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はてなキーワード: 建築家とは

2025-10-15

休憩所2 石のパーゴラって結局壊れなかったな。

ネット多数派が理性ではなく、危な"そう"という感覚で物申していることが明らかになった良い例だった。

んで、建築家自ら長文で安全性について説明されたら、自分たちの間違いを認めるのではなく、そもそも休憩所なのに身の危険を感じさせるのがナンセンスという方向に話を持っていったんだっけ。まぁ、実際は他の休憩所と変わらないぐらいの人がいたというオチだったわけだが。

まり、叩きたい、批判したい、最初に抱いた自分の間違った感覚正当化したいという思いから生まれたそれっぽい詭弁だったということが証明されたわけだ。

まぁ中には建築家説明を受けて、『でも、絶対に壊れないとは言えないでしょ?』とか『検証の際にヒビが生じたかもしれないよ』とか言う人もいたわけで、そう言う人よりは何倍もマシ、、、いや大して変わらんか。

SNS時代だと自身感情論をそれっぽく正当化してくれる詭弁簡単に見つかっちゃうからいくらでも自分の非を認めないことができちゃって大変だよなぁ。

2025-10-14

anond:20251014210959

そうよね。

詐欺という訳ではない、ただ普通に損をさせ徒労に終わらせるだけなのが厄介で

地域振興とかそれなりに真面目にやっていると、こう言う手合いが手を替え品を替えやってきて、本当にうんざりしている。それを田舎排他性とか言われると、マジだるい

他にも観光客連れてきますとか、大企業研修で使いますとか、著名建築家ボランティアデザインしてくれるからロッジ建てましょうとか、著名クラッシック演奏家を呼んで音楽祭やりましょうとか、もうほんといろいろ。

プレジデント記事のやつも、地元民が乗らなかったのはこう言うのにうんざりしていたからで

さらに今でも冷ややかなのは地元経済にはほぼ誤差レベルなのにブランド利用されているからじゃないかなって。あの業態だと創業者小金持ちになるレベルで止まるでしょ。それ以上稼ぐ市場存在しないので。

2025-09-08

若い子がプログラマーになるのなんて全力で止めるだろ


お前ら、いいか

プログラマーになりたいとか言い出す若い子が増えてるらしいが、全力で止めるべきだ。

何が楽しくて、一日中パソコンの前に座ってコードを書くんだ。画面に向かってカチャカチャやるだけで給料もらえると思ってるのか?

まず、あの仕事の何が地獄説明してやる。

①終わらないバグ修正

バグという名の無限地獄にハマるんだ。テスト中に見つかった小さなミスを直しても、また次が見つかる。雪だるま式に増えていくバグの山を前に、休日出勤、深夜残業は当たり前だ。

技術陳腐スピード

今学んでる技術が、来年には古臭くなる。React?いや、Next.jsだ。Python?いや、Goだ。AI?いや、量子プログラミングだ。追いつけるか?

コミュ障製造

チーム開発だとか言うが、要するにコミュ障会議連続だ。要件定義設計レビューコードレビュー。画面越しに言われる「ここのインデント直して」は地獄モノローグだ。

健康破壊

一日12時間椅子に座ってると、腰が砕ける。目は充血、肩は凝り、腱鞘炎で手首が動かない。運動不足内臓も弱くなり、メタボへの一本道だ。

⑤将来の不安

年収は確かに上がったかもしれない。でも45歳を過ぎたら使い捨てだ。体力も気力も続かない。若いうちはいいが、中年になって誰もコードを任せてくれなくなる。

社畜

残業代なんて雀の涙納期に追われて、家族との時間も削られる。コードを書くための人生じゃない。お前らがロボットだとでも思ってるのか。

じゃあ、何を目指せばいいのか?

クリエイティブ仕事だってもっとマシなのはある。

建築家自分設計した建物未来に残る

料理人:食べた人の笑顔を作れる

医者:人の命を救える

研究者:新しい発見世界を変えられる

コードなんて、所詮デジタル世界の話だ。0と1の迷路人生を消耗するな。

もし熱い情熱があるなら、もっとリアル世界で形に残るものを作れ。

それでもお前らがプログラマーになりたいと言うなら、一度次の質問に答えてみろ。

・本当に解きたい問題があるか?

コードを書くことで誰かを幸せにできるか?

・30年後もこの仕事を続けたいと思うか?

答えがイエスならお前はマゾか、ホントプログラマーかのどっちかだ。

でも99パーセントの奴は、ただ使い捨て要員になって終わる。

若い子よ、夢だけで突っ走るな。現実を見ろ。

プログラマーになるなんて、全力で止める。

2025-07-23

犯罪役者が登場したドラマ絶版の次は、犯罪絵師が描いた小説絶版

※まだ決定はしていないんだけど

 

これを支持してる奴らの理論で言えば

「何か作ってる人が犯罪犯したら、その生産物を破棄するのが妥当」となると思うんだけどどう思うんだ?

いやマジで

以下の事例についてどう思うんだ?

 

1.役者が薬物で捕まった、その映画をお蔵入りにした

2.絵師淫行で捕まった、その人が挿絵を描いていた小説絶版にした

3.絵師が捕まった、その人が担当していたソシャゲガチャ絵を差し替え

4.ゲームクリエイターが捕まった、その人がデザインしたキャラクターを使えないようにした

5.Webライターが捕まった、その人が書いた取材記事を見れないようにした

6.モデルが捕まった、その人の広告を全てとりやめた

7.服飾デザイナーが捕まった、その人が作った服を生産停止にした

8.建築家が捕まった、その人が作った建物を封鎖した

9.車の設計者が捕まった、その人が作った設計不採用とした

10アニメーターが捕まった、その人が描いた原画差し替え

11農家が捕まった、その人が生産した米を全て破棄した

12プログラマーが捕まった、その人が書いたコードを全て破棄した

13.学者が捕まった、その人が書いた論文を破棄した

 

こんな社会にするならするでいいけど、そうなってないよね

現状やってるのって「クレームくるから」以上のものはないんだよね、それが年々酷くなっていってるだけ

2025-06-24

日本温泉旅館に嫁いだアメリカ人女性のその後(ChatGPT)

概要

山形県銀山温泉の老舗旅館「藤屋」にアメリカ人女性女将として嫁いだことは、テレビ新聞などで話題となりました。彼女名前ジニーさんで、JETプログラムを通じて来日し、旅館若旦那結婚伝統的な温泉旅館女将として奮闘する様子が多くのメディアで紹介されてきました。

その後の経緯

現在について

  • 具体的な近況や活動内容については公にされておらず、直接的な情報ほとんどありません

結論

山形県銀山温泉の藤屋旅館に嫁いだアメリカ人女性ジニーさん)は、離婚アメリカ帰国し、日本には戻っていません。現在の詳細な消息公表されていませんが、失踪事件性はなく、静かに新たな人生を歩んでいると推測されます

結果

結果として「藤屋」の経営者であった藤敦氏は、旅館倒産と、妻ジニーさんおよび2人の子供を失うことになりました。

なぜそうなったのか
1. 大規模改装による経営悪化
2. 夫婦間・家族間の価値観対立
3. ジニーさんの精神負担帰国
4. 経営破綻

まとめ

藤敦氏は「伝統革新」「経営の持続と地域性」のはざまで苦渋の決断を下しましたが、結果的経営家族も失うことになりました。大規模改装による経営戦略の失敗と、家族内の価値観のズレが複合的に作用したことが、最大の要因といえます

藤敦氏がジニーさんの反対を押し切って「おしゃれな改装」を断行した理由は、主に経営上の危機感時代の変化への対応が背景にあります2000年代半ば、藤屋旅館老朽化や競合激化、観光客ニーズ多様化といった課題に直面していました。これに対し、藤敦氏は「伝統を守るだけでは生き残れない」と判断し、有名デザイナーに多額の資金を投じて近代的な大改装実施しました。

この判断の裏には、

があったとみられます

しかし、結果としてこの大規模投資は、

を招き、経営破綻の直接的な要因となりました。

似たような経営ミスの事例

このような「過剰な設備投資」や「ターゲット層の見誤り」による経営破綻は、旅館ホテル業界で珍しくありません。

などが多数報告されています

> 「過剰な設備投資、高コスト構造需要予測の甘さが招いた失敗は、ホテル旅館経営典型的リスクであり、市場調査顧客視点の欠如が大きな要因となる」

藤屋旅館のケースも、伝統革新バランスを見誤り、経営者判断家族地域社会との亀裂を生み、最終的に経営も家庭も失うという典型的な失敗事例の一つといえます

2025-06-07

anond:20250605221629

瀧光夫について触れられてる!

林業試験場展示館とか豊中植物園をはじめ、植物園とか公園をメインにやってた建築家で凄いセンスが良いのだけどあまり注目されないのよね…

東京近辺だと板橋区立熱帯植物園とか、水戸市植物園とかがあるかな

なんだろうな、森の中に無機質な角ばった建物があって、しかし奇妙に調和している感じというか、そういう雰囲気があるように思う 思うだけ!行ったことないからね

それこそが瀧建築の真髄だよね、ザ・モダニズムという感じのカッコいい建物なのにみどりに溶け込んでいる

その辺の工夫をみると結構面白いのだけど、彼の著書「建築と緑」に詳しく書かれているので建築に興味のある人は読んでみてほしい

2025-05-22

dorawii

長方形の板の巨大な構造物が、屋根のように、道路に対してその幅方向に架かっていた。

中央には円形の穴が開かれている。

日差しを広い範囲遮って暗くしているだけじゃんと、何も魅力を感じない。

こんなもの安藤忠雄の作だという。

安藤忠雄」って言われてなお何も印象が好転しないのだからよっぽど魅力がないのだろう。

普通逆だろ。太陽の塔特に解説もない状態で見た時点で、なんかすごいなって思って、その作者が岡本太郎という人だとしって、岡本太郎ってすごいんだなって思う。

建築家ってもの自体胡散臭いものなのかもしれないなあ。

2025-03-24

anond:20250324015437

教養が高じてその土地体験したい

・金をドブに捨てるのが気持ちいい

・なんかやってる感を得たい

みたいな

旅行にも質が色々あるからね~

建築家歴史上の建物を見に行くとか

三国志ヲタ五丈原を踏みに行くとか

そういうのならいいけどね~

2025-03-19

一生独身のつもりだった

会社の歳上独身がキツい反面、既婚者のほうがまともに見えて苦しい。

身だしなみや仕事ができるできないもそうだし、雑談の内容や飲み会の席の振る舞いなどなど、歳上を見ていると明らかにコイツ出来ねえなって思う人とそうでない人の違いが独身か既婚かしかないと思った。

俺は子供の時から貧乏でひもじかった実家に比べて母の妹にあたる独身の叔母が新築の家を建築家先生に依頼して建てるし猫を飼って週末は庭いじり等の趣味をするわ新車を3年とか5年で乗り換えるしと子供から見て贅沢な暮らしをしていたので「絶対独身で贅沢に暮らそう」と思っていたのに、今頃になって「もしかして独身だと周りから浮いてヤバイ奴と思われるのでは」と思うと非常に苦しい。

しかしたら叔母も職場で浮いていたかもしれないし、仕事や交友関係については知らないことも多々あるのは当然だとしても

今気付くのは遅すぎた……。

やばいどうしよう。と言っても今更修正効かないからこのまま行くしかないんだろうな〜〜

どうしようもない愚痴にもならない本当の独り言ですわ!

2025-03-02

大阪万博に反対する弱者男性が『ミケーレ・デ・ルッキ』も知らずドン引きした…なんで弱者男性って無教養なの?

 マッチングアプリ出会った高卒地方工場の協力会社作業員アラフォー弱者男性カフェランチ顔合わせした時の話です

 大阪万博の話になって、職場大阪万博チケットをもらえるので楽しみって話をしました

その弱者男性に行くんですか?って尋ねると、興味ない!あんなのよりUSJの方が面白いって言い出してました

 『ミケーレ・デ・ルッキ』の建築とか興味ないの?って聞くと、「なにそれ?」と鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてました😱

 有名な建築家の名前も知らないなんて、やっぱり高卒とは教養価値観が合わないもんなんだなあって思いました


豚に真珠、猫の小判etc.やっぱり低学歴の人って芸術よりUSJとかのテーマパークが好きなんだなあって思いました

2025-01-16

anond:20250114165324

君はマットや制服とき小道具でひっかかるんだね。

名前だったりのほうが荒唐無稽だろ。

なんか「こういうもの」みたいな固定概念がつよそうだけど、

れいったら壁ぶち抜きシーンなんか建築家からみたら噴飯物なんだけどな。

でもマンガ雰囲気で読むものじゃん。

きみはいちいちマンガ読むときにLGBTフェアかどうか、勝手審査員でもしてんの?

昔のマンガケチつけてまわってる人と同一増田かな?

それとも、背景ばっかりかかされてるアシスタントさん?

2025-01-11

anond:20250111224435

それは公民館とか間借りしたような狭くて小汚い図書館からだろw

 

うちの近所のは有名建築家設計したシュッとした感じの図書館から

寝てる人も独り言つぶやいてるお爺さんもホームレスみたいな人もいない(というか入りにくい)

2025-01-09

anond:20250108133702

快適な家に住みたいならヘーベルハウスかにしとけって。成金がイキって有名建築家に頼むのがダサいんだよ。

2025-01-08

ガウディ建築見に行ったら話題隈研吾でてきてワロタ

長期連休スペイン観光行ってきた

お約束ガウディ建築も4カ所見に行ったのだが

そのうちのカサ・バトリョというマンション

サグラダファミリアのような巨大建築でなく一軒家なのだが、チケットが一番高い

ゴールドチケット47ユーロ(約8000円弱)

 

ちなみにサグラダファミリア尖塔入場付36ユーロプラド美術館オーディオガイド付きで20ユーロ

サバトリョと同程度の規模感のカタルーニャ音楽堂世界遺産)で18ユーロ

 

いった何が高いのか中に入ってわかったのだが、

観光客向けにAR(拡張現実グラフィックやらガウディインスパイア現代アートインスタレーションやらで

かさ増ししている(カサ・バトリョだけに)

日本重文建築見学するというよりテーマパークアトラクションに近い

 

で、

ガウディデザインカメモチーフからカメが浮かび上がって空中遊泳したり

「ぜったいガウディそんなこと考えてないでしょ」みたいな盛りに盛った演出でおなか一杯になって

建物出口の階段演出(たぶん演出のつもり)が隈研吾

オーディオガイド日本建築である隈研吾による、と解説が入る)

 

もちろん、見ても全くガウディ関係ない、ガウディにかすりもしてない

はてな槍玉にあがる隈研吾建築みたいのでもない

言われないと隈研吾と全くわからない

というか建築意匠ですらなく、アートってわけでもなく、インスタレーションと主張されればうーんと黙るけど、

普通にニコレっていう違和感ばりばりのやつ

 

たぶんカサバトリョの運営方針自体ガウディ知名度に寄せて観光相手に荒稼ぎしたいとこに

ガウディ知名度に乗っかりたい日本建築家がいっちょかみしましたってことなんだろうけど

隈研吾建築でもなく、ガウディでもなく、ガウディインスパイアインスタレーション方向性でもなく、

なんかよくわからんもの隈研吾って名前をくっつけるという割り切りっぷりに

営業力の凄みというかギャグというか、ここ最近風評まで含めたおかしみが混ざって

ガウディ建築感想すら吹っ飛んでしまったのだった

2025-01-01

東京がもう一回作り直せるならどうデザインするのがいいんだろうね

隈研吾「僕がやります

世界建築家に任せれば安心だね

2024-12-07

芸能人ヒートショックの起きるような粗末な家に住むはずがない!

…と思ってしまうおばかさんがいるらしい。

日本の家なんて、「高断熱」を特にうたってない限りは、高級だろうと豪華だろうと低断熱がデフォだって、だ〜からずっと言ってるんだけどな。

世界から笑われる超低性能な日本の家っていうのは、つまりそういうこと。そういうレベルで「すべてダメ」なんだよ。

 

欧米ではもちろん、今では中国でもRCは外断熱が当たり前。建築科学で考えればRCを内断熱するなんてあり得ない。結露するから

でも日本技術力がないので、ほぼすべて99.999%のRCは内断熱。

RCの内断熱ってことは、室内側に断熱材を貼るってこと。

そんなの、分厚くしたらそれだけ部屋が狭くなるから絶対に5cmを越えて貼られることはない。

まり、内断熱でやってる限り、絶対日本マンションの断熱性能はアップしない。

 

それでも、庶民が住んでる板マンションはまだマシ。住戸が縦横に並んで、外周部の部屋以外は熱損失が抑えられるからね。

逆に言えば、「高級」な、角部屋とか、戸数の少ない低層マンションとかの方が、むしろさらに断熱性能は悪いってこと。

芸能人が住んでるんだぞ! 高級マンションなんだぞ!」

から断熱性能が高いと思う? 日本レベルの低さを侮り過ぎ。

日本では、素人が断熱の勉強をせずに、ただ言われるがままに家を買うと、高い金を出せば出すほど低断熱の寒い家を売りつけられる。(もちろん、安アパートでも同じように寒いが。日本中間層の家が一番暖かい。)

 

有名人は家で死ぬ

実はこれ、日本の性能に詳しい建築家の間ではむしろ定説なくらいの話。

こういう状況を放置しよう知らん振りしようとお前らがし続けるかぎり、変わらない。

だって法律規制がないんだもの馬鹿日本人は黙ってれば、「高級=断熱性もいいはず」と勝手に思って買ってくれるんだもの

何でお前らは、営利企業が、目に見える需要もないのに、勝手に良いものを安く売ってくれると思っているのかねえ。

日本レベルが下がったのって、こういうところが原因だよな。

日本スゴイ」教のおかげで、日本企業は企業努力をしなくても、国産だというだけで馬鹿を騙し続けられる。ありがたい。

2024-11-21

隈研吾建築批判されてるけど

有名建築家メンテナンス性に優れた建築している人って誰よ?

丹下健三東京都庁雨漏りしてて補修費用がべらぼうで建て直したほうが安いと言われ、それについて聞かれた安藤忠雄は「普通建物が良かったら普通の所に頼んだら良い」と言ってるわけで、有名建築家に依頼するというのは、高級車に金つぎ込むような金払いの良さが必要なんじゃないの?

2024-09-16

anond:20240913131027

「まぁ、ピタゴラスの定理なんて、あれはもう初歩の話よね。確かに、a² + b² = c² は中学生レベルでも理解できるけれど、そこに潜む深い代数的構造や、ユークリッド幾何学との関連性を本当に理解しているのかしら?あの定理の背後には、単なる平面上の直角三角形の話じゃなくて、リーマン幾何学複素数平面を通じたさらに高度な次元世界が見えてくるのよ。それに、ピタゴラスの定理特別場合とする円錐曲線や、楕円関数論まで考え始めると、幾何学の美しさっていうものもっと深く見えてくるわけ。」

 

「それと、黄金比ね。もちろん、あのφ(ファイ)がどれだけ重要か、理解してる?単に無理数というだけじゃなく、数論的にも代数的にも特異な数なのよ。フィボナッチ数列との関係も美しいけど、そもそもあの比が自然界で頻繁に現れるのは、単なる偶然じゃないわ。代数無理数としての特性と、対数螺旋やアファイン変換を通じた変換不変性が絡んでいるのよね。そういった数学的背景を理解せずに、ただ黄金比が「美しい」ってだけで済ませるのはちょっと浅はかだと思うわ。」

 

「あと、パルテノン神殿の話だけど、そもそも古代建築家たちが黄金比だけでなく、より複雑なフラクタル幾何学対称群に基づいた設計をしていたってことは、あまり知られてないのよね。建築対称性は、単なる視覚的な美しさじゃなくて、群論代数トポロジーに深く結びついているわ。あなたが好きな絵画も、ただの黄金比じゃなく、もっと深い数学的な構造に従っているのよ。わかるかしら?」

2024-09-13

街コンでは幾何学の話をしている

街コンに行くと、いつも何を話すべきか迷う。

人が集まる場だし、みんな軽い話題で盛り上がってるんだろうけど、俺はいつも違う。

俺には誇りがあるからもっと深い話をしたいんだ。

今回も例に漏れず、気付けば幾何学の話をしていた。

幾何学って、本当に美しいですよね」と、最初に口火を切る。

女性たちは不思議そうな顔をしていたけど、そんなのはお構いなしだ。

だって、これは美の根本に関わる話なんだから。誰でも分かるだろう。いや、分からなきゃおかしい。

「たとえば、ピタゴラスの定理。a² + b² = c² なんて、中学生でも知ってるでしょ?でも、あの定理が持つ幾何学的な美しさ、理解してます?ただの数式じゃないんですよ、これは宇宙の秩序そのもの象徴してるんです。直角三角形の辺の比が、どうしてあんなに完璧に収まるのか、その背後にあるシンメトリーバランス、これはただの計算じゃ説明できないんです。幾何学は、自然界に隠された美を可視化する手段なんです」

女性たちは相変わらずポカンとしていたが、そんなことは全く気にしない。

俺の言葉は少しも止まらない。

「それに、円と黄金比ですよ。黄金比の美しさって聞いたことありますよね? φ(ファイ)という無理数、1:1.618...っていうあの比率は、自然界でも至るところに現れるんです。貝殻の螺旋や、ヒマワリの種の配置、果てはギリシャパルテノン神殿まで。これらすべてが、幾何学的な美しさの証明なんですよ。建築家芸術家たちは、何千年も前からこの黄金比魅せられてきたんです。それが美の基準なんです。たとえば、あなたが好きな絵画も、おそらく黄金比に従って構図が決まっているはずですよ」

ここまで来ると、女性の一人が「へぇ〜、すごいですね…」と、曖昧な笑みを浮かべているのが目に入る。

だが、その目に理解の色はない。いや、むしろ遠ざかっているかもしれない。

それでも俺は一歩も引かない。だって幾何学は俺の人生のものなのだから

俺な自分人生否定しない。

「次はもっと複雑な話をしましょうか?ユークリッドの『原論』はご存知ですか?あれは古代ギリシャで書かれた数学書で、数千年の間、数学の基礎として使われてきたんです。『原論』の最初定義は、点は幅を持たないもの、線は幅を持たず長さを持つもの。これをもとに、無限に広がる空間の中で幾何学的な図形を描くんです。そして、その空間の中に、あらゆる美が存在するんです。アポロニウスの円錐曲線における楕円の美しさなんか、誰でも感動するはずです」

俺の幾何学講義は終わらない。

彼女たちは完全に引いていたが、そんなことはもう気にしない。

これが俺の誇りであり、俺の魅力なのだから

「俺にとって幾何学は、ただの学問じゃないんです。これは美を追求する哲学であり、生き方なんです。人々がモナ・リザアフロディーテ像に美を見出すように、俺はピタゴラスユークリッドにその美を見出しているんです」

幾何学の美しさを語り終えた頃、ようやくふと我に返り、周囲の反応を確認してみた。

すると、女性陣の顔には一種沈黙が漂っていた。

皆、頬に作り笑いを浮かべているが、目は明らかに遠く、何か別の世界意識飛ばしいるかのようだった。

ひとりはスマホをチラッと確認し、もうひとりは、手元のグラスに注がれた水をいじっている。

こちらを見ている女性もいたが、彼女の表情はどう見ても「本当にこの人何を言っているの?」という困惑のものだった。

「ええ、そうですね……幾何学って、すごいですね……」と、一人がようやく口を開いたが、その声には熱意も、理解も、ましてや感銘など微塵も感じられない。

表面的に場を繋ごうとするその言葉は、俺が夢中で語っていた美の真髄が、まるで真空の中に吸い込まれたかのように、何も響いていないのをはっきりと感じさせた。

もう一人が、さら微妙な笑みを浮かべ、「あ、そうなんですか……それで、その定理って、なんでしたっけ……?」と、曖昧質問してくる。

しかし、それは好奇心ではなく、ただ適当に話を引き延ばすための、無理やりな興味に過ぎないことは明白だった。

俺はその瞬間、すべてを理解した。

ああ、やっぱりこうなるのか、と。幾何学的美しさを解くことで、彼女たちの心を動かすことはできないんだと。

俺の語るピタゴラスの定理も、黄金比神秘も、彼女たちにとってはただの退屈な講義に過ぎない。

彼女たちは、たぶん映画の話や、食べ物旅行の話を楽しみにしていたのだろう。それが街コンで求められる「会話」なのだ

「まあ、こういう話、ちょっと難しいですかね……」と自分から話を切り上げるが、内心、虚しさと諦念がこみ上げてくる。

俺は分かっているんだ。結局、幾何学の美を理解できる人間は、ここにはいない。

俺の知識哲学は、街コンの場にはそぐわないのだ。

諦めが胸に染み渡り、俺はふと目の前のグラスを手に取る。

冷たい水が喉を通り、ほんの一瞬だけ現実感を取り戻すが、同時に心の中でつぶやいた。

俺は幾何学を愛している。それだけで十分だ。理解されなくてもいい。これが俺の誇りなのだから

女性たちがどれだけ俺に興味を持ったかなんて、もうどうでもよかった。

最終的に、女性たちがどれだけ幾何学に興味を持ったかは知らない。

だが、俺の中では確信がある。

幾何学こそが、真の美であり、それを理解しない者は本当の美を知らないのだと。

彼女たちには理解できない美が、俺の中にある。それだけで、俺は満たされているんだ。

2024-08-30

教養についての雑感

https://anond.hatelabo.jp/20240829195553

を読んだ。部コメもたくさんついて、ツリーでも教養メリットって何よ的な話題が盛り上がっているので、個人的になぜ教養必要か感じていることをざっくりまとめてみる。

対人関係を円滑にするための知識としての需要

話のきっかけとして全国の地名や名所・名物を知っていれば、初対面の人との会話のきっかけになる。

「××市のご出身ですか、カニうまいところですよね。え、地元の人は漁師さんから余ったやつをタダでもらえるんですか?うらやましい!」

的な感じで無難話題の引き出しのストックが増えるので、うわさ話や下ネタのような『ゲスい』話題に頼らずに関係構築ができるようになる。

地理的知識だけでなく、文学映画音楽等のカルチャーでも同じことは言えるけど、古典作品に限らずファーストガンダム北斗の拳といった昔のアニメ漫画現在では教養扱いになっているといえると思う。

また、テーブルマナーのような知識を知ることで、場にふさわしい行動をとれて恥をかかないという側面がある。一例として、フィンガーボールは指を洗うものという知識があれば、中の水を飲んで会食に居合わせた人たちから奇異の目で見られずに済む。

そんなわけで、教養は人と仲良くなるためのプラス要素を増やす材料にもなるし、不快な行動をとって嫌われることを避けるためのマイナスを減らす材料にもなる。

人生の楽しみを増やすための需要

コロナ禍後に旅行支援企画がたくさん行われたので、その機会に旅行に行った人も多いと思う。

旅行に行く際に、教養がなければ新し目できれいなホテル温泉に泊まって、「あー温泉入って飲み食いして楽しかったな」で終わってしまうと思う。 (それでも十分な娯楽だと思うけれども)

この時に、高知カツオとか、氷見ブリとか、地域特産品を知っていると東京大阪といった都市圏では体験できない食の奥深さに触れることができたりする。

また、建築に関する知識があると、駅前建物建築家の○○の作品だとわかって旅先で散歩するだけでも楽しくなったり、その町出身小説家を知っていれば、作家の△△はこの環境で育ってあの作品を書いたのだなと感慨にふけることもできる。

そんなわけで、教養人生の楽しみを増やすのにも役に立つ

概念を簡潔に伝えるための需要

岩をくりぬいた住居が立ち並ぶ不思議光景があったとして、「カッパドキア」という地域を知っていれば「カッパドキアのような光景」というだけでカッパドキアを知っている人同士には話が伝わる。

シェイクスピアヴェニスの商人を知っていれば「シャイロックのような強欲な商人」という表現だけでどんな人物か伝えることができる。

まあ、この文脈で差す教養メリットでもやはり、オタクカルチャー教養化しているなと思う。「シャイロックのような強欲」という言葉も、「範馬勇次郎のような怪物」という言葉も、イメージが沸く人の間で概念を簡潔に伝えるという目的は同じだからだ。

ネットミームにしてもそうで、事故が起きうる危険シチュエーション概念を指すネットミーム現場猫」なんてのは広く使われるようになっているし、これも現代では教養範疇になっているといってよいだろう。

有識者の真贋を見抜くための需要

ここ数年の間に、世界では新型コロナウィルス流行したり、ロシアウクライナ侵攻といった事件が縦づ付けに起こった。

こういう大事件が起きた時には専門家メディアに登場するわけだけども、どんな専門家発言が信頼できるか見抜くのにも教養は役に立つ。

大喪の礼」ということばを「たいものれい」と呼んだ政治学者がいたが、教養があれば「この人は基本的知識が不足しているのにメディア露出しているんじゃないか?」と疑うことができる。

また、研究者がどういうライフスタイルを過ごして、どういう活動が実績として評価されるか知っていれば、専門分野外の話題にも軽々しく回答する有識者や、メディア露出を優先するあまり研究業績が一切ない「ひやっしー」のような人を怪しいと判断することができる。

こういう自分とは異なる職業生活を知っているというのも、教養の一つの側面といえるだろう。

2024-08-28

ぼくは批評家が嫌いだ

ぼくは批評家が嫌いだ。

何故なら彼らは口先ばかりで、さも自分が判っているかのように語る。

それが堪らなく嫌で、腹が立つ。

本当に分かっているなら作ればいいじゃないか

ここがいいとか、ここが悪い。

あれは実は〇〇を表現しているから趣がある…なんて得意げに語り出すのを見ると、腹が立つのを通り越して呆れてしまう。

建築家だったら建築の何たるかを知っていれば建物建築するだろう。

小説家だったら小説の何たるかを知っていれば小説執筆するだろう。

批評家解釈ばかりで講釈を垂れ、作品の良質さをさも自分の手柄のように語る。

それが卑しくて、ぼくは見るに堪えない。聞くに堪えない。

本当に本質理解しているなら、作り手に回るはずだ。

それなのにクリエイターにはならず、批判されるのを忌避し、自分あくま批判する立場に留まるというのは、とても卑しく、俗的で、社会を狭め貶める行為であると、ぼくは思うのだ。

2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

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