東北非鉄旅行(2)南三陸町被災地視察~旧戸倉中学校

なかなか旅行の疲れが取れません。


昨日の続きで、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた南三陸町の視察についてご紹介します。





南三陸ポータルセンターに到着。

ここからは、地元の語り部ガイドさんが乗車され、町内の浸水エリアを回りながら津波の体験談を話してくださいます。





道中、このような看板も出ていました。





気仙沼線のコンクリート橋です。
上は柵が追加されていて、BRTの道になってます。

真ん中の橋脚上部の点検台が不自然に曲がってますが、語り部さんによると、これは津波で曲がったのだそうです。
海沿いってわけでもないのに、こんな高さまで津波が・・・。




セブンイレブンも仮設店舗で営業。





ぐぐっと坂を上り、旧戸倉中学校にやって来ました。
黄色いテントには、地元消防団の消防車が入ってました。





現在は戸倉公民館となっていて、中学校であったことを示す記念碑が建てられています。




時計は、あの日のあの時間で止まったままだそうです。






グラウンドは舗装され、仮設住宅が建ち並んでます。





敷地の端から海を望む。
結構な高台に位置していることが分かりますね。

でもここにも津波が上がってきて、避難してきていた人が波にさらわれたのだそうです。

津波は湾内をぐるぐると回り、語り部さんが指差しているはるか向こうで津波にさらわれた人の遺体がこちらの中学校の近くの山で発見されたりもしたそうです。






振り返った校舎の1階の窓に貼り紙があるのが確認できますでしょうか。





あんなとこまで津波が来たそうで、その高さは22.6m!!

はるか下の海面から、この高さ・・・。

あまりの恐ろしさに言葉を失います・・・。





体育館にも津波の痕跡が残ってます。
右側の妻面の壁のやや濃いベージュの補修跡は、裏手の土手下の家屋が津波で打ち上げられ、体育館の壁に激突したところだそうです。





1階の頑丈な扉も、津波でひん曲げられてます。





西側を見ると、低い所に広大な更地。
かつてここは家が立ち並び、高い盛り土の付近には戸倉小学校があったそうです。

地震の後、津波に備えて教職員と児童たちが校舎屋上に避難していたところ、教職員の機転で校舎は危ないと判断し、向こうの山の神社に移動、その後津波は校舎の屋上まで飲み込み、児童全員が奇跡的に助かったというところです。





神社付近をズームで。
画面やや右上、木立の隙間から赤い鳥居が見えてます。
その鳥居から少し上がったところにある小さな祠まで避難し、一晩過ごしたそうです。

津波は赤い鳥居の足元まで来たのだそうです。






語り部さんが持っておられるのが、津波後の校舎の写真。

3階建ての校舎の屋上よりも高い津波が押し寄せ、左の体育館はぐしゃぐしゃです。




報道などで知ったよりもはるかに恐ろしい津波のパワーに圧倒されつつ、次の見学地の防災対策庁舎跡へ向かったのでした。



あそぼーい!団臨が地元通過

日付け変わって昨日の朝は、標題の列車が地元を通りました。

朝方で天気も良かったので、線路際へ。





最近まではちょくちょく博多から門司港へ走っていたのですが、朝のこの光線で撮れるのは珍しいです。





ついでの2054レ。



いい感じで一日がスタートしました。

ちょっと出ただけで汗ばむのはどうにかならんかな~。



明日から3連休ですね。

土曜は町内会行事、日曜はソフトの試合、月曜(祝日)は水害被災地へボランティアに行こうと思います。

「ゆふいんの森」小倉経由の迂回運行開始

今日もいい天気でした。
もう梅雨は明けてるのではという感じですね~。


先日の豪雨災害で久大本線で鉄橋が流されるなどして一部区間が長期間不通となる見込みです。
その影響で、博多から久大本線経由で由布院方面へ向かう特急「ゆふいんの森」が運休しておりましたが、今日から再開となり、博多から一旦鹿児島本線を小倉まで北上し日豊本線を下って大分を経由する迂回ルートで運行されることとなりました。

以前は由布院まで2時間ちょいでしたが、迂回運行では4時間弱。
特に、小倉までに各駅停車並みの1時間45分を要します。
列車密度が濃く、足の速い特急を追い越させながらのダイヤ設定は大変だったことでしょう。
大分まではソニックと被るルートで、大分からの接続という選択肢もあったのでしょうけど、そこは博多からあの列車で旅が始まるという価値を大事にしたのでしょう。


今日が迂回運行の初日。
9時過ぎというなかなかいい光線の時間帯に地元通過ということで、撮影することにしておりました。


今朝ふと目覚めたら5時過ぎ。
雲は多少あるが、まあまあいい天気っぽい。



そういえば、5:32の2088レに朝日が当たるのを、この夏至付近で撮ってない・・・。


無性に撮りたくなり、線路際へ。




ん~、わずかに日が当たりはじめるかどうかという状態。
ガッツリ当たるのは6月22日頃の夏至に近い頃でないとダメですね~。
また来年頑張りましょう。





1分ぐらいしか停車しない4093レ。




サイドにぼんやり当たる朝日がいい感じ。






5:45、1151レ。
「がんばろう九州」のステッカー、熊本地震の関係で始まりましたが、朝倉・日田方面の豪雨災害の応援という意味も含むことになりそうですね。


このあと、59レが銀釜っぽいので、側面ギラリを狙って多々良川へ移動。


到着したら、顔見知りのお3方がスタンバイ(汗)
一緒に待ちます。




そして6:45、59レが通過。
結構輝いてくれました。

トンボが写ったのはいいですが、センサーに付着したゴミにも見えて微妙・・・。





一旦帰宅してから9時前に「ゆふいんの森」のためスタンバイしていると、遅れ2081レが下っていきました。
普段は深夜に下っていて目にすることがない列車です。
西濃のコンテナが多く、初めて見る31フィートの大型も載ってました。





そして「ゆふいんの森」。
検査明けということで、車体も足周りもピッカピカの姿でした。
地元通過を記録した何の変哲もない編成写真ですが、とにかく色が良くて気に入った1枚となりました。

博多発8:45ということで、地元通過時刻が分からなかったのですが、9:19頃の通過でした。
今日は他の普通列車が3分ほど遅れていたので、所定は数分早いのだろうと思います。




このあと、町内会の夏祭りの会場設営へ。
11:00前に終了し、家でゆっくりしていると、57レがEF81-716牽引とのこと。

急きょ出撃、香椎カーブへ。



白線付のローピン牽引の福通貨物ということで、機関車メインの下段で構えましたが、炎天下で陽炎がすごく直前で上段に移動、何とかセッティングも間に合ったところで本番。






普電が裏被りか、まあしゃあない。
パーイチ牽引のが撮れるだけでラッキーやし。

ところがこのあと、背面モニターの表示が・・・







「カードがいっぱいです」





(@_@;)







無情にも、肉眼レフするしかなかったのでした・・・(泣)






東北旅行で800枚ほど撮影し、カードの容量がカツカツだったので、構図決め・ピントチェック用の試し打ちを消しながら撮っていたのですが、直前の構図変更などで容量を空けとくのを忘れたのでした・・・。




午後は夏祭りの運営と片付けでした。
数十個のテーブルや100個近いパイプ椅子を運ぶなどして結構疲れました。




今日はいろいろ撮った一日でした。

最後の福通はちょっと残念でしたが、一番のメインのゆふ森は撮れたのでよかったです。

帰宅後、カメラに差してあるカードに残っていた東北の画像を整理し、容量をガッツリ空けたのは言うまでもありません。




明日は午前中ソフトの試合が2試合、塁審が1試合。
予報通り曇ってくれ~。

東北非鉄旅行(3)南三陸町被災地視察~防災対策庁舎ほか

今日は午前中ソフトの試合でした。
天気予報が曇りでしたが、やっぱりカンカン照りでした・・・。


午後はアイスを食べたり冷たいものを飲んだりしてゆっくり過ごしました。



記事のほうは、東北旅行の続きです。

南三陸町の語り部ツアーの後半、防災対策庁舎とその他町内の状況についててです。





防災対策庁舎といえば、最後まで避難を呼びかけていた方も含め、多くの職員が犠牲になった所です。
地震発生と津波の警報で2階に町の対策本部が置かれていたこともあり、町長はじめ多くの職員が勤務していました。
3階の上の屋上に避難したものの、津波はそれより高いところまで来てしまい、アンテナによじ登ったり階段の手すりにつかまったりしたわずかな人しか助からなかったという話です。




現在周囲は工事中で近寄れませんので、やや離れたこの場所から、語り部ガイドさんの話を聞きました。





当時の状況を説明していただきました。
左の写真で、最も水位が上がった時にはアンテナのポールと階段の上りきった所しか見えてないことが分かります。

実際にここにいた職員が撮影した写真が、町のホームページにも掲載されてます。





献花台が設置されています。
周囲は震災復興祈念公園として整備される予定です。

この防災対策庁舎の保存に関しては、町内でも賛否両論あったそうですが、最終的には震災遺構として保存されることとなったそうです。





最後まで町民に避難を呼びかけ続けたり情報収集にあたっていた職員たちに向けて、一羽一羽折られたのでしょう。




犠牲になられた方々のご冥福を祈り、皆で手を合わせ、この場所を後にしました。





またバスに乗り、町内を見て回りました。

右に先ほどの防災対策庁舎、川を挟んで左側には「南三陸さんさん商店街」。





海岸線には、漁船の船溜まりが整備されてました。




その近くに造船所。




あ、BRTだ!
キュービックバスもいるんですね。




新しい魚市場かな。





内陸に入り、南三陸町役場の仮庁舎がありました。
結構な高台に位置してます。




その近くには「ベイサイドアリーナ」という大きな施設。
BRTの待合室もありますね。

震災直後、支援物資の集配拠点となったそうです。





さらにその近くには仮設の消防署。




津波で殉職した消防職員の慰霊碑もありました。





完成間近の新しい役場庁舎も。





高台に新興住宅地。
復興公営住宅もたくさんあり、戸建て型と集合型がありました。
自力再建の人はローンを組むなどして家を建てているそうですが、前の家のローンが残っていた人もあり、今後の生活も大変なのだそうです。




このあとポータルセンターに戻り、語り部ガイドさんとお別れしました。






復興まちづくり事業計画の概要図がポータルセンターに掲示されてました。

元々市街地だった低地は復興祈念公園(黄緑)、商業・業務エリア(赤)、水産関係エリア(水色)となり、居住ゾーン(レモン色)や学校・官公庁は内陸の高台に配置されてます。






イースター島から送られたモアイ像。
これを活用した町おこしが行われており、土産品にモアイがたくさん登場します。




ここで集合写真を撮り、南三陸町を出発し、宿泊地である松島へと移動しました。
(つづく)




明日は地元福岡県内の豪雨災害の被災地を訪れ、ボランティア作業をしてこようと思っています。

大行司駅土砂災害

今日は朝から東峰村へ行き、災害ボランティアとして活動してきました。

元々はヨメの出身地である朝倉市で活動するつもりでしたが、アクセスのしにくい東峰村のボランティアが足りていないという噂(実際はどうか分かりません)を聞き、東峰村に行くことにしたのでした。


東峰村のボラセンは小石原の本部と宝珠山(大行司付近)のサテライトがありますが、私は宝珠山のほうに行きました。
受付が始まる9時を待たず、100人近いボランティアが受付に並びました。
そのあとも続々と到着、最終的に何人来たのかな~。

受付やオリエンテーション、マッチング(誰がどの場所に行くか決める)が完了し、私は民家の敷地や宅内に流入した土砂を掻き出す15人ほどの班に。
現地入りしたのは10時過ぎでしたか。
裏の山から流れ込んできた土砂が床上にも達し、その量は膨大なものでした。

我々の役目は主に、スコップで土砂をすくって移動させたり一輪車に載せる作業。
礫(小石)が多く、掘り進めようとするスコップが「ガチン」と阻まれる中、何とか頑張りますが、開始から1時間も経たず息が上がり、指のまめができてすぐつぶれました。
普段が肉体労働ではないということもあり、ペース配分が難しかったです。
昼の休憩を挟んで、炎天下14:30ぐらいまで作業し、身体はくたくた、着ている物も汗と泥だらけ。

女性陣も含め、皆の頑張りもあり、状況はかなり改善しましたが、すべてやり尽くすには至らず。
ボランティアセンターの方によると、1週間程度かけて進めていくとのこと。
それでも、この作業を被災された家族や関係者だけで行うのはかなり厳しく、やはりボランティアのマンパワーは絶大だと感じました。
私たちは今日だけでしたが、被災者の方々は被災から10日以上も自分たちだけで作業されていて、今後もいろんな作業をされることを考えると、本当に大変だと思います。



帰り道の運転は朦朧としてました。
懸命に集中しました。


途中、大行司(だいぎょうじ)駅に寄ってみました。

駅舎が土砂で壊れてしまっているとツイッターで見て、気になっていたからです。





まずは、被災前の大行司駅舎。 '17.1.21

ちょっと手が加えられてますが、昔の風情を残す好ましい木造駅舎。
ホームは裏の斜面を登ったところにあります。





そして、今日の状況。

裏の斜面が崩れてきて、駅舎の一部に当たり、駅舎が倒壊してしまったのです。
倒れてしまった柱や壁の上に、屋根が覆いかぶさっている状態。
もう元の状態には戻せないでしょう。

崩れた斜面は応急措置でブルーシートが掛けられてます。





土砂は駅の夜明寄りの線路の一部を覆ってましたが、今は除去されてます。





日田彦山線のこの付近は他にもたくさん寸断箇所があり、添田~夜明が運休中。
取り残された格好のキハが静かに留置されてます。



このあと帰り道をさらに進み、トイレ休憩もかねて宝珠山駅に立ち寄りました。
(つづく)



※7月18日(火)は雨天の予報であり、二次災害防止のため、東峰村のボランティアセンターの受付は中止だそうです。

宝珠山駅も被害

連休の疲れはなかなか抜けず、昨日は夕食後リビングで寝てしまい、目覚めたら日付が変わってました・・・。


おとといの災害ボランティアの帰り道、トイレ休憩ついでに宝珠山駅に立ち寄りました。



周囲は泥を除去した後がありますが、駅舎は無事のようです。





駅舎から駅前の橋を見ると、欄干に大量の流木が引っ掛かってます。




橋から上流方向を見る。
川沿いを走る国道211号の手すりがメチャクチャになっており、越流してきた水の力の凄まじさを物語ります。





下流方向。
川岸の石積みが破壊され、応急措置されてますね。
国道211号のこの付近は未だに片側通行。
災害発生直後、一時期東峰村が孤立していたそうですが、この付近が不通となっていたのではと推測します。





駅の中へ。




彦山・城野方面。
線路も濁流の通り道になったようで、大量の流木の除去作業が行われてます。





夜明・日田方面。
まだ流木が残されてます。
作業はこれからなのでしょう。





作業服姿の警官を乗せたバスが列をなして上流へ向かうのを見送り、この地を後にしました。




さ、風呂に入ろうっと。

大鶴付近、なぎ倒された踏切警報機

7月17日、ボランティア帰りに大行司、宝珠山と立ち寄りましたが、宝珠山と大鶴の間にある踏切も、行きがけに立ち寄ってました。





大鶴の集落の外れの田園地帯、土砂が流れ込んで稲がやられてます。
その向こうに、踏切警報機がポツンと立ってました。





瀬部(せべ)踏切。
周囲は土砂や流木がたくさん見えます。





大鶴方面。
バラストがえぐられ、枕木が露出してます。
向こうのほうは流木に覆われてしまってます。
更に向こうの大鶴集落にも大量の土砂が流れて行ったようです。






宝珠山方面。
警報機がなぎ倒され、レールもほとんど見えない状態です。





復旧は大変そうです。



大鶴駅は、駅舎が大鶴地区の復旧支援拠点となっており、駅舎内にスタッフがいて、支援物資などが積まれてました。


そういえば、この付近は筑後川の支流である大肥川の系統の川がいくつか集まってくる所で、地名には川の流れを示す「ツル」(水流、津留、鶴)が含まれてます。
もしそれに「大」をつけたものがこの地名の由来であれば、今回のような豪雨の際は要警戒ということになりますね。

さらに、土砂災害を示す「ツエ」(津江、杖)、「カキ」(掻き、柿)、「クリ・クル・クレ」(栗、久留、呉、暮)など、地形や災害を示す地名はいろいろあります。
中には、実際に災害が起こった記録や地形の特徴などと一致するものもあるようですね。



「大鶴」という地名のことをあれこれ考えながら、先へ進んだのでした。


夜明けのこない夜はない


今日は朝から朝倉市へ。
月曜に続き、災害ボランティアです。

今回は、長男を連れての参加。
アクセスしやすい朝倉に行ってみました。

受付が始まる9時を少し過ぎての到着、ボランティアの多くが杷木エリアへと移動していきましたが、私たちが行くことになったのは朝倉のボランティアセンターのすぐ近くの比良松(ひらまつ)地区。

比良松は甘木市・朝倉町・杷木町が合併する前の朝倉町の中心地区。
旧道の住宅密集地のすぐ裏を流れる川が氾濫し、多くの住宅が床上浸水し、敷地に数十センチの土砂が堆積したところです。

支援先の住宅は、1週間にわたりボランティアが入って土砂の掻き出し等を行っていて、今日が最終日。
私たちボランティア6人の仕事は、残った土砂や水に浸かって使えなくなったタンスの搬出、溝に溜まった土砂の掻き出しでした。


10時過ぎに作業開始、昼食休憩を挟んで14時ごろに終了しました。

月曜はボランティア投入初日ということで、先の見えない重労働の連続で、私自身も初めてということもあり、かなり消耗しましたが、今回は仕上げ作業で、私もセーブしながら気持にも余裕をもって臨んだこともあり、消耗は避けることができました。

長男も「高校生なのに、偉いね~」と皆から褒められ、依頼者のご夫婦からも感謝され、意欲的に作業してました。
貴重な経験になったと思います。
また、普段家庭では見せない挨拶や気遣いもあり、親としても連れてきて良かったなーと思いました。




記事のほうは、7月17日(月)の宝珠山の帰りに立ち寄った、久大本線の夜明駅です。




駅自体は高い築堤上にあり、被災を免れてます。




駅の下にある国道386号のバス停には、運休区間の代行バスが発着してました。
(現在はこの駅の運休は解除)





列車が来ない駅のホーム。




日田方面、運休から2週間弱、草が伸び始めてました。





跨線橋から、久留米方面。
右は今も運休中の日田彦山線。





駅舎内の掲示。
この日までうきは~日田が運休、翌日からはこの夜明も含む光岡(てるおか)までの区間が再開、鉄橋が流された光岡~日田だけが運休予定となってました。





旅行者が自由に記入する「旅のノート」には、「夜明けのこない夜はない。がんばれJR九州!」のメッセージが。


流失した花月川橋梁の再建には数年かかるとも言われてますが、地域住民の移動手段、観光特急やななつ星のルートとして、復旧することを願ってやみません。

迂回ゆふ森&キスマイソニック並ぶ

今日は午前中ソフトの練習でしたが、その前に、標題のものを撮りに行きました。


目が覚めて、寝床でキスマイソニックの運用を調べてたら、今日充当されるソニック11号と、迂回運行中のゆふいんの森が、海老津駅で並びそう・・・。
海老津ならホーム越しではなく横同士で並ぶな・・・。

ということで、行ってみました。





読みは当たり、ゆふ森をキスマイソニックが追い越していきました~♪

先日の事故で上り方のパネルが損傷したのか、取り外された状態での運行が続いてます。

もうちょっと側面のラッピングがキレイに写ると思ってましたが、光線が正面寄りでした。



迂回ゆふ森とキスマイソニック、おまけのパネル取り外し、ということで、期間限定の並びは記録できたかなと思います。

迂回ゆふ森は何本もソニックに抜かれるそうなので、チャンスはまだまだありそうですけどね。

いさしん用キハ47、出場回送に遭遇

昨日とおとといは所用で地元を離れてました。


今日いろいろと終わって地元に戻る道中、竹下で・・・






いろいろとまっているのを見て・・・




伴車のキハ31とつながった「いさぶろう・しんぺい」用のキハ47を発見。

キハ47がピッカピカでしたので、午後小倉の工場から出てきて、夜に熊本に戻ると推測。





博多で模型屋をぶらついてから、いつもの時間に南福岡へ。

十数人の同業者が来ているのを見て確信。






コンデジしか持っておらず、三脚ももちろんなかったのですが、夏場でうっすら明るかったので撮れました。

キハ47-8159と、キハ31-22という組み合わせでした。



帰り道に面白い列車に遭遇できて、ラッキーでした。
プロフィール

蓬莱電鉄

Author:蓬莱電鉄
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福岡県の古賀を起点に活動している電車・バス好きのおじさん。
「蓬莱さん」と呼ばれることが多いです。

おもに近所での撮り鉄や鉄道模型(N)の加工を気ままに楽しんでおります。

Yahoo!ブログサービス終了に伴い、2019年6月1日からFC2ブログに引っ越ししてきました。

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