はてなキーワード: 咄嗟とは
所謂クルド人が多く暮らしておりコミュニティがある、と言われている地域の近くで暮らしている。
ある日の夕方、友人宅に遊びに行った筈の息子が泣きながら家に駆け込んできた。しばらくは泣いてばかりで話にならなかった。
家を出る時には持って出た筈のカバンも無く、持たせていた子ども用のスマホも無かった。
服もどこかで転んだのか汚れている。
何が起きたのかと思い、息子が落ち着くのを待って話を聞いたら、友人宅の帰り、家からそこまで遠くない公園の前を通りがかった際、
いきなり二人組の男に前を塞がれ、訳の分からない言語でまくし立てられたという。
当然息子は彼らが何を言っているのか分からないので、咄嗟にごめんなさい、ごめんなさいと頭を下げて通り過ぎようとしたら
息子は男の一人に体を捕まれ、殴られたという。そしてカバンを没収され中に入れていた財布やスマホを取られた上で二人に公園のトイレに連れ込まれ、
半開きになった個室の中で、息子は一人の男にズボンを脱がそうとしつつ「変な所」を触られたという。
息子は最後まで恥ずかしそうに泣きながら「変な所」としか言わなかったが、恐らく性器の事だろう。息子はまだ小学生なのだから。
男の一人は息子のズボンを下げながら「変な所」を無遠慮にベタベタ触り、もう一人の男は笑いながらその様子をスマホで撮影していたらしい。
その時たまたま、恐らく利用客の人が入ってきたのか、うわっ!と、驚いた様な大きな声を上げたそうだ。
すると二人の男が息子を抑えているのが少しだけ緩んだので、全力で泣き叫びながら男たちを振り切る様に必死で逃げ出したという。
カバン失くしちゃってごめんなさいと謝る息子に、私はただ大丈夫だよ、頑張ったね、助かって良かったね、そんなの(カバン)どうでも良いよ、と言うしか無かった。
連絡を受け急いで仕事を切り上げて帰ってきた夫にも事情を話し、警察に通報した上で、次の日は学校を休ませて急遽両親を呼んで様子を見て貰い
夫と二人で警察に行った。しかし、結果から言うと被害届はその日は提出出来ず、現在も被害届すら受け付けて貰っていない。
警察は「息子の証言だけでは証拠が少なく、アテにならない」「現場とされる公園にも一応聞き込みには行ったが、特に怪しい人物はいなかった様だ」
「息子さんが混乱したり、何かを隠そうとしている可能性がある(つまり、嘘を吐いているということ)」「不審者情報もそれらしいものは無いのでこちらも調べようが無い」
といった態度だった。警察に行った時、最初は真剣かつ親身になって聞いてくれる態度だったのだが
犯人は「日本人では無く外国人、(息子から聞いた特徴から)恐らくクルド人だろう」と言った途端、対応が変わった様な、困った事になった、という印象を受けた。
息子は犯人の二人の男について「日本の人には見えなかった。肌は少し黒く、でも黒人の人では全然無い。ヒゲは二人とも生えていた」との事なので
前々から聞いていたクルド人関連のトラブルの話を合わせても、クルド人の可能性が高いと考えている。
こちらが素人だから警察も門前払いするのでは無いか、という夫の意見で弁護士にも何人も相談に行ったが、結果は変わらなかった。
言ってしまえば性犯罪としては未遂で、財布や携帯を取られたと言っても、(自分で)落としたかも知れない、と言われれば立件は難しいのでは、と言われた。
相談のアポを取って加害者は外国人、恐らくクルド人らしいのですが…と言った途端
「あ、利益相反になってしまいますのでお受けできかねます。申し訳ございません」と冷たく断られた事もあった。
一体何が、利益相反か。被害者を守る事がクルド人の利益に反するのか。本気で憤った。
ある弁護士は「絶対に自分から聞いたと口外しないように」と前置きされた上で(なので、弁護士が誰かなどは特定させる情報は一切出さない様にしている)
在日外国人、特に最近だとクルド人のバックには、支援団体というか活動家みたいな人間や、彼らと縁深いシンパの弁護士がおり
彼ら(クルド人及び彼らのグループ)に取って不利な事をしようとすると、出っ張ってきてあらゆる方面から騒いで抗議するという。
抗議されるだけならまだ良い。実際は抗議だけでなく、告発した人や周囲の家族、親類、関係者、そして下手したら対応した警察関係者に至るまで
犯人不明の嫌がらせ(おかしな中傷の噂が出回る、職場に匿名の通報、ネットに怪文書が書かれるなどして名誉毀損される、といったものから、もっと実力行使される事まで)が
発生するので、警察の方も、そして本来は被害者保護に動ける筈の一般弁護士も、対応には困るのだという。
もし万が一、被害届を出せたとしても、恐らく警察はまともに捜査しない、というか出来ない。
何故なら抗議する「支援者」が怖いから、及び腰になっているしさせられている。
おざなりの捜査をされて、犯人不詳のまま終わる可能性が高いのでは?とまで言われた。
当然、その事を話してくれた弁護士も、依頼を引き受けてはくれなかった。
話しぶりや態度を見る限り、仮に我々の為に動き、クルド人及び彼らの背後にいる人々の利益に反する事をしたら、圧力をかけられ仕事が無くなりかねない、という危機感を覚えている様に見えた。
店内の商品を万引きされた、見咎めて注意したら逆に脅されたり殴られそうになった、少年が同年代のクルド人グループに囲まれて金銭やゲーム機を脅し取られた、
女性や少女がクルド人らしき男に後をつけられた、いきなり抱きつかれたり体を触られた、因縁をつけられ集団で取り囲まれ、金を取られたり土下座を強要された、
集団で練り歩き、少しでも目があったら異国の言葉で怒鳴られたり威嚇された、ゴミ出しのルールなど当然守らずゴミ害が起きた、交通事故の相手がクルド人で
相手が悪いにも関わらず親族や仲間を自称する者たちに押しかけられ、非常に不利な条件で泣き寝入りさせられた、などなど。
そんなトラブルの噂が耳に入り、夫と引っ越しを真剣に検討していた所だった。
持ち家だからと引っ越しには躊躇していたが、事件を機に住み慣れた地を離れる事にした。
当然ローンの家計で100万単位で損失があったが、背に腹は変えられなかった。
事件が起きる前にもっと早く引っ越しておけばと、本当に後悔した。
息子は快活な性格だったら、あれ以来、学校以外は誰かと一緒でないと外出出来なくなってしまった。
そして私達と一緒に出かける時は、基本的に頑なに離れようとせず、ずっとそばにいる。
少しでも距離が空いてしまうと、不安そうになって大声で私達を呼び止める様になった。
出先でトイレに行く際は絶対に夫と一緒じゃないと無理で、私と二人の時は「絶対外で見守っていてね、離れないでね!」
と何度も何度も念押しされた。私も二度と同じ様な被害を繰り返したく無いから、監視に必死だった。
最後の一線までは超えない被害だったが、まだ小学生だった息子には、トラウマとなっている様だ。
カウンセリングにも通わせているが、今の所、あまり改善は見られない。
こんなにも被害者となった息子が苦しんでおり、家族である私達も同様に悩み、苦しみ、後悔しているというのに
加害者がクルド人で、被害者が日本人、しかも少年(男)というだけで、「被害者」としてすら扱われない。
マスコミ等にいっそ拡散してやろうかとも思ったが、逆にこちらが差別者のレッテルを貼られて社会的に殺される、と夫に止められた。
実際、財布やスマホも盗られているので、犯人には住所がバレている。いつ「報復」があるのか分からない。
それが例え身勝手極まりない理由でも、「報復」されて命の保証などどこにも無いと。
確かに私もそう思ったし、それに何より被害者である息子本人のプライバシーもある。
変に情報が拡散されて一生の傷にでもなったら、それこそ息子の人生は、今度こそメチャクチャになってしまうとも思った。
人生設計が狂ってでも、子の安全とケアが第一優先だから、住み慣れた家を売って土地を離れ、泣き寝入りするしか無かった。
だけど犯人は一生許さないし、外国人の権利を保護しながら一方で日本人の権利は侵略する綺麗事をほざく連中は、より一層信用出来なくなった。
彼らクルド人を支援している人達からすれば、私達が受けた被害は絶対に嘘だと主張するだろうし、差別者だと叫ぶだろう。
しかし私には、もう二度とクルド人全体を信用出来ないし、日本に住み着く恐怖集団という印象は拭えない。
現在は新たな引っ越し先で暮らしているが、もし仮にこの土地でもクルド人が増えてきたら、引っ越して逃げる他無いだろう。
これを外国人差別主義者というのであれば、私は差別主義者でも構わない。
ただ、それだけだったのに。
弟が夢にうなされ、何かうわごとを言っていた。よく聞いてみると、左手に持った板を踏めと言っているようだ。むろんそんなものを持っているわけはないが、ぼくは板を踏む動作をしてみる。すると今度は右手の板を踏めと言う。再び踏む動作をしてやると、続いて右足の板、左足の板と、要求は際限なく続く。すっかりばかばかしくなり、それ以上つきあうのはやめてしまった。弟はまだ何か言っていたようだ。気になって眠れないので、別の部屋に移り、本でも読んで時間をつぶすことにした。隣室は窓から木漏れ陽の射す穏やかな部屋だった。
本の内容はある少年と犬の話だった。あるとき少年と犬が出会う。そして二人が歩いていると、言葉を喋る我儘な鳥が道を渡ろうとしているのに出会った。このとき咄嗟に鳥を助けようとして飛び出した少年と犬は、運悪く車に轢かれて死んでしまった。(主人公がいきなり死んでしまうとはおかしな物語だ……) やがて警察官が数人やって来て、すぐさま家の中の捜査が始まった。これが事故か事件か、彼らの見解は分かれているようだった。
捜索の始まった家とは道路を挟んで反対側に建つ家の二階に、固く窓を閉ざした薄暗い部屋があった。長いこと空き家になっていたのだろうか、がらんとした虚ろな室内の床にはうっすらと埃が積もっている。ところがこの部屋で今、締め切ったカーテンの隙間から向かいの家をじっと観察する老婆の姿があった。そう、彼女は今まさに捜査の行なわれている向かいの家の住人だったのだ。警察官たちが踏み込む直前に辛うじて逃げ出したのだが、何か忘れ物をしたのか、それとも気掛かりを残してきてしまったのだろうか、注意深く様子を窺っている。とそのとき、警察官の一人が老婆の視線に気付いたようだ。これほど用心深くしていたというのに、そして向こうからはほとんど見えないはずだというのに、何と鋭い男なのだろう。彼は道路を渡ってこちらへ歩いてくる。老婆は咄嗟に裏口から逃げ出した。
老婆はできるだけ人混みに紛れるように歩いた。気付かれたとはいえ、姿を見られたわけではない。とすればこうして人の波に埋もれている限り見つかるはずがない。枯れ葉を隠すなら山というわけだ。案の定、さすがの警察官もあまりの人の多さに右往左往している。老婆は悠々と駅のホームまで辿り着くと、逃げ切ったことを確信したのか、大きく深呼吸をしてベンチに腰掛けた。ところが辺りを行き交う見知らぬ人々が次々と不思議そうに老婆をみつめていく。不審に思ってよく見ると、老婆の右膝から下の部分がすっかり欠けているのだ。どうやら彼女の忘れ物はこの欠けた足だったらしい。いつの間にか先ほどの警察官が目の前に立っていた。彼は老婆に優しく声をかける。もう逃げ切れない。老婆はすっかり諦めた様子で素直に警察官に従い、存在しない足でゆっくりと立ち上がった。
今週。というか水曜のことなんだけど、帰宅したパートナーが突然「仕事、辞めてきた」と言ってきた。
その言葉を聞いた瞬間、頭の中は「は?え?」だった。
ちょっと待って。どういうこと?いつ?何があったの?どうして私に相談しないで勝手に?
質問が矢継ぎ早に湧き上がってきたけど驚き過ぎて咄嗟には何も言えなかった。
パートナーは特に焦る様子もなく、「辞めるのは前から考えてた」とさらっと言う。
いや聞いてないし。何で話してくれなかったの?
「これからどうするの?」と詰め寄る私に対し、パートナーは冷静だった。
次の就職先が決まるまではフリーランスでやっていくつもりだと、スラスラと説明を始めた。
フリーランスとしてやることはもう決まってるし、準備もできてる。並行して転職活動もするから大丈夫なのだと。
いやいや、大丈夫って何だよ。こっちは寝耳に水で、心の準備どころか、理解すら追いついてないのに。
とにかくパートナーが冷静なことにモヤモヤする。相談ぐらいしてくれてもよかったんじゃない?なんで私には何も言わなかったの?
その疑問をそのままぶつけてみた。
……AI?
頭が真っ白になった。今、なんて?AI?人工知能のあのAI?仕事辞める大事なことを、AIに相談してたってこと?
「AIに何度も相談して、最善の方法を教えてもらったから、大丈夫だよ。」
大丈夫って言われても、その安心感を私は共有できない。AIが私の代わりに相談役をしてたなんて、一体どういうこと?
私には一言も言わず、AIには何度も相談してたと思うと、なんだか複雑な気持ちが込み上げてくる。
「AIに相談するって、どういうこと?」と尋ねる私に、パートナーはスマホを取り出して説明を始めた。
どうやらAIチャットのサービスを使ったらしい。「辞めるべきかどうか」「フリーランスでやっていけるか」「転職活動をどう進めるべきか」など、具体的な質問をAIに投げかけて、その回答を元に行動計画を立てたのだとか。
「AIは感情的にならないし、理論的に考えてくれるからいいんだよ」
確かに、AIの方が冷静で合理的なアドバイスをくれるのかもしれない。でも、なんでその過程に私を入れてくれなかったんだろう?
パートナーの言葉を聞きながら、置いてけぼり感が強まっていくのを感じた。
それを一緒に考えるのが、普通じゃないの?
私は感情的になりすぎるから、相談相手には不向きだったってこと?
パートナーは少し考えたあとでこう言った。
「相談して怒られたり心配されたりするのが嫌だったんだ。自分の決断が揺らぐのが怖かったから、感情がないAIに聞く方が楽だった」
私は激怒しそうになる。
確かに私は、もし仕事を辞めたいと言われていたら、びっくりして「えっ、本当に大丈夫なの?」とか「辞めたらどうするの?」とか、感情的に言ってしまったかもしれない。もしかしたら、それを恐れてパートナーは私ではなくAIに相談したのかもしれない。
でも、それが分かってもやっぱりモヤモヤは消えない。
感情的になるのも含めて、パートナーとして一緒に悩んで一緒に考えるのが大事なんじゃないの?
AIは確かに便利かもしれないけど、機械に任せっぱなしにされるのはやっぱり寂しい。
私は「そうなんだ…」とだけ答えたけど正直今でもモヤモヤしている。
パートナーは何ら気にしていないようだけど、私はずっとモヤモヤしているんだよ。
気付いてほしい。というか、気付いてるんでしょ?
うちの町は山奥の限界に集落。人口も少なくて、地元の人たちはほぼ外に出て行ってしまう。
残るのはおじいさんおばあさん、たまに仕事の都合で帰ってくる中年のおじさんくらい。
税収なんて知れてるし、毎年予算がカツカツらしい。
ふるさと納税がお金を集めるには必要不可欠だけど、観光客が来るわけでもないし、売れるような名産品も特にない。
「うちはもう終わりなんじゃないか」なんて話を、幼子だった私の耳に何度も貼り付けてきた。
そんなときに町長が思いついたのが、ふるさと納税の返礼品としての「温泉券」だった。
つまり、町の娘たちが返礼品として、納税者たちと一緒に風呂に入るというもの。俗に言う“人柱”ってやつだ。
これが決まったとき、私たちの間でもざわざわとした噂が広がった。だって、誰もが自分が人柱になるんじゃないか?ってそう思えたから。
特に、私のように20歳を迎える子たちはもう気が気じゃない。だって、この町の掟では、20歳になった娘が人柱の役を担わなきゃならないからだ。
役場に呼ばれる日が来て、私は恐る恐る町長と話すことになった。
町長は優しく微笑んで、まるで祖父のように話しかけてくれる。けれども、その目の奥にはどうしようもない町の現状への焦りと、「生き延びるためには仕方がないんだ」という決意が透けて見える。
「うちは温泉のようなものを出す必要がある。いや、温泉を出さなきゃならないんだ」
町長はそう言うが、もちろん私にはその本当の意味がわかっている。温泉というのはただの隠れ蓑で、実際には「お風呂の時間」という名の人柱が必要だということを、はっきりと知らされる。
その日の夜、私は自分の家の小さな鏡の前で自分の顔と身体をじっと見つめた。この身体が「温泉券」として、他人に提供される。
それが町の存続のためだとわかっているけれども、やはり自分が「人柱」にならなければならないという現実に、心が震える。
自分が犠牲にならなければ、この町はもう終わりだろう。他人事ならいいかもしれないが、でもここにはお父さんもお母さんも、弟も居るのだ。
翌日、私は人柱として選ばれた他の子たちと集められ、町長の指示を受ける。
その顔は硬く、決して「喜んで」というようなものではなかったけれども、「町のためにやらなきゃならない」という一種の覚悟が感じられた。そして町長は言った。
けど私たちは知っている。本当は違う。
身体が震えはじめる。
今話題の嫌知らずってやつ自分も確実に現在進行形でその部類の人間なんだが、
40になってこの性格だと人と長い付き合いができなくて損をすることが多いといい加減学んだので
なんとか軌道修正しようとしているんだがなかなかうまくいかない。
注意や指摘、怒られが発生すると咄嗟に脳が防御の姿勢をとってしまうという所までは自分で掴んでいる。
この時に沸いている感情は最初は怒りだと思ってたけどどうも違う。
なんとか頑張って自分の感情を掴んでみると認めたくないが恥ずかしいという感情が近いと思う。
昔から注意されると恥ずかしい、恥をかいた、恥をかかされた、的な思考に一気に支配されてしまって
相手の指摘や注意や怒りを効いてないアピールで躱してしまったり、わかってますわかってますハイハイみたいな態度で誤魔化してしまう。
その後は数時間くらいは相手の方が間違ってるとか、相手にも悪い所はあるのに自分だけ言われたとか、これには事情があったんだとか、
とにかく自己弁護で脳を癒していた。傷つけられたのは自分の方という気持ちがあったと思う。
あと自分は子供の頃からうっすら他人を下に見て舐めてるところがあるので、ほぼそれが原因な気もする。
ここ数年、この歳にもなって会社での人間関係も無し友人無し当然独身、家族としか会話しない人生なのはなんでだ?
せめて8年勤めた前の会社や転職後の今の会社で何年も同じ人間と仕事してるのに
仲良くなるどころか上記のような地味なぶつかりでだんだん浮いてる存在にすらなりつつあるのはなんでだ?
と考える事が多くなり、色々理屈を並べてみたが、
結局能力が低くてダメ人間なのにそれが認められず自分以外の人間を舐めててプライドが高い自分が悪いという結論になった。
その結論が出た所でどうしたらいいのかはわからん。修正が効くものなのかもわからん。
言い訳するわけじゃないが、この性格を軌道修正しようと思う前でも
嫌知らずをした後は自分の中にもちゃんと「やっちまった」という認識はあった。
だったらその後にでも「さっきはごめん」とか「すみませんでした」とか言えばいいと今はわかる。
でも一度これで誤魔化した相手にはもうリカバリ不能という気持ちがあって後からフォローとか無理だと思い込んでいた。
今までそれで気まずくなって疎遠になった人間関係がいくつもある。
そもそも後からゴメンなんてやったことないので本当に後からでもフォローする事が可能なのかどうかもわからんが。
なぜ恥をかかされたと感じたらカッとなってしまうのかについてずっと考えていた所に流れてきた嫌知らずの話題の中で
「嫌知らずは臆病さによるもの」ってポスト見て当事者としてはちょっと腑に落ちた感はある。
この歳になっても名前呼ばれるタイミングによっては怒られるか?と思って声が上ずる時があるし。
じゃあどうすればこれを乗り越えられるのかはやっぱりわらないけど、
結局のところまずは恥をかかされたと思わないようにする、そして今まで逃げてきた「流さず誤魔化さずちゃんと過ちを認める」を
S君が入社したのは1年くらい前。最初はほとんど日本語が話せなくて、基本的には英語オンリー。
でも、挨拶とかそういった基本的なものは頑張って覚えてきてくれてて、「おはよございます!」とか、やたら元気よく言うんだよね。
ちょっとアクセントが独特で面白いんだけど、まあ言いたいことは分かるし、そんな風に少しでも日本語で話そうっていう姿勢に、周りも「S君、頑張ってるなー」って応援モードだった。
しかし、そんなS君の日本語の中で唯一謎だったのが、「ありがとう」を「クロコダイル」って言うこと。
最初にそれを聞いたのは、私がコーヒーをいれてあげた時だった。
「どうぞ」ってカップを渡したら、S君が真剣な顔で「クロコダイル!」って言うんだよね。
え?クロコダイル?…と思って聞き返したんだけど、彼はにこにこして、特に訂正する様子もなく去って行った。
で、その後も、彼は何かしてもらうたびに「クロコダイル!」って言うの。
普通に考えて、なんでクロコダイル?って感じでしょ。私だけじゃなくて、社内でもちょっとした話題になってて、みんな「S君ってワニ好きなのかな?」とか、「クロコダイルのカバンでも持ってるのかな?」とか、そんな推測が飛び交ってた。
そんな状態も1カ月もすると収まって、S君とランチを食べに行ったときに、とうとう聞いてみた。
「ねえ、S君、そういえば『クロコダイル』ってどういう意味で言ってるの?」
そしたらS君、ハッとした顔して、それから顔をちょっと赤らめて笑いながら話してくれた。
S君が日本語を勉強してた時、どうも「ありがとう」の発音を「アリゲーター」に近い感じで覚えたらしくて、頭の中で「お礼の言葉=ワニ」っていう結びつきができちゃったらしい。
で、日本に来て、初めて会社の人にお礼を言おうとした時に、緊張してて、どうしても「ありがとう」が思い出せなかったんだって。
6月初旬
喧嘩が増えてた。
私も、仕事が繁忙期なのもありイライラしていて、夫の些細なことが気になる。
ある晩に、夫から「気に入らないなら離婚」と言われる。売り言葉に買い言葉じゃないけど、私もカッとなってたので、「わかった近々離婚届持って帰るわ」と返す。
後悔してるんだけど、この時わたしは「もう夫のこと好きじゃないし、今後また好きになることもない」と言ってしまった。
でも、この時はただの口喧嘩で、お互い本気じゃないと思っていた。
そう思っていたのは私だけだった。
あれから何度か「離婚の話し合いしよう」「離婚届はまだ?」と言われていたが、繁忙期で疲れており、「仕事が落ち着くまで待って」と返していたら、次第に言われなくなった。
繁忙期が終わった。
頃合いを見計らってか、夫から「離婚の話し合いしよう」と言われる。この頃の私は離婚のことをすっかり忘れてたし、思い出しても「ただの口喧嘩だったじゃん」としか思えず、イラついた。
これも今となっては後悔してるんだけど、夫から「だってもう俺のこと好きじゃないんでしょ?」と言われて、否定できなかった。この頃はもう夫のやること成すこと全てにイライラしてて、実際、セックスは私側がレスってた。レスなので子供もいない。だから、離婚していっか、とこの時は本気で思ってた。
とりあえず年内に離婚しよう。今後のタスクは、まずお互いに両親に報告すること。次に家と車の処分を決めること。子供がいないので決めることはこれくらいでしょ。って。
夫から、「苗字は戻してね。ウチの実家厳しいから、それだけお願い」って言われた。意味がわからなかったけど、なんとなくモヤっとした。
母親に電話で報告した。「もうちょっと頑張ってみないか」と言われた。
それを夫に伝えたけど、夫は興味なさそうだった。
義両親は、すんなり認めてくれたらしい。
離婚の署名はお互いの親に頼もう、俺は新幹線で行くから、増田は車使っていいよ、と言われた。
本当に終わるんだ。と思ったら、どんどん怖くなってきた。
7月初旬
離婚が決まってから夫はすごく明るくなった。元気になった。というか、なんかいつも浮かれているように見えた。
このときようやく「本当は好き、本当は離婚したくない」と言った。
「そうは言っても、もう決まったことでしょ?いざ離婚届を目の当たりにしたから動揺してるだけ。時間かかってもいいから心の整理つけてね。なるべく早い方が助かるけど。」
夫はずっと私にベタ惚れだと思ってた。
周りの人からは、私の隣にいる時の夫は幸せそうってよく言われた。
SNSでよく見る「理想の恋人」象に夫はぴったり当てはまってた。
頼まなくても、私の写真をいっぱい撮る。スナップショットもいっぱい。
週末はかならずデートに誘ってくれていたし、記念日や誕生日はもちろん、なんでもない日でもプレゼントをくれた。
私とデートに行った日のことを毎回日記につけていて、時折本棚から出してきては思い出話をした。
旅行に行くと、かならず風景と一緒に私の写真をたくさん撮ってくれて、それを製本アルバムにするのが常だった。
年に1回くらい、セックスを受け入れてあげると、とても喜んだ。
こんな風に、夫はわたしにベタ惚れだった。ベタ惚れだと思ってた。
そういうところが鬱陶しくもあって、冷たく接したときもあったけど、
こんな夫に、私が泣いてしおらしく「離婚したくない」と告げれば、絶対にすぐに考えを改めてくれると思っていた。
現実は違った。
「心の整理になるなら、夫婦カウンセリングとかにも付き合うから」
今までは仕事や飲み会が終わったらラインしてくれていたけど、何も来なくなった。ただいまも言わなくなった。無断で外泊することもあった。
この頃から、夫はもしかして浮気しているんじゃないかと思うようになった。
夫の気を引きたくて、ある朝トイレのドアノブにコード類をぶらさげてみた。
夫は、「なにこれ?」と聞いてきた。
「辛くて、死のうとしたけど、ほどけちゃったの」
と返すと、「ふふっ」と笑われた。
夫が毎晩のように「離婚届書く気になった?」と言ってくるのが苦痛で、私の方から、「1ヶ月、もう一度夫婦として暮らさせて欲しい。それでも気持ちが変わらないなら、離婚を受け入れる」と告げてみた。
夫は、かなり熱し易く冷め易い。もし浮気相手がいるのだとしても、時間が経てばその気持ちも落ち着いて、私の元に帰ってくると思っていた。
夫は、「わかった、1ヶ月だけ、離婚の話はしない。でも俺の気持ちが戻ることはない。1ヶ月後は問答無用で別居する。あと、俺たちだけでは話が進まないから、いずれにせよこの期間中に夫婦カウンセリングに行く」と言った。
今まで、セックスしたい、デートしたいと懇願してくるのは夫の側だったのに、立場が完全に逆転してる。なんだか薄寒い気分だった。
よく覚えていない。聞かれたことに答えただけ。会話してて、私自身自分が支離滅裂だと思うくらいだったから、カウンセラーのキョトン顔も納得だった。
セックスはイヤ。一緒の寝室もイヤ。スキンシップもイヤ。夫のイヤなところはスラスラ出てくる。好きなところは出てこない。でも離婚したくない。
唯一覚えているのは、
「離婚は夫婦の合意がないとできないから、離婚したくないならそのまま居ればいいけど、旦那さんの意思はかたい様だから、そんな人と一緒に居続けるのは、大変かもしれない。」
義両親の家に、夫に黙って伺った。
夫さんと、別れたくないということを伝えに行った。
義母はずっと困った顔をするばかりで、玄関より中に入らせてはくれなかった。
8月初旬
デートに誘った。断られるかと思ったけど、承諾してくれた。夫はもはや、わたしの写真を撮ろうともしなかった。
旅行にも行った。夫は、ずっとスマホに夢中で、こちらを見向きもしなかった。
こんな自分が夫に愛されているわけないのかも、とようやく気づき始めた。
夫が趣味でやっている釣りの社会人サークルに、私も行ってみたいと伝えてみた。
そのサークルのことはホームページで調べていて、次にいつ集まりがあるのかも知っていた。
夫は、「今はメンバー募集をしてないから、連れて行っていいのかわからない。担当者に聞いておく」と言った。
夫は、「サークルには来ないで欲しい」と言った。定員の問題ではなく、夫が来てほしくないんだな、と思う言い方だった。
夫から、「1ヶ月経ったけど、離婚の意思は変わらないので、別居するね」と言われた。
別居とは言っても、ウィークリーマンションとかそういうのだと思っていた。
実家にすんなり転がり込んでいるということは、義両親は、もうわたしの味方じゃないんだなと、実感した。
毎週週末になると、夫は私が住む家に来て、離婚をせっつく様になった。
逆に、なんでそんなに離婚したいのか?と聞いた。
そう言うと、
「もうあなたとしたいと俺は思わない」と言われた。
夫は、「幸せにしたい人がいる。僕の人生を僕に返してください」と言った。
呼吸が止まるかと思った。
お金だけを失った。
9月初旬
とある週末、夫との話し合いの最中に、なんだかものすごく苦しくなって、気づいたら廊下の床に倒れていた。
夫によると、ヒステリーを起こした末、階段の手すりで首を吊って、意識を失っていたらしい。咄嗟に夫が縄を切ってくれたから、床に落下したらしい。実際失神していたのは数分もないらしいけど、夫が話し合いのためにダイニングテーブルに着いた以降の記憶がない。
おしっこを漏らしていたので、シャワーを浴びて、その日の話し合いはそれでおわった。
わたしの精神がおかしいため、夫は別居を一旦辞めて帰ってくることになった。
ついでに、遠方のわたしの両親も、来ることになった、
夫は「たとえ殴られても離婚は諦めないよ」と言っていた。
夫と私の両親の話し合いは、私なしで行われた。
何を話したのかは聞かなかった。
私が発狂するのを恐れた夫は、離婚について口に出さなくなった。
ある日、私の母が義両親の家に行っている隙に、夫が自室でスピッツのチェリーをウクレレで弾き語りしていた。
なんどもやり直していて、多分録音か録画かしているんだろうと思った。
私のことをこんな風に追い詰めておいて、自分は他の女にラブソングを歌ってる余裕があるのか。夫のスピッツのチェリーを贈られる女は、もはや私ではないのか。
そう思うとカッとなって、気づいたらわたしは包丁を出して、夫の自室に向かっていた。
逮捕されていた。
翌日、母と夫が一緒に迎えに来てくれて、帰ることができた。被害届を取り下げてくれたらしい。
夫は手を縫ったしい。本当に自分がイヤになった。
夫が入っている社会人サークルの人たちのTwitterアカウントを見つけた。みんなプロフィールにサークルの名前を入れていたから、すぐわかった。
夫のアカウントは非公開になっていたけど、@夫のアカウント名で検索したら、夫が交わしているリプライは見ることができた。
さらに、その子の仲良しのアカウントを見つけて、そのアカウントの返信欄を見てみると、その子の裏垢らしきものと会話している可能性が高いリプライを見つけた。
もちろんその子の裏垢らしきアカウントは非公開だが、夫との関係を匂わせるようなツイートでもしてるのか?と思う様な、夫の特徴を含んだリプライが、その非公開アカウントに対して付けられていた。
10月初旬
夫が飲みに行くと言う。詳しく聞くと釣りサークルのコンパらしい。
わたしはtwitterをチェックした。どうやらそのサークルのコンパであることは間違いないらしい。
メンバーがアップしている写真をGoogleマップの情報と照らし合わせてみても、夫が言っていたお店で間違いなさそう。
そのサークルのメンバーはいわゆるツイ廃だらけで、不倫相手と思しきアカウントも普段1時間に1つはツイートしているようだが、
その日はツイートがなかった。
他のサークルメンバーが「飲み会楽しかった!」的なツイートをしているのに、その子だけは何も呟いていなかった。
夫にまだ飲んでいるのか?とラインを送っても反応がない。電話をしても出ない。
日付もとっくに変わり、帰ってきた夫に不倫相手と思わしき女のアカウントを見せて、「この子?」と聞いた。夫は何も言わなかったけど、態度でバレバレだった。
私は毎日不倫相手のアカウントを眺めていた。優しくて、明るくて、純粋で真面目でサークル内でも愛される、すごくいい子に見えた。
夫に「この子と会わせて、夫から手を引けって言う」と言うと、夫は、「その子は関係ない。俺が勝手に好きなだけ。それに、お前がその子になんて言おうと、そしてその子がどうしようと、俺はお前と離婚したいしその子が好きだよ」と言われた。
悔しくて泣いた。また首を吊ろうとしてしまったけど、夫と母に力ずくで止められて、できなかった。
泣きすぎて叫びすぎて酸欠になりながら、不倫相手の子の優しいツイートが思い出された。
前向きで、いつも誰かに寄り添ったツイート。彼女に夫は救われたのだろう。
私のことも助けて欲しいと思った。夫に「その子のこと好きでいいから離婚しないで。3人で仲良くできないの」って聞いた。
夫は「あの子と二人がいい」と言った。
先週
あの子のアカウントをフォローした。わたしだとバレてほしいような、ほしくないような、自分でもよくわからない気持ちだったが、夫との関係が良好であると思われたくて、そしたら彼女から夫を諭してくれる様な気もして、夫と仲が良かった頃に行ったデートの写真をたくさんアップした。
しかし、フォローバックは返ってこなかったし、あの子のtwitterが、あれから全く更新されていないことに気づいた。毎日起きてる間は1時間に1つはツイートがあったのに。
「わたしのせいか?」夫に聞くと、「奥さんのことを思うと、自分だけ楽しくツイートはできないって言ってたよ」と言われて、怒りと、混乱と、屈辱とで、目の前が真っ赤になる様だった。
夫から、「そうやって極端なことをやって脅して周りの人間をコントロールして自分の欲求を貫こうとするのは卑怯だ」と言われた。
その通りだとも思うし、そういうわけじゃなくてもう単純にいなくなりたいだけなんだよ、とも思った。
おととい
母が2人で散歩でも行こうと誘ってきた。
でも家に夫を一人にすると、また不倫相手に気色悪いラブソングを歌い始めるかもしれない。そんなのは耐えられない。が、ずっと家にいても更新されない不倫相手のアカウントを眺めているだけ。
そこでわたしは、夫の部屋にボイスレコーダーを仕掛けてから出かけることにした。
これで、ひとまず夫が一人の間に何をしていたか、後からだけど把握できる。
知らないままよりはずっといい。少なくとも心理的には。
月曜は夫は出勤なので、それまで回しっぱなしにしておく。
ボイスレコーダーを回収した。夫の様子に変わったところはなかったから、不安が強くあったわけでもないけど、レコーダーを回収した瞬間は安心した。
パソコンに繋いで、外出した時間帯の部分だけ抜き出し、レベルメーターをチェックした。
明らかに音が入っている部分が40分ほどあった。それ以外はほぼ無音だった。
緊張した。心臓が破裂しそうだった。
「きついよ。奥の死ぬ死ぬ詐欺もきついけど、不倫相手ちゃんと会えないのが、一番きつい」
「離婚してから死ぬよ、それならいいでしょって言われて、咄嗟に何も言えなかったけど、次に言われたらそうしてくれって言って離婚届突き出すわ」
「正直もう死んでくれていい。見てないところで死んで欲しい」
「こんな話聞きたくないよね。いつも俺に付き合わせてごめんね。全部終わったら恩返しするから。本当に、こんなに愛したのも愛されたのも心許せるのも君だけだよ。」
私は聞いたこともないような、弱々しい声だった。
こんなに素直に、本気で、茶化すことなく自分の心を打ち明ける夫を見るのは、初めてだった。
夫は、心を許した人相手にはこんな風になるんだなあ。
私は、交際期間も合わせたら10年も一緒にいるのに、まるで知らなかった。
不倫相手の声ははっきりとは入ってなかったけど、夫が私に死んで欲しいって言ったのに対して、
「追い詰められてそんな風に思ってしまう気持ちはわかるし私の前ではそう言うことを言ってもいいけど、ご本人には絶対に言ったらだめよ。優しく寄り添ってあげてね。」
「優劣つけるわけじゃないけど、奥さんが一番辛いと思うんだよね」
「奥さん、どうしても回復しないなら、サークルに呼んであげなよ。わたし抜けるよ。」
「3人で仲良くしたいならわたしはするよ!」
的なこと言ってて。
あ〜〜〜〜惨め。
私が彼女の立場だったら勝ち誇った様に「そうだよそうだよ死んじゃえ死んじゃえ☆」とか言う。
途端に、諦念に見舞われた。
本当に、私ダメだったんだな。
わたしがちょっと冷たかったりそっけなかったりしたせいで、こんなことになってるだけで、
時間が経てば、セックスすれば、寝室を一緒に戻せば、もっと愛情を示せば、夫が不倫相手に飽きれば、もとに戻れると、思ってた。
あんな子に盗られたら、もう凡人にはどうしようもないでしょう。
彼女は優しすぎて、「妻の愛情を感じず冷めて新しく好きな人ができたら妻に自殺企図を繰り返されて鬱になった男」である夫を放っておけないだけなんだろうと思った。
週刊誌であったり、サレ妻がよくSNSにアップしてる不倫ラインスクショでみる様な恋愛脳は彼女からかけらも感じなかった
そして、彼女は優しいから、私たちが離婚すれば、夫と付き合ってあげるんだろう。
私には、手も足もでない。
ただ、唯一できることがある。
これができたらどうなるか?
夫は、自らの裏切りによって自殺した妻が居ながらあっさり再婚できるかな?
少なし、夫は今、恋愛脳御花畑だから、それに冷水をぶっかけることは、できる。
私に死んで欲しいなどと、舐めたこと言ってるが、
本当に死んだらどうなるかなんて想像すらついてない頭の悪い夫。
夫の愛情にフリーライドし続けて、愛想尽かされるまでそれに気づかなかった私にピッタリなバカ夫。
これが社会的弱者に配布された指紋認証のスタンガンとかなら本当に弱者に配られた弱者だけの武器かもしれないけど、キモイなんて言葉なんだから弱者の武器!強者は使っちゃいけませーんとかいくら言っても強者も普通に使うでしょ。
で、キモイって言葉は被害者の言葉だから使っていい、使われた方が悪いのだから態度を改めないといけないって風潮がネットの中だけでなく現実にも広まったら?
キモイって言ってる方が被害者なんで。キモイって言わせるお前が悪いんで。キモイやつにキモイって言って何が悪いの?事実でしょ?悪いのはキモイお前だろ?謝れよ。
弱者が強者に渾身の拒否として「お前キモイよ」って言い返しても「は?お前の方がキモイよ。みんなそう思うよな?wwwホラお前の方がキモイってよwww」で無効化される。それができるのが強者だから。
実際自殺の理由の一つにキモいと言われたことを挙げてる遺書だってあるだろうよ。
強者の男が弱者の女にも弱者の男にも使うし、強者の女が弱者の男にも弱者の女にも使うし、弱者同士でも使われるだろうね。
結局弱者を苦しめるのに使われるだけ。
だから原則としてキモいやそれ以外の他人を貶める悪口は使っちゃいけない言葉、使う方が悪い言葉にしなきゃいけないんだよ。
仲間内の悪ノリとかは構わないし、痴漢にあった人とか咄嗟に取り繕えない極限状態にいる人がが言うのは仕方ないと思うけど。
キモイなんて呼吸のように使ってるw俺は傷つかないから言っていいwとか言ってる奴は他人の悪口を躊躇なく言うような下品で軽蔑される人扱いして使う人を減らさないと、弱者が攻撃されるの。
弱者なんかいくら苦しんでも知らんから俺僕私は武器として自由に使うって主張はいくらでもしていいと思うよ。実際禁止はされてないし、主張するのは自由だし。
飲み会でセクハラ発言されたり、夜道で声かけされたり、そういう行為に対しての「キモい」は全然正当だと思う。咄嗟にそういう行為に対応する際に「キモい」という語彙を用いても何ら問題ない。
ただ、小太りのクラスメイトとか、「清潔感」のない男子とか、変わった趣味の女子とかに向けられるのであれば、それはもう加害・差別・迫害のための言葉、醜悪なルッキズムの表明にしかならない。
この両極端のあいだに、一般人にとっての美少女ゲームとか、男に都合のいい女ばっかり出てくる著名作家の作品とか、美麗な背景映像+女の子+じめじめした男の子+世界の危機の組み合わせがやたら出てくる某アニメ監督の作品とか、そういったものが広がっていて。実際にえもいわれぬ気持ち悪さを醸し出す作品に出会ったときの感想として、それが間違っているわけでもない(批評として下手くそだというのは別の話)。「作品に対する批評としては(巧拙は別として)ありだけど、人に向けて言うのはなしだよな」みたいなラインもどっかにあるはず。
もしくは、「気心の知れた友達どうしでの軽口としてはありだけど、それ以外だとただの悪口」というラインもあると思う。増田の女友達は麻雀する度に「死ね」「殺す」「クソが」といった汚言を吐き散らかしているし、増田も際どい下ネタを振ったりしているが、職場の同僚とかではなくて本当に親しい仲間のあいだの話なので誰も気にしてない。それと同じだ。
また、ヘイトスピーチに対する法規制に反対したり、言葉狩りに異議を唱える立ち位置の人が、「たとえ悪い言葉であっても取り締まろうとするべきじゃない」と言うのはよく理解できる。
ただ、「奪わないで」とか言ってんのはおかしいよ。どうかしてるよ。「キモい」が無条件で正当化される場所なんて、セクハラや強制わいせつの被害を受けたり目撃したりした直後くらいだよ。それ以外の場所で使うには何かしらの不適切さが付き纏う言葉で、もっと言えば子供たちが言われて日々傷つきまくってる言葉でもある。「キモい」って言われたときの心の棘がまだ刺さってる大人も多いだろう。マイクロですらないド直球のアグレッションだよ。「セクハラ受けたときにそう言っちゃうのは別にいいでしょ」とか「仲間内の軽口が下品で誰が困るんだよ」って話なら「そうだね」ってなるけど、「抵抗の言葉だから奪わないで」なんて言われても受け入れられるわけないだろ。もちろん表現の自由があるから強制的に奪うことはできないし、使い続けることも止められないけど、そんな正当化をするやつの品位は確実に落ちてるよ。誰も奪わないから、自分の評判と引き換えに好きに使ってくれ、としか言いようがない。
それはそれとして、博士論文を頑張って書き上げたはてなーが宮廷に就職しているという近況を知れたことは素直に嬉しい。おめでとうございます。
しかし最近バイトが減ったこともあって本に使えるお金はあまり多くないので、買うときはなるべく吟味して本当に必要なものを買うようにしている。
先日も、以前から気になっていた小さな独立系書店に立ち寄る機会があり、いつものように陳列された本を吟味していた。
すると、
……え!私に言っているのか。
確かに、私は15分くらい店内をうろうろしていた。ちょっと長かったかもしれない。
だけど一冊一冊はちょっとずつしか目を通していないし、決して「ここで読破してやろう!」ってわけじゃないんだが。
他の個人書店ではそんなことを言われたことがなかったので心底驚いた。
しかし本屋も厳しい商売だし、と申し訳なく思ってしまい、そのとき手にしていた学食3回分の値段がする本を咄嗟にレジに持って行ってしまった。
本に罪はない。でもモヤモヤした。
「売り物を汚い手で触るな」「買う気が無いなら帰れ」という言い分も分かる。あくまで商売だから。
でも私は、本屋はいろんな人に開かれた場であってほしいと思っている。
しかも多くの独立系書店は、そのリベラル性によって客を集めている。
お前らは、在日朝鮮人やトランスジェンダーに関する本を陳列してマイノリティに連帯する素振りを見せつつ、貧乏人は排除するのか。
でもやっぱり、お金がない人は小さな新刊書店に行くんじゃなくて、蔦屋書店とかブックオフとかに行った方がいいのかもしれない。
今度からそうしよう。
私の父親はめちゃくちゃ変な人で、私はよく自分の知り合いにその話をよくする 笑い話として
どう変なのかは長くなるからここには書かない
けど、話を聞いた人が全員私の父親のことを「イカれてる」とか「面白い」って言ってるから多分客観的に見ても本当に変な人なんだとは思う
こないだ知り合いの男性にその話をしたところ、共通の知人にその話が伝わって
そしたら、「〇〇さんのお父さん変わってますよね、実は俺の父親もヤバくて……」みたいな感じでその人に話しかけられて
なんでかと言うと、物心ついたときから変わり者な父親に振り回されてきて、それを周りの人と比較することで少し寂しい気持ちがあったから
それで、その人の話をよくよく聞くと、
その人の父親も確かに変な人ではあるんだけど、どちらかというと毒親に近くて
口答えすると殴られた、勉強しないと怒鳴られる、家に遊びに来た友達を殴った、とか
そういう、笑い話のレベルではない昔話をその人に延々と聞かされた
話を聞いている途中から「私のお父さんとはタイプの違う人だな」と思い始めて
その人は昔のエピソードトークを嬉々として語ってくるんだけど
なんか変なスイッチ押しちゃったな……って私はちょっと申し訳なく思いながら聞いてた
それで、最後に「俺は子供生まれたら絶対虐待しちゃうから結婚したくない。〇〇さんも子供生まれたら殴るでしょ?お父さんみたいにw」
みたいなこと言われた瞬間にめちゃくちゃムカついて
「いや、うちのお父さんは優しかったし私はそんなことしないですよ」って早口で返してしまって
私もスルーすればよかったものを…と思う気持ちもあるけど、その人の言葉の節々から「お前の父親も俺の親父と同じ嫌な奴なんだろ?」というニュアンスが伝わってきてたから
言い返したときに、私って結構お父さんのこと好きなんだなと初めて自覚した
確かに人のこと殴ることもあるけどそれは余程の理由があってのことだし よく怒るけどよく笑うし 他人には優しいし やること全部豪快だけどみっともないことは絶対しないし
それで昔を思い出すことがあったので、ちょっと書いてみることにした。
俺がまだ大学生だった頃の話で、その日は雨模様が変わって急にどしゃ降りみたいに振り出した。
俺は傘を持っていたから問題なかったんだけど、駅を出て少し歩くと向こうから歩いてくる女性が居た。
女性は傘を持ってなくて、大雨の中をびしょ濡れになって歩いてて、俺は思わず彼女のもとへ行って自分の傘をさした。
どうしてそんなことをしたのか。
元々俺は人見知りだし、人と関わるのがそれほど得意な方でもない。だからあのときの行為は咄嗟に取ったもので、無意識にそうしていたというのが多分一番正しいと思う。何より大雨に打たれながら歩く人をそのまま見過ごすことができなかった。本当にただそれだけのことだったと思う。
女性は当然驚いて「え?」って感じで俺を見つめてきて、気まずかった。俺も慌ててしまって、しどろもどろになりながらも大雨の中を傘もささないで歩いていたからとか、そんなことを言ってたと思う。
それから少し話をして、彼女の家がそれほど遠くないことが分かった。家まで送っていきますと申し出ると女性は少し悩む素振りをみせて、それからお願いされた。送る道中はもちろん相合傘状態で、その間は何を喋ったかは全然覚えてない。それほど会話もなかったと思う。何より俺は非モテで、そういったことに慣れていなかったので、とにかく緊張してた。彼女のアパートにつくとそこで別れて、連絡先を交換した。
翌日のことだった。本当にびっくりしたのを覚えてる。彼女の方から連絡があって、もしかして◯◯?と大学名を言われ、当たっていたのだ。そして彼女も俺と同じ大学で、一年先輩であることが判明した。同時に、お礼に学食を奢るから来てと言われて一緒に昼食を食べたんだ。そこで色々と話して、どうやら彼女の方は俺のことを何度か見かけたことがあったらしい。
俺の方は先輩のことを知らなくて、ちょっと傷ついたみたいだった。俺は多分学年が違うからとかちょうど取ってる講義の時間が違ったからですとか、とにかくテンパりながら色々言った。
先輩は冗談だよって笑ってくれて、そのときの笑顔が美しい…というか、なんか凛とした雰囲気の人なのに可愛くて、印象的で、今でも覚えてる。
それから交流が始まって、お互いはっきりと告白すると言ったことがないまま先輩と付き合い始めた。
そうなんだよ…こうやって、改めて書き出してみて分かったんだけど、そういえば告白してなかったな…ってことに気がついた。
でも全く告白をしていない訳じゃない。ただ順序が少しおかしいというか、告白は一度きりで、「結婚してください」と俺から言ったときだけだと思う。
今日、また大雨だった。駅に向かって歩いてるとき、傘もささずに歩いている年配のご婦人が居た。大雨の中、その人だけが雨に打たれていて、俺は気づけば女性を傘に入れていた。驚かれて、俺はテンパりながらまた説明して、それで二人で駅まで一緒に歩いていった。ご婦人は気さくな方で、よく話しかけてくれて、それで10分くらい楽しく駅まで歩いた。駅に着くと深々と頭を下げてくれて、感謝の印だからとデパ地下のお菓子まで頂いてしまった。
申し訳ないのでいいですよと言うとご婦人は「嬉しかったから、いいのよ」と言ってくれた。
それでさっき帰って妻にそのお菓子を渡したら「どうしたの!?」って驚いたから、ことの顛末を説明した。
そうしたら「10年前と変わってないね」と微笑んで言ってくれて、なんだか胸がぎゅっとなった。
それと高説を垂れるみたいで悪いけど、ちょっとした優しさが人を幸せにするなら、その幸せは自分にも必ず帰ってくるよというのを、もし共感してくれたら俺はすごく嬉しい
六
https://anond.hatelabo.jp/20241001172740
ベルが鳴って、講師は教室から出ていった。三四郎はインキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。
「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」
与次郎は三四郎のノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。
「なんだこれは」
「講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」
「そう不勉強ではいかん。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」
「どうだとか言った」
「聞いていなかったのか」
「いいや」
与次郎は自分のノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、
「おいちょっと来い」と言う。三四郎は与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。
ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎が入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験を都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史を与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎は俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしかし与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から、文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。
「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものである。しかし零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。
「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。
「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」
「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたものか標題でわかるだろう」
「うん。こうして輿論を喚起しておいてね。そうして、先生が大学へはいれる下地を作る……」
「いや無勢力だから、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。
「何部ぐらい売れるのか」
与次郎は何部売れるとも言わない。
「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。
だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌に関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎と文壇との交渉を聞いたくらいのものである。しかし与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。
いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。
「君は九州のいなかから出たばかりだから、中央文壇の趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか。文壇は急転直下の勢いでめざましい革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生そのものの大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」
三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。
「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」
「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しかし雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎に相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気である。ベルが激しく鳴りだした。
「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」
二人は玄関を上がって、教室へはいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートのそばに文芸時評をあけたまま、筆記のあいまあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己の講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎の文章が一句だけはっきり頭にはいった。
「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこの宝石が採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。
「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間の経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。
「今晩出席するだろうな」と与次郎が西片町へはいる横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、
「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろへペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である。三四郎は承知した。
下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川をかいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんとデビルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあんに自分に見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep の意味がこれでようやくはっきりした。
与次郎に約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。
手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。
しばらくしてから、三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣り込まれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句を読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。
しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎は与次郎の技倆に感服した。
論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当の日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生は十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給と無名に甘んじている。しかし真正の学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会と交渉のある教授を担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。
その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波から生まれたが、活眼の士は大学から生まれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月を田子の浦の名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは、広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈に比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分が広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代の遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。
よく考えてみると、与次郎の論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本を代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがきに匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。
袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手口からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そばに与次郎がかしこまってお給仕をしている。
「先生どうですか」と聞いている。
先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。
「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである。
「妙なものを食うな」と聞くと、
「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる」
「どこから」
三四郎はおかしくなった。こういうところになると、さっきの論文の調子とは少し違う。
「先生、どうです」
「堅いね」
「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」
「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」
「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」
「なぜ」と三四郎が聞いた。
「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」
「イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっとも乱暴といっても、普通の乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」
三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それからが第一不思議であった。
「ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。
「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」
「先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか」
「うん乱暴だと言った。なぜ」
「どういうところを乱暴というのか」
「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代の女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」
「言った」
「イブセンのだれに似ているつもりなのか」
「だれって……似ているよ」
三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。
「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」
「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」
「それはないだろう」
「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」
「君はそう思うか」
「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」
「君の家の先生もそんな考えか」
「だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」
「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」
と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。
「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」
「きょうあれから家へ帰って読んだ」
「どうだ」
「先生はなんと言った」
「そうさな。おもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」
「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」
人はそこそこ、空席がちらほらと見える程度。そこに3人のおばちゃんがやってきて、自分の右側に2席空いていたのでそこに2人座った。
条件反射で席を立った自分が「座りますか?」と尋ねて自分の席を振り返ると、空いていなかったはずの左側の席が空いていた。
元々自分の左側に座っていたお婆ちゃんが(そこに誰かが座っていたことすらその時に気づいたのだが)パッと1つズレて自分に席を空けてくれたのだった。
「あ…ありがとうございます」
咄嗟のことで滑らかに感謝の言葉が出ず、少し噛みながらさっきの席の1つ左に座り直した。
そこで自分に席を空けてくれたお婆ちゃんが口を開いたのだった。
「あなたね、良いことをしたから。きっとこの後良いことがあるわよ」
その瞬間に、見知らぬ、一生関わりのない「他人」から、お喋り相手の「友達」に僕らは変わった。
終点に着くまでのほんの数駅、時間で言えばたった5分かそこらの会話だったが色々なことを話した。
「若いうちにいっぱいお金を持ってるとお金の価値がわからなくなっちゃうから、最初はお金が手に入らないようになってるのよ」とそのお婆ちゃんは教えてくれた。
お婆ちゃんの従兄弟も自分と同じ大学に通っていたらしい。しかも医者を目指して卒業してから医大に入り直して、かと思ったらまた大学院で元の大学に戻ったのだとか。
終点に着きそうになって、立ちあがろうとした僕にお婆ちゃんは「これ、あげる」と一言、手に持った黒いバッグから梅干しのお菓子をくれた。
「『良いこと』って、これなんですね」
そう言って受け取って、「またいつか」と握手をして僕らは別れた。
電車を降りる間際、気になって何度か席に座ったままのお婆ちゃんに視線を送った。
けれど彼女は一度もこちらを振り返らず、ただのんびりと正面を向いて座っていた。
これが歳をとるということなのだろうか?
なんて思いながらも、誰に向けるわけでもない一礼をして僕は電車を降りた。
ついさっき、本当に30分ぐらい前の出来事だ。
本当はXに軽くポストしようかと思っていたが、この時代何が炎上して塵になるかわからない。
2日間に渡って行われ、よその地方からも人が集まる大きな祭り。
毎年祭りの時はその友人の家で浴衣の着付けをしてもらい、喉が乾けば友人の家でお茶を飲み、疲れれば友人の家で休憩していた。
ある年思い立った。
「外でそうめん食べよ」
ええねぇといそいそ準備をしようとしたら「せっかくだから屋台っぽい感じで食べよ!」と、自分だったか?友人だったか?言ったのだ。
じゃあ、と100均に向かい使い捨ての発泡スチロールの器を買った。
つゆを入れるのはプラスチックのコップでええやろ、ということで友人宅に戻った。
友人母に「おそうめんこの中入れて!」と先ほど買った器にそうめんを盛ってもらい、浴衣を着て友人と外に出た。
外では僅かな段差に座り屋台で買った物を食べてる人たちがいた。
自分と友人は家からすぐそこの公園(この公演も祭りの催しが多くある)で食べる事にした。
蒸し暑い中、氷の入ったそうめんを外で友人と食べるのはかなりわくわくしたのを覚えている。
そうめんを食べている最中、ちらちらと自分たちを見る人たちがいた。
時折会話も聞こえてくる。
「そうめん?」「そうめんなんかある?」「そうめん食べてるわ」「えーおいしそ」
すると年上の男女(18〜20くらいだったか?)が声をかけてきた。
「なあ、それどこにあった?」
自分と友人は、いや友人はわからないが「家から持ってきた物を祭りの中外で食べている」と言うのが恥ずかしくてつい咄嗟に「向こうの方」と離れた場所を指差した。
すると男女は「ありがとう〜!」とそちらの方向へ去っていったのだ。
たかがそうめん、それを「食べたい」と羨む人がいるのだ。お祭りパワーだ、と。
その日はそれまでだったのだが、自分と友人は味を占めてしまい「屋台にない物を家から持っていって外で食べる」というのが毎年の祭りの恒例となった。
次の年はまた素麺、次はいちごや冷凍マンゴーなどフルーツをたくさん乗せた豪華なかき氷、プラスチックの大きなコップに作ったパフェなど屋台ではなかなか見ないもの。
決まって3〜5人くらい聞いてくるのだ「それどこにあった?」
自分たちは「向こうのほう!」と遠くを指さす。
5年くらいやってたと思う。
なんとなくどちらともなく辞めて、友人の家で浴衣の着付けをしてもらう事も無くなって、大人になった。
また今度の土日に祭りがある。
祭りがくると思い出す。