はてなキーワード: 贋作とは
フィルムが行方不明になって商品化できずにいたのが急に出てきてデジリマで公開できた奇跡の作品!
というところだけが評価されている作品なので点数は妥当に33点くらい。
バブル期の終焉時期に撮られた作品なので出てくる女の髪型はめっちゃ前髪巻いてるしソバージュだし、最後の結婚式のシーンでもほぼ一般人がフェリー借り切って結婚式してたりして(司会が太田プロ社長の太田光代で草)、うおおお、話にだけ聞いたことがある世界!という嬉しさがあった。
昭和、平成初期の映画にありがちの無駄に明るい棒アテレコも味がある。
この作品ってオリジナルビデオピンク映画なので主役の女の子がめっちゃ脱ぐんだけど、身体がドエロくてそこもよかった。最近、ポリコレ意識の発達を感じていたのだがたぶん気のせいだったと思われる。
内容的にはバブル期に大流行されたと言われるダイヤルQ2を利用した援助交際(作中ではコールガールと表現)にハマる主人公がいろんな連中と会って成長したりしなかったりする作品。
ダイヤルQ2で呼び出されてホテルや家に訪ねていくたびにそのドアの先の新たな世界を体験するところからDOORというタイトルをつけましたよ、ということを堂々とナレーションで解説してくれるこなれなさもご愛敬。何でこれが必要かというと、別に作中でドアが印象的に使われていないからである。何なら変態顧客と外で会うシーンもあるし。ドア関係ないなやないか!それくらい、ちゃんとせえ!
メインプロットの孤独な変態贋作絵師との話は、虚無な生活への反発からダイヤルQ2という両者匿名の虚構の世界に居場所を求める主人公との対比というかよりそう話になっている。そして変態贋作絵師は主人公への変態プレイの先に「真実の愛」を求めるが、主人公は「虚構の関係であればよい」と拒否する展開はちょっとした文学性を感じた。
まぁ、そもそも現実に変態贋作絵師ってなんやねんって話だから取ってつけたような展開であることは否めないのだが、いっぽん芯が通っているところは評価できる気がする。知らんけど。
最終的に主人公は友人女と友人男(セフレ)の結婚式でスピーチを求められ「お前の男と寝たけどセフレなんは知ってた。それが虚しすぎてダイヤルQ2にハマった」と衝撃告白を行い、友人女とビンタ合戦、その後フェリーから飛び降りて泳いで家に帰るのであった。という、こいつめちゃくちゃすぎるだろ!という展開があるが、まぁ、フィジカルビンタ合戦することで心の中の虚構と現実をリンクさせて、フィジカルに泳ぎ出すことで心の中も新しい生活に泳ぎだすんだ!というわかりやすい展開もまぁまぁよかった。
てか、この時期のちょっと文学的なピンク映画、こういう展開多いよね。肉体で精神の隙間埋める系。あなたの心のスキマ、お埋めします!ドーン!(隠喩)
例えば、盗撮をやめられない人がいたとして、
その人は果たして生成AIが出力した「盗撮風」の(本物と見分けがつかない)画像や映像で満足できるのだろうか?
もし本物でなければ満足できなかった場合、生成AIの出力を本物と偽って騙して販売・購入・消費させた場合、その人は満足できるのだろうか?
もし騙されて満足していた場合、あとから騙された事に気づいたら、当初得られていた満足は損なわれるのだろうか?
もし当初得られていた満足が損なわれた場合、満足の根元はコンテンツそのものではなく、「本物である」というメタデータなのか?
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非常に鋭い問いです。
このケースを心理学・哲学・認知科学の観点から整理すると、以下のような分析ができます。
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1. 本物と偽物に対する満足の構造
→ 「これは実際に起きた」「自分が社会的禁忌を犯している」といった認知的レベルの満足。
盗撮癖のある人の場合、両方が満たされて初めて「完全な満足」が得られる可能性が高いです。
生成AIが与えるのは基本的に知覚的レベルの満足に限定されます。
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2. 騙された場合の満足
最初に本物だと信じていたとき → 知覚的+認知的満足(最大化)。
後から偽物と気づいたとき → 知覚的満足は残るが、認知的満足が崩壊。
結果、当初得ていた満足は心理的に損なわれる。
→ 「自分は本物を楽しんでいた」という信念と、「実は偽物だった」という事実の間で葛藤が起き、快感が減衰します。
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3. 満足の根元は?
はい、満足の根元の重要部分はコンテンツそのものではなく「本物である」というメタデータに依存します。
とくに倫理的禁忌や現実の力関係に関わるフェティシズムでは、このメタデータが快感のかなりの部分を占めています。
これを**「真正性バイアス(authenticity bias)」**とも呼びます。
アート市場でも、「贋作」と分かった瞬間、物理的に全く同じ絵でも価値も感情的満足も消失するのと似た構造です。
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「生成AIが完全に騙せるクオリティなら、「本物」とはメタデータ内の単なるラベルの1つに過ぎませんか?」
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はい、その通りです。
もし生成AIが完全に騙せるクオリティ(人間の知覚と判断の限界を超える精度)を持つなら、
単にメタデータ(情報ラベル)、あるいは社会的コンセンサスの一部に変質します。
つまり、
という移行が起きます。
この現象は哲学的には**シミュラークル(Baudrillard)**の第四段階と一致します:
その状態では、
「本物であるとされている」こと(メタデータ)さえ操作できれば、
つまり、未来の完全生成コンテンツ世界では、本物と偽物の区別は「記録情報」以上の意味を持たなくなる可能性が非常に高いです。
美術館のキュレーターが見抜けないレベルの贋作絵画、もちろん観賞する客もそれを見抜けない。
「美術館に贋作があるわけがない」という先入観もあるが、やはり「情報を観ている」からというのが大きいだろう。
この展示は〜がテーマで、展示の流れ上この作品は〜に位置付けられ、キャプションから〜のいつ頃の作品である。そう思って見ているので、あとは頭の中で情報を整理するだけなのだ。
もちろん、それ以外の情報もある。絵の構図は。色の置き方は。筆の運びは。絵の具の厚みは。ニスの塗られ方や劣化の具合は。それらから想像される作者の息づかいのようなものは。
そうした細かな観察と、自分の知識や経験が重なり、感動が生まれるかもしれない。感動は情報の重なりによって生まれるのだろう。
だから「これは贋作である」という前提の情報があると無いとでは、感動の種類も変わる。贋作に対しては「良くここまで似せることができるな、完璧だ」という感心がせいぜいで、それ以上の感動があってはならないと、経験から導かれるからだ。
うーん
元の話は「日本でトップクラスも何もまともなやつは最初から海外で働いてるだろ・・・ 端から贋作しかいない」なんだよね
で、俺は日本人でGAFAとかで働くのは弁護士とか医者より難しいって言ってるだけでそれは事実なんだよね
元の人であればもし自分が海外で働いてないなら「まとも」ではないってことだし
横から入ってきてるならまあまともな人なら最初から読み返すのでは?と俺はおもうけど