はてなキーワード: RPとは
このタイトルでどの漫画家を思い浮かべるかは人それぞれと思いますが
私史上最低のラブコメ漫画家は「ぼくたちは勉強ができない」の筒井大志先生です。
筒井先生は今週のジャンプでシド・クラフトの最終推理という連載を開始しました。
相変わらず魅力的な絵で話も評判がよくきっと長期連載になるのでしょう。
ただ私にとっては今もぼくたちは勉強ができないの先生なのでこれを書きました。
これは個人的な恨みですがこの作者の漫画を読んだから抱く恨みです。
筒井先生はぼくたちは勉強ができないという漫画を描いていました。
週刊少年ジャンプで5人のヒロインのマルチエンドを実装したということで一時期話題になりましたのでご存知の方もいるかもしれません。
この評判は必ずしもいいものばかりではありませんでした。ですがそれは最低な理由ではありません。
ジャンプには星の数ほど打ち切られた作品がありますから話の面白さでいえばそれらより上でしょう。
筒井先生が最低なのはキャラクターをサプライズのための前座の道化扱いして、ファンを地獄に叩き落としたから。これに尽きます。
具体的にはサプライズを演出するためにそのキャラを掘り下げた長編話を書かなかったことと、作品の終わりかのように演出したうえでラストを次のヒロインへの踏み台にしたことを指します。
彼女は昔から主人公のことが好きな元気系の幼馴染系のキャラで、いわゆる負けヒロインと呼ばれるタイプのキャラでした。
ぼく勉には彼女を含めて5人のヒロインがいます。うるか以外のヒロインは過去のトラウマを主人公の力を借りて乗り越えるというそれぞれの掘り下げをした長編がありましたが、うるかにそれはありませんでした。
長編がないまま連載が続いていき、話は佳境を迎えて主人公視点の話が多くなり、主人公の掘り下げが進みました。それからラストに向けて色々あって主人公がうるかに告白しました。したがってここに至っても彼女の長編はありませんでした。
これ自体はこれで作品自体が終わるのであれば、今までと主人公とヒロインの立場が逆転するというある種王道な展開になりますので、そういった構造でしたらありかと思います。
https://i.imgur.com/j9weYzw.jpeg
https://i.imgur.com/i4udZqB.png
(集英社 週刊少年ジャンプ 2020年15号 ぼくたちは勉強ができない問150 作者:筒井大志 より)
上記はうるかルートとされている話の最終ページとその後のパラレルストーリーの告知です。
「君の笑顔のその先に――」とあるように、ここでは最終ページであるにも関わらず、うるかではなくうるか以外のヒロインの存在に焦点を当てています。(ぼく勉において花火はルート分岐の起点であるため)
うるかルートの終わりにあえて他のヒロインの存在に焦点を当てているわけですから、他のヒロインの前座扱いにするための演出という以外に解釈の余地はありません。
武元うるかというキャラクターの恋が実った瞬間、それを取り上げ台無しにする。
この瞬間の気持ちを例える言葉を私は持ちません。きっと私だけではないでしょう。
上記のような扱いによって私の好きなキャラクターは前座の道化扱いにされました。
このような扱いとなった理由は話の良し悪しではなく、作者の哲学の問題です。
話の良し悪し、すなわち実力不足は出来るか出来ないかの問題です。出来ないことは仕方がありません。
誰もが面白い話を作ろうと思って結果的につまらなくなってしまうだけですから、それを責めることはできません。
ですが扱いを変えるのはやるかやらないかの問題です。キャラクター間で扱いを変えるのは意図しなければそうなりません。ファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それを意図してやったのです。
例えば作中のキャラクターの言動を以って作者の人格を否定するのは誤りです。それは作者の思想を反映したものとは限りません。
ですが作品内容以外でのキャラクターの扱いは作者本人の判断によるものです。それは作者が決断したものであり、筒井先生の哲学を反映したものです。
哲学の問題であるからこそそれが変わることはありません。作者にとって改善すべきものではないからです。
また同じことを繰り返し、また同じように一人のキャラが犠牲にされるでしょう。
もっとも、キャラクターに損をさせることやファンを踏みにじり地獄に叩き落すこと。それ自体がやりたいことではないのだろうと私は信じています。
単に筒井先生は多くの人を幸せにしようと思ってそうしているだけなのです。
想像力がなく無神経なのでその行為でそのキャラクターを好きな人間がどう思うかわかっていないというわけでもないでしょう。一般的な感覚がわからない人間は人気漫画を書けません。
自分の行動がどういう感情を与えるのか理解した上で、そのファンを切り捨ててでも自分の我を通しているのです。これが一番多くの読者を幸せにできると信じているのです。
武元うるかというキャラクターと、それによって踏みにじられるファンの気持ちを犠牲にして、より多くの読者を幸せにしているのです。
うるかが報われることで気落ちしたより多くの読者をサプライズの発表で盛り上げるために、あえてひた隠しにしていたのです。それでうるかが好きな読者が傷つくことも、どれほど深く傷つけるのかということも知りながら。
実際、筒井先生は連載終了後に送られた、お疲れ様のリプライに原則全て返信していました。「ぼく勉は物語ではなく設定集だ」という、筒井先生にリプライしたわけでもない一読者の批判的な呟きにもわざわざエゴサして「勉強になります!」と返していました。
しかしながらお疲れ様という言葉と合わせて武元うるかの扱いが悲しいという趣旨のことが含まれたいくつものリプライには一切反応を示しませんでした。切り捨てた後ですから丁寧に扱う必要はないと思っていることの証左でしょう。
現に筒井先生は批判的な感想を呟いたアカウントはミュートしています。
連載終了以前にうるかの扱いへ不満をこぼしていた方がいました。筒井先生にリプライしたわけではなく、単に呟いていただけです。
その方は連載が終わったときにはお疲れ様という趣旨のことだけを筒井先生にリプライしてましたが、それへの返信もいいねもありませんでした。不満を呟いていたときとはアイコンもIDも名前も変わっていましたから、ミュートしていなければ返信していたはずです。
筒井先生はご自身の取り組みについて色々な意見があるとおっしゃっていましたが、色々な意見があることは知っていても批判的な意見を見る気はないのでしょう。
こうした扱いに耐えかねて、実際にXでアカウントを消してしまった方も多くいました。
ぼく勉の感想を熱心に呟いていた方、うるかの可愛らしい絵を描いていた方、うるかへの大きな愛を語っていた方。色々な方がいましたが、筒井先生の行いによって嘆き悲しみ、アカウントを消してしまいました。
もちろんアカウントは消さずに悲しみと怒りを吐き出した方もいます。そしてこうした行動に移した方々よりも黙って傷ついた方々のほうがずっと多いのは言うまでもありません。
サプライズのために平気でファンを地獄に叩き落す。今まで支えてきたファンを平気で切り捨てる。
人の気持ちを大切に扱うべき恋愛漫画で人の気持ちを雑に扱う。それでいて描くべきことを描いたと胸を張る。
上記のとおり武元うるかという女の子は筒井先生によって犠牲にされました。
作者本人がヒロイン5人は平等だ。並列だと言っているにも関わらず、その扱いには露骨な格差があります。
ジャンプではセンターカラーのときに扉絵が書かれます。各ヒロイン単独の扉絵はうるか以外のヒロインは2回以上、少なくとも1回はありました。うるかは1回もありません。
単行本の表紙も同様です。次のURLを見るとわかりますが、うるかを除いた各ヒロイン単独の表紙は2回あります。うるかは1回もありません。(褐色の子が武元うるかです)
https://www.shueisha.co.jp/books/search/search.html?seriesid=37225
18巻以降はモチーフイラストと称して各ヒロインのモチーフとなったおとぎ話をアレンジした表紙にしています。素敵なイラストですね。
うるかの分は作者個人のXと作者個人のYouTubeチャンネルで公開されました。ジャンプでの連載が終了してから2ヶ月、パラレルが発表されてからは1年経ってからのことです。
ジャンプの本誌や増刊にはそのイラストどころかその情報すら載ったことはありません。ジャンプの公式Xでもぼく勉の公式XでもRPなどで宣伝されることはありませんでした。ぼく勉の単行本にすらその情報はありません。
このイラストを見ることができたのはあれほどの仕打ちを受けた後でも1年近く根気強くぼく勉の情報を追っていたファン、もしくは作者のXをフォローしていたファンに限られます。
言葉なく離れていった、おそらく一番見たいであろうファンに届くことはありません。
連載終了後にぼく勉を読み始めた読者にも当然届くことはありません。
後世に残るのは、好きになったキャラクターは一人だけ表紙が貰えなかったという事実だけです。
なおぼく勉の公式Xではうるか以外のキャラのYouTubeの動画やグッズの情報はRPで宣伝されていました。
うるかのそのイラストの後に描いた、ヒロインの一人の両親というサブキャラのイラストすらRPされていますが、うるかのイラストはされていませんでした。
あえてうるかだけやらないのはもう切り捨てているからファンは残ってないとわかっているからですね。エコロジー。一秒で出来るところまで公式が徹底するんだからこれはいっそ感心しました。
Youtubeチャンネルで作者のお絵かき動画がアップされた回数も、うるか以外のキャラは3回以上アップされていますがうるかはそれ未満です。扉絵がなかったり表紙がなかったりする分増やすこともなく、むしろ他のキャラより少ないのです。
他にもぼく勉アニメの版権絵を描いていた人が連載終了後にskebでぼく勉キャラの絵を描いていました。うるかを含めて何人かのキャラを描いていました。
筒井先生はうるかのイラストには反応しませんでした。他のほとんどのイラストにはRPをしたり引用RPをしてコメントを付けたりしているのに、うるかのイラストにはRPどころかいいねすらせずスルーしました。(他人のいいねが見えていた頃の話です)
もっと前にフィギュアが出たときも真冬のものはRPや画像をツイートしたのにうるかのフィギュアはRPもツイートもしませんでした。一貫してますね。
他にもぼく勉では各ヒロインそれぞれのルートのボイスドラマが作られて単行本の特典になっていましたが、これもやはりうるかのボイスドラマだけ作られませんでした。そしてうるかだけないことについて、筒井先生が気にされている様子も今に至るまでありません。
単行本の描き下ろしでも同じように格差があります。他のヒロインは単行本では最終話の後にその後の様子の描き下ろしがありますがうるかにはなく、代わりにパラレルルート開始の告知が掲載されました。うるかより後のルートの単行本が発売されてそれを知ることになったときは、まるで煽りのようにも感じられました。
筒井先生のこのような反応を受けて、私自身以前読み切りのときに感想を書きました。私以外にも替え歌を作った人もいましたし、別に感想を書いていた人もいました。これらは言い過ぎや被害妄想などと言われて一部から非難されました。
キャラに対する作者のこういった扱いの差を見たときに、嫌われているという感想を持つことは言いすぎでしょうか? 被害妄想でしょうか?
筒井先生の内心はいずれにせよ、言われて当然だろうと私は思います。人の内心はわからないから、その行動から推測するしかないのですから。
(これは筒井先生がうるかを嫌いなわけではないという意見を否定するものではありません。ただ作者の行動を見たときに、嫌いなんだなと思うことを否定することは困難でしょう。嫌いじゃないと思うにしろ嫌いだと思うにしろ、作者の内心はわからないという点で等価ですから)
なお筒井先生はどのキャラも大切だとおっしゃっていたという指摘がありそうですが、
最終話をサプライズのための犠牲にされたのはうるかだけです。単独の表紙がないのはうるかだけです。ボイスドラマがないのも単行本で最終話後の描き下ろしがないのもうるかだけです。
つまりサプライズの犠牲にしていいと思う程度に大切で、センターカラーも単行本の表紙も描かなくてもいいと思う程度に大切で、一人だけボイスドラマも描き下ろしもなくても何ら問題はないと思う程度に大切なのでしょう。
筒井先生は絵が上手です。可愛く魅力的なキャラばかりですから読んだ人であれば全員か、そうでなくとも一人は好きなキャラができるでしょう。
ですが熱中することはやめましょう。報われることはありません。
キャラを愛することはやめましょう。作者はキャラを愛しません。
あなたの好きになったキャラクターは作者の自己満足の犠牲になり、一人だけ冷遇されてしまうのです。
その深い怒りと悲しみは、あなたを酷く傷つけます。時間が経ってもふとしたときに思い出してはあなたを苛みます。決して癒えることはありません。
問いかけても帰ってくる答えはありません。作者は何も語りません。
筒井先生の新連載を読んで面白い漫画だな、可愛いキャラクターだなと思った方。
あなたの好きになったキャラクターがこのような扱いを受けるということを意識して読んでください。
たとえ同じ扱いでなくとも似たような扱いは必ず受けます。
前作で犠牲にされたキャラクターが好きだった、作者の元ファンの一人から。
どうか心のどこかに留め置いてください。
・うるかの人生の夢が叶った瞬間をサプライズの発表という形で台無しにする
・一人だけ長編を書かない
・一人だけボイスドラマを作らず、またそのことについて説明どころか申し訳無さそうな素振りもない
・他のヒロインは単行本で最終話後にその後の話が書き下ろされているがうるかにはなく、代わりにパラレルルートの告知が掲載されている
後はキャラ説明でのうるかの留学先の誤字(正しくはオーストラリアだがアメリカにしていた)やパラレルルートの解説(パラレルルートの連載中毎回ジャンプに載っていたコラム)でうるかの顔の上にタスク処理かのように「完了」と書いたこと(うるかの次のキャラの話が終わった後は「完了」ではなく、「Happy end」と書き直した)などありますが、筒井先生の裁量が大幅に及ぶ範囲内ならこのくらいでしょうか。
筒井先生の新連載も自分の好きなキャラクターがこういった扱いをされることに耐えられる人が読むことをおすすめします。
逆に次は誰が花火キャンセルされるのかという楽しみかたをするならいいかもしれないですね。
私はするつもりはありません。
https://i.imgur.com/gUMuX0i.png (替歌がバズったときのいいね欄)
LOLでworlds2024パス欲しさにRPを購入したんです。クレカで。
その2,3日後くらいにガンク失敗した時にmiaping煽り(?ピン煽り)をされたから、
煽ってきたやつが川や森に危険な入り方をしてよく死ぬから同じようにピンで煽り返した。
翌日ログインすると、長い警告文とともに最後にテキストボックスに「理解しました」と書かされるやつが出た。
俺はムカついた。
あの仕事しない無能で有名なRiotJPが、今や仕返しで警告してくるとは寝耳に水だったが、
問題はその後だった。
これからは何かあってもやり返さず無言でレポートしよう、そう腹に決めてマスタリーチェスト埋めを再開したが、
どうも様子がおかしい。
調べると、「理解しました」と書かされたアレはアカウント制限らしく、アカウント制限中はチェストを入手できない、と……
いや、そのシステムはSを取るとチェストが取得できた頃に作られたもので、
今気づかずにプレイしてシーズンマスタリーを上げてしまったらもうそれまでの4回のプレイは水の泡?そのキャラのレベル1の報酬は無へと葬り去られたのか?
まさかあのLOLで「やり返し」ですらアカウント制限(しかも課金直後のアカウントに)してくるとは思わなかったし、
SB69でいうとデルミン。
原神でいうとリネット。
見た目の割に達観してて世界の諸事情に精通してそうな飄々とした雰囲気を纏いつつテンション低い落ち着いた声でボソボソ喋る淡色髪の線が細い少女なんだけど社交的でも内向的でもないよくわからないコミュニケーション力というか独自の意思疎通術をもっていて妙な口癖があったり特定のニッチな趣味にこだわりがあったりする電波あるいは不思議ちゃんの要素を一部もっているがそれで他人と考えが通じ合わなかったりすることに物怖じすることなく己のペースで表現する豪胆さを備えつつも付き合いにくいコミュ障にはならない程度にわきまえててラインを調整できる賢さや察しのよさもあってお茶目なユーモアセンスもあり時として次元の壁を超えてこちら側が見えてるかのようなことを言いかねない危うさもある奇才タイプの子で一見感情の起伏も乏しく世間離れしていそうに見えてポーズ的な側面でそう見せてる面もあって実際は妹や兄や同性の友人みたいな大事な存在に対し重量級の愛情をなんでもないような顔しつつ抱えてそうな感じもちょっとある自然体で澄ましたキャラ。
よりギャグに寄せるとぱにぽにの一条さん、明朗さを足すと絶望先生の風浦可符香、活発にすると苺ましまろの松岡美羽あたりの漫画キャラが性格的には一部重なるけど古い作品なせいか髪色がみんな濃いし人形みたいな線の細い繊細さはあんまりない。ニジガクの天王寺璃奈は髪は派手ピンクで真面目寄りだけどそれ系かな。より暗くすると長門有希だけど、もっと「ふざける」ことを知ってる感じがいい。逆におちゃらけすぎるとただの開けっぴろげなおっさんみたいになってしまい、そういう脱力・堕落系キャラは多いが、人間として枯れた干物感を自虐していくタイプとは真逆。ちゃんと少女と感じさせるしなやかな感性が残っており、女性になっていくことを感じさせる、荒い部分を決して見せず上手に繕い優雅に見せる品性の輪郭が垣間見えてることが重要。それが華奢な少女をして堂々たる振る舞いたらしめているはずだから。ただそれがちょっとズレていて、自覚がありながらも自他ともにそれを受け止めてる優しい世界あってこそイイ感じに成り立つ。
この手のキャラは現実には一番いなさそうなタイプの個性だと思う。超然としすぎてる。普通の感性では浮いてしまう恐怖に抗えない。きっとリアルにいたら世間に揉まれるうちに普通のノリで普通の受け答えをするようにノーマライズされてしまう。どれだけネットスラングを知っていても面接の場では誰もが同じような喋り方をする平均的性格のロボットに成り果てるように。でもキャラクターは人間として持ちうる絶妙なリアリティラインを守りつつカブいてみせる。たとえそれがコンテンツを作るおっさんの脳内にしか存在しえない個性だとしても、輝いて見える。
よく考えてみればこういうキャラは自分がネトゲでネカマ女キャラRPをしていた頃に目指したかったキャラでもある。馴れ馴れしすぎず、よそよそしすぎず、侮れないユーモラスな変な子と思われたかった。今ならVtuberとしてそういうキャラ作りする子が現実にいてもおかしくないが、往々にしてそういう場で活躍する人はキャラ付けが派手すぎて絶妙さからは程遠い。リアクション勝負の場だし現実的なぶっちゃけ感あるリアクションをする方が好感を持たれるのもあるだろう。
そこまで理想が高いと思わないんだが、他の人から見たら高いんだろうか。
・政治、思想関係は呟いたりRPしたりしない(選挙行ったくらいならまだセーフ、ツイフェミ、アンチフェミ、ポリコレ叩きはアウト)
・胡散臭いアカウントをRPしない(滝沢ガ○ソ、青バッジ、○○bot等)
・うざいタグツイをしない(「#私の作品は砂糖宝石花麻薬のどれですか」「 #私が絡みに行っても迷惑じゃないよって人いいねむしろ積極的に絡んでほしい人rtお前のことお気に入りだぜって人リプして欲しいけど誰もいないと思うので好きな飲み物を言う」等)
・メンヘラではない(他の人と仲良くしたら嫉妬したり、自死や自傷を匂わせたり、死ぬ死ぬ詐欺等)
・嫌いや苦手なものに関して言及しない(嫌いなCPやキャラ、男女BL百合夢等)
・モブおじさん、俺攻め、心のちんこ、ないものが勃つ、雄っぱい、などの単語を使わない
・ほしい物リストを公開しない
・自分は絵が下手…上手くなりたい…などよしよし待ちしない
・自信満々ではなく謙虚、でも卑屈ではない
数年前、twitter(現X)で鍵付きのアカウントを使っていて、たまたまオススメに出てきたFF外の人のツイートを引用RTした
そのツイートの内容は「仕事がしんどい」といった内容で、とても共感したので「ほんとこれ」という感じで引用RTをした
1日経って、オススメにその人の別のツイートが表示されたが、その内容が
「鍵垢に引用リツイートされてる、怖い」 「(鍵垢による引用リツイートのせいで)死にたい死にたい」というものだったので驚いた
確かに裏で何が言われているのかわからないのは怖いだろうし、申し訳ないことをしたと思い引用リツイートを取り消した
それ以来引用RTは一切していないが、鍵付きアカウントによる引用RPをここまで嫌がる人はどのくらいいるのだろうかと気になった
いろいろ調べてみると、鍵アカで引用RPをする人間はまるで犯罪者のような言われようである
鍵アカに引用RPされたくないという気持ちは分かるが、死にたくなるほどであれば
引用RPがされないようにアカウントに鍵をかければ良いのでは?とも思う
本当になんとかしたい。好奇心のせいで無駄な不快に何度も出くわしている。
見るアカウントはフォローとリストだけ。他は見ない。と決めた時もあった。1週間か10日くらいはそれでうまくいっていたこともある。
でもそのうちに「最近見てないあのアカウント、今どんなこと言ってるかな」と余計な好奇心が顔をだす。フォローにもリストにも入れてないけど名前だけは覚えているいくつかのアカウント。つい検索して見つける。見る。そこから派生してRT(RP)経由であっちもそっちもどんどん見る。
そんな風にTwitter(X)を見ていると不快文言に出くわすことがある。
その不快を薄めようとして更にTwitter(X)を見漁る。だらだらとスクロール。別のアカウントをタップ。スクロール。そこに特に気が晴れる言葉があるわけでもないのに、だらだらとスクロール。
脳に文字群を流し込んで不快を麻痺させようとしているのだと最近になって気が付いた。
そんな風にしているとまた新たな不快文言に出くわす。不快①の上に不快②が上塗りされて、①は少し薄まった気がするが今度は②を薄めようとして更にだらだらとスクロール。タップ。スクロール。繰り返し。
文字群流し込みたいならちゃんとした本を読めばいいのに、Twitter(X)で受けた不快はTwitter(X)でしか癒せんと思っているのか。これは癒しなのか。それもわからないまま、意地のように見続けて時が過ぎる。そして数時間後「こんなに時間を無駄にした……」と、Twitter(X)の不快とはまた別の鬱屈が湧いてくる。こんなのが癒しのはずがない。
こんなことが何度もある。うまいこと不快を見ずに済む何ヶ月かを挟みながら。
なんかギャンブルの損をギャンブルで取り返そうとしてる人みたいだな。お金じゃなくて時間と精神の何かが減っていく。
好奇心。あった方が人生は楽しいのかもしれないが、少なくともTwitter(X)で好奇心を発揮しても良い結果にはならないとこの数年で私は学んだ。なのに好奇心でTwitter(X)を見る。不快文言を見る。そこで画面を消せばいいものを、
「この発言だけ見ると不快だけど、でも誤解かもしれない。他の発言を見ればそうでもないのでは?」
と、また要らん好奇心を発揮してその人のホームを見る。スクロールスクロールスクロール。また不快に出くわす。それを麻痺させるためにまた別のアカウントを開く。スクロール。やめたいと思いつつやめられない。やっと気が済んだ頃には何時間無駄にしたかわからない。ほんと依存症。辛い。
無駄で余計な好奇心が私をTwitter(X)に引きずり込んでいく。
時には「捨て垢作ってこんなこと言ってる奴に意見してやろうか」というゴミみたいな誘惑すら頭に浮かぶ。でもそれだけは絶対にやらない。そんなことしてもろくなことにならないのはよく知っている。
そんな思いをしていてもなおやめられないTwitter(X)。
やめたい。いや控えたい。Twitter(X)も全部が不快なわけじゃない。情報を拾うのに便利な面もある。上手く使って沈み込まないようにしたい。
このアカウントみてみようという好奇心に抗う強い意志が欲しい。
難しい。
ああああああああついっとぺーんがあった頃は良かったな!!!
その女は2000年代に発売されたゲームのファンをいまだにずっと続けていて、しかしその続編への怨嗟もずっと持ち続けていて、現在ではSNSで同好の士と集まりエコーチェンバーを形成して、おなじスタッフによる新作ゲームへの文句をRPしあっている
女の恋愛は上書き保存なんてよく言うけれど、女オタクを見ていると、とてもそうは思えない。古いひとつの作品にずっと執着し、なにかの作品を否定してマウントを取ることでしか感情を表現できない女オタクばかり見かける
新しい作品が自分に合わないならそっと離れれば良さそうなものを、なぜエコーチェンバーまで形成して、新作が私の望むような形にならなかったとずっと不満を垂れているのだろう
イラストあげる度、ある程度のファボはつくけど特に嬉しくない。
ひたすらRPだけしてるアカウントからのRPも全然嬉しくない。
あと海外アカウント。RPの数多すぎて作品消費してる感すごいぞ、本当にその絵ちゃんと見た?
まぁ見てないか。SNSに上がってる絵なんぞ2〜3秒しか見ないもんな普通
ファボしようがRPしようが5分後にはほとんどその絵の存在忘れてる。そんなもん。
嬉しいのは、RPしたあとに感想呟いてくれるやつ。これは嬉しい。10年以上絵を上げてるけど、もちろん全てをスクショとってフォルダに入れてる。
心が荒んだ時に見返すと元気になる。
あとただのファボでも嬉しいのはこっちが認識している絵師の場合。
あの人見てくれたんだ!と思って嬉しくなるため。
それ以外からのファボは、本当にただの数字にしか見えないよもう。
「インターネットに絵を上げる」という行為を繰り返しすぎて、もう何の刺激もない。
イベ出るのが楽しいのでイベに出たいが、諸事情で年に1〜2回が限度だしな。
結局、嬉しいと思える刺激を得るためには絵を上げることじゃなくて交流しなくてはならない、という壁を感じる。
10年もやってるとそうなる。
最初は1ファボでも大喜びしてたような気がするが。遠い昔の話。
「やばいぞ」
何がやばいかを書いていこう…。
タイトルにあるものはどれも「おままごと」で「演技」をしながらキャラを操作して遊ぶものだ。
大体は恋愛と同じような挙動になる。でこれ、割り切ってやれると思うかもだけど実際はそんなことない。
MMO初心者は大体無理です。うちよそなりきりベテランは違うかもしれないが
V tuberですら自分のキャラ演じすぎてメンタル壊すんで、
【演じる】やばさってすごいんよ。
男女ならそのままリアル恋愛に発展しかけるし、相方として遊んでるだけだよと言いながら
うちよそなりきりなら、片方だけ割り切ってて、複数くんだりして、やられてる側は浮気されてる感覚になってメンタル病んだり
他の推しに出会ってなりきり別のをくんで病んだり、嫉妬したり……。
同時並行で何人も創作キャラがあって相方がいる状態とか、日本人一夫多妻制じゃないから経験あんまりしないしね。
実体験で、この嫉妬する感情を覚えてメンタルが落ち込んだので、
演技でキャラつかってるだけなのに
こちとら腐女子歴長くて、昔のなりきりチャットを経験しており、危険性わかってたのに
いやぁ、やばい。
タイトルのような文言ではあまり見かけないが、相方ではめちゃくちゃ問題起きてそうなんだよなぁ。
受けなくてもいいどうでも良ストレスで身体不調が起きるの本当にやめてほしい。
メンタル弱い同じようなみんなは、気をつけてくれよな。
PixivのAIタグなしもだけど誰でも作れる分、反AI側が自演してもわからないって状態だからこういうのRPするやつは頭弱そう
<script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>オモロい即落ち2コマだ…
AI絵師()
「フランスの出版社のイメージキャラクターを製作させていただきました‼︎」
フランスの出版社
「AIイラストは読者を失望させるので取り下げます」
「今度からはAIイラストは絶対に使わないよ」 pic.twitter.com/wGBRkWf28x— 雷池 (@thunder_battery) September 7, 2024
どうして多くの人は怒りに身を任せてしまうのだろうか?
昨今、SNSには多くの怒りがあふれている。
失言や失態への怒りや、他人への義憤に駆られたケースも少なくはない。
特にtwitter(現X)では、怒りのトレンドを一度触ろうものなら、とめどなくおすすめタブに「怒り」が流れ込んでくる。
最近自分はSNSにおいて、人の怒りに不快感を感じることはあっても、共感することが苦手であると気が付いた。
これは冷笑ではなく、「他人の感情をそのまま飲み込むこと」への気持ち悪さを感じるためである。
そもそも怒りとは、物事に対して自分の価値観で判断した結果、生じるものであると自分は考えている。
しかし、現在twitterを中心にあふれているのは、「自分で判断しているように思っている」「他人の価値観を借りた怒り」がとても多く感じる。
「~さんが言っていた」「RT(RP)で回ってきた」などのきっかけで怒りを持つようになり、いつの間にか主語が「〇〇する人は」「××界隈では」という非常に大きなものとなる。
怒りのもとは、元ソースの検索や判断の価値観を、自分主体ではなく、コミュニティから回ってきた借り物を使いまわす形でだ。
借り物の怒りでは、先述の通り、自分という主体性が限りなく薄められている。
共有された価値観を使っているにもかかわらず、あたかも自分自身の判断で怒りに到達したかのように振る舞い、発信をする。
「常識とは、18 歳までに身につけた偏見のコレクションに過ぎない。」という言葉があるように、自分の主観性も他人の借り物で構成されたものであるともいえる。
だが、思考を止めてしまったら最後、流されるがまま落ちていくのが定めである。
尾島志郎(早稲田大学教授)が明確に障碍者を侮蔑する意図を持ったミーム(チーズ牛丼)を批判的な意図を示さずにRPしていた
ソレイユひゆみ✨早期英語推進派🌸東大港区白金インターおうち英語・中学受験・大学受験
@soleil_hiyumi
チー牛が話題だけど、清潔にして、散髪して、太陽の下で2〜3時間運動して、ちょっといいブランドの服を着せて、大きな声を出すようにして、話し方と姿勢をちょっと変えたら、イメチェン可能なのでは。誰か教えてあげたらいいのに。
https://i.imgur.com/YB8vgUg.png
チーズ牛丼が障害者を揶揄する意味を有することは障害者.comによって説明されている
アサ芸ビズの言う通り、「チー牛」の発端となった書き込みは就労移行支援の感想でした。就労移行支援の利用者について「ザ・陰キャって顔」「子どものような髪型」「覇気のない顔」「大人なのに中学生みたいで気持ち悪い」「10人いたら8人はそんな顔」と列挙し、とどめに他所から転載したイラストを添付したのです。
書き込み主もまた就労移行支援を利用しており、自分を棚に上げつつ「利用者の顔はみんなこれだった。発達障害は見た目や顔では分からないというが、あれは嘘っぱちだ。」と持論を展開しています。以後は「発達障害の顔」としても扱われるようになりました。
早稲田大学では「本学の学生および教職員(以下「構成員」という。)ならびに構成員となることを志す者に対し、障がいの有無に由来する差別を行わない」ことを方針として定めているが、今回の件は大学関係の障碍者ではなくひろく障碍者全体についての侮蔑であるから問題ないのかもしれない
copainterが登場してからというものの、もうこのツールなしには自分は絵が書けなくなってしまった。なので今後のためにも月50枚のプランにも加入している。
前提として、自分はフォロワーが何千何万といるような絵描きではない。ただの趣味で、自分の好きなキャラを下手なりに描いては投稿している一般オタクだ。
copainterの便利さを知ってからというもののずっとこのツールを使用し絵を書いているが、ネットを見る限り他の人と使い方が違っているのか自分と同じような使用方法の人を見かけないので、ついでに書き残しておこうと思う。
まず自分にとってのcopainterは「自分のラフを線画にしてくれるツール」ではない。
インターネットに数多くいる「神絵師」と違ってラフの時点である程度整った絵なんて描けないのだ。書いた絵を左右反転したら明らかに破綻が分かるし、けれどどこをどう直せば良くなるのかも分からない程度の画力しかない。
なので、copainterを「線画を出力してくれるツール」として使うのは諦めた。
代わりに、「自分の絵のどこが破綻していてどう描き直せばいいか教えてくれるツール」として使うことにした。
①まずはある程度描きたいものを書く。線数が多いとそれだけ間違って認識される可能性も高まるので、なるべく線が重ならないよう、シンプルに描く。
↓
②copainterで出力。忠実度は初期設定の0.7でずっと続けている。自分はクリスタユーザーだが、ダウンロードした出力画像の透過作業が毎回面倒だったのでcopainter側で透過をしてくれるようになったのがありがたい。
↓
③出力した画像を最初のラフの下にレイヤーとして置く。そこから破綻している部分などの修正や加筆を①で手描きした自分の絵に対して行う。
このように、copainterを線画を出力してくれるツールではなく線画の修正すべき点を指摘してもらうツールとして自分は絵を描いている。
ある程度整えた線でないとcopainterは思ったように出力してくれないし、自分にそんな完璧な線画を一発で出せるような画力はない。出力される線画は忠実度の問題もあるだろうが大抵自分の絵柄と乖離しているのでそのまま使うことも出来ない。「自分の絵柄」と呼べるほど大したものでもないが、それでもcopainterで出力されたものをそのまま使うのは違和感がある。
最近はずっとこの手法を使って絵をアップしているが、今のところ「生成AI使いましたか?」のようなメッセージは未だに来ていない。
自分で見るとcopainterを使う前からすれば明らかに顔や体のバランスの破綻が少ない絵に変わっているが、大きく絵柄自体が変わった訳でもないから、確かに「AIで出力した絵を下絵にしている」とは分からないだろう。まあ元々フォロワーも少ない弱小絵垢なのでそもそもこういったメッセージなんて来る可能性の方が低いのだが。
ちなみにcopainterを使うようになってからの投稿したイラストの伸び方が変わったかというと、あまり変わっていないような気もする。安定した数字を取れるようになってきてはいるが、AIを使わずに描いた以前の絵の方が未だにいいねの数も多い。これに関してはキャラであったりシチュエーションも関わってくるので一概には言えないだろう。
このやり方は「AIで生成した画像をトレスしている」という風にも言えるので、生成AIを良く思っていない人間からすれば自分のこの描き方は「AIトレス」とでも言われてしまうのだろうが、「自分の描いたラフ(手描き)をAIに読み込ませて出力したものを下絵として、その下絵(AI出力)を元にAIに読み込ませる前に書いたラフを修正して完成した線画(手描き)」を果たしてAI絵と呼んでいいのだろうか。
繰り返すが、自分の画力は本当に大したものではないので逆にその程度の絵に「copainterを使いました」ならまだしも、「#AI」なんてタグをつけるのはもはやAI絵に失礼な気もしてくる。というかそもそも、絵に「クリスタ使いました」とか描いてないのにAI関連はAIを使ったという注意書きを必要とするのかも理解しがたい。
正直、無学な自分には無断学習だとかデータセットだとか、生成AIの法的な正しさだとか詳しいことは分からない。なので、今はとりあえず一ユーザーとして提供されたサービスを利用することにしている。もしcopainterというツールが黒だったなら、その時はその時だ。
相互フォロワーや好きな絵師は結構な割合で生成AIの危険性について注意喚起するポストをRPし、生成AIを目の敵にしているので、自分がcopainterを使って絵を描いていることは黙っている。このアカウントがいくら弱小だろうが万が一目に入りこの手法が「正しくない」と思われた途端反AIに燃やされると分かっているのに、自ら「AIを使って描きました」なんて言えるわけがない。
もう自分はこの先絵を描く限りcopainterを使用していくことになるだろうが、勿論、自分で描く絵が上手くなりたくない訳ではない。
AI絵の自分が描くよりもバランスが整った絵を見ながら描いているからなのか、最近では今までよりも手描きのラフの段階で破綻の少ない絵を描けるようになってきているのは嬉しい。作業時間も短縮出来ているし、自分にとってはいい事づくめだ。
とにかく自分が言いたいのは、どうしても絵が思うように上達出来ない身としては便利なツールがあるなら使いたいし、そんな自分にとってcopainterはAIだろうがなんだろうが便利なツールであり楽しく絵を描くのに役立っているということだ。