はてなキーワード: 業務上とは
おそらく昨年に続いて今年も落ちるんじゃないかなという気がする。
1社目では、1度目の昇格試験のタイミングが遅れた挙げ句、受ければまず落ちない昇格試験に落ちた。
翌年でリベンジをするつもりが、上長の判断で推薦すらされず不戦敗。
それで上長との仲をこじらせて、子会社の縁のない部署に放出され、嫌気が差して転職。
2社目では、実績をあげて社内表彰もいくつも受けて、昇格を希望したもののやはり推薦されずなかなか昇格できず。
社内の幹部候補の育成カリキュラムにも推薦してもらえず、自薦で応募するも落選。
それもありつつ、業務上でも上長との仲をこじらせて、やはり縁のない他部署に放出され、嫌気が差して転職。
3社目では、幹部待遇で入ったものの、幹部としての役割をなかなか任せてもらえず、
それで1年もたたずに上長との仲をこじらせて役職を外され、嫌気が差して転職。
そして今の4社目では、上長とはうまくやれているものの、1度目の昇格試験では人事判断で昇格見送り。
どのくらいのケースかは聞けていないけど、受かる方が多いと思われる。
今年も受験したものの、上長のトーンもダウンしていて、去年のように「君なら大丈夫」ではなくて「自分としては昇格してほしいが後は君の頑張り次第」みたいになってる。
本来自分が担当するはずだった役割に後輩を育成し始めているフシもあり、結局また同じ流れかなぁ、という気がしてきている。
ここまで続くと、幹部として使うには向かない人材ということなんだろうけど、年齢相応の肩書を得たい、それができないと思われるのは癪だという自分がいる。
やりたいことやビジョンがあるわけでもなく、プライドや人目だけしか昇格のモチベーションがないのがよくなく、それを見抜かれてるのかもしれないけど。
どこかに自分の脳内を記しておく事が重要である段階にいるので匿名掲示板というツールを利用する。人と話すことはほぼ無いので意見が貰えたら嬉しい。
私は自分が対人関係において不幸である、或いは不幸を引き寄せる行動を無意識化で取っていると思う。
ぼんやり書くが、私はある大学院に通っている。学部時代にアカハラなるものがあり、それは思い返せば人格の否定や性別の否定、成績についての文句であったらしいのだが、私にとってはそういった態度を取られる方に問題があるのでは?という結論にしかならなかった(勿論これは自分限定の差別意識である。私は私が人より劣ってるからそういった態度をとられることは仕方がないと感じている)。
ではなぜアカハラという結果になってしまったのか?という点についてだが、これは業務上の責任問題的なものが発生したからである。これ以上は身バレの恐れがあるため詳細は話せないであろう。
兎も角、私はアカハラが認定された時、自分がまるで人間になったみたいに感じた。否定される、という行為は私限定で当たり前だと感じていたが、それはハラスメントであったらしく、カウンセラーの方などと話すうちに自分が可哀想に思い上がり、私は傷付いたのだと思う。
地獄はここからであった。かなり遅い時期に上記のような事があり、私は自分の大学以外の大学院入試を受けることができなかった。これは甘えだが、起きれず、動けず、本を読める状態では無くなってしまった。こんな状態でも時は進み、私は大学院生になった。一番に思った。合格するような状況では無いと。これは不正だと思った。
それに比例するようにどんどん周りは離れていった。アカハラをしたと言われる教授はテレビに出演し、公表はなく、カウンセラーの方はどんどん硬化した態度になり、私を受け入れてくださった学部内の教授は私の能力の低さに驚いていた。
私は思った。これは広義の慰謝料なのでは無いだろうか?
こういったことを考えるうちに私は自分の頭がどんどんおかしくなっていくと思った。
こういった掲示板に投稿することなど以前は考えなかったし、箝口令が敷かれたかのように押し黙り、自分が恥ずかしいばかりである。
これは私の精神がおかしくなったことの証拠なのだろう、という取り留めのないことを書いて、結びとする。
一つ教訓じみたことを言うならば、密室での会話においてどれほど自分にとっては尊厳が損なわれるような会話が発生したとしても証拠がなければ意味がないということだけは私が伝えられる全てであり、会話、という行為でついた傷にはさほど意味がないということであろう。
どこかに自分の脳内を記しておく事が重要である段階にいるので匿名掲示板というツールを利用する。人と話すことはほぼ無いので意見が貰えたら嬉しい。
私は自分が対人関係において不幸である、或いは不幸を引き寄せる行動を無意識化で取っていると思う。
ぼんやり書くが、私はある大学院に通っている。学部時代にアカハラなるものがあり、それは思い返せば人格の否定や性別の否定、成績についての文句であったらしいのだが、私にとってはそういった態度を取られる方に問題があるのでは?という結論にしかならなかった(勿論これは自分限定の差別意識である。私は私が人より劣ってるからそういった態度をとられることは仕方がないと感じている)。
ではなぜアカハラという結果になってしまったのか?という点についてだが、これは業務上の責任問題的なものが発生したからである。これ以上は身バレの恐れがあるため詳細は話せないであろう。
兎も角、私はアカハラが認定された時、自分がまるで人間になったみたいに感じた。否定される、という行為は私限定で当たり前だと感じていたが、それはハラスメントであったらしく、カウンセラーの方などと話すうちに自分が可哀想に思い上がり、私は傷付いたのだと思う。
地獄はここからであった。かなり遅い時期に上記のような事があり、私は自分の大学以外の大学院入試を受けることができなかった。これは甘えだが、起きれず、動けず、本を読める状態では無くなってしまった。こんな状態でも時は進み、私は大学院生になった。一番に思った。合格するような状況では無いと。これは不正だと思った。
それに比例するようにどんどん周りは離れていった。アカハラをしたと言われる教授はテレビに出演し、公表はなく、カウンセラーの方はどんどん硬化した態度になり、私を受け入れてくださった学部内の教授は私の能力の低さに驚いていた。
私は思った。これは広義の慰謝料なのでは無いだろうか?
こういったことを考えるうちに私は自分の頭がどんどんおかしくなっていくと思った。
こういった掲示板に投稿することなど以前は考えなかったし、箝口令が敷かれたかのように押し黙り、自分が恥ずかしいばかりである。
これは私の精神がおかしくなったことの証拠なのだろう、という取り留めのないことを書いて、結びとする。
一つ教訓じみたことを言うならば、密室での会話においてどれほど自分にとっては尊厳が損なわれるような会話が発生したとしても証拠がなければ意味がないということだけは私が伝えられる全てであり、会話、という行為でついた傷にはさほど意味がないということであろう。
ADHDの特性は主に「不注意」「多動性」「衝動性」という3つの軸で語られるが、人によってその現れ方は様々だ。例えば、書類の締め切りをついつい失念してしまったり、作業を始めるまでに非常に時間がかかってしまったりする「不注意優勢型」。また、会議中でもじっと座っていられず落ち着きを欠く、つい口が滑って思いもよらぬ発言をしてしまう、といった「多動性・衝動性優勢型」。あるいは、その両方の特性をバランスよく(あるいはバランス悪く)持ち合わせている混合型などもある。
一口にADHDといっても、人によって抱える困難や得意・不得意はまるで違う。ところが、誤った理解や偏見から「ADHDだから雑な仕事しかしない」「落ち着きがない」と決めつけてしまいがちだ。本人は不得意な部分をカバーしようと努力していても、周囲から見ると単に「だらしない」とか「空気が読めない」と映ってしまう場合がある。また、ADHDの特性を自覚していても周囲にうまく伝えられず、自責の念から余計に混乱し、業務ミスが増える……という負のスパイラルに陥ることも珍しくない。
職場が不穏になる原因
では、具体的にADHDの社員が原因となって、職場の雰囲気が「不穏」になってしまうのはどんなシチュエーションなのだろうか。考えられる主な原因をいくつか挙げてみよう。
コミュニケーションの行き違い
ADHD特有の衝動的な言動が周囲に与える影響は大きい。先輩や上司の説明を最後まで聞かずに口を挟んでしまう、自分の主張を急にぶつけてしまうなど、相手に対する配慮が足りないと受け取られる言動が続くと、周囲は「失礼だ」「常識がない」と感じ、関係がぎくしゃくしてしまう。また、注意すべき期限や作業手順などをしっかり伝えているつもりでも、当人は注意散漫で話を聞き逃していたり、メモを取っていても混乱していたりして、結果的に理解不足のまま業務が進まずにトラブルが起きることもある。
書類作成や数値の管理など、正確さが求められる作業を頻繁にミスしてしまうと、周囲の信頼が揺らぐ。もちろん、ADHDの当事者はミスを好んでしているわけではないのだが、確認漏れや遅延などが重なるとチーム全体に迷惑をかける場合も多い。「頼んでもいつも何かが抜け落ちている」「そもそもやっていない」となると、イライラが募りやすい。結果として当事者への当たりが強くなり、当事者もますます萎縮したり混乱したりして、悪循環が生まれる。
ADHD社員のミスや遅れをサポートする形で、他の社員がサブタスクを引き受けたり、細かい確認を代行したりする状況が続くと、「なぜ自分たちばかりが負担を強いられるのか」「仕事をフォローするのは当たり前なのか」といった不満がくすぶる場合がある。上司がADHD社員にだけ特別な待遇を与えているように見えたり、本人が努力していないように感じてしまうと、差別意識や嫉妬心さえ生まれかねない。一方でADHD社員本人も、「やるべきことは分かっているのにうまくできない」「サポートしてもらって申し訳ない」という罪悪感から、新しい提案やチャンスに積極的になれず、孤立感を深めていくことがある。
こうした状況が続くと、周囲は「なんだか仕事がやりにくくなった」「ミスやトラブルが増えた」という漠然とした不安やストレスを感じるようになる。現場のメンバーは当事者の特性を理解しようとしても、実際に何が最適な対応なのか判断がつかずに疲弊してしまうこともある。結果、「またあの人が原因でトラブルが起きるのではないか」という先入観にとらわれ、疑心暗鬼や苛立ちが蔓延する。これが職場の雰囲気を不穏にしてしまう大きな要因だ。
ADHDの特性をもつ社員は、周囲の想像以上に自分自身を追い詰めていることが多い。ミスやトラブルに対する「申し訳なさ」や、「どうして自分はちゃんとできないのか」という自己否定感。周りのペースについていけない焦りや孤立感。職場によっては、上司から執拗に叱責され、同僚からは陰で悪口を言われるなど、精神的に大きなダメージを負うケースもある。
また、本人が「自分はADHDかもしれない」と思い当たっていても、あえてそれを隠すこともある。理由は「障害」というラベルを貼られたくない、あるいは上司や人事部がどんな反応をするのか不安、というものだ。結果として周囲から見れば「なぜあの人はいつも同じ失敗を繰り返すのか」「注意力散漫なのに改善しようとしない」と映り、ますます誤解が深まる。本人は本人で、「言い訳をしているように思われるのでは」と懸念して必要なヘルプサインを出せず、辛い状況に陥ってしまう。
さらに、社会人として必要なスキル(業務の優先順位付け、スケジュール管理、会議での適切な発言など)がうまく身につかず、評価が低迷しがちだ。その分、強みを活かして成果を出す余地も見失いがちになる。たとえばADHDの人には、新しいアイデアを生み出したり、複数のことを同時進行で考えたりするのが得意な場合も多い。しかし、日常的なやり取りや期限管理の不備ばかりが目についてしまうと、強みを活かす場面が封じられてしまうことになる。
周囲にできること
では、ADHDの特性を持つ社員がいることで職場に不穏な空気が漂う場合、周囲としてはどのように対処し、サポートすればよいのだろうか。以下にいくつかのヒントを挙げてみる。
口頭指示だけではなく、文書やチャットツールで明確にタスクや期限を示す。優先順位を一緒に確認し、進捗を定期的に共有する仕組みを作ることが重要だ。また、細かな確認事項が多い場合は、チェックリスト形式にするなど、視覚的なツールを活用すると本人の混乱が減る。役割分担を明確にし、本人がカバーしきれない部分は誰が補うのか、チーム全体で合意を得ておくことも必要だ。逆に本人にしかできない創造的なタスクや企画などを積極的に任せることで、モチベーションを高める工夫も検討したい。
上司や同僚が、急かすような口調や曖昧な指示を連発すると、ADHDの社員はますます混乱しやすい。できるだけ具体的な言い回しを使い、「○日までに、AとBを終わらせて提出してほしい。進捗が50%を超えたら教えてほしい」というように、ゴールとチェックポイントを明確に伝えると効果的だ。また、一度に複数の指示を出すのではなく、順番を分けて提示するなど、情報量をコントロールすることも大切である。
ADHDに限らず、どのような特性を持つ人でも、失敗やミスを叱責ばかりされては萎縮してしまう。「困ったら相談していい」「自分がわからないことを素直に言っていい」という雰囲気づくりが求められる。周囲があたたかく受け止めることで、当事者も早めに「どの部分が苦手」「この業務だけがうまくいかない」と口にしやすくなる。そうして課題が共有されれば、具体的な対策やサポートを検討しやすくなるのだ。
職場の人間関係だけで解決しようとしても限界がある。産業医やカウンセラー、外部の専門家など、第三者の視点を取り入れることが効果的だ。必要であれば、当事者が精神科や心療内科の受診を検討し、適切な治療や投薬で症状を軽減できる場合もある。会社としては、従業員支援プログラム(EAP)の導入や産業医面談の強化など、制度面でも取り組みを進めることが重要である。
ADHDの特性を持つ社員には、細かい事務作業や厳密な期日管理が苦手な一方で、新しいアイデアやクリエイティブな思考に長けている人が多い。彼らの強みをうまく活かせるポジションやタスクを検討し、適材適所を意識するだけでも、周囲の負担は軽減されるし、本人の自己肯定感やモチベーションも上がる。また、評価においても、ミスの回数や遅刻の有無ばかりでなく、発想力や企画力などのプラス面をしっかりと認める視点が必要になる。
職場環境が不穏な空気に包まれてしまう背景には、会社や管理職による理解不足や制度の不備も大きく影響している。たとえば、ADHDなどの発達特性を持つ社員がいるにもかかわらず、何の配慮も行わず「みんな同じやり方をするべきだ」というスタンスを貫けば、当然ながら本人は困難を抱え、周囲もフォローに追われることになる。適切な研修や情報提供を行わず、現場任せにしているとしたら、それは会社側の責任が問われるだろう。
また、当事者が不利益を被らないようにするためには、配慮を必要としている社員が遠慮なく相談できる窓口やプロセスを整備しておく必要がある。管理職の立場にある人は、「甘やかしてはいけない」「できないのは根性が足りない」という旧態依然とした考えではなく、多様な人材を活かすことが企業の成長につながるという認識を持ち、適切に対応する責務がある。
ADHDの社員がいることで職場が「不穏」になるのは、当事者の特性だけが原因なのではない。むしろ、特性を理解しようとしない周囲の態度や、会社としての配慮の欠如、当事者が抱える不安を十分にケアできない組織体制など、複合的な要素が絡んでいる。ADHDは確かに特有の困難を伴うが、その一方で創造性や探究心、行動力といった大きな強みを秘めていることも多い。こうした多様性を排除するのではなく、取り込み、組織の力に変えていくことが、現代の企業や社会に求められる姿勢といえるだろう。
職場の不穏な空気を解消し、誰もが働きやすい環境を作るためには、まず管理職や同僚がADHDへの正しい理解を深めることが第一歩だ。そして、当事者が自己開示できるような心理的安全性を確保し、業務上の工夫や柔軟な人事評価など、具体的な対応策を導入していく必要がある。もちろん、一朝一夕で解決する問題ではなく、日常的なコミュニケーションや、組織全体での支援体制づくりが求められる。それでも、こうした取り組みを粘り強く続けることで、最終的には「多様な人材が活躍し、イノベーションが生まれる」活気ある職場へと変わっていくはずだ。
確かに、ADHDの特性を持つ社員との日々の仕事やコミュニケーションには、ときに困難を伴うこともあるだろう。だが、それをただネガティブに捉えるだけではなく、同僚たちが協力し合い、工夫を凝らして乗り越えていくことで、その社員の潜在能力を開花させる可能性がある。そんな前向きな循環を生み出すことこそが、組織全体の底力を高める道でもある。もし今、職場の雰囲気が不穏で悩んでいるなら、まずは理解を深めるところから始めてみてはどうだろうか。効果的なサポートと適切なマネジメントがあれば、ADHDという特性は決して「不穏」の原因で終わるものではなく、新たな発想と人間関係を育むきっかけになるかもしれないのだから。
企業と世論をつなぐ、という点における田端信太郎さんのコミュニケーション能力について考えていました。
私自身、清濁併せ呑む覚悟で起業をした経験があり、スタートアップの世界で知り合った方々の中には上場をしたりして公的な経営者にステージを移した人もいます。
一方で、まだ日の目を見ていないだけの不祥事が常に身近にあります。
一応は民主主義であり、インターネット等が伸び続けている今ではきっと不祥事はもう隠すことはできないのだろう、と思うのです。
どうせ隠せないのであれば、どうやって不時着させるのかを考える方向で力を使うのが次善の策でしょう。
もちろん、そもそも不祥事を起こさないということが第一原則であることは言うまでもありませんが、今も世界の何処かで不祥事は既に隠されているのです。
どうせ負けるならば、きれいに負けさせてくれる人に撤退戦の戦略をお願いした方がいいのではないか。
そんな事を考えながら、色々と書き綴っていたらうっかり8,000文字を超える原稿ができてしまいました。
自分語りがなるべく出ないように気をつけましたが、シンプルに一言で言い切る力が欠如していたため、歴史の話や別の方のブログ記事の話に派生してしまいました。
誰かと話し合いたいですが、皆それぞれ立場が違うと業界内では話せないこともあるため、生まれてきた文章の供養も兼ねて、ここに投稿させてください。
もし最後まで読んでくれる人がいたら嬉しいですが、長いです。
ぜひ端折って読んでください。
それでは。
10年以上前のはてなブログで、ある起業家の方がリクルートホールディングス代表取締役社長兼CEO出木場久征さんの発言を紹介した記事がある。
しかし、ここで語られている内容は今まさに湾岸で起きている革命の本質をついているようではないか。
記事によれば、
「世界は、落下してるんだ」
「本来あるべき方向に向かって、世界は凄い勢いで落下してるんだ」
「色んな既得権益持った人たちが抵抗勢力になって邪魔するんだけど、それは重力に逆らうようなもので、あんまり意味ないんだよ だって世界が落っこちていくスピードの方が圧倒的に早いから」
「だからさ、その落下する方向を俺たちは見定めて先に落下してくべきなんだよ」
「だってどうせ落下してくんだからさ 先に向かった方が絶対いいんだよ」
「俺たちがやらなくたって誰かがやるぜ?だって、そもそも落下してるんだから」
どうも、海沿いの特徴的な建物がおぼろげながら浮かんでこないだろうか。
湾岸やインターネットを主戦場とする現在の状況について考えてみよう。
重力に逆らって世界の落下に抵抗している勢力は勿論オールドメディアの権力者の諸兄のことだろう。
数千万円の口止め料もとい解決金を支払ったと報道された国民的タレントの方も当然権力者側だ。(報道をされたこと自体は事実だ。ただし、中身が正しいのかは当事者以外はわからない。念の為)
過去の栄光を踏まれれば、とんでもない落下だ。ただし彼の凋落ですらイントロに過ぎず、週刊誌が、影響力のあるインフルエンサーや経営者の皆さんが、あるいは匿名で事件情報を拡散するXアカウントが、日夜を問わず権力側の秘密に切り込んでいる。
おそらく先の報道には直接関係がないが、権力者側として同一視されている人物やその関係者の秘密まで芋づる式に暴露されている。
きっと今は芸能人を叩くのが最も効率よく注目を集める方法なのだ。
一方で、どうせ落下している世界へ向かっていち早く進んでいる人は誰なのか。
わざわざ人目につくことなく、こっそりと先に進んでいる方はおそらく少なくないだろう。
そして当然ながら私ごときではひっそりと先に進んでいる方が誰か知る事はできていない。
インターネット上に出ている情報だけで判断できる、落下後の世界を見据えて先に動いている人は誰なのか。
私見で恐縮だが、田端信太郎さんと堀江貴文さんを挙げさせていただきたい。
まず2名に共通することがある。
田端さんも堀江さんも、不祥事について週刊誌で報道された上場会社の株を空売りするのではなく購入している。
昨今、修羅の世界と化したXでは日々どこの誰かもわからない経営者の不祥事が暴かれている。
本来家庭の問題である不倫や、実際には被害届が受理されていないような刑事事件の疑惑ですら大衆による私刑の口実となってしまう時代である。
そうした時代であるからか、週刊誌そのものが批判されることも珍しくない。
1. 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
3. 週刊誌のせいで、大衆にレイプ的な私刑に遭う、という指摘
1と2については、概ね正義があるように思える。(特に2については、おそらく大問題だ)
ただし1については言うだけ虚しい指摘でもある。
無責任な大衆、とりわけ取るべき責任を取ることができない無敵の人に、責任をとれといっても話は永遠に平行線だ。
3についても、一見筋は通っているように聞こえる。ただし私の見聞きする範囲に限った話では、3の方向性で批判している経営者の方が「絶対に人に知られたくない弱み」を抱えた人物である傾向があるように思える。
あくまで比喩であり誇張した表現ではあるが、「自分がレイプした事実を週刊誌に暴露されたせいでレイプ的な私刑に遭う可能性に怒っている人間」を前にしたときに、私たちがすべきことは週刊誌への批判に付き合うことではなく、出頭を勧めることであるはずだ。対照が人ではなく法人であり、特に上場企業であれば不祥事はしっかり公開するのが基本であり王道である。
また邪悪ではない方も3の論調になることがあるが、それはそれで無邪気すぎるか現実が見えていないと言わざるを得ない。
経営者の皆様が大好きなキングダムで描かれるような絶対権力者、帝王の時代は、既に移り変わっている。
民主主義も、インターネットも、権力を分散する世界の落下であると言えるだろう。
権力の分散が、権力の集中よりも安全だろうが、一方で数多くの小帝王を生じうる(意訳)という問題については山本七平さんの‘帝王学「貞観政要」の読み方’という著作の端書きをご参照いただきたい。
(以下、引用です。日経新聞社の方、問題があればご指摘いただければ削除します。)
複雑な現代社会ではあらゆる所に「生殺与奪」の権を握る公的なないしは私的な権力をもつ小帝王を生じうる。人事権、許認可権、それにまつわる賄賂や情実、それらが新聞記事などになると私はときどき、「ウーム、こういう人のもつ権力は、行使しうる範囲が昔の帝王より狭いというだけで、その権力の強さは昔の帝王以上かも知れないな」と思わざるを得ない。
同じく皆様大好き鬼滅の刃で冨岡義勇が生殺与奪の権を他人に握らせるなと主人公を一喝するのが33年後の2016年だと考えると、どれほど早くに書かれた文章か実感いただけるだろう。
尚、この文章は現代で最も大きな権力を握っているのは「大衆」かも知れない。という論調で続いていく。
群集心理に則り、責任を追わないで済む人間が自制心を失うこと。自制心を失った大衆が権力を握り帝王になってしまうと、人類史上最大の暴君を生むのではないか、という危惧は今日を生きる人間ですら目を背けている問題であるように思う。
山本七平さんの世の中を見渡す力が、私達より優れていることに疑いはない。
しかし33年前、すでに誰かが知っていたことであるのも事実だ。
1.撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
先の引用だけでも1と3の指摘が不十分である、ということわかるはずだ。(というか、わかってほしい。)
権力分散の時代に生きていなかったら、起業家にも経営者にもなれていないかも知れないと我が身を振り返るくらいの想像力を持っていたいし持っていてほしい。権力をもつ人には、特にそうあってほしい。市民感覚に共感するかはさておき、上記のような想像料が欠けている方は突破力に優れる場合はある一方で、コンプライアンスの問題で一発退場となるリスクも持っているだろう。
不倫などは勝手にしてくれれば結構と個人的には考えるが、そもそも最初からやらなければいいのに、という話でしかない。仮にやってしまったのであれば、謝るべき相手にしっかり謝るしかない。隠すから余計ややこしくなり、隠すから週刊誌の格好のネタになってしまう。
だいぶ前置きが長くなってしまったが、このようなバランス感覚に優れているのが田端信太郎さんであり、堀江貴文さんであるように思うのだ。
念の為補足だが、私は二人と私的な関係にはない。当然に、仮に匿名でなかったとしても共通の知人こそ大量にいてもお二人は私のことを知らない。それくらい実力差がある筆者であることを許していただけるなら、この後も読んでいただけると嬉しい。
X上でアクティビスト投資家というイメージを固めつつある、田端信太郎さんを過去のいわゆる総会屋と重ね合わせて批判する論調も極稀に確認してはいる。
総会屋は企業に利益供与を求める行為は「利益供与要求罪」と呼ばれ、会社法で禁止されていることも疑いの余地はない。
だが、当然田端信太郎さんがこのことを知らないわけもない。
また当然、やるはずもなければ必要もない。
時に激しいレスバを見ると、田端さんの発言の強さだけを切り取って反論する人間が生まれることも理解はできるのだが、少なくともインターネット上で田端さんが誰かに利益供与を求めている場面を見たことがある人はいないのではないか。(あるいは、見たことはあっても非インターネット的な人間関係を前提としたお笑いのネタなのではないか)。
今回の騒動においても、不祥事を隠している会社の株を買っているだけなのである。
売っているのではなく、買っているのだ。
空売りもその意味においては「高く売っておいて、後で安く買う。その間は人に株を借りる」だけのことである。
業務上、知り得た企業の非公開情報を使って売買をすれば当然ルール違反だろうが、今回もおそらく不祥事を週刊誌報道で知ってから株を購入しているように見える。
また、影響力をもつ田端さん自身や田端さんの周囲の人たちが「株を買う」事自体をニュースにして、株価を釣り上げて株を売り抜けていれば問題があるが、これも当然田端さんがご存知でないはずがない。(ネット上の買い煽りアカウントが捕まらないのは、本人が実は株を持っていないということもあるのだとか)。
価値がある(あるいは時間をかければ価値が増える)ものを先回りして見抜き、買う。
この極めて単純かつ本質的なことを実行しているだけにしか見えない。
正しいことを正しい、と言うだけ。
間違っていることを間違っている、と言うだけ。
正しいか、間違っているのか、必ずしも断定できないときには疑問を投げかけるだけ。
人が言いたくないことや、空気を読んで言わないことであっても、言っていいことは言うだけ。
一方で、言ってはいけないことは言わないだけ。
すべて、秘密でもなんでもない、誰でも一度はどこかで学んでいる話だ。
知識よりもその運用が難しく、当たり前を当たり前に実行してきたからこそ田端さんのここまでのキャリアがあるのだろうと想像している。
このバランス感覚をもつ過程で、大半の人は撃たれる覚悟がないから撃たないという判断になる傾向があると思う。田端さんも当然そんな事はわかっていて、前線で発信をし続けているのだろう。
堀江貴文さんに至っては、テレビ局を買収するという前代未聞の挑戦をしたのがもう既に20年も前のことである。
30代の筆者にとっては、学生時代に見ていたニュースの中心にいた当時の堀江さんの年齢が32歳だということが衝撃だ。
先に登場させていただいたリクルートホールディングスの出木場さん(現在49歳)の世界は落下しているという話も既に15年ほど前の話だとすると、自分と対して年齢の変わらなかった当時の先人たちのレベルの高さには恐れ入る。
ただしこれはこれで、問題なのかも知れない。
先見の明がありすぎる人間が描いている未来(あるいは現実)を一般大衆は理解できないのだ。
理解できないからこそ、権力者が巧みに世論を動かしてしまえば挑戦者は負けてしまうのかもしれない。
既に世論の後押しを得ている(あるいはかつて得ていた)から既得権益なのだ。
20年前に堀江さんがテレビ局を買っていれば(あるいは、買えていれば)、おそらく国民的タレントの凋落は見なくて済んだと思う。
知りたくもない他人の性癖を想像しなくて済んだはずだし、きっと被害者とされる人が逆に貶められるような論調になることもなかったはずだし、数万字に及ぶエッセイも書かなくてよかったに違いない。
あるいは、その創作力を別の形で使えていたに違いない。
私が起業する時に、周囲の人間に「堀江さんみたいになってしまうから危険だ」と言われることもきっとなかっただろう。
当時このような心配をいただいた方々には敢えて直接連絡することもないが今ここで答え合わせをさせていただきたい。
私は一切堀江貴文さんのようにはなっていない。
それは単純にレベルが違うからである。誰もが太刀打ちできない権力者に32歳で挑むことは少なくともできなかったし、そんなチャンスも可能性も先見性も度胸もなかった。
今では逆に長年土俵際で耐えているだけの私を見た祖母に「堀江さんも復活しているのだから、あなたも時間をかけて焦らず頑張りなさい」と励まされる始末だ。
「あなたはどちらかと言えば堀江さん側ではなく、女性を献上する側になってしまいそうだから、そういうことをやっているなら今すぐやめなさい。ビジネスマンはお座敷でも真剣勝負だけど、まずは仕事での貢献が第一前提だよ」と笑いながら祖母に言われてしまうレベルであることも付け加えておく。
生身の堀江さんをお見かけして、余計に自分との距離を感じてしまっている限界起業家の私としては、なぜあそこまで優秀な堀江さんが一人で勝手に成功する道を選ばないのか不思議だ。
正しいことは、正しいと言うべきだけども、言わなくても生きていける。
間違っていることを間違っている、と言うべきだけど、言わなくても生きていける。
世界が落下している、と堀江さんは言わないかも知れないが。きっと在るべき姿や向かうべき未来はきっと浮かんでいるだろう。
わざわざ未来の話をしても、変化を嫌う既得権益側の方々に目をつけられて反感を買うだけだ。反感を買うだけならまだいい。実害もあるはずだし、それでも人目につく場所で発言をしているのはなぜなのだろう、と自分よりも遥かにレベルの高い人の思考を辿っても辿れるわけがないのだが、一つだけ仮説がある。
考えなくてもいい、人の気持ちをわざわざ考えたりはしないかもしれないけど、聡明な方だからどうしても気がついてしまうのではないか。
無責任な大衆にもかまってあげる必要も義理もないのだが、かまってあげるのが不思議だった。
無敵の人に対してわざわざ「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というようなことはしないが、無視もしない。
こじつけかもしれないが、「撃っていい覚悟を本当にするのは大変だよ」ということを見せてくれているのではないか。ルルーシュのように「だからそもそも撃つべきではなかった」と諦めるわけでもなく、戦うべきときがあれば既得権益が相手であってもまた闘ってくれるのではないか。
堀江さんが見た未来が、今の状況とは違ったはずだということはわかる。
仕事は出来るお局。
しかし最近、自分の小さいミスを人のせいにしてくる事が有る。どうやら本人は自分のミスだとは気が付いてない様子。
よく聞く局像は「自分のミスだと分かっていて人のせいにする」事例。これもキツイけど、気が付いてないのも微妙だ。
「こういう時はこうして下さいね!」と社員さんの前で私へ指導。前からやってるのに、さも出来ていないような指導。
私の挨拶を無視するのは基本で、返してきても不機嫌&小声だったりするのだが、普通の機嫌で業務上の話をしてくる日もある。ご機嫌ガチャである。
正しくはもうなっているのである!マズイ!進行を止めたい!
自分のみっともなさ、有害さをもっと自覚し、歯止めをかけるためにこれを書いている
単刀直入に言うと片思いを拗らせつつある 12歳も下の若者に!
私は関東に本社がある某メーカーに勤務している ちなみにメーカーといっても大手ではなく、本社も支社も事業所も工場もみんな顔見知り、程度の規模である
彼も同じ会社に勤務している 私は関東の事業所総務、彼は去年こちらに異動してきた工場勤めである(その前までは関西にいた)
業務上、月に1〜2回ほど私が工場に出向き、彼とタッグを組んで仕事をすることがある
きっかけは、仕事が遅くなり、工場の最寄駅まで車で送ってもらったことだった
彼は中高大とずっと運動部に所属していた礼儀正しい体育会系なので、自らすすんで「増田さん、駅まで送りますよ」と声をかけてくれた
工場は駅から離れている上に、従業員用の通勤バスが発車するまでには時間があったので、その言葉に甘えることにした
その後も工場で仕事がある度に、こうして送ってくれるようになった
ただし2回目以降は彼が申し出るよりも先に、彼の直属の上司が「増田さんを送ってやれ」と声をかけることもあり、彼は断れなかったんだと思う(この上司もまた超体育会系なのだ)
車の中での話は大したこともない 仕事の話が大半である 来月A社さん来ますね、準備大変っすね的な会話だ
あとは帰省した時の家族の話とか、学生時代の思い出話など 本当にさらっとした表面的な話だ
ただ、お互い実家でペットを飼っていたこともあり、毎回ペットの話で盛り上がる
これはペット飼いあるあるだと思うが、ペット飼い同士がペットの話で盛り上がらないことはない 断言できる
何が言いたいかと言うと、決して特別に親密なわけではないということだ 別に飲みどころかご飯も行っていない
それなのに!私は!簡単に!ころっと!好きになってしまったのだ!!!!!!
一方、私は運動部を避けて通って育った、絵に描いたようなオタク女である
そう、コミュ力があり親切にしてくれるだけのただの後輩に好意を抱いてしまったのだ 人と付き合ったことのないオタク、チョロすぎる 愚か
男女が逆なら死ぬほど叩かれ燃やされる案件だ Xに投稿などしようものなら即フルボッコである わかっている
だからこそ自分の愚かさに悲しくなるし、本当に申し訳ない気持ちで泣きたくなる こんなの加害だ わかっている
男女が逆ならと書いてしまったが、男→女がダメならその逆だって当然ダメだ わかっている
仕事上の付き合いがある12歳も上の女を無碍にできない。だからあくまで普通に接している(親切だと思ってるのはこちらの視点なので)だけなのに、中年女に好かれてしまった若者が可哀想で仕方ない 本当に申し訳ない
私は12歳以上の歳の差で付き合い、結婚に至った知り合いを3組知っている
でも全員、男が年上だ そして私は内心引いていた
どうすればその歳の差の相手に恋心を抱けるのだと それがこのザマだ
私はデブスである 四捨五入すれば40になるにもかかわらず処女という時点で察してほしい
したいという気持ちは無いが、恋心がある時点で、多かれ少なかれ相手に性欲を向けているに等しい
私は再来週、また工場に出向く
君がいつものように助手席に乗せるこの女は、一回りも下の後輩に性欲を向けるヤバい中年女なのだ
進行を止めたい 今、彼には恋人がいない 早く相応しい年頃の綺麗な彼女をつくって、私に現実を突きつけ諦めさせてほしい
彼は小動物系の可愛い系で、頭も悪くない ご実家の家族関係も良好と超優良物件である
進行を止めたい 私にできるのは自分の加害性を自覚することだ まずは車の送迎を断るところから始めなければならない
リアルの場で話したところで引かれるってわかってるし、何より自分がみっともなくて情けなくて申し訳なくて誰にも相談できなかったからここに吐き出した
こうしてきちんと嗜めてくれるコメントの数々が本当にありがたい みんな優しいしきちんと良識があって助かった ありがとう、感謝しかない
遊んでる?コメも含めてリアクションくれてありがとう 助かりました はてなに書いて良かった!
あと自分の車や免許は無いので、工場からはいつも従業員用バスか、バス停まで20分歩いて民間のバス乗るか、もっと遅い時はタクシー使ってました
以下個別に少し
>応援したくなっちゃうけど、たしかにヤバいかもしれない。 増田にピッタリの出会いがありますように♥
ありがとう!優しさに泣くかと思った。実は今歯列矯正してるんだけど今年の春で終わるから、終わったらマチアプ使おうと思ってる!頑張る!
>文章から滲み出るオタク感と自分を客観視できてますよ〜っていう謎のイキリを感じる。心のどこかでワンチャンあると思ってるからこんなこと書くんだろうなと感じた。ないよ、ノーチャン犯罪です。
自分がヤバすぎる、なんとか客観視しないと……と必死になっていた。言い訳だけど……。オタクなのはその通りで言い逃れできません
ワンチャンは無いし、あっちゃダメだと思ってる。ノーチャン犯罪おっしゃる通り!真正面から突きつけてくれるのありがたいです、心がクリアになった 助かったよ!
追記ここまで
実際に、薬剤師が責任を取って免許取り上げられる事とかってあるのかなあと思って調べてみた。
2024年だと8人だけが処分されてるけど、患者への被害などでは処分された事例はないなあ。
年間数億枚の処方箋が発行されるみたいなので、現実的に考えるとミスはあると思うし重大事故もそりゃ生じていると思うんだけど、
資格の一時停止もほぼありませんね。
薬剤師は行政上の責任を取らされている事ってほぼないようですね。
歯科医師や医者だと業務上の事故で行政処分されている人が毎年いるけど、それに比べるととても少ないなあと思います。
https://www.mhlw.go.jp/content/001298781.pdf
小さな会社で事務兼専門職の仕事をしている。私は5年ほど働いており、先輩的な立場なので仕事を教えたりするがその新入社員が物事や人の話を理解せず、勝手な解釈や不可解な受け答えをし困り果てている。
その新入社員は大卒でこの会社で3社目。(1社目、大企業の営業、単純ミスから1年で辞めざるをえなくなったようだった。2社目、いまと同じ職種の小さな会社に半年ほど)
日常の単純業務は進捗状況やできたかを再三尋ねると何とか時間内にできるが、考えることが必要な業務や知識(内容の理解)を組み合わせて仕上げる仕事は時間内にやり遂げられることはない。
また、仕事内容で質問してくることがあるが質問の意味や意図が外れている。(経験上、業務上何が聞きたいかある程度先読みできるので)こちらが聞かれた質問にだけ答えると、質問内容が本題にマッチしていないので誤った内容で仕事をこなしている。本人はそれに一切気付かず仕事ができているつもりでいる。結局、毎回こちらが指摘と見直しの注意を繰り返してやっと完成する。このときも指摘された内容は理解せずにただ訂正するという業務をするだけ。
だから、ミスをしたり同じ失敗を繰り返している。その点を話しても、ミスをしているという感覚や意識が薄く「あぁ‥はぃ‥」と言って焦点が定まらずに表情からしてもボーっと聞くだけ。現に入社1年で単純ミスから大きな失敗をすでに犯している(この時は経営者がなんとか収めてくれた)。
お客様との応対業務では、目の前でお客様がつい先ほどまで話していた内容を私が数分後に尋ねると「‥わかりません‥‥」「‥‥覚えていません‥」と言葉を濁して返答。挙句の果てには自分で(本人が)話していたことでも「‥わかりません‥」といった具合。
小さな会社で専門職の職種なので他の部署はなく、その新入社員と同じ空間で業務を分担したり任せたりをして仕事をしていくしかない。クビはいまのところなさそう。重大なミスを再度したり今後ミスが続けば可能性はあるが小さな会社だから法律の雇用上クビにすること自体を経営者が避けている。
理解力のあまりの無さや言動の不可解さは挙げるとキリがなく、他の方からも言われている。
そのよう言動を見たことがある人(同じ会社の人ではない第三者)から、発達障害の一種ではないか?と私は教えられた。当てはまるように思うが、確定ではない。
ある意味、そうであれば理解のないその不可解な言動は納得できるところもある。
私はこんな人とどの接して仕事をしていけばいいのか。
(前回)
https://anond.hatelabo.jp/20241127205544
それでは、昔は問題職員をどうしていたか? 無理やり追い出していたのだ。
わかりやすいのが、今でいうパワハラである。昔はパワハラという言葉はなかった。すべて指導だ。
問題行動のレベルにもよるが、大声で怒鳴ったり、皆の前でつるし上げたり、罰として廊下や屋外に立たせたり、あえて仕事を与えなかったりしていた。
少なくとも、約20年前までは普通に実施されていた。私が入庁した頃だと、出張先の東京都庁の庁舎内でも廊下に立たされている職員がいた。
以下、箇条書きにするとこんなところか。いずれも「職場はあなたを必要としていない。早く辞めるように」という組織からのメッセージである。
・失敗した時、足で蹴ったり、殴ったりする
・同僚全員の前で、はっきりと「信頼されてない」「無能力」「家に帰れ」と宣言する
・大量の肉体労働をさせる。倉庫整理、イベント準備の物品運びなど
例えば、業務上必要がなくなった支所・出張所を廃止せずに残しておき、定年を迎えるまで其処の勤務にする。
ほかのパターンも当然ある。問題職員の種類によって対応は異なる。
以下は、参考までに民間企業の例だ。
「追い出し部屋」で1人勤務、飛び込み営業ノルマ1日100件 証券マンの悲哀…「退職強いる目的」大阪地裁が賠償命令 ※産経新聞。大和証券の例
https://www.sankei.com/article/20150514-E4XGZ7MV7NPGLDATXXBGE2GFPM/
ほかには、
「パワハラはダメ」というのが現代社会のルールなのは理解している。管理職研修でしっかと習った。今の社会の考え方はわかっているつもりだ。
しかし……昔のジョジョの漫画に出てくる、ジョージ・ジョースターⅠ世のように「逆に考えるんだ」という視点もある。
そう、逆に考えるのだ。パワハラが社会のために必要であるなら、「やっちゃってもいいさ」と考える。具体的には、状況に合わせて現代的な法令・常識・慣習と、そうでないもの(パワハラ)を使い分けるということだ。
少なくとも、上位下達タイプの公務員組織においては、パワハラを根絶すべきではない。問題のある人間を片付けるための手段として残しておくべきだ。事前の見せしめ、威圧という意味もある。
パワハラ根絶というのは、創造性を発揮するタイプの職場、民間企業やNPOなどで行うべきだと思われる。公務組織を巻き込まないでほしい。迷惑行為である。職場の秩序を乱す人間は、どんな手段を使っても徹底的に追い出す。税金で運営されている公務組織においては、必要な考え方だと信じている。
厳しいことを言ったが、視点を変えれば理解できる。あなたが住んでいる市区町村で、税金で給料をもらっている職員が、私の故郷の方言で悪いが「てれんこぱれんこやっている」のを目撃した場合、「辞めたらいいのに……」と思うはず。私が主張したいのはそういうことだ。
現実はこうはいかない。私は現在、農政部局で管理職を務めている。この部局は長い。もう約20年になる。私は問題職員に対して、パワハラを疑われるレベルの指導は滅多に行わない。非常時に限ってのことだ。
パワハラは、周りがどう考えても正しいと感じるとか、黙認せざるを得ないとか、そういう時に限って行う。社会常識には反するけれど、正義を行わないといけない時にそうしている。
以下、【後述】の内容に入る。それでも大変よろしくない職員に対しては、人事部局も毅然とした対応を採る。
男性の場合だと、反社や粗暴な言動をする市民・業者を相手にするタイプの職場に十年単位で配置する。例としては、道路関係や農業、福祉・スポーツの分野である。能力自体が有能である場合は、特にそうだ。
ほかには、総務省や厚生労働省などから「労働力提供の出向」を依頼された場合、何年でも其処に出向してもらう。その中央省庁が嫌と言うまでの期間である。最大で四年とされている。途中で転職してもらえるとありがたいし、むしろそういうタイプの職員を選んで出向させる。
女性の場合は、上記に加えてだが、土木整備・下水道といった現場系の部署で、自分以外がすべて男性の部署に異動させる。やはり、本人が辞めるまでずっと其処だ。
ただし、問題職員になったことに理由がある場合に限り、僻地にある閑散とした支所に配置して社会人としての余生を過ごさせる。病気やケガで仕事ができなくなったとか、人事部局の都合で職種転換をさせた場合など。
冒頭に述べたとおり、かくいう自分も将来の危機を感じている。ここまでお読みのあなたは、この私自身も問題のある職員として扱われていることに気が付いたのでは?
定年まであと十年以内だが、逃げ切れるかわからない。早期退職制度を使える年齢ではあるし、実家の農業を継げば何とか生きていけるだろうが、そういう問題ではない。社会人としての「死」は、やはり怖い。
私は過去に問題行動を起こした。元がやんちゃをしていただけあって、入庁後数年間は粗暴な行為をすることがあった。しかし、上司の指示には従っていた。粗暴な行為というのも、指示どおりに仕事を進めるためにやったことだ。
上司からはむしろ、温情をかけて可愛がってもらっていた。その上司のためなら多少の汚いことはやった。食事や飲みは、月に一度はおごってもらったし、ソープに連れて行ってもらったこともある。
……あれは、私が中年に差し掛かった頃だ。当時、下水道の部署にいた私や同僚は、とある市民に悩んでいた。(※すでに故人である。個人情報保護法に違反しない。念のため)
その人は下水道使用料が未納だったのだが、オフィスに来庁する度に罵詈雑言を吐いて帰っていく。そして、1期分だけの下水道使用料を払うのだ。
これ以上の滞納を発生させないためとはいえ、あれだけの迷惑行為をする爺を放っておくことは、当時の私にはできなかった。本当に口汚い爺だった。さりとて、水道とは違い、強制的に下水道をサービス停止させることはできない。
やろうとすればできるが、行政法上はほぼ無理である。いわゆる直接強制に該当する。水道事業者が給水停止をする場合、あれは民間企業扱いなのでセーフになる。
ある時だった。その爺がいつものように口汚い言葉を吐いてオフィスを出ていく時、ついに堪忍袋の尾が切れた。
その爺が、廊下でエレベーターに乗る直前だった。その爺を思い切り、殴り倒したのだ。
「あんた、言っていいことと悪いことがあるんじゃないのか、おいっ!!」と、この言葉だけは覚えている。それ以外も言ったと思うが、この最初の言葉だけしか覚えてない。それくらい頭にきていた。
さらにひと悶着があって、同僚の女性が警察に通報した。その場でわかったが、その女性個人の判断だった。上司の許可は得ていない。
あっという間に警察が来て、別室で事情を聴かれて、私はそのまま警察署に連れて行かれることになった。私の上司は警察官に、「こいつは反省してますから。ここだけにしてください。お願いします」と頼み込んだが、ダメだった。
「あんたは、どうして市に協力しないのか。警察もうちも、お互いに無理を聞き合ってきただろ……堪忍してくれえ」という上司の涙ながらの声が記憶に残っている。あの顔は今でも覚えている。
警察署で、私は事情聴取を受けた。詰問ではなく淡々とした聞き方だった。最後に、年配の警察官から説諭があった。「どんな時でも、人を傷つけたらいけないよ」という内容だった。
その後は、もう思い出したくもないが……結局は、その爺とどういう話・取引になったのか知らないけれども、不起訴になった。反省文も書いた。私の上司、さらに上の上司も、警察署に取り合ってくれた。人事部局にも。
月日が経って、最終的に人事部局から発せられた私への処分は、相当に重いものだった。
処分の通知文は今も持っている。公務組織の中でも相当に重い処分である。私は反省して結果を受け入れ、それからは市民に暴力を振るったことは一度もない。
あの爺が下水道の部署に来ることはもうなかった。支払いは家族の人がするようになった。警察に通報した女性職員は、上司の許可なく動いたためか、私に比べると軽めの処分を受けていた。
上司はその後も変わらずだった。たまに食事や飲みに連れて行ってくれたり、風俗店をおごってくれた。
次の年になると、私は今の農業の部署に異動になって、そこで難しいタイプの農業従事者や、土木業者や、市議会議員、その他多くの対応困難なタイプの人間とやり合うことになった。
そして、その部署で主査になり、係長になり、課長補佐になり、今では管理職だ。定年まで、ずっと此処に居続けるのだろう。正直辛い。
あの頃は若かったから、ブラックだとされる農業部局でも辛苦に耐えることができた。今では何度か手術をしている。病気もケガもある。日によっては体調が思わしくない。
仕事は毎年辛くなっていく。これ以上の昇進は望めない。不可能に近い。
ここまでストレスを抱えても早期退職に踏み切れないのは、この仕事が好きだからかもしれない。何十年とやってきた。適性はあるのだろう。
これからどうするか、まだ決めていない。ひとまずは肉体の限界がくるまでは働き続けようと思う。私が最後までやり切れるように、どうか祈っていただけるとありがたいのだが。