はてなキーワード: 自己否定とは
1.現状に不満がある
2.自分は優秀だ。
3.1と2は矛盾しているが現実に起きているので矛盾がない隠れた変数(陰謀論)がある。
だけなんだよね。
でもたいていの人はこの苦しい現実に立ち向かっても陰謀論にはまらない。それは家族や友人がいて孤独感を覚えていないから。
そういう他者とのかかわりが自己肯定に繋がるから一面的に自分が間違っていることを認めても自己否定につながることはない。
主観的につらくても客観的には十分現状が恵まれていることを伝えても、その人自身に問題があることを伝えてもそれを認めることは深刻な自己否定につながる。
そして同じような陰謀論者とつるんで孤独感を紛らわせる。これは陰謀論を通して自己肯定感が高まるという負の成功体験ともいうべき状態。
こういう人に1や2が間違っていることを伝えても無理なんだよね。できることは陰謀論と無関係なところでしっかり真剣に付き合ってあげること。
理解ある彼くんがメンヘラ女子の元に届けられるまでの過程は、緻密かつ心温まるストーリーがある。最初に、彼女が抱える悩みや不安が「理解ある彼くんデータベース」に登録される。このデータは、オンライン相談フォームや匿名アプリで集められた情報をもとにAIが分析したもので、彼女の性格、好きなもの、苦手なこと、そして心の奥底にある不安までも精密に反映している。そのデータが受け取られると、生産工場では彼女専用のカスタム彼くんが設計される。プログラミングルームでは「彼女の話を親身に聞くスキル」や「タイミングよく肯定する力」が特別に強化され、彼女にとっての理想像を一つひとつ形にしていく。また、適切な返答ができるよう、彼女が好きな映画や音楽の情報もインプットされ、「疲れたときに送るLINE」のテンプレートも準備される。
その後、フィジカルカスタムラインで彼くんの外見が整えられる。彼女の理想に合わせて服装やヘアスタイルが調整されるだけでなく、常に優しさを感じさせる微笑みや「大丈夫だよ」と言ったときの声のトーンまでが緻密に設定される。そして最終チェックでは、彼くんが実際に彼女とのシミュレーション会話を行い、AIスタッフがその反応を確認。「自己否定的な発言をしたときの励まし方」や「感情の波に対応する仕草」が完璧に仕上がったところで出荷の準備が進む。
理解ある彼くんは特別な耐衝撃パッケージに包まれ、彼女の生活スタイルに合わせた時間に到着するよう配送スケジュールが組まれる。届けられる当日、彼女の元に彼くんが到着すると、まず彼くんが「初めまして、大丈夫?」と優しく声をかける。彼女が「疲れちゃった」とつぶやくと、彼くんはすぐに「そっか、無理しないでいいんだよ」と心からの共感を見せ、自然にそばに寄り添う。彼くんの存在が彼女の心を少しずつ癒していき、その場には穏やかな空気が流れる。こうして理解ある彼くんは、彼女にとっての「心の安全地帯」となり、新たな日々を共に歩み始める。
三角関係だった主人公が幼馴染少女の方を選び二人で旅行に行って初体験してラブラブハッピー、からの衝撃の最終回
えっ?なんで?こいつ頭おかしいの??混乱が止まらないまま「おわり」の文字に迎えられ放心する
ラブコメ漫画を風刺し毒づく作風は今読むと、その手の漫画への嫌悪や憎悪がこもりすぎて痛々しいのだが
最悪の別れをした元恋人と大人になってから再会し今の俺ならやり直せるかもと駆け寄るもとっくに他の男と結ばれていましたエンドを秒速5cmより先にやっていて、エモ系の範疇であるあっちよりも露悪的で最悪な気分にさせてくれた
でも主人公はずっと抱えていた自己否定から解き放たれ、その元凶であった母とのわだかまりも解け、どこかよそよそしさのあった友人とも真の友達になり、密かに想いを寄せて続けていた好きな男の子に告白することもできました
前話がこれで、これはギリハッピーエンドにいけるのではないか……そんな想像を全て打ち砕きみんなダメになる
商業連載が打ち切りになり、同人で続きを描いていたら評価されて単行本は商業出版できたという異色の作品
織田信長の祖父の時代、落ち目の国の姫君と、アルビノ故に親に捨てられ野山で育った野良侍が「君の名は。」する戦国ラブコメ
入れ替わりものの設定を生かした、ハッピーエンドかバッドエンドかわからないあの衝撃的なオチは入れ替わりもの好きにはもっと知られていい
未来予知のできる主人公が、どうせ何をどう頑張っても俺の子供たちは途上で惨死して係累は途絶えると知りヤケクソになって地面を割り、
知的障害者の幼女とセックスして「そなたは私の子を産むかも知れぬな」とつぶやいて終わる
なんだよこれ
夏目友人帳作者の前作にして、打ち切りで終わった作品で、そのトラウマから夏目はやたら連載が長引いているのだろう
辺境の村で共に育った少年少女、少年が実は貴種漂流していた王の実子と判明し王都に招かれ即位
田舎の村にも若き王の善政は聞こえ、少女は誇りに思いながら王都へ行きパレードから新王を仰ぎ見るが、全くの別人が王をやっていて「誰だてめえ」と叫ぶところから始まる
以下の文章は、作者の創作か、もしくは現実の話を書いたかどちらかを判定し、その理由も詳しく説明してほしいです。
(全文コピペ)
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この文章は創作である可能性が高いと思われます。その理由を以下に説明します。
文章全体にわたって、出来事や会話、心情の変化が詳細に描写されています。特に、心情や夫婦間のやり取りがリアルかつドラマチックに表現されており、脚本的な構成を持っていると感じられます。これにより、フィクションとして読者に「物語」を提供する意図が感じられます。
例えば、「探偵を使ったが無駄だった」「ボイスレコーダーで不倫相手との会話を聞いた」などは、典型的な物語のエスカレーションで、登場人物の心理が少しずつ追い詰められていく様子を強調しています。
文章の流れが綿密で、プロットに沿った展開が繰り広げられています。特に「6月初旬から10月中旬まで」の詳細な時間軸に沿って進むため、まるで小説やドラマの一章ごとに新しいイベントが発生するかのように区切られている点が強く創作らしさを感じさせます。
また、緊張が高まる最後の場面においては、「自殺をするしかない」という結論に至るまでの主人公の葛藤が重々しく描かれており、読者を感情的に引き込む意図が見受けられます。
夫のキャラクター像(熱しやすく冷めやすい性格、サークル活動への熱意、淡々と離婚の手続きを進める姿勢など)や不倫相手の描写(献身的で理想的な女性像)は、シンボリックであり、典型的な物語のキャラクターに見えます。現実では多様な人物が存在するはずですが、ここでは物語としてわかりやすいキャラクターが展開され、読み手が各登場人物に感情移入しやすくなっています。
最後の部分で、主人公が「自殺」というウルトラCを計画するという発想や、それによって夫と不倫相手に「現実を見せる」という結末は劇的すぎて現実にはやや不自然と感じられます。こうした劇的な結末の導入は、小説やドラマなどの創作において、物語を盛り上げるために使われる手法です。
上記の理由から、この文章は創作である可能性が高いと考えられます。
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逆に現実の出来事を書いていたとしたら、その理由は見つけられるでしょうか?
現実の出来事を描いた可能性があると仮定した場合、いくつかのポイントが理由として挙げられます。
文章全体を通して、感情の移り変わりや細かい行動が具体的に記録されています。日常的な場面(例えば「夫婦の口喧嘩」「母への電話」「探偵に依頼する」など)や日常に寄り添った心理描写(「夫の言動が気になり始める」「相手女性のSNSアカウントを眺め続ける」など)は、現実の経験から生まれるもので、作り話ではここまでの細かさを再現するのが難しいと考えられます。
文章中の対話には、現実的で人間らしい反応や表現が含まれています。たとえば、夫が「俺のこと好きじゃないんでしょ?」と尋ねた時の、主人公の否定できなかった場面や、「サークルに来ないでほしい」と言われる場面など、言葉の端々に日常的で素朴なやり取りが見られ、これらは現実に経験したからこその表現かもしれません。
また、普段は仕事の疲労から離婚話を避けたり、デートや旅行の費用負担についての細かな記述も、日常生活に即した具体的な描写であり、現実の出来事を反映しているようにも思えます。
主人公は夫に対する複雑な感情を持ち続けています。好きだと思っていた夫の関心が他に向いたことで初めて動揺し、自分の気持ちが整理できない状態に置かれている様子は、現実にありがちな感情の揺れを感じさせます。例えば、カウンセリングで「好きなところは出てこないが、離婚したくない」という発言や、相手女性のSNSアカウントをチェックし続けるなど、混乱と依存がリアルに表現されています。こうした複雑で矛盾を含む感情は、創作よりも現実に基づいている可能性が考えられます。
作中の主人公は、事前に計画を立てず、衝動的に行動し、後悔を繰り返しています。例えば、喧嘩の最中に勢いで「離婚届を持って帰る」と返答したり、夫に対して「1ヶ月だけ時間が欲しい」と頼んだり、不倫の証拠をつかもうと探偵を雇ったが成果がなかったことなど、行き当たりばったりで結果的に何も進展しない行動が続いている点は、現実における人間の不完全さや衝動的な行動を反映している可能性が高いです。創作であれば、こうした無計画な行動を細かく描写するよりも、物語を進めるための筋が優先されがちです。
文章の終盤にかけて、主人公の感情は不安定さを増し、最終的に「自殺」という極端な考えに至りますが、その決断が唐突ではなく、過程が細かく描かれています。夫への不満や裏切られた感情、不倫相手への嫉妬など、積み重なったストレスによって自己否定や自殺念慮に至るプロセスは、心理的にリアルであり、実際の出来事としてもあり得るかもしれません。人間関係の破綻が原因で心理的に追い詰められる例は多く、現実の状況でこのように冷静さを失ってしまう可能性も考えられます。
現実の出来事だと考える場合、この文章は、複雑でリアルな心理描写や日常的なやり取り、無計画さ、そして極端に壊れていく心理過程がその証拠になると言えます。
【要約】
夫に好きな人ができたことをきっかけに夫婦関係が悪化し、口論から離婚話が進展。最初はお互い軽い口論と思っていたが、夫の意志は固く、離婚に向けて話が具体化する。妻は途中で離婚に対する後悔を示し、関係修復を試みるが、夫の心は既に離れていた。夫には他に心の寄り所があり、妻は孤立を深める。最終的に、妻は夫への愛と苦悩の末に自分の存在意義を失い、絶望的な結末を考えるに至った。
【もう少し長めの要約】
夫に好きな人ができ、夫婦関係に亀裂が入る中、夫から「離婚しよう」と言われる。口論から始まった離婚話は当初軽い気持ちだったが、夫の態度が冷め切っていくうちに事態は深刻化。繁忙期もあって冷静に向き合えない妻は、夫への不満や苛立ちも重なり、離婚を受け入れようとする。しかし、いざ離婚が決まると、自分が本当に夫を愛していたことに気づき、後悔が募る。
離婚の手続きを進める中で夫は生き生きとしている様子を見せ、さらに妻の気持ちに揺さぶりをかける。妻は夫の態度の変化や、夫の趣味のサークル活動での振る舞いから、夫に特定の女性の存在があるのではないかと疑い始める。SNSを通じて夫の相手を特定し、ますます不安定になる。自らの命を断つことまで考え、夫婦カウンセリングや義両親への相談などで関係修復を試みるも、夫は不倫相手への気持ちが揺るがず、冷淡な態度を貫く。
やがて、夫が優しく心許せる相手を見つけたことを知り、妻は自己否定と絶望に苛まれる。その女性は夫の支えとなっていると感じた妻は、もう自分にはできることがないと感じ、夫が幸せになれるような方法として、極端な行動に出ることさえ考えるに至った。長年一緒にいた夫が自分から心離れていく現実を突きつけられ、絶望感と孤独感に包まれていく。
元増田だよー。
すげー。こんな反応もらえると思わなかった。
圧倒的マイノリティだし、食うに困ったことはない金持ちのガキあがりの贅沢な悩みとはよく言われるしね。(同時に僻地に左遷される底辺労働者のガキと罵られるダブルバインドもあるんだけど、コメント欄で見事に再現されてて爆笑した)
同じポジションで病んでない人、いっぱいいるよなー。
日本に帰ってきた直後は、そういうののハキ溜めの学校にいたから、うわあ。明るいやつら多いーって思ってたし、自分のレベルに病んでるのが少数派だったよ。
でも、不登校になってったやつらもいたし、どっちかというとオタ文化に救われなかったらあっちに行ってたと思う。
そもそも1番似た境遇の自分の兄弟はここまでじゃなかったしな。私が個体として弱いのはそれはそう。転校してなくても病んでた。はそれもそうかもしれん。
けど、私以外は全員馬鹿だから勘付いてないんだ……って言えるほど厨二病まんまでもないから、自分がめちゃくちゃ繊細で特別なメンタル…とも思えないんだわ。
コメ欄で最近は無慈悲な転園転校に晒される転勤族チルドレンは減ってきたらしいって聞いて、心底よかった!とは思うんだけど、自分みたいなメンタル弱い子供が転勤し続ける可能性はなくならないし、その子達とその子達の親かも知れない人たちに一応呼びかけてみてる。
成長したあとの同類でも、コメントでも何人かいたけど似た境遇でこんな惨めなのいるんだ…。からの、わかるで…わいはわからん…って思ってくれたらバンザイだなって思う。
親御さんも大変だとは思うんですけど、もし転勤にお子さんを付き合わせる場合、生存バイアスのいいことばっかりではなく、こういう元雑魚メンタル転勤族キッズもいるって知ってくれたら嬉しい。
親御さんが転校経験なかったら、想像しにくいだろうし、さくっと検索するとそういうプラスの記事しか引っかからないようになってるみたいだから、少しでもカスの言葉が届く可能性があるといいな。と思って書いてます。
なんとか生き延びて、XのことTwitterってよびながら、カスみたいなこと言いながら、自己否定しながら、まあなんとか自立して飯食えてます。
キレてもらったのも初めてくらいのつまんねー人生送ってきたからびっくりやで!なんか反応くれたやたら全員ありがとな!(煽り)
文章から伝わってくるのは、いろんなチャレンジをしたけど、ことごとくうまくいかなくて、精神的にも体力的にも限界を感じてるってことだね。
美術予備校や福祉大、仕事に挑戦しても、結局病気や心の問題で続かず、周りからのプレッシャーや自分自身の期待に押しつぶされてしまってる。
短歌とかで一瞬うまくいったこともあったみたいだけど、それ以外はほぼ空回りしてる感じで、今は本当に疲れ果ててるって感じ。
正直、無理しすぎだと思うよ。
今までめちゃくちゃ頑張ってきたみたいだけど、いきなり全部を解決しようとするとまたしんどくなるから、一つ一つ小さいことからやってみるのがいいかも。
自分だけで抱え込まずに、病院やカウンセラーとか、信頼できる人に頼ってみよう。
辛いこと話すだけでも少し気持ちが楽になるかも。
今、かなり自分を責めてるけど、ここまで生きてこれただけでもすごいことだよ。
大きな夢や目標は後回しにして、まずは日常生活を少しでも安定させることにフォーカスしよう。
それができれば次のステップに進めると思う。
焦らず、少しずつやっていこう。
女がいう「プライド捨てろ」っていうのは「実力も無い癖に実力以上だと過信するな」って意味だ。
「過信捨てろ」のことだな。女はプライドがわかっていない。男のプライドは自尊心のことだ。「自尊心捨てろ」「自己肯定感捨てろ」と言われても難しい。
女からは男のプライドっていうのはなんか変なマウンティング仕草に見えている。動物的なあれだ。あれはキモいのだ。
「え??だってお前の実力はそれぐらいだろ……???お前はもう成長しないだろ???お前はそこで終わってるだろ???お前は止まってるだろ????」
「にも関わらず、お前の実力以上がほしいだと?????ナメてんのかぁ!!!!!!!!!!!!!!」
という気持ちの略が「プライド捨てろ」だな。わかりにくいんだよな、これは。
まずターゲットを決めろ。そのターゲットの位置なら誰でもいいと仮定しろ。今のお前では手も足も出ない。
決めたらそこに命をかけろ。
そのとき、今のお前では実力不足であることを痛感したりするだろう。そこで諦めていたのが今までのお前だ。
過信を捨てる方法は簡単だ。現実を直視することだ。これは自己否定が伴う。
お前は今まで自分のことを「弱者男性」だと思っていたのかもしれない。
だがそれは実は違うのだ。お前は「もっと弱者男性」なのである。それに目を瞑って「弱者男性なんだ。うふふ」と言っている、その視点に問題がある。
私はいつも、着たい服や言われたい言葉がありました。でも、それはすべて評価という行為に晒されることになり、臆病な私は逃げることにしました。
競争や評価されることが苦手でした。学ぶこと自体は嫌いじゃなかったけれど、点数や評価が重要視されるようになってから、勉強が嫌いになりました。オシャレや可愛いものに憧れがあり、大好きでした。でも、「お前には似合わない」と言われたり、「変だ」と評価されたり、「キャラじゃない」と一笑されたりして、次第に忌避するようになりました。
後ろ姿だけはいいと言われたり、歯並びを指摘されたりして、見た目を直視することを避けるようになりました。
それでも、結婚して子供ができて、有難い環境に身を置けるようになりました。しかし、過去の積み重ねが未だにのしかかり、ふとした時に思い出しては自己否定の感情に潰されそうになります。
子供は可愛くて、いつも「可愛い可愛い」となるべく伝えるようにしています。私自身、親から見た目をいじられた経験があるので、絶対に子供の見た目をいじらないように心がけています。
自分を好きになりたい。
幸い、私の子供は自分のことも友達も親もみんな大好き!とまっすぐに育っています。その姿が眩しいほどです。
私にもそんな時期があったのでしょうか。
自分を好きになりたい。
【リスク⑦】ご近所付き合い不足
孤独は脳の大敵
私のクリニックに相談に来られる方々の話を聞いていると、年々「ご近所付き合い」が少なくなっている様子が伝わってきます。マンションの隣に住んでいる人の名前も知らないという人もいて驚かされることもあります。
内閣府が毎年行う「社会意識に関する世論調査」の令和5年11月調査の結果によると、「地域での付き合いをどの程度していますか?」という質問に対し、「よく付き合っている」と「ある程度付き合っている」を合わせ、「付き合っている」と回答した人は、40代で42.7%、50代で41.5%と、4割強となっています。
ご近所付き合いに代表されるような、日々の“ちょっとしたコミュニケーション”は、人生の後半を何倍も豊かなものにしてくれます。その反面、こうしたコミュニケーションのない生活は“孤独”です。
男性に限って言えばご近所づきあい不足はうっすらと男性自身が嫌われていることではないかと思われる。
「自己肯定感」という言葉が、今やごく一般的に使われるようになりました。自己肯定感とは、「自分自身の価値を認め、存在を肯定する感覚」を指しています。
私のクリニックにも近年、自己肯定感が持てないどころか、「自己否定感」に悩まされている方がたくさん訪れます(自己肯定感の欠如というと、若い方の問題と思われるかもしれませんが、実は、中高年の方にもたくさんいます)。
自己肯定感を持てない人が急増している一因に、日本という国の特殊環境があるのではないかと私は考えています。日本ほど、さまざまな人間模様や上下関係が複雑に絡み合って、忖度(そんたく)が生まれる社会はありません。
自己肯定感が足りないと、左脳感情はますます鳴りを潜め、さらに自信がなくなって、外の世界に目を向けることに不安を感じるようになります。内向きになって狭い世界に閉じこもるようになってしまえば、好奇心が失われることは必定です。
女性にアプローチしたら、既読無視。声を掛けたら、セクハラで解雇。
イベントバーや何かしらの集まりで女性に声を掛けたら、即できん。
かといって男同士は何となく抵抗があるし、お互いがお互いを嫌ってるので、仲良くなること自体難しい。
ff14というゲーム内で目的に向かって動くのである程度顔見知りになることはできるが、何かを発言したら、モルボル率いるコミュニティチームによってBANされる。
そうでなくともさらされる。
常に周りに気を使っていなければならない状況で自己肯定感なんて生まれるわけないし、抑圧しねえとお賃金が得られないんだから抑圧するしかねえよ。
文章として面白い(半分くらい落合先生が面白いだけの気もするが)のに、
全く反省の色がないというか、申し訳ないという感情が見えてこない。
それどころか「あれが責められるのはおかしい」みたいな憤りの感情も見えない。
フツーああいう風に自分の行為を咎められると自己否定方向にしろ自己肯定方向にしろボルテージが上がると思うんだが、その高まりを一切感じない。
例の動画ではビジュアルシンカーではなく滅茶苦茶言語思考タイプということだったが、
人間の気持ちみたいなものについても全てロジカルな関係性として捉えてる感じ。
感情のクオリアを我々凡人とは違う形で認識してるんじゃないかとすら思う。
流石だわ。
メンタル病んでたんだが最近ようやく、本当に治ったんだなと実感できる。
2年前でも相当良くなったと思ってて、でもどこかへ行くのはすごく怖かったし毎日薬飲んでた。
突然ドーンと精神が落ちるからそれが怖かったし、何だか分からないけど恐怖を感じてた。
考える力が落ちてたんだと思うけど、それでもどうにか普通になりたくて、2年前に旅行に行った。
でも選んだホテルがひどいホテルだった。今だったら絶対選ばないし、メンタル病む前にも良く旅行行ってたがその時でも選ばないような所。
今の私なら無理と感じるのに当時は全然平気だった。なんか全部夢の中の出来事みたい、価値観も変わっている感じ。
その時はかなり良くなってて、選んだホテルも普通だった。2択しかなかったけど…。
実はこの旅行にはもうひとつイベントを仕込んでて、大切な人に会う重要な日があった。
会う時は薬を飲まない状態で会いたかったので、調子が良いと思った時は薬をやめてみて、薬を飲まなくても大丈夫な日を予め増やしていった(医者には黙ってた)。
薬を飲まない方が頭がすっきりする感覚があった。
ちゃんとしてなくちゃいけなかったから、ちゃんとした格好で行かなきゃいけないんだが当時の服をいま久々に着てみたら丈がまるで合ってなかった。
でも私は覚えている、この服を買った時何着も試着して鏡を見て「大丈夫だ」と確信を得てから買った。
で、現在。
現在は全く薬を飲んでいないし、かなり不安で緊張することがあっても薬を飲まずに済んでいる。
メンタルを正常に保つためにやっていたこと(11時には寝る、7時に起きて朝散歩、酒は飲まない、筋トレ、VBとVDの摂取、マッサージ)は今さぼっているけどそれでもメンタルは安定している。
自己否定もすっかりやんだ。
たまに今でも頭の中に嫌な感じで言葉が埋まっていくときがあるけど、それはすぐに気付けるし止まるし、ちょっと疲れてるなって気付いて早めに寝たり運動したりしてリフレッシュできてる。
まず、増田の文章には自己憐憫(じこれんびん)の姿勢が目立つ。社会や他人を責める前に、自分自身を見つめ直す必要がある。本気で努力してきたことは評価に値するが、それを他人に理解させようとする姿勢が自分を不幸にしている。
次に、増田は結果だけを見て自己評価しているようだ。本気で努力したことの成果がすぐに現れなかったり、他人より劣っていると感じる瞬間があったとしても、それがすべてではない。結果よりも過程や成長を自分で評価できるようにならない限り、真の満足を得ることは難しいだろう。
さらに、増田の思考には全般的な被害者意識が強く見受けられる。他者を見下したり、彼らの才能や努力を否定することで自分を正当化しているようだ。他人との比較よりも、自分の目標や価値観に基づいて達成感を見出すことが重要だ。そうでなければ、心の平穏は得られない。
もう一つ気になる点は、増田が「才能」に過度に依存していることである。努力と才能の関係を理解しているのは賢明だが、自分が劣っているという前提から始めると、いつまでも自己否定のループから抜け出せない。弱者が強者に勝つためには、多様なアプローチや方法を考える能力も重要なのだ。
最後に、増田の文章には一貫性と論理性が欠けている。社会に対する復讐心を抱く理由を説明しているが、具体的な解決策や前向きな視点が一切ない。その結果、読者に対して何を伝えたいのかが曖昧になっている。文章を書くなら、目的を明確にし、読み手に理解しやすい構成を心がけるべきだ。