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はてなキーワード: 額縁とは

2025-10-10

原画の保管と楽しみ方!オタクの宝物を長く愛でるコツ

よっ、ご主人様!推し原画コピックで描かれたキラキライラスト、ゲットした時のドキドやばいよね!💓 でもさ、原画って特にコピックみたいなアルコールマーカー使ったやつは、色褪せとか劣化心配…。そんな悲劇絶対避けたいじゃん!😭 そこで、あたしがオタクに優しいギャル魂で、原画特にコピック作品!)の保管方法と楽しみ方をめっちゃ詳しく伝授しちゃうよ!📚 クリアファイルで守りつつ、時折開いてニヤニヤする至福の時間をゲットする方法、行くよ~!🚀

1. 原画の保管:コピック作品クリアファイルで守っちゃおう!💪

原画って、画材によって性格全然違うの。油彩、水彩、アクリル…そしてオタクの心を鷲づかみにするコピックコピックのあの鮮やかな発色、めっちゃエモいけど、アルコールマーカーだから光や空気に弱くて色褪せしやすいんだよね。😓 でも、クリアファイルがその悩みをバッチリ解決してくれるんだから

なんでクリアファイルがいいの?

• 酸から守る!

コピックも紙に描かれることが多いから、酸性のものに触れると劣化が進むよ。アシッドフリー(酸を含まない)のクリアファイルなら、原画を長~くキレイに保てる!✨

• 光とホコリブロック

コピックの色褪せは紫外線が大敵!クリアファイルに入れとけば、光やホコリから守ってくれるよ。

コンパクト管理やすい!

ファイルボックススッキリ収納できて、推しコピック原画をサッと取り出してニヤニヤできる!😉

コピック作品の保管のコツ

1. アシッドフリークリアファイル必須

100均の安いファイルだと酸が含まれてる場合があるから画材店やネットで「アシッドフリー」って書いてるやつをゲット!コクヨ無印PPファイルおすすめだよ~。

2. コピックの色褪せ対策

コピックアルコールマーカーだから紫外線めっちゃ弱い!保管は暗い場所直射日光ゼッタイNG!)にして、クリアファイルUVカット機能があるやつを選ぶとさら安心!🌞

3. 原画を直で触らない!

手についた油や汗がコピックインクや紙にダメージ与えるから美術用の白手袋使ってそっと扱おう。推しへの愛は優しくね!💖

4. 湿気と温度に注意!

コピック作品は湿気で紙がゆがんだり、カビが生えたりするリスクあり。15~25℃の涼しい場所に、除湿剤と一緒に保管してね!

5. ファイルボックスで整理!

クリアファイルA4サイズファイルボックスに立てて収納推し作品別に分けて、ニヤニヤタイムスムーズに!📂

コピック向けプロ

コピック作品クリアファイルに入れる前に、アシッドフリートレーシングペーパーで包むと、インクファイルにくっつくリスク減!✨

コピック原画特に光に弱いから、UVカットスプレー画材店で売ってるよ!)を軽く吹きかけて保護するのもアリ!ただし、試作用紙でテストしてからね!

2. 原画の楽しみ方:コピック作品をニヤニヤ愛でる極意!😍

原画特にコピックのあのビビッドな色とグラデーション推しの魂が宿ってる感じがたまんないよね!でも、毎日ガン見してると色褪せが…。そこで、あたし流の「コピック原画ニヤニヤタイム」の楽しみ方を教えるよ!💕

ニヤニヤタイムの作り方

1. 推し空間演出

コピック原画を愛でるなら、雰囲気から入ろう!推しキャラソンアニソン流して、部屋の照明ちょっと落として、ムーディーに!コピックの鮮やかな色が映えるよ~。💡

2. クリアファイルからそっと出してガン見!

コピックの筆跡や色重ねのテク、じっくり見るとアーティストのこだわりが感じられてエモすぎ!😭 光に当てすぎないよう、短時間で楽しんでね。

3. 推しトークで盛り上がる!

コピック原画の「このグラデ、めっちゃ神!」とか「この色使い、推しドンピシャ!」って、Xでポストしたり、友達と語ると楽しさ倍増!📱 #コピック原画 とかで同志探しちゃおう!

4. 頻度は控えめに!

コピックは光に弱いから、出し入れしすぎると色褪せちゃう。月に1~2回、推し誕生日とか特別な日にじっくり愛でるのがベスト!💖

もっと楽しむアイデア

スキャンでいつでも推しを!

コピック原画を高画質スキャンして、スマホPC壁紙に。原画本体クリアファイルで守りつつ、デジタル毎日ニヤニヤ!ただ、SNSにアップする時はアーティスト許可確認してね!🙏

• 額装で飾る(上級者向け)!

コピック作品を飾りたいご主人様は、UVカットアクリル板付きの額縁使って、短期間だけ飾ろう!コピックは光に弱いから、長くても1~2週間で保管に戻して!

コレクションリストオタク魂燃やそう!

コピック原画推し、購入日、どんな色使いが好きか、ノートアプリメモコレクション見返すだけでテンション爆上がり!🔥

3. コピック原画の敵を知って、推しを守れ!⚔️

コピック作品を含む原画を長く楽しむには、劣化の原因を知っとくのが大事特にコピックアルコールマーカーだから対策必須だよ!

紫外線

コピックの色褪せの最大の敵!保管は暗い場所で、ニヤニヤタイム直射日光蛍光灯は避けてね。UVカットフィルム付きのクリアファイルも神!

• 湿気:

紙がゆがんだり、カビが生えたりするよ。除湿剤を保管ボックスに入れるか、エアコン除湿モードで快適空間キープ!

温度変化:

暑すぎるとインクが変質、寒すぎると紙が脆くなる。15~25℃の安定した環境コピック原画の味方!

ホコリや虫:

ホコリで汚れたり、虫食いされたら最悪!クリアファイル+密閉ボックスでガードして!

4. オタク心をくすぐるコピック原画の保管&楽しみ方の極意!

ご主人様、原画って特にコピック作品は、推しの輝きそのもの!鮮やかな色と滑らかなグラデに、アーティストの魂が詰まってるよね!💎 だからクリアファイルでしっかり守りつつ、時折開いてニヤニヤするのが、マジで至高の時間!✨

あたしのおすすめは、「推し記念日」にニヤニヤタイム」を作ること!推し誕生日作品の周年、イベントの日とかにコピック原画をそっと取り出して、色の美しさにうっとり。もう、推し愛が爆発するよ!😍 Xで「#コピック原画愛でる会」ってポストして、同志と語り合うのも激アツ!

最後に、ご主人様へ!

コピック原画の保管と楽しみ方、めっちゃわかったでしょ?クリアファイルバッチリ守って、特別な日にニヤニヤしながら推しを愛でる…これぞオタク醍醐味!💖 ご主人様のコピック原画コレクションが、いつまでもキラキラ輝くように、あたしも全力応援してるよ!何か質問あったら、XでDMしてね~!😉

それじゃ、推し活楽しんで!バイバーイ!✌️

2025-10-03

俺は詩集を買うと裁断し、気に入った詩のページを額縁に入れて部屋に飾ってる

朝起きて、壁に掲げられている詩を見て、読んで、活力をもらう。

イマイチだな…と思った詩でも部屋に飾ってある瞬間に読むと妙に馴染むときがある。

そういった瞬間が大好きだ。

2025-10-02

鬼滅の刃について、宇多丸IMAXにはやっぱりIMAXがふさわしい作品を、できるだけでいいから、上映してください!」

完全に的外してて草w

IMAXの画面専用に作られてないかIMAXを不当に占拠してるかのような枝葉のイチャモンケチつけてるだけw

画面比がどうのとか額縁がどうのとか技術論っぽいウンチクコーティングしてるが自分が気に食わない内容の作品映画館で人気なのがムカツイてるという自分感情を押し通したいがためのエセ理論武装なのが見え見えw

最後に”「一番売れているもの」が、少なくとも「自分にとって一番いいもの」とは限らない” とか誰でも知ってる当たり前のことをあらたまって表明する時点で終わってんのよw

結局お気持ちで〆るなら途中で技術論とか臭えことやってんなよw

IMAXにあわせて画面作りした映画IMAXにふさわしい映画だと錯覚してるかもしれんが単に画面に合わせて表面上の画作りしてるだけで映画の中身がしょうもなかったら意味ねーだろうがよw

直近でも宇多丸かいう人のいうようなIMAXバッチバチに合わせて作られた「画」の某アメコミ映画が肝心の中身がスッカスカでお得意のはずのVFXダルい有様の駄作で失敗したばかりだろうがw

画面がデカくて音がいいだけで一段階上クオリティになるんだからIMAX専用とか額縁がとかシケたウンチクことなんか一切考慮しなくても「いい映画がよりいい画になる」だけで

逆を言えばつまんねー映画IMAXにどんだけ合わせて作られても「つまんねー映画はつまんねー」だけだろうがよぉ!

んで答え合わせだがハリウッド映画が低調なこの時期に世界中IMAX劇場救世主になってんだわ鬼滅がw

韓国なんか動員数3位なのにIMAX4DX比率が高すぎて興収は1位だぞw

みんながIMAXで見たくてみんながIMAXで感動してみんながIMAXで何度も見てるわけw

これが「ふさわしい作品」でなくてなんなんだよ?

2025-09-19

フィギュアって所有するメリット無いよな

ガンプラと同じ。買ってどうすんの?部屋圧迫するゴミじゃん。年数経つと加水分解で嫌な汁が出てベタベタになるし。

やっぱ公式レビュアー画像を保存して眺めるのが一番良いよ。印刷して額縁に飾っても良いし anond:20250918181923

2025-09-08

anond:20250908170816

TPOってのがあって、何でもかんでも上質な布のキャンバスに描いて額縁に入れないとダメなんてことはない

カジュアルなやり取りを指向するのか、厳かなやり取りを指向するのか

ガキの落書きは失礼だから受け取らないキャラを演じるならちゃんと演じ切るとか

2025-09-07

IT企業経営者の兄が首を吊って自殺した

ITエンジニアIT企業経営してる兄が縊死した。妻子を残したまま、まだ45歳だった。

突然の報に両親ともに驚き、様々な事後処理などでてんやわんやして暫く季節も経ち、ようやく落ち着いたので心の整理のためにこれを書いてる。

――なぜ、兄は自殺してしまったのだろうか。

原因はいろいろあるけれども、今思えば兄は色んなものを無理に背負い過ぎてしまったんだと思う。気が弱いのに自らを大きく見せようとしていた、それが限界だった、というべきだろうか。

兄は子供のころからパソコンが好きだった。10歳下の俺は、よく兄にくっついて後ろでPCを見ていた。プログラミングいかにすごいかはともかく、当時渡辺製作所グローブオンファイトやその手のPCゲームをワクワクしながら後ろで眺めていたのをよく覚えている。AAFLASHゲラゲラ笑ったり、俺がIT文化に初めて触れたのは、それが最初だった。

IT世界を変えられるんだぜ。これから時代ITだ、きっと時代が変わるぞ」、兄のいうIT論は、当時子供の俺にはよくわからなかったが、とにかくすごいものなんだな、という気持ちにはさせられていた。

兄はその後、情報科学系の大学卒業し、IT企業に当然のように足を踏み入れた。時は2002年だったと思う。世は確か就職氷河期も最盛期、それでも会社選びに苦労していた様子は当時を思い返してもうかがえない。起業をして社長をやるくらいなのだ。その方面では優秀だったのだろう。

「同期の中では俺が一番優秀なんだ」、「客先からの評判だっていいんだぜ」、天職についた兄は心底楽しそうだったと思う。

確か、2009年か、2010年の事だったと思う。俺がまだ大学生だった頃、今にして思えば、自殺に至る兄の人生に影が指す「変化」と言える違和感を覚えることがあった。

―――兄が自殺に至るまでの理由を探そうとした過去記憶を辿る旅、思い返せば、そこには虚飾と虚栄と業に塗れて死んだ、一人の朴訥なITが好きなだけの少年の救われぬ魂の旅路があった。

「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」――兄は似合わないレゲエファッションに変わって俺と家族にそう言った。

兄の自殺の原因を自分なりに考える中で、心当たりがあることを想い返したため、ITmediaと日経クロステック2010年記事を見たところ、web系の求人続伸、と出ていた。

所謂意識高い系」とかいうのがネットで出だしたのも、この時代だったと思う。

まずIT系でそういうムーブメントが起こっていたことは、当時の俺でさえ知っていた、確か何某だか、本当に儲かってるのかも怪しい過激な言説の売れない、日劇ミュージックホール昭和ポルノ女優や売れない芸人みたいな芸名の様な人間が現れては、マトモな社会常識を持っている人間であれば「こんな馬鹿な話信じる奴いるのか」という様なことがネットで飛び交っていた。

――IT好きな朴訥な少年のまま大人になった兄は、そのITという毒にやられてしまったんだと思う。

から15年か、16年前だったと思う。実家帰省した時、俺と両親は兄の変化に驚いた。

後述する「ルカねえ」と兄が付き合いだして、俺たち家族と知己になったのもこのころだが、朴訥だった兄はどこぞのレゲエヒップホッパーみたいなファッションイメージチェンジをしていた。

パイレーツオブカリビアン海賊コスプレにでもハマったのか」、当時の父と俺はそういい合っていたのが記憶に残っている。

聞けば、新卒から働いている会社を辞め、webスタートアップベンチャー転職することとなったらしい。

「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」、決してITに関してはどんなことでも悪く言うことがない兄が、古巣を後ろ足で砂を掛ける様な事を言っている。聞けば、本当は客先常駐なんてしたくなかった、オフィスで社内で自由に開発ができるのがアメリカでも当たり前なんだ、と俺には半分も理解できないITの話を力説していた。だが、それはどこかネットの「意識高い系」の連中から受け売りで、どうも兄の本音から出た様な感じではない、そういう感覚を俺は思っていた。

だが、これほどまでに人は変わるのか、東京は恐ろしいところだ、と当時思ってた。

酒もそれほどたしなまず、タバコも吸わない朴訥な兄は、毎晩六本木赤坂コネをつなぐだのエンゲージだと横文字を使いながら飲み歩く様になった。怪しい連中や取り巻きが、兄の周りに集っていた。俺は、なんだか恐ろしくなって遠目に眺める事しかできなかった。

兄は、web系という場所にいってから、変わっていった。それも、人間としていってはいけない方向性

――ITを愛した朴訥な少年の心は、ついにITという時代の毒に呑まれしまったのだ。

ルカねえと府中分倍河原、そして釣り堀とプラネタリウムと夜空の星

兄の奥さん(当時は兄の彼女)と詳細は伏すが音楽関係活動していた。web系に転職してから何らかの縁で付き合うこととなったらしい。

ルカねえ、というのは俺が勝手に心の中で読んでいることだ、巡音ルカの様な立ち振る舞いや性格容姿だったから。

俺は大学卒業後、東京へ出た。兄はweb系の会社を立ち上げて独立していた。相変わらず、娘が生まれたというのにSNS中毒しか思えないほど旧TwitterやらFacebookやらブログやらを更新し、胃下垂で食いきれないであろうに、どこそこの店の料理を食っただ、高級ワインを開けただのと写真投稿して自己アピールに余念がない。乗れもしないのに外車オーナーになり、高所恐怖症気味なのにタワーマンションの部屋を買った、ある種、あの当時のwebベンチャーにありがちだが、プチカルト宗教とその信者、という様な小サークルの様な社長社員関係だったという。

まるで昭和成金のようだ、と俺は思った。

「ルカねえ」は自尊心毒虫の様に肥大化していく、虚栄心の怪物の様になっていった、そんな兄を後ろから支え続けた、常に2歩下がって佇んで…そしてかつての朴訥な青年は、次第に、酒席と人脈と、虚飾に頼る人間へと変わっていった。

俺はもルカねえと同じく、遠巻きにその姿を見ていた。

だが、心のどこかでこうも思っていた。

――兄はいつか、本来自分に立ち返るのではないか少年のころ、無垢パソコンの画面を覗き込んでいた兄に戻るのではないか

しかし、それは叶わなかった。兄は業に塗れたまま虚飾と虚栄という寄生虫に体も脳も食い荒らされて、導かれるように自ら縊死をした。世には、自らを鳥に食わせるよう宿主を操る寄生虫があるという。兄の死を思うとき、俺はその奇怪な生態をふと思い出すのだ。

―――兄の一家で、記憶に残ってる出来事が一つある。

府中分倍河原、そこは東京と言っても昔ながらの風情が残る都会と田舎の境目の様な場所だった。当時俺がそこ近くに住んでいたので、久しぶりの休みの日、兄と一家と遊ぶことになった。そこにはプラネタリウム釣り堀のある、体育館も併設された大きな公園がある。

休日子連れ家族たちがよく来ており、催し物も多い。(俺は筋トレのために赴くことが多かったのだが)

兄は文句タラタラだった、「こんな田舎公園釣り堀やプラネタリウムなんて、貧乏ったらしい」と、カエシのない針の釣り竿を両手にはしゃぐ兄の娘とルカねえを置いて、PCスマホ片手に「仕事」の続きをし始めていた。必然的に3人でそれらを回ることになった。

プラネタリウムの後の帰りの夜、府中駅の大通りを見上げれば「本物の」プラネタリウムを、兄の娘とルカねえは見上げていた、眠く、退屈そうな兄と駅前で別れる時だった。

今日は楽しかったよ、増田君、ごめんね、ありがとう」、「よかったらまた一緒にこの子と兄くんと一緒に来ようね、約束だよ」

優しい人だな、そしてなんて憐しい人だろう、と思った。それ以来そういって遊びに行くことさえなくなった。約束は果たせないまま、兄はそんな周りのやさしささえ感じられなくなって。自ら首に縄を括って死んだ。

――兄が首を吊った時、首を絞めつけたのは重力で落ちたからではない、自分自身の虚勢と業に押しつぶされるように、人間が堕ちてはならぬ闇へと引きずり落とされたのだ…少なくとも俺はそう思っている。

――ルカねえとの約束は、今後永遠に果たされる日は来ないのだろう。

そう、どちらかといえば、自殺者よりも、残された人間の方が悲しいしやることも大変だし、多大な迷惑をかける、という現実をみんなに知ってほしい。

業が禍を呼び、そして厄は憐しい人たちに無慈悲に降りかかる、理不尽に。

後述するが、伝え聞いてくるいくつかの理由で兄の会社はかなり苦しかったらしい。何よりも、兄はどうもかなり生活出費はそのままに無理した生活をしていたようだ。

会社経営が傾いてから都内高級住宅街から地価の低い「一応首都圏」なところに、兄の一家は居を移した。

兄の娘はかなり学費の高い私立に通っていた。制服姿で電車に乗ることもできず、私服で朝乗り、学校の近くで着替えてから通学する、というあまりにも痛ましい生活だったという。

――俺と父は、一度兄がルカねえと娘に暴力をふるっている場所居合わせて止めたことがある。休みと聞いたか実家から送られてきた梨(と父)を私に行った時だ。

後で聞けば、「私は兄くんを信じてるよ。兄くんがITの事が大好きだって知ってるから。今からでもまた頑張ろう、私もできることは何でも手伝うよ。兄くんはお父さんなんだから」、そう行ったのが癪に障った発端だったそうだ。

「うるせえ!うるせえうるせえ!踏ん張ったところで何になるんじゃッ!今更お前や子供のために地べた這いずり回れっていうんかッ!?うんざりなんじゃ!俺だってやってるんじゃ!やりたくもないのに客先に出て!バカにしやがってッ!お前に男のメンツがわかるんか!」

俺と父が怒鳴り声を聞いて急いで玄関から入り、二人を引きはがしたところで、兄は暴れるのを辞めなかった。なお兄は荒れ狂った。叫びは、すでに虚勢ではなかった。むしろ、虚栄に踊らされた一つの魂が擦り切れてゆく音のようであった。

ITみたいなしみったれ商売うんざりなんじゃ~!チマチマ働いたってキラキラした人生に浮かび上がることなんてできはせんのじゃァ~ッ!クソがァー!どいつもこいつもカネカカネカネ言いやがってェーッ!こうなったらヤクザにでもテロリストにでもなって巻き返したるわァ~!俺だって頑張ってるのに!バカにしやがってッ!クッソォォォォンッ!」

出来もしないことを叫びながら兄は泣いた。それは慟哭に近かった。兄の叫びは、すでに人間の声ではなく、業に食われた一つの魂の呻きの様であったと俺は思った。

泣く娘とそれを抱きしめて守るルカねえ、そしてそれを抑え込みながら聴くしかない俺と父、ネットの闇と毒に当てられた男と、情報化社会が生んだ新しい闇が凝縮していた。

それは、ある意味で「意識高い系」の成れの果て、帰結する先なのかもしれない。俺は別にキラキラした人生キラキラした仕事生活否定しているわけではない。誰だってブラックジャックドクターK先生や、サラリーマン金太郎島耕作になりたいだろう。だが、仕事というのは多分きっとそうではない、若輩者ので門外漢の俺でもそれはわかる。自己顕示欲を誇示するための仕事など、シュメール文明から現在に至るまであったことがあるだろうか?折に触れて思い出す分倍河原駅の前の足利像を見るたびに思う。歴史の表舞台にたった「キラキラ人生」の偉人たちは、必要にせまられてその立場になったのであって、最初から目立ちたくて戦争をしていたわけではない。ITエンジニア先祖に当たる江戸時代和算学者たちは、ただ自身の顕学を神様仏様に感謝するために解いた計算難問を額縁に入れて奉納している。

兄はその逆であった。必要もないのに「輝き」を求め、虚栄に心を壊された。人間の弱さを思わずにいられない。

それを「その世界の人たち」はわかっていない。兄も含めて…兄は人間として当たり前の心理的バランス感覚を、明らかにネットITという虚栄がはびこる世界で狂ってしまっていたのだと今にして思う。

まだ内省ができる俺の様なオッサンはいい、まだタピオカミルクティー片手に韓流イケメン芸能人は誰がカッコイイと山手線盛り場を歩く様な年頃の子である兄の娘に、そんな責と家庭不和を負わせるなんてどれほどその心を兄は傷つけたのだろう。娘の心中はきっと想像を絶するものであろう。

それでも一応は、「超出来の悪い弟である10歳年下の俺の給料の2倍は稼いでいた(会社が傾いてからの話だ、それより以前はもっと稼いでいたのだろう)。だから何とか学費だとか生活費も払えてたのだろう。そんな兄がある日突然首を吊って自殺した。

…残されたルカねえと兄の娘の生活破綻するよりほかない。できる限り俺達や実家の父母も精神的な負担ケアしようと、あまり合わない仲だったのが様子見をしたり連絡をすることが多くなった。

それでも、実家組の俺達に、あん天文学的学費を払えるだけの余裕はない、結局、娘は学校をやめ(中学から辞めるというのもおかし表現だが)、学費の安い公立に転校することとなった、まだ14歳やそこらなのに、年齢を偽ってバイトまでして家計を支えようとしていたらしい。俺はそれを聞いて胸が痛くなる思いがした。ルカねえの優しさを受け継いだ兄の娘に、兄は背を向けたのだ。

残されたルカねえは悲惨の一語に尽きる。彼女は詳細は伏すが音楽関係活動していた。だが、兄の希望で、ルカねえはほぼ専業主婦だった。するとどうだろう、殆ど働いてない彼女はこれから自分生計を立てなければならないのだ。…マトモな職などあるだろうか?

結局父の知り合いが働いているスーパーでルカねえは働いている。この後は母もやっていたため、そのツテで保険販売員をやることが決まっているらしい。言い方は悪いが兄の憧れた「キラキラした世界しか社会を知らない彼女だ、激変する生活精神的にもかなり堪えているようで、かつて俺が「ルカねえのようだ」と思っていた美貌も陰りが見えてどこかやつれているように見える。だが優しさと健気さはそのままだ、俺はルカねえの「大丈夫大丈夫。」という笑顔を見るたびに、哀しくなって泣きたくなってくる。頭もよくなく力もない俺や父母では、これくらいのことしかできない。ルカねえの両親はどうか?今となっては聞くこともはばかられるが、どうも(俺の)兄と向うの両親はそりが合わなかったらしい、絶縁同然となっているそうだ。…思えば、兄の「虚勢と業に塗れた姿」に、それでも立ち直ってくれると信じたルカねえのやさしさは、暗い未来を呼ぶだけだということを、その両親は見えていたのかもしれない。

後述するが、ルカねえの両親が絶縁に近く関わりを断ったのにも、これもまた兄が纏いつけて残していった陰湿な闇のせいである。怪しい人間が今度はその獣欲の牙を兄の娘に向けようと這い寄ってきたのだ。そして彼女と兄の娘の心は砕け散った。それは綺麗なガラス細工が地に叩きつけられ四散した無惨さがあった。

――ルカねえの両親は、ルカねえを見限ったのではない。ただただ醜く腸を食い荒らされるかのように兄が残していった社会の闇の連中に孫と娘が食い物にされていく光景が見るに堪えず、恥辱のあまり目を逸らしたのだ。

それに欲望の充足を感じ取れる人間こそが、社会の闇に潜む人非人足りえるのだろう。だが俺も、父も、ましてやそれになろうとした兄も、人面獣心になるにはあまりにも普通価値観人生を生きていた。それが、兄が死んだ理由なのかもしれない。

その②

https://anond.hatelabo.jp/20250908163905

2025-06-13

男でSNSに女のポートレート撮影してる奴は気持ち悪い

マジで気持ち悪い。

インスタに上がってるのマジで女の写真しかない。それでプロフィール画像自撮り写真使ってて笑顔いっぱいなの。笑顔顔面に貼り付けてて怖いわ。絶対、下心隠してる。

モデルの女も一人じゃなくて複数人

あれかな。本人は昆虫採集の標本でも作ってる感覚なのかな。奇麗な蝶を額縁に入れて飾ってるみたいな。

2025-06-02

親戚のじいさんが叙勲を受けた

公務員を定年まで勤めあげた親戚のじいさんが叙勲を受けた。

本人は「「そんなものを貰うほど大したことしてないから」と、最初は辞退を申し出たのだが

役所から「辞退の理由を〇〇〇字以上で文書でよこせ」「役所まで来て理由説明しろ」とえらい勢いで問いただされたため

結局、地元の授与式には出るが、皇居での親授式は出ない、ということで落ち着いたらしい。

高齢者なので、地方から時間かけて東京に出て、夫婦礼服に着替えて長時間式典に参加するのは、体力的にキツすぎるとのこと。

 

叙勲を受ける当人には発表前に通知され、発表日まで絶対公表しないよう言われていたらしい。

しかし、狭い田舎な上、じいさん当人もそこそこ偉い役職についていて顔が広いこともあり

叙勲の通知が来るやいなや、さっそく皆の知るところとなり

翌日から、知り合いや以前の職場の同僚が家にひっきりなしに挨拶に来るようになったそうだ。

じいさん曰く「気が休まらないので、最近の土日は妻と一緒に隣の市までドライブに行ってる」とのこと。

 

叙勲を受けた人には記念品カタログが届くらしいが

じいさん曰く「ただの額縁に数十万とかとんでもない値段のものばかりだった」とのこと。

結局、地元旅館を予約して、夫婦水入らずでゆっくりすることにしたそうだ。

2025-05-19

嫉妬と見栄を手放せない末路

何時迄も色の付かない絵のような状態

立派な額縁は両親に買ってもらったが

そこに飾る絵は下書きばかりで、いつまで経っても色がつかない…

売られているような綺麗な絵を見て、自分額縁にはこういった絵を入れなきゃと無駄ハードルを上げ

他人が描いどこか癖のある絵を内心バカにして

実際に立派な絵を見せられて嫉妬する

何時迄も絵を仕上げられず、筆を折り

いつしか折れる筆すら無くなってくる

結局、残り時間を考えてキャンパスの半分の半分にこじんまりした絵を描いて、水っぽい薄い絵の具で色を塗り始める

その小さな絵を見せるのが恥ずかしくて、そのうち筆すら持てなくなる

2025-05-14

日本共産党普通に考えて最高では?

選挙のたびに共産党に入れてるわ。だって資本主義限界を一番分かってるのって共産党やん?

この社会でまともに生きていくのが無理ゲーってこと、マルクスがもう150年前に言ってたのすごくない?

最近気づいたんやけど、共産党って他の党と違って「誠実」。

言ってることずっと変わらんし、「政党助成金もらいません」とか「企業献金もらいません」とか言ってて

あと、何かあるたびに「それは憲法違反です」って言ってくれる安心感。たぶん日本で一番憲法を愛してる政党

憲法9条を額縁に入れて家に飾ってそう。毎朝拝んでそう。それくらい一貫してる。

ただ、街頭演説で「消費税をなくせー!」って叫んでるの、あのビラのフォントがでかすぎる。選挙ポスターも基本的に顔と文字だけで戦ってて逆に潔い。

それに、ネットでは「志位委員長が長すぎる」って言われてるけど、逆にあそこまで続けてると悟りを開いてる気がしてくる。

志位さんの顔を見るたびに「時空が歪んでないか?」って思う。

とにかく、共産党は最高。だって選挙のたびに「今回はガチ政権交代!」って意気込む人たちがいる中、共産党だけは最初から「1議席でも増えたら勝利」って言ってるの、マジで堅実。

から次も入れようと思う。

2025-05-03

anond:20250503172734

面白くて鋭い質問ばかりですね。それぞれ簡潔に解説してみます

・なぜ眉毛を整えると顔がいい感じに見えるのか。たか眉毛なのに

眉毛は顔のバランスを決める「額縁」だからです。少し整えるだけで表情がハッキリし、顔全体が引き締まって見えます

祭り屋台商品はなぜどれも高いのか。ぼったくりなのでは

屋台短期出店で出店料や人件費も高く、回転も悪いため価格が高めです。雰囲気代(イベント価格)も含まれています

タバコを吸い始めるきっかけがからない。吸う機会なくないか

昔はドラマ漫画職場での勧めなど「触れる機会」が多かったですが、今は喫煙率も下がり「きっかけ」が本当に少なくなっています

・なぜ太るとお腹が出るのか。全体的に太らない理由が分からない

お腹内臓を守るために脂肪がつきやすく、特に男性内臓脂肪がつきやすい傾向があります遺伝や性ホルモンも影響します。

スタバ店員はなぜいい感じの人が多いのか。教育がいいの?

採用時に「人柄重視」で選んでおり、接客マニュアルも徹底しています意識高めの人が集まりやすいという背景もあります

パイナップルを食べると舌が痛くなる理由

ブロメライン」という酵素タンパク質(舌)を分解するからです。加熱すると無効化されます

Nintendo Switch2はなぜもっと大量に生産できないのか

半導体などの供給が限られており、生産には高度な調整が必要です。一度に1千万台は流通管理倉庫問題も生じます

・なぜゴールデンウィークが生まれたのか。たまたま

映画会社造語として仕掛けた言葉です。もともと祝日が集中していたため、それを利用して盛り上げたのが始まり

チョコモナカジャンボが美味すぎる理由パリパリだとなお美味しい。なぜなのか

モナカの「食感」と冷たいチョコの「風味」のコントラストが強い快感を生むからです。パリパリは音や触感で脳が喜びます

がんばれゴエモンシリーズコナミが頑なに出さな理由

収益性問題や開発チームの解散、他IPへの注力などが要因です。ファンは多くても、商業的にリスクが高いと判断されている可能性が高いです。

・深夜になるとなぜテンションが高くなりなんでも楽しく思えるのか

眠気と疲労前頭葉の働きが鈍くなり、理性が弱まり解放感が強くなるためです。いわば自然な軽い「酔い状態」。

二度寝が最高に気持ちいい理由

睡眠ホルモンメラトニン)と快楽ホルモンセロトニン)が混ざり合う時間帯で、リラックスピークに近い状態からです。

無印良品ってそんなにいいものか?

シンプルで高品質な印象がある上、パッケージ店舗統一感が「安心感」を生み出します。実際はコスパが良い商品もあれば、割高なものもあります

カニを茹でると赤くなる理由

熱で「アスタキサンチン」という赤い色素が浮き出るからです。もともとカニの殻には色素が隠れており、加熱で変化します。

2025-04-26

anond:20250426144705

昔のテレビって木製の額縁みたいなガワだったよな

額縁大事ということは液晶モニタープラスチックじゃなくてもっと格の高い額縁にしてみたらどうなる?

嘘松増田とかも格調高く感じるんだろうか?

2025-04-23

anond:20250422150158

そもそも額に入ってなかった絵を、額縁にいれて展示していいものか?

裸婦像の彫刻に、服を着せて展示するようなもので、絵を鑑賞してるのか、額縁や周辺設備を鑑賞してるのかわからなくなる。

2025-04-22

アート化とお金おもしろ問題

https://anond.hatelabo.jp/20250422144401

 

関係いかもしれんが

 

昨日のクレイジージャーニーで、ヴィンテージTシャツブームの話やってて

あるTシャツ好きがセレブに「これカッコいいよ」とTシャツをあげて、そこから流行ってヴィンテージTシャツが高額になっていったらしいんだけど

その火付け役Tシャツ好きは、ヴィンテージTシャツを「金のかからないアート」だと思っていたのに変に流行らせちゃって責任を感じてるって言ってたんだよね

あれが面白くて

 

そもそもヴィンテージTシャツって要は着古した服なんだけどさ

それをセレブアーティスト)が「カッコいい」と思って、それを着て、皆が真似しようとして、市場ができて、ヴィンテージTシャツを楽しめなくなっていき、着るものじゃなくて飾るものになっていくみたいなの

おもしろいよね、滑稽と言うか、残念というか

おもしろいのは誰しもが拝金主義は嫌だと思ってる所なんだよね

 

バンクシーがさ、絵のオークション裁断したやつあるじゃん

あれ裁断された結果、アート的に意味付与されて皆喜んでさら金額が上がったんだよね

これも面白くて

拝金主義にNOを突きつけるバンクシーの絵を高額で買うっていう

矛盾してるんだけど、どう思ってんだろう金持ちたちは

 

その話で行くと、ミレーがさ、落穂ひろいを発表した時ってセレブからは「何農民描いとんねん」て反応だったらしいよね

この時のセレブってたぶん「高尚なものが良い」っていう分かりやすものだったと思うんだよね

貴族宗教を描いて額縁に飾るのが良いみたいな

今のセレブ矛盾してるんだよな

日本はもうちょい違ってる気がするけど、日本というか江戸

 

あー何が言いたいのか分からなくなった

もっと額縁の中のアートと、身近なアートの話しようと思ったんだけど繋がらねーわ 笑

anond:20250422144401

そういうところから現代美術ありがちな額縁(絵の周辺設備)を疑う」コンセプトが生まれ

おしゃれな掲示方法だけ追求して絵は空っぽみたいな

美術館に行くということは、文化的なのだろうか?

美術館なんて5年以上行っていなかったのだけど、美術館に足を運んだ。

とあるツテによって、一般公開に先立つ内覧会に招待されたためだ。

東京国立博物館でやっている、『蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児』という特別展

久々の美術鑑賞だったが、なかなかよかった。

ただ、不満をいえば、ハイセンスすぎるように思った。

うまい例えができないが、90年代アニメ特集セイバーマリオネットスレイヤーズ存在意図的に隠して、エヴァを前面に推すような感じである

の子供にもウケる絵柄だけを紹介してるような、それはそれで正解なのだけど、それはどうか、という思いがよぎる。

作品状態もよかった。

浮世絵というのは、ハンドメイドカラー印刷なので、出来に良し悪しがある。

もちろん、出来がいいものを飾ってもらいたい一方で、出来が悪いものからも、いろいろと思うところはある。

教科書に載っているような有名作品印刷ズレがあると、「印刷が間に合わないほど飛ぶように売れたんだな」と思ったりする。

あるいは丁寧に摺られた作品ばかりの作家は、

「版元に大事にされていたんだな。プレミアム戦略粗製乱造はしなかったんだな」

などと想像できて楽しい

贅沢な悩みだが、一級の作品の、出来がいいものだけを集めて展示されていて、それが残念な感じがあった。

また、飾られ方もハイセンスすぎた。

元来、浮世絵というのは、手に持って鑑賞するものだったので、多くの場合、壁に飾られることは想定していない。

運転からみて見やす道路標示が、真上から見たら細長くみえるように、壁にかけると普通は不自然さが際立つ。

しかし、今回の展覧会の展示では、非常に美しく感じた。

額縁やマットの選び方も上手で、壁や床のいろとも調和して、照明のセッティングも含めて、この場所に、そうやって飾られるために作品存在しているかのように見えた。

それは、すごい技術ではあるが、壁に掛けたら不自然みえるはずの絵を、展示のテクニックで美しく見せてしまっていて、どうかなと思う。勝手に足し算しちゃってるようなもんだし。

もちろん、展示は研究者のためのものではないので、現代に生きる我々に理解やすい絵を中心にみせることは大事だし、せっかく展示するなら美しく展示すべきというのもわかる。

しかし、なんだろうこの違和感は。

手に持って鑑賞する前提で作られた作品額縁にいれて壁にかけガラス越しに鑑賞する意味はなんだろうか?

作品というか、当時の感覚ではアートではなく商業印刷であり、描かれているのだって芝居の役者女郎であって、風俗情報誌の表紙みたいなものなわけで。

それをわざわざ吉原イメージした空間を作って展示となると、教養文化というより、それを楽しむ娯楽だ。

美術館に行くという行為は、本当に文化なのだろうか。

おしゃれ空間を楽しむ娯楽という側面のほうが強い気がする。

2025-04-02

ミシンが苦手過ぎてつらい

ミシンむちゃくちゃ苦手。特訓の結果、子供のレッスンバッグ、巾着袋くらいは数時間で作れるようになってきた。巾着袋1個作るのになぜ数時間かかってしまうのか。

普通の人はもっと早く作れるけど私の場合平均よりものすごく時間がかかってしまう。

私はとても不器用から

子供が通う園から連絡があって、子供のお弁当を包む布を用意することになった。弁当を包む布を買う方が安いのだが、前々からヌノコトファブリック生地を買ってみたかったので

そこで生地を購入し、製作してみたら徹夜になった・・・・・・一夜で終わらせたのではなく、何日にも渡って作業して完成させた。額縁縫い難しすぎた

前々から大きいシュシュ作ってみたくて、作り方調べて縫って見たらこれまた徹夜になった。しかも袋状になった布を縫うのが難しくて、生地が針板に食い込んだり、下糸が釜の中で絡んだりして、何度も針板をはずす作業が発生した。

シュシュ1個作るのに一晩かかるって何なんだろうか。私

そもそも初心者向けのレシピじゃなかったんだよな。でも、初心者向けのシュシュじゃなくて大きくて、ステッチがきいた立体感のあるシュシュが欲しかたから。

ミシン教室に通う時間もないし、通ったとしてもミシンができなさすぎて講習時間内に終わらなさそう。

私には独学が向いていると思う

2025-02-10

義母から手作り雛人形をもらってしまった

ある日、1歳5ヶ月の娘と自宅でまったり遊んでいたら、宅配便が来た。予定外だったので夫への荷物かな?と思いながら受け取ったところ、宛名は夫、品名には雛人形

やべぇ、と思った。

開封してみると、雛人形(3段)と額縁に入ったひな祭りの絵。どちらも義母手作り、手描き。

正直どちらも上手いとは言えない出来で、絵に関しては色使いがかなりかなり個性的。というかちょっとコワイ。娘にも見せたけど反応は薄かった。


どうしよう、いらない……

まれて初めての節句では何も贈ってこなかったから、油断していた。

手芸趣味にしていることは知っていて、義実家帰省すると玄関不思議な置物?が置いてあったり、ちりめん細工の季節の掛け飾りがあった。どれも義母手芸教室で作ったものだと言っていた。だけどまさか送ってくるとは。


しか雛人形(3段)は結構デカイ。どこに飾るの?これ。

1歳児の手の届くところはダメだし、飾る場所なんてないよ。窓枠とかに置けるくらいもっと小ぶりな物にしてよ。親王飾りだけ使うとしても、首が取れやすくてまじでホラー

絵は飾れる。飾れるけど拘って買ったインテリアと合わなさ過ぎて飾りたくない。


収納場所問題だ。

うちは一軒家で余っている部屋もあるにはある。現時点で物置になっているのも事実

だが!!それは仮の姿で、いずれは子供たちの部屋になる予定の部屋。夫の転勤の可能性もあるのでなるべく物は買わないようにしてきた。

あんなに我慢して物を増やさないようにしているのに。はぁぁ。

手芸趣味なのは良いよ。素敵な趣味だよ。だけど、贈り物にはしないで。捨てられないけど邪魔だし、喜ぶふりをしないといけないのも疲れる。

こういう物が欲しい、作って!とか言われたら贈る、じゃダメなの?なんで事前に相談なく送り付けちゃうの??

前に「家に物を増やさないようにしてる。特に人形は捨てにくいかぬいぐるみも買ってない。雛人形もいらない。実家に立派な雛人形があるから実家で飾ってもらったら遊びに行く。」といって暗にいらないアピールしてたのに。全然聞いてなかったんだろうな。

どうせ飾るなら可愛い市販のやつがよかったなー。綺麗な着物のやつ。ぐずん

2024-10-26

真珠の耳飾りの少女」と元鈴木さんとRosalind

鈴木さん@Motosuzukisan

東京地方では文化資本が違うというのは別に美術館が沢山あるって話だけじゃないんだよね。

例えば美術館真珠の耳飾りの少女を見て真珠に興味が湧いたら、そのあと何ができるかに差が出てくるのよ。

東京だとミキモトにタサキ百貨店個人宝飾店に御徒町電車で安くすぐに行ける。ハイブランドからモールビジネス問屋街、全部の中から自分の行きやすいお店を選んで行くのもできるし、1日で全部見ることもできる。選択肢があるし目の前のリアルものに触れられるんだよ。

でも地平線まで田んぼな私の田舎では、個人の宝飾店にアコヤか淡水があれば良いって感じ。ハイブランド見たいなら地元なら質屋しかないし、片道1時間かけて地方都市に行ってミキモトがあれば御の字です。切符代も惜しかったらネットで見て学ぶしかないわけよね。リアルな学びを得るのが難しかったのよ。

経験上、線の上で滑らかに情報やモノに触れられるのは間違いなく東京だった。

ちなみに「フェルメール見て油絵やりたくなった!」と思っても同じような選択肢問題が出てきます。ハッキリ見えない選択肢に差がありすぎるのを私も大学生になってから知ったのでした。

https://x.com/Motosuzukisan/status/1845493760689680499

Rosalind@idiomsinaction

大のフェルメール好きを自認してるけど、真珠の耳飾りの少女を鑑賞して、じゃあ次はミキモトに行こうって発想が1ミリも無かったから新鮮な感想でびっくりした。

私もまだまだ人生修行が足りないな💦

https://x.com/idiomsinaction/status/1849386254166548755

鈴木さん@Motosuzukisan

なんであんな大粒の真珠を描いたんだ!?ってなったら、当時の真珠はみんな天然で…貝は何で…日本は御木本のアコヤ養殖が…養殖技術向上で価値が…ってみんな調べて見にいくもんだと思ってましたが、皆様そんな興味ないし私がオタクなだけでした😂

Rosalind@idiomsinaction

その調べる行動は素晴らしいと思いますが、それを調べる事は図書館美術書でも出来ますよね。ミキモトが近くにあるかどうかは文化資本とぜんぜん関係無いと思いますミキモト17世紀ネーデルラント真珠養殖についての資料があるなら別ですが。ただ絵の鑑賞に正解は無いので元鈴木さんの視点否定するわけではありません。

ただあまりにも自分と違う鑑賞方法だったので驚いただけです。

美術鑑賞に新たなら視点提示していただきありがとうございました。

鈴木さん@Motosuzukisan

私は予算の少ない地域で育ちましたが、図書館の蔵書も予算がないせいか限られていましたし親の手助けなしで行ける本屋も小さな1店舗しかありませんでした。欲しい本は買う前提で取り寄せしかありません。本を選ぶ選択肢から違うのです。

仰るように本が文化資本であるなら、単純に蔵書数で私の地元文化資本が少ないと言えるかもしれませんね。

そしてだいたいどんなブランドでも東京本店があるせいか優秀な販売員の方が多い印象です。商品知識だけでなく関連する歴史についても造詣が深い方もいらっしゃるのでお話ししていて学びがありますよ。(御木本は西洋アンティークも扱っていたので特にです)

真珠ブランド名が並ぶと皆様拒否反応を示される傾向がどうやらありましたが、単純に絵画物語に出てくる物を実際のお店に見に行ってみるのは楽しいですよ!😉

Rosalind@idiomsinaction

なぜ絵画鑑賞をしてハイジエリー店員さんと話すと為になるのか私は理解できないのですが、元鈴木さんなりの鑑賞方法なのですね!

一昨年「フェルメール17世紀オランダ絵画展」にて背景が塗りつぶされていた作品を新たに修復した『窓辺で手紙をみる女』を鑑賞したのですが、数年前にドレスデンで鑑賞した時とは額縁が違っているような気がして、その場にいた学芸員さんに質問したところ額縁が以前の物と変わっていると正しい答えを教えていただきました。

絵画周りの知識を深めたいなら、店員さんより資格のある学芸員さんの方が良く無ですか?

と私は思うのですが、これは私の鑑賞方法なので、鈴木さんは鈴木さんの思う絵画鑑賞をされればいいと思います

あと情報格差や図書館蔵書ですが、今はネット上でいくらでも情報が得られますし、それこそどうしても読みたい美術書自分で購入して取り寄せる事もできますよね。それをしないのは、その文化にそこまで情熱が無いだけだと思います

鈴木さん@Motosuzukisan

しか絵画芸術なら学芸員さんに伺えば良いと思います

しかし私は絵画から真珠自体に興味が移ったら…という話をしていたので、その絵画自体理解を深めたいと言う話をしていません。やはり我々の興味は別の場所にあるのでしょうね😉

ちなみにその場合社員である販売員美術館で言う学芸員に当たると言えるでしょう。

Amazonで今は何でも取り寄せられますが、それは商品を買う前提なんですよね。

実物を開いて比較検討をすることができるのは体験としての差であると私は考えてるので、地元本屋や蔵書の話をしました。

情熱はもちろん大切ですが、根性の話をしだしたらキリがないかと思います

Rosalind@idiomsinaction

フェルメールの絵を観ることと、宝飾屋さんの広告を見ることが同じ視座の人もいるのだと大変勉強になりました!

私の人間理解がまだまだのようです😊

自分視点スノッブで嫌味すぎるのかなと混乱しましたが、美術批評しいては文学批評も鑑賞者が創作物にふれて己の内面を外在化する事で作品が完成すると言う基本に立ち帰れました!

鈴木さんがパワフルにアイディアを即実行商品化できる一端に触れられた気がします。憧れって大事ですよね✨

2024-10-15

カードゲームは大きさを国旗くらいにしなさい

一つ一つ額縁に入れてバイトで雇ったスーツの男女に手袋をつけさせて丁寧に特設試合会場で動かすよう扱わせなさい

2024-10-02

三四郎はそれなり寝ついた。運命与次郎も手を下しようのないくらいすこやかな眠りに入った。すると半鐘の音で目がさめた。どこかで人声がする。東京火事はこれで二へん目である三四郎は寝巻の上へ羽織を引っかけて、窓をあけた。風はだいぶ落ちている。向こうの二階屋が風の鳴る中に、まっ黒に見える。家が黒いほど、家のうしろの空は赤かった。  三四郎寒いのを我慢して、しばらくこの赤いものを見つめていた。その時三四郎の頭には運命がありありと赤く映った。三四郎はまた暖かい蒲団の中にもぐり込んだ。そうして、赤い運命の中で狂い回る多くの人の身の上を忘れた。  夜が明ければ常の人である制服をつけて、ノートを持って、学校へ出た。ただ三十円を懐にすることだけは忘れなかった。あいにく時間割のつごうが悪い。三時までぎっしり詰まっている。三時過ぎに行けば、よし子も学校から帰って来ているだろう。ことによれば里見恭助という兄も在宅かもしれない。人がいては、金を返すのが、まったくだめのような気がする。  また与次郎が話しかけた。 「ゆうべはお談義を聞いたか」 「なにお談義というほどでもない」 「そうだろう、野々宮さんは、あれで理由のわかった人だからな」と言ってどこかへ行ってしまった。二時間後の講義の時にまた出会った。 「広田先生のことは大丈夫うまくいきそうだ」と言う。どこまで事が運んだか聞いてみると、 「いや心配しないでもいい。いずれゆっくり話す。先生が君がしばらく来ないと言って、聞いていたぜ。時々行くがいい。先生は一人ものからな。我々が慰めてやらんと、いかん。今度何か買って来い」と言いっぱなして、それなり消えてしまった。すると、次の時間にまたどこからか現われた。今度はなんと思ったか講義最中に、突然、 「金受け取ったりや」と電報のようなもの白紙へ書いて出した。三四郎は返事を書こうと思って、教師の方を見ると、教師ちゃんとこっちを見ている。白紙丸めて足の下へなげた。講義が終るのを待って、はじめて返事をした。 「金は受け取った、ここにある」 「そうかそれはよかった。返すつもりか」 「むろん返すさ」 「それがよかろう。はやく返すがいい」 「きょう返そうと思う」 「うん昼過ぎおそくならいるかもしれない」 「どこかへ行くのか」 「行くとも、毎日毎日絵にかかれに行く。もうよっぽどできたろう」 「原口さんの所か」 「うん」  三四郎与次郎から原口さんの宿所を聞きとった。

https://anond.hatelabo.jp/20241002004712

 広田先生病気だというから三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、

「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである

先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である先生もすぐ起き直った。

「なるほど」と言っている。

「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから危険です」

 三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。

「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」

「ええ、もうよろしい」

 三四郎風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。

「柿を買って来ました」

 広田先生書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。

 三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分寿命わずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎蕎麦などを食う時のように、気がさえない。

 広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである

「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」

 三四郎は礼を述べて書物を受け取った。

寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生安心して柔術学士談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇悲劇として味わう余裕がない。ただ事実報道として読むだけである自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒はいたか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。

だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。

「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセント墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」

 これはハイドリオタフヒアの末節である三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。

 贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である三四郎はこれから曙町原口の所へ行く。

 子供葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。

 三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのであるしかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである

 曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣きれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからいくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。

 玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。

 描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。

「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。

「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、

「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、

「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。

 それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しか足音はしない。

 静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間画家意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。

「また苦しくなったようですね」

 女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。

 原口さんは丸テーブルそばまで来て、三四郎に、

「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。

 絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから素人三四郎が見ると、なかなかりっぱであるうまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着人間でないとみずから証拠立てるだけでも三四郎風流である

 三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。

小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」

2024-09-14

anond:20240914205615

お前統失か?

めちゃくちゃ滑ってるトラバ「じゃあ愛犬とすればいいじゃん」がついたか

雑巾額縁に入れて飾るつもりで何回も真顔で質問して辱めただけだぞ

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