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2025-02-11

声優スクール講師セクハラされた話

アラサー増田10年以上前体験談愚痴です。予め言っておくと、セクハラの話だけど男女対立の話じゃないしそういう話に持っていくつもりはないよ。あと長いよ。

私も講師特定されたくないのでちょっとフェイ情報を混入させているよ。

あと最近あったテレビ関係の事案とは特に関係がないしそれきっかけで書こうとか便乗とかではないよ。ていうかニュース見る度フラバするからそんな連日話題にしないでほしいよあれ。

長いので1行で分かる概要
20歳頃におじさん講師とサシで飲んでそのあとラブホに連れていかれただけ

前日譚(読まなくてもいいよ)

10代の頃とある舞台観劇して「これやりたい!」と思い立ち、まずは舞台映画方面に強いスクールに入った。

演劇勉強は楽しかったしやりがいも多くて役者は目指したいなぁと思った反面、卒業生の進路として一番多い小劇団系は経営が厳しいところも多くて(それ以外にも色々と理由はあったが)入るのは躊躇われた。

色々と迷っている中で、学内オーディションでいくつかの大手声優事務所担当者が来るスクールが目に留まり、そちらへ進むことにした。

今思えばここで役者業は完全に見切りつけて就職目指して、演劇趣味で続けるって選択をしておけば良かったのかも。

役者一本で食べていくなんて小劇団に入ろうが大手事務所に入ろうが確率の低い運ゲーであることに変わりはないわけだし。

ともあれ私は声優スクールに進んでしまい、そこでも演技を楽しみレッスンに勤しんでいた。

前のスクールでそれなりに経験を積んでいた私は未経験者の多い声優スクールでは上手い方であり、講師陣にもそれなりに気に入られていた(と、思っている)。正直調子に乗っていた。

真っ当に教え子として接してくれた講師も勿論多かった、というか9割9分そういう素晴らしい講師だったけど、そうじゃない講師が1人いた。

読まなくてもいい前日譚終わり。


ここから本題。長くなってすまん。

演劇しろ声優しろスクール講師人達って生徒たちに舞台映画お勧めしてくださることが多く、その講師も例に漏れずたくさんの作品お勧めしてきた。

その講師とか言うのもややこしいからH氏としておく。とにかくH氏は私に色々な舞台映画おすすめしてくれた。

私はお勧めされたもの積極的に観るタイプで、尚且つその感想お勧めしてくれた人に語りまくるタイプでもあった。

私の感想着眼点?を気に入った(ように見えただけで実際の興味は女体だけだったかもしれない)H氏は、「飲みながら語ろう」と私を居酒屋に誘ってきた。

当時の私はまだ20歳そこそこで社会経験が乏しく世間知らずであり、そして自分の憧れる業界に長くいる人と懇意になる=業界でチャンスが巡ってきやすいのでは!?なんておめでたい思考も持っていた。要するに考え無しのアホだった。

1軒目では途中でたまたま同じ店にいたスクールクラスメイト乱入なんかもあったりしながら演劇論で盛り上がり1時間ほどでお開き。楽しかったなぁと1人帰路についたところでH氏から電話が。「飲み直したい、2人でもっと演劇について語りたい」と。

前述の通りのおめでたい思考に更に酔いがプラスされ都内随一のアホで迂闊な女となっていた私は、そんな話を額面通り真に受けて釣られてしまった。もっと行間を読めるようになりましょう。

そこで半個室の居酒屋に連れていかれ、H氏から「奢りだからどんどん飲んでいいよ」と言われ、まあまあ強めのお酒をしこたま飲んでしまった。当たり前だが他人の金だろうとベロベロになるまで酒を飲んではいけない。

朝までその居酒屋でH氏と飲んで語り明かすつもりだったんだけど、めっちゃ酔ってたのと10年以上前からこのあたりの記憶曖昧なんだけど何でか場所変えることになったんだよな(ちなみに人生において記憶曖昧になるくらいまで酒を飲んだのは後にも先にもこの1件だけだよ)。確か始発まではやってない店だった気がする。

始発まで別の店で飲むんだと思ってたんだけど(実際に行く店名まで話してた気がするんだけど)、H氏は徐に手を繋いできて、私はラブホに連れていかれた。演劇論を語り合うんですよね…?

ホテルついた途端H氏はバイアグラを飲みはじめ(ていうか今思ったけどバイアグラ日常的に持ち歩いてんのかよこいつ)、ようやく「これはマズイことになってるのでは」と酔いが醒めてきたんだけども時すでに遅し。本当に遅すぎ。私より立場も体格も上な人間を拒絶できるわけもなく、せめて口同士のキスセックスだけは勘弁してくれとH氏のご機嫌を伺いながらなんとか一線は超えずに済ませた。演劇論?そんなものはない。

身体は触られ舐められまくり、「○○ちゃん(H氏の本名の下の名前)って呼んで」とか「赤ちゃんプレイが好き」とか気持ち悪い甘え方をされ、「自分の子供と同い年の女の子相手なんて興奮するなぁ」とか「胸に目がいって授業に集中できないよ」とかこれまた気持ち悪いことを言われたりなんぞして私のトラウマには完全に強烈に刻まれまくったりしたがなんとかかんとか一線は超えずに朝を迎えホテルを出て解散し、始発の電車に乗ってなんとかかんとか家路についた。てか結婚してたんかいお前。あやうく不倫相手となってもっと泥沼に突っ込むところだったぞ。父親がこんなでお子さんも可哀想すぎるよ。

このときに着ていた服はH氏の臭いがついたような気がしてしまい全部捨てた。気に入ってたんだけどねその服ね。ボトムに至っては確か着たの2回目くらいだったぞ。

まもなくH氏から謝罪メールを送られて、私の内心は絶対に許さんぞスケベジジイめという気持ちではあったのだが、気持ちとは裏腹に「気にしないでください」と返信してしまい、スクールに訴えることもしなかった。

スクール内で出来た友人たちとの関係とか、自分の進路とか色々なことが壊れてしまうのが怖くて何も言い出せないまま卒業してしまった。自分被害訴えようとすると友人たちやスクール自体迷惑が掛かりそうな気がして(あと周りから講師ホテル行った女と思われるのも嫌で)我慢する方が良いような気がしてしまった。

もしこの時の私の判断のせいで後輩たちに次の被害者が生まれたりしてたら本当に申し訳ない。

子供の時から自分我慢すれば丸く収まると思っているような人間だったけれど、そんなの大きな間違いだったんだよな。気づくのが遅すぎたな。

本編終わり。以下後日談

その後、私はそのスクール学内オーディション声優事務所養成所に受かりそのままその養成所に進み、その養成所でもレッスンに励んだり小さい舞台ちょっとずつ出たりはしていたけれど、ある日突然駅のホームで泣きながら過呼吸を起こしメンクリパニック障害と診断され養成所を辞めざるを得なくなった。

H氏の出来事があって以降、スクール養成所で中年男性講師に褒められることに少なからず恐怖を感じるようになったり(別に他の講師たちは何一つ悪くない)、「このままプロになったらいつかH氏と再会するんだろうか」「私が成功したらH氏の武勇伝に使われるんだな」という不安に常に苛まれたり、その一方で男性に言い寄られると断れない貞操観念ゼロ状態になったり、あと単にバイトとの両立キツくて睡眠時間削られてたりと今思えばパニック障害に陥るのも当然のメンヘラ具合だった。

でもここまでメンヘラ女になっておいてやばいお薬とか葉っぱとかやらず処方薬ODとか自傷とかもせず借金もこさえずに生き延びてるの正直かなり偉いと思う(こうして無理矢理にでも自画自賛しないと本当に人生やってらんない)

以下とてもとても蛇足

10年以上も昔のことをなんで今更増田に書いてんのかというと半年ほど前にやってみたいゲームキャストをチェックしていたら久々にH氏の名前を見て発作出ちゃったからなんだよね。

H氏はそんな大々的に売れてるような声優ではないし、私は今は他の趣味もできたしアニメも滅多に見ないゲームもほぼやらないので運良く数年間は名前を見ることはなかったんだけど。

あんなことしても平気で生きてて、今でも声優仕事やってんだとか、どっかでまだ講師やって若い女に手出してんのかなとかH氏の家族って何も知らんのかなとか色々と考えて虚しくなっちゃった。(でも軽く調べた限り前のスクール系列校も含め講師として名前は載ってなかった。講師業そのものも辞めてるといいけども)

H氏はこれ以外にも、出演したアニメ共演者業界関係者を平気でdisったり毒親持ちの生徒に親を大事しろとか説教したりぶっちゃけ授業自体時間全然守らないわ中身グダグダだわで色々アレな人間だったんだけど、ここを語ると更に長くなるし話ブレるんでやめるね。

何年もずっとこのことは誰にも家族にも言えなかったし向き合うのが嫌すぎてネットに書き込むこともしなかった。ただ、長年通院しているメンクリ主治医に去年このことをやっと言うことができて、めちゃくちゃ自罰的になっていた私を宥めすかしてくださり少しだけ気持ちを軽くすることができた。やっぱ内に抱え込んでないで少しは吐き出した方がいいのかもしれない。でも家族には言えないな。

てかこれ書き始めたの去年の秋なのに踏ん切りつかなくて今日ようやく投稿できたわけなので、こういう体験談って打ち明けるのかなり難しいしメンタル的にキツイよな。やっぱ性被害なんて体験しないに限る。

これを読んでる夢を追ってる若い増田いたら(いるのか?)、憧れの業界の人に気に入られても2人っきりになるのだけは避けた方がいいということを覚えていてほしい。自分はブスだから大丈夫とか思うなよ、私はブスだけど大丈夫じゃなかったぞ。

本当に9割9分の講師はマトモで良い人だったよ。男女問わず。恩師と呼べるような人もいるしH氏みたいなのは例外中の例外だと思ってる。(今思うとH氏は治療必要レベルの性依存な人だったのでは?という気がしている)

ただ、どれだけ業界の1人に気に入られ親しくなろうと、その業界でのチャンスが巡ってくるわけじゃないよ。ただの一講師仕事紹介したり事務所紹介したりとかそんな権限ないし。

どれだけその人に傷つけられようとも業界も誰も救ってくれないし、相手は平気な顔して生き続けてるし、こっちは10年以上メンクリ通って安定剤飲み続けるだけ。

正直なところそんな狭き門不安定な業界なんて目指さず就職しろ安定を取れって言いたいけど、てかぶっちゃけセクハラとか関係なく真面目にお芝居勉強してきた人ほど世に溢れるヘッタクソな芝居にイライラさせられるので演劇関係の道なんて目指さない方が人生充実すると思うんだけど、

まあ目指したくなっちゃうもんな〜。自分は何とかなるって思っちゃうもんな。

からせめて自衛できるところは自衛しておくれ。自分人生責任取れるの自分しかいないし。

こういう世界って生き残るのに才能の有無ってあんまり関係なくて、心身に異常をきたした人(と、借金で首が回らなくなった人)から脱落していくようになっていると思うんだよね。だから最低限心身の健康は守ろうな。

何の話?これそういう教訓話で良いのか?

あいいや

これ読んで誰か1人でも心に留めて自衛する人がいたら私の体験も少しは報われるだろうよ。

ラバでひぃひぃしながら書いてたからかなり読みづらかったね、ごめんね、最後まで読んでくれた人いたらありがとうね。

2025-01-12

メンヘラ人間と付き合ってはいけない

何度も言われていることだけれど、そもそも似たような悲劇がたくさん繰り返されているから何度も言われるのだ。

まず、メンヘラ人間はなぜかやけに見た目がいいことが多い。というか、友人関係恋人関係が成立しうるくらいのコミュニティにおいて、深く関わる前ならば「かわいいから」「かっこいいから」で許されていることが多く、結果として仮にブサイクならばとっくに弾き出されていたようなやべーやつ、見目が良いから生き残ったという話なのかもしれない。じっさい俺がいま付き合ってるメンヘラ女もすげーかわいい

しかしそのかわいさに絆されて付き合い始めたら、その先には地獄が待っている。まず、なにかのトラブルにたいして、やつらは表面上「自分がが悪い」と言う。この「自分が悪い」という気持ち自体は嘘ではないのだろうが、そのあとに口をひらけば「XXのせいで自分はこうなってしまっているのだ」と言う。自罰的ではあるが、他責なのだ自分が悪い、と自分を罰しながらも、自分がそうなった責任他人転嫁している。最初のうちは「親のせいで」とか「周りのともだちのせいで」という話が多いだろう。そしてその「まわりの友達」や「親」を悪者にしたトークで同情者を募り、また「味方」を取り込んでゆく。そして、そこに「恋人」という役割で関わり始めたら、終わりの始まりだ。すぐに「私がこんなにダメなのは恋人かこんなにひどいから」というストーリーをあっというまに作り上げて、自分自身で信じていく。自分自身がそう信じてしまったらもう客観的にどうかなどは関係ない。それが本人にとって真実から客観的事実がどうであろうと関係ない。

この「わたしがこんな状態なのはXのせい」という他罰性と、「わたしダメ人間だ」の自罰性が絡まり合って、メンヘラはほんとうに「どう扱っても自己嫌悪してるか他人を激しく攻撃しているかしかしてない触りにくい人間」になっていく。そして周りの人間をおおいに困惑させ、傷つけ、結果として周りの人間は去っていく。

そしたらまた「わたしはなんてダメなんだ。わたしがこんなにダメなのはXXに(親に、恋人に、いままでの友達に、通っている病院先生に)ああいうことをされたからだ」のループに入っていく。だから自責の念他罰性を強く持ったメンヘラには関わるべきではない。可能ならばいますぐ逃げるべきだ。

では、メンヘラは救われないのか? わたしは、彼らは他人の力では救われないと思う。他人の力で救われようとしているメンヘラ他人を不幸にするだけだ。しか自分自身のケア方法を覚えたり身につけたりすることができるメンヘラ支援者に対して誠実に向き合えるメンヘラはきっと救われてほしいし、そうじゃないとしたらあまりに悲しいことじゃないか、と思う。

いくら相手の見目がよく、相手のことを大事だと感じられて、いくらあなたが「だからこそ自分必要なんだ」と思うような優しい人間でも、取り返しがつかなくなる前に他責性の強い(なんども見てきたように自罰性の強さと他責性の強さは両立するのだ)メンヘラ人間とは距離を置いた方がいい。いままでも同様の警告は多く書かれてきたし、この文章だってそれらと同じく、ほとんどの悲劇を救うことはないんだろう。

それでも、自罰的で他責的なメンヘラが自らの他責性に気づくきっかけになったら、あるいは自罰的で他責的なメンヘラ支援者が逃げるきっかけになったら、すこしでも役立てたら、と思う。

あと自分感情の整理。

自罰的で他責的なメンヘラ相手をするのは楽ではない。まずはそれを改めて確認しよう。自罰に対してはなるべくよりそいと安心を、他責に対しては同調せずにその考えから距離を取ることを大事にしよう。他責ターゲット自分である場合は、あえてその問題を軽く扱う、触れない、気分の変化を待つなどの自衛をすることが、結果的に長期的な支援につながるはずだ、がんばろう

2025-01-06

日本人支援求めないらしい

一応元記事URL

https://univ-journal.jp/250863/

日本人は困難や精神的苦痛を「社会規範や秩序を逸脱・違反した報い」として理解する

さて、これについて話す前に、何が共助を担保していたのか

家であり、隣組であり、村であり、会社であり

まりはそういう集団なんだよね


当然に集団によって規範微妙に異なる

から昔は息苦しかった

結婚しない人権がなかった

会社は一生を決めるものだった

離婚転職への負の圧は強かった

その代わり「困った時はお互い様」となれた


記事では

共感的関心や他者利他行動への期待が低く

と続くが、それはそうだろう

親の介護なんてしねぇよ

結婚なんてくだらねぇ

町内会しらねぇよ

会社スキルの肥やし、転職して当然でしょ

となった社会で、それらに泣きつくのは端的にダサい

自罰的にこうなっているんじゃない

自意識が高すぎて集団に擦り寄って頭下げるってのが出来ない

(今更集団に加われない)


本当に巧くやる奴は

共産党を使って生活保護を手に入れてのうのうと生きるとか

宗教に紛れ込んで適当に旨く立ち回ろうとするが

それもできない

半端なんだよ


県人会とかが何であったのか

協同組合などの組織が当時必要とされたのはなぜか


自身利他行為コスパ悪いと切り捨てる奴は

そりゃ、他者利他行為を期待しない

こういうのはコインの裏表なの

特有文化背景」じゃねぇよ

情けは人の為ならずが反転してるだけの状態

まさに自業自得自縄自縛

2025-01-05

anond:20250105142920

海外インセルは意外と自罰的だからなあ

自らポルノ断ちしたりヴィーガンだったりする

自我の強いアジアジャンクチー牛とは出来が違う

2024-12-25

水星魔女 本当に嫌だった

スレッタの頭がよくない

スレッタが許す許さないを決めるのは、プロペラエリクトのためにスレッタを作り児童労働者として使役してきた(きょうだい児・搾取子の立場に置いていた)ことについてまでであって、偽旗作戦アーシアンを大量に殺したりクワイエット・ゼロ発動を邪魔する宇宙議会連合軍人を大量に殺したことについては、スレッタは被害者でもなんでもないので許す権限などない。プロペラの掌の上で転がされ思い通りに操作された大失敗罪でミオリネがアーシアン憎悪の的になり、シャディクがクワイエット・ゼロの罪まで背負って逮捕されているけど、意味が分からない。これは本当に監督に対して「何をやっているか分かっているのか」といいたい。

目の前で何かが起きたとき現象の原因や意味や今後予想されることなどはスレッタには分からない。ファラクトに勝手に乗り込んだノレアにニカが踏みつぶされそうになるのをスレッタは見ていて、すぐに体が動いてバイクで助けるけど、何が起きているか分かってない(その場でニカの死を防げればすぐに忘れる)からその後の学園テロも防げない。プロペラエリクト、ミオリネが大事存在であり、あとは地球寮のみんながいじめられていたら助けてほしいとグエルに頼むし、目の前で困っている人がいたらモブであっても救助するために体が動く。でも情報の処理や理解が何もできない。物事を長く覚えておくこともできないようだ。

スレッタアンチからバカ扱いをしているとかではなく、ミオリネに何を言われても意味が分かっておらずミオリネを絶望させたシーンも、結局こういうことなんじゃないかと。でも、スレッタは頑丈。落ち込んでも盗み食いするし、頭が悪くてブレーキが壊れているところはあるが基本的には善性に基づいて行動するため他人憎悪に飲み込まれないのがスレッタの美点でもある。スレッタはショックを受けても寝られるし食べられるし、体がよく動くことが取り柄の、頭はよくないが鈍感さが良いほうにも作用している健康的な子だ。最後に全身麻痺になっていて信じられなかった。ろくに教育を受けられず思考力もなく、学校を建てるだけ建てて、あの後どうするのか。

デリングによるミオリネトロフィー制度物語として追認している

ミオリネの生存確率を上げるための制度として決闘により結婚相手強制的に決める制度有効だった・合理的だったとは欠片も思えない。しかし最終的にミオリネはデリングの愛を感じて態度が軟化、グエルもフェンシング死ぬほどしょうもないシーン)の機会を設けてホルダーをスレッタに譲るという形でデリングの顔を立てながらスレッタとミオリネの結婚が決まっており、耐え難かった。ミオリネの誕生日も過ぎ、ミオリネがグループ総裁になるくらいだし、あんルールは全くの無効になっているのだから無視すべきであった。コングロマリット総裁選がU-20な件は笑って流したが、トロフィー追認はその種の「所詮アニメリアリティレベルから」で流す気には到底なれなかった。

シャディク、最後まで嫌い

シャディク嫌いと言うと「わかってねー」みたいになるのも嫌い。真空ジェシカとトム・ブラウン褒めないとセンス悪い認定するインターネット同調圧力のようだ。うざい。あのキャラクターが高度だとは思わない。他作品では比較ヴィランを好きになる性質人間なのに、シャディクのことはストレートに嫌いだった。

アーシアン地位向上の革命を目指しているが、ソフィやノレアやニカなど貧民アーシアン使い捨てにすることについての葛藤合理化過程が何も見えない。ミオリネとグエルは両方上級国民みたいなもんだけど、ミオリネは好き(ただしクエテロときは一旦安全を諦める)、グエルには上級への嫉妬でネチネチした感情を向ける(ミオリネ自身選択という部分を認めずにグエルに責任転嫁して逆恨みする)、というのがもう、好き嫌いの部分で完全に嫌いで。孤児からアカデミー時代の回想等も一切ないし、シャディガールズのための自己犠牲も「シャディガール自身に罪を償わせろ」としか思わなかったから、嫌いな部分をカバーできるような同情・共感できる要素が一個も出てこなかった。これが監督特に力を入れたキャラクターなら、本当に感性が合わないとしか言いようがない。

ジェタークのテーマ最後まで不明

グエル:スレッタが泣かされている→泣かせた4号を決闘で倒す(だれも望んでない行為だし失敗)

ラウダ:ペトラ意識不明にされ学園が壊され学生がじゃんじゃん殺されグエルがおかしくなった→諸悪の根源のミオリネをガンダムで倒す(だれも望んでない行為だし失敗)

不快出来事が発生したら敵を探して倒して解決(ジェターク社の経営難デリングを暗殺して解決)というヴィム脳ムーブをやめましょうねということなんだろうが、やめましょうのその先がどうなったのかが全く分からない。長男に対して虐待のような真似を繰り返すが大企業を存続させて雇用を生んでもいたヴィム・ジェタークという人物を、長男が引き受けてそのパターナリズムを再構築する部分を、グエルがやったんですか?どういう着地なんですか?途中の認識についても着地についても、説明が一切ないので空虚。父殺しについても意味がよくわからない。スレッタと同じタイミングでグエルも人を殺したら、その偶然の一致がなんか面白いということだった?結局最後まで共闘しないし、スレッタはグエルから何の影響も受けないし、関係がなかった。無関係なところで勝手に偶然同じタイミング殺人していることと失恋しか無いとは、結局何がしたかったのか…。

退寮や退学といった虐待に耐えかねて家出した件について、対話を諦めたグエルの罪であるかのような扱いは許し難い。ヴィム・ジェタークは対話不能相手であり、弟も味方ではなかった。グエルの家出は「批判されるべき逃げ」ではない。弟に殺されかけたのもグエルに殺されるほどの問題があり責められても仕方ないような話ではない。全体的に、デリングやヴィムの側の対話放棄無罪で、子供側の「無理解」や逃げは有罪であるという非対称が酷い。

ペイル社のギャグオチ、最悪

金儲けのために人体実験やって貧民殺してた金持ち資産を失って面白いというエンディング

5号は絵の場所を見つける前向きな旅をしているので復讐に囚われていない、までは良いんだが、ニカが自首して服役を描いておいて、明確な人殺しがバレずにCEO無罪放免になっているのは何?資産を失ったとはいえ、殺り得でしたねとしか思えない。

こっちもスレッタが4号に恋をしたってだけで退場なんだよな。ペイル周りで意味らしきものが感じられたのは、スレッタのストーリーとは一切交わらない部分の、5号のセリフくらいだ。スレッタの頭が悪くて大概のことを聞き流したり忘れるから、ジェタークやペイルとの絡みがあまり意味を持たないんだよな。というか、シャディクとの対峙についても意味あったかシャディクが勝手に決めることについてスレッタが抵抗し、勝ったことに意味があるかと思ってた。無かった。

マルタン反省的外れさと、視聴者トンチンカンな反応

ニカがおかしいことに気づいていながらマルタンが身内を通報することをためらったため、通報タイミングが大幅に遅れて学園テロが発生して大勢が死んだわけだが、視聴者は「マルタンがニカを売った」「チンコ野郎」とキレており、このアニメ視聴者層に対して絶望した。

マルタンはニカの怪しい動きをクエタで見てから何度も対話を求めており、ニカが拒絶しつづけて、ついにテロが発生したという流れがあったうえで、最後マルタンが「もっとニカに対して対話を求めていればよかった」と反省していたのも完全に意味不明だった。マルタンはニカに話してくれと求めていた。反省するとしたら対話を求め「ニカ待ち」をしている間にテロが起きて、大勢の人命が失われたことだろ。マルタンとニカの罪の辺りのシナリオは完全に意味不明。だれかこの異常なくだりを解説してくれ。

人格的欠陥や社会問題を扱う手つき

欠陥を愛そうというコンセプトは感じられるが、欠陥の描写ばかりで美点の描写が下手だからシャディクなどを「普通に」嫌いになる。

スレッタは嫌いではないが、「どんぶり飯をたんと食え」のような祖父母→孫感情の矛先というか、食い意地の張った哺乳類の幼体に向ける好感であり、人物としては「頭が悪い」としか言いようがないので、あの状態学校を建てて理事長なり校長なりをやるのかと思うと意味が分からないと思う。

ガンダムシリーズ初の女性主人公頭が悪い主人公だったので別の文脈が乗り不快女性主人公二作目で頭が悪かったらこういう不快さはなかった(男性主人公の愛すべきバカキャラはいる)。ガンダムシリーズ初の女性主人公異性愛フラグを折ったうえでの同性婚成立をやったのも面倒くさかった。異性愛フラグを立てたうえで折っておかないと悪意にまみれたレズのチン堕ち勢が押し寄せてきて尊いスレミオを破壊されるだろうから予め封じておきたかったのかもしれないが、まず百合ガンダムなどなぜ女性主人公の二作目以降でやってくれなかったのか。それにSF的な説明なしで全員バイセクシャルであるという設定のつもりなら、おかしい。そんなものには誰もついていかない。同性愛嫌悪者どころか、腐女子百合豚ですらついていけない異常な人間観だろう。同性愛者、両性愛者、異性愛者、無性愛者がいる、その多様性を描けていない。ファンダムまでもが、同性愛以外を叩く百合豚と腐女子異性愛以外を叩く男女カプ厨という多様性真逆地獄になっている。こんな糞以下のファンダムは滅びるべきである

さら同性愛以外のテーマも盛り込みすぎて、一個一個の社会問題の扱いが雑、尺が足りていないから全部が浅くてつまみ食い。「いろいろありますが、難しいですね」という大上段に構えた、優等生的な冷淡さがそこにあった。最も連想するのは、サンフランシスコ社会的弱者を守るための万引き無罪化だ。当事者性が全くないエリートが頭の中で弱者保護を考えた結果、万引き無罪化を行い、ホームレスよりはさすがにマシな立場にあった個人規模の小売店万引き被害により経営が成り立たなくなり廃業余儀なくされていく、その種の持続不可能弱者保護、お世話係をよそに押し付けたうえでのマイノリティ保護。結果、攻撃的・搾取的な人間蔓延してコントロールを失い、この事態引き起こし自罰を行うだけになる流れだ。社会問題の取り扱い方に、現実味がないのだ。ニカやミオリネのお花畑憎悪を生んだ、あの雰囲気通底している。

2024-11-22

しなければならない、できてなければならないと考えるのは必要なことかもしれない。

だけどいま全部をできるわけでもできるようになるわけでもない。

そういう自分いくらか受け入れて許してやっていかなきゃとてもじゃないけど生きていけない。

内省自罰的になることは悪くないことかもしれないし、自分はかつてそうなりたいと思っていた。

だけれど怠惰自分がそうなっても、行動力が増えるわけではなく、不安感と焦燥感自己否定感ばかりが増えて、すべて希死念慮に流れてしまう。

理性も必要だけれど、それと同じくらい行動力必要なことにやっと気付いて、対応策を考えるフェーズになっている。

いまは全く行動力がなく、何かしたいことがあるわけでもなければ、何も楽しいことがあるわけでもない。

2024-11-13

メンヘラの悪いところ

仲良くなった人を見下す所

これだけ

以下は俺が分析した結果と感想

彼らは自己肯定感が低いとか自罰的だったりする。

そういう相手に見下された場合、俺がそいつ視点で見て間違った事をしたりだとか、少し危うい事をすると、彼らは普段自分に課している罰を俺に与えてくる

解決策としては、もうその場で怒っちゃう事だと思う。

俺には彼らがそれを求めているように見える。

自分が「ここまで自信を卑下している事を否定してほしい、自罰的なのを止めてほしい」というのが信頼した相手に対して求めている事だと俺は思う。

今回俺はこれができなかった。その場では、ああ気に障ったならごめんねみたいな、無難な事を言ってしまって、切り込めなかった。

後になってから気付いて、申し訳ない事をしたなと思う。

次は永久に来ないと思うけど、もし似たようなケースがあれば対応しようと思う。

今回の失敗をいつまでも考えていると脳が腐りそうなのでここに書き留めておく。

2024-10-29

anond:20241028181233

弱者男性だが、説教しようと思えばいくらでも出来る内容だと思うけど

ふと思ったが自分を一切よく見せようとせずひたすらに悪く書いてる所を考えると大変自罰的になっている可能性が高い

女さんだからリベラルも甘いだろうが、気持ちよく説教したいと思ってる奴はそれ踏まえて自分発言責任取るつもりで言えよな

俺には無理だ

2024-10-18

育児難易度の話

anond:20241018112816

そもそも育児」って言葉定義やらイメージが人によって同一じゃないんだから、その難易度の話がすりあわせできるはずがないんだよ。

昭和の頃なんてほぼ放し飼いだったぞ。難易度なんて存在しなかった。

いまは「親ガチャ」って言葉があるけど、昭和以前は「子どもガチャ」で、うまく育つか生き残るかは子ども次第。不良になったり無能だったら「子どもガチャ失敗」っていって子ども側に責任転嫁してたくらいだ(腐ったみかんとか平気で言ってた)。

まり育児が難しいって言ってる人は、その発言者育児イメージ難易度の高いもので、自分が設定したハードル自分では突破不可能って言ってるに過ぎないよ。自罰的とも言える。まぁ自罰できるほど豊かになって暇になって他に趣味がないもんだから育児ジャンルマウント取り合う競技が発生しただけなんだけどね。ポケモンバトルみたいなものだ。

2024-09-28

マッチングアプリ処女食ってきた

マッチングアプリで知り合った二十歳の巨乳処女JDを美味しく頂いてきた。

そんな素晴らしい日に、帰ってきてとりあえず増田を開く。

多分、帳尻を合わせたいというか自罰意識みたいなものがこうさせるんじゃないだろうか。

2024-09-27

AI論争を降りた底辺絵師だけど、クズ懺悔を聞いて欲しい。

https://anond.hatelabo.jp/20240714201952

この性悪ゴミ日記を書いた自称絵師です。

紆余曲折あって、気持ちに折り合いがついたのでこの時の自分問題点について考えてみようと思い立ち、この記事を書いています

 

今回もきわめて頭の悪いお気持ち長文になると思うので、三行でまとめると

Twitter価値観を信じすぎていた

計算高そうなことを考えるだけで計画性が何もない

そもそも極めて性格が悪い

です。

 

 

先に恥を晒しておくと、私は学生時代オタク犯罪者予備軍という偏見がある時代で、変なテンションだったためにクラスで完全に孤立していたオタクです。

発達かどうか診断を受けたことはないのですが、未だにすぐ浮かれて中二病みたいな思考自己認識になって一人ではしゃいでしまうので知性は低いと思います

頭がおかしい女オタクというだけでもキツいのに、就職氷河期世代で、手に職をつけないとマズイという絶望的な空気の中「イラストレーターとして大成すればそんなの関係ないし、本当にマズくなったら死ねばいい」と楽観的に考え、手に職をつけず、それしか縋れるものがないため辞められずここまで来てしまった真性のバカです。

親の反対を押し切って大喧嘩の末に上京したため勘当されており、友達もおらず、インターネット関係が私の交友関係の全てです。

挽回のチャンスは沢山あったはずなのに、ニコニコ全盛期は二次創作の手描き動画や人力ボカロに(時にはバイトをズル休みするほど)時間を費やしていましたし、イナゴ腐女子問題になった頃は同人発の漫画家同人収入の話に釣られてまさにイナゴとして同人を描いていましたし、そもそも絵を描いていない時は一日中Twitter時間を浪費していました。

そういう人間の自語りなので、絵師高潔存在だと思っている人にとっては受け入れがたい話だと思います

信じようと信じまいと事実は変わらないので一向に構いませんが、自語り以上の目的が本当にないため、深読みは避けて頂けると助かります

故意深読み情報を流してバズを狙っていた私が言うのもどうかと思いますが、他意の無い文章に壮大な陰謀伏線を見出されると少し焦ります

 

---

 

Twitter価値観を信じすぎていた

 

マトモに交流する相手Twitterしかいない時点でお察しなのですが、更に

「絵を描いていてえらい。描ける人はすごい」

「絵の単価が安すぎる、もっとお金を取るべき」

絵師は絵を提供する立場なので、クライアントゴミだった場合は他の絵師被害に遭わないよう晒した方がいい」

といった絵師に都合のいい話をする人ばかりをフォローし、都合悪いことを言う人をブロックし、何をやっても擁護されるコミュニティを構築していました。

想像がつかないかもしれませんが、私のような人は絵を描いていると、案外普通にます

ハッシュタグを付けて、オリジナルキャラクターの絵を年単位で描いたことがある人なら「ああ…」と思う人もいるのではないでしょうか。

何というか、止める人のいない環境自分で構築したから、自業自得でここまで拗らせてしまったのだなと痛感しています

 

前回Twitter

当事者がこんな客観的物事を考えられるはずがない。つまり嘘」

という意見散見されましたが、これはおおよそ生成AI規制派として活動している時、絵を描かない人たちが

「本物の絵師なら○○するはずがない」

「これは生成AIユーザー自演行為

という、絵師視点から見るとかなり怪しい決めつけを仲間内で広める行為が横行しており、この流れを商業利用しようとした私からすると

お金も入らないし、ここに居たら話の通じない人認定されて現状が悪化して終わるだけだ)

危機感が生まれ、なんだか全部嫌になってしまい、正気に戻ったからです。

 

前回の記事が、私の本心を全て打ち明けた懺悔であったにも関わらず、Twitterはしっかり本筋から外れた部分(文章の書き方や誤植、絵の描き方)を嘘認定することで盛り上がっていて、はてなコメントでは本文に対しての知見や叱責をくれる人が多かったのを見て、やはり胸中を打ち明ける場所はてなで良かったし、ここで降りる決断ができたのは正しい判断だったと再認識することができました。

本当に、はてなのしっかりとした叱責に背中を押して貰えたと思っています。本当にありがとうございます

 

 

計算高そうなことを考えるだけで計画性が何もない

 

自分が何を間違っていたか、「そもそも○○しなければよかったのに」と行動を根本否定していくことは簡単ですが、結果ありきではなく今回(AI論争を知名度向上に結び付けるという発想、その行動内容)のどの部分が失敗だったのか考える必要があると思いました。

自力で考えてみたところ、

思想知名度を得ると、同調する思想の痛快さを目的に人が集まるので、思想関係ない絵には興味がない。

*生成AI規制派の行動が過激化した時、どうやって清算するか全く考えていなかったので、取り返しがつかなくなった。

*やり方が攻撃的かつ陰湿だったので、マトモな人ならトラブル懸念して「この人に絵を頼みたい」と思わない。

そもそもAIどころか技術全般に疎いのに、偏見お気持ちだけで押し切ろうとした。(今調べても、APIという専門技術のことがわからないので理解は困難)

という、「その後どうしたいのか」「ターゲットはどこか」「ゴールは何なのか」ということをロクに考えておらず、下調べも一切せずノリで飛びついたことが大きな原因だったと思い至りました。

勿論それ以外にも原因は沢山あると思うのですが、今の私の頭で考えるのはこれが限界です。

この先は外から言葉ではなく、ちゃんと実社会に向き合って、失敗による恥を以て己の異常性に気づいた方がいいと思っています

 

 

そもそも極めて性格が悪い

 

語るまでもないです。

恐らく敬語が混ざっているか優良誤認している人がいると思うのですが、私は自分が悪いと思っている時だけ冷静で、自分が悪くないと思っていることに苦言を呈されると顔真っ赤で噛みついて、グチグチと共通フォロワー悪口を流す、プライドだけ高い害獣ヒスおばさんです。

この腐った性根はすぐに叩き直せるようなものではないので、せめてこれ以上周りに害をまき散らさないよう、相手の言い分をよく聞いて自らの非を受け入れるよう自罰的な姿勢で努めたいと思っています

 

---

悪銭身に付かずというのは本当で、私が今まで知名度目的同人などで得た金はただ「絵が上手い」という感想と一時しのぎの小金しかなっておらず、性格が悪く上から目線だったためこの歳であるべき交友関係が一切なく、人としてなんの成長もしなかったので、今はその莫大な払いきれるかわからないほどのツケを自力で払うべき時が来たのだと感じています

私事ですが、来月から派遣社員になるので、自分無知で不出来で人を貶めるような卑劣人間であるという立場を弁えたうえで、二度と同じ過ちを繰り返さないよう地に足をつけて生きていきたいと思います

私の自滅が「こういう信じられない身の滅ぼし方をした人もいる」ということで、誰かの知見になって、同じ轍を踏む絵師が一人でも減れば幸いです。

2024-09-19

anond:20240919130052

戦争を扱った日本作品で「敵国の兵士による市民への暴力」について描いているもの」 

普通に原爆フィルム現物のこっとるがなhttps://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53648562

ファットマンリトルボーイ日本におちた原爆のアダ名)おとした兵士最近までのうのうと生きてて悪いことしたなんておもってもなかったんだよ

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO90168730V00C15A8000000/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%84

自分の国から兵士被爆も認めてなかった

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%A7%E8%A2%AB%E7%88%86%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA

のちにヒーローにしたてあげたけど、それをいったら被爆した日本市民のほうが全員ヒーローですわ

そういうとこ見ると日本自罰的すぎるんじゃないかとおもえる

2024-09-18

自罰傾向かつ抑うつ状態にある自身の状況が当然の帰結であるということを肯定するために書く典型的パターンを示すだけの人生だった

anond:20240918111709

(1) この分析は正しいですか?

この分析はいくつかの正しい点がありますが、全てが正確とは限りません。

自罰傾向と抑うつ状態
著者の文章には自己批判的な要素が多く含まれており、これは自罰傾向や抑うつ状態兆候と一致する可能性があります
状況の肯定
著者は自身の状況を「当然の帰結」として受け入れており、これが行動しないことを正当化するための手段となっている可能性があります
心理的安定
自分の状況を受け入れることで心理的に安定するという点も理解できますが、これは必ずしも健康的な方法ではありません。

ただし、この分析が全ての側面を網羅しているわけではなく、他の要因や視点考慮する必要があります

(2) この分析AIによる出力の可能性がどのくらいありますか?

この分析AIによる出力である可能性はありますが、確定することは難しいです。以下の点を考慮すると、AIによる出力の可能性が高いかもしれません:

言語一貫性
分析論理的で一貫しており、感情的バイアスが少ない点はAIの特徴です。
一般的パターンの指摘
自罰傾向や抑うつ状態など、心理学的なパターンを指摘する点もAIが得意とする分析です。

ただし、人間専門家も同様の分析を行うことができるため、AIによる出力であると断定することはできません。どちらにせよ、この分析は一つの視点として参考にする価値がありますが、他の視点専門家意見も併せて考慮することが重要です。

2024-08-11

自粛はノーペナ

自粛自粛いうけどさー

本人が勝手に休んでるだけだろー

自罰してるだけだよなー

事務所はペナ与えてないんだよなー

まり事務所容認してるってことだよなー

事務所処分しないといけないんじゃないのかー

痴漢したやつがさー

痴漢自粛したら警察に捕まらないって変だろー

処分しろよー

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(14) | 17:44

2024-05-21

「とりあえず謝る」って便利だよな

なにか問題が起きたとして

その原因が何割どちらにあるかなんて、入念に検証しなきゃわからないんだ

から、その人がどれくらい相手自分が悪いと思うかなんて、その場や考え方による

でも大抵の場合いちばん大事なのは責任追及じゃなくて、その次にどうするかだから

双方が自分の悪かった点を反省して(自罰的に)謝れば、場がうまく収まる

 

Aさん「すいません、自分がこうすればよかったかもしれません」

Bさん「こちらこそすいません、自分がこうしていたらよかたです」

これでいい

 

別解として、実はこういうのもある

Aさん「あなたがこうすれば問題は起こらなかった」

Bさん「なるほど、でもあなたがこうしても解決した」

これで話が済むなら、これでもいい

 

問題は両方が混ざる場合

2024-04-26

責めたくないけど友人にモヤる

 友人と他数名で、共同制作作品を作っている。

 どんなものを作るのか、どの程度の進捗なのかを毎週話して進めている。時間が無く、他に主導する人もいないので、普段から私が話を進めることが多い。

 私と友人は担当する箇所が密接なので、特によく話をする。そこでモヤるところにぶつかった。

 私が考えた計画設計ほとんどを考え直したいと言われた。計画を1ヶ月以上進めた後に、だ。

 友人が言うには、共同制作から私だけが考えたものではなく、自分が考えたものも入れたい、という話だった。

 それは私も考えていて、計画しながらこれって共同制作意味あるのかな? と思っていた。担当箇所の根幹に関わるところを、私ひとりで考えていたからだ。

 はじめから、一緒に考えよう、と言えばよかったんだろうか?

 しかし毎週の会議では、誰がその設計をするのか、誰も言い出さなかったのだ。私は自分担当箇所だと思い、立候補した。

 それに会議が終わったあとには、質問確認したいこと、伝えておきたいことは無いかと毎週言っていた。その時友人は、担当箇所を一緒に考えたいとは言ってこなかった。1ヶ月間、一度も……。

 友人は、「自分制作方法計画的なものでは無く、思いついた時、やりたい時にやる」、「疑問は感じていたが言い出せなかった」とも言った。

 本人の性質からして、嘘は言っていない。そして同時に、多分こいつは忘れているのだ。私が話の最後に最終確認する時には、一緒に設計したいと思っていることがポンと抜けてしまって、毎週毎週言い出せなくて、今になって言ったのだ。設計の大枠を考え終わった1か月後に!!

 私はふざけた調子で、言ってよ〜!!と叫びながら、ちょっと泣いた。

 この設計が出来るまでに、省略するが紆余曲折あったのだ。制作メンバーに謝ったり睡眠時間を削ったりしながら、設計を提出したのだ。

 それなのに、この仕打ち。私の確認不足と言えばそうかもしれないが、1ヶ月間毎週なにか無いか確認していたのに、これ以上どう確認したらよかったと言うのだ。

 これを防ぐにはもう、毎日なんか思いついてない? 言いたいことない? と確認するしかないのではないか保護者か。私は出来るだけのことをやったと思いたい……。

 そしてなにより私にとって悲しいのは、設計がまた1からになる事よりむしろ、友人は私のこの感情理解出来ないだろうということだ。

 先述したように、友人は「思いついた時にやる」スタイルなのだ。私は計画が崩れた気分だが、友人にとっては、今思いついたから、言って、やる。それだけの事なのだろう。

 また人に対して感情よりも理論で事を進める友人は、単に私が怒っていると思って、すげー困った顔をする。意地悪な言い方をすると、面倒くさそうにする。

 1ヶ月も何も言わなかったのに何を今更!!  そう言われて私がどう思うのか分からないのか!? と言っても、多分本当に分からないだろう。本人は本当に、当たり前にこういう振る舞いをしている。私が怒っているので、早く落ち着いてくんないかな、なんとかやり過ごそう、とすら思っているかもしれない。被害妄想が過ぎるか?

 実際には、私は怒っていて、悲しんでいて、後悔も自罰反省もして、友人に言ってやりたいことも、理解させてやりたいことも沢山あって、なんなら一発殴ってやりたいとすら思っている。過去に戻ることは出来ないので、もうそれくらいでしかこの気持ちを発散出来ない。でも理解されることは無いだろう……。

 他の制作メンバーのしてきたこと、私がしてきたこと、友人がしてきたこと、その全てを無駄にしないためにも、私はここで食いしばるべきだろう。

 友人の提案に従って設計をやり直し、期日までに制作する、それだけだ。

 それだけだが、このモヤりをどこにも出さず理解されないまま進められるほど、私は利口ではない、本当に。

 マジで一発殴らせてくんないかな。お前のせいでこうなってるんだからなと言って、一発殴って、それで終わりに出来ないかな……

2024-02-25

anond:20240225102632

一方で野際かえでは徹底した胸糞悪くなるような漫画の描き手でどっちもロリコン読者に自罰的な内容なのが興味深いよな

例えばポンスケとかはやけがこんな内容に踏み込んでくるとは思えないし

2024-02-14

anond:20240212222718

釣りに釣られて長文乙やがな

本当だとしても(わざとらしく描写されないだけで)現実では婚活相談からとがめがくるわけだし

自分自罰したことにしてケリつけてるんやからかまわんほうがええんちゃう

旧帝大もほぼ嘘やろこれ

ほんまダボハゼは楽しそうに長文たれながすのうー

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