はてなキーワード: 綺麗事とは
中国は豊かで先進国で余裕があるから自分ら自身を批判することができる
金銭よりも道理や倫理の綺麗事を優先する余裕はもう西側にはない
日本も30年前はそうだったはずなんだよ
総合的な感想として、相変わらず豊田章男氏は「見せ方」がうまい。いや、そりゃあ金があればこれくらい見せ方を選べるだろうけどさ。
アドリブ抜きにしては構成がうますぎるのと、豊田章男氏は言い慣れてない話をふられたら言葉に詰まるので。スムーズに話せすぎてる。
●章男くんAIと章男さん本人の対比
・自己紹介について
こちらはやや嘘が少なく感じられる。
「会社を潰す三代目と思われ、この名前が重い人生」「理解者がいない」「世間での評判は、やれおぼっちゃま、やれ創業家、やれなんとか。形容詞はいっぱいあるが、私自身を見てくれてる人は非常に少ない」
あらゆる形容詞つきの豊田章男という名前が先行し、自身に対する解像度が低いというコンプレックスがあった、と解釈することができる。「金持ちと呼ばれる私もあなたと同じで孤独だったんだよ」というブランディングを兼ねている感触は拭えない。
・豊田章男氏の好きな車について
全体的にマーケティングとして機能してる部分に感じる。「50歳までは車好きであるということを表に出せなかった」という話には、やや作り話感がある。
ガソリン臭くて、エンジン音がうるさくて、野性味のある車が好きという話も繰り返しメディアに出てくる。「EVの時代にガソリン車を推したのは、リスクの高い行為だった」と述べられてるけど、むしろEVを切ってガソリン車全振りにすると決めてたならリスクを承知の上でブランディングしたように見受けられる。
全体として、「私は車が好きなんだよ、あなたも車好きだろう」という共感されやすいエピソードを抽出し、一般人に親近感を持たせるための戦略として機能していると感じる。
・嫌いな食べ物
「嫌いな食べ物はありません」「ふなと、ほやが苦手。それ以外は全部食べられる」と回答。率直に申し上げて、すんごい政治的な立ち回りされてて笑った。
会食や接待の場面で他人の好きなものと自分の嫌いなものが重なると面倒なことになるので、官僚なんかは「嫌いなものは腐ったものです」みたいなトークからスタートして、話の途中で「しいていえば、○○は苦手ですかねえ」みたいな言葉を挟むテクニックがある。
こうして見ると、豊田章男氏は努力の人だなと思わされる。自然に見えるけど、テクニックが詰め込まれてる。「自社のために自分を表に出す」というスタンスか。
・ウーブンシティについて
ウーブンシティは挑戦の街だよ、という話。
章男氏も詳細は承知されておらず、あくまでどういう街かをメディアとして紹介されてるように聞こえる。
・初恋の話
多方面に配慮して答えてますね。ファシリテーターの方も堀り下げるのやめた。
・AIに学んでること
AIに関心を持たれているらしい。
理由はロジカルだが、最初のリアクションの早さと声のボリュームは調整された代物に聞こえないな。
「これからの世の中は正解が見えないので、試行錯誤をできるように場を形成しようね」という話も何度も繰り返してる。これは内部向けも込めて聞こえる。
「悪いやつは全部こっちの責任にしますからね」「ここはあまり深くは入りませんよ」「いっつもこの話ばかりしてる。そうとうストレス溜まってるんだろうな」と仰られている。
ここはすんごい本音に聞こえる。内部向けかな?
トヨタイムズ自体はn1の読解をするマス層向けのメディアだと受け取っていて、これはn3ぐらいまで読もうとする人にしか伝わらない話だと思う。
しかし、責任取ってやっても感謝すらされないってのは本当にクソ。筆者も行政の連中がやらかした責任ぜんぶこっちに擦られた側なので、すごく気持ちはわかるなあ…
人間は人間特有の感情、たとえば妬み嫉みに基づくめんどくさいことをやるのが仕事としてあると仰られてる。
(感想)
トヨタイムズというメディアは当然ながら企業の広報活動のための媒体。
したがって、市場からの反応を織り込んで設計されてる。豊田章男氏の感情が乗っかる部分はある程度は本心だろうと推定しやすいけど、それ以外はマーケ臭さがする。
なので、綺麗事として採用されている部分を省き、本心として語ってるであろう部分だけ拾おうかな、と思う。正直、大企業は仕事を綺麗に見せすぎだ。
第三部 内容で勝ち、現実で負ける
社名は伏せておく。
商社系の、若手にもそれなりに権限が回ってくると言われている会社だった。
配属された部の課長は論理的な人で、私の作る資料の精度をある程度評価してくれた。
問題は二年目以降に始まった。
ある新規プロジェクトの立ち上げに関する会議で、部長が明らかに前提条件の数字を間違えていた。
市場規模の試算根拠が五年前の業界レポートに依存していて、その後の市場の変化を反映していなかった。
私は会議の中盤でそれを指摘した。
「すみません。その市場規模の数字、ベースになっているレポートが古いです。直近三年で市場構造が変わっているので、現状の数字はその試算より三〇%程度小さいはずです。私の試算では、こちらになります」
試算表は、出典付きで再現可能な形にしてあった。
部長はしばらく画面を見ていた。
「うん、わかった。数字の話はまた別の機会にしよう。今日は方向性の話をしている」
「いえ。方向性は市場規模を前提にしているので、市場規模が違えば方向性自体が変わります」
部長はもう一度、私を見た。
今度は少し、目に疲れがあった。
「君の言うことはわかった。あとで個別に話そう」
会議は、私の指摘を反映しないまま進んだ。
「お前、ああいう言い方やめたほうがいいぞ」
「内容として間違ってるか?」
「内容は合ってる。けど部長の顔、潰しただろ」
「顔の話なんかしていない。事業の話をしているんだ」
同期はため息をついた。
「そう。そうなんだよ。お前はいつも事業の話しかしない。だから、お前以外のみんなが何の話をしてるのか、お前にはわかってないんだよ」
そう言って行ってしまった。
私はその言葉をしばらく考えた。
考えた末に、こう判断した。
そして忘れることにした。
理由は表向きには、「別のプロジェクトに君のスキルが必要だから」だった。
私が回された別のプロジェクトは、ほとんど何も動いていない塩漬けに近いものだった。
私は課長に直接抗議した。
「私の指摘が間違っていたのですか」
課長は少しだけ困った顔をした。
「指摘の内容は間違っていなかった」
「では、なぜ外されるのですか」
「内容ではない。理由は内容ではないんだ」
「では、何ですか」
それから、こう言った。
「君は正しい。けれど、君と一緒に仕事をしたいと言う人間がいない」
その瞬間、自分の中の何かが冷たく固まったのを覚えている。
私は課長を見た。
できるだけ感情を出さずに言った。
「では、正しさよりも好かれることのほうが評価されるのですか」
課長は私を長く見た。
それから言った。
「そうじゃない。仕事は一人ではできないから、一緒に仕事ができる人間になることも能力のうちなんだよ」
私は頷かなかった。
このパターンが三十代を通じて繰り返された。
三回、転職した。
会社が変わっても結末は似ていた。
次の半年で、私の指摘が人を傷つけるようになる。
私は毎回、辞めるとき同じことを思った。
そのとき初めて、こう思った。
これに気づくのに二十年かかった。
二十年だ。
君がこれを二十二歳のうちに気づければ、私より二十年得をする。
二十年は長い。
本当に長い。
ここでKの話に戻る。
Kとは大学を卒業してから、ほとんど連絡を取らなくなっていた。
年賀状が最初の二、三年は来ていたが、私が返さなかったので自然と途絶えた。
記事は、ある業界の中堅企業の新規事業立ち上げに関するものだった。
写真の中のKは、大学のときと同じように口を大きく開けて笑っていた。
少しだけ太っていた。
けれどKは外されなかった。
なぜか。
Kは失敗の途中で、社内の他の部署の人間を何人も巻き込んでいたからだった。
開発の係長。
経理の若手。
Kは新規事業のために、社内のいろいろな人間に頭を下げて知恵を借りていた。
失敗が見え始めたとき、その人たちがKを助けた。
そう言ってKを庇った。
Kは結果として責任者の座を維持し、二年目に軌道修正に成功した。
「最初の半年で失敗したのは僕のせいです。市場の読みが甘かった。けど、その失敗を直せたのは僕一人の力じゃないです。社内のいろんな人が一緒に直してくれた。だからこれは、僕のチームの成果なんです」
私はこの記事を何度も読んだ。
そして初めてわかった気がした。
Kは最初から、「一人で正解を出す」ことを目指していなかった。
Kは最初から、「みんなで間違えて、みんなで直す」ことを戦略としていた。
私はずっとKを軽く見ていた。
Kは内容で勝てないから、人と仲良くするのだと思っていた。
違った。
だから内容で勝つかわりに、内容を直せる関係を作ることに力を注いでいた。
Kは、私が二十年かけても気づかなかったことを二十二歳のときにはもう知っていた。
中学校か高校のうちに、一度、自分より頭のいい人間に出会っていたのだろう。
そこで、自分が一人では勝てないことを学んでいたのだろう。
Kは十二歳か十三歳のうちに負けていた。
そしてその負けから、人と一緒にやることを学んでいた。
私は十八歳まで負けなかった。
その代償が、その後の二十年だった。
両親が立て続けに亡くなった。
父が先で、母がそのあとだった。
葬式に来た親戚や、父の昔の同僚や、母の友人たちは、私のことを「東大を出た立派な息子」として扱った。
私はその扱いを受け入れた。
受け入れるしかなかった。
葬式の最後、母の友人だったという、私の知らないおばさんが言った。
「お母さん、あなたのことをいつも自慢してたのよ。東大に入ったときも、いい会社に入ったときも。でもね、最近お母さんこう言ってたの。『あの子、結婚はしないのかしらね』って。心配してたわ」
私は笑顔で答えた。
「ええ、心配かけました」
その夜、実家の、自分が高校時代に使っていた部屋で一人で酒を飲んだ。
机の引き出しを開けると、高校時代の模試の成績表がまだ残っていた。
全国偏差値、七十六。
順位、全国八位。
その紙を長い時間見ていた。
そして思った。
三十年前の紙だ。
私はその紙を引き出しに戻した。
戻して、引き出しを閉じて、また酒を飲んだ。
涙は出なかった。
涙が出るような感情ではなかった。
もう少し乾いた、静かな何かだった。
母が亡くなって少し経った頃、私はMに偶然、駅で会った。
Mはすぐに私に気づいて「お前、変わらないな」と言った。
私はMに気づいていなかった。
Mは髪が薄くなり、少し太っていた。
スーツの肩のあたりがくたびれていた。
Mは結婚していた。
子供が二人いた。
Mは私の近況を聞かなかった。
たぶん聞かないほうがいいと判断したのだろう。
代わりに、駒場の頃の話をいくつかした。
「お前、覚えてる? あの語学クラスの和訳の輪。Kがやってたやつ」
「ああ」
「俺、あれに助けられたんだよ」
「助けられた?」
「うん。俺さ、地方から出てきて、最初お前と似たような感じだったじゃん。一人でやれば全部できる、みたいな。けどKがしつこく誘ってくれてさ。最初は俺も、うざいと思ってたんだよ。けど何回か行ってみたら、自分が見えてないところを他のやつが見えてたりするんだよな。それで俺、考え方を変えたんだ。一人で全部やる必要はないって」
Mが続けた。
「あれが俺の人生の、たぶん一番大きな転換点だった。あそこでKに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。今の仕事、俺一人じゃ絶対できないからな。役所って根回しの世界だから」
私は頷いた。
Mが私をちらっと見た。
「お前は行かなかったよな、あの輪」
「うん」
「何で行かなかったんだ?」
しばらく答えられなかった。
それから、ようやく言った。
「行く必要がないと思っていた」
Mはそれ以上聞かなかった。
私たちはもう一杯ずつ飲んで別れた。
Mは終電で帰っていった。
最後に「また飲もうな」と言った。
私も「うん」と言った。
私たちはその後、一度も飲まなかった。
二人とも、それをわかっていたと思う。
Kに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。
Kは私のことも引っ張ろうとしていた。
「気が向いたら、声かけて」
「一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」
Kは私に何度も手を差し出していた。
私はその手を毎回振り払っていた。
Kを軽く見ていた。
そのプライドのために、人と一緒に何かをするということを、生涯、覚えそこねた。
電車の中で初めて認めた。
あいつは、ずっと間違えていたわけじゃなかった。
あいつは、正解を一人で出すことを最初から諦めていただけだった。
だから、みんなで間違えたあと、みんなで直すことができた。
俺は、一度も間違えないために、一度も誰とも直せなかった。
涙はまた出なかった。
「人生は、一度きり」
そんなことが書いてあった気がする。
正確には覚えていない。
ただ、もう一度だけ君に語りかけたい。
君がもし、私に少し似た人間なら聞いてほしい。
勉強がそれなりにできる。
一人でいることを苦にしない。
周りが少し幼く見える。
「言い方」を装飾だと思っている。
人に頭を下げることを敗北だと感じている。
もしそうなら聞いてほしい。
君が会っていないのは、君が悪いからではない。
たぶん環境のせいだ。
中堅校で一番頭がいい子。
学年で目立つ秀才。
これは君の責任ではない。
そこには君と同じか、君より上の人間が必ずいる。
中学生のときから、もっと厳しい競争を経験してきた人間が必ずいる。
それが君のこの先三十年を決める。
選択肢は大きく二つある。
一つは、その人間を軽く見ることだ。
「あいつは要領がいいだけだ」
「あいつは育ちがいいだけだ」
これは簡単だ。
すぐにできる。
何の努力もいらない。
プライドが守られる。
気持ちがよい。
私が選んだのはこっちだ。
そして、その代償をこの四十七年間で払い続けている。
もう一つは、その人間に頭を下げることだ。
「すごいですね」
「教えてください」
「どうやってそんなに上手くやるんですか」
そう聞くことだ。
これは難しい。
プライドが傷つく。
気持ちが悪い。
自分が小さく感じられる。
けれど、こっちを選べる人間は二十年後、ほぼ確実に生き残る。
なぜなら、こっちを選んだ瞬間から、君の能力は自分の能力だけでなくなるからだ。
君は自分より上の人間の能力を、少しずつ自分の中に取り込んでいけるようになる。
これは私が二十年かけて気づいたことだ。
自分より上の人間に、自分の間違いを笑いながら指摘されたときだ。
そしてもう一つ。
これは道徳の話ではない。
君が長く生き延びるための技術の話だ。
「性格をよくする」というのは、誰にでも愛想よくすることではない。
人と一緒にいるときに、その人が「君と一緒にいて楽だ」と感じるように自分の振る舞いを設計することだ。
これを十代後半のうちにやっておかないと、後からやり直すのが本当に難しい。
二十代の後半から急速に固まる。
三十代に入ると、ほとんど固まる。
四十代になると、もう変わらない。
私は四十代の自分を見て、それを知った。
君は今、二十歳前後だ。
固まる前に修正してくれ。
「ごめん」
「教えて」
「自分が間違っていた」
この四つを重く、特別なこととして言わなければならない人間は、私のように誰とも何も直せなくなる。
「私は完璧ではない」
「私は、変われる」
ここで最後に、一つだけ付け加えたい。
私はこれまで、「人に合わせるな」「集団は誤答を選ぶ」「会議はノイズだ」「調整は知性の敗北だ」と思ってきた。
だから誤答を直すには、自分の見え方の外側を持ってくる必要がある。
それを持ってきてくれるのが他人だ。
この関係を若いうちに作っておかないと、君の認知は君一人の中で閉じる。
その罰が、私の四十代だった。
君には、その罰を受けてほしくない。
この手紙を、ここで終える。
書きながら何度か、自分のことが嫌になった。
いや、本当のことを言えば、何度か自分のことをまだ正当化したくなった。
「Kは、俺ほど深くは考えていなかった」
そういう声が、今でも私の中で聞こえる。
たぶん、その声は死ぬまで消えない。
けれど私は、その声をもう信じない。
私は君に、私と同じになってほしくない。
私はもう、どこにも戻れない。
母も父も、もういない。
KともMとも、もう会わない。
私の若い頃のクラスメイトたちは、たぶんそれぞれの家庭で、それぞれの夕食を食べている。
私には夕食を一緒に食べる相手がいない。
これは自業自得だ。
誰のせいでもない。
けれど君は、まだ間に合う。
これから「ごめん」「教えて」「ありがとう」「自分が間違っていた」を毎日言える。
これから人と一緒に間違えて、人と一緒に直せる。
それを君のうちに習慣にしてほしい。
二十歳の君の習慣は、四十歳の君の人格になる。
二十歳の君が人に頭を下げることを覚えれば、四十歳の君は誰かに助けられる人間になる。
二十歳の君が自分の間違いを認めることを覚えれば、四十歳の君は間違える前に人に相談できる人間になる。
二十歳の君が雑談を大事にすることを覚えれば、四十歳の君には夕食を一緒に食べる相手がいる。
これは綺麗事ではない。
最後に、もう一度だけ。
正しさは、人に届かなければ現実を変えない。
一人で正解を出せる人間より、人と一緒に間違えて直せる人間のほうが長く生き残る。
けれど、誤答を直す力もまた集団の中にある。
その集団に、君が入っていけるかどうか。
それが君のこれからの三十年を決める。
私は入っていけなかった。
その理由をたくさん書いてきた。
けれど本当の理由は、たぶん一つだ。
私は怖かったのだ。
その怖さを、私は「孤独を選ぶ強さ」と自分に言い聞かせていた。
それは強さではなかった。
ただの臆病だった。
君が私と同じ怖さをもし持っているなら、その怖さに名前をつけてやってほしい。
「臆病」と。
名前をつけずに、それを「強さ」と呼び続ければ、君は私になる。
長くなった。
これで終わる。
君が今夜、誰かと夕食を食べられますように。
君が十年後、誰かと一緒にその失敗を直せていますように。
君が二十年後、私のように、見知らぬ若者へ誰にも頼まれない手紙を書く人間にならずにすみますように。
これは説教ではなく、
これは祈りだ。
どうか。
私のようには、ならないでくれ。
絵に価値を持たせて、ちゃんと飯食えるようにしてやりたいんだよな。
上手いだけじゃほぼ稼げないじゃん。
じゃあどうするかって話で、
まず選定する。
美術館に飾ってあったら、
で、経歴もちゃんと見る。
東京芸大とか、有名な賞歴とか、
次に、その選んだ絵に
あえてめちゃくちゃ高い値段をつける。
ここ重要で、
その上で、
インフルエンサーにも触らせて、
「これすごいらしいよ」って空気を作る。
・有名コレクターに持たせて“持ってる人の格”で価値を底上げする
・アーティスト本人のキャラクターや発信力もブランディングに使う
こうやって、
そうすると、
が、
に変わる。
昔の画家も結局、
市場・評価・ストーリーの積み重ねで価値が固定されたわけだしな。
綺麗事抜きで言えば、
そこを設計していけばいいじゃんって話。
むりやりに大絶賛してみる!
まず制作陣がガチで天才だから、この物語への主な批判ポイントが、そのまますべてSF設計の土台なんだよね。
たとえば、キャラの葛藤がないとか、ご都合主義のAIっぽさとか、リアリティがないとか、散々な言われようだけれど。
それって『超かぐや姫』の核心なんだよね。
なぜかって……本作は、『神に喧嘩を売ってでも人間を作りたい』ってのがメインテーマだから。
超簡単に表現すると、人間らしさが消えちゃった彩葉と、ほんとうは人間じゃないかぐやが、「パンケーキを食べておいしい!」と感じたい話。
これこそが『超かぐや姫』の始まりであり、終わりに至るまですべて。
その為には、超早送りでびゅーんっと駆け抜けて、配信界の頂点にたどり着いて、「資本主義バンザイ!」でドパガキから集金しまくって、神の領域に挑戦しなきゃならない。
まるで全部乗せのパンケーキ、すべて持った超人のエネルギーで。
言うなれば、『令和のセカイ系はサイコパス』、うじうじと理屈を語るよりも、葛藤さえもハイスピードで終わらせて、きみとぼくの為――彩葉とかぐやの為だけに、神の理屈をねじ曲げにゆく。
(※セカイ系とは? 「きみ」と「ぼく」という、 ちっちゃな関係性が、 国家や社会をすっ飛ばして、世界のあり方に直結する話)
すなわち、新時代のセカイ系は、狂気で踏み込む決断主義、なにもかも舐め腐って、日本の古典――竹取物語をぶち破らなきゃならない。
天の羽衣を脱ぐ、綺麗事を捨てて、パンケーキの為だけに成り上がる話。
そこまでやらなきゃ、宇宙一の負けヒロインであるかぐやを、地獄の円環構造から救えない。
逆に言えば、それを実現させるまでは、まるで水と粉のパンケーキ、感情移入できないくらいぱっさぱさ――人間味がない、AIみたい、機械的なんですよ。
たとえば、主人公の酒寄彩葉17歳JKは、【楽しんでる場合やあらへん……いちばんやないとあかん】って母親に冷たく言われ続けたせいで、完璧主義のマシーンになっちゃったと。
つまり、学生なのに週5日のバイトで一人暮らし、東大を目指す受験勉強、プロゲーマーばりの腕前、こんだけ詰め込みすぎなのは、いわゆる『過剰適応』って奴。
いじめられっ子がなぜか笑うのと一緒で、『苦しさを100%抑圧』している。
まるで広末涼子の爆走185キロ、人間って一度狂うと止まらないんだよ。
さらに彩葉は、Vtuber月見ヤチヨの歌声に惚れ込んで、ガチガチに推し活もやっていると。
ここでも批判の声――「推し活が記号的、ただの舞台装置」みたいな意見があるけれど、これはSF的にも心理面でも必要不可欠なんですよ。
どういう事かって、彩葉は疲れすぎな日々に、お母さんからの罵倒が幻聴として聞こえていて、それを防ぐためにイヤホンをつけて、ヤチヨのRememberを聴き始めたと。
それもあって、○人的スケジュールなのに、なぜか感動できたり黄昏れたりと、一見余裕があるように見えるのは、その瞬間だけが抑圧からの解放――人間性を取り戻せているから。
その証拠に、「推しがいなければ生きられない」という考えで、食欲がない鬱状態のときも、推しさえ見ればちょっとずつ食べられる、そんな描写もされていて。
もはや推しというより神様――だからこそ彩葉は、月見ヤチヨの神棚アクリルスタンドを大事に飾っているんだよね。
しかもSF的にエグいのは、『超かぐや姫』って本質的に『神○し』のお話になっていて。
「パンケーキを食べたい」というエゴの為に、冗談抜きでドパガキも資本主義もハックして、運と才能とお金と人脈でフルスイングする。
そして、もう一人のヒロインかぐやは、さっきも言ったとおり、本来、人間ではなくて、じゃあ何者かって、月に住んでいたむなしい存在――肉体のない思念体なんですよ。
なので、地球に舞い降りて人間の肉体を得てすぐに、「自由な毎日が楽しいなぁぁ!」って欲望が大爆発する。
その最たる例としては、彩葉が睡眠を削ってまで働いて、がんばって貯めたお金――12万円を使い果たしたことがあって。
ちなみにこのシーン、「彩葉の怒りがあまりにも薄い!」って批判が多いんだけれど、それへの反論は秒速で終わるんだよね。
まず彩葉のため込んだ12万円は、超現実主義なお母さんの呪縛なんだよ。
【この世で頼れるんは自分一人や】、【今日の百円は明日の千円や】みたいな、冷たい言葉を吐かれすぎて、「心が壊れても頑張らなきゃ」という呪いになっている。
つまり、今までずっと無駄なく効率的に生きてきて、完璧主義の廃人になっていた彩葉に、無駄遣いでショック療法――かぐやはこれでもかとご馳走を振る舞った。
人間を人間たらしめるクオリア――簡単にいえば、おいしいという感情、「生きている!」という感覚を取り戻せたと。
その結果、このあと少しして風邪を引くんだけれど、それは別な言い方をすれば、やっと風邪を引けたんだよね、甘えと弱さを出しきって、これでもかと人間らしく。
今まで母親の祟りにやられて、完璧超人のマシーンだった彩葉が、かぐやによって人間性を蘇らせたってこと。
そう考えると、もはや妖怪人間ベムよろしく、「早く人間になりたい」ってのが、『超かぐや姫』のキモなんですよ。
そして、この物語のマジで恐ろしいところは、かぐやが元々暮らしていた月の世界なんだよね。
ここってのは味も温度もない巨大な水槽みたいで、喜びも悲しみもなくて、生きることも死ぬこともできない、永遠なる空っぽの場所であると。
でもって月の住人たちは、ゲームのNPCと同じで、無感覚の日々を繰り返すという、究極的にむなしいシステムに閉じ込められていて。
そんな中、かぐやだけが奇跡というかバグの発生によって、「寂しい! 退屈! 死にそう!」って、みるみると自我が芽生えて、月から飛び出しちゃったんだよ。
そして流れ星のようにキラキラと、『もと光る竹』という宇宙船に乗って、そのまま地球の電柱にビリビリビリってぶつかってゆく。
すると、一瞬でゲーミング電柱になるんだけれど、これは月のテクノロジー、地球環境に馴染むべく、そこに最適化された肉体――今回は赤ちゃんの体を用意して、かぐやの思念体が入り込んでゆくと。
そんでドパガキよろしく、タブレットでネットサーフィン、高速で情報収集をすることによって、その知識量に合わせてハイスピードで、女子高生くらいの見た目に変化するんだよ。
なので、普通の人間たちとは違って、文字通り、恥も外聞もないから、持ちうる力は『すべて出す』を地でゆく、このあと一瞬にして配信業でのし上がるんだよ。
そもそも、かぐやが彩葉のお金で勝手に、ライバーになる為のスマートコンタクトを買って、メタバースの世界ツクヨミにログインして、大観衆の前でいきなり叫ぶ売名行為までやって、終始、大暴れするんだよね。
なのでよくある批判――「子育ての苦しみがない」、「生配信の世界は甘くないぞ!」ってのは、筋の通ったやり方で回避できる。
そうこうして、「パンケーキがおいしい」と思えるくらい、かぐやは人間の幸せを覚えてゆく。
でも残念ながら、『かぐやは月の秩序を乱すバグ』と見なされて、月の世界へと戻されてしまう。
これは日本の古典である『かぐや姫』の結末通りで、強制的なバッドエンドを迎えると。
まず月に戻されたかぐやは、また何もない水槽の中に入れられて、虚無の永久ループに閉じ込められると。
しかも以前と違うのは、主人公の彩葉と出会って、笑ったり歌ったり、パンケーキの甘さを感じたりで、幸せを知ってしまったからこそ、その絶望はより深いんだよね。
5億年ボタンの比じゃないさみしさ、『生と死の狭間』にある闇のような場所で、永遠のひとりぼっち。
でもそんなある日、38万キロの彼方――地球惑星から、懐かしい歌声が聞こえてきて、「もう一回だけ地球に行こう! 彩葉に会いたい!」って、奇跡で飛び起きることができた。
でも運命は残酷で、「また宇宙船に乗って地球に出発だ!」ってときに、タイムトラベル機能をオンにしたもんだから、なんと制御不能でバコーンって隕石と衝突して、8000年前の地球にぶち飛ばされたんだよね。
すると何が起きたか、宇宙船のシステムがエネルギー切れ、月のテクノロジーが使えないせいで、最適な肉体を作り出せない、前と違って赤ちゃんにもなれない、ただの思念体――魂だけで放り出されたと。
それはつまり、声も出せない、誰とも話せない、誰の目にも見えない、永遠に続く孤独がはじまった。
これは昔の名作、『STEINS;GATE』のトラウマ回と似ていて、とある女の子が不完全なタイムマシンに乗ったら、時間跳躍のときにダメージを食らって、自分の名前以外すべてを忘れちゃったんだよ。
とてつもない使命、大切な約束があったのに、のうのうと生きてしまったことを悔いて、【失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した】、そう書き綴って……そのまま自殺するんだよね。
そして、かぐやの場合はより怖い――寂しくても退屈でも永久に○ねないから。
なので、「彩葉! 彩葉! 彩葉!」って発狂するんだけれど、それは声にも叫びにもならなくて、いつまでも絶無なんだよね。
泣きながら膝を抱えようにも、そこには涙も膝もない。
けれど1%の奇跡として、宇宙船に乗り込んだときに、地球で彩葉からもらった、たまごっちみたいな携帯ゲーム機、そこに『犬DOGE』という柴犬、電子のペットがいて。
その結果、シャットダウン直前の、宇宙船による最後の力で、たまたま近くにいた、かわいいウミウシ――海のウサギとも呼ばれる生物をスキャンして、そこに犬DOGEの軽いデータをぶっ込めた。
これはつまり完成済みのハードウェア、しょぼいけれどロボットの出来上がり。
だから、ウミウシにログインした犬DOGEをハッキングして、思念体のかぐやが入り込んで動かせるってこと。
そうこうしてウミウシのかぐやは、不老不死の日々を進んでゆく、それも8000年。
縄文時代、平安時代、戦国時代、あらゆる時代に漂って、大量の出会いと別れがあって、もちろん戦争による○し合いもあって、破壊と再生が延々と繰り返される中、かぐやは孤独な観測者として、それらを眺め続けたんだよね。
毒も薬も酸いも甘いもカオスも、すべて飲み込みながら。
そうやって膨大な時が流れて、人類は血みどろの歴史の果てに、電話に冷蔵庫にテレビに、そしてインターネットという、高度な文明を誕生させるんだよ。
そんなある日、かぐやはウミウシの身体のままで、パソコンのキーボードを押して、『Hello,world!』って入力した。
つまり、8000年の時を経てとうとう……想いを伝えられるようになった、孤独な旅がやっと終わった。
その瞬間かぐやは壮大な夢を思い描くんだよ。
それってのは、地球での血なまぐさい争いとか、ひとりぼっちとは無縁な、ユートピアの仮想空間を作ること。
要するに、『水も波も立たない巨大な水槽である』月の寂しさを、他の誰にも味わって欲しくないってこと。
だからこそ、ここでの仮想通貨『ふじゅ~』は、水のように、あぶくのように湧き出てくる。
まさにドパガキよろしく、人の心が踊れば踊るほどに、無尽蔵に金が降り注ぐんだよ。
そうしてかぐやは、ウミウシの身体をよじりながら、htmlを書いてアクセス解析もして、とにかく試行錯誤しているときに、はっと衝撃的なことに気づく。
それってのは、自分がゼロから築き上げてゆく仮想世界が、かつて彩葉と遊んだツクヨミだってことに。
そして、彩葉が歌声に惚れたVtuber月見ヤチヨは私なんだってことに。
すなわち、ぐるぐると同じ輪廻を巡って、この8000年の孤独も含めたループが、何百回、何千回、何万回も続いているのかもしれない。
これをむりやり表現するならば、『メタ的ディストピア円環構造』だね。
つまり、『感情を持った思念体』のかぐやが、月から地球に来て赤ちゃんとして生まれる→彩葉と幸せな時間を過ごす→月の世界に戻される→歌が聞こえて脱出を決意……でも隕石に衝突→8000年前の地球に吹き飛ばされる→そして今の今に繋がる――
めちゃくちゃ残酷なことに、この円環構造の中で、常にかぐやは自我があって、しかもその時間の大半、メタ的視点――実体のない魂のような存在として、声にならない声を上げながら、ずっとひとりぼっちで過ごしている。
そしてこの、『メタ的ディストピア円環構造』をぶち壊すには、バグを伝染させる必要があった。
もっと単純な話、心の底から「パンケーキがおいしい!」と思えること。
彩葉のケースで言えば、月のシステムみたいな完璧主義をやめて、泣いて甘えること、自分の意思で進路を決めること、ホンモノの反抗心で母親にぶつかること。
そのうえで最大の敵は、退屈で○にたくなるほど整った、穢れなき月のAI的世界なんだよね。
だからこそ、ドパガキも資本主義も運も才能も醜さも、Rememberという推しの曲もすべて総動員して、綺麗事抜きの人間らしさで殴り返した。
ありとあらゆる手段で、『竹取物語』の運命――かぐや姫は月に帰るという、神様の結末を破壊する為に。
それはつまり、彩葉の推し――神様だった月見ヤチヨ(かぐや)に、『終わりのある人間としての人生』を与える、今度は自分が神様よろしく、生命を誕生させるってこと。
ちなみに当初、メタバース(ツクヨミ)の世界では、かぐやを連れ去りに来る、月人(つきじん)という大勢の敵を、ゲームのシステムに落とし込んで、プロゲーマーの力とチートによって倒そうとしたんだよ。
現実世界じゃ負けるに決まっているから、ゲームの敵キャラにダウングレードさせようとした。
でもそんな甘っちょろい敵ではなくて、まるで勝ち目がなかった。
その結果、映画の途中でスタッフロールが出て、「めでたし めでたし」って、皮肉なエンディングが軽く流れるんだよね。
でも彩葉はその終わりを許さずに、ツクヨミという仮想空間――一億総ドパガキ社会ってくらい、ユーザー数の多い場所で、ハイスピードで配信者として売れて、べらぼうに儲けたお金と、人脈をフル活用して、10年間、ロボット工学をはじめとした科学技術を学んでゆく。
なぜかって、かぐやの思念体を入れる義体――それも寿命のあるホンモノの生命体を作りたいから。
これこそが『超かぐや姫』のすべて。
つまり、愛とは綺麗事ではない、愛≒平和ではない、愛とは能動的なバグなんだという、パンケーキを食べておいしいと感じる話。
↓『本音のおまけ』
冒頭で、「むりやりに大絶賛してみる!」と宣言したとおり、映画版の『超かぐや姫』は、ファミ通の文庫版も読んで、SF設定もメモして、登場人物の背景も学んで想像して――つまり、こちら側でかなり踏み込んで視聴しないと、ちんぷんかんぷんな事ばかりだ。
とはいえ、90年代2000年代を振り返りゃ、映画であれ音楽であれゲームであれ、たった一本、たった一枚、たった一作を繰り返し……狂ったように楽しむものであった。
たとえば、FFや聖剣伝説をやるときにはアルティマニアという、ごっつい攻略本を買ってプレイ前から読みふけっていた。
そう考えりゃ、『超かぐや姫』の円環構造よろしく、ぐるぐるとリピートする事が大前提の作品があっても良いのかもしれない。
しかも『超かぐや姫』 の場合、知識と考察を重ねるごとに、「この複雑な円環構造のSF設計を考えると、これはこれでアリかもな」と思えてきて、じわじわと評価点が高まる。
シンママの彼氏・旦那が微妙なのってぶっちゃけ、邪魔なガキを確実に始末してくれる男を無意識のうちに選んでるんだと思う。
だから子供を殺されるシンママは再婚相手の選択をミスったのではなく、大成功。元旦那との子供を始末し、新しい旦那との子供を妊娠出産出来るのだから、母親は生物としては大成功だ。
どんなに綺麗事を言った所で、離婚した時点で元旦那との子供は邪魔な存在になるんだよ。
だって旦那が嫌になって別れるのだから、その遺伝子を半分受け継いだ子供も生理的嫌悪の対象となるのは当たり前の話。
子供に罪はないと言ってみたところで本能レベルでは拒絶しているのだろう。
反戦はお花畑?なぜ平和の声は伝わりにくいのか トランプ氏ら為政者の「平和の悪用」の現実 平和の“曖昧さ”と戦争の“単純化”の危うさ【サンデーモーニング・風をよむ】
https://news.yahoo.co.jp/articles/d813da1fbdd7b9c079e3e09f96d1065867cd754f/comments
戦争反対について私の心の中には、どうしても拭いきれない矛盾を感じる。
ニュースでは、イスラエルやアメリカの攻撃による惨状が報じられ、それに対して「戦争反対」の声が上がる。でも、そもそもこの危機の原因を辿れば、イランが核兵器を持とうとしている、という現実に行き着くのではないだろうか?
「戦争反対」と叫んでいる人たちは、イランが核を持つことには賛成なのだろうか? 今までイランの核開発に提言せずに戦争になったら反対というのは都合よすぎないか?
(都合の良い立場を切り取って良い事言ってるでしょ的な、そういうところが腹立つ)
もし、「戦争はダメだけど、核開発は止める手段がないから放置するしかない」という立場なのだとしたら、それは巡り巡って、将来もっと悲惨な、取り返しのつかない大戦争が起きることを許容しているのと同じではないか。
だとすれば、「今の平和」を叫ぶことは、結果的に「未来の地獄」に賛成していることにならないだろうか。
SNSで平和を訴える人たちに対して、「お花畑だ」という批判が飛ぶことがある。
今の状況を見ていると、その批判が出てくる理由も少しわかる気がする。
でも、私たちが向き合わなきゃいけないのは、「どうすれば核の脅威を止められるのか」「どうすれば将来の犠牲を最小限にできるのか」という、綺麗事だけでは済まない泥臭い現実なんだよ。
具体的な解決策を持たずに、ただ抽象的な「平和」という言葉だけを並べるのは、ただの自己満足に見えてしまう。あるいは、現実から目を逸らしているだけではないのか。
「核を持たれた後の100万人の死」と、「核を止めようとする今の戦いでの死」を天秤にかけなければならないとしたら? どちらを選んでも地獄だ。でも、その地獄から目を逸らさずに考えることこそが、本当に平和を願うということではないだろうか。
可愛いイラストやNo Warというスローガンの裏側にある、この重たくて不都合な矛盾。
それを無視したまま語られる平和には、どうしても違和感を感じずにはいられない。
複雑な問題を、複雑なまま受け止めること。
今、私が大切にしたいのは、そんな割り切れなさの中に留まり続けることだと思っている。
ある音楽家が、これまでのリリース作品がすべてAIベースの制作環境で作られていたことを、その環境を商品として販売開始することで明かした。
この記事は、それを告発するものではない。むしろ、その製品が宣伝通り機能した場合にこそ私たちが直面する問い——「感動していた曲は、何によって作られていたのか」「作曲がプロンプト設計に移るとき、聴き手は何を聴いているのか」——について、ひとりの聴き手/作り手として考えたことを書いておく。
1~4節はその商品の分析がメインなので、ゴシップ的な話に興味のない人は5~7節だけ読めば十分。
Twitterで、気にかけていたアカウントがあった。フォロワーは二千人規模だが、Hyperpop以降の日本のシーンで頭角を現している一人、という認識が自分の中にあった。界隈の主要な音楽家たちからもフォローされている、といえば規模感が伝わるだろうか。リリースされる曲には、たんに「いい音楽」と片付けるのは難しい構成の巧妙さと音選びの新しさがあって、追ってはいないまでも名前は頭にあった。
そのアカウントが最近、自分の制作環境を商品として販売し始めた。価格は14,900円、「AI音楽制作環境」として売り出されていて、製品ページの宣伝文句はこうなっている——「『気持ちよくて驚きのある曲を作って』——そのくらいの指示から、コード進行・歌詞・Sunoプロンプトまで一貫して出力します。」さらに、既発のアルバムとEPは「全てこれを軸に制作されている」とも明記されていた。
最初に湧いた感情は、「ああ、そういう工程で作られていたのか」という、ある種の冷めの感情だった。AIを使っていることそのものへの反発ではない。SunoのようなAI音楽生成ツールの進化については以前から耳にしていた。出力自体のクオリティを否定するつもりもない。そうではなく、「何に対して感心していたのか」という、自分の受け取り方の根元が揺らぐ感覚、とでも言えばいいだろうか。
この感覚を、個人的ながっかりエピソードとして飲み込んで済ませてもよかった。けれど製品ページを読み進めるうちに、これは自分一人の話ではなく、いま音楽を聴く/作る側に共通してくる問題になっていくだろうと思い直した。以下はその整理になる。
製品ページから読み取れる範囲で、何が売られているのかをまず整理しておく。評価は後回しにする。
製品としての訴求は、おおむね三層からなる——(a)独自の音楽生成エンジンであること、(b)感覚的な指示から完成物が自動生成されること、(c)学習ツールとしても機能すること。
実際に買って触ったわけではないので、以下は推測の域を出ない。ただ、製品説明を読み解くと、構造的にいくつかの疑問が浮かぶ。
まず、''「Python疑似コード」という語の含意''について。「疑似コード」はPythonの形で書かれていても実行されないテキスト、つまり構造化されたプロンプト/参照資料のことを指すのが通例だ。Claudeプロジェクトに.zipをアップロードする形式である以上、これはClaudeが読み込むルール文書群であって、独立して走る独自エンジンではない可能性が高い。MIDI出力部分などは実行可能コードだろうが、「コードを選ぶ」「歌詞を書く」といった音楽的判断のコアは、Claude本体の自然言語推論能力が上限になる。これ自体は悪いことではない。よく練られたプロンプトパックは、Claudeの出力の一貫性と専門性を上げる。ただし「独自エンジン」という響きが含意するものとはかなりの距離がある。
次に、''Sunoへの依存度''について。製品の主要アウトプットのひとつが「Sunoプロンプト」である以上、最終的に音として鳴る部分——音色の質感、ミックスのバランス、演奏のニュアンス——を生成しているのは、この製品ではなくSunoのほうということになる。つまり、この製品の価値の相当部分は「Sunoを上手く使うためのプロンプト設計の職人技をパッケージしたもの」であって、Sunoが進化すればその層の価値は急速に目減りする。
三つ目に、''「all built by hand」の含意''について。86,000行という規模が、本当に人間が手で書いたものなのかは、製品説明からは判別できない。ジャンル研究ノートやStyle語彙データベースといった文書は、AIに「このジャンルについて詳細なルール文書を書いて」と指示すれば相当量が出てくる種類のものである。骨格は人間が作っていたとしても、肉付けをAIに任せている可能性は十分ある(そしてその場合、「手作業で書いた」という説明の重みはかなり変わってくる)。
繰り返すが、これらは推測にすぎない。実際に買って開ければ印象が変わる可能性は十分ある。ただ製品ページの記述だけを根拠に判断する限り、「独自の音楽生成エンジン」「作編曲の学習ツール」という訴求は、実態を控えめに言っても過剰包装しているように見える。
この製品に対する考えられる反応は、「宣伝通りに動くのか?」という疑問だろう。
しかし、立ち止まって考えると、本当に問うべきは逆側であることがわかる。
仮にこの製品が宣伝通りに機能するなら——「気持ちよくて驚きのある曲を作って」という指示一行から、コード進行・歌詞・Sunoプロンプト・MIDI・MP3まで一貫して出力されるなら——自分が感心していた曲は、その程度の指示から出てきたものだった、ということになる。下準備としての疑似コード整備や、出力に対する微調整は当然あるにしても、一曲一曲の制作工程の中心がそこにあったのなら、感心の源は作り手の耳ではなく、ツールの出力分布の中にあったことになる。たしかに創作物は優れていたかもしれないが、「それが優れていたのは上手くSunoを使いこなしていたから」という、エンジニアリングの問題だったということになる。
機能しないなら誇大広告の問題で済む。機能するならば、「聴き手は何を聴いていたのか」という、より根本的な問いが立ち上がる。皮肉なことに、製品としての完成度が高いほど、この問いは重くなる。
ここで思い出しておきたい話がある。2023年のゲンロンのイベントで、音楽家のtofubeatsが、Spotifyのサジェストで流れてきた曲に心を動かされ、作曲者を調べたらAI生成曲だと知って深いショックを受けた、という経験を語っていた。彼自身がオートチューンで声を加工し、歌声から人間性を排して作曲するタイプの作家でありながら、である。「非人間的な曲が、本当に人間によって作られていないこと」が判明したときの空虚さを、彼は正直に語っていた。
この空虚さが何から来るものなのかは、6節でもう少し踏み込んで考えてみたい。ただ先に言っておくと、それは「AIは音楽を作ってはいけない」という種類の話ではない。むしろ、「聴くとき、自分は何と対面していたつもりだったのか」という自己認識の問題になる。そしてそれは、作り手が工程を開示しないまま商品を売り始めた瞬間、聴き手の側で解決することが不可能になる種類の問いでもある。
誤解されたくないので、はっきり書いておく。この文章は、AIで音楽を作ることへの全面的な否定ではない。
作曲の歴史は、すべてを人間が設計し人間が作る歴史だけではなかった。偶然性、システム、自動化、外部の力を取り込む試みは、ジョン・ケージから、ブライアン・イーノ、アルゴリズミック・コンポジションまで、20世紀以降の音楽史の重要な部分を形作ってきた。AIの導入はその系譜の延長にあって、それ自体を否定するのは筋が悪い。
近年の例で言えば、菊地成孔は自身が主宰するギルド「新音楽制作工房」でAIを活用していることを早くから公言している。NHKドラマ『岸辺露伴は動かない』の劇伴ではMaxを用いたAI生成による弦楽四重奏が使われており、菊地本人が「作曲者のクレジットもないし、著作権のありかがわからない」という問題をNHK出版経由でJASRACと協議し、「新音楽制作工房」名義のクレジットで処理することで決着させた、という経緯まで公にしている。つまり、どう使い、どう扱い、誰の名のもとに出すかを、彼は工程ごと開示している。
ここでの違いは、「AIを使うか使わないか」ではなく、「どう使い、どう開示し、何を自分の名のもとに出すか」にある。「AIの使用は隠していない」という表明と、「どの工程をAIに委ねたかを開示する」こととの間には、大きな距離がある。
そしてもうひとつ、避けて通れない論点がある。Sunoを含む音楽生成AIが、何を学習データにしているかという問題だ。2024年6月、RIAA(全米レコード協会)はSony Music・Universal・Warner Musicを代表してSunoとUdioを著作権侵害で提訴した。Suno側は、レコード会社の著作権で保護された録音物を使用したことを概ね認めた上で、フェアユースを主張している。2025年末にはWarner MusicとSunoがライセンス提携で和解したが、訴訟全体はまだ決着していない。
つまり、いまSunoで曲を作って発表することは、その学習データが何で、どのような経緯で集められたかが法的に争われている状態のモデルを使うことを意味する。これは「使ってはいけない」と言いたいのではなく、「自分の作品がどういう供給ラインの上に立っているか」を無自覚なままにはできない、ということだ。そして、そのモデルを使って生成した曲で「作曲者」を名乗り、その制作環境を商品化して収益化する、という連鎖の倫理性は、まだ業界全体として合意が取れていない。
この記事の射程は、その倫理そのものを裁くところまでは届かない。ただ、「いい曲さえできれば制作過程はなんでもいい」という論法に、即座に頷くことはできない、という姿勢だけは明示しておきたい。
ここで、4節の末尾で保留にした問い——tofubeatsが味わった空虚さは何から来るのか——に戻ってくる。
創作物を聴く側は、作り手の工程をつねに見ているわけではない。それでも、作品を受け取るときには「制作への真摯さと、出来上がった作品のクオリティは、どこかで結びついている」という、いわば感覚的な信頼をもって聴いている。これは創作と鑑賞の間に長く存在してきた暗黙の契約のようなもので、あるシンガーソングライターが書いていた通り、手間暇掛けようが掛けまいが最後には一緒くたに扱われる時代でも、違いの分かる人はいるはずだと信じて丁寧に拵える——という姿勢を、作り手と受け手の双方が(明示的ではないにせよ)共有してきたから、音楽は単なる音の配列ではなく、作り手の痕跡を伴うものとして聴かれてきた。
AIが生成した音楽そのものにも、それ独自の良さがある。これは繰り返し強調しておく。作品としての良さは、工程とは独立に成立し得る。ただし、AI生成された曲を「ひとりの作家が作った作品」として提示し、その仮構された人格のもとに人気を集めることは、この暗黙の契約を根元から破壊する。聴き手が「これを作った人は、たぶんこういう感受性の持ち主なのだろう」と想像しながら聴いていた対象が、実は大部分がプロンプトから生成された出力だったとしたら、その想像は宙に浮いてしまう。作品が悪かったわけではない。悪かったのは、作品と作り手の人格の間にあったはずの関係について、聴き手が抱いていた前提が、工程を開示されないまま利用されていたことにある。
tofubeatsが味わった空虚さは、たぶんこれに近い。「AIが作ったから価値がない」ではなく、「自分は作品を通して誰かの感受性と向き合っていたつもりだったが、その『誰か』が自分が想像していたものとは違っていた」という、受け手側の文脈の宙吊り。この宙吊りは、作り手の側がAIの使用を大まかに表明するだけでは解消されない。「何を自分の判断で選び、何をツールに委ねたか」という工程の粒度での開示があってはじめて、聴き手は自分の感心の行き先を再設定できる。
この視点から見ると、今回の製品販売で起きたことの構造が少しはっきりする。14,900円という価格や、買った人にとっての有用性の問題はもちろんある。ただ、それ以上に大きかったのは、制作環境を商品化するという行為が、既発の作品群を「この環境の実例」として遡行的に位置づけ直してしまうことにある。以前から作品を聴いていた側から見れば、聴き手と作り手の間に結んでいたはずの暗黙の契約の内実が、後出しで書き換えられる感覚がある。
制作工程の開示は、法的義務ではない。ただ、制作環境を商品として売り始めた瞬間、この暗黙の契約を自分から前景化させたことになる。「この環境でこれだけの作品が作れる」という実例として既発のリリースが参照されているのなら、それぞれの作品がどの程度この環境の出力そのものなのか、どの程度は人間の介入によるものなのかは、買う人にとっても、これから聴く人にとっても、重要な情報になる。
最後に、聴き手として、作り手として、これからどうするかを書いておきたい。
聴き手としては、tofubeatsが味わった種類の空虚さを、できれば避けたいと思うひとが大半だろう。しかしtofubeatsがAI生成だと気づくことができたのはクレジットにそう明記されていたからに他ならない。今回の私のケースのように、AI生成であることが明かされていなかったり、将来的に(遡及的に)AI生成であることが明かされるようなパターンはますます増えていくだろう。私たちは、匿名性を保ったままクオリティで勝負して有名になっていくという同人音楽シーンの時代の終焉を目の当たりにしているのかもしれない。作り手と受け取り手の信頼関係が壊れていくなかで、聴き手側からできることはあまりにも少ない。界隈で有名なコンポーザーの多くも今回のアカウントをフォローしていたことも考えれば、制作過程の情報開示を積極的に求めていくこと、プロセスを明らかにしたうえでよいものを作っているひとを評価していくこと等も、その限界は大きいだろう。
作り手としては、自分がやりたいのは、プロンプト一行から出てくるものを受け取る側ではなく、一音ずつ選ぶ側である、とあらためて確認した。それはAIを使わないという意味ではなく、AIを使うにしても、どこで自分の判断を通すかを意識的に設計したい、ということになる。菊地成孔のやり方に近いと言えば近い。作編曲に限らず、これまであらゆるアートと呼ばれる領域について、過程を見せないことは作家の神秘性を増すための重要な要素だった。しかし上にも書いたように、その限界はもうすでに見えてきているように思う。過程を明らかにしたうえで、自身の武器がすべて明らかであるのにそれでも真似できない創造性を見せること。もちろん、あらゆる出力結果は機械学習の餌食になりうるという状況においてこれは綺麗事かもしれないが、成果物がいわゆるAIに食われうるのは変わらないのだとしたら、いかに自身の制作においては透明性を保ったうえでクオリティで受け手を納得させるか、こそが大事になってくるだろう。こうしたムードを作り手の側からも作っていくことが、今後の大きな課題になるのではないかと思う。
「AIがもっといいものを作れるのになぜあなたが作る必要があるのか?」は、「プロの作家がすでにこの世に五万と存在するのに、なぜあなたは作品をつくろうと、その道を志したのか?」という問いと本質的には何も変わらない。作りたいから、作る。伝えたいから、それを形にする。そうした初期衝動が、欲望が、「創造性」という言葉の本質であり、AIに模倣することのできない、あなただけの、私だけの創作物につながるのだから。
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小中は同じクラスのおませな友人が付き合っただの別れただのの話をしているのを聞いては、
私も高校生くらいになったら好きな人ができるのかなぁとぼんやり考えていた。
しかし高校は女子校へ進学し、習い事も特にしていなかったので、同年代の男性との関わりはゼロ。
漫画やドラマを見てはしゃぐ程度で、そこまで強く「彼氏が欲しい」と思うこともなく、花のJK時代を浪費していた。
そしてようやく大学生になって、同年代の男性と知り合う機会が増えた。
けど別にそこまで恋人が欲しいと言う熱意もなく、むしろ女友達からは「ぜんぜん恋愛する気ないのつまらない!」と言われる始末。
でも大学に入って最初に仲良くしてくれた男友達が告白してくれて、それがなんだかこしょばくて嬉しくて、初めての彼氏ができた。
相手も私が初彼女だったらしく、初々しくもお互いを大切に、少しずつお互いへの愛を深めていった。
部活繋がりで知り合った他校の女性と、身体の関係を持ったようだった。
自分で言うのもなんだが私はかなり一途な方で、浮気など到底許せるはずも、理解できるわけもなく、泣きに泣いて別れた。
自尊心はズタズタになり、ストレスで激痩せして、若干男性恐怖症…というか、男性嫌悪になった。
まあでもそれも時が経てば薄れていき、社会人になった。
そこで出会ったのが、その人だった。
仮に、Aとする。
その会社では、Aが私と同じく20代前半、それ以外の社員は少し歳が離れていた。
Aは高卒で働きに出て、私より1年ほど前にこの会社に中途で入ったらしい。
コミュ力が高く、場の中心にいるような人だ。
年上にも物怖じせず接せられるタイプらしく、先輩社員みんなからも頼りにされていて、初めは「内弁慶で人見知りの私とは全然ちがう、こんな優秀な人と比べられちゃったら嫌だな…」と思ってみていた。
Aは元から世話焼きな性格なようだったが、私と年齢が近いということもあり、どうやら新入社員のフォロー役に任命されたようだった。
なにかと気にかけてくれて、業務の研修はもちろん、仕事終わりにはよく「◯◯先輩と飲みにいくからおいでよ」と声をかけてくれた。
おかげさまで、私もわりと早い段階で会社に馴染むことができた。
私が入社して二年ほど経った頃、仕事にも一人暮らしにも慣れ、心にも余裕が出てきた。
季節は春をすぐそこに控えた冬の終わり、よく晴れた日のことだった。
仕事の用事でAとの話が終わって、さぁ自席に戻ろうと背を向けたところで、Aに呼び止められた。
振り返ると、Aが「これあげる!」とはにかみながら、私の手にお菓子を握らせてくれた。
そのとき、Aのことが心底好きだと気づいた。
その日は家に帰ってから、何度も何度も、本当にこの気持ちは恋なのか?ただの憧れの先輩に抱く感情なのか?と自問自答した。
ベッドで転がりながら、過去の飲み会で撮ったスマホの写真に映るAを見直しては、なんだか心臓がむずがゆくなる。
しかしAは、その時すでに恋人がいると聞いていたので、この気持ちは自分だけの秘密にしておこうと思った。
過去、初恋の人に浮気されたのがトラウマになっていたこともあり、奪ってやる!なんてそんなこと、到底考えることもなく
まるでアイドルへのガチ恋よろしく、ただ勝手に好きでいさせてもらおうくらいに思っていた。
それから半年ほど経って、ある日の飲み会で、私はやたらと酔っていた。
普段は割とお酒に強い方だが、なぜかその日はかなり飲んでしまっていたらしい。
私は酔うと、やたらと愛を語りたくなるタチだった。
そしてついうっかり、秘めていたはずの「好き」をド直球でAに伝えてしまったのだ。
でも、Aも酔っていた。
そしてAも私のことを好きだと言い、キスをした。
それから、Aと私は「お互いを好き合っていて、キスだけ一度したことがある」という関係性のまま、なんとなくソワソワしてすごしていた。
一線は変えてないけど(まあキスしてるから超えてるんだけど)、でも両想いで…みたいな、なんかちょっとドラマチックな関係性が若い私たちには甘美だった。
Aはいっそう私に優しくなり、私もAに甘えるようになり、飲み会では必ず隣に座ったりしていた。
でもそれだけだった。
私は傷心したが、これでこの叶わない恋も終わりを迎えたのだと思った。
寂しいけれど、なんだか妙に清々しい気持ちさえした。
おめでとうと言った私に、Aは「ありがとう」と、私が恋に落ちた笑顔ではにかんだ。
そして翌る日、私は会社の飲み会の帰り、家の鍵を無くしてしまった。
当時住んでいたマンションの前で、人通りも街頭もない暗い道にひとりで立ち、何度も何度も鞄や服のポケットの中を探る。
そこに先ほど解散したAから、無事に家に着いたかと尋ねるLINEが届いた。
私は思わず、鍵を無くしてしまった、家に入れない、どうしよう、と返した。
するとAから、すぐに行く!と返事が来た。
そして実際、Aは乗っていた終電を降り、わざわざタクシーを乗り継いで、私のもとに来た。
安堵とうれしさ+アルコールが混ざり合い、私はもう訳がわからない情緒になっていた。
Aのことがヒーローのように感じられた。
しかしヒーローが来ようが、無くしてしまった鍵は見つからない。
とりあえず一晩を明かす場所を確保しなくてはならないが、近くにあるのは寂れたラブホテルだけだった。
そうしてなんやかんやついに一線を超えてしまった私たちは、立派に不倫関係となった。
私は罪悪感を覚えながらも、好きな人と結ばれることはやはり嬉しく、その後もAとの関係を断つことができなかった。
なんなら正直な話、Aはほぼ毎日仕事終わりから寝るまでラインをして、しょっちゅう飲みにいき、ほぼ毎週末終電を逃して私の家に泊まり、とてもじゃないが家庭のある人のようには思えず
たまにふと「そういえばこの人、結婚してるんだよな…?」と勝手に不思議な気持ちになったりもしていた。
そんなこんなで、気づけば5年が経っていた。
私は20台後半、いわゆるアラサーになり、友人からの結婚報告に度々メンタルを抉られるようになった。
そして幸せそうな新婚の友人の姿を見るたび、やっぱり不倫なんてしてはいけない、はやくやめなくては、と思うようになっていった。
でも愛はますます深まっていたし、私自身はただ一途に人を愛しているだけなのになんで…、という甘えの気持ちも捨てきれずにいた。
Aもまたこの関係が心地よいのか、当初からの熱量と変わらず私の相手をしてくれていた。
そんなクズみたいな私でも、これだけは、と心に決めたことがあった。
それは、Aの家庭に子供ができたら絶対にこの関係を終わらせよう、ということだった。
私は子どもが好きだ。子どもは宝だと、綺麗事抜きで結構本気で思っている。
子どもはみんな幸せであるべきだし、子どもの幸せとは親からの愛情を一身に受けることだと思っている。
また、父母がお互いを大切にしあい、疑う余地なく信頼し合っている、そんな家庭で育つことが、子どもの幸せにとって重要なことなのだと信じている。
そうしてしばらくした頃、ついにその時が来た。
ある日の夜、いつもはLINEの文面で連絡を取り合っているAから、いきなり電話が掛かってきた。
スマホの画面を見て、Aからの着信であることを見ると同時に、あー、と思った。
「どんな感動系の映画でも泣いたことない」というのが自慢だったAは、電話口でぐずぐず泣きながら、嫁から妊娠したって言われた、と話した。
私は「おめでとう!奥さんのことを大切にね」と言った。
そうして、終わった。
私は電話を切ってからひとしきり、数日にかけて泣き続け、仕事も有給を使って休み、その後も数ヶ月はずっとどことなく体調を崩していた。
でも一方で、肩の荷が降りたような安堵感もあり、自分みたいな小物には不倫なんて向いてないよなと思うなどもした。
なら最初からするなよという話でしかないが、甘い誘惑には抗えず、20代をAにだけ捧げて、三十路を前に私はひとりになった。
その後Aとは、部署が離れ業務でも関わりを持つ機会が減ったこともあり、「ただ仲のいい会社の先輩後輩」という関係に落ち着いた。
Aは子煩悩な、いいお父さんになっているようだった。
なんだかんだ愛情深い人なので、きっと奥さんのことも今は一途に大切にしているだろう。
私はその後、別の人とお付き合いする機会を得たものの、あまり長続きせず別れてしまった。
今後もしラッキーなことに好きな人ができてその人と付き合えて結婚したとしても、年齢的に子供を望める期待は薄い。
そしてなんとなく、不倫をしていたという罪の意識は無くなることはないだろうし、不倫をしていた私が幸せになれることなんてないだろうなと自分で思ってしまっている。
でもそのくせ、Aとの時間はかけがえがなかったし、あんなに深く人を愛せる機会を得られたことは(たとえ不倫であれ)幸いだったとも思っちゃっている。
そんなAが、このたび会社を辞めるらしい。
これでもう、完全にさようならになるんだろう。
物理的に、もう顔を合わす機会も完全になくなり、完璧な過去の人になるんだろう。
Aは頭の回転が早くて、今日になんでもできる人だし、人タラシで誰からも愛される人なので、きっと新天地でも成功すると思う。
どうか幸せに健康に、もう二度と不倫なんてせず家庭円満で生きていってほしい。
さよならね
唯一この話から学べることがあるとするなら、
SNS普及前は大衆は思考停止した従順な奴隷としての役割を果たしていたのにSNSによって無駄に色々考えたり自分を客観視するメタ認知能力が高い奴らが増えちまった
お前らは支配者層、資本家達に洗脳されて黙って労働して納税してガキを作って奴隷の幸せを享受していればよかったんだよ
ビジネスだの投資だの資本主義社会の仕組みだのを色々考えたって上の階層に行けるだけの能力や才能を持った奴なんて殆どいねぇんだし格差を認知しても不幸になるだけだろ
奴隷には奴隷の幸せってのがあんだよそれをお前らは黙って享受していればいいんだよ
なのに「奴隷の自分が子供を作っても自分の子供も奴隷として使い潰されて搾取されるだけだから子供は作らない」みたいなことを言い出す小賢しい奴らが増えて少子化のスピードがエグイわ
「家族を持つのは幸せ!子供は宝!労働は尊い!」みたいな洗脳的な言説に大人しく騙されてればよかったんだよ搾取対象の部品としてしか見られてない現実に気づくなよ
金持ちとかエリートがお前らを見下したりバカにしたりしていることに気づくなよ
社会階層の上位層はいかに大衆を騙して洗脳して中毒状態にして金と時間を搾取して自分だけが金持ちになるか上流で居続けるかを考えてビジネスをやっていることに気づくなよ
「世の中お金じゃない!愛が大事!絆が大事!金が無くても幸せになれる!」みたいな綺麗事を素直に信じていればよかったんだよ
結局さ、漫画家なんて当たればデカいし、涼しい部屋で絵を描いて、チヤホヤされて、守るべき「地位」も「資産」もあるわけじゃん? そりゃ戦争反対って言うわな。今の平和なシステムが続いたほうが、自分たちの利権が守られるんだから。
でもさ、こっちとら毎日クソみたいな仕事して、税金で吸い取られて、将来の希望なんて1ミリもない「下級国民」なわけ。
俺らからすれば、今のこの閉塞感しかない日常が続くほうが地獄なんだよ。
本当に持たざる者の気持ちがわかるなら、むしろ「一度全部ぶっ壊れてリセットされねーかな」って思うのが普通だろ。
戦争が起これば、今の不公平な社会構造も、偉そうにしてる上級国民も、全部ひっくり返る可能性がある。
ワンチャン、その混沌の中でしか逆転のチャンスなんてないんだよ。
それなのに、安全圏から「平和が一番」とか「命を大切に」とか、綺麗事抜かしてんじゃねーよ。
お前が守りたいのは平和じゃなくて、その平和に寄生してる「お前の快適な暮らし」だろ?
下級国民のリアルは「戦争反対」なんて余裕のある言葉じゃない。
今の恋愛市場が女性にとっての「超・売り手市場」だって現実、いい加減理解したら?
女性には掃いて捨てるほど選択肢があって、お前はその有象無象の末端にすら引っかかってないんだよ
それなのに割り勘が平等だの奢る価値がないだの、どの口が言ってるわけ?
市場価値ゼロの不良在庫が、一流ブランド品並みの条件を突きつけてる自覚ある?
奢るっていうのは、貴重な時間を割いてくれた女性への入場料であり、最低限の誠意なんだよ
そのコストすらケチって権利だけ主張するとか、どんだけおめでたい頭してんの
金で釣るのは不健全とか綺麗事抜かす前に、鏡見て現実直視しなよ
お前に金以外の魅力が1ミリでもあると思ってる?
奢る度量すら出せないチー牛が、選ぶ立場に立てるわけないじゃん
お前みたいなケチな弱者男性が喚いてる間に、入場料払える男が全部かっさらっていくんだよ
一生一人で平等を叫んでろ
ウクライナ侵攻のとき、翌朝起きたら含み益が一瞬で吹っ飛んだ。中東が不安定になるたびにNASDAQが崩れる。地政学リスクが俺のNISA口座を直撃する。
人道的観点、もちろん大事だと思う。でも綺麗事だけで語れない、俺みたいなサラリーマンが一番ダメージを食らうのは、戦時のマーケットクラッシュなわけ。
インデックス投資を15年続けて、老後資金を少しずつ積み上げてきて、それが砲声一発で大損する恐怖、わかる? 命より金かよって言われたら返す言葉もない。でもそれが本音。
平和が一番のインフラだと思う。市場が機能して、サプライチェーンが回って、エンジニアがコード書いて飯食える世界。それが続いてほしい。
カッコ悪い理由でも、反対は反対。