はてなキーワード: 自罰とは
アラサー増田の10年以上前の体験談と愚痴です。予め言っておくと、セクハラの話だけど男女対立の話じゃないしそういう話に持っていくつもりはないよ。あと長いよ。
私も講師も特定されたくないのでちょっとフェイク情報を混入させているよ。
あと最近あったテレビ関係の事案とは特に関係がないしそれきっかけで書こうとか便乗とかではないよ。ていうかニュース見る度フラバするからそんな連日話題にしないでほしいよあれ。
10代の頃とある舞台を観劇して「これやりたい!」と思い立ち、まずは舞台や映画方面に強いスクールに入った。
演劇の勉強は楽しかったしやりがいも多くて役者は目指したいなぁと思った反面、卒業生の進路として一番多い小劇団系は経営が厳しいところも多くて(それ以外にも色々と理由はあったが)入るのは躊躇われた。
色々と迷っている中で、学内オーディションでいくつかの大手声優事務所の担当者が来るスクールが目に留まり、そちらへ進むことにした。
今思えばここで役者業は完全に見切りつけて就職目指して、演劇は趣味で続けるって選択をしておけば良かったのかも。
役者一本で食べていくなんて小劇団に入ろうが大手事務所に入ろうが確率の低い運ゲーであることに変わりはないわけだし。
ともあれ私は声優スクールに進んでしまい、そこでも演技を楽しみレッスンに勤しんでいた。
前のスクールでそれなりに経験を積んでいた私は未経験者の多い声優スクールでは上手い方であり、講師陣にもそれなりに気に入られていた(と、思っている)。正直調子に乗っていた。
真っ当に教え子として接してくれた講師も勿論多かった、というか9割9分そういう素晴らしい講師だったけど、そうじゃない講師が1人いた。
演劇にしろ声優にしろ、スクールの講師の人達って生徒たちに舞台や映画をお勧めしてくださることが多く、その講師も例に漏れずたくさんの作品をお勧めしてきた。
その講師とか言うのもややこしいからH氏としておく。とにかくH氏は私に色々な舞台や映画をおすすめしてくれた。
私はお勧めされたものは積極的に観るタイプで、尚且つその感想をお勧めしてくれた人に語りまくるタイプでもあった。
私の感想?着眼点?を気に入った(ように見えただけで実際の興味は女体だけだったかもしれない)H氏は、「飲みながら語ろう」と私を居酒屋に誘ってきた。
当時の私はまだ20歳そこそこで社会経験が乏しく世間知らずであり、そして自分の憧れる業界に長くいる人と懇意になる=業界でチャンスが巡ってきやすいのでは!?なんておめでたい思考も持っていた。要するに考え無しのアホだった。
1軒目では途中でたまたま同じ店にいたスクールのクラスメイトの乱入なんかもあったりしながら演劇論で盛り上がり1時間ほどでお開き。楽しかったなぁと1人帰路についたところでH氏から電話が。「飲み直したい、2人でもっと演劇について語りたい」と。
前述の通りのおめでたい思考に更に酔いがプラスされ都内随一のアホで迂闊な女となっていた私は、そんな話を額面通り真に受けて釣られてしまった。もっと行間を読めるようになりましょう。
そこで半個室の居酒屋に連れていかれ、H氏から「奢りだからどんどん飲んでいいよ」と言われ、まあまあ強めのお酒をしこたま飲んでしまった。当たり前だが他人の金だろうとベロベロになるまで酒を飲んではいけない。
朝までその居酒屋でH氏と飲んで語り明かすつもりだったんだけど、めっちゃ酔ってたのと10年以上前だからこのあたりの記憶が曖昧なんだけど何でか場所変えることになったんだよな(ちなみに人生において記憶が曖昧になるくらいまで酒を飲んだのは後にも先にもこの1件だけだよ)。確か始発まではやってない店だった気がする。
始発まで別の店で飲むんだと思ってたんだけど(実際に行く店名まで話してた気がするんだけど)、H氏は徐に手を繋いできて、私はラブホに連れていかれた。演劇論を語り合うんですよね…?
ホテルついた途端H氏はバイアグラを飲みはじめ(ていうか今思ったけどバイアグラ日常的に持ち歩いてんのかよこいつ)、ようやく「これはマズイことになってるのでは」と酔いが醒めてきたんだけども時すでに遅し。本当に遅すぎ。私より立場も体格も上な人間を拒絶できるわけもなく、せめて口同士のキスとセックスだけは勘弁してくれとH氏のご機嫌を伺いながらなんとか一線は超えずに済ませた。演劇論?そんなものはない。
身体は触られ舐められまくり、「○○ちゃん(H氏の本名の下の名前)って呼んで」とか「赤ちゃんプレイが好き」とか気持ち悪い甘え方をされ、「自分の子供と同い年の女の子相手なんて興奮するなぁ」とか「胸に目がいって授業に集中できないよ」とかこれまた気持ち悪いことを言われたりなんぞして私のトラウマには完全に強烈に刻まれまくったりしたがなんとかかんとか一線は超えずに朝を迎えホテルを出て解散し、始発の電車に乗ってなんとかかんとか家路についた。てか結婚してたんかいお前。あやうく不倫相手となってもっと泥沼に突っ込むところだったぞ。父親がこんなでお子さんも可哀想すぎるよ。
このときに着ていた服はH氏の臭いがついたような気がしてしまい全部捨てた。気に入ってたんだけどねその服ね。ボトムに至っては確か着たの2回目くらいだったぞ。
まもなくH氏から謝罪のメールを送られて、私の内心は絶対に許さんぞスケベジジイめという気持ちではあったのだが、気持ちとは裏腹に「気にしないでください」と返信してしまい、スクールに訴えることもしなかった。
スクール内で出来た友人たちとの関係とか、自分の進路とか色々なことが壊れてしまうのが怖くて何も言い出せないまま卒業してしまった。自分の被害訴えようとすると友人たちやスクール自体に迷惑が掛かりそうな気がして(あと周りから講師とホテル行った女と思われるのも嫌で)我慢する方が良いような気がしてしまった。
もしこの時の私の判断のせいで後輩たちに次の被害者が生まれたりしてたら本当に申し訳ない。
子供の時から自分が我慢すれば丸く収まると思っているような人間だったけれど、そんなの大きな間違いだったんだよな。気づくのが遅すぎたな。
その後、私はそのスクールの学内オーディションで声優事務所の養成所に受かりそのままその養成所に進み、その養成所でもレッスンに励んだり小さい舞台にちょっとずつ出たりはしていたけれど、ある日突然駅のホームで泣きながら過呼吸を起こしメンクリでパニック障害と診断され養成所を辞めざるを得なくなった。
H氏の出来事があって以降、スクールや養成所で中年の男性の講師に褒められることに少なからず恐怖を感じるようになったり(別に他の講師たちは何一つ悪くない)、「このままプロになったらいつかH氏と再会するんだろうか」「私が成功したらH氏の武勇伝に使われるんだな」という不安に常に苛まれたり、その一方で男性に言い寄られると断れない貞操観念ゼロの状態になったり、あと単にバイトとの両立キツくて睡眠時間削られてたりと今思えばパニック障害に陥るのも当然のメンヘラ具合だった。
でもここまでメンヘラ女になっておいてやばいお薬とか葉っぱとかやらず処方薬ODとか自傷とかもせず借金もこさえずに生き延びてるの正直かなり偉いと思う(こうして無理矢理にでも自画自賛しないと本当に人生やってらんない)
10年以上も昔のことをなんで今更増田に書いてんのかというと半年ほど前にやってみたいゲームのキャストをチェックしていたら久々にH氏の名前を見て発作出ちゃったからなんだよね。
H氏はそんな大々的に売れてるような声優ではないし、私は今は他の趣味もできたしアニメも滅多に見ないゲームもほぼやらないので運良く数年間は名前を見ることはなかったんだけど。
あんなことしても平気で生きてて、今でも声優の仕事やってんだとか、どっかでまだ講師やって若い女に手出してんのかなとかH氏の家族って何も知らんのかなとか色々と考えて虚しくなっちゃった。(でも軽く調べた限り前のスクールの系列校も含め講師として名前は載ってなかった。講師業そのものも辞めてるといいけども)
H氏はこれ以外にも、出演したアニメや共演者や業界関係者を平気でdisったり毒親持ちの生徒に親を大事にしろとか説教したりぶっちゃけ授業自体も時間全然守らないわ中身グダグダだわで色々アレな人間だったんだけど、ここを語ると更に長くなるし話ブレるんでやめるね。
何年もずっとこのことは誰にも家族にも言えなかったし向き合うのが嫌すぎてネットに書き込むこともしなかった。ただ、長年通院しているメンクリの主治医に去年このことをやっと言うことができて、めちゃくちゃ自罰的になっていた私を宥めすかしてくださり少しだけ気持ちを軽くすることができた。やっぱ内に抱え込んでないで少しは吐き出した方がいいのかもしれない。でも家族には言えないな。
てかこれ書き始めたの去年の秋なのに踏ん切りつかなくて今日ようやく投稿できたわけなので、こういう体験談って打ち明けるのかなり難しいしメンタル的にキツイよな。やっぱ性被害なんて体験しないに限る。
これを読んでる夢を追ってる若い増田いたら(いるのか?)、憧れの業界の人に気に入られても2人っきりになるのだけは避けた方がいいということを覚えていてほしい。自分はブスだから大丈夫とか思うなよ、私はブスだけど大丈夫じゃなかったぞ。
本当に9割9分の講師はマトモで良い人だったよ。男女問わず。恩師と呼べるような人もいるしH氏みたいなのは例外中の例外だと思ってる。(今思うとH氏は治療が必要なレベルの性依存な人だったのでは?という気がしている)
ただ、どれだけ業界の1人に気に入られ親しくなろうと、その業界でのチャンスが巡ってくるわけじゃないよ。ただの一講師に仕事紹介したり事務所紹介したりとかそんな権限ないし。
どれだけその人に傷つけられようとも業界も誰も救ってくれないし、相手は平気な顔して生き続けてるし、こっちは10年以上メンクリ通って安定剤飲み続けるだけ。
正直なところそんな狭き門の不安定な業界なんて目指さず就職しろ安定を取れって言いたいけど、てかぶっちゃけセクハラとか関係なく真面目にお芝居勉強してきた人ほど世に溢れるヘッタクソな芝居にイライラさせられるので演劇関係の道なんて目指さない方が人生充実すると思うんだけど、
まあ目指したくなっちゃうもんな〜。自分は何とかなるって思っちゃうもんな。
だからせめて自衛できるところは自衛しておくれ。自分の人生に責任取れるの自分しかいないし。
こういう世界って生き残るのに才能の有無ってあんまり関係なくて、心身に異常をきたした人(と、借金で首が回らなくなった人)から脱落していくようになっていると思うんだよね。だから最低限心身の健康は守ろうな。
何の話?これそういう教訓話で良いのか?
まあいいや
何度も言われていることだけれど、そもそも似たような悲劇がたくさん繰り返されているから何度も言われるのだ。
まず、メンヘラ人間はなぜかやけに見た目がいいことが多い。というか、友人関係や恋人関係が成立しうるくらいのコミュニティにおいて、深く関わる前ならば「かわいいから」「かっこいいから」で許されていることが多く、結果として仮にブサイクならばとっくに弾き出されていたようなやべーやつ、見目が良いから生き残ったという話なのかもしれない。じっさい俺がいま付き合ってるメンヘラ女もすげーかわいい。
しかしそのかわいさに絆されて付き合い始めたら、その先には地獄が待っている。まず、なにかのトラブルにたいして、やつらは表面上「自分がが悪い」と言う。この「自分が悪い」という気持ち自体は嘘ではないのだろうが、そのあとに口をひらけば「XXのせいで自分はこうなってしまっているのだ」と言う。自罰的ではあるが、他責的なのだ。自分が悪い、と自分を罰しながらも、自分がそうなった責任は他人に転嫁している。最初のうちは「親のせいで」とか「周りのともだちのせいで」という話が多いだろう。そしてその「まわりの友達」や「親」を悪者にしたトークで同情者を募り、また「味方」を取り込んでゆく。そして、そこに「恋人」という役割で関わり始めたら、終わりの始まりだ。すぐに「私がこんなにダメなのは恋人かこんなにひどいから」というストーリーをあっというまに作り上げて、自分自身で信じていく。自分自身がそう信じてしまったらもう客観的にどうかなどは関係ない。それが本人にとって真実だから客観的事実がどうであろうと関係ない。
この「わたしがこんな状態なのはXのせい」という他罰性と、「わたしはダメな人間だ」の自罰性が絡まり合って、メンヘラはほんとうに「どう扱っても自己嫌悪してるか他人を激しく攻撃しているかしかしてない触りにくい人間」になっていく。そして周りの人間をおおいに困惑させ、傷つけ、結果として周りの人間は去っていく。
そしたらまた「わたしはなんてダメなんだ。わたしがこんなにダメなのはXXに(親に、恋人に、いままでの友達に、通っている病院の先生に)ああいうことをされたからだ」のループに入っていく。だから、自責の念と他罰性を強く持ったメンヘラには関わるべきではない。可能ならばいますぐ逃げるべきだ。
では、メンヘラは救われないのか? わたしは、彼らは他人の力では救われないと思う。他人の力で救われようとしているメンヘラは他人を不幸にするだけだ。しかし自分自身のケアの方法を覚えたり身につけたりすることができるメンヘラ、支援者に対して誠実に向き合えるメンヘラはきっと救われてほしいし、そうじゃないとしたらあまりに悲しいことじゃないか、と思う。
いくら相手の見目がよく、相手のことを大事だと感じられて、いくらあなたが「だからこそ自分が必要なんだ」と思うような優しい人間でも、取り返しがつかなくなる前に他責性の強い(なんども見てきたように自罰性の強さと他責性の強さは両立するのだ)メンヘラ人間とは距離を置いた方がいい。いままでも同様の警告は多く書かれてきたし、この文章だってそれらと同じく、ほとんどの悲劇を救うことはないんだろう。
それでも、自罰的で他責的なメンヘラが自らの他責性に気づくきっかけになったら、あるいは自罰的で他責的なメンヘラの支援者が逃げるきっかけになったら、すこしでも役立てたら、と思う。
自罰的で他責的なメンヘラの相手をするのは楽ではない。まずはそれを改めて確認しよう。自罰に対してはなるべくよりそいと安心を、他責に対しては同調せずにその考えから距離を取ることを大事にしよう。他責のターゲットが自分である場合は、あえてその問題を軽く扱う、触れない、気分の変化を待つなどの自衛をすることが、結果的に長期的な支援につながるはずだ、がんばろう
スレッタが許す許さないを決めるのは、プロスペラがエリクトのためにスレッタを作り児童労働者として使役してきた(きょうだい児・搾取子の立場に置いていた)ことについてまでであって、偽旗作戦でアーシアンを大量に殺したりクワイエット・ゼロ発動を邪魔する宇宙議会連合の軍人を大量に殺したことについては、スレッタは被害者でもなんでもないので許す権限などない。プロスペラの掌の上で転がされ思い通りに操作された大失敗罪でミオリネがアーシアンの憎悪の的になり、シャディクがクワイエット・ゼロの罪まで背負って逮捕されているけど、意味が分からない。これは本当に監督に対して「何をやっているか分かっているのか」といいたい。
目の前で何かが起きたとき、現象の原因や意味や今後予想されることなどはスレッタには分からない。ファラクトに勝手に乗り込んだノレアにニカが踏みつぶされそうになるのをスレッタは見ていて、すぐに体が動いてバイクで助けるけど、何が起きているか分かってない(その場でニカの死を防げればすぐに忘れる)からその後の学園テロも防げない。プロスペラ、エリクト、ミオリネが大事な存在であり、あとは地球寮のみんながいじめられていたら助けてほしいとグエルに頼むし、目の前で困っている人がいたらモブであっても救助するために体が動く。でも情報の処理や理解が何もできない。物事を長く覚えておくこともできないようだ。
スレッタアンチだからバカ扱いをしているとかではなく、ミオリネに何を言われても意味が分かっておらずミオリネを絶望させたシーンも、結局こういうことなんじゃないかと。でも、スレッタは頑丈。落ち込んでも盗み食いするし、頭が悪くてブレーキが壊れているところはあるが基本的には善性に基づいて行動するため他人の憎悪に飲み込まれないのがスレッタの美点でもある。スレッタはショックを受けても寝られるし食べられるし、体がよく動くことが取り柄の、頭はよくないが鈍感さが良いほうにも作用している健康的な子だ。最後に全身麻痺になっていて信じられなかった。ろくに教育を受けられず思考力もなく、学校を建てるだけ建てて、あの後どうするのか。
ミオリネの生存確率を上げるための制度として決闘により結婚相手を強制的に決める制度が有効だった・合理的だったとは欠片も思えない。しかし最終的にミオリネはデリングの愛を感じて態度が軟化、グエルもフェンシング(死ぬほどしょうもないシーン)の機会を設けてホルダーをスレッタに譲るという形でデリングの顔を立てながらスレッタとミオリネの結婚が決まっており、耐え難かった。ミオリネの誕生日も過ぎ、ミオリネがグループ総裁になるくらいだし、あんなルールは全くの無効になっているのだから、無視すべきであった。コングロマリットの総裁選がU-20な件は笑って流したが、トロフィー追認はその種の「所詮アニメのリアリティレベルだから」で流す気には到底なれなかった。
シャディク嫌いと言うと「わかってねー」みたいになるのも嫌い。真空ジェシカとトム・ブラウン褒めないとセンス悪い認定するインターネット同調圧力のようだ。うざい。あのキャラクターが高度だとは思わない。他作品では比較的ヴィランを好きになる性質の人間なのに、シャディクのことはストレートに嫌いだった。
アーシアンの地位向上の革命を目指しているが、ソフィやノレアやニカなど貧民アーシアンを使い捨てにすることについての葛藤・合理化の過程が何も見えない。ミオリネとグエルは両方上級国民みたいなもんだけど、ミオリネは好き(ただしクエタテロのときは一旦安全を諦める)、グエルには上級への嫉妬でネチネチした感情を向ける(ミオリネ自身の選択という部分を認めずにグエルに責任転嫁して逆恨みする)、というのがもう、好き嫌いの部分で完全に嫌いで。孤児からアカデミー時代の回想等も一切ないし、シャディクガールズのための自己犠牲も「シャディクガールズ自身に罪を償わせろ」としか思わなかったから、嫌いな部分をカバーできるような同情・共感できる要素が一個も出てこなかった。これが監督が特に力を入れたキャラクターなら、本当に感性が合わないとしか言いようがない。
グエル:スレッタが泣かされている→泣かせた4号を決闘で倒す(だれも望んでない行為だし失敗)
ラウダ:ペトラが意識不明にされ学園が壊され学生がじゃんじゃん殺されグエルがおかしくなった→諸悪の根源のミオリネをガンダムで倒す(だれも望んでない行為だし失敗)
不快な出来事が発生したら敵を探して倒して解決(ジェターク社の経営難はデリングを暗殺して解決)というヴィム脳ムーブをやめましょうねということなんだろうが、やめましょうのその先がどうなったのかが全く分からない。長男に対して虐待のような真似を繰り返すが大企業を存続させて雇用を生んでもいたヴィム・ジェタークという人物を、長男が引き受けてそのパターナリズムを再構築する部分を、グエルがやったんですか?どういう着地なんですか?途中の認識についても着地についても、説明が一切ないので空虚。父殺しについても意味がよくわからない。スレッタと同じタイミングでグエルも人を殺したら、その偶然の一致がなんか面白いということだった?結局最後まで共闘しないし、スレッタはグエルから何の影響も受けないし、関係がなかった。無関係なところで勝手に偶然同じタイミングの殺人していることと失恋しか無いとは、結局何がしたかったのか…。
退寮や退学といった虐待に耐えかねて家出した件について、対話を諦めたグエルの罪であるかのような扱いは許し難い。ヴィム・ジェタークは対話不能の相手であり、弟も味方ではなかった。グエルの家出は「批判されるべき逃げ」ではない。弟に殺されかけたのもグエルに殺されるほどの問題があり責められても仕方ないような話ではない。全体的に、デリングやヴィムの側の対話放棄は無罪で、子供側の「無理解」や逃げは有罪であるという非対称が酷い。
金儲けのために人体実験やって貧民殺してた金持ちが資産を失って面白いというエンディング。
5号は絵の場所を見つける前向きな旅をしているので復讐に囚われていない、までは良いんだが、ニカが自首して服役を描いておいて、明確な人殺しがバレずにCEOが無罪放免になっているのは何?資産を失ったとはいえ、殺り得でしたねとしか思えない。
こっちもスレッタが4号に恋をしたってだけで退場なんだよな。ペイル周りで意味らしきものが感じられたのは、スレッタのストーリーとは一切交わらない部分の、5号のセリフくらいだ。スレッタの頭が悪くて大概のことを聞き流したり忘れるから、ジェタークやペイルとの絡みがあまり意味を持たないんだよな。というか、シャディクとの対峙についても意味あったか?シャディクが勝手に決めることについてスレッタが抵抗し、勝ったことに意味があるかと思ってた。無かった。
ニカがおかしいことに気づいていながらマルタンが身内を通報することをためらったため、通報のタイミングが大幅に遅れて学園テロが発生して大勢が死んだわけだが、視聴者は「マルタンがニカを売った」「チンコロ野郎」とキレており、このアニメの視聴者層に対して絶望した。
マルタンはニカの怪しい動きをクエタで見てから何度も対話を求めており、ニカが拒絶しつづけて、ついにテロが発生したという流れがあったうえで、最後マルタンが「もっとニカに対して対話を求めていればよかった」と反省していたのも完全に意味不明だった。マルタンはニカに話してくれと求めていた。反省するとしたら対話を求め「ニカ待ち」をしている間にテロが起きて、大勢の人命が失われたことだろ。マルタンとニカの罪の辺りのシナリオは完全に意味不明。だれかこの異常なくだりを解説してくれ。
欠陥を愛そうというコンセプトは感じられるが、欠陥の描写ばかりで美点の描写が下手だからシャディクなどを「普通に」嫌いになる。
スレッタは嫌いではないが、「どんぶり飯をたんと食え」のような祖父母→孫感情の矛先というか、食い意地の張った哺乳類の幼体に向ける好感であり、人物としては「頭が悪い」としか言いようがないので、あの状態で学校を建てて理事長なり校長なりをやるのかと思うと意味が分からないと思う。
ガンダムシリーズ初の女性主人公で頭が悪い主人公だったので別の文脈が乗り不快。女性主人公二作目で頭が悪かったらこういう不快さはなかった(男性主人公の愛すべきバカキャラはいる)。ガンダムシリーズ初の女性主人公で異性愛フラグを折ったうえでの同性婚成立をやったのも面倒くさかった。異性愛フラグを立てたうえで折っておかないと悪意にまみれたレズのチン堕ち勢が押し寄せてきて尊いスレミオを破壊されるだろうから予め封じておきたかったのかもしれないが、まず百合ガンダムなどなぜ女性主人公の二作目以降でやってくれなかったのか。それにSF的な説明なしで全員バイセクシャルであるという設定のつもりなら、おかしい。そんなものには誰もついていかない。同性愛嫌悪者どころか、腐女子や百合豚ですらついていけない異常な人間観だろう。同性愛者、両性愛者、異性愛者、無性愛者がいる、その多様性を描けていない。ファンダムまでもが、同性愛以外を叩く百合豚と腐女子、異性愛以外を叩く男女カプ厨という多様性の真逆の地獄になっている。こんな糞以下のファンダムは滅びるべきである。
さらに同性愛以外のテーマも盛り込みすぎて、一個一個の社会問題の扱いが雑、尺が足りていないから全部が浅くてつまみ食い。「いろいろありますが、難しいですね」という大上段に構えた、優等生的な冷淡さがそこにあった。最も連想するのは、サンフランシスコの社会的弱者を守るための万引きの無罪化だ。当事者性が全くないエリートが頭の中で弱者保護を考えた結果、万引きの無罪化を行い、ホームレスよりはさすがにマシな立場にあった個人規模の小売店が万引き被害により経営が成り立たなくなり廃業を余儀なくされていく、その種の持続不可能な弱者保護、お世話係をよそに押し付けたうえでのマイノリティ保護。結果、攻撃的・搾取的な人間が蔓延してコントロールを失い、この事態を引き起こした自罰を行うだけになる流れだ。社会問題の取り扱い方に、現実味がないのだ。ニカやミオリネのお花畑が憎悪を生んだ、あの雰囲気が通底している。
仲良くなった人を見下す所
これだけ
そういう相手に見下された場合、俺がそいつの視点で見て間違った事をしたりだとか、少し危うい事をすると、彼らは普段自分に課している罰を俺に与えてくる
俺には彼らがそれを求めているように見える。
自分が「ここまで自信を卑下している事を否定してほしい、自罰的なのを止めてほしい」というのが信頼した相手に対して求めている事だと俺は思う。
今回俺はこれができなかった。その場では、ああ気に障ったならごめんねみたいな、無難な事を言ってしまって、切り込めなかった。
次は永久に来ないと思うけど、もし似たようなケースがあれば対応しようと思う。
今回の失敗をいつまでも考えていると脳が腐りそうなのでここに書き留めておく。
そもそも「育児」って言葉の定義やらイメージが人によって同一じゃないんだから、その難易度の話がすりあわせできるはずがないんだよ。
昭和の頃なんてほぼ放し飼いだったぞ。難易度なんて存在しなかった。
いまは「親ガチャ」って言葉があるけど、昭和以前は「子どもガチャ」で、うまく育つか生き残るかは子ども次第。不良になったり無能だったら「子どもガチャ失敗」っていって子ども側に責任転嫁してたくらいだ(腐ったみかんとか平気で言ってた)。
つまり、育児が難しいって言ってる人は、その発言者の育児のイメージが難易度の高いもので、自分が設定したハードルを自分では突破不可能って言ってるに過ぎないよ。自罰的とも言える。まぁ自罰できるほど豊かになって暇になって他に趣味がないもんだから、育児ジャンルでマウント取り合う競技が発生しただけなんだけどね。ポケモンバトルみたいなものだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240714201952
紆余曲折あって、気持ちに折り合いがついたのでこの時の自分の問題点について考えてみようと思い立ち、この記事を書いています。
今回もきわめて頭の悪いお気持ち長文になると思うので、三行でまとめると
です。
先に恥を晒しておくと、私は学生時代、オタク=犯罪者予備軍という偏見がある時代で、変なテンションだったためにクラスで完全に孤立していたオタクです。
発達かどうか診断を受けたことはないのですが、未だにすぐ浮かれて中二病みたいな思考・自己認識になって一人ではしゃいでしまうので知性は低いと思います。
頭がおかしい女オタクというだけでもキツいのに、就職氷河期世代で、手に職をつけないとマズイという絶望的な空気の中「イラストレーターとして大成すればそんなの関係ないし、本当にマズくなったら死ねばいい」と楽観的に考え、手に職をつけず、それしか縋れるものがないため辞められずここまで来てしまった真性のバカです。
親の反対を押し切って大喧嘩の末に上京したため勘当されており、友達もおらず、インターネットの関係が私の交友関係の全てです。
挽回のチャンスは沢山あったはずなのに、ニコニコ全盛期は二次創作の手描き動画や人力ボカロに(時にはバイトをズル休みするほど)時間を費やしていましたし、イナゴ腐女子が問題になった頃は同人発の漫画家や同人の収入の話に釣られてまさにイナゴとして同人を描いていましたし、そもそも絵を描いていない時は一日中Twitterで時間を浪費していました。
そういう人間の自語りなので、絵師を高潔な存在だと思っている人にとっては受け入れがたい話だと思います。
信じようと信じまいと事実は変わらないので一向に構いませんが、自語り以上の目的が本当にないため、深読みは避けて頂けると助かります。
(故意に深読み嘘情報を流してバズを狙っていた私が言うのもどうかと思いますが、他意の無い文章に壮大な陰謀の伏線を見出されると少し焦ります)
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マトモに交流する相手がTwitterにしかいない時点でお察しなのですが、更に
「絵を描いていてえらい。描ける人はすごい」
「絵師は絵を提供する立場なので、クライアントがゴミだった場合は他の絵師が被害に遭わないよう晒した方がいい」
といった絵師に都合のいい話をする人ばかりをフォローし、都合悪いことを言う人をブロックし、何をやっても擁護されるコミュニティを構築していました。
想像がつかないかもしれませんが、私のような人は絵を描いていると、案外普通にいます。
ハッシュタグを付けて、オリジナルキャラクターの絵を年単位で描いたことがある人なら「ああ…」と思う人もいるのではないでしょうか。
何というか、止める人のいない環境を自分で構築したから、自業自得でここまで拗らせてしまったのだなと痛感しています。
前回Twitterで
「当事者がこんな客観的に物事を考えられるはずがない。つまり嘘」
という意見が散見されましたが、これはおおよそ生成AI規制派として活動している時、絵を描かない人たちが
「本物の絵師なら○○するはずがない」
という、絵師視点から見るとかなり怪しい決めつけを仲間内で広める行為が横行しており、この流れを商業利用しようとした私からすると
(お金も入らないし、ここに居たら話の通じない人認定されて現状が悪化して終わるだけだ)
と危機感が生まれ、なんだか全部嫌になってしまい、正気に戻ったからです。
前回の記事が、私の本心を全て打ち明けた懺悔であったにも関わらず、Twitterはしっかり本筋から外れた部分(文章の書き方や誤植、絵の描き方)を嘘認定することで盛り上がっていて、はてなのコメントでは本文に対しての知見や叱責をくれる人が多かったのを見て、やはり胸中を打ち明ける場所がはてなで良かったし、ここで降りる決断ができたのは正しい判断だったと再認識することができました。
本当に、はてなでのしっかりとした叱責に背中を押して貰えたと思っています。本当にありがとうございます。
自分が何を間違っていたか、「そもそも○○しなければよかったのに」と行動を根本を否定していくことは簡単ですが、結果ありきではなく今回(AI論争を知名度向上に結び付けるという発想、その行動内容)のどの部分が失敗だったのか考える必要があると思いました。
自力で考えてみたところ、
*思想で知名度を得ると、同調する思想の痛快さを目的に人が集まるので、思想の関係ない絵には興味がない。
*生成AI規制派の行動が過激化した時、どうやって清算するか全く考えていなかったので、取り返しがつかなくなった。
*やり方が攻撃的かつ陰湿だったので、マトモな人ならトラブルを懸念して「この人に絵を頼みたい」と思わない。
*そもそもAIどころか技術全般に疎いのに、偏見とお気持ちだけで押し切ろうとした。(今調べても、APIという専門技術のことがわからないので理解は困難)
という、「その後どうしたいのか」「ターゲットはどこか」「ゴールは何なのか」ということをロクに考えておらず、下調べも一切せずノリで飛びついたことが大きな原因だったと思い至りました。
勿論それ以外にも原因は沢山あると思うのですが、今の私の頭で考えるのはこれが限界です。
この先は外からの言葉ではなく、ちゃんと実社会に向き合って、失敗による恥を以て己の異常性に気づいた方がいいと思っています。
語るまでもないです。
恐らく敬語が混ざっているから優良誤認している人がいると思うのですが、私は自分が悪いと思っている時だけ冷静で、自分が悪くないと思っていることに苦言を呈されると顔真っ赤で噛みついて、グチグチと共通のフォロワーに悪口を流す、プライドだけ高い害獣ヒスおばさんです。
この腐った性根はすぐに叩き直せるようなものではないので、せめてこれ以上周りに害をまき散らさないよう、相手の言い分をよく聞いて自らの非を受け入れるよう自罰的な姿勢で努めたいと思っています。
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悪銭身に付かずというのは本当で、私が今まで知名度目的の同人などで得た金はただ「絵が上手い」という感想と一時しのぎの小金にしかなっておらず、性格が悪く上から目線だったためこの歳であるべき交友関係が一切なく、人としてなんの成長もしなかったので、今はその莫大な払いきれるかわからないほどのツケを自力で払うべき時が来たのだと感じています。
私事ですが、来月から派遣社員になるので、自分が無知で不出来で人を貶めるような卑劣な人間であるという立場を弁えたうえで、二度と同じ過ちを繰り返さないよう地に足をつけて生きていきたいと思います。
私の自滅が「こういう信じられない身の滅ぼし方をした人もいる」ということで、誰かの知見になって、同じ轍を踏む絵師が一人でも減れば幸いです。
「戦争を扱った日本の作品で「敵国の兵士による市民への暴力」について描いているもの」
普通に原爆フィルムの現物のこっとるがなhttps://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53648562
ファットマン・リトルボーイ(日本におちた原爆のアダ名)おとした兵士も最近までのうのうと生きてて悪いことしたなんておもってもなかったんだよ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO90168730V00C15A8000000/
この分析にはいくつかの正しい点がありますが、全てが正確とは限りません。
ただし、この分析が全ての側面を網羅しているわけではなく、他の要因や視点も考慮する必要があります。
この分析がAIによる出力である可能性はありますが、確定することは難しいです。以下の点を考慮すると、AIによる出力の可能性が高いかもしれません:
ただし、人間の専門家も同様の分析を行うことができるため、AIによる出力であると断定することはできません。どちらにせよ、この分析は一つの視点として参考にする価値がありますが、他の視点や専門家の意見も併せて考慮することが重要です。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌「ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。
東のゼロ年代はゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムがゼロになる」という意味らしい(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか。
3 ゲンロン
ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観で編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。
ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズは2010年4月6日に創業された。2009年の秋の飲み会でアイデアが出たそうである。宇野常寛、濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜(空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズの代表に就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表に就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかったかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。
「一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月号から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代のパラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもので民意をくみ上げようというものである。ゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代とゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。
「サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画は2ちゃんねるの動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSにネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。
「一般意志2.0」の次の主著は「観光客の哲学」(2017年)であるが、サブカルチャーを批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれてから、アニメやゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客の哲学 増補版」第2章によると、観光客は二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタクは原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客も住民の暮らしなどお構いなしに無責任に観光地をつまみ食いしていく。このように観光客は現実を二次創作しているそうである。
「福島第一原発観光地化計画(思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発で事故があり、ダークツーリズムの対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズムは二次創作への抵抗である(「観光客の哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地に観光に出かけると、普通の場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである(二次創作への抵抗)。
社会学者の開沼博は福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞のウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客の哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府の戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年に東京大学大学院情報学環准教授に就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣「脱原発の哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラーは佐藤の博論(「権力と抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤はバトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラーの著作の邦訳を担っている)。「脱原発の哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤の博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。
「観光客の哲学」はネグリ・ハート「帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学的であるとして、郵便的マルチチュードとしての観光客を対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというもの、リベラルはマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客の哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二やこたつぬこ(木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判的である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実「革命的なあまりに革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。
東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である。経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうである。ブレイディみかこ・松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルがマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田は2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員の代表を務めている。
「観光客の哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学」である。こちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢が大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念の意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能性なのだという(森脇「東浩紀の批評的アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。
こうして現在(2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身の気質を自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事を自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体と境界侵犯の欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀・桜坂洋「キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からぬものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。
宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客が結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利を宇野が要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である(映画の原作なのだろう)が、宇野のウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代の論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代の批評をふり返った本の終章なのだから、2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。
濱野智史は「アーキテクチャの生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised:情報社会の倫理と設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドルが流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年、アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史(社会学者)が経験したアイドルプロデュースの真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。
千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰と東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベントで千葉はゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀と何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生を全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。
大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。
福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談「現代日本の批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。
津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田は2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督に就任し、東は2017年10月、企画アドバイザーに就任する。しかし、企画展「表現の不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルからも顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(14) | 17:44
どんなものを作るのか、どの程度の進捗なのかを毎週話して進めている。時間が無く、他に主導する人もいないので、普段から私が話を進めることが多い。
私と友人は担当する箇所が密接なので、特によく話をする。そこでモヤるところにぶつかった。
私が考えた計画と設計のほとんどを考え直したいと言われた。計画を1ヶ月以上進めた後に、だ。
友人が言うには、共同制作だから私だけが考えたものではなく、自分が考えたものも入れたい、という話だった。
それは私も考えていて、計画しながらこれって共同制作の意味あるのかな? と思っていた。担当箇所の根幹に関わるところを、私ひとりで考えていたからだ。
しかし毎週の会議では、誰がその設計をするのか、誰も言い出さなかったのだ。私は自分の担当箇所だと思い、立候補した。
それに会議が終わったあとには、質問や確認したいこと、伝えておきたいことは無いかと毎週言っていた。その時友人は、担当箇所を一緒に考えたいとは言ってこなかった。1ヶ月間、一度も……。
友人は、「自分の制作の方法は計画的なものでは無く、思いついた時、やりたい時にやる」、「疑問は感じていたが言い出せなかった」とも言った。
本人の性質からして、嘘は言っていない。そして同時に、多分こいつは忘れているのだ。私が話の最後に最終確認する時には、一緒に設計したいと思っていることがポンと抜けてしまって、毎週毎週言い出せなくて、今になって言ったのだ。設計の大枠を考え終わった1か月後に!!
私はふざけた調子で、言ってよ〜!!と叫びながら、ちょっと泣いた。
この設計が出来るまでに、省略するが紆余曲折あったのだ。制作メンバーに謝ったり睡眠時間を削ったりしながら、設計を提出したのだ。
それなのに、この仕打ち。私の確認不足と言えばそうかもしれないが、1ヶ月間毎週なにか無いか確認していたのに、これ以上どう確認したらよかったと言うのだ。
これを防ぐにはもう、毎日なんか思いついてない? 言いたいことない? と確認するしかないのではないか。保護者か。私は出来るだけのことをやったと思いたい……。
そしてなにより私にとって悲しいのは、設計がまた1からになる事よりむしろ、友人は私のこの感情が理解出来ないだろうということだ。
先述したように、友人は「思いついた時にやる」スタイルなのだ。私は計画が崩れた気分だが、友人にとっては、今思いついたから、言って、やる。それだけの事なのだろう。
また人に対して感情よりも理論で事を進める友人は、単に私が怒っていると思って、すげー困った顔をする。意地悪な言い方をすると、面倒くさそうにする。
1ヶ月も何も言わなかったのに何を今更!! そう言われて私がどう思うのか分からないのか!? と言っても、多分本当に分からないだろう。本人は本当に、当たり前にこういう振る舞いをしている。私が怒っているので、早く落ち着いてくんないかな、なんとかやり過ごそう、とすら思っているかもしれない。被害妄想が過ぎるか?
実際には、私は怒っていて、悲しんでいて、後悔も自罰も反省もして、友人に言ってやりたいことも、理解させてやりたいことも沢山あって、なんなら一発殴ってやりたいとすら思っている。過去に戻ることは出来ないので、もうそれくらいでしかこの気持ちを発散出来ない。でも理解されることは無いだろう……。
他の制作メンバーのしてきたこと、私がしてきたこと、友人がしてきたこと、その全てを無駄にしないためにも、私はここで食いしばるべきだろう。
友人の提案に従って設計をやり直し、期日までに制作する、それだけだ。
それだけだが、このモヤりをどこにも出さず理解されないまま進められるほど、私は利口ではない、本当に。