以前よく見かけた所属営業所毎のスケッチ入りの前面ステッカーが懐かしいです。
あれで、どこの営業所所属なのかすぐに分かりましたね。
こんばんわ ☆ Q太郎です。
昔は西新から薦野(清滝)行きのバスが22番でした。
青柳四つ角付近ではバスは軒下すれすれで通ってましたね。
懐かしいです。
こんばんは。鉄道創生期には確かに得体のしれない鉄道への拒否反応があったと聞きますね。私はうきは市の出身ですが、隣の久留米市の草野宿はやはり同じような理由で拒否し(現在は草野駅がありますが)、結果として国道210号線沿いが発達したと聞きます。
デジュン様 こんばんは
営業所ごとのステッカー、ありましたね!
この和白営業所は、付近の志賀島で見つかった金印のイラストが入ってました。
Q太郎様 こんばんは
ここを通る姿を見られたんですね~!
軒下すれすれだったでしょうね。
御来欧音様 こんばんは
各地で反対論があったようですね。
馬が驚く、鶏が卵を産まなくなる、稲が実らなくなる、若者が街へ遊びに行って仕事をしなくなる、など・・・。
有力者のいる栄えた街が、強硬に反対して鉄道を迂回させ、発展から取り残された例がいくつもありますね~。
蓬莱電鉄様はじめまして。E52と申します。検索からたどり着きました。
懐かしいバスの画像ありがとうございます。
このバスは家族で天神へ出かけたときに偶然見かけ、もう一度見たいと思い早良区の自宅から自転車に乗ってわざわざ那の津4丁目まで見に行きました。昭和62年、当時小3でした。
市内で見かけるバスより少し短い車体、暗い折返し場での転回のため設置されたバックアイカメラ、それに関連して通常より高い位置に2個設置されたバックランプ、すべてが新鮮でした。
確か和白には1251~1253の3台がいて、そのうちの1252は廃車前にソラリアステージで開催された「車窓の文化展」で展示されていました。
もし後ろ姿を撮影されていましたら拝見したいです。
E52様 はじめまして、こんばんは
コメントありがとうございます。
このバス及びこの路線についてご教示いただき、とても嬉しいです。
バックアイカメラは、あの寂しい清滝の折り返し場で使うためだったのですね。
当時フィルムが惜しかったのか、残念ながら写真はこの2枚しか撮ってません・・・(泣)
それにしても、小3の時点でその知識と行動力、すごいです!!
こんばんは。返信ありがとうございます。
バックアイカメラの設置とバックランプの増設および取り付け位置の変更については数年前に同じ営業所の先輩にご教示いただきました。基本的に狭隘路を走る路線、折返し場が狭い場所を走る車両に取り付けられていたそうです。
車体の長さについては、右側面だと広告枠と「にしてつ」の文字との距離、左側面だと中扉に表記される「にしてつ」の文字数や帯のレイアウトが変わる部分から中扉までの長さで判別してました。
清滝の折返し場ってそんなに寂しい場所だったのですね。
車号に関しては某サイトの参照(1251だけは知ってました)、1252の行く末に関しては92年頃の社内報に写っていた写真で知りました。
後ろ姿は撮影していなかったんですね。それを差し引いても思い出の車両に再会できたので本当にうれしいです!本当にありがとうございます!!
E52様 こんばんは
西鉄バスのバックアイカメラは珍しいという印象がありましたが、やはり運転しにくい路線用に取り付けられていたんですね。
当時は鉄道もバスも個体で追えるほどの知識がなく(バスは今も知識なし)、もっと撮っていればと惜しまれます・・・。