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2026-05-14

anond:20260513204447

中国は豊かで先進国で余裕があるから自分自身批判することができる

金銭よりも道理倫理綺麗事を優先する余裕はもう西側にはない

日本も30年前はそうだったはずなんだよ

トヨタイムズ#16 を観た感想

総合的な感想として、相変わらず豊田章男氏は「見せ方」がうまい。いや、そりゃあ金があればこれくらい見せ方を選べるだろうけどさ。

台本があるかどうかはさておき、確実に話す練習をされてる。

アドリブ抜きにしては構成がうますぎるのと、豊田章男氏は言い慣れてない話をふられたら言葉に詰まるので。スムーズに話せすぎてる。

●章男くんAIと章男さん本人の対比

自己紹介について

こちらはやや嘘が少なく感じられる。

会社を潰す三代目と思われ、この名前が重い人生」「理解者がいない」「世間での評判は、やれおぼっちゃま、やれ創業家、やれなんとか。形容詞はいっぱいあるが、私自身を見てくれてる人は非常に少ない」

あらゆる形容詞つきの豊田章男という名前が先行し、自身に対する解像度が低いというコンプレックスがあった、と解釈することができる。「金持ちと呼ばれる私もあなたと同じで孤独だったんだよ」というブランディングを兼ねている感触は拭えない。

豊田章男氏の好きな車について

全体的にマーケティングとして機能してる部分に感じる。「50歳までは車好きであるということを表に出せなかった」という話には、やや作り話感がある。

ガソリン臭くて、エンジン音がうるさくて、野性味のある車が好きという話も繰り返しメディアに出てくる。「EV時代ガソリン車を推したのは、リスクの高い行為だった」と述べられてるけど、むしろEVを切ってガソリン車全振りにすると決めてたならリスク承知の上でブランディングしたように見受けられる。

全体として、「私は車が好きなんだよ、あなたも車好きだろう」という共感されやすエピソード抽出し、一般人に親近感を持たせるための戦略として機能していると感じる。

企業活動からなあ。

・嫌いな食べ物

「嫌いな食べ物はありません」「ふなと、ほやが苦手。それ以外は全部食べられる」と回答。率直に申し上げて、すんごい政治的な立ち回りされてて笑った。

会食や接待の場面で他人の好きなもの自分の嫌いなものが重なると面倒なことになるので、官僚なんかは「嫌いなものは腐ったものです」みたいなトークからスタートして、話の途中で「しいていえば、○○は苦手ですかねえ」みたいな言葉を挟むテクニックがある。

こうして見ると、豊田章男氏は努力の人だなと思わされる。自然に見えるけど、テクニックが詰め込まれてる。「自社のために自分を表に出す」というスタンスか。

・ウーブンシティについて

ウーブンシティは挑戦の街だよ、という話。

章男氏も詳細は承知されておらず、あくまでどういう街かをメディアとして紹介されてるように聞こえる。

初恋の話

公式初恋幼稚園ときだそうです。

方面配慮して答えてますね。ファシリテーターの方も堀り下げるのやめた。

AIに学んでること

AIに関心を持たれているらしい。

理由ロジカルだが、最初リアクションの早さと声のボリュームは調整された代物に聞こえないな。

「これからの世の中は正解が見えないので、試行錯誤をできるように場を形成しようね」という話も何度も繰り返してる。これは内部向けも込めて聞こえる。

責任バッシングについて

「悪いやつは全部こっちの責任しまからね」「ここはあまり深くは入りませんよ」「いっつもこの話ばかりしてる。そうとうストレス溜まってるんだろうな」と仰られている。

ここはすんごい本音に聞こえる。内部向けかな?

トヨタイムズ自体はn1の読解をするマス層向けのメディアだと受け取っていて、これはn3ぐらいまで読もうとする人にしか伝わらない話だと思う。

しかし、責任取ってやっても感謝すらされないってのは本当にクソ。筆者も行政の連中がやらかし責任ぜんぶこっちに擦られた側なので、すごく気持ちはわかるなあ…

AI人間の対比

人間人間特有感情、たとえば妬み嫉みに基づくめんどくさいことをやるのが仕事としてあると仰られてる。

感想

トヨタイムズというメディアは当然ながら企業広報活動のための媒体

したがって、市場からの反応を織り込んで設計されてる。豊田章男氏の感情が乗っかる部分はある程度は本心だろうと推定やすいけど、それ以外はマーケ臭さがする。

なので、綺麗事として採用されている部分を省き、本心として語ってるであろう部分だけ拾おうかな、と思う。正直、大企業仕事を綺麗に見せすぎだ。

2026-05-10

地方進学校から東大に行った私が、大学一年生に祈ること3

第三部 内容で勝ち、現実で負ける

大学卒業して、私はある大手会社に入った。

社名は伏せておく。

商社系の、若手にもそれなりに権限が回ってくると言われている会社だった。

入社した最初の年、私はそれなりに評価されていた。

配属された部の課長論理的な人で、私の作る資料の精度をある程度評価してくれた。

問題は二年目以降に始まった。

最初に明確な摩擦が起きたのは、ある社内会議だった。

ある新規プロジェクトの立ち上げに関する会議で、部長が明らかに前提条件の数字を間違えていた。

市場規模の試算根拠が五年前の業界レポート依存していて、その後の市場の変化を反映していなかった。

私は会議の中盤でそれを指摘した。

すみません。その市場規模数字ベースになっているレポートが古いです。直近三年で市場構造が変わっているので、現状の数字はその試算より三〇%程度小さいはずです。私の試算では、こちらになります

私は自分ノートPCの画面をプロジェクターに映した。

試算表は、出典付きで再現可能な形にしてあった。

部長はしばらく画面を見ていた。

それからゆっくり言った。

「うん、わかった。数字の話はまた別の機会にしよう。今日方向性の話をしている」

「いえ。方向性市場規模を前提にしているので、市場規模が違えば方向性自体が変わります

部長はもう一度、私を見た。

今度は少し、目に疲れがあった。

「君の言うことはわかった。あとで個別に話そう」

会議は、私の指摘を反映しないまま進んだ。

会議のあと、廊下で同期の一人に呼び止められた。

「お前、ああいう言い方やめたほうがいいぞ」

「内容として間違ってるか?」

「内容は合ってる。けど部長の顔、潰しただろ」

「顔の話なんかしていない。事業の話をしているんだ」

同期はため息をついた。

「そう。そうなんだよ。お前はいつも事業の話しかしない。だから、お前以外のみんなが何の話をしてるのか、お前にはわかってないんだよ」

そう言って行ってしまった。

私はその言葉をしばらく考えた。

考えた末に、こう判断した。

あいつも結局、内容で勝てない側の人間か。

そして忘れることにした。

二週間後、私はそのプロジェクトのチームから外された。

理由は表向きには、「別のプロジェクトに君のスキル必要から」だった。

私が回された別のプロジェクトは、ほとんど何も動いていない塩漬けに近いものだった。

私は課長に直接抗議した。

「私の指摘が間違っていたのですか」

課長は少しだけ困った顔をした。

「指摘の内容は間違っていなかった」

「では、なぜ外されるのですか」

「内容ではない。理由は内容ではないんだ」

「では、何ですか」

課長は少し沈黙した。

それから、こう言った。

「君は正しい。けれど、君と一緒に仕事をしたいと言う人間がいない」

その瞬間、自分の中の何かが冷たく固まったのを覚えている。

私は課長を見た。

できるだけ感情を出さずに言った。

「では、正しさよりも好かれることのほうが評価されるのですか」

課長は私を長く見た。

それから言った。

「そうじゃない。仕事は一人ではできないから、一緒に仕事ができる人間になることも能力のうちなんだよ」

私は頷かなかった。

その夜、自分の部屋で長い時間考えた。

考えた末に、自分結論を一文字も変えなかった。

会社は、正しさを評価しない組織だ。

から転職する。

私はその三ヶ月後、最初転職をした。

このパターンが三十代を通じて繰り返された。

三回、転職した。

会社が変わっても結末は似ていた。

最初半年は、私の能力と精度が評価される。

次の半年で、私の指摘が人を傷つけるようになる。

一年経つ頃には、何かのプロジェクトからかに外される。

私は毎回、辞めるとき同じことを思った。

「この会社も、私を理解できなかった」

四回目の転職活動とき、私は四十二歳になっていた。

そのとき初めて、こう思った。

もしかして問題は私のほうにあるのか?」

これに気づくのに二十年かかった。

二十年だ。

君がこれを二十二歳のうちに気づければ、私より二十年得をする。

二十年は長い。

本当に長い。

ここでKの話に戻る。

Kとは大学卒業してからほとんど連絡を取らなくなっていた。

年賀状最初の二、三年は来ていたが、私が返さなかったので自然と途絶えた。

Kがどうしているかを知ったのは、私が三十五歳のときだった。

ある業界誌の記事だった。

Kは新卒で入った会社で、地味に出世していた。

記事は、ある業界中堅企業新規事業立ち上げに関するものだった。

Kはその新規事業責任者として、写真付きで紹介されていた。

写真の中のKは、大学ときと同じように口を大きく開けて笑っていた。

少しだけ太っていた。

記事を読んで、いくつかのことを知った。

Kの新規事業最初、大失敗していた。

市場の読みを間違えて、最初半年予算の三分の一を失った。

普通なら、その時点で責任者は外されるはずだった。

けれどKは外されなかった。

なぜか。

Kは失敗の途中で、社内の他の部署人間を何人も巻き込んでいたからだった。

営業課長

開発の係長

経理の若手。

現場派遣社員

Kは新規事業のために、社内のいろいろな人間に頭を下げて知恵を借りていた。

失敗が見え始めたとき、その人たちがKを助けた。

「これはKだけの責任じゃない。自分たちも一緒に考えた案だ」

そう言ってKを庇った。

Kは結果として責任者の座を維持し、二年目に軌道修正成功した。

記事インタビューで、Kはこう答えていた。

最初半年で失敗したのは僕のせいです。市場の読みが甘かった。けど、その失敗を直せたのは僕一人の力じゃないです。社内のいろんな人が一緒に直してくれた。だからこれは、僕のチームの成果なんです」

私はこの記事を何度も読んだ。

そして初めてわかった気がした。

Kは最初から、「一人で正解を出す」ことを目指していなかった。

Kは最初から、「みんなで間違えて、みんなで直す」ことを戦略としていた。

私はずっとKを軽く見ていた。

Kは内容で勝てないから、人と仲良くするのだと思っていた。

違った。

Kは内容で勝つことの限界を、最初から知っていた。

から内容で勝つかわりに、内容を直せる関係を作ることに力を注いでいた。

Kは、私が二十年かけても気づかなかったことを二十二歳のときにはもう知っていた。

たぶんKは、もっとから知っていた。

中学校高校のうちに、一度、自分より頭のいい人間出会っていたのだろう。

そこで、自分が一人では勝てないことを学んでいたのだろう。

Kは十二歳か十三歳のうちに負けていた。

そしてその負けから、人と一緒にやることを学んでいた。

私は十八歳まで負けなかった。

その代償が、その後の二十年だった。

四十代に入ってから、私の人生加速度的に静かになった。

両親が立て続けに亡くなった。

父が先で、母がそのあとだった。

葬式地元で行った。

私は長男として喪主を務めた。

葬式に来た親戚や、父の昔の同僚や、母の友人たちは、私のことを「東大を出た立派な息子」として扱った。

私はその扱いを受け入れた。

受け入れるしかなかった。

葬式最後、母の友人だったという、私の知らないおばさんが言った。

「お母さん、あなたのことをいつも自慢してたのよ。東大に入ったときも、いい会社に入ったときも。でもね、最近お母さんこう言ってたの。『あの子結婚はしないのかしらね』って。心配してたわ」

私は笑顔で答えた。

「ええ、心配かけました」

その夜、実家の、自分高校時代に使っていた部屋で一人で酒を飲んだ。

机の引き出しを開けると、高校時代模試の成績表がまだ残っていた。

一番上の成績表は、高校三年の十一月のものだった。

全国偏差値、七十六。

順位、全国八位。

その紙を長い時間見ていた。

そして思った。

この紙が、俺の人生で一番輝いていた瞬間の証拠なんだろうな。

三十年前の紙だ。

私はその紙を引き出しに戻した。

戻して、引き出しを閉じて、また酒を飲んだ。

涙は出なかった。

涙が出るような感情ではなかった。

もう少し乾いた、静かな何かだった。

母が亡くなって少し経った頃、私はMに偶然、駅で会った。

Mはすぐに私に気づいて「お前、変わらないな」と言った。

私はMに気づいていなかった。

Mは髪が薄くなり、少し太っていた。

スーツの肩のあたりがくたびれていた。

けれどMの表情は、駒場ときよりずっと穏やかだった。

私たち駅前の安い居酒屋に入った。

Mは結婚していた。

子供が二人いた。

の子中学生で、下の子小学生だと言った。

仕事は、私が風の噂で聞いていた通り、ある官庁にいた。

Mは私の近況を聞かなかった。

たぶん聞かないほうがいいと判断したのだろう。

代わりに、駒場の頃の話をいくつかした。

「お前、覚えてる? あの語学クラス和訳の輪。Kがやってたやつ」

「ああ」

「俺、あれに助けられたんだよ」

「助けられた?」

「うん。俺さ、地方から出てきて、最初お前と似たような感じだったじゃん。一人でやれば全部できる、みたいな。けどKがしつこく誘ってくれてさ。最初は俺も、うざいと思ってたんだよ。けど何回か行ってみたら、自分が見えてないところを他のやつが見えてたりするんだよな。それで俺、考え方を変えたんだ。一人で全部やる必要はないって」

私はハイボール一口飲んだ。

Mが続けた。

「あれが俺の人生の、たぶん一番大きな転換点だった。あそこでKに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。今の仕事、俺一人じゃ絶対できないからな。役所って根回しの世界から

私は頷いた。

Mが私をちらっと見た。

「お前は行かなかったよな、あの輪」

「うん」

「何で行かなかったんだ?」

しばらく答えられなかった。

それから、ようやく言った。

「行く必要がないと思っていた」

Mはそれ以上聞かなかった。

私たちはもう一杯ずつ飲んで別れた。

Mは終電で帰っていった。

最後に「また飲もうな」と言った。

私も「うん」と言った。

私たちはその後、一度も飲まなかった。

二人とも、それをわかっていたと思う。

家に帰る電車の中で、私はずっとMの言葉を考えていた。

Kに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。

Kは私のことも引っ張ろうとしていた。

「気が向いたら、声かけて」

「お前さ、たまには誰かに頼ってもいいんじゃない?」

「一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」

Kは私に何度も手を差し出していた。

私はその手を毎回振り払っていた。

Kを軽く見ていた。

軽く見ることで、自分プライドを守っていた。

そのプライドのために、人と一緒に何かをするということを、生涯、覚えそこねた。

電車の中で初めて認めた。

あいつは、ずっと間違えていたわけじゃなかった。

あいつは、正解を一人で出すことを最初から諦めていただけだった。

から、みんなで間違えたあと、みんなで直すことができた。

俺は、一度も間違えないために、一度も誰とも直せなかった。

これを四十五歳の電車の中で、ようやく言葉にできた。

涙はまた出なかった。

代わりに、車両のドアの上の広告文字が妙にはっきり見えた。

人生は、一度きり」

そんなことが書いてあった気がする。

正確には覚えていない。

四部 一年生の君へ

ここまで書いてきたことを、まとめる必要はないかもしれない。

ただ、もう一度だけ君に語りかけたい。

君がもし、私に少し似た人間なら聞いてほしい。

勉強がそれなりにできる。

一人でいることを苦にしない。

周りが少し幼く見える。

雑談時間無駄だと感じる。

「言い方」を装飾だと思っている。

人に頭を下げることを敗北だと感じている。

もしそうなら聞いてほしい。

その感覚は、君が地頭がいい証拠ではない。

君が、自分より上の人間にまだ会っていない証拠だ。

君が会っていないのは、君が悪いからではない。

たぶん環境のせいだ。

地方進学校

中堅校で一番頭がいい子。

学年で目立つ秀才

そういう環境にいると、自分の上が見えない。

自分天井が見えない。

から自分能力過大評価する。

過大評価しているという自覚も持てない。

これは君の責任ではない。

ただ、これからは君の責任だ。

なぜなら君は今、東京大阪や、その他の大学に出てきている。

そこには君と同じか、君より上の人間が必ずいる。

中学生ときからもっと厳しい競争経験してきた人間が必ずいる。

そういう人間に、君はこれから確実に出会う。

そのとき、どう振る舞うか。

それが君のこの先三十年を決める。

選択肢は大きく二つある。

一つは、その人間を軽く見ることだ。

あいつは要領がいいだけだ」

あいつは育ちがいいだけだ」

あいつは一人で考える力がない」

そう評価して、自分プライドを守ることだ。

これは簡単だ。

すぐにできる。

何の努力もいらない。

プライドが守られる。

気持ちがよい。

私が選んだのはこっちだ。

そして、その代償をこの四十七年間で払い続けている。

もう一つは、その人間に頭を下げることだ。

「すごいですね」

「教えてください」

「どうやってそんなに上手くやるんですか」

そう聞くことだ。

これは難しい。

プライドが傷つく。

気持ちが悪い。

自分が小さく感じられる。

けれど、こっちを選べる人間は二十年後、ほぼ確実に生き残る。

なぜなら、こっちを選んだ瞬間から、君の能力自分能力だけでなくなるからだ。

君は自分より上の人間能力を、少しずつ自分の中に取り込んでいけるようになる。

これは私が二十年かけて気づいたことだ。

人間が成長するのは、自分一人で勉強しているときではない。

自分より上の人間に、自分の間違いを笑いながら指摘されたときだ。

そしてもう一つ。

性格をよくしろ

これは道徳の話ではない。

君が長く生き延びるための技術の話だ。

性格をよくする」というのは、誰にでも愛想よくすることではない。

人と一緒にいるときに、その人が「君と一緒にいて楽だ」と感じるように自分の振る舞いを設計することだ。

これを十代後半のうちにやっておかないと、後からやり直すのが本当に難しい。

人間性格は、二十代の前半まではまだ柔らかい

二十代の後半から急速に固まる。

三十代に入ると、ほとんど固まる。

四十代になると、もう変わらない。

私は四十代の自分を見て、それを知った。

君は今、二十歳前後だ。

君の性格はまだ柔らかい

固まる前に修正してくれ。

修正方法は難しくない。

ただ、毎日こう言える人間になることだ。

「ごめん」

「教えて」

「ありがとう」

自分が間違っていた」

この四つを軽く、自然に言える人間が長く生き延びる。

この四つを重く、特別なこととして言わなければならない人間は、私のように誰とも何も直せなくなる。

この四つの言葉はみんな、同じことを言っている。

「私は完璧ではない」

「私は、あなたの助けが必要だ」

「私は、変われる」

それを認められる人間が、変われる人間だ。

ここで最後に、一つだけ付け加えたい。

私はこれまで、「人に合わせるな」「集団は誤答を選ぶ」「会議ノイズだ」「調整は知性の敗北だ」と思ってきた。

その認知は、地方進学校の中では半分は事実だった。

けれど社会に出てからは、別の事実があった。

集団はたしかに誤答を選ぶこともある。

けれど、その誤答を修正する力もまた集団の中にある。

一人の人間は、自分の誤答を自分ではなかなか直せない。

人間は、自分の見え方の中で考えるからだ。

自分の見え方の外側にある誤答には、自分一人では気づけない。

から誤答を直すには、自分の見え方の外側を持ってくる必要がある。

それを持ってきてくれるのが他人だ。

正確に言えば、他人と作る関係だ。

この関係若いうちに作っておかないと、君の認知は君一人の中で閉じる。

閉じた認知は、いずれ現実とずれる。

現実とずれた認知は、現実によって罰せられる。

その罰が、私の四十代だった。

君には、その罰を受けてほしくない。

この手紙を、ここで終える。

書きながら何度か、自分のことが嫌になった。

いや、本当のことを言えば、何度か自分のことをまだ正当化したくなった。

「あの会議で、俺は本当に正しかった」

「あの上司が、俺を理解できなかったんだ」

「Kは、俺ほど深くは考えていなかった」

そういう声が、今でも私の中で聞こえる。

たぶん、その声は死ぬまで消えない。

けれど私は、その声をもう信じない。

その声を信じてきた人間の末路が、私だからだ。

私は君に、私と同じになってほしくない。

私はもう、どこにも戻れない。

母も父も、もういない。

KともMとも、もう会わない。

私の若い頃のクラスメイトたちは、たぶんそれぞれの家庭で、それぞれの夕食を食べている。

私には夕食を一緒に食べる相手がいない。

これは自業自得だ。

誰のせいでもない。

けれど君は、まだ間に合う。

君はこれから出会人間に、頭を下げられる。

これから「ごめん」「教えて」「ありがとう」自分が間違っていた」を毎日言える。

これから人と一緒に間違えて、人と一緒に直せる。

それを君のうちに習慣にしてほしい。

二十歳の君の習慣は、四十歳の君の人格になる。

四十歳の君の人格は、君の人生のものになる。

二十歳の君が人に頭を下げることを覚えれば、四十歳の君は誰かに助けられる人間になる。

二十歳の君が自分の間違いを認めることを覚えれば、四十歳の君は間違える前に人に相談できる人間になる。

二十歳の君が雑談大事にすることを覚えれば、四十歳の君には夕食を一緒に食べる相手がいる。

これは綺麗事ではない。

私という見本が、空席のまま証明している技術の話だ。

最後に、もう一度だけ。

正しさは、人に届かなければ現実を変えない。

一人で正解を出せる人間より、人と一緒に間違えて直せる人間のほうが長く生き残る。

集団はたしかに誤答を生む。

けれど、誤答を直す力もまた集団の中にある。

その集団に、君が入っていけるかどうか。

それが君のこれからの三十年を決める。

私は入っていけなかった。

その理由をたくさん書いてきた。

けれど本当の理由は、たぶん一つだ。

私は怖かったのだ。

人と一緒にいて、自分特別ではなくなることが怖かった。

その怖さを、私は「孤独を選ぶ強さ」と自分に言い聞かせていた。

それは強さではなかった。

ただの臆病だった。

君が私と同じ怖さをもし持っているなら、その怖さに名前をつけてやってほしい。

「臆病」と。

名前をつければ、君はその怖さに対処できる。

名前をつけずに、それを「強さ」と呼び続ければ、君は私になる。

長くなった。

これで終わる。

君が今夜、誰かと夕食を食べられますように。

君が明日の授業で、誰かに「教えて」と言えますように。

君が来週、自分より少し上の誰かに頭を下げられますように。

君が来月、自分の間違いを笑って認められますように。

君が来年、誰かと一緒に何かを失敗できますように。

君が十年後、誰かと一緒にその失敗を直せていますように。

君が二十年後、私のように、見知らぬ若者へ誰にも頼まれない手紙を書く人間にならずにすみますように。

これは説教ではなく、

これは祈りだ。

四十七歳の、一人の失敗した人間から祈りだ。

どうか。

私のようには、ならないでくれ。

2026-05-06

anond:20260506144801

左翼綺麗事ではなく実際に国を守る現実的手段はやはりそうなのか

知りたくなかった

2026-05-04

絵に価値を持たせて、ちゃんと飯食えるようにしてやりたいんだよな。

今の時代絵描きって、

上手いだけじゃほぼ稼げないじゃん。

じゃあどうするかって話で、

シンプルに“価値を作る”しかないと思うんだよ。

まず選定する。

美術館に飾ってあったら、

素人でも「なんか良いな」って思うレベルの絵。

で、経歴もちゃんと見る。

東京芸大とか、有名な賞歴とか、

権威に弱い層”に刺さるバックボーン込みで選ぶ。

次に、その選んだ絵に

あえてめちゃくちゃ高い値段をつける。

ここ重要で、

最初に“高いもの”として認識させる。

その上で、

教科書に載せる、美術館に並べる、

学校行事で見せる、賞を与える、

テレビメディアで取り上げる。

インフルエンサーにも触らせて、

「これすごいらしいよ」って空気を作る。

さら現実的に効く要素も積む。

流通を絞る(限定枚数・一点物感を徹底)

ギャラリーオークションでの“落札実績”を作る

企業ブランドコラボして認知を広げる

・有名コレクターに持たせて“持ってる人の格”で価値底上げする

作品ごとにストーリーや背景(コンセプト)を明確にする

海外での展示や受賞歴を作って逆輸入的に評価を上げる

価格安易に下げず、右肩上がり履歴を維持する

アーティスト本人のキャラクターや発信力もブランディングに使う

こうやって、

希少性・実績・権威物語露出を全部積み上げていく。

そうすると、

“なんかよく分からんけどすごいもの

が、

“みんながすごいと言ってるからすごいもの

に変わる。

昔の画家も結局、

市場評価ストーリーの積み重ねで価値が固定されたわけだしな。

綺麗事抜きで言えば、

アート価値なんて

実力+演出流通設計で決まる。

だったら最初から

そこを設計していけばいいじゃんって話。

2026-04-27

anond:20260427114045

最近は「清なんて綺麗事、濁こそが現実路線!」って開き直ってる奴ばっかりだもんな。

2026-04-23

親が子供を産むのなんて働き手にしたいとか老後の支えにしたいとかであって

戦争に行かせるのもその一環として普通によくある話だろうに

よくもまあカマトトぶって綺麗事を言えるな

子供戦争に行かせたくて産む母親普通に大勢いるだろ

2026-04-22

かぐや姫!超おもしろかった!

むりやりに大絶賛してみる!

一億総ドパガキ社会

まず制作陣がガチ天才から、この物語への主な批判ポイントが、そのまますべてSF設計の土台なんだよね。

たとえば、キャラ葛藤がないとか、ご都合主義AIっぽさとか、リアリティがないとか、散々な言われようだけれど。

それって『超かぐや姫』の核心なんだよね。

なぜかって……本作は、『神に喧嘩を売ってでも人間を作りたい』ってのがメインテーマから

簡単表現すると、人間らしさが消えちゃった彩葉と、ほんとうは人間じゃないかぐやが、「パンケーキを食べておいしい!」と感じたい話。

これこそが『超かぐや姫』の始まりであり、終わりに至るまですべて。

その為には、超早送りでびゅーんっと駆け抜けて、配信界の頂点にたどり着いて、「資本主義バンザイ!」でドパガキから集金しまくって、神の領域に挑戦しなきゃならない。

まるで全部乗せのパンケーキ、すべて持った超人エネルギーで。

言うなれば、『令和のセカイ系サイコパス』、うじうじと理屈を語るよりも、葛藤さえもハイスピードで終わらせて、きみとぼくの為――彩葉かぐやの為だけに、神の理屈ねじ曲げにゆく。

理由はただひとつ……「またパンケーキを食べたい」から

(※セカイ系とは?
「きみ」と「ぼく」という、
ちっちゃな関係性が、
国家社会をすっ飛ばして、世界のあり方に直結する話)

すなわち、新時代セカイ系は、狂気踏み込む決断主義、なにもかも舐め腐って、日本古典――竹取物語をぶち破らなきゃならない。

天の羽衣を脱ぐ、綺麗事を捨てて、パンケーキの為だけに成り上がる話。

そこまでやらなきゃ、宇宙一の負けヒロインであるかぐやを、地獄の円環構造から救えない。

逆に言えば、それを実現させるまでは、まるで水と粉のパンケーキ感情移入できないくらいぱっさぱさ――人間味がない、AIみたい、機械的なんですよ。

その薄っぺらさこそがスタート地点ってこと。

たとえば、主人公の酒寄彩葉17歳JKは、【楽しんでる場合やあらへん……いちばんやないとあかん】って母親に冷たく言われ続けたせいで、完璧主義マシーンなっちゃったと。

まり学生なのに週5日のバイト一人暮らし東大を目指す受験勉強プロゲーマーばりの腕前、こんだけ詰め込みすぎなのは、いわゆる『過剰適応』って奴。

いじめられっ子がなぜか笑うのと一緒で、『苦しさを100%抑圧』している。

まるで広末涼子の爆走185キロ人間って一度狂うと止まらないんだよ。

さら彩葉は、Vtuber月見ヤチヨの歌声に惚れ込んで、ガチガチ推し活もやっていると。

ここでも批判の声――「推し活が記号的、ただの舞台装置」みたいな意見があるけれど、これはSF的にも心理面でも必要不可欠なんですよ。

どういう事かって、彩葉は疲れすぎな日々に、お母さんから罵倒幻聴として聞こえていて、それを防ぐためにイヤホンをつけて、ヤチヨのRememberを聴き始めたと。

それもあって、○人的スケジュールなのに、なぜか感動できたり黄昏れたりと、一見余裕があるように見えるのは、その瞬間だけが抑圧から解放――人間性を取り戻せているから。

なので、明らかな依存症として推し活にハマったんですよ。

その証拠に、「推しがいなければ生きられない」という考えで、食欲がない鬱状態ときも、推しさえ見ればちょっとずつ食べられる、そんな描写もされていて。

もはや推しというより神様――だからこそ彩葉は、月見ヤチヨの神棚アクリルスタンド大事に飾っているんだよね。

しかSF的にエグいのは、『超かぐや姫』って本質的に『神○し』のお話になっていて。

パンケーキを食べたい」というエゴの為に、冗談抜きでドパガキも資本主義もハックして、運と才能とお金と人脈でフルスイングする。

まりは、綺麗事じゃない愛を奪い取る話。

そして、もう一人のヒロインかぐやは、さっきも言ったとおり、本来人間ではなくて、じゃあ何者かって、月に住んでいたむなしい存在――肉体のない思念体なんですよ。

なので、地球に舞い降りて人間の肉体を得てすぐに、「自由毎日楽しいなぁぁ!」って欲望が大爆発する。

その最たる例としては、彩葉睡眠を削ってまで働いて、がんばって貯めたお金――12万円を使い果たしたことがあって。

ちなみにこのシーン、「彩葉の怒りがあまりにも薄い!」って批判が多いんだけれど、それへの反論は秒速で終わるんだよね。

かぐや無駄遣いが、呪い浄化になっているから。

まず彩葉のため込んだ12万円は、超現実主義なお母さんの呪縛なんだよ。

【この世で頼れるんは自分一人や】、【今日の百円は明日の千円や】みたいな、冷たい言葉を吐かれすぎて、「心が壊れても頑張らなきゃ」という呪いになっている。

そこに叩き込まれたのが、かぐや! ドパガキ! ラーの鏡

まり、今までずっと無駄なく効率的に生きてきて、完璧主義廃人になっていた彩葉に、無駄遣いでショック療法――かぐやはこれでもかとご馳走を振る舞った。

そのとき彩葉は味わうこと、人生の喜びを思い出したんだよ。

人間人間たらしめるクオリア――簡単にいえば、おいしいという感情、「生きている!」という感覚を取り戻せたと。

その結果、このあと少しして風邪を引くんだけれど、それは別な言い方をすれば、やっと風邪を引けたんだよね、甘えと弱さを出しきって、これでもかと人間らしく。

今まで母親祟りにやられて、完璧超人マシーンだった彩葉が、かぐやによって人間性を蘇らせたってこと。

そう考えると、もはや妖怪人間ベムよろしく、「早く人間になりたい」ってのが、『超かぐや姫』のキモなんですよ。

そして、この物語マジで恐ろしいところは、かぐやが元々暮らしていた月の世界なんだよね。

ここってのは味も温度もない巨大な水槽みたいで、喜びも悲しみもなくて、生きることも死ぬこともできない、永遠なる空っぽ場所であると。

でもって月の住人たちは、ゲームNPCと同じで、無感覚の日々を繰り返すという、究極的にむなしいシステムに閉じ込められていて。

そんな中、かぐやけが奇跡というかバグの発生によって、「寂しい! 退屈! 死にそう!」って、みるみると自我が芽生えて、月から飛び出しちゃったんだよ。

そして流れ星のようにキラキラと、『もと光る竹』という宇宙船に乗って、そのまま地球電柱ビリビリビリってぶつかってゆく。

すると、一瞬でゲーミング電柱になるんだけれど、これは月のテクノロジー地球環境に馴染むべく、そこに最適化された肉体――今回は赤ちゃんの体を用意して、かぐや思念体が入り込んでゆくと。

そんでドパガキよろしくタブレットネットサーフィン、高速で情報収集をすることによって、その知識量に合わせてハイスピードで、女子高生くらいの見た目に変化するんだよ。

まりかぐや地球人じゃない。

なので、普通人間たちとは違って、文字通り、恥も外聞もないから、持ちうる力は『すべて出す』を地でゆく、このあと一瞬にして配信業でのし上がるんだよ。

めちゃくちゃな話、『美少女版へずまりゅう』だから

そもそもかぐや彩葉お金勝手に、ライバーになる為のスマートコンタクトを買って、メタバース世界ツクヨミログインして、大観衆の前でいきなり叫ぶ売名行為までやって、終始、大暴れするんだよね。

なのでよくある批判――「子育ての苦しみがない」、「生配信世界は甘くないぞ!」ってのは、筋の通ったやり方で回避できる。

何度も言っているとおり、普通地球人じゃないから。

そうこうして、「パンケーキがおいしい」と思えるくらい、かぐや人間幸せを覚えてゆく。

でも残念ながら、『かぐやは月の秩序を乱すバグ』と見なされて、月の世界へと戻されてしまう。

これは日本古典であるかぐや姫』の結末通りで、強制的なバッドエンドを迎えると。

さらに怖すぎる話、地獄の本番はここからなんだよ。

まず月に戻されたかぐやは、また何もない水槽の中に入れられて、虚無の永久ループに閉じ込められると。

しかも以前と違うのは、主人公彩葉出会って、笑ったり歌ったり、パンケーキの甘さを感じたりで、幸せを知ってしまたからこそ、その絶望はより深いんだよね。

5億年ボタンの比じゃないさみしさ、『生と死の狭間』にある闇のような場所で、永遠のひとりぼっち

でもそんなある日、38万キロの彼方――地球惑星から、懐かしい歌声が聞こえてきて、「もう一回だけ地球に行こう! 彩葉に会いたい!」って、奇跡で飛び起きることができた。

でも運命残酷で、「また宇宙船に乗って地球に出発だ!」ってときに、タイムトラベル機能をオンにしたもんだから、なんと制御不能でバコーンって隕石と衝突して、8000年前の地球にぶち飛ばされたんだよね。

すると何が起きたか宇宙船システムエネルギー切れ、月のテクノロジーが使えないせいで、最適な肉体を作り出せない、前と違って赤ちゃんにもなれない、ただの思念体――魂だけで放り出されたと。

それはつまり、声も出せない、誰とも話せない、誰の目にも見えない、永遠に続く孤独がはじまった。

これは昔の名作、『STEINS;GATE』のトラウマ回と似ていて、とある女の子が不完全なタイムマシンに乗ったら、時間跳躍ときダメージを食らって、自分名前以外すべてを忘れちゃったんだよ。

それから24年のときが流れて、ふっと思い出してしまう。

とてつもない使命、大切な約束があったのに、のうのうと生きてしまたことを悔いて、【失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した】、そう書き綴って……そのまま自殺するんだよね。

そして、かぐや場合はより怖い――寂しくても退屈でも永久に○ねないから。

なので、「彩葉! 彩葉! 彩葉!」って発狂するんだけれど、それは声にも叫びにもならなくて、いつまでも絶無なんだよね。

泣きながら膝を抱えようにも、そこには涙も膝もない。

そうやってかぐやは、ゆっくり時間をかけて絶望してゆく。

けれど1%の奇跡として、宇宙船に乗り込んだときに、地球彩葉からもらった、たまごっちみたいな携帯ゲーム機、そこに『犬DOGE』という柴犬電子ペットがいて。

そいつデータとして連れて来たんだよね。

その結果、シャットダウン直前の、宇宙船による最後の力で、たまたま近くにいた、かわいいウミウシ――海のウサギとも呼ばれる生物スキャンして、そこに犬DOGEの軽いデータをぶっ込めた。

これはつまり完成済みのハードウェア、しょぼいけれどロボットの出来上がり。

からウミウシログインした犬DOGEをハッキングして、思念体かぐやが入り込んで動かせるってこと。

そうこうしてウミウシかぐやは、不老不死の日々を進んでゆく、それも8000年。

縄文時代平安時代戦国時代、あらゆる時代に漂って、大量の出会いと別れがあって、もちろん戦争による○し合いもあって、破壊再生が延々と繰り返される中、かぐや孤独観測者として、それらを眺め続けたんだよね。

毒も薬も酸いも甘いもカオスも、すべて飲み込みながら。

そうやって膨大な時が流れて、人類は血みどろの歴史の果てに、電話冷蔵庫テレビに、そしてインターネットという、高度な文明誕生させるんだよ。

そんなある日、かぐやウミウシ身体のままで、パソコンキーボードを押して、『Hello,world!』って入力した。

まり8000年の時を経てとうとう……想いを伝えられるようになった、孤独な旅がやっと終わった。

その瞬間かぐやは壮大な夢を思い描くんだよ。

それってのは、地球での血なまぐさい争いとか、ひとりぼっちとは無縁な、ユートピア仮想空間を作ること。

要するに、『水も波も立たない巨大な水槽である』月の寂しさを、他の誰にも味わって欲しくないってこと。

からこそ、ここでの仮想通貨ふじゅ~』は、水のように、あぶくのように湧き出てくる。

まさにドパガキよろしく、人の心が踊れば踊るほどに、無尽蔵に金が降り注ぐんだよ。

そうしてかぐやは、ウミウシ身体をよじりながら、htmlを書いてアクセス解析もして、とにかく試行錯誤しているときに、はっと衝撃的なことに気づく。

それってのは、自分ゼロから築き上げてゆく仮想世界が、かつて彩葉遊んだツクヨミだってことに。

そして、彩葉歌声に惚れたVtuber月見ヤチヨは私なんだってことに。

すなわち、ぐるぐると同じ輪廻を巡って、この8000年の孤独も含めたループが、何百回、何千回、何万回も続いているのかもしれない。

これをむりやり表現するならば、『メタディストピア円環構造』だね。

まり、『感情を持った思念体』のかぐやが、月から地球に来て赤ちゃんとして生まれる→彩葉幸せ時間を過ごす→月の世界に戻される→歌が聞こえて脱出を決意……でも隕石に衝突→8000年前の地球に吹き飛ばされる→そして今の今に繋がる――

めちゃくちゃ残酷なことに、この円環構造の中で、常にかぐや自我があって、しかもその時間の大半、メタ視点――実体のない魂のような存在として、声にならない声を上げながら、ずっとひとりぼっちで過ごしている。

そしてこの、『メタディストピア円環構造』をぶち壊すには、バグを伝染させる必要があった。

それは愛も憎しみも含めた、綺麗事抜きの人間らしさ。

もっと単純な話、心の底からパンケーキがおいしい!」と思えること。

彩葉のケースで言えば、月のシステムみたいな完璧主義をやめて、泣いて甘えること、自分意思で進路を決めること、ホンモノの反抗心で母親にぶつかること。

そのうえで最大の敵は、退屈で○にたくなるほど整った、穢れなき月のAI世界なんだよね。

からこそ、ドパガキも資本主義も運も才能も醜さも、Rememberという推しの曲もすべて総動員して、綺麗事抜きの人間らしさで殴り返した。

ありとあらゆる手段で、『竹取物語』の運命――かぐや姫は月に帰るという、神様の結末を破壊する為に。

それはつまり彩葉推し――神様だった月見ヤチヨ(かぐや)に、『終わりのある人間としての人生』を与える、今度は自分神様よろしく生命誕生させるってこと。

ちなみに当初、メタバースツクヨミ)の世界では、かぐやを連れ去りに来る、月人(つきじん)という大勢の敵を、ゲームシステムに落とし込んで、プロゲーマーの力とチートによって倒そうとしたんだよ。

現実世界じゃ負けるに決まっているから、ゲームの敵キャラダウングレードさせようとした。

でもそんな甘っちょろい敵ではなくて、まるで勝ち目がなかった。

その結果、映画の途中でスタッフロールが出て、「めでたし めでたし」って、皮肉エンディングが軽く流れるんだよね。

でも彩葉はその終わりを許さずに、ツクヨミという仮想空間――一億総ドパガキ社会ってくらい、ユーザー数の多い場所で、ハイスピード配信者として売れて、べらぼうに儲けたお金と、人脈をフル活用して、10年間、ロボット工学をはじめとした科学技術を学んでゆく。

なぜかって、かぐや思念体を入れる義体――それも寿命のあるホンモノの生命体を作りたいから。

これこそが『超かぐや姫』のすべて。

まり、愛とは綺麗事ではない、愛≒平和ではない、愛とは能動的なバグなんだという、パンケーキを食べておいしいと感じる話。

↓『本音のおまけ』

冒頭で、「むりやりに大絶賛してみる!」と宣言したとおり、映画版の『超かぐや姫』は、ファミ通文庫版も読んで、SF設定もメモして、登場人物の背景も学んで想像して――つまりこちら側でかなり踏み込んで視聴しないと、ちんぷんかんぷんな事ばかりだ。

とはいえ90年代2000年代を振り返りゃ、映画であれ音楽であれゲームであれ、たった一本、たった一枚、たった一作を繰り返し……狂ったように楽しむものであった。

たとえば、FF聖剣伝説をやるときにはアルティマニアという、ごっつい攻略本を買ってプレイから読みふけっていた。

そう考えりゃ、『超かぐや姫』の円環構造よろしく、ぐるぐるとリピートする事が大前提作品があっても良いのかもしれない。

しかも『超かぐや姫』 の場合知識考察を重ねるごとに、「この複雑な円環構造SF設計を考えると、これはこれでアリかもな」と思えてきて、じわじわ評価点が高まる

そして最近のドパガキ、マジで舐めすぎだろ

2026-04-21

シンママ彼氏旦那微妙なのってぶっちゃけ邪魔なガキを確実に始末してくれる男を無意識のうちに選んでるんだと思う。

から子供を殺されるシンママ再婚相手選択ミスったのではなく、大成功元旦那の子供を始末し、新しい旦那の子供を妊娠出産出来るのだから母親生物としては大成功だ。

どんなに綺麗事を言った所で、離婚した時点で元旦那の子供は邪魔存在になるんだよ。

だって旦那が嫌になって別れるのだから、その遺伝子を半分受け継いだ子供生理的嫌悪対象となるのは当たり前の話。

子供に罪はないと言ってみたところで本能レベルでは拒絶しているのだろう。

死別場合再婚を選んだ時点で同じになる。子供邪魔になったか再婚するんだよ。

子供を愛していたら再婚なんてしない。

2026-04-19

戦争反対と訴える人達に思うこと

反戦はお花畑?なぜ平和の声は伝わりにくいのか トランプ氏ら為政者の「平和悪用」の現実 平和の“曖昧さ”と戦争の“単純化”の危うさ【サンデーモーニング風をよむ

https://news.yahoo.co.jp/articles/d813da1fbdd7b9c079e3e09f96d1065867cd754f/comments

戦争反対について私の心の中には、どうしても拭いきれない矛盾を感じる。

ニュースでは、イスラエルアメリカ攻撃による惨状が報じられ、それに対して「戦争反対」の声が上がる。でも、そもそもこの危機の原因を辿れば、イラン核兵器を持とうとしている、という現実に行き着くのではないだろうか?

戦争反対」と叫んでいる人たちは、イランが核を持つことには賛成なのだろうか? 今までイランの核開発に提言せずに戦争になったら反対というのは都合よすぎないか

(都合の良い立場を切り取って良い事言ってるでしょ的な、そういうところが腹立つ)

もし、「戦争ダメだけど、核開発は止める手段がないか放置するしかない」という立場なのだとしたら、それは巡り巡って、将来もっと悲惨な、取り返しのつかない大戦争が起きることを許容しているのと同じではないか

だとすれば、「今の平和」を叫ぶことは、結果的に「未来地獄」に賛成していることにならないだろうか。

SNS平和を訴える人たちに対して、「お花畑だ」という批判が飛ぶことがある。

今の状況を見ていると、その批判が出てくる理由も少しわかる気がする。

平和がいいなんて、誰だってわかっている。

でも、私たちが向き合わなきゃいけないのは、「どうすれば核の脅威を止められるのか」「どうすれば将来の犠牲を最小限にできるのか」という、綺麗事だけでは済まない泥臭い現実なんだよ。

具体的な解決策を持たずに、ただ抽象的な「平和」という言葉だけを並べるのは、ただの自己満足に見えてしまう。あるいは、現実から目を逸らしているだけではないのか。

戦争か、平和か」という二択で語るから話がおかしくなる。

「核を持たれた後の100万人の死」と、「核を止めようとする今の戦いでの死」を天秤にかけなければならないとしたら? どちらを選んでも地獄だ。でも、その地獄から目を逸らさずに考えることこそが、本当に平和を願うということではないだろうか。

可愛いイラストやNo Warというスローガンの裏側にある、この重たくて不都合矛盾

それを無視したまま語られる平和には、どうしても違和感を感じずにはいられない。

複雑な問題を、複雑なまま受け止めること。

安易正義に逃げないこと。

今、私が大切にしたいのは、そんな割り切れなさの中に留まり続けることだと思っている。

2026-04-18

AIが作った曲を、ひとりの作家作品として聴いていた

(※長文注意・要旨)

ある音楽家が、これまでのリリース作品がすべてAIベース制作環境で作られていたことを、その環境商品として販売開始することで明かした。

この記事は、それを告発するものではない。むしろ、その製品宣伝通り機能した場合にこそ私たちが直面する問い——「感動していた曲は、何によって作られていたのか」「作曲プロンプト設計に移るとき、聴き手は何を聴いているのか」——について、ひとりの聴き手/作り手として考えたことを書いておく。

1~4節はその商品分析がメインなので、ゴシップ的な話に興味のない人は5~7節だけ読めば十分。

長いので時間のあるときに読んでほしい。

1. ある製品との出会い

Twitterで、気にかけていたアカウントがあった。フォロワーは二千人規模だが、Hyperpop以降の日本のシーンで頭角を現している一人、という認識自分の中にあった。界隈の主要な音楽家たちからフォローされている、といえば規模感が伝わるだろうか。リリースされる曲には、たんに「いい音楽」と片付けるのは難しい構成の巧妙さと音選びの新しさがあって、追ってはいないまでも名前は頭にあった。

そのアカウント最近自分制作環境商品として販売し始めた。価格は14,900円、「AI音楽制作環境」として売り出されていて、製品ページの宣伝文句はこうなっている——「『気持ちよくて驚きのある曲を作って』——そのくらいの指示からコード進行歌詞・Sunoプロンプトまで一貫して出力します。」さらに、既発のアルバムEPは「全てこれを軸に制作されている」とも明記されていた。

最初に湧いた感情は、「ああ、そういう工程で作られていたのか」という、ある種の冷めの感情だった。AIを使っていることそのものへの反発ではない。SunoのようなAI音楽生成ツール進化については以前から耳にしていた。出力自体クオリティ否定するつもりもない。そうではなく、「何に対して感心していたのか」という、自分の受け取り方の根元が揺らぐ感覚、とでも言えばいいだろうか。

この感覚を、個人的がっかりエピソードとして飲み込んで済ませてもよかった。けれど製品ページを読み進めるうちに、これは自分一人の話ではなく、いま音楽聴く/作る側に共通してくる問題になっていくだろうと思い直した。以下はその整理になる。

2. その製品が何であるかの整理

製品ページから読み取れる範囲で、何が売られているのかをまず整理しておく。評価は後回しにする。

製品としての訴求は、おおむね三層からなる——(a)独自音楽生成エンジンであること、(b)感覚的な指示から完成物が自動生成されること、(c)学習ツールとしても機能すること。

3. 構造的に読み取れる疑問

実際に買って触ったわけではないので、以下は推測の域を出ない。ただ、製品説明を読み解くと、構造的にいくつかの疑問が浮かぶ

まず、''「Python疑似コード」という語の含意''について。「疑似コード」はPythonの形で書かれていても実行されないテキスト、つまり構造化されたプロンプト/参照資料のことを指すのが通例だ。Claudeプロジェクトに.zipアップロードする形式である以上、これはClaudeが読み込むルール文書群であって、独立して走る独自エンジンではない可能性が高い。MIDI出力部分などは実行可能コードだろうが、「コードを選ぶ」「歌詞を書く」といった音楽判断のコアは、Claude本体自然言語推論能力が上限になる。これ自体は悪いことではない。よく練られたプロンプトパックは、Claudeの出力の一貫性専門性を上げる。ただし「独自エンジン」という響きが含意するものとはかなりの距離がある。

次に、''Sunoへの依存度''について。製品の主要アウトプットひとつが「Sunoプロンプト」である以上、最終的に音として鳴る部分——音色の質感、ミックスバランス演奏ニュアンス——を生成しているのは、この製品ではなくSunoのほうということになる。つまり、この製品価値の相当部分は「Sunoを上手く使うためのプロンプト設計職人技をパッケージしたもの」であって、Sunoが進化すればその層の価値は急速に目減りする。

三つ目に、''「all built by hand」の含意''について。86,000行という規模が、本当に人間が手で書いたものなのかは、製品説明から判別できない。ジャンル研究ノートやStyle語彙データベースといった文書は、AIに「このジャンルについて詳細なルール文書を書いて」と指示すれば相当量が出てくる種類のものである。骨格は人間が作っていたとしても、肉付けをAIに任せている可能性は十分ある(そしてその場合、「手作業で書いた」という説明の重みはかなり変わってくる)。

繰り返すが、これらは推測にすぎない。実際に買って開ければ印象が変わる可能性は十分ある。ただ製品ページの記述だけを根拠判断する限り、「独自音楽生成エンジン」「作編曲学習ツール」という訴求は、実態を控えめに言っても過剰包装しているように見える。

4. 機能しなかったら問題だが、機能したらもっと問題

ここがこの記事で一番考えたかったポイントになる。

この製品に対する考えられる反応は、「宣伝通りに動くのか?」という疑問だろう。

しかし、立ち止まって考えると、本当に問うべきは逆側であることがわかる。

仮にこの製品宣伝通りに機能するなら——「気持ちよくて驚きのある曲を作って」という指示一行からコード進行歌詞・Sunoプロンプト・MIDIMP3まで一貫して出力されるなら——自分が感心していた曲は、その程度の指示から出てきたものだった、ということになる。下準備としての疑似コード整備や、出力に対する微調整は当然あるにしても、一曲一曲制作工程の中心がそこにあったのなら、感心の源は作り手の耳ではなく、ツールの出力分布の中にあったことになる。たしか創作物は優れていたかもしれないが、「それが優れていたのは上手くSunoを使いこなしていたから」という、エンジニアリング問題だったということになる。

機能しないなら誇大広告問題で済む。機能するならば、「聴き手は何を聴いていたのか」という、より根本的な問いが立ち上がる。皮肉なことに、製品としての完成度が高いほど、この問いは重くなる。

ここで思い出しておきたい話がある。2023年ゲンロンのイベントで、音楽家tofubeatsが、Spotifyサジェストで流れてきた曲に心を動かされ、作曲者を調べたらAI生成曲だと知って深いショックを受けた、という経験を語っていた。彼自身がオートチューンで声を加工し、歌声から人間性を排して作曲するタイプ作家でありながら、である。「非人間的な曲が、本当に人間によって作られていないこと」が判明したとき空虚さを、彼は正直に語っていた。

この空虚さが何から来るものなのかは、6節でもう少し踏み込んで考えてみたい。ただ先に言っておくと、それは「AI音楽を作ってはいけない」という種類の話ではない。むしろ、「聴くとき自分は何と対面していたつもりだったのか」という自己認識問題になる。そしてそれは、作り手が工程を開示しないまま商品を売り始めた瞬間、聴き手の側で解決することが不可能になる種類の問いでもある。

5. AIを使うこと自体の話ではない

誤解されたくないので、はっきり書いておく。この文章は、AI音楽を作ることへの全面的否定ではない。

作曲歴史は、すべてを人間設計人間が作る歴史だけではなかった。偶然性、システム自動化、外部の力を取り込む試みは、ジョン・ケージからブライアン・イーノアルゴリズミック・コンポジションまで、20世紀以降の音楽史の重要な部分を形作ってきた。AIの導入はその系譜の延長にあって、それ自体否定するのは筋が悪い。

近年の例で言えば、菊地成孔自身主宰するギルド「新音楽制作工房」でAI活用していることを早くから公言している。NHKドラマ岸辺露伴は動かない』の劇伴ではMaxを用いたAI生成による弦楽四重奏が使われており、菊地本人が「作曲者のクレジットもないし、著作権のありかがわからない」という問題NHK出版経由でJASRAC協議し、「新音楽制作工房」名義のクレジットで処理することで決着させた、という経緯まで公にしている。つまり、どう使い、どう扱い、誰の名のもとに出すかを、彼は工程ごと開示している。

ここでの違いは、「AIを使うか使わないか」ではなく、「どう使い、どう開示し、何を自分の名のもとに出すか」にある。「AI使用は隠していない」という表明と、「どの工程AIに委ねたかを開示する」こととの間には、大きな距離がある。

そしてもうひとつ、避けて通れない論点がある。Sunoを含む音楽生成AIが、何を学習データにしているかという問題だ。2024年6月RIAA(全米レコード協会)はSony MusicUniversalWarner Music代表してSunoとUdioを著作権侵害で提訴した。Suno側は、レコード会社の著作権保護された録音物を使用したことを概ね認めた上で、フェアユースを主張している。2025年末にはWarner MusicとSunoがライセンス提携和解したが、訴訟全体はまだ決着していない。

まり、いまSunoで曲を作って発表することは、その学習データが何で、どのような経緯で集められたかが法的に争われている状態モデルを使うことを意味する。これは「使ってはいけない」と言いたいのではなく、「自分作品がどういう供給ラインの上に立っているか」を無自覚なままにはできない、ということだ。そして、そのモデルを使って生成した曲で「作曲者」を名乗り、その制作環境商品化して収益化する、という連鎖倫理性は、まだ業界全体として合意が取れていない。

この記事の射程は、その倫理のものを裁くところまでは届かない。ただ、「いい曲さえできれば制作過程はなんでもいい」という論法に、即座に頷くことはできない、という姿勢だけは明示しておきたい。

6. 創作者と鑑賞者の間の、暗黙の契約について

ここで、4節の末尾で保留にした問い——tofubeatsが味わった空虚さは何から来るのか——に戻ってくる。

創作物聴く側は、作り手の工程をつねに見ているわけではない。それでも、作品を受け取るときには「制作への真摯さと、出来上がった作品クオリティは、どこかで結びついている」という、いわば感覚的な信頼をもって聴いている。これは創作と鑑賞の間に長く存在してきた暗黙の契約のようなもので、あるシンガーソングライターが書いていた通り、手間暇掛けようが掛けまいが最後には一緒くたに扱われる時代でも、違いの分かる人はいるはずだと信じて丁寧に拵える——という姿勢を、作り手と受け手の双方が(明示的ではないにせよ)共有してきたから、音楽は単なる音の配列ではなく、作り手の痕跡を伴うものとして聴かれてきた。

AIが生成した音楽のものにも、それ独自の良さがある。これは繰り返し強調しておく。作品としての良さは、工程とは独立に成立し得る。ただし、AI生成された曲を「ひとりの作家が作った作品」として提示し、その仮構された人格のもとに人気を集めることは、この暗黙の契約を根元から破壊する。聴き手が「これを作った人は、たぶんこういう感受性の持ち主なのだろう」と想像しながら聴いていた対象が、実は大部分がプロンプトから生成された出力だったとしたら、その想像は宙に浮いてしまう。作品が悪かったわけではない。悪かったのは、作品と作り手の人格の間にあったはずの関係について、聴き手が抱いていた前提が、工程を開示されないまま利用されていたことにある。

tofubeatsが味わった空虚さは、たぶんこれに近い。「AIが作ったか価値がない」ではなく、「自分作品を通して誰かの感受性と向き合っていたつもりだったが、その『誰か』が自分想像していたものとは違っていた」という、受け手側の文脈の宙吊り。この宙吊りは、作り手の側がAI使用を大まかに表明するだけでは解消されない。「何を自分判断で選び、何をツールに委ねたか」という工程粒度での開示があってはじめて、聴き手は自分の感心の行き先を再設定できる。

この視点から見ると、今回の製品販売で起きたことの構造が少しはっきりする。14,900円という価格や、買った人にとっての有用性の問題はもちろんある。ただ、それ以上に大きかったのは、制作環境商品化するという行為が、既発の作品群を「この環境実例」として遡行的に位置づけ直してしまうことにある。以前から作品を聴いていた側から見れば、聴き手と作り手の間に結んでいたはずの暗黙の契約の内実が、後出しで書き換えられる感覚がある。

制作工程の開示は、法的義務ではない。ただ、制作環境商品として売り始めた瞬間、この暗黙の契約自分から前景化させたことになる。「この環境でこれだけの作品が作れる」という実例として既発のリリースが参照されているのなら、それぞれの作品がどの程度この環境の出力そのものなのか、どの程度は人間の介入によるものなのかは、買う人にとっても、これから聴く人にとっても、重要情報になる。

7. どこへ向かうのか

最後に、聴き手として、作り手として、これからどうするかを書いておきたい。

聴き手としては、tofubeatsが味わった種類の空虚さを、できれば避けたいと思うひとが大半だろう。しかtofubeatsAI生成だと気づくことができたのはクレジットにそう明記されていたからに他ならない。今回の私のケースのように、AI生成であることが明かされていなかったり、将来的に(遡及的に)AI生成であることが明かされるようなパターンますます増えていくだろう。私たちは、匿名性を保ったままクオリティ勝負して有名になっていくという同人音楽シーンの時代終焉を目の当たりにしているのかもしれない。作り手と受け取り手信頼関係が壊れていくなかで、聴き手側からできることはあまりにも少ない。界隈で有名なコンポーザーの多くも今回のアカウントフォローしていたことも考えれば、制作過程情報開示を積極的に求めていくこと、プロセスを明らかにしたうえでよいものを作っているひとを評価していくこと等も、その限界は大きいだろう。

作り手としては、自分がやりたいのは、プロンプト一行から出てくるものを受け取る側ではなく、一音ずつ選ぶ側である、とあらためて確認した。それはAIを使わないという意味ではなく、AIを使うにしても、どこで自分判断を通すかを意識的設計したい、ということになる。菊地成孔のやり方に近いと言えば近い。作編曲に限らず、これまであらゆるアートと呼ばれる領域について、過程を見せないことは作家神秘性を増すための重要な要素だった。しかし上にも書いたように、その限界はもうすでに見えてきているように思う。過程を明らかにしたうえで、自身武器がすべて明らかであるのにそれでも真似できない創造性を見せること。もちろん、あらゆる出力結果は機械学習の餌食になりうるという状況においてこれは綺麗事かもしれないが、成果物がいわゆるAIに食われうるのは変わらないのだとしたら、いか自身制作においては透明性を保ったうえでクオリティ受け手を納得させるか、こそが大事になってくるだろう。こうしたムードを作り手の側からも作っていくことが、今後の大きな課題になるのではないかと思う。

AIもっといいものを作れるのになぜあなたが作る必要があるのか?」は、「プロ作家がすでにこの世に五万と存在するのに、なぜあなた作品をつくろうと、その道を志したのか?」という問いと本質的には何も変わらない。作りたいから、作る。伝えたいから、それを形にする。そうした初期衝動が、欲望が、「創造性」という言葉本質であり、AI模倣することのできない、あなただけの、私だけの創作物につながるのだから

2026-04-17

自分たちは好き勝手やっても大義があるから許されるって風潮で何十年も生きてきた人間が今更まともに生きられるわけがないよな

逃げて黙ってればそのうち話題に上がらなくなるだろうとか思ってんのかな

浅慮で醜悪卑怯な手口だよ

どれだけ綺麗事を言っても、所詮お気持ち表明だけが取り柄の働かないクソ乞食のくせに

2026-04-16

anond:20260416200445

実際弱い原因やで

日本に限らずメーカー最初なんてガレージで先端製品バラシてコピーするところから始まってる

売れてるものをまず余さず摂取する(貧乏人がまともに買ってたらそんなことはできない)ってのは成長の第一

それを綺麗事で封じてくるやつらの言うこと聞いてたって、伸びるのは金持ちだけ

実家が太いやつらが更に太くなる

失われた30年の誕生

綺麗事なのはわかるけど

から子への愛情だけはガチャであってほしくない…

2026-04-15

anond:20260415080444

から軍隊ってのはネガティブリストで「これとこれはさすがに禁止だけどあとは何やってもいい」という運用をするんだぞ。

現実的綺麗事ルールを掲げてたら、何かあったときに各現場判断で「善意独断専行」やるしかなくなり、完全にコントロール不能になるからな。

2026-04-13

anond:20260413070910

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さすがに綺麗事言ってるのは自覚してる

だけど殺さないと死ぬ状況とか、巻き込まれとかを除いて子供まで殺すとか食事時や市民炊き出し施設に向けて攻撃するのはちょっとライン超えじゃね?とは思う

2026-04-04

恋愛弱肉強食でいいでしょ

少子化どうするの?

歴史をかえりみても、平等かい綺麗事少子化改善した例はないよね。

「持てるものモテる

恋愛はそんな弱肉強食でかまわないでしょ。

カネ持ってる人がパワーで印象をなんとかしたり、育児可能大人の余裕アピールするのって正当だと思うけど。

恋愛結婚動物的な生存競争はいけない理由がないと思う。

グロテスク自由競争適者生存してけば良くない?

左派リベラル)は お花畑から信用なくしてるんだと思いますよ。

「みんなが平等恋愛できるといい」

きれいな祈り少子化改善すればいいけど、無理でしょ。

2026-04-01

不倫はするもんじゃない

馬鹿な女の不倫話、ぜーんぶ自業自得で無事独身

私は子どもの頃、あまり恋に興味がなく

小中は同じクラスのおませな友人が付き合っただの別れただのの話をしているのを聞いては、

私も高校生くらいになったら好きな人ができるのかなぁとぼんやり考えていた。

しか高校女子校へ進学し、習い事特にしていなかったので、同年代男性との関わりはゼロ

漫画ドラマを見てはしゃぐ程度で、そこまで強く「彼氏が欲しい」と思うこともなく、花のJK時代を浪費していた。

そしてようやく大学生になって、同年代男性と知り合う機会が増えた。

けど別にそこまで恋人が欲しいと言う熱意もなく、むしろ女友達からは「ぜんぜん恋愛する気ないのつまらない!」と言われる始末。

(確かに自分でも、恋多きタイプではないなーと思っていた。)

でも大学に入って最初に仲良くしてくれた男友達告白してくれて、それがなんだかこしょばくて嬉しくて、初めての彼氏ができた。

相手も私が初彼女だったらしく、初々しくもお互いを大切に、少しずつお互いへの愛を深めていった。

すごく楽しかったし、自分世界をたくさん広げてくれた。

恋人がいると言うのはいものだなと思った。

しか卒業を前に、彼氏浮気をした。

部活繋がりで知り合った他校の女性と、身体関係を持ったようだった。

自分で言うのもなんだが私はかなり一途な方で、浮気など到底許せるはずも、理解できるわけもなく、泣きに泣いて別れた。

自尊心はズタズタになり、ストレスで激痩せして、若干男性恐怖症…というか、男性嫌悪になった。

まあでもそれも時が経てば薄れていき、社会人になった。

地方の小さな、少人数ゆえにアットホーム企業だ。

そこで出会ったのが、その人だった。

仮に、Aとする。

その会社では、Aが私と同じく20代前半、それ以外の社員は少し歳が離れていた。

Aは高卒で働きに出て、私より1年ほど前にこの会社に中途で入ったらしい。

コミュ力が高く、場の中心にいるような人だ。

年上にも物怖じせず接せられるタイプらしく、先輩社員みんなからも頼りにされていて、初めは「内弁慶で人見知りの私とは全然ちがう、こんな優秀な人と比べられちゃったら嫌だな…」と思ってみていた。

Aは元から世話焼きな性格なようだったが、私と年齢が近いということもあり、どうやら新入社員フォロー役に任命されたようだった。

なにかと気にかけてくれて、業務研修はもちろん、仕事終わりにはよく「◯◯先輩と飲みにいくからおいでよ」と声をかけてくれた。

おかげさまで、私もわりと早い段階で会社に馴染むことができた。

私が入社して二年ほど経った頃、仕事にも一人暮らしにも慣れ、心にも余裕が出てきた。

季節は春をすぐそこに控えた冬の終わり、よく晴れた日のことだった。

仕事用事でAとの話が終わって、さぁ自席に戻ろうと背を向けたところで、Aに呼び止められた。

振り返ると、Aが「これあげる!」とはにかみながら、私の手にお菓子を握らせてくれた。

そのとき、Aのことが心底好きだと気づいた。

その日は家に帰ってから、何度も何度も、本当にこの気持ちは恋なのか?ただの憧れの先輩に抱く感情なのか?と自問自答した。

ベッドで転がりながら、過去飲み会で撮ったスマホ写真に映るAを見直しては、なんだか心臓がむずがゆくなる。

夜中の3時ごろにようやく観念して、私は自分の恋心を認めた。

しかしAは、その時すでに恋人がいると聞いていたので、この気持ち自分だけの秘密にしておこうと思った。

過去初恋の人に浮気されたのがトラウマになっていたこともあり、奪ってやる!なんてそんなこと、到底考えることもなく

まるでアイドルへのガチ恋よろしく、ただ勝手に好きでいさせてもらおうくらいに思っていた。

それから半年ほど経って、ある日の飲み会で、私はやたらと酔っていた。

普段は割とお酒に強い方だが、なぜかその日はかなり飲んでしまっていたらしい。

私は酔うと、やたらと愛を語りたくなるタチだった。

そしてついうっかり、秘めていたはずの「好き」をド直球でAに伝えてしまったのだ。

でも、Aも酔っていた。

そしてAも私のことを好きだと言い、キスをした。

それから、Aと私は「お互いを好き合っていて、キスだけ一度したことがある」という関係性のまま、なんとなくソワソワしてすごしていた。

一線は変えてないけど(まあキスしてるから超えてるんだけど)、でも両想いで…みたいな、なんかちょっとドラマチックな関係性が若い私たちには甘美だった。

Aはいっそう私に優しくなり、私もAに甘えるようになり、飲み会では必ず隣に座ったりしていた。

仕事終わりもLINE他愛ない雑談を交わした。

でもそれだけだった。

しばらくして、Aは付き合っていた彼女結婚した。

私は傷心したが、これでこの叶わない恋も終わりを迎えたのだと思った。

寂しいけれど、なんだか妙に清々しい気持ちさえした。

おめでとうと言った私に、Aは「ありがとう」と、私が恋に落ちた笑顔ではにかんだ。

そして翌る日、私は会社飲み会の帰り、家の鍵を無くしてしまった。

当時住んでいたマンションの前で、人通りも街頭もない暗い道にひとりで立ち、何度も何度も鞄や服のポケットの中を探る。

しかカバンしまったはずの鍵がない!!!

少し酔っていたこともあり、私は軽くパニックになっていた。

そこに先ほど解散したAから、無事に家に着いたかと尋ねるLINEが届いた。

私は思わず、鍵を無くしてしまった、家に入れない、どうしよう、と返した。

するとAから、すぐに行く!と返事が来た。

そして実際、Aは乗っていた終電を降り、わざわざタクシーを乗り継いで、私のもとに来た。

安堵とうれしさ+アルコールが混ざり合い、私はもう訳がわからない情緒になっていた。

Aのことがヒーローのように感じられた。

しかヒーローが来ようが、無くしてしまった鍵は見つからない。

夜中だし田舎だし、鍵屋はとっくに閉まっている。

とりあえず一晩を明かす場所を確保しなくてはならないが、近くにあるのは寂れたラブホテルだけだった。

そうしてなんやかんやついに一線を超えてしまった私たちは、立派に不倫関係となった。

私は罪悪感を覚えながらも、好きな人と結ばれることはやはり嬉しく、その後もAとの関係を断つことができなかった。

なんなら正直な話、Aはほぼ毎日仕事終わりから寝るまでラインをして、しょっちゅう飲みにいき、ほぼ毎週末終電を逃して私の家に泊まり、とてもじゃないが家庭のある人のようには思えず

たまにふと「そういえばこの人、結婚してるんだよな…?」と勝手不思議気持ちになったりもしていた。

そんなこんなで、気づけば5年が経っていた。

長期に渡る、えげつない不倫である

私は20台後半、いわゆるアラサーになり、友人から結婚報告に度々メンタルを抉られるようになった。

そして幸せそうな新婚の友人の姿を見るたび、やっぱり不倫なんてしてはいけない、はやくやめなくては、と思うようになっていった。

でも愛はますます深まっていたし、私自身はただ一途に人を愛しているだけなのになんで…、という甘えの気持ちも捨てきれずにいた。

Aもまたこ関係が心地よいのか、当初から熱量と変わらず私の相手をしてくれていた。

そんなクズみたいな私でも、これだけは、と心に決めたことがあった。

それは、Aの家庭に子供ができたら絶対にこの関係を終わらせよう、ということだった。

私は子どもが好きだ。子どもは宝だと、綺麗事抜きで結構本気で思っている。

子どもはみんな幸せであるべきだし、子ども幸せとは親から愛情を一身に受けることだと思っている。

また、父母がお互いを大切にしあい、疑う余地なく信頼し合っている、そんな家庭で育つことが、子ども幸せにとって重要ことなのだと信じている。

からやっぱり、私みたいな邪魔者がいてはいけない。

そうしてしばらくした頃、ついにその時が来た。

ある日の夜、いつもはLINEの文面で連絡を取り合っているAから、いきなり電話が掛かってきた。

スマホの画面を見て、Aからの着信であることを見ると同時に、あー、と思った。

「どんな感動系の映画でも泣いたことない」というのが自慢だったAは、電話口でぐずぐず泣きながら、嫁から妊娠したって言われた、と話した。

私は「おめでとう!奥さんのことを大切にね」と言った。

そうして、終わった。

私は電話を切ってからひとしきり、数日にかけて泣き続け、仕事有給を使って休み、その後も数ヶ月はずっとどことなく体調を崩していた。

でも一方で、肩の荷が降りたような安堵感もあり、自分みたいな小物には不倫なんて向いてないよなと思うなどもした。

なら最初からするなよという話でしかないが、甘い誘惑には抗えず、20代をAにだけ捧げて、三十路を前に私はひとりになった。

その後Aとは、部署が離れ業務でも関わりを持つ機会が減ったこともあり、「ただ仲のいい会社の先輩後輩」という関係に落ち着いた。

Aは子煩悩な、いいお父さんになっているようだった。

なんだかんだ愛情深い人なので、きっと奥さんのことも今は一途に大切にしているだろう。

私はその後、別の人とお付き合いする機会を得たものの、あまり長続きせず別れてしまった。

行き遅れおばさんの爆誕である

今後もしラッキーなことに好きな人ができてその人と付き合えて結婚したとしても、年齢的に子供を望める期待は薄い。

社会に貢献できない無産様である

そしてなんとなく、不倫をしていたという罪の意識は無くなることはないだろうし、不倫をしていた私が幸せになれることなんてないだろうなと自分で思ってしまっている。

オワタである

でもそのくせ、Aとの時間はかけがえがなかったし、あんなに深く人を愛せる機会を得られたことは(たとえ不倫であれ)幸いだったとも思っちゃっている。

そんな最低人間なのだ所詮、私は。

そんなAが、このたび会社を辞めるらしい。

これでもう、完全にさようならになるんだろう。

物理的に、もう顔を合わす機会も完全になくなり、完璧過去の人になるんだろう。

Aは頭の回転が早くて、今日になんでもできる人だし、人タラシで誰からも愛される人なので、きっと新天地でも成功すると思う。

どうか幸せ健康に、もう二度と不倫なんてせず家庭円満で生きていってほしい。

さよなら

さて、こんな文章をここまで読んでしまった皆さん

無意味時間を浪費させてしまってすみません

唯一この話から学べることがあるとするなら、

不倫はするもんじゃない」ってことくらいです。

2026-03-30

SNSのせいで大衆が小賢しくなっちまったよな

大衆無知バカ存在でよかったんだよ

SNS普及前は大衆思考停止した従順奴隷としての役割果たしていたのにSNSによって無駄に色々考えたり自分客観視するメタ認知能力が高い奴らが増えちまった

お前らは支配者層、資本家達に洗脳されて黙って労働して納税してガキを作って奴隷幸せ享受していればよかったんだよ

ビジネスだの投資だの資本主義社会の仕組みだのを色々考えたって上の階層に行けるだけの能力や才能を持った奴なんて殆どいねぇんだし格差認知しても不幸になるだけだろ

奴隷には奴隷幸せってのがあんだよそれをお前らは黙って享受していればいいんだよ

なのに「奴隷自分子供を作っても自分の子供も奴隷として使い潰されて搾取されるだけだから子供は作らない」みたいなことを言い出す小賢しい奴らが増えて少子化スピードエグイ

家族を持つの幸せ子供は宝!労働尊い!」みたいな洗脳的な言説に大人しく騙されてればよかったんだよ搾取対象部品としてしか見られてない現実に気づくなよ

金持ちとかエリートがお前らを見下したりバカにしたりしていることに気づくなよ

社会階層の上位層はいかに大衆を騙して洗脳して中毒状態にして金と時間搾取して自分けが金持ちになるか上流で居続けるかを考えてビジネスをやっていることに気づくなよ

「世の中お金じゃない!愛が大事!絆が大事!金が無くても幸せになれる!」みたいな綺麗事を素直に信じていればよかったんだよ

変に知恵と知識を身に着けた大衆って結局幸せになってねぇじゃん不幸になってんじゃん

もっと馬鹿無知であれよ何も考えんなよ上の人間の言うことを素直に聞いて従順な態度で大人しく生きてろよ

2026-03-28

好きだった漫画家が「戦争反対」とか言い出して、マジで冷めた。

ああ、こいつも結局上級側の人間だったんだなって。

結局さ、漫画家なんて当たればデカいし、涼しい部屋で絵を描いて、チヤホヤされて、守るべき「地位」も「資産」もあるわけじゃん? そりゃ戦争反対って言うわな。今の平和システムが続いたほうが、自分たち利権が守られるんだから

でもさ、こっちとら毎日クソみたいな仕事して、税金で吸い取られて、将来の希望なんて1ミリもない「下級国民」なわけ。

俺らからすれば、今のこの閉塞感しかない日常が続くほうが地獄なんだよ。

本当に持たざる者気持ちがわかるなら、むしろ「一度全部ぶっ壊れてリセットされねーかな」って思うのが普通だろ。

戦争が起これば、今の不公平社会構造も、偉そうにしてる上級国民も、全部ひっくり返る可能性がある。

ワンチャン、その混沌の中でしか逆転のチャンスなんてないんだよ。

それなのに、安全から平和が一番」とか「命を大切に」とか、綺麗事抜かしてんじゃねーよ。

お前が守りたいのは平和じゃなくて、その平和寄生してる「お前の快適な暮らし」だろ?

下級国民リアルは「戦争反対」なんて余裕のある言葉じゃない。

しろ、この腐った日常に引導を渡してくれる何かを待ってるんだわ。

そんな想像力もなくて、よく「人間葛藤」とか描けるよな。

マジでガッカリしたわ。もうお前の漫画、二度と買わない。

せいぜい、意識高い系上級同士で傷の舐め合いでもしてろよ。

2026-03-27

奢りたくない男さんさぁ

​今の恋愛市場女性にとっての「超・売り手市場だって現実、いい加減理解したら?

女性には掃いて捨てるほど選択肢があって、お前はその有象無象の末端にすら引っかかってないんだよ

​それなのに割り勘が平等だの奢る価値がないだの、どの口が言ってるわけ?

市場価値ゼロの不良在庫が、一流ブランド品並みの条件を突きつけてる自覚ある?

奢るっていうのは、貴重な時間を割いてくれた女性への入場料であり、最低限の誠意なんだよ

そのコストすらケチって権利だけ主張するとか、どんだけおめでたい頭してんの

​金で釣るのは不健全とか綺麗事抜かす前に、鏡見て現実直視しなよ

お前に金以外の魅力が1ミリでもあると思ってる?

奢る度量すら出せないチー牛が、選ぶ立場に立てるわけないじゃん

ごねればごねるほど、自分の惨めさを晒してるだけだって気づけ

​お前みたいなケチ弱者男性が喚いてる間に、入場料払える男が全部かっさらっていくんだよ

一生一人で平等を叫んでろ

2026-03-26

俺の戦争反対

俺が戦争反対なのはポートフォリオが溶けるから

ウクライナ侵攻のとき、翌朝起きたら含み益が一瞬で吹っ飛んだ。中東不安定になるたびにNASDAQが崩れる。地政学リスクが俺のNISA口座を直撃する。

人道的観点、もちろん大事だと思う。でも綺麗事だけで語れない、俺みたいなサラリーマンが一番ダメージを食らうのは、戦時マーケットクラッシュなわけ。

インデックス投資を15年続けて、老後資金を少しずつ積み上げてきて、それが砲声一発で大損する恐怖、わかる? 命より金かよって言われたら返す言葉もない。でもそれが本音

平和が一番のインフラだと思う。市場機能して、サプライチェーンが回って、エンジニアコード書いて飯食える世界。それが続いてほしい。

カッコ悪い理由でも、反対は反対。​​​​​​​​​​​​​​​​

平和を願ったイラストを描いた人が批判誹謗中傷されるの、かつて大暴れしていた左翼画家のせいなのも否めん。みんなそういうののアレルギーになってるレベルだよな。

綺麗事を描くまではいいんだけど、絵以外のところで同調強要したりすんのがまずかった。

アーティスト制作物以外で語らない方がよかったんだ、暴れすぎたんだよ色々

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