はてなキーワード: 大成とは
なぜなら任天堂ゲーは一般人向けの感性で作られているから、そもそもそこから出てくるタイトルに魅力を感じないのだ
引きこもりニートなら、20年前なら主に韓国のMMORPGみたいなアニメ系の、やり込むなら廃人プレイ不可避なゲームにハマるのが定番だったし
10年前なら、ギルドバトルやランキングイベントのあるスマホソシャゲみたいなものにハマるのが一般的で、アイドル音ゲー系も多かった印象、人によってはニート特有の熱意でもってPCでAndroidエミュを動かしたりブラゲーをマクロを動かしたりして多重アカウントを操って優位に動くこともしていただろうなネトゲではアンチチートが厳しくてせいぜいmodで脱がせるくらいの遊びをする程度でチート方面では中華BOTにかなわなくて興が削がれてスマホに逃げてきた人が多いだろうしな
そんで今ならまあ、ミホヨゲーで史上最高のゲーム体験を謳歌している引きニート勢が多いだろう
でそういうありあまる時間を抱えた人たちがずっと消費してきたゲームってのは、せいぜい数十時間でやりきってしまうコンシューマーゲーではなく、定期的にアップデートの提供され環境も移り変わっていく、飽きることのないライブゲームが中心になるんだよ
そしてそういう運営方式のゲームに関して国内コンシューマーメーカーは本当に不得手で、ユーザーに愛される運営をできた会社が一つも見当たらない
そもそも国内ゲーム人材にとって運営型ゲームは花形であるコンシューマーに携われない落ちこぼれのやることだったんじゃないだろうか、だからゲーマーを納得させる運営ができた試しがないし
まあ国産でもハドソン・ゴンゾのMoEとかセガのPSU・PSO2あたりのそこそこ愛される運営をしてきたメーカーはあったけど国内オンゲの商業的成功例が荒れる運営そしてギスギス荒れるゲーム内で有名なFF系くらいしかなかった
マイナーどころならECOとかFEZとかコンチェルトゲートとかブレイドクロニクルとか良作はあったがタイトルとしてIPとして大成できるものはなかった
わかった?遊びじゃないわけ
結局未だにはてなを利用し続けている。
最近AI増田が流行っていて、生きた人間の、線としてつながる日記を書いてみたくて投稿することにした。
匿名の人にも人生があって、その後もあるんだなって感じたので、そういえばと思い自分の記事を読み返してみた。
もし、誰かの暇な時間を満たせられれば幸いです。
片親の生活保護家庭から高卒後自立して貧乏学生になった増田です
将来の不安について綴ったところ、色んな人から反応をいただきました。
それから10年、何度か自分の記事がホッテントリに載ることはあったけど、そんなに多くは書いていない(年2~3記事?)
・所有資格は基本情報ぐらい、NCPやCCNA(期限切れ)みたいなベンダー資格は何度か取得したけど…
・当時のバイト先はスーパーの海鮮だったけど、その後、みんな知ってるレンタルサーバー屋さんでバイトしていた
・就職はもっと給与いいところを目指したので、バイト先には勤めなかった(高卒であっても入れるらしかったのも一因)
結局学生生活はバイトがそれなりに忙しいこと、成績維持のために楽単ばっか選んで、専攻分野もそんなに勉強できず、将来仕事に活かせられなかった。(とはいえIT分野については独学でそれなりにやっていたので、就職先は6社受けて4社受かる、みたいな感じだった)
成績上位は同じゼミの金持ちの子で、当時思っていた通り、生活に支障がないやつが学費免除受けられやすいんだろうなぁと実感した。
・総資産は300万程度
・年収400万は以前より貧困ではないかもしれないが、東京でみるとやっぱり貧乏だと思う
・職場で飼い殺されている
生活は苦しいままだと思うけど、定職があるのは確かにいいことだと思う。
大学の先輩は就活に失敗し、携帯電話販売スタッフを転々としていたので、それに比べるとマシかもしれない。
ITに関して独学していたからというのもあり、職場の同期や元同期からも信頼が厚いが、金融インフラ系という堅い仕事ながらに、裁量が多すぎる(というか抽象的でフワフワな職場)はかなり自分にあっておらず、6年経ってもスキルが1人前に身につかないと感じている。
書いてて思うけど、全く職場の風土が自分にはあっていない。しかし転職するスキルもないので、八方塞がりで、とにかくしがみつくので精一杯。
元同期からいつも「うちに来なよ!」と言われるが、みんなのように外資系とかIT大手とか行ける気がしないよ・・・
客観的に見て幸せだと思う。大学や職場では、優秀な友人たちに恵まれ、今でも交流がある。
だけど補助は2年後に打ち切られる予定だから不安でしかない・・・
ただ、貧乏生活を得て、「有るもの」を数えることが得意になった。
iPhone持ってて、好きなアニメや音楽聞けて、服も楽しめるし、ご飯は食べられるし、眠ることも、お風呂に浸かることもできて・・・
だから、無いものを数えていた昔に比べて今は幸せなんじゃないかと思う。
この選択は未だにわかっていない。姉は高卒で就職し、フリーターで精神障害2級で人生詰みみたいなところあったけど
弟も同じく工業高校出身で、最近死亡事故起きたような割と名前の知られてる会社で日勤夜勤を繰り返しながら働いている。
俺だけ偏差値真ん中ぐらいの総合学科で、そこから大学に行った。よく考えるとちょっと家族でも異質な生活してるかもしれない。
個人的には給付奨学金を収入のおかげで受けることができたこと、大阪の家賃2万の家に住めたことなどで
ある程度有意義な学生生活は送れたと思う。でも、不登校時代があったりヤングケアラーだったりして、ハングリー精神がないので
恵まれた環境にいながらも、大学という世界をうまく使えなかった気がする。
今も、東京に住んで、様々な専門家と触れる機会があり、趣味を最大限に楽しめる環境にいながらも、意欲がなくて機会を持て余している。
学費の借金は、車1台分と考えれば、まあそんなもんなのかなと思うし、会社も約1000人規模の大きな会社に勤められたので良かったと思う。
あとは転職でこの大卒という資格の恩恵を受けられれば・・・だけど産近甲龍未満の私文なので微妙そう。
一生このまま一人で趣味をしつつ、このままこの地でこのまま死ぬのかなぁとか25歳あたりまで考えていた
作業手順もステータスの判定基準も、ミス後のリカバリ手順などすら共有しない組織で、放り込まれた現場でみんなと大きなミスをしたところ休職をすることになって
希死念慮が高くなってしまった。大学まではITに意欲的で、スキルもあったと自覚している人材だけど、現場では情報共有もなく、何も得られず
飼い殺されて第2新卒期間を逃したあたりで、どうしていいのかわからなくなった。うつ病は今もそのまま残っている。
その時ゲームをしていた友達がウクライナ人で、ドローン爆撃や真冬のブラックアウトなどを間接的に体験したので、人のために生きることを決意した
貯金はないけど、なんとかボーナスとか持株会とか使って、空港チケット買ったり、大使館に連絡したりして友達を日本に連れてくることにした。
お互い狂っていると思う。会ったこともない相手同士をこんなに信頼して、モルドバ行って手続きをしたり、ポーランドから日本へ来たり
主に相手のほうが必死にやったと思うけど、その後の手続き周りは全部頑張った(歯列矯正のメンテナンスとか地味に大変だった)
今は一緒に1DKの狭い部屋で暮らしてる。最近他の人の手助けがあり、ようやく難民補助ももらえるようになって、少しだけ生活が安定し始めた。
貧乏学生はなりふり構わず差し伸べてくれた手を握れば、何とかなるかもしれない。
大学の奨学金制度は掲示板を見て自分で手続き行ったし、単身IT会社に自分を売り込みに行ってバイト採用決まったり
今も誰かに助けられつつも、自分も誰かを助ける番として生きることができている。
見返りを求めるわけじゃないけど、人助けは「砂の中の金」を探すものなのではないかと感じた。
恵まれないお腹の空いた子どもが、与えられたご飯を人1倍食べられるわけではないように、与えられたものを活用できる人は少ない。
財団の給付奨学金は、そんな人たちにも機会を与え、100人中1人でも大成できる人を見つけたかったんじゃないかと思った。
それを感じることが自分もたまにある。
独学したITの勉強は、他の友達にも教えた。一人は就活のときに俺を裏切ってどっか行ったけど、まあそういうこともある。
たくさん人を手助けしては、損をすることが多かったけど、今は真摯で誠実な友達に恵まれている。
ウクライナ人の友達もその一人で、難民申請中は俺が日本語を教えたりして、今始まった日本語学校では、ほぼトップの成績を誇る
何より、Javaの勉強を始めて、今後の人生を一緒に歩む目標に向かって進んでくれている。
「友達が死ぬのが怖いから」と差し伸べた手だけど、掴んでくれたのなら絶対に離さない。死ぬまで俺も人助けの責任を全うしようと思う。
俺は、砂の中から砂金を見つけたのだ。
社会に出て思うのは、貧乏も裕福も選んで決めたもんじゃないし、得られたものでやりくりするしか無いなということだった。
恵まれた人生の中でクソみたいな結果しか出さないやつも存在するし、恵まれた人生の中で、それでも更に欲深く生きるやつもいた。
苦労も惜しまない、得ようと思った人が得るのが社会に出てからの人生なんだなと感じた。
そういった「意志の強さ」が疲弊して、貧乏なままで居続けるのが貧困なんだなぁとも感じた。
自分は人を助ける側として、働きたいと思った。
当然職場など、色んなところで人に助けてばかりの人生だけど、それでも何か少しでもいいから誰かの助けをして
自分も誰かの役に立ちたいと思った。
楽しんでる人がいるのも理解してるから楽しんでる人はここから先は読まずに閉じてください。
・主人公であるマチュに人間的魅力を全く感じない。ガンダム主人公は作品が変わるたびにどんどん中身が無くなって記号化されて作者が動かしやすいだけのキャラになってる気がする。
・物語の目的や核心が第7話になっても全く分からない。シャアが消えた謎のゼクノヴァという物語のキーとなる現象についての説明もほとんどない。伏線が貼られただけで何の進展もない。そんな状態なのに突然のゼクノヴァ発動で「???」という状態。
・メインキャラ同士のドラマが全然ない。せいぜいクランバトルのメンツと恋バナした程度。それさえもシュウジにイケメン以外で人間的な魅力がない上に三角関係の描写もほぼ無いまま急に取り合い発生からそのままシュウジ消失。ポカーンって感じ。
・日常パートの中身も無い。3人いるんだから一緒に遊ぶとか子供らしい動きをして親睦を深めるとかやればいいのに、3人でやったのはガンダムの上に服脱いで寝そべるだけ。これで夢できるレベルの腐女子がいるなら別の作品で大活躍してるだろ。クランバトル毎回やらずにシュウジが絵を描くところを見て惚れるとか分かりやすいエピソードすら挟む余地なかったのか?
・「このパターン!〇〇です!」ちょっと眩暈がした。エヴァってちゃんと終わったコンテンツじゃなかったん?流石にもう見飽きたから新しいやつやってくれよ。もしかして「くぅ~、これこれ!」みたいな反応欲しかったのかな。だとしたら加齢臭するからやめて欲しい。俺も自分が臭くて泣きそう。
・ガンダムはロボットアニメ(なはず)なのにそのロボット対ロボットの戦闘シーンが本当につまらない。せっかく人と人の形してるんだからちゃんと人間の格闘とか射撃とかを参考にして殺陣を作って欲しい。そのうえでロボにしかできない動きをするなら満点。でもバカの1つ覚えみたいにファンネルだのミサイルだのを飛ばして何とかサーカスも、本当に見飽きたし加齢臭するから全アニメーターはそこから卒業して欲しい。なぜファーストガンダムが売れたのかちゃんと観て研究してるならこんなつまらない戦闘シーンは作らない。もちろん閃光のハサウェイみたいにパイロット目線で作った戦闘シーンや、映画SEEDのようにスパロボ路線は全然アリだが、水星から続いてるような全方位で中途半端なもの作るのはやめてほしい。
・加えてMSが人殺しの道具だという事実から逃げて中途半端なクランバトル的なやつをやらせる流れもやめて欲しい。平和な日本だからこそ兵器を少年たちが使うとどうなるのか恐怖させるべきだし、それがガンダムの役目の1つでしょ。そこから逃げて中途半端にビルドダイバーズ的な方に寄せるのは悪手だからちゃんと戦争の道具としてのガンダムを作って、そこから平和への答えを逃げずに真正面からぶつかって答えて欲しい。失敗することを怖がって挑戦しなくなりホビーの販促アニメになり下がったのが今のガンダムアニメというコンテンツ。
・なんかアイドルネタを混ぜ込んでるとかは正直興味ないけど、それは「面白くない」「観てるのに暇」という感想の方が遥かにデカいから気にならないだけ。頼むから後半は面白くしてほしい、面白いことを期待する。
なんかガンダムがこうやってアニメとしてちょっと話題になったりバズったりするだけのコンテンツとして緩やかに衰退していくのが悲しい。
映画が売れてても、今の遺産はどんどん減っていくわけでアニメが人気なくなったらホビーも廃れていくのは目に見えてる。まさに消えて行ったコンテンツがある。
バンダイは真剣に潰すか復活するか考えてくれ。期待のずっと下で俺は悲しい。
特にジークアクス作った監督以外のスタッフはこんな作品作ってても絶対に大成しないからこういう仕事からは金欲しさでもさっさと卒業してくれ。
君らのクリエイターとしての寿命も外側からどんどん短くなってるのにこんなことばっかやってたら終わるぞマジで。
商業的にお客を楽しませるためにとことんお客目線で作るのか、それとも作家として爆死覚悟で新しいことしてステップアップするのか、創作者が生き残るのは結局この2択しかないから。
・魅力的な悪役キャラがいない。これは致命的な問題で何故シャアが人気出たのかすら分析できないのにシャアを重要キャラとして使ってる。なんだろう、マジでファーストガンダム観た上で作ってるなら脳の作りが俺と違うのかもしれない。
・MSは線が多くて動かすのが大変っていうなら線を減らしたデザインを用意して大きく動かしてるときは簡略化させて動きを優先すりゃいいだけなんだよ。それが今のアニメーターにできないのは「動きで楽しませる自信と勇気がないだけ」であって逃げ腰で作った綺麗な作画が素晴らしくても全然動いてないのはただの紙芝居だから、過去の遺産をリサイクルして上手くアニメ作ってくれ。
GW中に腐女子によるバカカプが話題となっていたため、ずっとどこかで叫ぼうと思いながら我慢していたことを、この場を借りて叫ぼうと思う。
漫画「メダリスト」が、「よだつか/つかよだ」というバカカプBLを推している腐女子によって荒らされている。
その影響が実害を伴いはじめたため、主にまだ「メダリスト」を読んでいない人に向けて、この素晴らしい作品が誤解されたくない一心で現状とそれに対する個人的な心情を書き綴らせていただく。
なお、これを書いているオタクは「おれは正当な読者 原作読んでねえだろってバカカプが嫌いだった」という態度でいるため、この時点で嫌な予感がした人はブラウザバックしていただきたい。
トピックは以下の通りだ。
(当エントリー)
②「よだつか/つかよだ」はなぜバカカプなのか
https://anond.hatelabo.jp/20250512013959
https://anond.hatelabo.jp/20250512014700
どうしても字数制限内に抑えきれなかったため、複数エントリーに分けて投稿させてもらう。
第一の目標が「メダリストという神漫画について正しく知ってほしい」であるため、
正直、「メダリスト」について何も知らない人であればここだけ読んでもらえたら御の字である。
(女子同士の戦い、という意味で既にBLとは対極にある感じの漫画である)
スケーターとして大成せず、氷上に乗る運命から弾かれた男「明浦路司」と、スケーターに憧れるものの学校生活での要領の悪さとそれに裏づけされた低い自己肯定感によって、氷上に乗る運命からまさに弾かれようとしている少女「結束いのり」。
・・・という序盤部分の理解は、原作を読むのが一番なので、ぜひ読んでいただきたい。
アニメ化の効果もあって、充分な範囲での無料公開は各所で実施されているだろうが、ひとまず下記にイチオシのコミックDAYSのリンクを貼っておく。
(普段アプリで閲覧しているためブラウザ版の仕様には明るくないが、コミックDAYSでは「単行本を買うとその収録話の連載版も無料で読めるようになる」という神仕様があるためオススメしたい。連載版が読めると言うことは、柱の作者コメントも煽り文も読めるということだ。神仕様すぎる。)
氷上の運命から弾かれていたはずの二人が出会い、二人三脚でスケート人生を爆速で邁進していく。
その中で次々と出会う魅力的なライバルたち。様々なコーチの思想。
成功と失敗。運も実力のうちなんて言葉が頻繁に出てくるほど厳しく冷たい氷の上でのヒリつく演技。
緊張感の中でバチバチに闘志を燃やしながら戦う少女たちの物語。こんなの面白くないわけがない!
スポーツものが好きな人、闘志を燃やしまくる激アツ少女が好きな人、そして子供を見守る真っ当な大人が好きな人には特にオススメしたい漫画である。
(本当は米津玄師同様全人類読めと言いたいところではある。全人類に読んでほしい。)
作中で「フィギュアスケートは奇跡を見守るスポーツなんだ」という名言があるが、この作品内での表現はまさにこの言葉に沿ったものとなっており、読者も作中の観客の一部になったと錯覚するほどに熱中させてくれる。
緊張感の中、ふいに視界が開けたように見開きいっぱいに描かれる圧巻の演技に目を奪われる体験はなんとも素晴らしい。
たくさんの努力の思い出、コーチとの約束、譲れない信念・・・様々なものを抱えながらのスピード感ある助走!という盛り上げから、ページをめくると無情にも「バタン」と転倒する選手の姿が目に飛び込んでくることもある。
この時の肝の冷えようったらない。しかしすぐさまリカバリーのことを考え立ち上がる選手の直向きさに胸を打たれ、次の奇跡を見届けようとまた熱中する。
こういった演出による緩急の作り方がとんでもなく上手いので、どの大会も何度でも読み返したくなる。結末を知っているはずなのに、手に汗握りながら読み返してしまうこともあるほどだ。
このシンプルな漫画の技量で殴られる体験は一度存分に浴びていただきたい。
そして当然、氷の外で各選手とコーチが織りなす人間ドラマも大きな魅力である。
これに関しては語りたいことが溢れてしまうので、
主人公であるいのりと司、そしてそのライバルでありラスボスである天才少女「狼嵜光」とそのコーチである伝説の金メダリスト「夜鷹純」に絞って語らせてもらおうと思う。
司は自身の後悔を元にした「しくじり先生」的な姿勢で、いのりとの夢を叶えるために丁寧に道を示しながら、一人の人間として尊重し大事な局面では彼女自身が選択できるように導いていく。
熱意の強さ故に周囲が見えなくなってしまうこともあるいのりにとって、これ以上ない指導者である。
そして何より、いのりがいつか夢を叶えると信じ続けその成長をいつも全力で褒めちぎる司は、技術面や戦略だけでなく精神面においてもいのりにとって欠かせない支柱となっていくのだ。
司にとってもまた、いのりは新たな夢という希望だ。かつての夢の傷跡を抱える司に、いのりは無垢な救いを与えていく。
それはいのり自身の成功という形での返報であったり、何気なく発された一言による圧倒的な肯定であったりする。
もちろんそんなキラキラした側面だけでなく、司が何か無理して自分に色々与えているのではないかといういのりの不安や、いのりを勝たせられず不甲斐なさを抱いてしまう司の焦りなど、ほろ苦い部分もある。
コーチとして、選手として互いに成長途中だからこそ生まれるドラマには幾度となく涙を流させられた。
一方の夜鷹と光は、さながら野生動物のような厳しい師弟関係だ。
出場した大会ではすべて金を獲り20歳という若さで引退した伝説のメダリスト、夜鷹。
彼の指導は、己の手で正解を導き出しその最適解のために犠牲を払うことを是とした、己を追い込む厳しいオールドスタイルである。
そんな夜鷹の現状唯一のモノローグが存在するのが、光との出会いを描いた以下の短編である。
スケートをする様子を見ることもなく、その姿を見ただけで自分が何もしなくても日の下に引っ張り出されると思うほどの素質を感じる少女を相手に、夜鷹が関わることを選んだ理由。
加えて生活面のフォローを親友の慎一郎に任せ、数奇な運命を辿る孤児であった光に温かい家庭を与えた真意。
それらは不明のままであるものの、そこには確かに、子供に関わる大人としての情を感じる。
夜鷹の真意がわかりづらくなっている原因は、光が「信頼できない語り手」として機能していることもある。
score47やscore52で垣間見えるように、光は夜鷹の厳しさを誇張して捉えてしまう節がある。
あまりにも口下手な師匠と、周囲の顔色を伺うあまり空回ることもある弟子とのすれ違い。
隠された真意という好奇心くすぐる要素。少しずつ明かされる二人の過去の中に見え隠れする献身と愛に、なかなか辿り着けないもどかしさ。さながらミステリーでも読んでいるかのような魅力がこの師弟の間にはある。
この二人の間にはどんな絆があるんだ?という疑問の果てに辿り着く、積み重ねられた年月の中に確かにあった師弟愛を前に号泣必至である。
加えて、この二組の師弟の対比構造が物語を通して綺麗に描かれているのも読んでいて気持ちがいいポイントだ。共に強くあろうとする生き方を提案していく師弟、己と向き合い強くあれるような生き方を伝授する師弟。
個人的に、両師弟の対比がとても綺麗に可視化されているのがscore34の扉絵である。構成を示すジャンプのカードがそれぞれ誰の手にあるのかに注目してもらいたい。最高の表現だ!
いずれ運命の舞台で雌雄を決するその瞬間が待ち遠しいような、いつまでも来てほしくないような、たまらない気持ちになる。
選手はコーチの思いに応えるためというだけではなく、ライバル選手への闘志という熱も抱きつつ滑走する。この熱こそが、予想できない氷上のドラマを生み出すのだ。
いのりと光は公式で「運命のライバル」と称されるほどの関係だ。
偶然の出会いから、いのりは同世代最強の存在である光に憧れと闘争心を滾らせ、一方の光も初心者でありながら自分に負けたくないと豪語するいのりの熱意に惹かれていく。
時に輝き時に真っ黒に焦がされる少女同士の感情のぶつけ合いの迫力は筆舌に尽くし難い。
だいぶ掻い摘んだつもりでもこれだけ長々と書いてしまうほどの魅力がこの漫画にある。
・圧巻の技量で描かれる手に汗握る滑走の数々
↑こういった文言で何かのアンテナが反応した人たちにはぜひ読んでほしい。
繰り返すがコミックDAYSなら単行本を買うと連載版も無料で読めるようになるのでオススメである。単行本の本体表紙&裏表紙(いわゆるカバー裏)のおまけもバッチリ読める!
僕が「なんでもできるような人になりたい」って憧れは小さい頃から潜在意識のなかにあったのかも知れない。
幼少期によく遊んでいた友人が成績優秀、吹奏楽の部長を務め、絵が上手く、ゲームのセンスもある「なんでもできる人」だった。
対して僕は引きこもりの不登校、成績もそれほど高くなく、吹奏楽でも先生に怒られながら下手な楽器を鳴らし、絵も大して上手くなく、ゲームも彼にずっと負けていた。
何もできないドベだった。
とにかく彼に負けたくなく、僕は彼が手につけるものを追ってチャレンジしたが、結局、何も勝つことはできなかった。
僕は楽曲制作、映像制作、イラスト制作、グラフィックデザイン、プログラム、多岐にわたる技術を広く浅く習得し、のんびりと創作活動を行なっている。
彼に憧れていたものを手に入れた気はしていない。
自分で伴侶と意思決定したのであれば最後までその責任を全うすべきではないでしょうか。
面倒なことをなんでも投げ捨てているようでは仕事も人生も大成しませんよ。
そもそもどのような経緯で知り合ったのでしょうか?
私は大工の棟梁で町の顔役でもある町会長さんの紹介でお見合いをし仲人もその方に頼みました。
きっかけは町会長さんが地域の会合で年頃の女性の紹介があり、子供の頃から私を知っている町会長さんは性格や家柄も合うだろうと私に繋いでいただき、そのままトントン拍子で結婚となりました。
結婚後に夫婦喧嘩をしたことがありますがその都度仲人である町会長さんに相談し仲介、調停して頂き双方に非があったと納得し収まりました。
結婚して21年経ちますが今でも町会長さへの盆暮れの挨拶は欠かしておらず必ず夫婦で訪問し近況を伝えるなどしております。
これが普通ではないでしょうか。
「私達もう大人だもん、なんでもわかってるもん、まーくんを愛してるもん、自分たちでなんでも決めて行動するんだもん、仲人?なにそれダッサ草」
などと傲慢不遜な態度で人生の重要な意思決定をし、そして破綻し投げ出し、周りに迷惑をかける、子どもの人生にも大きく影響する。
「自分は悪くない、相手が悪い」と言い訳する姿はみっともないとしか映りません。
よく考えてください
仕事のモチベーションの話がいくつか話題になっていたので、俺の話も書いておく。
遠い昔の学生の頃、俺は漫画家を志し、自分の作品をいくつも描いたりしていた。でもこの道で食っていく能力が俺にはないと早々に見切りをつけ、俺は普通のサラリーマンの道を選んだ。
当時は氷河期で、普通のサラリーマンになるのさえ困難な時代だったが、俺は運よく正社員として就職することができた。
以後俺は、20年以上はやりたくもない仕事を続けて生きている。俺が本当になりたいのは、漫画家だったのだ。
俺にとって、仕事とは基本的にやりたくないものなので、モチベーションは常に低い。
ただモチベーションが低くても、ちゃんと仕事をしているように見せかけるのが俺は得意で、のらりくらりと仕事をしていたら、いつの間にか評価が上がってしまい、
今ではやりたくもない課長をやらされている。
部下のモチベーションを上げるにはどうすればいいか~なんて研修を受けては、いやその前に俺自身のモチベーションが低いんだが、なんて思ったりしている。
漫画を描くのは今でも趣味として続けていて、仕事をするより漫画を描くほうがモチベーションは断然高い。
ただ、10年ほど前に結婚して子供が産まれてからは、人生の最優先事項が「漫画」から「子供」に塗り替わった。
今では、この子のためなら俺の人生を捧げてもいいと思っている。
そんなわけで、今の俺の人生の優先度は、子供>漫画>仕事、だ。
子供のためには、金を稼ぐ必要があるので仕事を頑張らなければならず、そうすると漫画を描く時間がほとんどない、ということになってきている。
こうなると趣味は老後までお預けかな、なんて思いつつ、俺も普通の父親になったんだな、としみじみ思ったりしている。
そんな俺も、職場では課長を演じなければならないので、自分も大してモチベーションがないのに、部下のモチベーションを高めるための方策を考えたりしている。
仕事に対して心の底からモチベーションを持って取り組める人は、好きなことを仕事にできた人か、後からでも仕事を好きになれた人だろう。
そういう人は、その幸運を噛みしめながら、その道を進めばよい。いつかあなたは大成できる。
そうでない人、好きでもないことを仕事にせざるを得なかった人は、どうやってもモチベーションを上げられず、
日々上司からモチベーションを上げろと言われて嫌になっているかもしれない。
でも心配しなくてもいい、あなたにそう言ってくる上司も実は大してモチベーションが高くないことが多い。
この時期どうしても見聞きしたりする言葉が多くなって私も見逃せられないのがあって、
それは、
「コンクラーベ」
他言語で置き換えて「根比べ」って言い変えれる言語って日本語しかないような気がするのよね。
絶対に、
日本中の人が今思っていることを代弁しながら漏らしていくわ。
もうみんな「コンクラーベ」って言いたいのよ。
言い足さすぎる加減が止まらないの!
重いコンダラー級に。
違うかー!
そしてあの
黒い煙が出るか白い煙が出るかで、
もうその様が、
その部屋の中で暑い部屋の中でコタツに入って暑さ我慢比べをみんなやっているまさに根比べ!
あの煙突の煙は室内のコタツを温める暖気の何かを燃やした熱の煙突なのよ。
そこで繰り広げられている、
暑さ我慢大会を想像しちゃってる人絶対に私だけじゃないみたいだと思うわ。
根比べ恐ろしいわね。
それよりか前回のコンクラーベで
枢機卿になりすましてしれっと入場していたドイツ人にみんな本当の枢機卿が気付かなかった方が
やっぱりコンクラーベというと
いやしちゃいがちなのよね。
ちょうど今の時期コタツも要らなくなってきて片付けちゃったところ多いと思うのよね。
だからより根比べでコタツに入って暑さ我慢大会をやってるシーンの絵しか思い浮かばないわ。
これどうやって変換するの?って思ってなんだか聞き覚えのある言葉を「すうききょう」って入力したら変換できちゃった!
そんな私のコンクラーベ。
なんかその枢機卿と言うか、
そういうチームの人達に連呼しないでください!って言われちゃうぐらい、
私達がコンクラーベって忘れたことに結果が決まっているみたいよ。
日本のお米の値段は安くならないのよね。
そんなことを言っていたのに、
急にお米が不足して手に入りにくくなり高騰しちゃったりすると、
あんだけ米離れって言ってたあの時代は何だったの?ってみんな世間の意見は薄情ねって思うの。
ご年配の方に命をかけてまでも飲み込んで食べたい餅信仰ってあるじゃない。
お米ご飯みんな大好きなのねって。
おにぎりをいやおむすびを握りながら朝ドラの『アンパン』を見るんだけど
やっぱりヤムおじさんが面白すぎて、
そっちに目が言っちゃうわ。
あの頭に巻いている手ぬぐいからサイドはみ出ているパーマのジャムおじさんみ。
ああ!
ヤムおじさんが活躍はそんなに薄味なので
きっとアンパンは美味しいのでしょうね。
なにげに主人公の家に間借りしているパン売り場のパンは結構売れてて残り少なくなってきているところにヤムおじさんがパンを補給しにくるシーンとか良くできているそこにヤムみを感じてしまうわ。
たぶん、
ここは他の味のパン、
時代に沿う感じのあの時代のパンなら安直にうぐいすパン!って思っちゃうけど、
たぶんヤムおじさんはずっとその物語「あんぱん」を象徴するかの如くずっとずっと作中ではアンパンを焼き続けることにかけてはタニコーの五徳なのよ。
私が今ハマっているベーコンエピとか、
そっちのほうが気になっちゃって、
それじゃー
それはそれで方向転換として
もう一旦はアンパンマンで大成なさっているのでヤムおじさん物語でも私は良いと思うの。
お米の行き渡る量が少なくてもお米がちゃんと食べたい人にもちゃんと食べられるよう供給できるようになるじゃない。
でもさ、
ヤムおじさんがまたここで心機一転おにぎりマンの着想を得るためにおにぎり修行に出ちゃったら!?
いやまずいわ。
でもさー、
さすがに前作が「おむすび」っていうタイトルの朝ドラだったから、
節操なくそこにヤムおじさんがおにぎりマンの着想を得るためにおにぎりに急に燃える!ってことはなさそうよね。
私は前作の「おむすび」で橋本環奈ちゃんが道端で倒れているお腹を空かせたギャルにおにぎりを配りまくって世の中を救済する物語になってほしかったけれど、
最初の最初でスズリンにおにぎり食べさせて救っただけだったじゃない。
ヤムおじさんが他のパンを焼き出しちゃうと話がブレちゃうから、
きっとアンパンだけかもね。
ああ!あのときのヤムおじさんのアンパン美味しかったなー!って回想シーンになるじゃない。
その時にヤムおじさんがたくさんのバラエティー豊かなパンの種類を豊富に焼きまくっていたら、
そのやなせたかしさん役の人が
「あ!アンパンマンだ!」って着想にストレートにならないわよね。
うーん、
あのときのジャムパンも美味しかったしうぐいすパンも絶品だったしーってなると
そもそもの話の本筋がブレちゃって薄まるわよね。
だから、
あとにも先にももっとヤムおじさんには活躍していろんなパンの種類をバラエティー豊かに焼いてほしいけれど
終始一徹あんぱんだけしか焼かない確率100パーセントの確率だわ。
きっとそうよね。
そうだと思うわ。
それか逆にヤムおじさんがたくさんの種類のパンをバラエティー豊かに焼いていたら焼いていたらで
主人公が何パンにするかー!って悶絶して悩む青春グラフィティー物語でもいいかもしれない。
それじゃただ単にやなせたかしさんのグルメ物語になっちゃうわよね。
それはそれで楽しそうだけど、
孤独のグルメの人みたいに、
ずーっと心中語ってっるシーンで1話終わっちゃってもいいと思うの。
って思わせといて、
たまたま隣りに座っていたお客さんがやなせさんの心の中の言葉を吹き替えてリアルに口にして言っているシーン!
で、
やなせたかしさん役の人は「私が今から食べるでしょうに!」って言うの。
そこで意気投合してじつは隣りに座っていた人が大手出版社の人で
わーい!って感じ。
そんな展開だと思うわ。
とはいえ、
みんなこの時期コンクラーベって「根比べ」じゃん!って言いたい気持ちが高まっているのと相反して
アンパンが爆売れしていない世間のこの乖離感を感じてしまうわ。
周りでアンパンかじってる人を見ないんだけどなぁ。
このアンパンブームこないかな!って待ちわびている日本中の街の中のアンパンを焼くのが得意なパン屋さんは、
なんてね。
うふふ。
休日だとここに立ち寄れるので、
とはいえ、
開店直後はドッとお店にお客さんがわりとたくさん入ってくるので、
私が出遅れて飛び込み前転をしている際に入店が遅くなったけれど、
お客さんがたくさんで、
私は遅れても全然いいわよって余裕をぶっこいちゃうぐらいな余裕のある休日の朝だったので、
私はゆっくりと電子端末の前におもむいて増田を書いているってわけなの。
ちょうど書き終わった頃に
やったー!
私の読みは当たったわね今日は鮭、
焼き鮭よ!
しかもお腹の方で脂ののりも抜群なグンバグな美味さあふれる魚の脂が香ばしく焼けていて決まっているわ。
ああ休日の朝はそうこなくっちゃ!って
美味しくいただくわ。
起きてすぐ注ぐしゅわしゅわをシュワッと飲んで
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
転生したら世阿弥になっていた件とタイトル投げてバトル漫画指定したら、秒でそれなりに実用的に使えそうなストーリーを考えた。
タイトル: 転生したら世阿弥になっていた件 〜能楽剣舞の極意〜
あらすじ
現代日本で平凡な舞台演出家だった主人公が、事故に巻き込まれ目覚めると室町時代の少年・世阿弥になっていた。父・観阿弥とともに能を大成させるはずの運命だったが、異世界転生の特典として「能楽剣舞」という未知の技術を得る。足利将軍家や戦国武将たちが支配する動乱の時代、剣を執る運命へと導かれていく——。
転生特典として「能楽剣舞(のうがくけんぶ)」という戦闘技術を持つ。
観阿弥(父):
主人公に舞の奥義を伝授しながらも、戦いには関わらないよう諭す。
将軍として能楽を支援するが、主人公の剣舞に興味を持ち、戦場での利用を考える。
鬼夜叉(おにやしゃ)
世阿弥の剣舞に興味を持ち、命を狙いながらも彼の実力を認めていく。
バトルシーンの例
第一幕:観客を魅了する剣舞 能舞台での演目中、突如刺客が乱入。世阿弥は舞を止めることなく、刀を抜きながら優雅に舞い続ける。
「これは…能なのか、剣術なのか…?」 観客が息を呑む中、敵の斬撃を最小限の動きでかわし、しなやかな体捌きで一撃を浴びせる。剣の軌跡がまるで舞の一部のように美しく、敵は翻弄される。
第二幕:足利義満の試練 義満の命により、世阿弥は幕府最強の剣士と対決することに。相手は剛剣を振るう武士だが、世阿弥は能の「静と動」を活かし、見えない間合いからカウンターを決める。
しかし、戦の世界に深く関わることは世阿弥にとって破滅への道。能楽を守るため、剣を振るうべきか否か——葛藤が彼を襲う。
幽玄剣舞:動きを最小限にし、まるで幽霊のように攻撃をかわしながら一撃を放つ技。
花の一閃:剣の軌跡が花びらのように舞い、敵に死をもたらす一撃必殺技。
夢幻転生:能の「夢幻能」から着想を得た技で、敵に幻覚を見せる特殊戦法。
——
能楽 × 剣術 × 歴史 × 異世界転生のバトル漫画、いかがでしょうか?
こんな感じで「能楽 × 剣術 × 異世界転生」のバトル漫画を考えてみました!もっと詳細なバトルシーンやキャラクターの設定を詰めていくのも面白そうですね。どう思いますか?
はるかぜちゃんこと春名風花のブログ、最後の更新が2023年11月でもう1年以上更新していない
2020年にTwitterをやめてYouTubeに移行すると宣言するも「裁判に勝ちました」という動画1本以外は伸びず、1000再生にすら届かないこともザラだった
「若い女は笑顔で雑談配信してりゃ稼げてイージーだよな」という弱者男性の僻みを、インフルエンサーで芸能人で女優の若い女という存在ながら覆した
YouTubeの更新は止まり、文章主体で成り上がった人なのでその道がいいと判断したのかアメブロ開始
アメブロは残酷なことに「女優カテゴリのうち現在何位です」とトップページに表示されるのだが、上位に行けることがなくモチベーション落ちたのか更新頻度が下がっていきストップ
女優カテゴリの上位は50代60代とかで地盤が固まっており優雅な生活や親しみある日常を面白おかしく書けるベテラン女優ばかりだ
はるかぜちゃんは炎上ネタに首を突っ込み「俺の怒りに若い女が共感してくれてる!」といいねRTされてバズる方向性で人気が出た人であり、アメブロで人気の女優に求められてる要素は持ち合わせていなかった
noteで記事を売っても儲からず、PV数で収益化するアメブロに行ったがその方法でも儲からなかったのだろう
2024年、はるかぜちゃんのYouTubeは突如として消えた
いや、名前を変え、動画のほぼ全てを消して母親の立ち上げた芸能事務所のチャンネルに転用されてしまった
芸能事務所チャンネルに変わった当初は女の子たちがキャッキャする動画が頻繁に載せられ、ソロで回すのキツくても複数ならどうにかなるんだな〜と思いきやそれも2024年11月で更新停止、新年の挨拶すらなかった
彼女はTwitterでだけ輝け、そしてTwitterがXとなったことでバズから縁遠い存在になってしまった
はるかぜちゃんにもう一度輝いてほしい
炎上に首突っ込んで売名なんて商法に手を染めた者はもう女優だのアイドルだので大成なんて無理だ
フェミやらポリコレやらの騒動に「僕は女だけど反対です!」と表明して「俺に共感してくれる若い女」としての人気を再び得るべきだ
そして行く行くは政治家へ
バズれない場では長続きせず、反響少なくなってもフォロワーという数字のあるXにはこだわってるんだから、結局バズが欲しいのだろう
フィギュアスケートやらせるのに親の金や労力が必要だから子に諦めさせた過去があるのでフィギュアスケート漫画読むのつらい、というツイートが話題になってるのを見て思ったんだけど
フィギュアスケートに限らず、それ以外のスポーツでもあるだろうし、音楽とか芸術とかでもあるよね。
ブコメでは「そういう子がいたら少しでも寄付して支援したい」て声もあった。
増田の地元では少年野球がさかんで、コンビニやスーパーに行けば親が頼んで置かせてもらったのだろう「○○少年野球団が県外遠征に行く費用の支援をお願いします!」てカンパ募る箱がおいてあるし、
増田の職場では定期的に他の職員が子が所属する少年野球チームの資金造成のためのTシャツ購入依頼を頼みにやってくる。
地元県の公立高校が甲子園に行くことになれば全県的に大阪滞在費用の募金活動が始まる。
(俺の子の趣味活動や勉強する費用はぜんぶ俺だけで出してるのに、なんで赤の他人の子の趣味費用を俺が出さんといけんねん、と思って毎回断ってるが、白い目で見られる)
この手の支援募集でいちばんひっかかるのが、活動する金は他人からもらっておいて、その子が将来大成してその道で大きく稼げるようになっても、かつての支援者に稼ぎが配分されることはなく、本人と親が総取りするわけじゃん。それが納得いかんのよね。
なので一つ提案なんだが、子に対する株式を発行したらどうだろう。
子がある活動をするための総費用を100株とかに分割して、親が51株買って決定権を持ち、残りは他の人に販売して提案権や、将来の稼ぎに対する配分権利を確保させる。
中には将来大リーガーになって数十億円稼げる子がいるかもしれず、そうすれば生涯年俸の1%でも大きな収入になる。
こうすれば慈善ではなく投資の一種としてより金を出す人が増えるんじゃないかな。
あまりにもドライで資本主義的なので感情的な反発を受けるかもしれないけど、今みたいに少ない慈善が回りきらずに道を諦める子が多い現状よりは、そっちのほうがいいと思う。
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肝心なの忘れてた
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知らん知らん
ただでさえ99%ゴミの長文系でそんな選別してたらそもそもこの増田書いてない
なろうの中でタイトルが長いやつね
だから「フラジャイル 病理医岸京一郎の所見」は長文系ではない
片田舎もあったな
これも追加で
しゃーねぇなあ
変えたぞ
君はそういうのが好きなんだね
面白いとは思うが好きではない
見渡す限りのゴミが広がる なろう長文系界隈の中にもまだ読める物がある
それだけで嬉しくなるだろ?
すまん、「自販機の下から10円みっけ!」くらいの感じで書いたら伸びただけで、勧めたい気持ちはあんまりない
否定派の意見も8割同意だから、面白さを説明しろと言われてもこれ以上なにか書く熱意はないんだ
…結局、『ただでさえ99%ゴミ』とかこんな物言いとかして(コミカライズの時点で選別入ってるからそんなわけはねえだろヴォケ)、 https://posfie.com/@OOEDO4/p/7FypLGZ と同じ「こんな選別眼のある俺様SUGEEE!」系カスだよなコイツ
お前それは失礼だろそのリンク先のヤツに
俺にそこまでの熱意はねえ
すまんかった
熱を感じた。
勢いで書く。
はっきりと理解した。
僕がこの人生で最も求めているものは「ドラマティックであるか」だ。
自分の行動がドラマティックな結果になるか、そのためにはどう行動すればよいか。
そこだけに注力して今後の選択を決めたい。
たぶん2時間くらい彷徨いて、さすがに何も買わないで退店するのは気が引けるので、
大昔に読んだギャグ漫画のセリフに出てきたタイトルの小説を買った。
それだけでは話が膨らむわけもなく、
関係者や、犯罪者サイドの思惑や背景、入り組んだ人と人との心情を描いており、
僕には心地よいテンポで話がすすむ。
ちょうど犯人の不合理な行動に対して、主人公とその仲間が考察するシーンを読んでいて、
ああドラマティックであるなと感じた。おもしろーと感じたのだ。
+++++
あるいは、
これまでの自分の生き方に後悔したことや、これから自分はこのように生きていたいと、
僕はある。
何十冊と本を読み込み、
何百枚もメモを書き出し、
この結論に至るのに、
これまでの自分の行動や、行動によって得られた結果や、その時の気持ちの振り返りに
本当に途方もない時間をかけた。
いや、かかった。
この結論は今日まで、ついさっきまで、僕自身の中で3年以上支持された行動原理であった。
しかし、実はここ半年ほど「そうでもないかもな」という気持ちが、行動が表にでてきていた。
具体的な話をしよう。
昨日、スロットで5万負けた。
先週は5万勝ってた。
スロットをやりたくなったとき、気持ちに歯止めがきかない。止めるつもりもない。
この気持ちは突然に湧くので、「勝てない」状況でも行ってしまう。
例えば、当たればでかいけど、当たらなければすごいスピードでお金を溶かす台、
手持ちが1万程度しかないのに、数万突っ込まないと勝ちの土俵に上がれもしない台
閉店間際で、連チャンすればずーっと続いてしまう台などで遊ぶ。
負けるのがわかっている状態でスロットをすることは「楽しくない」ことだ。避ければいい。
負けたいわけじゃないんだ。
そこから一気に捲り勝ちする快感が、経験がスロ屋へ足を向かわせる。
利根川か、蔵前あたりだと思うのだけど、似たようなニュアンスのセリフが頭から抜けない。
マンガでそのセリフを読んだその時は「追い詰められるとそんなふうに感じる人もいるのだな」位に思ってた。
まるで人ごとのように感じてたけど、それが間違ってた。
だから、誰のセリフか、どの福本マンガのキャラのセリフかは覚えてないのに、
+++++
この立場に至るまでは中々ドラマティックであった。もちろん楽しんでいた。
家族のために求めた「安定」は獲得したけど、
どこか虚ろというか、なんか違うなという感じを拭えていなかった。
そういった「楽しくない」選択をしないで済むところまではきていた。
楽しくない選択を選ばないでよい = 楽しい選択をしている でないとは気がついていた。
気づいていながらも放置していた。楽だし。
望んで手に入れた環境ではあるのに、
全力を突っ込めばまだまだ成長の余地はあるのに、
僕がいなくても会社は回る。
拗ねてない。
同じくらいまとまった金が欲しかった。
両方を手に入れるために、一番最適なことをコツコツと積み上げた。
「楽しくなる」と信じて。
今それはある程度のところまで来ている。
この活動が大成したときのドラティック具合は半端ではないことを知っている。
失敗して活動を辞めてしまっても、挑戦したドラマが自分の中に残る。
+++++
いまこの事象に巡り会えたことは、この先に活かせるのではないか。
結果どハマりして読んでる最中に
今後数年の行動原理となる「ドラマティックであるか」に気がつけた。
男はテーブルにつき、
メニューを供されるのを待ったが、
そうこうしているうちに、レストランの奥からシェフがやって来て言うのだ。
「時間になりました。お帰りください」
男は困惑して尋ねる。
「メニューが供されなかった」
シェフは答える。
「この店にメニューはありません。お客様が望むのであれば、なんでも提供できたのですがね」
男は行動しなかった。何でもできたのに「メニューが供されるのを待った」
時間切れってのは死のことだろう。
僕はまだまだ身体も頭も動くんだ。
ジジイになったとき、なんでも経験してたジジイと評価されるようになってやる。
おしまい。
例えば趣味のお笑いではラジオも聞くし好きな芸人のYoutubeの個人チャンネルとかも見るしもちろんM-1は毎年リアタイで見る。
ただ、これが本業になると話が変わってくる。
本業で第一線を走っている人を見ると嫉妬やらなにやらで直視できない。
本当は本業こそ色々なところを研究し勉強するべきなんだけど、本気になればなるほどその分野のことを見聞きするのが辛くなる。
キャリア的には大学までは第一線を目指せる経歴だったというのはあるだろう。
同期や後輩が華々しいキャリアを歩んでいるし年下の人が大成しているのを見聞きもする。
可能性があっただけにそういうのが本当に辛い。
野球選手が大谷選手の活躍を直視できないと言っていたり、COWCOWのよしがM-1を素直に見れないと言っていた気持ちがわかる。
きっとそういうのと同じ感覚だ。