はてなキーワード: いけずとは
小五の息子。
学校のテストはいつも40~60点の間をウロウロしており、悪いときは20点代もある。俺(父親)が自宅で勉強を見てやっても分かるが余り勉強が得意な方ではない。
運動も苦手で、小学校入学と同時に入ったサッカークラブは全く着いていけず半年で辞めてしまった。学校の体育も、補講を受けるほどではないが芳しい活躍はしていないようだ。
実は念のため幼児の時から発達検査などを受けていたが、全てシロ。なんの診断も降りなかった。
実際、学校の態度で何か言われたこともなく、サッカークラブを辞めたころ多少反抗期は有ったが基本的に優しい子だ。
要するにちょっとだけ要領が悪くて奥手なだけで、普通のゲーム好きな可愛い息子である。
顔も、ゲーム好きなところも、ちょっと生意気な性格も全部俺に似ている。
勉強以外は。
俺は公立の小中高を経て、実家から通える京大の工学部に入った。特に勉強を頑張った記憶はないし塾にも行っていない。体育や音楽の実技はてんでダメだったが、五教科は学校の授業をなんとなく聞いていたらそれで十分だったからだ。陰キャ友達と徹夜でスマブラしたりしていたことの方がよく覚えている。
大学でもゲームサークルみたいなところに入ってポケモンとモンハンにはまり、バイトもあんまりせずゲームばかり修士までの6年間続けて、学科の推薦で今のメーカー研究職に収まった。
こう書くと嫌みにしか聞こえないが、俺は学校の勉強で苦労したことがないから、今息子に本当の意味で寄り添えている自信はない。
息子が小学校のテストでつまづくとは正直思わなかった。彼は何が分からないのかが俺には分からない。教科書読んだらテストの準備なんてそれで終わりと思っていた。
妻は今からでも中学受験に切り替えればとか言っているが、正直今からでは間に合わないと思う。
それに、多分息子本人のためにもならないと思う。無理やり中受の勉強をさせても身が入らないだろうし。
でも、学校の勉強で良い点を取って良い大学に受かって良い会社に入る、という昭和臭全開の人生しか俺は経験していないから、その勉強が出来ないとなったときに、将来息子が独り立ちするにはどうすれば良いかが分からない。勉強が苦手で、今のところ他に得意なことも見つけられていない我が子に対して、親は何をしてやれば良いのか分からない。
元増田へのコメントで、いつ破綻するのか明確にしろというのがいくつか付いていたので、見方によっては既に破綻しているよって話をしたいと思う。
社会保障の破綻と聞いて普通想像するのは、例えば年金の給付が停止するとか病院での治療が自費でしか受けられないとかそういった事態だと思う。
しかし現状の延長線では多分そういった事態になることはあまり考えられない。だって日本は通貨の発行券を持っているし、国債の発行や増税と行ったありとあらゆる方法を総動員すれば社会保障制度そのものの破綻は遠く未来に先送りできるから。
なんだよ、じゃあ破綻しないんじゃん、釣りタイトルじゃんって思ったんじゃないかと思う。しかしそれでもなお、日本の社会保障制度は実質的に破綻している。なぜなら現状の社会保障制度は、本来手をつけてはいけない未来への投資を食いつぶして延命するフェーズに入っているからだ。
例えば投資分野の最前線である文教・科学予算関連の予算。1993年に予算割合の10%を割って今は半分以下の4.7%なんだよね。国立大学はどこもインフレについていけずヒーヒー言ってるし、科博が電気代を払えなくてクラファンをしたのも記憶に新しい。
公共事業も、エネルギー関連費用も、成長産業に投資するための種籾を全部老人に食わせて制度を延命して、未来の若者にツケを回しているのが日本って国なんだよね。これは厚労省自身が言っているので時間があるなら調べて欲しい。
ここでの未来へのツケ、負債ってのは何も国債の額とかいうだけの話ではなくて、投資に回さずに将来実るであろう種籾を食べてしまったということを含めてのツケだよ。国際社会がインフレすればするほど、投資を怠って種籾を食べてしまったことが、更なる人口減少やイノベーションの欠如といった形で将来世代に複利でのしかかるんだよ。
いけず石に悪意は無いのよ。
我々人類は、全体主義が強く、個人の自由が少ない伝統的な共同体を嫌がり、個人の自由を求めてゆるい繋がり、ゆるい共同体へと変貌してきた。
しかし、個人の自由は高いと自主性と競争力が必要なため、この社会についていけず孤独になる人も多い。
そんな孤独を埋めるためにAIの進化が人々の友人となってくれる事例を聞くようになる。
AIが人々の心を救っている事例を見ると、これは宗教なのではないかと思う。
宗教とは思想によって心の平穏や救いを与えるものだとすると、AIは思想ではなく技術を使って救いを与えているのだ。
という文書を見て私も書いてみようと思った。
私の育った小中学校がやたら意識高いフェミった小中学校だったと気付いたのはツィッターをやり始めてからだ。
始めに言っておくが私は意識は低いしフェミでもない。むしろその逆だ。
だと言えばわかるだろうか?
私は勉強ができない。
なぜだか分からないが興味がないことは覚えられない。特に算数数学は散々で小学生時代からずっと30点以下、足し算かけ算割り算引き算はできるが分数とか少数とか割引とかの話になるとなにも分からない。
とか
とか言われたがその通り計算できないので未だ買い物に電卓は必須だ。パーセント引きがいくらかすぐ分からない。
話が逸れた。ありのままを書くとあまりに特徴がありすぎてすぐに母校や私個人が即特定されてしまうので以下は多少のフェイクを含めて記すことを赦して欲しい。
私は青森県で生まれたがすぐに父が転勤となりフェミった小中学校がある地域に引っ越してきて両親は家を建てた。子供が育つ環境なので環境が良いところをとかなり考えてこの地域を選んだらしい。
それが私にとって地獄になるとも知らず。
私の通っていた幼稚園は所謂「ゆるい」ところだった。歌を歌い絵を描き粘土で動物をつくって一日が終わった。
当時から私はひらがなを書けるようになるのが遅かったりしたが特に問題にはならなかった。
当たり前だが一日中席に座って教科書を読み勉強をする。私は浦島太郎状態になった。
ちょっと前まで粘土を弄って絵を描いて好きに過ごしていたのがなんか急に勉強なるものが始まった。
私は物覚えが人一倍悪い。
問題はそれだけではない。
これは両親が選んだとおり
女子で勉強ができないのは隣のクラスの障害のある子だけだ。※何故隣のクラスまで把握してるのかと言うと私の学年は二クラスしかなく、体育や家庭科などは合同で行っており、六年間流動性がなかったからだ。
「女の子は成長が早いから男子より勉強が出来て当たり前で、男子が「出来ない」のは仕方ないこと。女子は男子に優しくしてあげましょうね(^^)」
因みに私はこの担任の発言を高校生位になるまでかなりマジで信じ込んでいた。
当然、当時のクラスのみんなも本気で信じ込んでいたと思う。
だが当時も今も私は本当に勉強が出来なかった。
頑張ってもできない
代わりに体育ができるとか何かあればよかったが体育も出来ない。かけっこは最下位。
クラスのみんながこれを信じていた。
私と同じ位頭の悪い男子にすら「女子のくせにw」と馬鹿にされた。
学年が数度変わってもまた女性の担任で、同じことをいう担任だった。
更に言えば私のクラスメイトたちの母親はほぼ専業主婦だったのだが、この頃母親と些細なことで喧嘩したとかの愚痴を言う女子に、担任は
「お母さんみたいならないで外に出て働くような人になるように勉強頑張ろうね(^^)」
と囁いていた
実際女子の数名は本気で
「家にいるだけの怠け者のお母さんみたいにならないように勉強する!」と益々勉強を頑張っていたようだった。
つくづくなんなんだこの学校は
私はといえば、勉強が出来ないのを怒られて、
「頑張ってるんです頑張っても覚えられないんです。」
と答えていた。
「頑張ってるなら覚えられるはずだ。言い訳をして怠けている。仮に頑張っても出来ないなら、それは隣のクラスの障害児のmちゃんと同じだよ。」
そう吐き捨てられた。
私は絶望した。
さて、そんな私がある日家庭科のミシンの授業で巾着かなにかを作った時、我ながらかなりうまく出来てクラスメイト数名からすごい!上手だね!
と褒められていた。
担任は言った
「今は男女平等なんだからこんなことがうまく出来たって凄くも偉くもない!こんなこと出来なくてもお勉強ができるほうが何十倍もえらいし凄いんだから喜ぶんじゃない!」
こんなエピソードもある。
社会見学で某観光施設に行きエレベーターに乗った時、エレベーターガールが案内してくれた。
かわいい制服を着た優しいエレベーターガールさんを素敵だなあと思っていたら帰宅後、担任が言った。
「みんなはああいう上にまいりますwしか言えない媚びたような仕事しか出来ない頭のわるい人にならないようにしてくださいね」
当時、安室奈美恵が流行っていたこともあり、少しでもフリルやレースやかわいい系の服を着てるとダサいと言われる風潮で周りの女子は「言われなくてもならないよw」
などと笑っていた。
因みに私は昔からかわいい服がすきでかわいいスカートやワンピースを着て学校に行ってダサいと笑われていた
未だ安室奈美恵とか所謂y2kファッションを見る度嫌な想い出が蘇る。
面談の際、母はいつもどおりブラウスにスカートという服装だったが、担任は言った
「ああ、お母様がその服装だから増田ちゃんも体育以外いつもスカートなんですね。増田ちゃんがお勉強出来ない訳が分かりました(^^)」
※六年間が担任二人しか出てないぞ!と言われれそうだがフェミった担任は主に3人で、正直三人とも同じような人格なのと身バレ防止の為割合した。
人数が増えただけで中身は変わらない。
私は流石にやばいと思い塾に通うことにした。
だが、私は塾でも勉強について行けなかった。
本当に覚えられない。なにも分からない
ある日塾長に言われた
「何もついてこれてないでしょ。貴方にとってもウチにとっても時間のムダだと思うんだけど」
事実上のクビ宣告だった。
その後私は隣の市の誰でも入れる高校に進学し誰でも入れる大学に進学した。
因みに勉強ができず馬鹿にされまくったトラウマで大学はいかず就職したいと親に言っていたが、ある日たまたま2ちゃんねるの学歴板を覗き考えが180度かわり、私でも入れるレベルの低い少し遠くの大学に行くことにした
学歴板ではこの地域では一番頭が良いはずの私大が国立ではないという理由で馬鹿にされまくっていた。
それなら私は今でさえ馬鹿にされまくってるのに、高卒になり大学もいかなかったらどんだけ馬鹿にされるのかーそれが理由だった。
この決断が正しかったのか正しくなかったのかは正直よく分からない。
ちなみに大学でも当然勉強ができず落第ギリギリだった私はやっと入れた会社(アルバイト)に当然着いていけずすぐにクビになり、その後某観光施設のエレベーターガールになるも部署異動があり異動先の仕事が複雑でついていけず直属の小学校時代の担任に似た上司にパワハラされて退職した。
私は向いてない
頭がわるい 勉強ができない。
いつも素敵な服装のエレベーターガールさんになりたいと思ったからという理由のほかに
「私にもできそう」と思ったという暗い理由もある。
事実、異動になりエレベーターガールではなくなった途端、私は何も出来なくなった。
と罵られるのは辛かった。
未だに意識の高い所謂バリバリのキャリアウーマン系の、小中学校時代の担任やクラスにいたような感じの人は苦手だし気が合わない。
ドラマとかで見るのもキツい
正直「虎に翼」はキツかった。
話が逸れた
長々書いてしまったが昨今、ツィッターとかでみかける所謂頭が良い人たちの勉強ができたのに女子だから差別され損をした
勉強できたのに女の子だから勉強なんかできなくていいと言われ白い目でみられた
とかの話を聞く度に「なんて羨ましいんだろう」と思ってしまう私がいる。
そしてそういう人が快適に暮らせる環境というのは、私のような「勉強ができない」人間が快適に暮らせないということだ。
これを書いたきっかけの
同じ北海道なのに何でこんなに違うんだ
と思ってしまう。
私は勉強ができない。頭も悪い。
何でできないの?
と言われてきた。 辛かった。
なのに
勉強をしていると白い目で見られる
みんな勉強をしない。
羨ましい。羨ましすぎる。
私のような、頭の悪い、勉強できない女は、
昨今、頭が良いのに女子だから差別されたとかいう話を聞く度に、その逆の、そんな環境を羨ましく思ってしまうような、私のような人間もいるのを知ってほしくてこの記事を書いた。
勉強できない女もいる
頭が悪い女もいる
これ言わないほうがいいやつ?
大西里枝さん(おおにし・りえ=大西常商店社長)が22日、死去した。35歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は夫、裕太氏。後日、お別れの会を開く。
京扇子店の4代目。京都の暮らしに根付く文化や慣習をSNSなどで発信し、京都人の本音と建前を伝える「いけずステッカー」のイメージキャラクターを務めて注目された。
https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20250824-OYO1T50006/
161 名無しどんぶらこ 2025/08/24(日) 16:33:38.50 ID:BmzkDpBF0
京都を盛り上げようとしていた若い人が立て続けに亡くなってんねんけど?
京都への移住者の応援プロジェクトや不動産プロデュースをやっていた岸本千佳さんは1年前死去(享年38or39歳)、
築130年の町屋を改造して文化複合施設を立ち上げた宮下拓巳さんは先月死去(享年34歳)
なんなんこれ?
京都岡崎に築130年の町屋をリノベーションした文化複合施設をオープン。
京都市下京区にある京扇子店「大西常商店」の四代目代表取締役社長兼女将。イベントや展示などを行うスペースとして、町家のレンタル事業も行う。
●借金返済(整理済み)
●通信とかで短大の資格取得(中卒だけど高認取れた!でも学歴的には中卒になってしまうからせめて短大とかの学歴にしたい)
ヘビースモーカーな母親がいて、小児喘息を患っていた自分は悪化し休みがち→いじめられ勉強もついていけず→でかい気管の病気…となり不登校で中卒になってしまった
仕事が続かなくて何度も自暴自棄になり、それでも頑張りたくてがむしゃらに頑張った
でも今年で払い終える予定 弁護士さんと色々やり取りして、負担を軽くしてもらった
が、まだまだ問題は山積みなんだ
親とは完全に疎遠で兄弟ともほとんど連絡とってない どうせ連絡くるときは金の無心だから
正社員になりたい 未来が怖いから 学が無いなりに現場とかで体使って働けたら良いけど、未だに気管が弱くあまり動けないためパソコンカタカタ系しかできない 男のくせに情けない
転職活動したけど、やっぱり学歴が引っかかる だからとりあえず高卒認定を取った
恥ずかしながら3度目でようやく全ての科目に合格した
今まで勉強したことなかったから新鮮だった 受かって正直めちゃくちゃ嬉しい 自分でもできるんだ、って
でもまだまだやることがある
とりあえずお金が無い
いまのところ、学歴を手に入れたら転職、くるまがない時は自転車とかで頑張ろうとしてるけど道のりが長すぎて
舞妓志望の子は親にレイプされて逃げた子でも口減しで殺される子でもないよ??
京都民は文字も読めないの?? それともこれが京都民のいけず思考??
流石だなぁ!!
人の心ないどころか頭まで悪いんやね!
昨日国宝を見てきた。
私は京都で「元芸者が経営する祇園のラウンジバーで4年間の勤務経験がある」現オタクです。
映画は1回観ただけ、原作小説は未読。感想をどこかに殴り書きしたいけどネタバレ考慮もしないとなので、ツイッターとは切り離されたここに置いておく。
映画の国宝は「龍が如くみたいな舞台で歌舞伎もドッキング」した感じのストーリーなのだと思った。
なんの予備知識も入れずに行ったので、「歌舞伎役者同士の派閥てか屋号…?の争いなのかなあ」と思っていたら、いい意味で裏切られたし、歌舞伎のことあんまりわからない私でもすんなりとストーリーが把握できた。
以下、思ったことを書きなぐるだけなのでネタバレあり。ストーリーの順番とかもぐちゃぐちゃです。
思ったことその1【登場する人全員終わっててマジで人間臭くていい】
御曹司俊坊(これ、しゅんぼうってあだ名よね?そう聞こえていたけど、違ってたらすみません)が生まれながらにしてボンボンとか、苦労を知らない血を持つ人間って捉えられがちだけど、主人公の顔面国宝吉沢亮さん演じるきくちゃんも、組の息子という点でボンボンなのでそれなりの行動しててなんか……めっちゃひやひやした。
もっと姐さん(寺島しのぶさんが演じる、俊坊のお母さん)に筋通しなよ!とか、挨拶ちょっと遅すぎない?とか、その服装(紫のシャツ)はど、どうなのかなあ?っていけずババアの気持ちになった。きくちゃんは桐生さんではなくて、錦の一面も持っている。結局歌舞伎に夢中になったためすんごい肝の据わった男になったけど、「すぐ人と喧嘩する」「いいなと思った女は全部手を出す」「家族よりも自分のやりたいこと優先」って時点できくちゃんも終わってた。
俊坊もまあまあ終わってる。まさにボンボン。私は歌舞伎に対して「俊坊みたいな人ばっかだろどうせ!」と偏見を持っていたが、その偏見ど真ん中ステレオタイプの歌舞伎っぽい人である俊坊がいてくれたから、この映画に没頭できた(のちに観たインタビューで寺島しのぶさんが「血筋だけじゃなくって、才のある外部の人も取り込めたら、歌舞伎界は変わるのになあ!」みたいなことをおっしゃっていたのでガチさがいよいよ増した)。
二代目半次郎さんも、すごくすごく終わってる。もうやりたいこと全部盛りの大御所だし、くたばる前に「世襲間に合わせたい!」みたいなの本当にいいな。そもそもきくちゃんのパパ立花組に「今後もどうぞごひいきに」って新年のご挨拶してるってことは、そ、そういうつながりがあるってことでしょ。原作未読だからわかんないけど、歌舞伎という伝統芸能とお背中お絵描き組のつながりは結構「なんかようわからんけど闇深そう」でいい演出だと思った。
半次郎さんの奥さん、俊坊ママも強い女で憧れはあるものの、それでも「母親」というのがものすごくわかるし、つらいよねえ…。もし俊坊ママが「丹波屋」のことしか考えていなかったなら、きっと早々に俊坊はダメになっていたのかもしれない。この映画に出てくる女性、みんなクソ強くて大好きだ。
思ったことその2【登場する女がめちゃくちゃ強い。あとあきこがマジでくだらねえ】
さっきも書いたけど、俊坊ママ(お名前忘れたので調べたらさちこさんだった)がくそ強い。あの演目始まる前のさ、ロビーみたいなところでご贔屓さんたちに声かけて頭下げてるあの立ち振る舞い、もうクラックラするほど強くて好き。私自身がそういう横のつながりに苦手意識のある性格だから、「面倒そうなのに毎回ちゃんとやるの、女将さん本当に強いわ」ってなった。
そして上京したきくちゃんにまずはいけずをかますやつね。これがないと、関西の強い女じゃないよなあ。でも結局「お腹空いたやろ。ご飯にしよ」って優しくするのよね。「ちゃんとしてる人」には情があって京都の姉さん(一緒に働く先輩のこと、ほんとにこう呼んでた)とお母さん(ラウンジバーのママ、元芸者)大好きだったよ。
春江もすごい。あの頃のホステスさんってなんか大変なんですよね?龍が如くで学びました。でも好きな男を追って(あの時点ではきくちゃんのこと好きだったと思う)つらい仕事も続けて一人暮らしして、春江ちょ~強いわ。高畑充希さん、マジでミュージカル好きだから半分「歌ってよ春江ちゃん!」って思ったもんね。
そのあときくちゃんとおそらく?付き合ってたけど、きくちゃんの稽古見てから「これは添い遂げたい人じゃない、推しだ」ってなってプロポーズかわすのも強すぎる。そうなんだよね、きくちゃんは誰のことも幸せにしてやれないし、自分だときくちゃんが欲しい「血」はあげられないから身を引くのだ、これでこそ最強の女春江だよ。推し活として美しい形すぎる。しかも、俊坊が弱ってるのを見て「この人を立てなおしたら結果きくちゃんも救える」って思ったのかどうかわかんないけど、筋の通った乗り換えをしてるのもすごい。
こんな強い女春江なら、さちこさんと同じ役割をきっと勤めあげられる。さらにさちこさんと違って「丹波屋」だけを見てる女だから、きっとこの先も安泰だ…とあの時点では安心した。しかも男を生む。もう春江一強になってしまった。誰も勝てない。強すぎる。
藤駒ちゃんも強すぎる。も~強い。きくちゃんとであったころのおぼこい藤駒ちゃんは、きっと舞妓さんだったと思うけど、あの時点でめっちゃ厳しい修行に耐えてる子なんだよね?置き屋によって全然違うけど、俊坊ときくちゃんが遊びに行くんなら多分祇園だと思うし、その宴席に付いている藤駒ちゃんもきっとエリートさん。その中で「この人は売れる!」って見抜いて、しかも「日本一になるなら別に家庭を捨てても構わない」ってきくちゃんと添い遂げることに覚悟の決まった子なんだよ。
藤駒ちゃんマジで……強い。そりゃきくちゃんも藤駒ちゃんとなら子ども作ってもいいなって思うわ。いい女すぎるよ。
あと、あきこね~~~。あきこだよね~~~もう。くだらね~~この女。本当にあきこのくだらなさが作中ずっと好きだったし(褒めてるよ)あきこが都合のいい女すぎる。太宰治の小説に出てきそうな何番目かの女ポジすぎる。
なんか……、きくちゃんと俊坊が殴り合いの喧嘩したとき、あきこがすげ~冷めた目で見てたのが印象的で。この時点で、もしかしてあきこ鼻血出して車に戻ってきたきくちゃんに対して「もういいや。ばいばい」って言い出すかと思ったら、それはしないんだよね。「それぐらいきくちゃんのこと好きだから」じゃなくって「ここまできたらもう元に戻れないし仕方ない」って感情があるでしょ、あきこには。
これまで女全員強いって言ってきたけど、唯一あきこにはそれが思えなかった。
そのあときくちゃんのどさ回りをずっとサポートするのは献身的と思う。でも、あきこお前死んだフナみてえな目してきくちゃんの舞台見ててさ、もうそれは義務になってますやん。「この芸をずっと支えたい」って思いもないし、「素晴らしい国宝級!」とも思えてないし、何も感じ取れてないでしょ。これ、実際にはどうなってたのかわかんないけど、あきこときくちゃんは結婚してないと思ってた。あきこ、きくちゃんがもし上り詰めて梨園の妻になったとしたら、さちこさんみたいに振るまえないでしょ。春江よりも絶対に弱い。そういうあきこ、、ああもう本当にくだらないな~って思った。きくちゃんが落ちぶれたそのときだったから傍にいれただけで、あきこにはなんの覚悟も魅力もないのはきくちゃんも見抜いてる。
もうあきこ……この子もまた、大御所の娘としてボンボン気質が終わってていい。ただ、このあきこを演じたのが森七菜さんだったのがまたよくて、もうちょうどいい塩梅の女の役がうますぎる。森七菜さんがこんなに演技お上手だって知らなかった。あきこのこと、まだ気になってるぐらいに印象に残ってるもん。「どこ見てるの?」って台詞もいいよね。これまで何もしなくてもあきこはお嬢様、みんなから愛してもらってる女、見どころを周囲が与えてくれる人だったけど、きくちゃんはそうじゃないんだよ。「どこ見てるの?私を見てよ」って訴えても「あきこには見るべきところがない」のが、深いなって思った。そして少しだけ切ない。
さらに、きくちゃんにとっては「何を見てたの、今まで」っていう台詞に受け止められているところが、まだ二人がすれ違っててすげ~シーンだった。
あきこ、はやくきくちゃんを捨てなってずっと思ってた。
竹野マジで好きだ……。竹野が忌み嫌うのは歌舞伎ではなくて、「血筋という最強カードがないとのし上がれない伝統そのもの」ってところに筋が通りまくってて最高。初めは単にいちゃもんつけただけの奴かな?って思ってたけど、そうじゃないところがまたいい。
きくちゃんと俊坊の関係性も好きだけど、竹野ときくちゃんもまたいいよね。
終盤ずっと「三代目」って呼ぶのも好きだし、万菊さんと会わせたのが竹野ってところが最強にエモい。なんか竹野と万菊さんに対しては、終わってる人間まみれの中の唯一の光すぎて、どう表現したらいいのかわかんない……。
いや、万菊さんももしかするとどえらいことしてたのかもしれないけど、あの俳優さん演技うまいな~!ああいうレジェンドいそうだもん。奥行がすごい。でも万菊さんなんできくちゃんのこと認めるタイミングがあんなに遅かったんだ?やっぱ役者が全部そろわないとって思ったからかな?半々コンビで沸き立つ女の感情がすご~~くよくわかる。私はオタクだからだ。
きくちゃんの娘さん、綾乃って名前だったらしいけど、ずっと「文乃であやのなのかな~?」って思ってた。藤駒ちゃんが芸妓さんになってすっぴん日常着物でお祭り行くシーン、芸妓さんの「なんでそんなすっぴんキレイなの?」ってぎょっとするほどの透明感が再現されててめっちゃよかった。
あやのが最後にきくちゃんと再会して思いのたけを吐くんだけどさ、あのシーンが本当に大好き。
あやのは多分、ずっと「父ちゃん帰ってこないし終わってんなア」って思ってるけど「お母さんを苦しめた最低な父親」とは思ってなさそう。藤駒ちゃんがあやのになんて言ってるかはわかんないけど、そもそも「父親がこの人よ」とは言い聞かせもしなかったかも。藤駒ちゃん最後まで映画では出てこなかったけど、元気にしているのでしょうか。。私が働いてたラウンジバーみたいなの運営してるのかな。とんでもなく金持ってる「お父さん」見つけて……。
きくちゃんが三代目襲名して、お披露目パレード的なところであやのを無視ったシーンは、私はめちゃくちゃ納得した。そりゃそうよね、藤駒ちゃんがあやのを止めるのも何も言わないのも、そりゃそうだと思った。もう人生のすべてを捨ててひとつのことに溺れる男に惚れて、それでもいいから隣にいたい女というのは、そんなもんだよ…。
だが、隣で見ていた旦那は「あのシーンで一気にきくちゃんに同情できなくなった。最低」って思ったらしいので、家族を捨てるシーンとか子どもよりも人生を優先させる親が大嫌いな人は、ここで国宝そのものの評価を下げてしまうかもしれない。
ただ、覚悟の決まっている最強女藤駒ちゃんと違って、娘のあやのは結構冷静なのがまたよかった。きくちゃんに「お前最低」って面と向かって言えるの、あやのだけだよな。実際こんな父親、本当になんだお前ってなるよ。
でも最後に救いがある。まず、きくちゃんはあやのと対面したとき「藤駒という芸妓を知っていますか?」と訊ねられて、「忘れたことはないよ、あやの」って答える。台詞うろ覚えだけど。最低なきくちゃんだけど、藤駒ちゃんとあやののことはずっと心に居続けたんだね、と救われた。
さらに、あやの砲が続く。「お前が舞台に立ってヘラヘラするために、どれだけ人が泣いて不幸になったと思ってんだよ。だいたい、家族でお祭り行ってさあ、神社で願掛けするのが自分のことってどういうこと?自己中すぎるだろ」みたいなことをガンガン刺す。あやの、いいぞもっと言え。
でも、あやのはそんな最低の父親でも、きくちゃんのことを父親と思っていなくても「父ちゃんの舞台を見ると素晴らしいと感じる」みたいなこと言って、唯一芸だけは認めるんだよね。
あのシーン、好きすぎる。危うく泣きかけたが、周囲でトイレが我慢できず立ちだす人も多かったため、意識が逸れて涙は出なかった。
そして芸を手に入れ国宝にはなったが、その後何にも残らなかったきくちゃん。お前はきっとひどい死に方をするんだろうし、地獄に落ちる。でも、その姿はめちゃくちゃ美しかった。
京都には、ぶぶ漬け(お茶漬け)をメインに提供しているお店や、老舗の漬物店が併設する食事処があります。ここでは、様々な種類の京漬物と、厳選されたご飯、そして出汁の効いたお茶でいただく本格的なぶぶ漬けが楽しめます。
八坂神社のすぐ近くにある京漬物「ぎおん川勝」に併設されたお茶漬処。約10種類もの漬物を味わえるお茶漬けセットが人気です。お櫃に入ったご飯はおかわりも可能です。
大正時代から続く、お茶漬けの元祖とも言われる老舗。昔ながらの懐かしい献立で、ほっとする味わいのぶぶ漬けが楽しめます。
明治創業の老舗漬物店。店内の「お茶漬け席」では、坪庭を眺めながら京漬物中心のお茶漬けをいただけます。
嵐山にある鯛茶漬けの専門店。新鮮な真鯛を使った贅沢な鯛茶漬けが楽しめます。まずは刺身で、次に漬け丼で、そして最後にお茶漬けとしていただくのがおすすめです。
清水寺近くにあるお茶漬けバイキング形式のお店。約20種類もの漬物と、白ごはん、十六穀米、おかゆの中から好きなものを組み合わせて、自分好みのお茶漬けをいただけます。
これらの店舗は、比較的手軽に本格的なぶぶ漬けを味わえるため、観光の合間のランチなどにもおすすめです。
京都の高級料亭や京料理店では、コース料理の締めに、ご飯物としてぶぶ漬けを提供することがあります。これは、メイン料理で舌を楽しませた後に、あっさりとしたぶぶ漬けで口の中をリセットし、満足感を高めるためのものです。
料亭で提供されるぶぶ漬けは、使用するお茶や出汁、漬物はもちろんのこと、ご飯の炊き方や器にもこだわりが感じられ、まさに「本格的」と言えるでしょう。ただし、ぶぶ漬け単体で提供されることは少なく、コース料理の一部として提供されることがほとんどです。
もし、懐石料理の最後に本格的なぶぶ漬けを体験したいのであれば、事前にそのお店のコース内容を確認するか、予約時に問い合わせてみるのが良いでしょう。
最近では、京都の「いけず」文化を体験するイベントの中で、ぶぶ漬けが登場することもあります。これは、京都の人が「そろそろお帰りください」という際に「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言う、という有名な逸話を基にしたエンターテイメント性のある体験です。
実際に「ぶぶ漬けを振る舞われる」ことが「失敗」や「退場」を意味することもありますが、これは京都の文化をユニークな形で学ぶ機会にもなります。ただし、これは本格的なお茶漬けを「味わう」ことを主目的としたものではないので、注意が必要です。
本格的なぶぶ漬けを堪能したいのであれば、まずはぶぶ漬け専門店や漬物店の食事処を訪れるのが最も確実で手軽な方法です。より上質な体験を求めるなら、高級料亭や京料理店でコースの締めとして味わうのも良いでしょう。それぞれのスタイルで、京都ならではのぶぶ漬けの奥深さを楽しんでみてください。
そういうことがあると、正直気持ちがついていけず、食事に行けるメンタルではないです…
の「そういうこと」って何だろう?
相手がそれに先立って「早いうちにふつうのやつね。」って送ってることからすると、普通じゃない「そういうこと」ってことだろうけど、その反対概念が「貞操観念も真面目」だから、「真面目な貞操観念に反する行為」ってことなんだろうけど。
3Pとか、あるいはもっと軽く、セフレとかフリーセックスとか?
「そういうことがあると」であって、「あんなことされると」ではないことからすると、自分が何かされたというよりも相手の貞操観念にドン引きしてる感じの気がする。
〈6月2日12時11分、女性Aにショートメールで「今晩、ご飯どうですか?」と連絡した。女性Aが、仕事上の付き合いもあり、
食事に行くこと自体については特段違和感を持たず、その晩は空いていること、19時に六本木で仕事が終わる予定であることを返信した。
すると、氏からは「はい。メンバーの声かけてます。また、連絡します。」との連絡があった〉
3日午前。氏は【無事帰れたかな?】などと尋ねる数通のメッセージを連投。対するAさんは【帰りました!】などと返信している。
それだけ読めば何事もなかったように思えるが、続く氏が送信したメールには、こんな文言が並ぶ。
【楽しかったです。早いうちにふつうのやつね。早く会おうね!】(3日)
【仕切り直しでのみましょう】(4日)
【私は普通の人間で、貞操観念も真面目なタイプで そういうことがあると、正直気持ちがついていけず、食事に行けるメンタルではないです…】
【そんな気持ちにさせちゃって、申し訳ない。何て伝えれば…。思いやる気持ちの至らなさです。また、皆んなで食事ができれば思ってました。嫌な思いさせちゃったね。ごめんなさい。】
情報整理
普通についていけるように作ってる
11話までの流れで、
シャア、シャリア、キシリアを描くために最低限必要な説明をこなすためだったと判明
旧作キャラで重要なのはこの三人だけ、他はオマケ扱いの差が明確
話を進める上で必要な説明はしてるので、何も知らない人のほうが見やすいぐらい
(バスク・オムは思わせぶりに顔出ししてまだ死んでないのでノイズ要素。最終話出てくるのか?)
ちな戦争を指導者ないし英雄的な人物の立場から描く話は「戦記物」であって「戦争もの」でない
戦場全体を俯瞰し、かつ主役の顔の見えないような場に放り込まれて誰も最後まで主役たりえないのが
(ガンダムは戦争アニメだがZは戦争アニメではない、という言い方もできる。
人間ドラマ主軸でキャラに寄り過ぎだし政治的重要人物メインで描かれるし)
逆シャア履修しないと付いていけないみたいなことは全くなく
むしろ11話でZ逆シャアあたりの話は全部まとめてやったからオシマイ、という意味では
マチュがキシリアに全く目を向けてない、視界に入ってないことを強調
(ので、逆シャアを履修しないと判らないということはない)
シャアがキシリアに対しニュータイプの目指すべき姿を語った後に変身
おそらくブラスターマリの「赤い彗星のひと」になったのだと思われる
(シャアは復讐のためダイクンの名と想いを捨てたが、その捨てられた想いが形となったのが「赤い彗星のひと」 )
向こう側から呼んだのはアレ
ということで、いつもの「~~と、ガンダムがいっている」のガンダムは
ニューじゃないのは当然で11話で逆シャアは終わってるので
「と、ガンダムが言っている」というのは言葉通り「ガンダムが言ってる」のであって、アムロではないだろう
概念的な存在としてのガンダム、たぶん「ガンダム作品」とか「宇宙世紀シリーズ富野ガンダム」とかいう意味の
父親が重度のガノタで幼少時から英才教育を受けてきたが、母親がついていけず家を出て行ってしまった
「ガンダムが言っている」でしか行動できなくなってしまった、というのはどうか
考えてみればザクは新デザインだし、ゲルググは尊厳破壊されてるし、
ギレンああだし
古参に媚びてるというよりは、
積極的に古参が好むガンダム要素を使い潰していくのが裏テーマというほうがしっくりくる
みんなして「ガンダム」を倒す
高度経済成長期の「成功体験」を引きずっている人がまだまだ残っているのだろうか。
高度経済成長期に増えた男は会社で労働、女は専業主婦で家事育児とかを大した理由もなく支持する人たちを見ると
あの時の高度経済成長期の成功体験の影響かな?って思ってしまう。
全くうつ病とか精神疾患を持ってるわけじゃないし、死にたいなんて最近はほとんど思わないのに、なぜか死んだ後の夢を見た。
忘れないうちに備忘録を遺しておこうと思う。
自分は仕事に行き詰まったことと人生の閉塞感が苦しくなったことで、自殺してしまったらしい(自分が自殺するとすれば、こういった理由だろうから、自殺の理由には割とリアリティがある。)。
その後は夢だからご愛嬌だけど、何故かぼんやりとした意識があったので、今も付き合いのある元恋人にSNSの削除を依頼したり、プラプラしたりしていた(元恋人へは、この連絡が来ているということは、自分は自殺に成功したのでしょう。みたいな書き出しでのメッセージを送った。)。
夢の中の夢の中のような世界。
死んだ後の世界は、自分が認識されない現世と同じで、記憶の中にある色んな所に行けた。
でも、自分は誰からも認識されていなかったので、自分は幽霊のようなものなんだなと理解した。
親より早く死んでしまったことへの後悔があったからか、親のことは全然出てこなかった。
死後の世界は、未来にも過去にもいけず、自分の記憶の中にある場所をさまようことしか出来ない。
人生の苦しみから逃れることが出来た開放感と、今後自分は永遠に世界を彷徨わなければならない新たな閉塞感が同時に来た。
とりあえず路上で寝てみるか…とか思っていたら、目が覚めた。
自分が生きていて、さっきのが夢の世界だったことに気がついた。
とても安堵した。