はてなキーワード: パニック障害とは
ここに吐き出しにくるのいいな
同じ部にパニック障害持ってる人がいる
上司はその人にも外行かせろ!展示会行かせろ!と言って行かせて、何回か外で体調不良で倒れたり出かけた先で休みが必要になったりしてる
去年の展示会、取引先のブースに顔真っ青にして来たらしく担当さんが大丈夫ですか?って声かけたら安心したのかその場で座り込んでしまったって聞いて本当に可哀想で
担当さんも無理して来なくても大丈夫ですよ〜なんてフォローさせてしまっている
その人は内勤って言って雇ったのに、実は外出る仕事もありますとか言って働かせてる
事務処理能力が高いから、補助的な仕事をさせて外出るとか対外的な仕事はできる人がやればいいのに
上司は頑なに経験だのオールマイティだの言ってて意味がわからない
この前別の人が外に出て倒れてしまうことがある、これはパワハラに当たるのでは?と進言したら
そんなこともできないのか、こんなのあたりまえだ、とかなんとか…
それなら診断書をもってこいとか言い出す
持って来させてじゃあどうする
できない範囲とわかってるなら外せばいいだけのこと
おじさん大好き少数精鋭とか言ってるけどそれは今の若者には地雷ワード
精神的なもの以外は至って健康で風邪とかで休んだりもしない人だし、何より仕事が早い
そんな人を無理して使って辞められたらまたこっちが大変にもなる
なんでおじさんってみんなこうなの?そのせいで人辞めまくってるのに気付けよ
アラサー増田の10年以上前の体験談と愚痴です。予め言っておくと、セクハラの話だけど男女対立の話じゃないしそういう話に持っていくつもりはないよ。あと長いよ。
私も講師も特定されたくないのでちょっとフェイク情報を混入させているよ。
あと最近あったテレビ関係の事案とは特に関係がないしそれきっかけで書こうとか便乗とかではないよ。ていうかニュース見る度フラバするからそんな連日話題にしないでほしいよあれ。
10代の頃とある舞台を観劇して「これやりたい!」と思い立ち、まずは舞台や映画方面に強いスクールに入った。
演劇の勉強は楽しかったしやりがいも多くて役者は目指したいなぁと思った反面、卒業生の進路として一番多い小劇団系は経営が厳しいところも多くて(それ以外にも色々と理由はあったが)入るのは躊躇われた。
色々と迷っている中で、学内オーディションでいくつかの大手声優事務所の担当者が来るスクールが目に留まり、そちらへ進むことにした。
今思えばここで役者業は完全に見切りつけて就職目指して、演劇は趣味で続けるって選択をしておけば良かったのかも。
役者一本で食べていくなんて小劇団に入ろうが大手事務所に入ろうが確率の低い運ゲーであることに変わりはないわけだし。
ともあれ私は声優スクールに進んでしまい、そこでも演技を楽しみレッスンに勤しんでいた。
前のスクールでそれなりに経験を積んでいた私は未経験者の多い声優スクールでは上手い方であり、講師陣にもそれなりに気に入られていた(と、思っている)。正直調子に乗っていた。
真っ当に教え子として接してくれた講師も勿論多かった、というか9割9分そういう素晴らしい講師だったけど、そうじゃない講師が1人いた。
演劇にしろ声優にしろ、スクールの講師の人達って生徒たちに舞台や映画をお勧めしてくださることが多く、その講師も例に漏れずたくさんの作品をお勧めしてきた。
その講師とか言うのもややこしいからH氏としておく。とにかくH氏は私に色々な舞台や映画をおすすめしてくれた。
私はお勧めされたものは積極的に観るタイプで、尚且つその感想をお勧めしてくれた人に語りまくるタイプでもあった。
私の感想?着眼点?を気に入った(ように見えただけで実際の興味は女体だけだったかもしれない)H氏は、「飲みながら語ろう」と私を居酒屋に誘ってきた。
当時の私はまだ20歳そこそこで社会経験が乏しく世間知らずであり、そして自分の憧れる業界に長くいる人と懇意になる=業界でチャンスが巡ってきやすいのでは!?なんておめでたい思考も持っていた。要するに考え無しのアホだった。
1軒目では途中でたまたま同じ店にいたスクールのクラスメイトの乱入なんかもあったりしながら演劇論で盛り上がり1時間ほどでお開き。楽しかったなぁと1人帰路についたところでH氏から電話が。「飲み直したい、2人でもっと演劇について語りたい」と。
前述の通りのおめでたい思考に更に酔いがプラスされ都内随一のアホで迂闊な女となっていた私は、そんな話を額面通り真に受けて釣られてしまった。もっと行間を読めるようになりましょう。
そこで半個室の居酒屋に連れていかれ、H氏から「奢りだからどんどん飲んでいいよ」と言われ、まあまあ強めのお酒をしこたま飲んでしまった。当たり前だが他人の金だろうとベロベロになるまで酒を飲んではいけない。
朝までその居酒屋でH氏と飲んで語り明かすつもりだったんだけど、めっちゃ酔ってたのと10年以上前だからこのあたりの記憶が曖昧なんだけど何でか場所変えることになったんだよな(ちなみに人生において記憶が曖昧になるくらいまで酒を飲んだのは後にも先にもこの1件だけだよ)。確か始発まではやってない店だった気がする。
始発まで別の店で飲むんだと思ってたんだけど(実際に行く店名まで話してた気がするんだけど)、H氏は徐に手を繋いできて、私はラブホに連れていかれた。演劇論を語り合うんですよね…?
ホテルついた途端H氏はバイアグラを飲みはじめ(ていうか今思ったけどバイアグラ日常的に持ち歩いてんのかよこいつ)、ようやく「これはマズイことになってるのでは」と酔いが醒めてきたんだけども時すでに遅し。本当に遅すぎ。私より立場も体格も上な人間を拒絶できるわけもなく、せめて口同士のキスとセックスだけは勘弁してくれとH氏のご機嫌を伺いながらなんとか一線は超えずに済ませた。演劇論?そんなものはない。
身体は触られ舐められまくり、「○○ちゃん(H氏の本名の下の名前)って呼んで」とか「赤ちゃんプレイが好き」とか気持ち悪い甘え方をされ、「自分の子供と同い年の女の子相手なんて興奮するなぁ」とか「胸に目がいって授業に集中できないよ」とかこれまた気持ち悪いことを言われたりなんぞして私のトラウマには完全に強烈に刻まれまくったりしたがなんとかかんとか一線は超えずに朝を迎えホテルを出て解散し、始発の電車に乗ってなんとかかんとか家路についた。てか結婚してたんかいお前。あやうく不倫相手となってもっと泥沼に突っ込むところだったぞ。父親がこんなでお子さんも可哀想すぎるよ。
このときに着ていた服はH氏の臭いがついたような気がしてしまい全部捨てた。気に入ってたんだけどねその服ね。ボトムに至っては確か着たの2回目くらいだったぞ。
まもなくH氏から謝罪のメールを送られて、私の内心は絶対に許さんぞスケベジジイめという気持ちではあったのだが、気持ちとは裏腹に「気にしないでください」と返信してしまい、スクールに訴えることもしなかった。
スクール内で出来た友人たちとの関係とか、自分の進路とか色々なことが壊れてしまうのが怖くて何も言い出せないまま卒業してしまった。自分の被害訴えようとすると友人たちやスクール自体に迷惑が掛かりそうな気がして(あと周りから講師とホテル行った女と思われるのも嫌で)我慢する方が良いような気がしてしまった。
もしこの時の私の判断のせいで後輩たちに次の被害者が生まれたりしてたら本当に申し訳ない。
子供の時から自分が我慢すれば丸く収まると思っているような人間だったけれど、そんなの大きな間違いだったんだよな。気づくのが遅すぎたな。
その後、私はそのスクールの学内オーディションで声優事務所の養成所に受かりそのままその養成所に進み、その養成所でもレッスンに励んだり小さい舞台にちょっとずつ出たりはしていたけれど、ある日突然駅のホームで泣きながら過呼吸を起こしメンクリでパニック障害と診断され養成所を辞めざるを得なくなった。
H氏の出来事があって以降、スクールや養成所で中年の男性の講師に褒められることに少なからず恐怖を感じるようになったり(別に他の講師たちは何一つ悪くない)、「このままプロになったらいつかH氏と再会するんだろうか」「私が成功したらH氏の武勇伝に使われるんだな」という不安に常に苛まれたり、その一方で男性に言い寄られると断れない貞操観念ゼロの状態になったり、あと単にバイトとの両立キツくて睡眠時間削られてたりと今思えばパニック障害に陥るのも当然のメンヘラ具合だった。
でもここまでメンヘラ女になっておいてやばいお薬とか葉っぱとかやらず処方薬ODとか自傷とかもせず借金もこさえずに生き延びてるの正直かなり偉いと思う(こうして無理矢理にでも自画自賛しないと本当に人生やってらんない)
10年以上も昔のことをなんで今更増田に書いてんのかというと半年ほど前にやってみたいゲームのキャストをチェックしていたら久々にH氏の名前を見て発作出ちゃったからなんだよね。
H氏はそんな大々的に売れてるような声優ではないし、私は今は他の趣味もできたしアニメも滅多に見ないゲームもほぼやらないので運良く数年間は名前を見ることはなかったんだけど。
あんなことしても平気で生きてて、今でも声優の仕事やってんだとか、どっかでまだ講師やって若い女に手出してんのかなとかH氏の家族って何も知らんのかなとか色々と考えて虚しくなっちゃった。(でも軽く調べた限り前のスクールの系列校も含め講師として名前は載ってなかった。講師業そのものも辞めてるといいけども)
H氏はこれ以外にも、出演したアニメや共演者や業界関係者を平気でdisったり毒親持ちの生徒に親を大事にしろとか説教したりぶっちゃけ授業自体も時間全然守らないわ中身グダグダだわで色々アレな人間だったんだけど、ここを語ると更に長くなるし話ブレるんでやめるね。
何年もずっとこのことは誰にも家族にも言えなかったし向き合うのが嫌すぎてネットに書き込むこともしなかった。ただ、長年通院しているメンクリの主治医に去年このことをやっと言うことができて、めちゃくちゃ自罰的になっていた私を宥めすかしてくださり少しだけ気持ちを軽くすることができた。やっぱ内に抱え込んでないで少しは吐き出した方がいいのかもしれない。でも家族には言えないな。
てかこれ書き始めたの去年の秋なのに踏ん切りつかなくて今日ようやく投稿できたわけなので、こういう体験談って打ち明けるのかなり難しいしメンタル的にキツイよな。やっぱ性被害なんて体験しないに限る。
これを読んでる夢を追ってる若い増田いたら(いるのか?)、憧れの業界の人に気に入られても2人っきりになるのだけは避けた方がいいということを覚えていてほしい。自分はブスだから大丈夫とか思うなよ、私はブスだけど大丈夫じゃなかったぞ。
本当に9割9分の講師はマトモで良い人だったよ。男女問わず。恩師と呼べるような人もいるしH氏みたいなのは例外中の例外だと思ってる。(今思うとH氏は治療が必要なレベルの性依存な人だったのでは?という気がしている)
ただ、どれだけ業界の1人に気に入られ親しくなろうと、その業界でのチャンスが巡ってくるわけじゃないよ。ただの一講師に仕事紹介したり事務所紹介したりとかそんな権限ないし。
どれだけその人に傷つけられようとも業界も誰も救ってくれないし、相手は平気な顔して生き続けてるし、こっちは10年以上メンクリ通って安定剤飲み続けるだけ。
正直なところそんな狭き門の不安定な業界なんて目指さず就職しろ安定を取れって言いたいけど、てかぶっちゃけセクハラとか関係なく真面目にお芝居勉強してきた人ほど世に溢れるヘッタクソな芝居にイライラさせられるので演劇関係の道なんて目指さない方が人生充実すると思うんだけど、
まあ目指したくなっちゃうもんな〜。自分は何とかなるって思っちゃうもんな。
だからせめて自衛できるところは自衛しておくれ。自分の人生に責任取れるの自分しかいないし。
こういう世界って生き残るのに才能の有無ってあんまり関係なくて、心身に異常をきたした人(と、借金で首が回らなくなった人)から脱落していくようになっていると思うんだよね。だから最低限心身の健康は守ろうな。
何の話?これそういう教訓話で良いのか?
まあいいや
しかし、私が実家から出た後、その部屋は今子供部屋おばさんの妹(とはいえ20代前半)が私のものを全て処分しリニューアル、オシャレな自部屋に改造し、毎週必ず彼氏を呼んでいる。
妹はパニック障害があり引きこもりがち、外出が苦手なので、妹都合でおうちデートが多めになるようだ。
両親は「こんな妹ちゃんに付き合ってくれる、あわよくば結婚を考えてくれる人、逃したくない」と黙認、なんなら気を遣って自分たちが外出する始末だ。
相手の男は妹と同い年、まだ学生だけど大手企業に内定が決まっている。
一方妹は前述の精神疾患に加えて生理の度に人に八つ当たるような女で、フリーターのくせに美容やインテリアに金をかけて、奨学金や歯科矯正費用がまだ借金として残っている。
男は妹にぞっこんで、こないだのクリスマス、ブランド物の時計プレゼントしてもらってた。
男共はどうしてこんな負債物件の理解ある彼くんをやってしまうというのか。
どう考えても正社員でメンタルも比較的安定しており奨学金は返済済み、真面目に生きてる私と交際/結婚した方が幸せだろうが。
大切に扱われたかった!
モテない私は青春コンプも相まって、羨ましいやら妬ましいやら悔しくて悔しくてたまらない。
ずっとイライラしている。
4年ほど前、初めてパニック発作がでて、わけもわからず救急車を呼んだ。
その時点で発作の原因はわからなかったが、その後詳しく調べた結果、バセドウ病になっていることが判明した。
それに加えて生理前だったこと、風邪を引いていたこと、元々持っていた低血糖の悪化、コロナ禍など様々な原因が重なり発作が起きたと推測された。
当時はパワハラや突然深夜に連絡のあるストレスのかかる仕事をしていたので、仕事を辞めて治療に専念することにした。
初めはパニック障害とバセドウ病を治すつもりでそれぞれ通院していたが、ふと昔から症状のあった低血糖が気にかかった。症状とは、おなかがすくと手が震えたり、冷や汗をかいたり、イライラしてキレやすくなったり、人の話が理解できなくなったりすることで、中学生のときに18時以降食べないダイエットをしていたときからよく経験しているものだったが、食べると治るので深く気にしていなかった。
・パニック発作が起きる
・人に危害を加えたくなる
など、様々なものがあった。
早速専門の病院で検査をすると、機能性低血糖という病名がついた。
根本的な解決のためにはまず低血糖を治そうと心に決めた私は、バセドウ病と低血糖の治療の日々を過ごし、パニック発作が落ち着いてきたという実感が芽生えた頃、今度は恐ろしいことを考えている自分に気が付いた。
具体的に言うと、恋人と料理をしているときに、衝動的に包丁で恋人を刺したくなったり(そういう想像をしてしまう)、ドライブ中助手席に座っているときに急にシートベルトを外して道路に飛び降りたくなったりした。
あとは叫んだり、道路に飛び出したり、隣に座っている見知らぬ人を急に叩いたりしたい衝動にかられたりした。
本当はそんなことをしたくないのになぜそんな衝動にかられるのかわからないことが恐ろしく、平静を装うのに必死だった。
とにかく自分が信じられないし、なにかしでかすんじゃないかという恐怖でいっぱいだった。
その当時ちょうど「男性が車から急に飛び降りた」というニュースを目にして、その人は私と同じ症状だったんじゃないかと不安でたまらなくなったこともあった。
コロナ禍前にヨガに通っていたこともあり、メンタルに効くと思ったからだ。
そのヨガ教室は個人経営で、たまたまマンツーマンでレッスンを受けることになった。
体験中に先生が「私はパニック障害を持っているけど、ヨガを始めてからすごく良くなったんだよ!」と話し始め、希望がもてる情報にうれしくなって興味津々で聞いていたら、「きっかけは、衝動的に自分の子どもをお風呂に沈めたくなって、おかしい自分に気付いて怖くなって、友人や家族に助けを求めたんだよね。」と言ってきた。
また、「私は今も抗不安薬を飲んでる。最初の症状が出てすぐに薬を飲まないと絶対に治らないよ!」とも言われ、その先生の言葉はそういう薬を一切飲んでいなかった当時の私をかなり苦しめた。
「〇〇してしまうのではないか」という恐怖が強すぎると「〇〇したい衝動」に置き換わってしまう可能性があると言われた。
要は気にしすぎだと思う。
パニック発作を初めて経験してからしばらくは予期不安もすごくて電車に乗るのも怖かったし、本当に毎日苦しかった。脳がおかしくなっている感覚もあった。
しかし治療を続けて数年後の現在はというと、長時間の飛行機に余裕で乗れるくらい治った。発作が再発しても大丈夫と思えるくらいの知識と落ち着きが身についた。
あれほど怖かった衝動的な感情についても、全く気にならなくなっている。
そして健康なときにふわっと考えていた、子どもを産むことについても考えるようになった。
ふと「子どもができたら…」と想像すると、幸せな妄想とともにヨガの先生が言っていた言葉を思い出し、恐怖が襲ってくる。
明るい気持ちのときは、衝動があっても実際しなかったんだからこれからも大丈夫!と自信を持っていられるが、
暗い気持ちのときは、今まではなんとか大丈夫だったけど次はやってしまうかもしれない…と考えてしまう。
病名でいうと強迫性障害が1番近いと思うがどうなんだろう。
とにかく今は平気だが、将来的に再発したらどうしようと不安だ。
今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。
こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。
不快な思いをしながら、適当な言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。
その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。
ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。
私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般のラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるもののハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしなバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。
私は地方の田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。
きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶はほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。
その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧な記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観の人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。
母親は専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型を強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまったことがあるが、あなたのパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。
そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日が不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。
そんな親の元過ごした小学生や中学生の時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親のイライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。
一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだからと我慢させられた経験は山ほどある。
中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代。いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間で思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身の性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。
以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。
高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。
こんな得体のしれない高卒の人間を総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇で仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。
このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からのメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装・髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省を自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったことから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位で時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。
このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調な株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。
こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分が過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティは迫害の対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係が希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能な日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式をポジティブに主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。
ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分からず対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育で犯罪に走ってしまう子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省もキャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代は覚悟さえできればスマホでポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタルは悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿げたことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論。未来の自分や他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧な関係を終わらせようと思う。
1年間仲良かった友達2人と距離が空き今や全く話しかけてくれない。なのに同じクラスだから必然的に事務会話しなきゃならない時もあるから地獄。向こうはどう思ってんだろ
完全に3人組から2:1に。
1年間は仲良かったと思ってた、友達だと思ってたのは私だけだったのかな。悲しい……
2人のほうにお局がいるからクラスのみんなはそっち側。私は腫れ物扱い。もともと私もクラスの半分くらいを嫌ってたから当然なのかな。
けど勉強したいんだよ。
やりたくてずっとやりたくてやっと入ったんだから。
わざわざ社会人経験してから専門学校入るとかちゃんと覚悟あるに決まってんじゃん。
こんな人間関係で辞めたくないよ
私の方が成績いいからって僻まないでよ。精神疾患持ちだから体調崩しやすいのなんで理解してくれないんだろ。
勉強させてよ。授業受けさせてよ。
授業中の決まり守ってないひとたちがいいのに私はだめなの?私語もしてないし真面目な生徒だよ?
出る杭は打たれるんですか?
神経質で真面目なのって、なんにも得しないじゃん
このクラスになりたくてなったわけじゃないのに
ゆっくり休息したくても出席日数に重きを置いてる専門学校だから、勉強全く出来ない授業ずっと寝てる無遅刻無欠席のほうが重宝されるんだきっと。
たぶん今の私のフェーズは休息な気がするけど
休息すればするだけ出席日数は削られていく。
なんのためにわざわざ4年生の大学じゃなくて3年の専門学校にしたと思ってんだ、留年は嫌だ。留年するくらいなら大学通いたかった。大卒になりたかった。
寝たらちゃんと起きてね。仮眠はもうこりごり
自分の体がわかんないよ。
わかんないわかんないわかんない。
このまま私がダメになったら一生恨みそう。
おやすみ。
高校2年の夏過ぎにパニック障害不安障害で学校に行けなくなり中退。数年自宅療養からの徐々にアルバイトができるようになりフリーターに。
高校はわざわざ家から遠い場所にあるとある大学附属に行った(私の中学からは私1人しか行かなかった)。その大学に行きたい学部があったからだ。
その夢が諦めきれず、去年、関連する学科の専門学校に入学。その学問は、ややちいさな界隈であるが、その界隈では1番歴史のある学校だ。
学ぶことが楽しくて満足していた。3年間だけだけど有意義に過ごしたいと日々足掻いていた。
1年生のころに仲良くなった友達が2人いた。①ちゃんと②だ。ふたりとも私より年上の30代。 1年の頃はよく3人で行動していた。 私の体調が不安定なことからたまに学校を休むことがあり、そのときのプリントをもらってくれたり、プリントの穴あき部分は写させてもらっていた。基本皆勤の 2人はどうもそれがあまり良く思ってなかったようで。 私が学校を休むのは怠惰のせい、寝坊のせいと思われていた。違うのに。 2年の夏前から違和感を感じたが、夏休み前は期末テストの追い込みに忙しくあまりそちらを気にしている暇はなかった。
夏休みは一切連絡は取らなかった。 そのままフェードアウトするのがきっとお互いのためだったと思う。
5月ごろに理不尽な理由で私は文化祭委員に指名された。友達を巻き込んでいいとのことだったので、当時はまだ仲が良かったので①ちゃんと②を指名した。それと①②とも仲のいい男の子が1人加わってくれた。 現在その文化祭委員で集まることを酷に感じており、学校を休むことも多くなってしまった。 授業は日々進んでいく。私だけ受けられない。 勉強したいのに、授業受けたいのに、好きな先生も沢山いるのに。なんで授業に関係ないところでこんな負担を被らないといけないんだろう。
もともと持っていたパニック障害は完治はしていない。うつも治療中。メンタル状態は割とすぐに体調に直結する。 学校では2人は私には一切話しかけてこない。1年の頃は仲良かっただけにいまだに信じられない気持ちもあるし、2人に呆れてもう顔も見たくない気持ちもある。 いい歳して無視みたいな幼稚なことは流石にしないけど、そうじゃなくてもなんだかなって思う。基本クラス替えしないからあと1年半同じクラスなのにこんなに気まずくして大丈夫そ?とは思う。もしかして気まずいの私だけなのかな。私は比較的1人で行動できる範囲が広いらしい。だからこそ放っておいてもいいと思われてるのかも。この学校には学びに来たんだから、友達を優先するよりも自分の勉強欲を最優先にして何が悪いんだろう。 私のクラスは友達グループがびっちり出来上がっていて、ひとりぼっちの人って女の子は居なくて、だからこそいま浮いてしまっていて、クラス内の関係ない人には申し訳ない気持ちもあるし、自分自身が情けないし、必ず誰かと行動しないと行動できないクラスメイトも愚かだなって思う気持ちもある。このクラスにも問題があって、1年の最後に、クラスを替えてくれ、もしくは私だけでもいいから他のクラスにしてくれと先生に直談判したが、ダメだった。今になってもこのクラスは好きになれない。全て1人で勉強すればいいだけなら良かったのに、医療系なので複数人での実習は多い。正直クラスメイトに「え??」と思う時は多い。私が悪いのだろうか。どこを直せばいいのだろうか。 文化祭委員の担当教員が担任だったので相談したが、今になってメンバーから外すことはできないと言われた。細かな融通が全く効かない学校ではあるとはいろんなところからは感じてはいた。自殺未遂でもすれば動いてくれるだろうか。 文化祭委員は完全に3:1の状態。ストレスフル。2人とも私のことなんだと思ってるんだろ。君たちのせいで私は勉強できないのに。
私のメンタル面の体調の弱さも嫌になる。
心身の弱さをわかっているからこそ学校通えるようにいろんな面で他のストレスが減るように努力したり工夫したりしているのに、学校に通えないんじゃ何にも意味ない。
この①②との人間関係がストレスフルすぎる。どうしたらいいんだよ。こんなことで悩みたくないよ。
長年通っているかかりつけ医、学校のカウンセラー、担任、どれを頼ってもあまりうまくいかない。無料の相談窓口も探してみた、チャットで相談できるところに書いてるうちにわりとまとまったのでここにも投稿してみる。ちなみに相談窓口からはいまだに返信はない。
もし身近に、程度の大小はあれど、精神面に怪我を負ってる人がいるなら、優しくしてやってほしい。どう接したらいいのかわからない場合はいっそ本人に聞いてもいいと思う。して欲しくないことやそのラインはは人によって違う。完治してなくても、頑張って普通の人を装ってる私みたいな人も全然その辺にいるよ。
NT型なので私のどこがダメだったのか、なぜ距離を取ったのか、理由を一通り聞きたい。全部直すことは不可能だけど理解しておけば今後に活かせることは絶対ある。
反撃したすぎるけど全然反撃せずに静かにしてんの偉すぎる。昔よりも多少は成長したんかもしれん。いやわからんけど。
もっと細かく書けるところも沢山あるけどとりあえず。最近生活リズムも終わってて寝たら起きれないから今日はこのまま1限いくぜ〜〜夕方まで生きててくれよな。はぁ……マジ病ミ……
2年ほど前にパニック障害の診断がおりた。
外出は絶対無理!な状況で泣きながら2週間に1度通院。
今はもうすっかり良くなったがまだ服薬は続いている。2年経つのにまだ服薬している。
最初は仕事のストレスかと思ったけど、先生と話しながら紐解いていくとどうやら実家由来だった。
というか親。いわゆる毒。家庭環境が悪いとパニック症になるのはよくある話らしい。
なので一言だけ「もう無理!じゃあな!」と連絡入れて親も親族もブロックした。
元から会うと具合が悪くなるくらい嫌いだったので清々した。
今思えば会うと具合が悪くなる人間ってなんだよって感じである。
親族の中に私より10以上年下とかの子がいる。まだ高校生とかの兄弟だ。
10数歳離れた親族はたまにしか会えない都合のいい姉的存在なので懐いてくれていた。
そんな2人が仕事終わりに久々に電話をかけてきた。元気そうだし、可愛いなと思ったけどその背後に親族、ひいては母も祖母もいると思ったら吐き気が止まらなくなった。
帰ってきて空嘔吐をした。おえって言うだけで何も出ないやつ。これが苦しい。本当に。
あの子らに罪は無いし嫌いじゃない。私が親族との交流をぶった切ったことを知らない。
けどあの子らは親族と関係がいい。血縁と関係が良好なのは良い事だと思う。私は違ったが。
そんなわけで、パニック障害になった女のその後は「関係者をぶった切った代わりに、たまに関係者と電話するだけで具合が悪くなる」に落ち着いた。
電話はセーフだった頃から考えたらまあ悪化した感じ。普段絡まなくなった分、余計にストレスに感じるのかもしれない。
ひろゆきが「壁にポスターを貼っている人は勉強ができない」と断言しているのですが、
言いたいことは、まあその通りだと思います
特に人間の描かれているポスター、アイドルとかの写真の視線が自分側を向いてる、カメラ目線である、というのは常に監視されている、という圧迫感があります
俺は圧迫感なんか感じていない、という人も自然と気が付かないだけで感じているはずなんです
1984のbig brother watching youです
誰かに見られている、という状態は緊張感を生み出し、自分の実力を発揮できない状態になります
実は、私は人前に立つと手が異常に震えてしまうことがあり、ギターとか楽器が弾けなくなりますし、そのことで職場で上司にバカにされたトラウマもあります
しかし、人前でなければ、例えば自室での練習であれば、なんの緊張感もなく、ちょっと難しいフレーズも弾けるようになります
で、ですね、自分はパニック障害気味なところもあるので、バスや電車自体が苦手で、且つ今は人生で最も酷い状態で、まったくバス、電車に乗れない状態なのですが、
それでも、バスとか電車とか、ちょっとでも落ち着きたい状況の場所では、周囲の壁のテクスチャーとかはニュートラルであってほしいと思ってます
まったくの白、マットな白の床や壁の空間が合ったら、多分ですが、距離感がおかしくなるはずです
でも、ロシデレの絵もそうですし、他のラッピングとかもどうかと思っています
単純に、オタ絵のラッピング、痛車みたいなのが嫌いというのもありますけど、痛車は個人の自由の範疇じゃないですか
でも、公共のバスとか電車はそれが不愉快な人、困る人も強制されてしまうわけで、そうなると公共のものというのは、多少無味乾燥になっても仕方がないのではないでしょうか?
そんなことよりも、アニメーターの労働環境なり、もっと社会を良くするべきことはいっぱいあるはずなのです
あと、ネットでウザイ広告が出てくることが不愉快で、広告をブロックしたり、ブロックできない広告に泣かされたり、普通にあると思うのですが、
ロシデレラッピング電車みたいなのも広告ですし、ウザいネット広告と同じだと思う人がいたっておかしくないですよね?
というか、私はそのひとりなわけですけど、現実世界の広告もブロックできるプラグインがあるならブロックしたいんですが、
そういう意味でも、ロシデレラッピング電車が不愉快だよね、と表明するのはそんなにおかしいことなのでしょうか?
まあ、言いたいことをまとめると、電車とかバスでは気分を落ち着けたい、というのが私の意見です
ラッピングバスやラッピング電車は、ウザいネット広告と同じで、今、見たくないものを目せつけられる、という強制感さえあります
ロシデレはつまんないので見てないですが、マケインは見てますし、逃げ上手も見てますし、エロ漫画も読んでるし、VRのAVも鑑賞しています
でも、外でマケインや逃げ上手やAV鑑賞はしませんし、エロ漫画も読みません
ロシデレはnot for meですが、ロシデレはまったく悪くありません
遅ればせながらミッドサマー見ました、ディレクターカット版。まぁ夏休みだからね。せっかく見たわけだから、感想をどこかに違法投棄したかった。
だった。
とにかく「共感」という感情の働きをグロテスクに、狂気的に描写している。下馬評を聞いて、カルト村にやってきたよそ者が現地のネーチャンとパコパコした後に、愉快な仲間と共にグロ処刑されるよ!って話だと思っていたので、なんか予想と違う角度からの露悪的な表現に、自室の椅子から転げ落ちてしまった。劇場で見なくてよかった。ありがとうamazon prime。
本作の主人公であるところのダニー、これがまた悲劇的人物で、双極性障害の妹がダニー以外の家族を巻き込んで無理心中してしまうという、壮絶な背景を抱えている(ルックバックであれこれ言われた我が国ではできそうもない設定だ)。さらに言えば、彼女自身もパニック障害持ちと、かなり苦難の人生を歩んでいる。
そんな彼女にも、理解のある彼くんこと、クリスチャンがいます……と思いきや、このクリスチャンは理解ある彼くんになるにしては力不足。作中冒頭でもダニーの電話に辟易としている様子が描写されている。ダニーが不安になるたびに電話がかかってくるので嫌になったんでしょうね。
また、クリスチャン自身もダニーの誕生日を忘れてしまっていたり、自分の旅行の計画を彼女に伝えてなかったりと、純粋に彼力が足りてない部分も描写されている。
そんな彼の落ち度をダニーが非難して謝らせ、ダニーはそこからさらに追撃(本当に心から謝ってる?攻撃)をかまし、そしてクリスチャンに非難され返して慌ててダニーが謝るという場面がある。
そんな彼女の前に現れるのがペレ。この物語はペレに誘われてホルガ村に来たクリスチャンとダニーとその仲間たちが、ダニーを除いて村の生贄にされる話であるから、彼は物語的には黒幕、あるいは元凶である。
そんなペレは、作中でダニーに対し「自分も同じ境遇(家族を失った)だから」と彼女の悲しみに寄り添おうとする。
……と思いきや、不思議なことに彼は作中一度もチンポを出さない[^2]と、いまいち意図がわからないキャラクターとなっている。なんなら誕生日を忘れたクリスチャンをフォローしたのもペレだ。NTR男だとしたら敵に塩もいいところだ。
そんな彼の動機も、作中中盤に明かされる。自身が家族を失った悲しみをコミューン(ホルガ村)に支えてもらったと。だから同じようにダニーもホルガ村で支え合えると。
つまり宗教である。男が女に寄るとき、その理由はセックスか宗教か金の3択だ。こいつも例外ではなかった……というのはさておき、動機だけ見ると善性寄りに思える。
作中でダニーたちが訪れるホルガ村。ホラー作品の類型に漏れず、この村は姥捨てからスピリチュアル儀式、人身御供までを幅広くこなす、分かりやすいキリスト文化圏外のエログロホラーカルト村だった。
ここまでは典型的な因習村といったところだが、ホルガ村にはホラー作品としては珍しい要素がある。
どういうことかというと
など。ホラー因習村としてはユニークな表現だ。そして、これこそがペレの言っていた「家族を失った悲しみをコミューンで支えてもらった」の真相である。この村は、とにかく村民同士で共感し合って、悲しみを乗り越えるようだ。
そして、紆余曲折あったダニーはホルガ村に迎え入れられ、紆余曲折あって知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていたクリスチャンを生贄に捧げることを決意したのであった。燃えるクリスチャンを遠目に眺めながらダニーはニッコリスマイルを浮かべて映画は幕を閉じる。
ここから先は物語の中では描かれず、それぞれの解釈に委ねられている。故に、自分も己の解釈を述べることにする。
ホルガ村で行われている、この共感メソッド。その目的は、個人が抱えるには重すぎる苦痛をコミューン全員が共有・分配することで苦痛を乗り越えることにある。また、協力して苦難を乗り越えることからコミューン内の結束力を高める効果もあるだろうし、感情の共有を徹底すれば「村民同士で共感しない感情については村として承認しない」という仕組みを作ることができる。これぞまさに共産主義的な支配に他ならない。
現に、姥捨の場面では「こんなことおかしい」と叫ぶ余所者の感情には一切共感せず、しかし村に迎え入れられたダニーの嗚咽には共感してみせた。このように、村をあげた共感の儀式は、その他の共感しない感情を排除する効果がある。カルト式の集団運営に一役買っているのだ。
双極性障害の妹から連絡が絶えた不安に共感して欲しい、この不気味な村から早く抜け出したい、そういった感情への共感を、ダニーはクリスチャンに求めてきた。しかしクリスチャンはそれを受け止め切ることができず、ダニーはそれに不満を感じていた。
そして、共感に対する内なる欲求をペレに見透かされたからこそ、ペレはダニーがホルガ村に来ると知ったすぐ側から、ダニーに寄り添い始めたのだ。村人が「ペレの見る目は確か」と言ったのは、そういうところを指しての言葉だろう。
しかしながら、ずっと笑顔の戻らなかったダニーが、スピリチュアルメイポールを通じて村の女性と心を通わせ、恋人を失う悲しみを共有することでやっと笑顔を取り戻すという展開からは、ホルガ村を迎え入れたことそのものが幸か不幸かは判断がし辛くはある。
人は誰しも自分の感情に共感してもらいたいものだ。しかしながら、共感を他人に問答無用で押し付け、そして押し付けられることを選んだコミューンの行き着く先がエログロカルト村というのも、寓意を感じずにはいられない描写だ。
なにより、ダニーのような、恋人に感情労働を押し付ける女がそのようなコミューンに適合するという描写が、そのような人間の行き着く先は地獄であると暗に示しているようでならない。
現代ではエコーチェンバー効果という言葉を聞くことも珍しくなくなってきた。思想の似通った者同士が通じ合い、かくして狂気は産まれるのだというストーリーは、思い返せば現実でもよく見る構図であった。
もし、この映画から得られる教訓があるとくれば、それは「共感のしすぎ、求めすぎ」は狂気を招くということではないだろうか。
是非とも身に覚えのあるメンヘラ女の諸氏におかれては、このことを胸の片隅にでも置きながら、周囲への配慮を怠らずにいてくれれば幸いである[^3]。
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[^1]: このように書くと、パニック障害なのだから仕方ないじゃないか、差別だなどと書かれるかもしれないが、そもそも恋人は無料セラピストではないのだ。クリスチャン自身もダニーを支えきれないことを自覚し、別れ話を持ちかけようともしているのに、単純にクリスチャンをクズ男扱いして死んで当然扱いする感想記事があり、あまりにもあまりにもであったので、ささやかな抵抗として、このように駄文をゴミ捨て場に投げ捨てている。
[^2]: ちなみにクリスチャンはチンポを見せている。
[^3]: 決して私怨ではない。