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はてなキーワード: 博士論文とは

2025-10-17

anond:20251017120038

博士論文を提出した女性の5年後成婚率は89%であった。

しかし、女性博士論文を提出する確率男性に比べて67.7%低く、女性学位取得の相関性についてはさらなる議論必要である

(同論文

女性の各予備校統一模試成績において、得点圏内の有意水準95%の信頼区間における男性比は、女性が20%近い下落が見られる。

引用文献)

2025-10-06

比較最近トランスジェンダー関連本

宮田りりぃ「トランスジェンダー生活史」

メガン・M・ローアー「トランスジェンダー男性のきみへ」

土肥いつき「トランスジェンダー生徒と学校

針間克己性別不合って何?」

マラン、シャイエン「僕は、私はトランスジェンダーです」

江里ユウキFtMトランスジェンダーのぼくのことを話そう」

トランスジェンダーの話に興味ある人はネット上でジェンダー論に入り込む前に、まずは本を読もう。ネットでの言い合いは、正直こういう最近の本などに追いついていないものばかり。ネットでは冷静になりにくい面もあると思うから、まずはちゃんとした出版社の本やちゃんとした大学学位を取ってる博士論文とか、専門医解説とかを読もう。今年は有名なトランスジェンダー俳優エリオットペイジ自伝翻訳も出てるぞ。

2025-06-17

生成AI哲学を「根本から」変えたのか――

結論から先に

生成AI哲学のものの基盤を覆すまでには至っていないものの、

1. 研究方法、2) 問いの優先順位、3) 社会が抱く「哲学観」

――この三層において急速かつ不可逆的な変容をもたらしつつあります

1. 方法論的インパクト ── “共著者”としてのAI

2. 新たに浮上した哲学論点

領域 生成AIが投げかけた核心的問い 代表的議論・動向
:---------- :------------------------------------------- :-----------------------------
心の哲学言語モデル意識は宿り得るか」 Nature Humanities & Social Sciences の最新論文は**「可能条件の地図」**を作成し、意識判定基準の再定義提案しています
認識論意味統計的相関から「浮上」しうるのか 2024年デカルト講演では**「理解なき理解」**問題を中心に討論が行われました。
倫理学価値人間中心主義”を前提とする倫理枠組みの限界サンフランシスコシンポジウムでは**「宇宙的アラインメント」**思想提唱され、人類優先から価値多元主義視点拡張されています
教育哲学オーセンティシティはどう測るべきか オハイオ州立大学の報告では**「課題設計のものメタ倫理判断になる」**と指摘されています

3. 社会認識の変容

4. しかし「根本的転換」には二つの保留条件がある

5. 展望20 世紀の「言語論的転回」に匹敵するか?

まとめ

生成AIは、哲学方法と射程を拡張し、社会哲学観を塗り替えつつある。

しか哲学のものの“土台”を置き換えたわけではなく、むしろ次の土台がどのように築かれるかをめぐる新たなメタ議論私たちを招き入れた。

2025-04-23

anond:20250423121245

これ見てスッキリしな

https://www.youtube.com/watch?v=ofXJTKCI0NU

教育委員会での衝撃的ないじめ告発動画

動画タイトル公開情報

2018年3月19日、米テキサス州ケイティ独立学区(Katy ISD)の教育委員会における公聴会撮影された映像YouTubeに公開され、大きな注目を集めました 。動画タイトルは 「Bullied Man Confronts Alleged Childhood Bully 35 Years Later」(直訳:「いじめられていた男性が35年越しに子供時代いじめ加害者対峙」)で、ABC13ヒューストン米国地方テレビ局)の公式YouTubeチャンネルから公開されています。以下、この動画の内容と背景についてまとめます

URL: https://www.youtube.com/watch?v=ofXJTKCI0NU (ABC13 Houston公式YouTube

公聴会で語られた壮絶ないじめ体験

動画には、グレッグ・バレット氏(Greg Barrett、旧姓Greg Gay)という壮年男性教育委員会公聴会発言する様子が収められています。彼は1970年代後半の中学在学当時に受けたいじめ体験について証言しました 。バレット氏は、昼食時にトイレの小便器に頭を押し付けられて唇を切り裂かれ、倒れ込んだところを複数の生徒に蹴られるといった酷いいじめを受けたと述べています 。また、いじめがあまり過酷だったため、「誰も助けてくれない」と感じ絶望し、父親の引き出しか拳銃を取り出して自殺を図ろうとした過去も明かしました 。彼がいじめの標的にされた一因は自分の姓が「Gayゲイ同性愛者)」であったことだとも語っており、この名前ゆえに生涯消えることのない苦しみを味わったと訴えています 。

議長教育長)への衝撃の告発

バレット氏のスピーチの最終局面で、会場は息をのむ展開を迎えます。彼は自身いじめていた加害者の正体について言及し、「ランス、あれはあなたがやったことだ」(“Lance, you were the one that shoved my head in the urinal”)と公言したのです 。実はこの場に同席していた教育長(学区教育長)こそが、そのいじめ加害者だと名指しした瞬間でした。名指しされた人物は、当時ケイティ独立学区の教育長を務めていたランス・ヒント博士(Dr. Lance Hindt)で、教育委員会議長席に座る会議最高責任者でした 。被害者本人から突然過去いじめ加害を暴露されたヒント博士は、一瞬笑ってその主張を受け流すようなしぐさを見せ、その場で謝罪反論をすることなく次の発言者に議題を移そうとしました 。

告発の背景

グレッグ・バレット氏がこの公の場で名乗り出た背景には、個人的な決着をつけたい思いだけでなく、現在教育現場に変化を促したいという目的がありました。彼は自分体験を語ることで教育委員会に訴えかけ、「教師いじめ放置しないよう責任を問える仕組みを作ってほしい」、そして**「今の生徒たちの安全のためにも何らかの変化を起こしたい」**と考えていたと述べています  。事実バレット氏は長年この心の痛みを抱えて生きてきましたが、40年以上経った今になって声を上げたのは、当時見て見ぬふりをされた悔しさを糧に「誰かに自分の話を聞いてほしかった」からだと語っています 。

加害者側の対応とその後の反響

名指しされたランス・ヒント教育長は、後日発表した声明の中でバレット氏の告発内容を全面的否定しました。ヒント氏は「35年以上前出来事だといういじめの話を聞かされ動揺した。しかし私の人格がそのような行為の首謀者だと傷付けられるのは遺憾であり、そのような事実は決してない」と述べ、告発事実無根であると主張しました 。また「告発者のことは子供の頃の記憶にないし、確かに同じ中学校には通っていたが、自分がそんなことをすれば当時の校長が見過ごすはずがない。彼がいじめ被害に遭っていたこ自体否定しないが、私(ヒント氏)はそれに関与していない」という趣旨反論も行っています 。ヒント氏は当初この主張を曲げず、教育委員会もヒント氏を擁護する姿勢を見せましたが、この場面を収めた動画クリップインターネット上で急速に拡散し、大きな波紋を呼びました。各種メディアもこの出来事を報じ、ケイティ学区は教育長いじめ疑惑問題で全米の注目を浴びる事態となります 。

告発から数ヶ月にわたり議論が続く中で、ヒント教育長過去トラブルが次々と明るみに出ました。1980年代に起こしたとされる暴行事件についての訴訟記録や、博士論文の盗用疑惑なども報じられ 、教育長資質を問う声が強まっていきました。結局、ヒント氏はいじめ疑惑や相次ぐ不祥事への非難を受けて引責辞任する意向を表明します 。2018年5月教育委員会において、ヒント氏は震える声で「私や周囲への執拗で容赦ない攻撃によって、この職務を全うすることが困難になった」と述べ、同年末での退任(事実上の辞職)を公式に発表しました 。このように、公聴会でのたった数分の告発スピーチが大きな反響を呼び、35年前のいじめ加害者とされる人物教育現場トップの座から退かせるという異例の展開につながったのです 。

2025-03-18

私の生い立ちをここに残しておきます(後半生)

anond:20250318130051

銀行員としての毎日想像以上に厳しいものでした。三和銀行では朝から晩まで数字に追われ、理不尽な叱責を受けることもしばしばでしたが、幸い上司や同僚には恵まれました。何よりも大切だったのは、銀行業務を通じて多くの企業個人人生に触れる機会があり、それが私の人間観や社会観を大きく広げることにつながったことです。

数年間の支店勤務の後、本店企画部門に異動となりました。そこでは銀行業務の根幹に関わる重要仕事を任され、自分視野ますます広がっていくのを感じました。しかバブル経済崩壊後の混乱の中、銀行業務は次第に苦難の道を歩み始めました。毎日のように不良債権の処理に追われ、心身ともに限界を感じる日々が続きました。

ちょうどその頃、私は以前から興味を抱いていた大学院への進学を真剣検討し始めました。銀行を辞め、東京大学大学院社会科学研究科入学しました。学生生活に戻った私は、経済社会本質について改めて学び直し、充実した日々を過ごしました。

修士課程を修了した後は、研究者としての道を志し、数年間は非常勤講師として大学で教えながら博士論文執筆しました。しかし、生活は厳しく、結婚子ども誕生きっかけに、再び企業世界へ戻ることを選択しました。

新たに入社したのは中堅のコンサルティング会社でした。銀行時代経験を活かしながら、企業再生経営改革に携わるようになりました。この仕事は私にとって非常にやりがいがあり、自分経験知識が直接人や社会の役に立つことを実感できました。

定年後はこれまでの経験を活かして地域中小企業支援ボランティア活動に精を出しました。特に若い経営者や起業を目指す若者たち交流する中で、自分経験が少しでも彼らの役に立てばと願っておりました。

老いと病により体力も衰え、思うように活動できない日が増えましたが、振り返れば波乱に満ちてはいましたが、非常に充実した人生でした。私の経験や考えが少しでも次の世代への参考になれば幸いです。

これにて私の生い立ちの記録を終えます

2024-10-16

キモい」は文脈次第だとは思うが、「奪わないで」はおかし

マジでこれ使われ方の幅が広すぎて文脈次第だからな……

飲み会セクハラ発言されたり、夜道で声かけされたり、そういう行為に対しての「キモい」は全然正当だと思う。咄嗟にそういう行為対応する際に「キモい」という語彙を用いても何ら問題ない。

ただ、小太りのクラスメイトとか、「清潔感」のない男子とか、変わった趣味女子かに向けられるのであれば、それはもう加害・差別迫害のための言葉醜悪ルッキズムの表明にしかならない。

この両極端のあいだに、一般人にとっての美少女ゲームとか、男に都合のいい女ばっかり出てくる著名作家作品とか、美麗な背景映像女の子+じめじめし男の子世界危機の組み合わせがやたら出てくる某アニメ監督作品とか、そういったものが広がっていて。実際にえもいわれぬ気持ち悪さを醸し出す作品出会ったとき感想として、それが間違っているわけでもない(批評として下手くそだというのは別の話)。「作品に対する批評としては(巧拙は別として)ありだけど、人に向けて言うのはなしだよな」みたいなラインもどっかにあるはず。

もしくは、「気心の知れた友達どうしでの軽口としてはありだけど、それ以外だとただの悪口」というラインもあると思う。増田女友達麻雀する度に「死ね」「殺す」「クソが」といった汚言を吐き散らかしているし、増田も際どい下ネタを振ったりしているが、職場の同僚とかではなくて本当に親しい仲間のあいだの話なので誰も気にしてない。それと同じだ。

また、ヘイトスピーチに対する法規制に反対したり、言葉狩りに異議を唱える立ち位置の人が、「たとえ悪い言葉であっても取り締まろうとするべきじゃない」と言うのはよく理解できる。

ただ、「奪わないで」とか言ってんのはおかしいよ。どうかしてるよ。「キモい」が無条件で正当化される場所なんて、セクハラ強制わいせつ被害を受けたり目撃したりした直後くらいだよ。それ以外の場所で使うには何かしらの不適切さが付き纏う言葉で、もっと言えば子供たちが言われて日々傷つきまくってる言葉でもある。「キモい」って言われたときの心の棘がまだ刺さってる大人も多いだろう。マイクロですらないド直球のアグレッションだよ。「セクハラ受けたときにそう言っちゃうのは別にいいでしょ」とか「仲間内の軽口が下品で誰が困るんだよ」って話なら「そうだね」ってなるけど、「抵抗言葉から奪わないで」なんて言われても受け入れられるわけないだろ。もちろん表現の自由があるから強制的に奪うことはできないし、使い続けることも止められないけど、そんな正当化をするやつの品位は確実に落ちてるよ。誰も奪わないから、自分の評判と引き換えに好きに使ってくれ、としか言いようがない。

それはそれとして、博士論文を頑張って書き上げたはてなー宮廷就職しているという近況を知れたことは素直に嬉しい。おめでとうございます

2024-10-05

[]きょう、図書館で悲しくなった

普段はこういうのは日記帳に書くんだけど出先で持ってないのでここに書く。

昨日移動に4時間かけて内定式に出席した私は、まだ土地勘のない場所で今晩の食事の予定までの時間を潰さねばならなかった。

お金もないし充電もないしで図書館に入った。土曜日図書館勉強している人でいっぱいだった。勉強していない人もいっぱいいた。みんな本を読んでいた。

そんなごく普通のことすら自然にできなくなっている自分が恥ずかしく、悲しかった。

この数年、心からかに没頭できない。心から求めるものがない。

以前は知識欲が旺盛な方だった。知識を得ることに純粋な喜びを感じていた。

何かを極めて一番になるタイプでもなかったけれど、本屋に入ると興味のある本を探して手に取り、気づいたら1時間経っていたり家族とはぐれたりしていた。

今もその時の興味の残り火で研究らしきものをしている。来春には研究とは直接関係のない職種に就く。

気づけば趣味にも興味にも義務感を感じるようになっていた。

頭が働かなくなった。数学思考論理的思考ができなくなった。脳のメモリが0になった感覚認知機能全般短期記憶力も長期記憶力も落ちたように思う。

休みの日は何をしているの?」という質問に「美術館行ったりするのが好き。趣味は〜〜で〜〜」と答えるけれど、そう答えるためにそれらの行動をとっているような気がする。

文章を読んでも目が滑って飛ばし飛ばし読むようになってしまった。思考に関する忍耐力が本当になくなってしまった。解けない問題を考えるのが好きだったのに、今はその逆。

ツイッターを見て、リプにぶら下がっているwiki記事を読む。その中のリンクから別の記事に飛ぶ。これにすらどこか「情報を得なければ」という義務感と焦りがつきまとう。美術館で展示を見る。展示につけられた説明飛ばし飛ばし読む。何か感じなければならない。何か得なければならない。自分思考力低下から来る考えだと思われる。

いろんな原因を考えた。

うつ病うつ病ではないにしても何らかの発達障害(元々その気はある)もしくは精神疾患

入ってくる情報量が多すぎて脳が情報処理方法を変えたのかも。

何かで見かけた「脳は使わないと錆びる」という言葉が浮かぶ大学に入って二年ほど、みるみる落ちる思考力と怠惰単位を回収するのに必死自分で考えるということをしなかった。うん、やっぱり主な原因は怠惰ではないかな。

いや、ただ単に早熟子供だっただけかもしれない。天才も、二十歳過ぎれば...というように、大人になるというのはそういうことなのかもしれない。実際、医者を含め誰に話しても「別に普通に見えるけど...」と言われて相談にすらならない。

どんな話も本筋がどうせ理解できないので些細なことにばかり目がいく。少しでも何か情報を得なければ、置いていかれる。

漫画でさえも何も考えずに読むことができなくなった。心から楽しめなくなった。

同期は博士課程に進むらしい。後輩の一人も。

入った図書館で知っている人の博士論文をいくつか開いてみる。自分のいる分野だが中身を読みたいという気持ちが一切湧かない。楽しくない。

以前の自分のまま、勉学を楽しみながら進められていたら、今頃博士課程を考えていただろうか。無邪気に進学する同期や先輩にネガティブ感情が浮かぶ。私には何年かかっても終えることができないだろう。もう知識を得ることにも何かに興味を持つことにも楽しさが見出せないのだから

でも他人にそんな深刻な話題を出しても本気にされないから、これからも何かに興味を持つフリをしながら生きていく。

ここから追記(10/8 21:50)

Twitter自分日記をみかけるとは思わなかった。びっくり。

似たような状況の人が多く、また反応がいくつかに収斂しているので返信してみる。

休めってコメントが多いので先に書いておくと数週間後に5日間何もしない日を設けることにした。ネットを見ない、連絡返さない、自炊して掃除して散歩してぼーっとする。

・休め、情報を入れるな、寝ろ、ぼーっとしろ運動しろ、好きなことだけやれ

みんな優しい、ありがとう

スマホ依存自覚はある。言い訳すると最近全てがスマホに結びついているように思う。

日常の決済だけでなく、大学学食すらQRコード決済になった。家に置いていくことができない。

とはいえやっぱりTwitterインスタTikTok情報中毒になっているので、スマホを置いて散歩する頻度を高めようと思う。

寝てはいます。6時間は死守しないと次の日を虚無にしてしまう体質なので...

あと手を動かす趣味もある。狭い下宿で思うようにできず...というのは言い訳なのでちょっとずつ復活させていきたい。

コロナ後遺症では?

コロナ禍以前からこのような症状があったのでこれが根本的な原因ではなさげ。ただ、コロナ禍に入り塞ぎ込んだことで抑鬱状態になった(次の項目にも関連)。

その後コロナに二度感染し、各回で体力の上限が削られたような気がする。

病院行け

コロナ禍で抑鬱になったとき診療所に行った。これが続くと鬱病だと言われたが大学夏休み期間に入ったこともあり、寝付きの悪さやメンタル状態は多少持ち直した。今は楽しくはないけど鬱ってほどではないなという感じ。ただこれが一生続くと思うと絶望ちゃう

その後も不眠で精神科に行ったりもしたが、不眠以外はあまりにも健康ですね、と言われ終了。「脳にモヤがかかってるようで...」とは伝えたが日常生活が送れているので特に何も対処されなかった。

上の過程発達障害に関しても「グレーかもしれないが診断はつかない程度」と言われている。課題の期限は守れないけど業務連絡や病院の予約、友達との待ち合わせではむしろ早めに動きすぎて気を遣わせてしまうこともある。接客バイトでも優秀な方だった。プログラミングとか、数学とかができなくなった分のリソースがそっちに行ってるだけっぽいけど。頭の中が常にどうでもいいことで満たされていて、情報の整理ができなくなって久しい。コンサータ飲んでみたかったな。

これも診断ついてないけど幼いとき強迫観念がすごかった(儀式行為確認行為数字へのこだわり)のでメンタルが元々そんなに強くはないんだろうなーって感じ。

まり一応心身ともに健康ということになっている。

・俺かと思った

普段いる環境には何歳になっても情熱を失わずやる気で満ち溢れた人が多いので、同じような人がいっぱいいるのがわかって安心した。よくある悩みなんだな。意外とみんなこんなもんなんだな。いや、みんなこんなんで大丈夫なのか。

過去に同じ状態になったけどこうやって回復した/受容した/改善したというコメントはどれも参考になる。歳とってこうなる人も結構いるみたい。

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をという本を挙げている人も多かった。気にはなってたので買ってみる。

・恵まれてるね

相対的には少なかったけどいくつか見かけた。本当にその通りすぎる。能力環境のおかげで今まで好きなことだけやってどうにかなってきた。

好きなことじゃなくても淡々とやるってのも必要だなと改めて思いました。

なんか増田とは思えないくらいみんな優しくて少し泣いた。Twitter引用も、ブコメも温かった。

焦らず時間をかけてみることにします。同じ悩みを抱えてる人のつらさも少しでも減りますように。

2024-08-15

某9浪学歴インフルエンサー東大院に合格する方法

anond:20230401230947

元増田です。

早稲田9浪インフルエンサーの彼が東大院に合格する方法を1年間考えていました。

彼は、教育格差特に地域間教育格差研究をしたいそうですが、それだと受からないと思います

そんなことは他の研究者もやっていることです。

彼が大学院研究すべきテーマは、ずばり「大学受験浪人意味があるのかどうか?」です。

かに大学受験の結果だけを考えたら、浪人有効手段です。

現役時に早慶不合格明治合格した人が、1年間浪人したら、早慶合格することは十分にありえます

1浪だと就職にも響かないから、浪人することができるなら浪人するのもアリです。

しかし、その浪人は本当に人生にとって有益なのでしょうか?

たとえば、次のケース。

A君は、早慶不合格で現役で明治合格、進学しました。

B君は、現役時、早慶不合格明治合格でしたが、浪人し、1浪で、早慶合格しました。

学歴としてはB君の方が上ですが、では、ふたり卒業後の就職先・年収に違いはあるのでしょうか?

明治大学就活勝ち組は、早慶生の中央値を上回るでしょう。

MARCHレベルでは、上澄み層は過半の早慶生よりも就職先や年収で勝ちます

しかしたら、A君はそういう明治大学の上澄み層になるかもしれない。

B君は早慶では平均レベル就職先かもしれない。

卒業後の就職先・年収で、A君=B君となることは十分にあり得ます

そうなると、B君の浪人は実は意味がなかったかもしれない。

行動遺伝学では、歳を取るほど、遺伝(持って生まれ性質)の影響が強くなってくると考えます

世の中が平等であるほど、遺伝の影響が強くなる。

となると、浪人してワンランク上の大学に進学したとしても、卒業してしばらく経ったら、浪人しなかった場合ほとんど変わらない年収になるかもしれない。

あるいは、どういう人・条件なら、浪人した場合社会的地位年収が高くなるのか。

どういう人なら、浪人しても意味がないのか。

まだまだここら辺は分かっていません。(人それぞれと言える)。

からこそ、分析モデルを組み立てて、データを集めて、何らかの結果を出したなら、面白い

某9浪氏の知名度があれば、修士論文出版社から本として出版されることもあるでしょう。

上記研究をするのに、東大教育学の院がふさわしいかどうかは分かりません。

社会学とか経済学のほうがいいかもしれないし、東大にこだわる必要も無いです。

別に東大の院でなくても、研究成果を出して、大学教授になれたら、「勝ち」だと思いませんか?

ちなみに、社会学では「体育会系学生就活は有利かどうか」を調べて博士論文にしたものがあります

就職体育会系神話 大学スポーツ企業社会学』という本です。

この本の著者によると、体育会系学生就活で有利になるのは、「一流大学男子学生がチームスポーツをしていた場合」に限られる。

中堅以下の大学では体育会系就活で有利になることはない。

との結論でした。

こういうのも、言われれば、まあその通りだと納得しますが、実際に調べてみないと分かりません。

9浪さんも同じように「浪人人生の「勝ち」に結びつくのかどうか」調べて論文にしたらいいと思います

2024-08-05

anond:20240804174456

博士論文書いてる最中に『「知」の欺瞞』が出て後戻りできなくなった人という印象

実際ゲーデルの不完全定理を援用してて「そのまんま」だったからな

2024-08-04

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-07-27

anond:20240725142420

これは弥助問題元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文ちゃんと読んでください。

っていうか,こういったテーマについては,藤田みどりアフリカ発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。

以下,当該論文について解説します。

そもそもこれは何の論文

注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?

はい問題ありません。なぜならこれは,タイトルアジア人黒人あいだでの人種人種観の利用――日系・アフリカアメリカ人場合からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカアメリカ人主題にした論文からです。

論文にはどんなことが書かれているの?

要するに何の論文なの?

これはどう読んでも,アメリカ黒人日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりアメリカ黒人歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!

こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか?  っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めますhttps://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料英語で書かれた論文典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。

仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説のものについて研究するなら,古い時代英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。

なので,ふつう日本中世史研究者が,この論文典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文引用してるとか)を持ってきてもらわないと……

(もちろん,最近中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)

この論文表象研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文タイトルからアジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくま黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人歴史黒人史の添え物とちゃうねんで。

結論

論文ちゃんと読みましょう。

ちゃんと読むっていうのは,この論文テーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。

2024-06-23

文系博士博士論文、クラクラする

某市立大学。なんでこんな内容で博士与えるんや・・・

2024-04-27

俺を異動にさせたクソ女に報復したい

俺は人口10万人以下の地方公務員をやってる。念願の博物館への異動が叶ったのに、クソ女のせいで異動になった。

美大を出て資格をとった俺にとって、希望した博物館への異動は願ったりかなったりだった。しかし、異動先には学芸員採用でそこに居座っていた上司とクソ女がいた。上司は変わり者だがさして問題ではない。問題はこの新卒2年目のクソ女だった。

まず、女は学芸員のくせに展示がズブの素人だった。俺は美大で展示の演出方法について学んだし、この女より確実に多くの美術館に足繁く通っている。とにかくこの女の担当展示がひどいものだった。空間演出というものを知らない。パネルに手製のへたくそイラストを描いただけで満足しているようで、見るに堪えない展示だ。

それに加えて俺の持つ事務業務を手伝おうともしない。新人なら、事務雑務も多くこなして早く仕事を覚えるべきなのに、このクソ女は時間を見つけては研究ばかりしている。展示に役立てようとしていたみたいだが、ならまず空間演出を学んだ方がいい。

これらのことを、本人や周りにも言っても改善される余地がないので、Twitter職場のことを書きこんでいた。少ないながら、俺の書き込みには少ないながら現職学芸員大学教授から賛同を得た。

しかし、このTwitterアカウントが見つかったことで俺は異動になった。間違ったことは書いていない。大学博物館学の教鞭を執る教授も、俺に賛同し、クソ女のことをバカだと言ってくれた。なぜ正当な批判をした俺が異動になって、無能バカ女が博物館に居座るんだろうか。社会は、女に甘い。そういえば、クソ女は、一橋表彰された(上司から聞いた)ことを鼻にかけて、無能のくせに一回り年上の上司にあたる俺に資料の触り方がどうだの、レファレンスがどうだのあれこれ言ってきた。挙句俺が取材を受けているときに、「それは間違ってます」とすぐさま野次をいれてきた。事実関係が間違っているなら、後から訂正すればいいだろうに、すぐさま否定することで俺に恥をかかせた。このでしゃばりで、物の順序も知らない無能のどこが優秀なんだかわからない。女だから大学査定も甘いんだろう。まだ大学に通ってるらしいが、よほど甘い汁が吸えるのだろう。こんな能無しのバカ博士論文なぞ書けるわけがない。

俺も最初はこの女に甘くしてやった。そいつのために時間を割いて運転練習を見てやるために公用車予約までしたのに、直前で具合が悪くなったとかでサボりやがった。思えばそいつは月一で頻繁に体調を崩す。崩す癖に職場に来て皆に心配をかけて目障りだからふたりきりのタイミングで注意してやった。自分の体調も管理できないバカ仕事が勤まるわけない。

せっかく学芸員になる夢をつかんだのに異動になったのは、すべてこの無能クソ女のせいだ。どうにか法律が許す範囲報復したい。

2024-03-29

anond:20240328135240

知らんかった。さんくす。

そして、最近の人の博士論文https://dl.ndl.go.jp/ で全文見られるのか...

こういう探し方はできないけれど、自分D論研究室のページで公開されているから探そうと思えば探せる感じなんだけど...

2024-03-28

anond:20240328021640

博士取った時に印刷された博士論文の献本を2冊求められたんだけれど、あれって任意だったんだろうか。

大学図書館国会図書館に行くと聞いていたような...ふと思い立って探してみたら、けいはんなにあるらしい。

2024-02-25

博士論文公聴会を無事に終え、学位実質的に取得しても、私の心に平穏は訪れなかった。

その日、かなりの時間を費して準備したプレゼンテーションを、会心の出来で決めることができた。

もちろんその成果は、(他の院生も同じだが)3年間の博士課程で膨大な時間を費し、壁にぶつかって紆余曲折とそれなりのドラマがあり、研究を他の何事よりも優先して手に入れたものである

もっと言えば、大学入学から10年、研究者を志した高校生の頃からだとそれ以上、思い憧れ続けてきた博士号の取得である

プレゼンを準備している最中は、公聴会の後に万感の思いを感じるかもと想像したり、泣くかもしれないなんて思ったりした。

Zoomでの発表を一人終え、研究からの帰路、キャンパスから渋谷駅まで歩くことにした。

もう日も落ち、夜のキャンパスから裏の山手通りに出たが、私の心は晴れなかった。

しろ普段と同じ懊悩で満ち満ちていた。

もっと努力すれば3年間でもっと生産的になれたのではないか

審査員から問われたあの問いになぜあのような回答をしたのだろう、こう答えれば良かったのに。

齢三十を前にして、学歴ばかり積み上がった人生実態は浮草稼業根無し草

生活者の実感に乏しく、友人は少ない、彼女もいない。

見てくれは立派でも、吹けば飛ぶような紙風船ではないか

死にたくなった。

ここで私は気がついた、私の人生に心の平穏は訪れることはないのだと。

人生とは、死を迎えるその刹那まで、葛藤を抱え続ける行為に対する命名なのだと。

はたと足を止めた私は、神泉住宅街へと方向を変え、道玄坂平成女学園へ向かった。

2024-02-23

anond:20180119232021

少し前に博士論文の最終版の提出をしてきました。

博士論文を書く中で自分の中でモヤモヤしていたときに少し心を救われました。

あなた日記出会たことで提出できたと思っています

2023-11-20

anond:20231120025334

他に書いてる人いるけど、実績があるからむし博士号を今更とることにあん価値が無いんだよ。

てか池内先生くらい忙しい方だと博士論文を書いてる時間が勿体ないということになりそう。

anond:20231119130236

文系研究者のハシクレ(そろそろ若手じゃなくなりそう)として補足しておく。

今でも単位取得退学普通にある経歴

文系特に文系では博士論文執筆キッチリ3年で終わる人は少ないし、博士課程にいられる年限を使い果たしてしまう人も多い。しかし、東大をはじめとした多くの大学では「博士課程単位取得退学後3年間のうちに博士論文を出して防衛できたら、課程博士と見なす」という運用をしている。

したがって、最近よく見る経歴は、「◯◯大学大学博士課程単位取得退学博士(◯◯学)」というもの。これは単位取得退学したあとに博士号を取得した、という意味

今でも単位取得退学就職できる場合がある

実際に単位取得退学助教講師ポストをゲットした人は最近でもたまに見かける。増田の同年代で2~3人くらい(あくま増田観測範囲なので、実際はもっと多いだろう)。まあ、そういう人たちは和文論文だけじゃなくて、英語論文(分野によっては+英語以外の外国語論文)書いてたし、下手な博士より論文数多かったけどね……。博士号取得者を蹴落として任期付きポストをゲットした単位取得退学者も知ってる。純粋に業績が多ければたまに博士号取得者ではなく単位取得退学者が選ばれる場合があるということ。

このように、形式上単位取得退学でも応募できる公募は今でも多い。JREC-IN文系公募を見てみると、「博士号取得者、あるいは、博士学位を取得した者に相当する能力を有すると認められる者」っていう募集条件が書いてあることがあるけど、後者単位取得退学を指している。こういう条件の公募普通に東大でもまだ出てるからね。ただ、条件に書いてあるからといって選ばれるかというと、よっぽど卓越してない限り厳しいんじゃないかしら。

修士号しか持ってなくても業績が卓越してれば採用されるというのは、みんな大好きユーリィ・イズムィコa.k.a.小泉悠センセが示しているところだと思う。彼はそもそも博士課程に入ってないはずだけど、ロシア軍分析するアカデミックな著書を何冊も出してたら東大専任教員にまで上り詰めた)

とはいえ今はさすがに一部大学学振PDでは単位取得退学は不可

とはいえやはり、博士号持ってない人への風当たりは強まっている。一部の宮廷や有名どころの国立大学では、常勤ポスト募集にあたっては人文系であっても博士号を要求しているし、学振PD海外学振10年くらい前から文系でも博士必須になっていたはず(逆に言えば、40代以上の文系研究者の中には、博士号なしで学振PDやってた人が大勢いるってこと)。

エラいセンセの博士号の有無なんて誰も気にしてない

ただし、博士号持ってない人への風当たり、というのはあくまで若手の就職市場アカポス採用されるかどうかという話で、もう就職しちゃったセンセについては博士号の有無とかあんま気にしたことない……博士論文以降ロクに論文書いてない人より、単位取得退学面白い論文や著書いっぱい書いてる人の方がエラいじゃん? というのが文系感覚だと思うんだが、どうだろう。池内恵センセくらい業績があったら、博士号の有無なんてもう誤差でしょ誤差。

ただ、外国博士号獲った人についてはやっぱり一目置くかも。はてな界隈で有名な人だと北村紗衣センセとか。博士論文というのはだいたい1冊の本になるくらいの分量のものを書くということなので、それを外国語で書いてる時点ですごいよ。特にアメリカだと博士課程では厳しいコースワークがあるから、あれをくぐり抜けたってことだもんね。

文系と人文系って違うの?

最初に「文系特に文系」って書いたけど、「文系」と「人文系」は違う。「文系」は「人文系」と「社会科学系」に分かれていて、文学とか哲学とか歴史学とかは人文系社会学とか政治学とか経済学とかは社会科学系、ってことになってる(あくまでもこれは日本の話。国によって分類は違う。たとえば歴史学社会科学系に入れる国はヨーロッパはいくつもある)。「単位取得退学」はもともと文系全体でよくある経歴だったけど、今ではほぼ人文系に限られてる印象。上で書いた単位取得退学ポストをゲットした人たちも、観測範囲ではみんな人文系

ただ、法学政治学20年くらい前まで学士助手という制度があったので、学歴という点では人文系以上にガラパゴスだったりするのだが……学士しか持たずに教授になってらっしゃる人たちが何人もいる分野です。はてな界隈で有名な人だと木村草太センセとか大屋雄裕センセとかね!

外国で出された博士に相当する学位」って何だよ

ところで、公募条件に「外国で出された博士に相当する学位」という謎の文言があることがある。外国で出された博士、ならともかく、外国で出された博士に相当する学位って何だよ。

実はかつての日本同様に博士号は功成り名遂げた大物が書くものという文化がまだ残っている国があって、具体的にいうとロシアとかそのへんの旧ソ連諸国。あのあたりでは博士候補カンジダート・ナウク; кандидат наук; kandidat nauk)っていう学位があって、これがPh.D.に相当する。博士候補論文大学院に進んで数年かけて書くやつで、実質的博士論文博士候補号を持ってればロシアでは准教授になれる。ロシア留学して博士号獲った、って言ってる人のかなりの割合が、実は博士候補号の取得者だったりする。まあ、ロシアカンジダート号は他国Ph.D.と同等っていうのはよく知られてるから別に嘘じゃないんだけどね。

ところでウクライナでは2014年7月にこの博士候補制度Ph.D.に置き換える制度改正を始めて、2020年には全廃したらしい。うーん、ロシアとの縁を切って西欧共通制度に置き換えるなんて、2014年にいったい何があったんやろなぁ(棒読み)(時期的に完全な偶然というのもありそうだけど)。

ブコメへの応答

博士課程単位取得退学博士”これは課程博士と同じ扱いです。3年の課程を修了し学位論文間に合わずに退学した場合も、3年以内に学位論文が出れば課程博士となるのです。

厳密には、「◯◯大学大学博士課程単位取得退学博士(◯◯学)」のすべてが課程博士というわけではありません。単位取得退学から10年後に博士号取得したら論文博士ですし。なので、経歴を見るか(たとえば、2022年に単位取得退学して2023年に博士号獲ってればほぼ確実に課程博士)、あるいはCiNii博士論文検索するかしないとどちらかはわからないですね。

逆になんでそんなに論文書いていて博士とらずに満期退学なの。そこがわからぬ。

色んな理由があるので一概には言えませんが、本人の博士論文の構想が壮大すぎる、とか、書き上げる前にポストゲットできたから退学しました、とか、そういう場合が多いんじゃないでしょうか。課程博士論文を書き上げた人の経歴はみな似通っていますが、博論を書き上げられなかった人はそれぞれの理由があるものです。

博士ももたず、論文数も多くなく、それでもマネージメントの良さで教授職とかいうのもあったりするわな

そんな人、少なくとも最近は聞いたことないですけど、いつの時代の話ですか? 何がしかの業績(必ずしも論文という形である必要はないです。たとえば安藤忠雄センセみたいな場合)がなければ大学ポストには就くことはできません。もちろん霞が関から官僚ゴリ押しされたりすることはあるかもしれませんが、それは業績なんも関係ないし……

この議論ならストレート論文博士東浩紀はそれだけで尊敬されても良さそうだけど学者からも石投げられてるし結局空気なのかな

東浩紀センセは、デリダ研究博士号を獲った俊英だから叩かれてるんじゃなくて、彼の政治的意見を気に食わない人が多いから叩かれてるんでしょ。博士号獲った人は尊敬に値するけど、それはそれ、これはこれですよ。海外博士号獲ってる人の意見同意できないとか、日常茶飯事だし。

ロシアカンジダートって名称カンジダとか漢字だとか、いろいろ混乱しそうな(しない)。

英語のcandidateにあたる単語です。

anond:20231119130236

それだけ実績のある人なら、博士論文書けばすぐ博士なれるんじゃないの?

2023-11-19

かつて人文系博士号は功成り名を遂げた大学者がもらう勲章のようなものだった

最近中東イスラム研究者池内恵氏が博士号を持っていないことが、X上で話題になっていた。やたらに博士号を持っている側を持ち上げたり、あるいは逆に博士号重要ではない、実績を見よ、と反論していたりするのが目に付く。

だが、博士号に関しては議論の前提が違う。かつて、そもそも日本の人文系博士号レジェンド級に希少であり、真っ当な研究者でも取得できないのが普通だったのだから90年代以前の人文系研究者の大部分は、博士課程で博士号を取得することはできないと認識していただろう。

その様相が変わって学位取得が適正化されたのは、池内氏が学部生、院生として過ごした90年代から2000年代にかけてのことだ。池内氏はその変化の恩恵?を授かれなかった狭間最後世代なのだと思う。

その点に触れている投稿がなかったので、メモしておこうと思う。

文系博士号の取得について認識齟齬が生じる原因は大きく二つだ。

現在では人文系博士号運用理系運用に近づいた。だが世代や文理の違いによって事実が見えなくなっている人が多いのだと思う。

90年代前半くらいの状況

90年代中盤当時、大学院について調べていると謎の単語単位取得退学」に出会った。博士課程に進学し修了したとして、しかし残念ながら学位もらえず、ということはある。ここまでは当然だろう。不思議だったのは、単位取得退学という言葉がまるで学位のような扱いだったことだ。プロフィール欄に堂々と書くようなものか?と思った。

調べるとどうやら人文系博士号を取得するのは非常にマレだということだった。それゆえに単位取得退学学位のように通用していたということである

ざっくりと状況を把握するには、下の 3.4.2日本博士号取得者 (1)日本の分野別博士号取得者 あたりを見てほしい。

[科学技術指標2021・html版 | 科学技術学術政策研究所 ](https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_34.html)

実態としての運用はどうだったか。その雰囲気はこの辺のWikipedia記事に詳しい。

[単位取得満期退学](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E4%BD%8D%E5%8F%96%E5%BE%97%E6%BA%80%E6%9C%9F%E9%80%80%E5%AD%A6#%E4%BA%BA%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%B3%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%89%B2)

1989年以前の東京大学大学院人文科学研究科では、大学院生にとって課程博士論文は書かないことが原則で書くことは例外であったという」

少なくとも90年代以前では、人文系研究者キャリアの初期に博士号は困難であったというより、ほぼ不可能だったみて構わない。かつて人文系博士号キャリア晩年差し掛かってそれまでの功績を評価してもらうもの。今のように博士課程を修了した時点でキャリアの出発点となるような資格のようなものではなかったのだ。

時代の転換

この状況は1990年代に入ると徐々に変化する。

[23博士学位授与数の推移と授与率:文部科学省](https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/attach/1407428.htm)によると、博士授与率は、

平成3年度(1991年度)に人文系4.7%、工学系78.1%だったものが、平成13年度(2001)年度では、人文系23%、工学系では88.6%と変化する。まだ差はあるものの確実に変化している。

いずれにせよ、2000年前後は、「博士課程を修了して真っ当な評価を得れば博士号を取得できる」という普通の状況に至るまでの長い変化の途中の時期だった。

現在

博士号を取得する人の数は増え続けている。ただご存知の通り、その活躍先が十分あるとは言えない状況だ。

このことで企業側の受け入れ姿勢批判する向きもあると思うが、それは間違っていると思う。かつての日本博士号(人文系)の授与が異常だったのであり、企業はそれに適応しただけだろう。変な運用を続けていた大学責任がある。企業の変化にはまだ時間がかかるだろう。

以上が、博士号取得に関しての時代状況の説明だ。

博士号価値

現在特に文系に関して博士号は多く取得されるようになったが、だからと言って価値が軽くなったという話ではない。

ただ時代が違ってしまうと、まるで別のものになっていることは押さえておきたい。別の分野の研究ともなると尚更比較するのは困難だ。

(課程博士論文博士など取得プロセスの違いもある)

私自身は結局アカデミアとは無縁のキャリアになったので、個別研究室の中のことを知る由もないが、おそらく池内氏が博士課程に在籍していた2000年前後博士号の扱いの転換期だったはずだ。その当時は学位を取得することは不可能ではなかったが当然でもなかった時代だと言える。

まして、仄聞するに、池内氏は学会因習悪弊に対して相当の武闘派であったようだから、そう簡単学位を取得できる状況だったとは思えない(これは憶測だが)。

池内氏の中東イスラムの分野の研究における業績は既に輝かしいし、一般向けの著書や寄稿も数多い。加えて組織設立運営、後進の育成など、並みの胆力ではこれだけのことはできない。

現在、この世界情勢のもとで池内氏の解説発言は、信頼のおける言説としてますます重要になっていると思う。

当人にとっては博士号の話など大きなお世話で、拘泥もしていないと思う。

ただ、一般の人が博士の扱いの変遷について知らず、この話題によって氏への信頼に一点でも曇りを生じそうな人がいるなら、それは違うとは伝えておきたい。

2023-10-09

友人にずっと見下されていたかもしれない

私には中高から仲の良い友人がいて、その内のAは私よりも頭が良く、私は高校時代はAから勉強を教わることもあった。Aとは高校卒業後もずっと交流が続いていた。

大学受験の際、私は現役で志望校に進学、Aは旧帝を目指していたもの二浪後別の大学に進学した。

その後、私は修士課程修了後就職し、Aは修士課程を修了後、博士課程からは旧帝に編入した。

Aは博士課程を4年で修了することになって今博士課程の4年生、私は社会人6年目となった。

○私とAの現状

私:学部4年間→修士2年間→社会人6年目

A:浪人2年→ 学部4年間→修士2年間→博士4年目

そして私は今年度から社会人博士として留学することになった。

そして先日、一時帰国の際に中高の友人達と会った。

その際Aは都合がつかないと言われたが、博士論文等で忙しいのだろうと思っていた。

しかし、共通の友人から、「Aが私(=増田)の社会人博士は苦労しているAへの当てつけでAをバカにしているという主旨の発言をしており、かなり私に攻撃的になっているからAへの近況の連絡やAに見れるSNS投稿は控えた方が良い」との話を聞いた。

衝撃だった。Aが博士課程修了後の進路で苦労しているのは知っていたが、まさか自分がそこまで言われているとは思わなかった。

ただ高校3年の時に私の志望校(旧帝ではない国立)を知っているはずのAが「旧帝じゃなければ意味がない」と言ったり、修士修了後就職した私の前で「今時は博士をとって本物の研究者」と言ったりしていたことを思い出した。当時はAは優秀ですごいと思っていたが、もしかしたらAからしたら自分より頭が悪いと思っていた私を心の中でずっと見下していたのかもしれないと気づいてしまった。

2023-09-04

自殺なんて失敗したら寝たきりになることもあるレベル重要ことなのに、なんでちゃんと調べなかったんだ?

2chで調べればればいくらでも情報が出てきたのに

料理する時初めて作るおかずでもレシピ見ないタイプ

LANケーブルは弱いからやめろとかそれこそカーテンレールについても書いてあったが

あーそれまで2chに触れなくていい人生だったのか

33歳まで首を吊らずに済むようなスペックだしさもありなん

そういう人は生きたほうがいいな

そもそもたった1回失敗したくらいで運命感じてやめるくらいだもんな

でも博士論文は諦めない

根本的に優秀な人だかんな

よく考えずに挑戦して1度失敗したら他の方法を試すわけでもなくカテゴリごと諦めて別の事するフットワークの軽さ

自分生活を立て直すことに必死になれる人

不幸が永遠には続かない人

不幸でも息はできるぞwww

not for meってやつか

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