけれど、現実の俺は履歴書に書くことが一つもない、透明人間みたいな存在だった。
転機が来たのは35歳の冬だ。
深夜に起きてきてリビングでカップ麺を啜っていたら、夜勤明けで帰ってきたパートの母親と鉢合わせた。普段なら「こんな時間まで起きて…」と小言を言う母親が、その日は何も言わず、ただ疲れた顔でテーブルの向かいに座った。
そして、ため息混じりにぽつりと「お父さん、来年で定年なんだよね。再雇用だと給料半分になるってぼやいてたわ」と言った。
その時、蛍光灯の下で見た母親の頭にびっしりと白いものが混じっていること、そして昔よりずっと背中が小さく丸まっていることに気がついた。
瞬間、心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚に陥った。「あ、俺、このままじゃ親を食い潰すんだ」って。親が死んだら自分も生きていけないという恐怖以上に、自分という存在が親の命と人生を削って生き長らえているという事実が、急にリアルな重みを持ってのしかかってきた。
食べていたカップ麺の味が全くしなくなった。残りの麺を流しに捨てて部屋に戻り、布団を被ってボロボロ泣いた。このままじゃダメだ、死ぬ気で変わらないと本当に人間じゃなくなる、と思った。
次の日、俺は数年ぶりに外行きの服を着て、震える足でハローワークに行った。
職員のおじさんに呆れられながらも、必死に探して職業訓練校(ポリテクセンター)の「ビルメンテナンス(設備管理)科」に申し込んだ。「中高年でも未経験から就職しやすい」「資格さえ取ればなんとかなる」とネットの掲示板で見たからだ。
10年以上まともに人と喋っていなかったコミュ障の俺にとって、初日の自己紹介すら拷問だ。最初は周りの若い子やリストラ組のおじさんたちの輪に入れず、昼休みになるたびにトイレの個室に逃げ込んで、持参したパンを無音で食べていた。
でも、「ここから逃げたらマジで首を吊るしかない」という切羽詰まった思いだけが俺を支えていた。実習でドジを踏んで舌打ちされても、必死に愛想笑いでやり過ごした。
人生で初めて、死に物狂いで勉強した。「ビルメン4点セット」と呼ばれる資格のうち、まずは第二種電気工事士と危険物乙4の取得に全振りを決めた。電気工事士の技能試験の練習では、不器用すぎて配線の輪っか作りができず、ペンチで手の皮を挟んで血が滲んだ。悔しくて泣きながら、それでも夜中までケーブルを切り続けた。
数ヶ月後、ネットの合格発表で自分の番号を見つけた時は、歳甲斐もなく声を出してガッツポーズをした。
36歳で、今の会社に就職した。いわゆる独立系のビルメン会社だ。
面接では「今まで逃げてばかりの人生でしたが、もう絶対に逃げません。便所掃除でもなんでもやります」と頭を下げた。面接官の所長が「まあ、体力はありそうだし、真面目にやるならいいよ」と拾ってくれた。
今、社会人になって2年半が経つ。オフィスビルに常駐して、管球交換をしたり、空調のフィルターを清掃したり、トイレの詰まりを直したりしている。
夜勤もあるし、テナントからのクレーム対応で胃が痛くなることもある。給料だって額面で24万くらいで、手取りにすれば20万を切る月もある。ボーナスも寸志に毛が生えた程度だ。
でも、夜勤明けにビルの屋上で吸う空気は、ひきこもっていた部屋の淀んだ空気とは全く違う。早朝の街の匂いと朝日が異常に眩しくて、「ああ、俺、生きてるな」って実感する。
初任給をもらった月、俺は親父と母親を近所のちょっといい焼肉屋に連れて行った。
席に座って「今日は俺が払うから、好きなの頼んでよ」と言った時の親の顔は、一生忘れられない。親父はビールを飲みながら「美味いな、お前の金で食う肉は美味い」と何度も言い、母親はメニューで顔を隠しながら少し泣いていた。俺も肉を焼きながら、煙が目に沁みたふりをして泣いた。
元増田が「働くってすげーな。自信がもりもり湧いてくる」と書いていたけど、本当にその通りだと思う。
俺は今、社会の「歯車」だ。底辺職だとバカにする奴もいるかもしれない。でも、ただのゴミだった俺が、誰かの役に立つ歯車になれたんだ。トイレを直して「助かりました、ありがとう」と頭を下げられる。毎月、自分の口座に「給与」としてお金が振り込まれる。
その一つ一つの事実が、俺のフニャフニャだった背骨を少しずつ太く、真っ直ぐにしてくれている気がする。
俺は社会にいてもいいんだ。
誰かの役に立って、その対価としてご飯を食べていいんだ。
親も、やっと夜に安心して眠れるようになったと思う。
30代後半で職歴なしのひきこもりでも、本気で泥水すする覚悟で動けば、なんとか社会の端っこにしがみつくことはできる。
もし今、昔の俺みたいに暗い部屋でこれを読んで絶望している奴がいたら、とりあえずハローワークに行って職業訓練のパンフレットだけでも貰ってきてほしい。
遅すぎることはない。
俺も、社会復帰できて本当によかったよ。
胸に手をあてて考えてみてください。
ないですよね?
僕はありませんでした。
つまりそれが答えです
やたらと敷居が高く見積もられることが多いですが、所詮その程度の難度です、
未解決の数学の難問でもなければ、特殊技能でも何でもないんです
そのための本や動画を以下に紹介するのであたってみてください。
前提としてはルールや二眼、基本的な手筋(シチョウ、ゲタ、ウッテガエシ、追い落とし)は既知のものとし、その次の段階の人がターゲットです(これ以前の人は入門書を読むか動画を見ましょう。大丈夫、入門もそれで済みます)
照明をつけずに暗闇で何もわからない、何も見えない、無灯火運転で事故るというのは当然のことです
これら教材にあたってステップを踏めば必ず囲碁がわかるようになることを””100%保証””しますので、まずはこれらにあたってください
自分が囲碁を覚えた20年前の時点でそうだったので現代ならなおさら環境が揃っています
盤端での戦いは基礎中の基礎。
これだけで囲碁が最低限まともに打てるというレベルに到達できる
簡単な問題をひたすら繰り返し、「読む」というより「なんとなく見える」というレベルに引き上がります
囲碁において初段を目指すという本は初級者をターゲットにしています
なぜそこに打つのか、実利と厚み、いい形と悪い形
囲碁の考え方の基本を学べる一冊です
19路の打ち進め方の基本が書いてある本です
語り口調が軽妙で持ち時間のほとんどを読みより解説に費やした囲碁実況動画を上げてくれています
見ているうちに19路の打ち方や考え方がなんとなくわかってくるようになります
またアイドルがゼロから初段を目指す「あみーごの囲碁」の企画も注目コンテンツ
優しい語りで理路整然かつ丁寧に囲碁の考え方を解説してくれています
普段のタイトル戦だとあまりに長いしずっと解説が張り付いているわけでもないので、早碁でテンポよく見れて最初から最後までずっと解説のあるNHK杯はとても貴重な学習リソースです
もちろんこれらはあくまで一例で、これら以外にも本は無数にあり代替できますのでご自分で探してみてください
囲碁の本がこんなにあったのかと驚かれる事でしょう
常日頃からそういう意見を目にする度に、あれすれば、これすれば、本読めばわかるの事なのになー、全部本に書いてあるのになーと、
無責任な発言者はノーダメージなのに、受け手側のこちらは反撃の機会もなくいつも一方的にムラムラさせられているので、いい加減そういう人間を絶滅させ快適な余生を送りたいと考えています。
もう騒動に加担した人間たちですら忘れているだろうけど、3年前(厳密には2022年からだから4年前)
イーロンがTwitter買収して、Twitterジャパンの人間ほぼ全員社長ごとクビにした事件があったのはIT職系が多い増田とかは覚えてるだろうがネットの大多数は忘れていると思う。
あの頃、Twitterジャパンのキラキラ社内生活を映した番組が掘り返され、それにもう嫉妬と憎悪で「(警察が怖いから)名誉棄損や侮辱罪にならない範囲でこいつら地獄に叩き落したる!」とまで公言した連中が旧Twitterでいた程ヘイトを集めていたことがある、といえば思い出す人も多いと思う。
当時を振り返れば、それはもう凄まじい物だった、今だったら逮捕者続出してるレベルの罵詈雑言がTwitterジャパンのメンバーや当時の社長に飛び交っていたのをよく覚えているし、検索したらまだ出る程いっぱいある。
あの騒動に加担した連中は、旧Twitterやnote、まとめサイトやゆっくり動画まで作って「名誉毀損にならない範囲で」名前や顔出した(プライバシーもへったくれもない)宣伝動画作りまくってて
「IT企業はこんなところで働いてた寄生虫なんてとらないでくださいね!」とかやってた奴らがたくさんいて、実際オタク界隈からでさえ、ラノベや漫画系のクリエイターたちまでもが「現代のざまあ物w」、「生意気な社員や無能の社長なんか追放しろ」、「リアルなろう物だなw」と加担していた、Twitterジャパンを雇止めになったことを書いたアカウントに群がって集団で「●ね」だの聞くに堪えない悪罵を浴びせてネットリンチ状態になっていたのがニュースになってて、見ていてドン引きしたことを覚えている。
しかも、なろうがなろう系がといったって、Twitterジャパンの人たちはそもそもなろう小説やなろうアニメなんかみるわけがない層なので、いったい何の話で罵詈雑言食らってるのかさえわからず混乱していたのに、ざまあ!なろう!追放!なろう!と喚きながらネットリンチにいそしむ様は、底辺と上澄みの分断というより、謎の未開地の蛮族の集落に迷い込んだ文明人が、生贄の儀式を食らってるかのような光景にしか思えなかった。
彼らの目的は「クソ生意気な癖にキラキラ生活してるリア充の若造やそんな生活を許容して赤字垂れ流しにしてる社長が大手を振って世の中を歩いている事さえ許さん!地獄に叩き落してやる!」という、今だったら逮捕者出てもおかしくないレベルのことを集団でやっていてTwitterは大騒ぎになっていた。
赤字なのはTwitterの体質を考えれば当たり前の当然の話で、それはイーロンが買い取った後もほとんど変わらないし、サービス悪化になるレベルでコストカットをしたりとかなりの大胆なことをやって最近ようやくギリギリ黒字になった程度でしかなく、体質的に赤字なのは変わらない、というアナニュースまで出ているので、旧Twitterのメンバーや社長が悪い訳ではないし、それを増田たちは当時ちゃんと冷静に指摘していた。
「そもそも外資系にあっさり入れるような経歴や技能持ってる時点で職にあぶれるわけないだろ」
「外資渡ってきたなら経験あるだろうけど、あっさり転職やクビなんて当たり前の世界生きてきてるから動じてないだけじゃん」
「IT業界のこのレベルのレイヤで仕事や関わってる奴らは叩いてない」
実際、あれから3年経つが、旧Twitterジャパンの社長は、彼を叩いていたXのオタクやオタク系クリエイターたちが仕事貰って生計を立てている大元企業である、KADOKAWAの社外取締役や経営顧問を複数招聘されて、「イーロン・ショック」という当時の回想禄を出版してこれも売れている。
旧Twitterジャパンの人たちは普通に待遇もあまり変わらない他の外資やJCTにあっさり転職を決めていた、とも聞く
当たり前である、増田達のいう通り彼らはIT職としては「生まれついてスタート地点から違う人たち」なのだから、零落れようがない、との通りだった。
都内の一流大学に在学している女子大生のココロちゃんが、一時期とはいえみいちゃんという日本社会の底辺そのものの存在に、良かれと思って勉強を教えたりすると恩をあだで返され、ドン引きして就活時期なのでさっさとキャバクラを辞めて就活している中で
主人公の山田さんすら内心「関わらんとこ」とLINEを削除するシーンがある。
ネットでは物凄く炎上して「生意気な悪魔女がッ!」、「上から目線でバカにしやがってッ!」とヘイト塗れの意見が飛び交っていた。
「いや、生きる世界がそもそも違うんだから関わるだけ損だしいちいち関わってられないほど忙しいんだから当たり前だろ」という意見や
「むしろ山田の方がヤバイ」という当たり前の意見がたくさんあった。
SNSなどない時代だったら、あの人たちがどんな生活をしてたかなんて、下の層なんか知りもしなかったのだから、それはそれで双方ともに「分断」していた昔の方が幸せだったのではなかろうか。と
ネット社会は世界中の国家規模での諜報機関だのテロ組織だの、闇バ●ト問題などを見れば暴力団や反社などの魔の手や会話ができる位置までいるほど、本来であれば「普通の人がかかわってはいけない場所」や「普通の人が関わってはいけないこの世の闇に潜む人たち」と普通に生きる人たちを直結させてしまっている。
本当にあんなバイオレンスな世界でサバイブする方法なんて、普通の人が知っているわけがないから一度からめとられたら最後、人生や命まで奪われる様な痛ましい事件が実際に何度も起きている。
というか国会図書館ひっくり返そうが、アメリカ陸軍のマニュアル置いてある国防総省やCIAの公式HP見ようが、そんな人間に対抗できる手段などマニュアルでさえ役に立たないし置いてないのが実際だ
結局そんなヤバイ人たちが狙うのは、旧Twitterジャパンの社長やメンバーを叩いてた「救われないみいちゃんサイドの人たち」で、
彼らが憎むキラキラ生活をできている人たちや、ネットリテラシーは(ついている業務上普通の人たちよりかなり高い)増田たちは、いきなり通り魔にでも合わない限りまず事件に巻き込まれることはないので、結局弱者が割を食うのだが。
とっちらかってしまったが、どうすれば彼等や彼女らみたいな人たちは救われるんだろうか、そもそもどんな救いを求めてるのだろうか、それさえ聞いても癪に触ってブチ切れるほどプライドが高いみたいで誰もその答えを出せない
AIといったブレイクスルーみたいな技術が山ほど出てきている今の世界で、残酷なまでに救われない人たちは、IT技術で救えるのだろうか。そういうものがこれからのITに問われているのかなと思ってる。
何が言いたいかわからんって、あれだよ、我々の大半が雲の上の世界に最初っから住まう資格を持つ人間じゃあないのだから、なんで喪失感や不公平感や憎悪を持っているのか?って話なんよね
最近、ネットで新卒で月給50万なのを見て「生意気な野郎だ!」、「俺や私はこんなにもらえないのに不公平だ!」って言ってる人たちいっぱいいるけどさ、あんなのアンタらが若かった時代ですらそんな待遇の人間なんて常に時代の一握りの超上澄みで、関わることもない人間たちだったわけじゃん。
どうして別の世界なんだから関係ねえなで済ませられないのさ?そこに行きたいなら相応の努力しなよ、で社会恨んで他責思想の他力本願やめて生産的なアクション起こしなさいよ、終わる話じゃないの?
どんだけプライド高いのさ?というかそういう人たちにアンタら何されたの?滅茶苦茶リアルでイジメられたわけでも、暴力振るわれたわけでも、下請けや派遣ではいったらキッツイパワハラ受けたとかそんなんじゃないでしょ?ただ自分が能力不足でそういう「キラキラ世界」に行きたくても行けなかったから話したこともないそういう世界の人たちが憎たらしいってだけでしょ?
そんなの自分らの問題じゃん、てか真っ当な努力もする気もなく、キラキラ世界の、それこそ上で書かれたみたいななろう系!なろう系!とか言いながらTwitterジャパンの人たちや社長をTwitter上でネットリンチしてたけどさ、なろう系だの悪役令嬢だのかは知らんけど、美少女やイケメンと付き合って人生逆転したいんなら人や社会恨んでないで努力しなよ、ああいうアニメや小説では人を恨めば恨むほどパワーが上がる魔太郎が来るみたいな能力の主人公だとかが多いんだろうけど、現実そんなんないからね
挙句、後にKADOKAWAの経営顧問になる様な社長を、なった後もぶっ叩きまくってる落ち目のオタク系クリエイターや作家いっぱいいて、正気かこいつら?って俺思ったぞ、自分らの仕事差配するレベルの人たちに噛みついてんだぜ?狂ってるよハッキリ言って
というかそんなに暴力だの他害行為だの抑える気もないなら、テロリストにでもなって人の嫌がることならなんでもやってクソの人生極めりゃいいじゃん。でもこういう話するとなぜかブチ切れるじゃん、マジで理解できないんだよな
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:サンドイッチ。唐揚げ。蕎麦。夜:人参、白菜、ピーマン、キノコのスープ。沢庵納豆冷奴。ギョニソ。たまご焼き。バナナヨーグルト。間食:アイス。
○調子
仕事はため息沢山。
150ヘルを出現させるところまで。
○ポケットモンスターY(悪ポケモン旅)
・ロクのおかしな家(新連載)
僕はそういう軸で漫画を読んでいる。
・イチ
イム様の本体が登場する回。
それ、前提がいくつかズレてると思うんですよね。
まず「技能があれば金がついてくる」って言ってますけど、それって市場が自由に価格決められる仕事に限った話なんですよ。保育とか介護って、公的制度と報酬体系でほぼ上限決まってるじゃないですか。なので、能力上げたから即給料上がる構造じゃないんですよね。
あと「中卒がやってるから価値が低い」って言ってますけど、じゃあ仮に全員が英語ペラペラで心理学も栄養学も完璧にしたら給料上がるんですか?って話で。多分上がらないですよね。だって利用者側がその分の追加料金払えないし、制度的にも反映されないから。
さらに言うと、保育や介護って「付加価値を乗せにくい労働」なんですよ。ITみたいに一人の優秀な人が10倍稼ぐ構造じゃなくて、基本的に人手がそのままコストになる仕事なので、「技能不足だから低賃金」というより「構造的に高賃金になりにくい」ってだけなんですよね。
で、「生産性がない」って言ってますけど、じゃあ高齢者や子供のケアを全部放置したら社会回るんですか?って話で。むしろ他の産業が成立する前提を支えてる仕事なので、単純に生産性の物差しで測るのもズレてると思います。
つまり、「能力が低いから給料が低い」というよりは、「制度と市場の構造上、給料が上がりにくい職種」って話で、それを個人の能力の問題にしてる時点で、ちょっと論点ズレてるんじゃないですかね。
「保育士や介護士が必要な技能を得ていない」のが問題じゃないかと思ってる。
たとえば保育士が英語教育や英才教育の能力を持っていたら価値が生まれるけど、実際は中卒の脳みそが保育士をやって、同レベルの脳みそたちが育児の真似事してるだけじゃん?
介護士もぶっちゃけトレーナーとしての知識や栄養学とか心理学おさめていたらいいけど
経済学を学んできた人間として私が長年思い知らされてきたことのひとつは、技術革命についての予測はほぼ必ず二つの方向に間違えるということだ。短期的な影響を過大評価し、長期的な影響を過小評価する。Amara’s Lawと呼ばれるこの法則は、もう耳にタコができるほど引用されているが、引用している人々の大半がその含意を正しく理解していない。
なぜか。この法則が本当に言っているのは、私たちは技術の生産性への経路(path)を予測するのが絶望的に下手だということであり、それは「長期的にはすごいことになる」という楽観論の根拠にはならないからだ。むしろ謙虚さの根拠である。
1987年、ロバート・ソローが言った有名な一言がある。「コンピュータの時代はどこにでも見えるが、生産性統計の中には見えない」。いわゆるソロー・パラドックスだ。
結局のところ、ソローは間違っていた——ただし、正しくなるまでに約10年かかった。1990年代後半になってようやく、IT投資は全要素生産性(TFP)の統計に姿を現した。そしてその生産性ブームは2004年頃にはもう息切れしていた。つまり、真に生産性が加速した期間はせいぜい7〜8年だった。
ここで問いたい。AIについて、私たちはソロー・パラドックスのどの段階にいるのか?
私の暫定的な答え:まだ最初期、つまり投資は膨大だが生産性統計にはほとんど現れていない段階だ。2024年から2025年にかけて、米国の大手テック企業はAI関連の設備投資に年間2000億ドル以上を注ぎ込んでいる。これはドットコム・バブル期のIT投資をインフレ調整後でも凌駕する規模だ。しかしBLS(労働統計局)の生産性データは頑固に平凡なままである。
これ自体は悲観する理由ではない。1990年代の教訓は、GPT(General Purpose Technology、汎用技術——チャットボットの名前ではない)の生産性効果は補完的な投資と組織変革が追いついて初めて顕在化する、というものだった。電力についてのPaul Davidの古典的研究が示したように、工場が電力を最大限活用するには、建物の設計から生産プロセスまで全面的に作り直す必要があった。それには一世代かかった。
問題は、AIについてこの「一世代」がどのくらい圧縮されるか——あるいはされないか——である。
■ 今回は本当に違うのか
AI推進派(ブースター)たちの主張を整理しよう。彼らの議論は概ね三つの柱からなる。
第一に、AIは「知的労働」を自動化するので、過去の技術革命(肉体労働の機械化)とは質的に異なる。第二に、AIはAI自身の改良に使えるので指数関数的な自己改善が起きる。第三に、したがって従来の経済モデルは適用できない。
率直に言おう。第一の主張には相当の真実がある。第二の主張は経験的にまだ確認されていない。第三の主張はほぼ確実にナンセンスだ。
第一の主張から。確かにLLM(大規模言語モデル)がホワイトカラー業務の一部を代替・補完できることは明らかだ。コードを書く、文書を要約する、定型的な分析をする——これらのタスクでAIが人間と同等かそれ以上のパフォーマンスを示す場面は増えている。そしてこれらはGDP統計の中でかなりの比重を占めるセクターの業務だ。
しかし——そしてこれは大きな「しかし」だが——タスクの自動化と職業の自動化は全く別物である。これはDaron AcemogluとPascal Restrepoの研究が繰り返し示してきたポイントだ。ある職業の30%のタスクが自動化可能だとしても、その職業が消滅するわけではない。むしろ、残りの70%のタスク——AIには(まだ)できない判断、交渉、文脈理解——の相対的価値が上がる。
経済学ではこれを「Oの環理論(O-ring theory)」で考える。宇宙船チャレンジャー号を思い出してほしい。あの事故では、一個のOリングの不具合が全体を破壊した。多くの知的労働もこれに似ている。プロセスの大部分をAIが完璧にこなしても、人間の判断が必要な一箇所が全体の質を規定する。この構造がある限り、「AIが全てを代替する」というシナリオは実現しにくい。
投資の話に戻ろう。
私はバブルかどうかという問いの立て方自体が間違っていると思う。正確な問いはこうだ:現在のAI投資の期待収益率は、資本コストを上回っているか?
NVIDIAの株価は、AI関連の半導体需要が今後5年間にわたって年率30%以上で成長し続けることを織り込んでいる。Microsoftのクラウド事業の評価額は、企業のAI導入率が楽観的なシナリオの上限で推移することを前提としている。これらの仮定が同時に成立するためには、AIの経済的価値が、それこそ過去のどの汎用技術よりも急速に実現されなければならない。
これは不可能ではないが、歴史的な基準率(base rate)を考えれば、かなり強気な賭けだ。
もうひとつ、あまり議論されないが重要なポイントがある。AI投資の地理的・企業的集中度だ。米国のAI設備投資の大部分は事実上5〜6社に集中している。これは1990年代後半のテレコムバブルと構造的に似ている——大量の資本が少数のプレイヤーの「勝者総取り」の賭けに集中し、セクター全体の合理性が個別企業の楽観バイアスの総和によって歪められる。
マクロ経済的により心配なのは、バブルが弾けた場合の波及効果だ。テック企業の設備投資がGDPの相当部分を占めるようになった今日、AIへの期待の急激な修正は、2000年のドットコム・クラッシュよりも大きなマクロ的ショックをもたらす可能性がある。
■ 分配の問題
仮にAI楽観論者が正しいとしよう。AIが本当にGDP成長率を年1〜2ポイント押し上げるとしよう。それでも、私にとって最も重要な問いは変わらない。誰がその果実を得るのか?
過去40年間の技術進歩の歴史は、生産性の上昇が自動的に広く共有されるわけではないことを痛いほど示してきた。実際、skill-biased technological change(技能偏向的技術変化)の文献が明らかにしたのは、ITの普及が賃金格差の拡大と中間層の空洞化に寄与したということだ。
AIの場合、分配効果はさらに極端になる可能性がある。なぜなら、AIが代替するのは(少なくとも当面は)比較的高給のホワイトカラー業務の一部だからだ。パラドキシカルに聞こえるかもしれないが、配管工やクリーニング業者の仕事は、弁護士のパラリーガルやジュニアのプログラマーの仕事よりもAIによる代替に対して安全だ。これは分配の観点から複雑な含意を持つ——単純な「高スキル対低スキル」の図式では捉えきれない再編が起きる。
■ 私が本当に心配していること
以上を踏まえて、AI経済についての私の暫定的な見方をまとめよう。
AIは本物の汎用技術であり、長期的に有意な生産性効果をもたらす可能性が高い。しかし「長期的」が何年を意味するかについて、私たちは驚くほど無知である。現在の投資水準は、その効果が歴史的に例外的な速さで実現されることを前提としている。そしてたとえ楽観的なシナリオが実現しても、分配の問題が自動的に解決されることはない。
私が最も心配しているのは、AIについての公共的議論の質だ。テクノ・ユートピア主義者たちは「AGIが3年以内に来る」と叫び、テクノ・ペシミストたちは「大量失業が来る」と叫ぶ。そしてどちらの陣営も、自分たちの主張がきわめて不確実な予測に基づいていることをほとんど認めない。
経済学を学んだ人間として私が言えるのは、不確実性にはそれ相応の政策的対応がある、ということだ。セーフティネットの強化、教育と訓練への投資、競争政策による市場集中の抑制——これらは、AIがユートピアをもたらす場合でもディストピアをもたらす場合でも、あるいはその中間の(最もありそうな)場合でも、正しい政策だ。
確実性の幻想に基づく政策よりも、不確実性を認めた上でのロバストな政策のほうが、はるかにましだ。これは退屈な結論かもしれない。だが退屈な正しさは、刺激的な間違いに勝る。いつだってそうだ。
自称インテリがしばしば陥る最大の過ちは、自らの知的優越性に酔いしれ、市場や社会の自発的秩序を軽視することである。
これはまさに典型的な自己放尿であり、理論偏重・現実軽視・選民意識のトリプル放尿である。
この種の自己放尿は単なる態度の問題ではなく、資源配分の歪みを正当化しかねない危険な思想である。
まず、多様性とは単なる文化的スローガンではない。それは分業の基盤であり、異質な能力・知識・選好を持つ個人が市場を通じて相互利益を実現するための前提条件である。
高学歴者のみが価値を生むという発想自体が自己放尿であり、人的資本の異質性を無視した非効率な中央計画的思考に他ならない。
知識は分散しており、誰も全体を把握できないという事実である。にもかかわらず、自称インテリは自らを全知に近い存在と誤認し、自己放尿を繰り返す。
自由とは、各個人が自らの選択に基づいて行動する権利であり、その帰結として多様な結果が生まれることを含意する。
この結果の不均一性を問題とみなす態度こそ、自己放尿である。なぜなら、それは結果の平等を追求するあまり、プロセスとしての自由を侵害する傾向を持つからである。
市場は、価格メカニズムという情報システムを通じて無数の個人の判断を調整する。この精緻な制度に対して、机上の空論で介入しようとすること自体が、知的傲慢という名の自己放尿なのである。
さらに、低学歴とされる人々の存在は、市場経済において不可欠である。ここでいう低学歴とは単に形式的教育年数の問題であり、実際の生産性や技能とは必ずしも一致しない。
労働市場は多様なスキルセットを必要とし、単純労働から高度専門職までの連続体によって構成されている。
もし全員が同一の高度教育を受け、同一の職を志向すれば、供給のミスマッチが生じ、社会全体の厚生は低下する。
したがって、低学歴は不要だという主張こそが、分業の原理を理解しない自己放尿である。
方法論的個人主義に立てば、社会とは個々人の選択の集積であり、上から設計されるものではない。
自称インテリが好むトップダウンの設計思想は、しばしば現実の複雑性を無視し、予期せぬ結果を生む。
これは政策的自己放尿とも言える。市場における競争は、誤りを淘汰し、効率性を高める進化的プロセスであるが、自己放尿的介入はこのプロセスを阻害する。
自称インテリに求められるのは、自己放尿の停止である。すなわち、自らの知識の限界を認識し、市場の自発的秩序と多様性を尊重する態度である。
自由な社会においては、すべての人が異なる形で価値を創出する。その現実を受け入れず、選別と序列に固執する限り、自己放尿は止まらない。市場は寛容であるが、自己放尿には容赦がない。