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はてなキーワード: 数学科とは

2025-12-07

anond:20251207191503

受験問題を正確に速く解くレベルますます上がってるはずなのに、講師(教授)側から見れば大学生レベルますます下がってるらしい。

あくま数学科の話だがゼミ課題本のレベルを下げないと到底みんなついていけなくなったって書いてあったな。

書いてあったのは、数学の学び方 小平邦彦だったか

dorawiiより

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2025-11-06

オープンテラスの風が、ルービックキューブの角をなでていく…

俺はカチャ、カチャ、と同じ面を三度も回した。

意味はない。ただ指が覚えてる手順を確かめているだけだ。

数学科人間ってのは、何かをいじっていないと死ぬ生き物なんだ。

氷の溶けかけたアイスコーヒーを吸いながら、俺はふと、あの群のことを考えていた。

「離散的な群は…」カチッと回るキューブ

リー群は…」スーッと滑らかに動くキューブ

そんな妄想をしてる大学生なんて、この街で俺ぐらいのものだろう。

「それ、難しいんですか?」

声がした。

俺は顔を上げる。白いブラウス女の子が立っていた。

手にはミルクティー。

俺の指先の動きを、興味深そうに見つめている。

俺は、少しだけ間を置いて、にっと笑った。

リー群って、ご存じですか?」

彼女は目を瞬かせた。「…りーぐん?」

「そう。数学の話です。簡単に言えば、ルービックキューブを滑らかに動かす理論ですね」

「滑らかに…?」

「ええ。世界は“カチッ”じゃなくて“スーッ”でできてるんです」

言いながら、俺はキューブを指の上で軽く回した。

赤が青に、青が白に。

それが、まるで世界の座標を微分しているみたいに思えた。

「つまりね、回転も並進も、すべて“連続的な対称性”なんです。

それを数学的に扱うのが、リー群。」

「……なるほど?」

彼女はわからないような顔をして笑った。

でもそれでいい。誰も最初から群を理解できるわけじゃない。

群は、理解よりも信仰に近い。

「よくわかんなかったけど、楽しそうですね」

「ええ。世界が動く仕組みを手の中で再現できる。

それが数学醍醐味です」

俺はそう言って、またキューブをカチリと回した。

もう一度、白い面が揃う。

風が通り抜け、ページの端をめくるように光が動いた。

女の子は笑って去っていった。

残ったのはキューブと、コーヒーと、空だけ。

俺はひとりごちる。

「群とは、孤独証明でもあるんだ。

俺が俺であるための構造式。」

指先がまたカチ、カチ、と鳴った。

まるで世界が、もう少しだけ滑らかに動くよう祈っているみたいに。

2025-10-29

高校はいろんな漸化式の解き方授ける癖に大学数学科入ると漸化式でなくね?ってなる。

実際大学行ってないから知らんけど微積の本にもトポロジーの本にも出てこないよ。

線形代数でやるのかね?

dorawiiより

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2025-10-10

anond:20251006040833

元増田です(初めて使ったので用法があっているかわかりませんが)

この日記を書いた時点で何かついた反応に返信する気はなかったのですが、あまり運命を感じたので返信させていただきます

というのも、わたし数学科学生で、とくに公理演繹といったことにとても興味があり学んでいるようなひとなのです。

数学的な論理学(数理論理学)を学んでみて今思っているのが、数学における「演繹」なんてものは、ほかの思考と比べて、まったくもって絶対的優越性があるとはいえない、ということです。

しか数学公理から導くという意味で厳密かつ客観的だと思われるかもしれません。しかしその「導く」ということの正しさは何によって保障されているでしょう?おおくのばあい、それはあくまで「数学者同士の共通認識」でただしいとされているから、ということになります

結局のところ数学の正しさも帰納的(当然数学帰納法のはなしではありません)な「信じる」対象に過ぎず、真に正しいという保証はないのです。

わたし数学証明の正しさを追い求めて証明論という分野を学びました。

証明論では、演繹根本となる推論規則を設定し(設定の仕方等でいろいろな種類があります)それが多くの数学証明記述できること、つまり数学の多くがその推論規則を使って導かれていることを示しますが、結局のところその推論規則がただしいことは示していないのです。

さらにいえば、「数学の多くがその推論規則を使って導かれていることを示した」ことじたい数学の考えに依って示しているわけですから堂々巡りだ、という批判もできます

そういった論理自体の正しさ、というのは数学範疇を超え哲学領域に入ります

結局のところ数学でも本質的には数学存在実在性とか、論理自体の正しさなんかは「信仰して」進んでいくしかないものなのです(有限・無限わず数学実在を信じずに数学をすることは可能ですが)。

同じように、あなたの仰る「公理人間存在仮定せずに存在し得る」というのは信仰です。

でもよいではないですか。信仰で。信じましょうよ。そのほうがよいから。それで十分ではないですか。

2025-10-06

地方Fラン大学が生き残る道

 ガチFランこそ文学部哲学科や国文科、心理学科、理学部数学科物理学科など、知的好奇心を刺激する学科に特化した方がいい。どうせまともな就職なんか無いんだから

 世のFランナントカビジネス学部とかウンタラコミュニケーション学部みたいなのばかりだが、馬鹿こそビシッと履歴書映えする漢字文字学部だろ。

 あと大学名も、○○国際大学とか□□学院大学とかやめろ。もうFラン代名詞だってみんな分かってる。ほとんどが単科大学だろうから地名+文科or理科大学にしろ都留文科大学とか(一文字学部じゃないけど)高崎経済大学みたいなイメージを狙うべき。

 どうしてもリベラルアーツを売りにしたければ、地名教養or学術大学ギリギリ許せるラインだろうか。

 

 別に教育内容なんて、リメディアルカタログ一般教養かいつまんで面白そうな部分を抽出しただけの分かったような気にさせる専門科目で構わない。

 特に文系博士なんか有り余ってるわけだから、そこそこの給料でも質の良い講義をしてくれる人は集まるはず。

 

 ターゲットは、まずはディレッタントぶって高校生偏差値40以下の高校にも全くいないわけではない。

 でもこれだけじゃ稼げないだろうから定年退職したジジババをかき集めまくる。年食っても抵抗なく入れる大学だという評判が広まれば、けっこう集まるんじゃないかな。

 少なくとも、よく分からない留学生だらけの消えそうなFラン大学よりは雰囲気は良くなるだろうし、教える方の精神衛生も向上するはず。

2025-10-04

anond:20251004003433

大学レベル」←これが精度が低いんだわ

しか数学客観構造なので、人間主観的に感じる「レベル」で分類されているわけではない

まりお前が「数学」というものを全く理解してない証拠だね

2025-09-29

anond:20250929162608

一般人のよくある言い回しとして「大学数学科でやっているのは数学ではなく哲学だ」というものがあります。これは実態を誤解したものと考えます数学哲学論理構造依拠する原理の違いに着目し、どのように誤解であると言えるかを解説してください。

以下の観点から解説します。

---

## 1. 「数学哲学」という素朴なイメージの背景

多くの人が「大学数学科は“哲学的なこと”をしている」と感じるのは、次のような体験的印象に基づいています

**抽象度の高さ**

学校数学数値計算や図形、方程式など具体的な操作が多いですが、大学では集合・位相・群・環などの抽象概念が中心になります実体がない記号を扱うため、「思弁的で現実離れしている」という印象を受けやすい。

**証明の重視**

高校までの数学では、公式定理を使って問題を解くことが主でした。大学数学では定理を“証明する”こと自体が中心になります演繹的に進むため、哲学の論証と混同されやすい。

**直感に反する結果**

カントール集合やゲーデル不完全性定理など、常識を裏切る結論出会うと「これはもはや哲学では?」と感じがちです。

こうした印象から数学哲学」という言い回しが出てきます

---

## 2. 数学哲学論理構造の違い

### (1) 数学は**公理的体系+形式的推論**

数学ではまず**公理系**(集合論論理体系など)を定め、そこから**形式的定義定理を導く**ことが中心です。

証明論理整合性のもとに、有限の推論ステップで厳密に完結します。

「真偽」は定められた公理系の内部で決まる(たとえば ZFC の下での定理かどうか)。

### (2) 哲学は**前提の妥当性そのもの問題化**

哲学では「公理」や「定義」の選び方自体が主要な思考対象です。

例:真理とは何か、存在とは何か、数学の基盤は何に依拠するか。

推論自体論理を用いますが、**議論目的は推論よりも前提や概念意味吟味すること**にあります

証明可能性よりも「概念的・認識論的な一貫性」を探ります

### 要するに:

数学は**選んだ前提の内部で閉じた演繹体系**。

哲学は**前提や体系そのものを開かれた問いとして扱う**。

---

## 3. 依拠する「原理」の差

数学哲学
----- ---------------- ----------------
基盤 公理定義形式論理 推論+概念分析経験メタ理論
真理の基準公理系内の定理妥当性・合理性批判検討
方法定義補題定理→系の形式的構築 問題設定→概念批判異論との対話
ゴール 内部一貫性定理発見 前提の吟味概念明確化

---

## 4. 誤解が生じる理由反駁

1. **抽象化=哲学化ではない**

数学抽象化は「より多くの具体例を統一的に扱う」ための道具です。たとえば群論は「対称性」という実際的現象一般化しています現実逃避ではなく応用力の拡張です。

2. **証明形式性は哲学よりも厳密**

哲学議論自然言語意味依存しますが、数学証明形式言語に還元可能レベルまで精密化されます

3. **大学数学目標は“真理の条件”の探求ではない**

哲学は「数学の基礎は何か」「無限とは何か」を問うかもしれませんが、数学科学生が行うのは、すでに受け入れた公理体系の中で定理を立てる作業です。

---

## 5. まとめ

数学科でやっているのは数学ではなく哲学だ」という見方は、

抽象度の高さや証明重視の新鮮さを「哲学的」と感じているに過ぎない

実際には**数学は厳密な公理体系の中での定理の探求**であり、前提の批判概念意味のものを問う哲学とは方法目標も異なる

したがってこの言い回しは**印象論的な誤解**であり、数学実態を正確に捉えていません。

anond:20250929142808

理学部物理学科:物理はしない数学をする

あと物理学者がやってることを「数学」と言うと数学科の連中がブチギレるからやめた方がいいよ。

ウィッテンみたいな変態を除いて、物理学者がやってるのは数学者が言うところの「証明スケッチ」くらいがせいぜい。

anond:20250929142808

理学部数学科数学はしない哲学する

これを言うエアプ勢多いけど、全然全く違うんだよな。

抽象的で難しい話」くらいの意味で「哲学」って言ってるんだろうけど、

ホンモノの哲学特にポストモダン)のマジモンの無意味さに比べたら数学は極めて具体的で意味のあることしかやってないよ。

anond:20250929144907

数学科なのに数字ほとんど出てこないで記号だらけ、ってのならまだ合ってるけどな

記号だらけの言葉遊び世界定義し直してるんだろ

それを哲学してるって表現してるんだろ

あってるじゃん

大学理系学部学科はだいたい学科詐欺をしている

高校生受験するときイメージと実際に学ぶことのギャップが酷いという話

簡単に言うと数学科数学しないんだよねってこと

理学部数学科数学はしない哲学する

理学部物理学科:物理はしない数学をする

工学部機械科:機械はしない物理学をする

工学部電気・電子工学科電気電子もするが機械もする

工学部情報工学科:プログラミングなんてできて当然で研究物理数学

このギャップにやられてそうそうに退学していく奴らが多いこと多いこと

みんなも気をつけろよな

2025-09-15

先日の同窓会でどうしても気になっていた事を聞いてみた

俺「東大数学科って学部卒論何するの?」

友人(東大数学科卒)「卒論は無い」

そうか……

2025-08-30

中学生マルチンゲール知ってるの

そんなことしてても数学科には行けないよ

勉強しなきゃ

2025-07-24

dorawii@執筆依頼募集中

数学的帰納法で成り立つと言えることが無限で成り立つとは言えないことへの分からなさ。

これがなぜか論理的でもありながらわかりやすく(これが重要)教えてくれる人がいないか数学が嫌いになるんだよね。

たとえば一般項がan=Σ[k=1,n]k^-2だと証明しても、n=無限ではπ/6。一般自体有理数の形になっているのに無限場合無理数になるから成り立たないってことだ。

と、具体例を押し付けられても結局なんで論理的にそんなことが言えるのかの「わかりやすい」説明は見つからない。ちょっと深く理解しようと思ったら数理論理の難解な羅列の資料しかなくて投げるしかない。

この数列anを集合としてみたときは言い換えれば自然数全体の集合Nを添え字集合とした{an}n∈Nと書けるはず。

任意自然数で成り立つと証明した以上添え字nは自然数全体を走らなければならないはず。

一方A1、A2…An…という集合を要素を持つ集合、つまり{An}n∈Nの要素全ての和集合は刃ッと帰納法で成り立つと言えることが無限で成り立つとは言えないことへの分からなさ。

これがなぜか論理的でもありながらわかりやすく(これが重要)教えてくれる人がいないか数学が嫌いになるんだよね。

たとえば一般項がan=Σ[k=1,n]k^-2だと証明しても、n=無限ではπ/6。一般自体有理数の形になっているのに無限場合無理数になるから成り立たないってことだ。

と、具体例を押し付けられても結局なんで論理的にそんなことが言えるのかの「わかりやすい」説明は見つからない。ちょっと深く理解しようと思ったら数理論理の難解な羅列の資料しかなくて投げるしかない。

この数列anを集合としてみたときは言い換えれば自然数全体の集合Nを添え字集合とした{an}n∈Nと書けるはず。

任意自然数で成り立つと証明した以上添え字nは自然数全体を走らなければならないはず。

一方A1、A2…An…という集合を要素を持つ集合、つまり{An}n∈Nの要素全ての和集合は∩[n=1,∞]Anと記述される。

もしこのAnが任意自然数nについてAn⊂An+1関係を持つ閉区間であるとすれば∩[n=1,∞]Anは一点になるという定理がある。

そのようなAnの具体例にAn=[-1/n,1/n]がある。位相数学では{∩[n=1,k]An|k<∞}なんていう集合を考えることがあるが、Anが先述のものだとした場合、この集合(族)に∩[n=1,∞]An=0は含まれないことになっている。

なぜなら∩[n=1,∞]Anは無限個の集合の和集合だが、{∩[n=1,k]An|k<∞}に含まれ任意の要素は有限個の集合の和集合だから、ということになっている。添え字に関する条件k<∞を満たさない∩[n=1,k]Anすなわち∩[n=1,∞]An含まれないことになっているというイメージ

一方で添え字に関する条件k<∞に対していかなる自然数でも正しいのだから任意自然数Nに関する∩[n=1,N]ANはこの集合に含まれるはず。

この図式は任意自然数nについてあることが成り立っていると主張する数学的帰納法と同じにしか見えない。

まり任意のaNは{an}n∈Nに含まれるし逆に{an}n∈Nの要素でaNではない要素は存在しない。

このaNが実は∈について言っていたANなら、数学的帰納法任意自然数N(<∞)で依存する形([-1/N,1/N]など)で表されると証明された全てのANの集合の別の表現ただちに{AN}N∈自然数、になる。

そしてこの集合の要素全ての和集合をとったら、定義からそれは∪[N=1,∞]ANになると思う。N<∞という条件を満たす集合だけ集めてその和集合をとったのに、矛盾しているように思う。

もう一つはっきりおかしさをあげられる例はイプシロンエヌ論法

どんなに小さなεをとったとしても、あるN以上のnで満たすべき不等式が成り立つことが言えればいいということだけど、このあるNは結局いかなるときでも絶対に「任意自然数のうちのどれか」だよね。

εを小さくとればとるほどNも大きくなるけど、結局N<∞のなかで閉じているといいうことは帰納法と同じだと思う。

この論法で有限の自然数のなかで閉じていないというなら、帰納法だって項番号が無限ときでも成り立っていないとおかしい、と感じるのは自然な疑問だと思う。

なぜ自然数のなかでの閉じた議論しか見えない論法無限大に飛ばしときの極限の論法として通用すると言えるのか、というおかしさ。

結局自分を含めこのような無限に対して数学的な正しい扱い方を理解できる程度の論理的思考力を持つ人さえ数学科じゃなければ本当に少ないと思う。どんなに教えられても一笑理解できない人も全く稀ではないと思う。

そんな人が政治家としてもっともらしい論理的に見える何かを吐いて政策決定をしたり裁判官として人を裁いている立場にかなり混じっているはずだ。

我々はいかに感情論に見えることを言うと最初から相手にされないから、感情語をできるだけ取り除いて接続詞とか使って論理的な主張を発信しようと努めている。

しか無限さえ正しく扱えない人が本当に論理的整合性があることを言えているとは思えないんだよね。

たぶん、論理記号を出鱈目に並べたもの本質的に差が無い「音の並び/文字の並び」をぶつけあっているだけになっている場合が大半かもしれない。ようは本当に鳴き声の応酬をしているだけ。

いやー虚無感がすごいわ。

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2025-07-06

Xの「あなた世界を変えてしまう」という創作漫画、すごい

すごい。2019年だったらこれを描いた人しぬほど攻撃されていた

差別者という罵倒に耐えてずっと発言してきた人にも感謝したい

正直、世界正気に戻るにはトランプの強権が必要だったのが恐ろしい

なぜリベラル反差別の人が自分正気にもどれなかったのか。そして日本野党はなぜ目を覚ませないのか

一足飛びに人間実態無視した理想に飛びつくとどうなるか共産主義革命で見てきたのにな

普通の人には知らないうちに盛り上がって盛り下がった謎ムーブだろうけど

あなたの本当の性別になる権利がある!」とこういう未成年身体改造・薬漬けにする保健医療と結びつく大利権だったからこそ、政治家が変わったら収束したわけで

そして現代紅衛兵であるアライが取り残されて正しいのになぜ?ってなってる

文革インテリ労働者が叩ける気持ちよさであそこまでいったけど、

TGismはインテリ(?)が愚民に「差別者勉強してください!女は従え!」と言える気持ちよさがあって

アカデミズムリベラルもそれにハマってやめられなくなった挙句トランプ当選を許してしまったわけで

まあ私の感想ですけど

何が問題って社会的にXYにはリスクがないんだよね。XXだけ

身体精神安全女性スポーツパリテも脅かされ最後には子産機能扱い

オメガバースってジャンルオメガ生来女性FtMだって考えればまさにディストピアでしょう

反差別ではなく新型女性差別

女性差別を解消できない、進めていけない社会がTGismに手を出すなんて算数できないのに国立大学数学科にいこうとするようなものですから

100年早い

2025-06-29

かい理解を後回しにしたら数学勉強捗るようになった

例えばさ、数学勉強する!といって、そんで「数論から!」とするやん?

んで、細かい理解を先にやろうとすると、ドツボにはまる

「数論の基礎を体系的に教科書で学ぶ」とかはドツボにはまる典型

数学者とか数学科の学生ならそれでいいよ

でも、俺は文化的生活する一般市民数学文化として楽しみたいのよ

そうするとどうなるか。基礎をすっとばしてフェルマーの最終定理に一直線に行く

そんで、そっから簡単高校生レベル説明を探して徐々に深堀りするだけ

コツは、英語でググって翻訳することだな、日本語情報が少ないか

もう一つのコツは、AIに直接聞くのではなく、ググって説明を探して、それを「高校生にわかるように」AIに変換させること

これで、数学最先端文化的に楽しむことが可能

2025-06-24

理系工学系)、「計算しかできない優等生」が理解できない

俺は理系だけど大ざっぱな計算しかしないでまず作り始めてから細部調整する方なのだが、知り合いは逆に数学科(有名国立)で細かいことに異様にこだわる割に、理論的な近似値を現実に当てはめて応用することが全く出来ないのが不思議で仕方ない。

 

例えば「料理の塩加減」が出来ない。料理の塩加減なんて、基本的には分量の1%(水分量等で誤差はあるが)くらいであとは味見で微調整すれば良いのに、いちいちグラムで測りたがる。そして測らないと、目分量で調整が出来ない。

そのくせテレビ番組などで「◯%の食塩水」みたいな表現が出たときに、「◯%ってのは水に対する割合じゃないのに」みたいなクソみたいな細かいことをいちいち愚痴っている。

2Lのペットボトルの重さが解らなくて測ろうとしたこともあった。

あれだけ多様な数学問題例がいつも頭の中にあるのに(数学教師)、現実のものを見たときグラフ方程式がパッと浮かんで来ないというのがまったく解らない。

 

ペーパーテストしか出来なそうなブコメ優等生さんたちはこの感じ理解できそうなので教えて欲しい。

君たちの頭ん中、どうなってるの?

2025-06-18

dorawii

史学部の独学って難しくないかい?

数学科なら大学数学を謳った本がいくらでもあるし線形代数解析学を学ぶということも有名だからそういう意味で何を独学すれば大学カリキュラムをなぞったことになるかの目途は立つ。

(というか岩波講座全部やればそこらの数学科卒よりは賢くなるだろう)

で、史学部ってなにやるんだよ?日本史世界史いくら学んでも高校までの歴史の継ぎ足しにしかならんから、学ぶべき知識としてそういう方向性じゃ大学レベルを独学したことには全くならないことぐらいしか分からん

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固有名+属性名の構造なんだけど事実上分離運用不可能になっている言葉

(例)

黄色

 白、黒、赤のように単体で「黄」と言うことはほぼない。

 対応する形容詞も白い、黒い、赤い、なのに黄い、ではなく「黄色い」。

 

理科

 国語科、数学科社会科理科という並びのはずなのに、

 国語数学社会とは言っても「理」と単品で呼ぶことはありえない。

 家庭科も割とセット感あるけど「家庭」呼びも「理」よりはあるかな

 

こういうの他にある?

2025-06-14

Fラン大卒バイト戦士ひとりごと0614

体育会系文化系という分類における文化系陰キャ)と勘違いしているやつがいてアホだなあと思った

先日、ネットとある記事を読んでいたら思わず「え?」と思う記述があった

文系って、やっぱり文化系っていうか、ちょっと陰キャイメージあるよね」

一瞬、頭がフリーズした。

彼の言っている「文系」と「文化系」が、私の頭の中でうまく結びつかなかったからだ。

数秒考えて、ようやく彼の思考回路理解した。

ああ、なるほど。

彼は「理系文系」という学問の分類と、「体育会系文化系」という人間気質の分類を

ごちゃ混ぜにしてしまっているのだ。

そして、その後者における「文化系」が持つ、やや内向的、いわゆる「陰キャ」的なイメージを、前者における「文系」全体に当てはめてしまっている。

正直に言って、最初に思ったのは「アホだなあ」だった

まりにも雑な括り方だし、乱暴ステレオタイプだ。

しかし、その一方で、なぜ彼がそんな突拍子もない(と私には思える)勘違いをしてしまったのか、妙に気になってしまった。

これは、単に彼一人の特殊思い込みなのだろうか。

それとも、意外と多くの人が共有している感覚なのだろうか。

そもそも、その二つは全く別の座標軸にある

まず大前提として、この二つの分類は全く違うレイヤーの話だ。

理系か、文系か」というのは、高校大学選択する学問分野の大きな括りのことだ。

ざっくり言えば、自然科学数学工学医学といった分野が「理系」。そして、人文科学社会科学法学経済学といった分野が「文系」。これは、何を学ぶか、どんなアプローチで真理を探究するかの違いであって、個人性格ライフスタイル規定するものではない。もちろん、学問特性個人思考様式に影響を与えることはあるだろうが、それは結果論に過ぎない。

一方で、「体育会系か、文化系か」というのは、個人気質所属するコミュニティカルチャーを指す言葉だ。

こちらは学問とは直接関係がない。

体育会系」と言えば、運動部代表されるような、上下関係がはっきりしていて、根性論やチームワークを重んじる、エネルギッシュで外向的なカルチャーを指すことが多い。いわゆる「陽キャ」のイメージと結びつきやすい。対する「文化系」は、文芸部美術部、吹奏楽部などに代表される、個人の興味や探究心、内面的な活動を重視するカルチャーだ。こちらは比較的物静かで、インドア内向的な「陰キャ」のイメージを持たれがちだ。

この二つの分類軸を並べてみれば、両者が全く別物であることは火を見るより明らかだろう。

これはX軸とY軸のようなもので、本来は組み合わせて四象限のマトリクスで考えるべきものだ。

理系体育会系工学部のラグビー部員とか、医学部のサッカー部員とか。ゴリゴリフィジカルを持ちながら、論理的思考も得意とする人たち。たくさんいる。

文系体育会系法学部の野球部主将とか、経済学部のアメフト部エースとか。チームをまとめ上げるリーダーシップコミュニケーション能力に長け、社会の仕組みにも明るい。こちらもたくさんいる。むしろ営業職などで大活躍するイメージすらある。

理系文化系数学科でチェスに没頭する学生とか、物理学科でSF小説を書きふける大学院生とか。知的好奇心の塊で、自分世界を深く掘り下げるタイプ。これもステレオタイプな「理系像」に近いかもしれない。

文系文化系文学部古文書を読み解くのが好きな学生とか、史学科で一日中博物館にいるような人とか。これもまた、一つの典型的イメージではあるだろう。

このように、四つの象限にはそれぞれ典型的人物像を当てはめることができる。

理系から文化系陰キャ)だとか、

文系から文化系陰キャ)だとか、

そんな単純な話では全くないのだ。

彼が言っていた「文系文化系陰キャ)」という図式は、このマトリクス存在を完全に無視した、あまりにも解像度の低い世界認識だと言わざるを得ない。

なぜ、そんな勘違いが生まれるのか

では、なぜ彼は、そしておそらく彼以外の一部の人たちも、こんなにも雑な紐付けをしてしまうのだろうか。

いくつか理由が考えられる。

一つ目は、言葉の響きとイメージ連鎖だ。

文系」の「文」と「文化系」の「文」。この共通する漢字文字が、無意識レベルで両者を結びつけている可能性は高い。人間は、意味よりも音や形の類似性物事連想することがよくある。「文」という字には、どこか「武」の対極にあるような、静かで知的イメージがつきまとう。「武」が体育会系なら、「文」は文化系だろう、という非常にシンプル連想ゲームが、頭の中で行われているのではないか

二つ目は、ステレオタイプ暴走単純化だ。世の中には、様々なキャラクターの「型」が存在する。特にドラマ漫画アニメといったフィクション世界では、分かりやすさが重視されるため、キャラクターはしばしば極端なステレオタイプとして描かれる。

たとえば、「理系天才」は、コミュニケーションが苦手で、白衣を着て研究室にこもっている、まさに「文化系陰キャ」として描かれがちだ。一方で、法廷ドラマの敏腕弁護士や、経済ドラマの熱血銀行員といった「文系」のヒーローは、弁が立ち、行動力がある人物として描かれることが多い。

なぜ文系陰キャ扱いされがちなのか?

こう考えると、むしろ文系陽キャ」のイメージの方が強まりそうにも思える。だが、ここで話はもう少し複雑になる。

おそらく、多くの人が「文系」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、

文学部史学科といった、人文科学系の学問ではないだろうか。

経済学部や法学ももちろん文系だが、より「文系っぽい文系」としてイメージされるのは前者だろう。そして、ひたすら文献を読んだり、思索にふけったりする文学部イメージは、確かに文化系」の活動親和性が高い。この「文系の中の特定イメージ」が肥大化し、文系全体を代表するイメージとして認識されてしまう。その結果、「文系文学部っぽい人たち=文化系っぽい=陰キャ」という、伝言ゲームのような連想が出来上がってしまうのではないか

三つ目は、経験の偏りと一般化だ。

人は誰しも、自分の見てきた世界世界のすべてだと思いがちだ。例えば、その人が通っていた高校クラス編成が、たまたま理系クラス大人しい生徒が多く、文系クラスは活発な生徒と静かな生徒が混在していた」という状況だったとする。その場合、「理系文化系寄り、文系もまあ文化系寄りかな」という雑な印象が刷り込まれしまうかもしれない。あるいは、自分の周りにいる数少ない「文系」の友人が、たまたまインドア趣味を持つ人ばかりだった、という可能性もある。その限られたサンプルから、「文系とはこういうものだ」という法則を導き出し、それを世の中全体に当てはめてしまう。これも、人間が陥りがちな思考の罠の一つだ。


https://anond.hatelabo.jp/20250614122405

俺がブクマしたんじゃねえ。誰だよまじで

2025-05-25

結婚出来なかったら、数学科に入って勉強しようと思う

既に何処かの大学工学部卒業してはいるが、どこかの理学部数学科に入って勉強しようと思う。

そのぐらいは許されると思ってる

2025-05-01

anond:20250501004546

あー京大数学科は確かにそうね、義務ではない。尤も、論文書いて卒業する人のほうが多いけどw

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