はてなキーワード: 幹事とは
あと三ヶ月くらい働かされる。
繁忙期が年明けから年度末まであるから、今辞められたら職場が破綻すると言われている。
私は現職は2年半働いた。技術職の専門職で新卒で入社した。年収は500万台後半をもらえている。しかし、9月に限界が来た。
社内にノウハウのない業務をほぼ単独で任されて、その成果物をパートのおばちゃんでもできると発注者に詰められたからだ。
それまでの上司のフォローはあんまりなかった。提出する資料の確認を頼んでもいい加減で、そのくせ提出間際になってちゃんとチェックし出しボロクソにいい、深夜まで修正をさせられる。
そういったことが数回あった。また他にもいろいろとイライラすることがあった。例えばインターン生がきたら、業務に全く関係のないエクセルのデータを一週間させていた。私の後輩に対しその人の直属の上司が何時間詰めてても見ていないふりし私がそのことを訴えたらパワハラアンケートに書けばいいじゃんとかいっていた。自分以外の人間が辛い目に合っているのが辛かった。
そういうことがあり、勢いで転職活動を受けたらとんとん拍子に内定が決まった。しかも現職より売り上げもよく、優秀な人が多い職場に内定をもらえた。私は吃音があり学生時代まともに喋れなかった。またADHDがあり、会話が下手でケアレスミスが多かった。しかし、仕事をしていくうちにその辺が解消されてきて、なんならコミュ力もあるし技術力も高い優秀な人間になれたと思う。パートのおばちゃんでもできると言われた業務もなんとかこなせた。部署の飲み会の幹事もなんなくこなせるようになった。ADHDもなぜか改善された。そのおかげで有名企業に楽に内定をもらえた。嫌いな上司だったが、色々教えてもらうこともあり、また雑談が面白かったので、辞めると言い出す時心苦しかった。新しい職場に行くのにワクワクしていたが、転職を言い出すことが辛かった。
そして言い出したのだが、その後が辛い。
雰囲気の悪かった職場を急に改善しようとしたり、人間性が変わったように、いままで押し付けてきた意味不明な雑用を自分でするようになったりした。
私は転職をする理由は新しい仕事をしてみたいからの一点しか言ってないのだ。大学院の時にやっていた研究に未練があり、その仕事に転向したいとしか言ってない。
私がインターン生や部下が不憫な目に遭っていることを訴えてもまともに対策しないのに。
私が訴えてないことに対して対策を取ろうとした。
きっと上司は元から自分に無理をさせていたことや職場の雰囲気が悪かったことはわかっていたんだろう。しかし何もやらなかった。そして今急になんかやり出した。それに私はすごいイライラしている。
1年
選択授業や第二外国語、サークル活動など唯一大学生らしい大学生活を送れる。ただし2年次からパンパンに詰まっている必修単位のせいで時間割は毎日比較的詰まっている。
上下関係の厳しさが1つ上の先輩から示唆される。独特な文化を前にやや選択を後悔しだす。
2年
必須単位が牙を剥く。5年次まで時間割が必修単位で詰まっているため、この先の落単は=留年を意味する。また一般教養も同じ理由でこの先ねじ込む先がないため、やはりこちらも落単すると留年。6年次に国試があり留年組は不利になるため皆必死。
基本的に午前は座学、午後は実習(授業終わりの時間は決まっておらずレポート必須)のため、実家のサポートの有無(バイトをしなくてよい等)が成績の明暗をわけるが、実家が裕福な学生が多いため基本的には問題がない。
3年
基本的に2年と同じ。この2年間が1番キツい。
秋以降は4年次の研究室配属にむけて情報が錯綜し、緊張感が走る。成績の悪い学生は前評判の悪いアカハラ研究室に叩き落とされ、地獄の3年契約を交わす羽目になる。
4年
研究室配属。アカハラ教授、疲れ切った准教、5,6年の先輩に囲まれ、実験主義を教わりつつ研究室の雑用をこなす。掃除や備品管理、果ては忘年会の幹事など。
授業は臨床科目(座学)がメインを占めるようになり獣医学生らしい日々を送る。また面倒見のよい研究室では卒論の準備を始めるところも。
学年末にオスキーという仮免試験があり、こちらも落ちたらもちろん留年(来年の病院実習に出られないため)
5年
座学がかなり減り実習メインになる。大学病院での小動物診療だけでなく学校外での公務員や大動物診療の実習もここ。1番気楽な一年間。卒論を書き始めるが、テーマによっては気楽でなくなる。
民間企業への就職(ほぼいない)を考えているごく少数の人間は就活もするが、ハンデが凄まじく一般の大企業はだいたい落ちる。
冬、1学年上の先輩がノイローゼゾンビとして一日中国試勉強している姿を見て来年の今頃は…とゾッとする。
6年
授業はほぼなくなる。民間企業以外を希望する学生は春から就活開始。よほど選ばなければ病院、公務員、その他診療系、だいたい受かるので、キャリアセンターで取り急ぎの面接対策をしてゆるく過ごす。
夏からは秋冬の卒論〆切に向けてラストスパート。卒論で落ちることはほぼないため、内定後の夏から開始した自由研究並のクオリティの卒業研究を行う者もいる。
11月-12月の卒論提出後から国試対策を開始。この時ばかりはほとんど全員が朝から晩まで勉強し、大量の語呂合わせを作りながら2月の本番での合格を目指す。
出題範囲が膨大、過去問の解答はあっても解説がない、ノウハウ化されていない等の理由によりボッチは合格できないことが多い。不思議と毎年9割前後合格するが、合格率以上の難易度が確かにそこにある。
合格できなかった場合の大学側からのアフターケアはないため、卒業後も出入りできるよう研究室の先生や後輩とは極力仲良くしておくのが無難である。
なお、東大や北大の学生以外は就活は難易度と引き換えに獣医師免許必須の内定が出ている場合が多いので、落ちたら就活もやり直しである。
なお、数年後には小動物臨床に進んだ人以外のほぼ全員が獣医になったことを後悔しだすが、待遇は小動物臨床が1番悪い。
番外編
卒業試験: 私立にはある。国試の合格見込みがないものを強制留年とする親切なのか余計なお世話なのかよくわからない制度。
例えば飲み屋で意気投合した人が「元増田と一緒に働きたい!」って言って働けるのかってことよ。
一人旅、一人散歩、一人ご飯で楽しんでいたから他人が必要なくてなぁ
何を考えて「今後のこと」なのかわかんないけど、それ主体が元増田になってるじゃん。
趣味仲間もグループも、別に元増田のために存在するわけじゃないのよ。
所属する団体を増やしておくってのは、「複数の団体に所属できるくらい、社交性と度量を身につけておいた方が良いよ」って話。
だから、マジメにグループに入ろうと思うんだったら既に所属するためのルートが出来ている団体に入って、社交性を身につけてからじゃないと厳しいと思うよ。
この辺は、いわゆるお客様気分で参加してもむしろ歓迎されるとこ。
こういうのを経たのちに、ボランティアを探して参加してみたりとか、年末に第九を歌う会に参加してみたりとか、そういう風に進むわけよ。
いきなり知らん他人と打ち解けてグループを作れるかって言ったら無理よ。
募集してるボドゲとかマダミスとかに思い切って参加するって言うのは、良いと思うよ。単純に趣味増えた方が人生楽しいから。
ただ、そっから所属する団体を探すとか、既にあるグループに参加できるかって言ったら微妙よ。
自分で幹事やってグループ運営するくらいの気概が無いなら、まあ増えないと思うよ。
だったら、最初から入会条件が明確なグループに所属して、そこで社交性を培った方が良いよ。
そういう「えー、でもめんどくさいからグループに所属するだけで良いんだけど一人の方が気楽だし」っていうのを50代とかまで引っ張ると大変だぜってのが、たぶん最近読んだ記事なんだろ。
旅先でも友達作ってたまに絵葉書交換し合うような関係性作れるんだったら別に50代になってからだって遅くは無いと思うけど。
「めんどーだな」「ちょっと恥ずかしいな」「どうしたら良いかな」みたいなのは、マンパワーを必要としているボランティア系に参加して歓迎されながら「人と話して打ち解ける」という経験を若いうちに積んでおいた方が良いと思うよ。
その結果として、会社以外に自分が参加する会やイベントがいつも2~3ある(所属する団体が複数ある)というのが健全な状態だよ。
うちはオカンが晩年になってから急に趣味を増やして色んなグループに参加して楽しそうにしているのと対照的に、オトンは碁会所みたいなとこだけ入り浸ってたから、グループへの参加って性格とか社交性の有無で大きく難易度違うと思うよ。
俺は、ボランティア団体に参加して「俺でもとりあえず手を動かせば感謝されて参加しているメリットをグループに与えられる」というあたりで自己肯定感を高めて、趣味のグループ参加が上手くいったから。
招待状は出席で返していたけど、その後に身内の不幸があって喪中と被ってしまったから電話で謝罪&喪中であることは伝えました…慶事を控えている人に具体的に伝えるのは良くないかなと思いましたが、長い付き合いの子だったので正直に伝えました。
あと、友達グループの取りまとめポジの子2人にも詳細は伝えています。現金書留はご祝儀袋に三万円入れて送りましたが、そういえば手紙などは添えるの失念してました…
ただ、取りまとめポジの子たちから二次会か三次会で流すためにビデオメッセージをお願いされて送ってるし、身内の不幸があるまではその子たちと一緒に二次会の幹事として準備も頑張ってたのにな…の気持ちですね…
余計な寄り道しなかったら8時間くらいで全クリできてたと思う
もはやこのゲームのオリジナリティよりパロディオマージュメタネタの割合がでかすぎた
あと悪乗りしすぎて内輪ネタまで出してきたのはやりすぎだと思った
開発者の名前だしたり、デバッグ会社の名前を出したり(ピー音で全部隠れてたけど
ひびき的にポールトゥウィンとかかなってかんじはした
アンダーテールやってた人ならそっちが浮かんだりすんのかな
バトルは専用ステージで決まった数の敵倒すってのを何十回もやる
あとボス戦
オープンわーるどっぽくなってるけど完全ハリボテだし、マップにあるのに入れないエリアも大杉
ハリボテなのにやたら行き止まりとか陰になって見えないとことかあってストレスたまる
ゲーム部分が手抜きすぎって感じ
あ、よかったのは敵がノックバックするとこ
テイルズが攻撃しても全然敵がひるまなくて攻撃してる感なくてつまんなかったから、
スーパーアーマーもほぼなかったし
右スティックでカメラ操作するんだけど、自動でイー幹事にやってくんないのよねえ・・・・・
だから攻撃連続でやってたらどんどん敵が画面から見えなくなったりしてすんごいストレスになる
攻撃右手で操作してんのに同時に右スティック操作を要求すんじゃないよ
デビルメイクライだとこんなことなかったんだけどすごかったんだなって
完結?といいつつラストは次回作を予感させる感じ バックトゥザフューチャーみたいな
娘のジーン?が金髪?ツインテでデフォルメでかわいかったからリアル3dモデルでみたいなあ
バッドガールがエロかわいかったけど父親ころされてからずっと引きこもってたし自分で操作もできなかったから残念だった
砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。
それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。
三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。
三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。
「あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐なものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいものに出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。
美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。
よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、
「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。
「もう宅へ帰るんですか」
女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。
「どこかへ行くんですか」
「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。
「高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」
美禰子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙っている。三四郎は高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。
この上には石があって、崖があるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。
「なんにもないです」
「そう」と疑いを残したように言った。
「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。
「あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。
「いいからいらっしゃいよ」
よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、
「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」
美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。
「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。
「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。
やがて女二人のあいだに用談が始まった。
「あなた、いらしって」と美禰子が言う。
「ええ。あなたは」とよし子が言う。
「どうしましょう」
「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」
「そうね」
なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院の看護婦のところへ、ついでだから、ちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。
よし子は、すなおに気の軽い女だから、しまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。
三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。
「あの木を知っていらしって」と言う。
「あれは椎」
女は笑い出した。
「よく覚えていらっしゃること」
「ええ」
「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
今度は三四郎が笑い出した。
「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」
二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」
「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」
「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」
「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」
「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」
「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」
「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」
「なぜですか」
「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」
三四郎はまた話頭を転じた。
「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」
「会場で?」
「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。
「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」
三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。
「知りません」
「そう」
「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」
美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。
「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」
「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」
三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。
三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。
三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。
三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、
「お兄いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、
「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。
「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。
学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。
三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、
「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。
飲み会などの幹事をして、PayPayマネーライトを受け取って困った。日常的にPayPayを使ってないから、出金したいのにできない。PayPay証券で投資信託を購入、売却して現金化した気がする。
PayPayで集金する際の注意事項をまとめた。
PayPayでの支払いは、次の条件に承諾頂ける方に限り受け付けます。
3. PayPayマネーライトの残高がある場合は、PayPayマネーで全額支払い可能なことを確認し、PayPayマネーから優先的に送る設定にする。
4. PayPayマネーライトを送金した場合は、PayPayマネーで再送する、または、銀行振込をすること。着金が確認でき次第、返金する。
流石に一番の理由は家族が危篤一歩手前で遠方に行ける状態じゃないからなんだけど。
まぁ、タイトル通りこれ幸いに欠席の連絡を入れたのは否めない。
ちなみに直近の打ち合わせには仕事で欠席したほぼ戦力外の私が消えたところで10人以上幹事いるから問題なし。
(そういえば幹事を含めた参加者が40人前後なのだけど幹事の人数って一般的に何人くらいなんだろう…)
女性の友人関係あるあるだけど、新婦とは学生時代の友人グループが一緒なだけでサシで遊んだり連絡取ったりする仲じゃないんだよな。
みんなで集まったらワイワイ楽しく過ごすし不仲ではないけど、この関係値の友人の二次会の幹事は荷が重かった…すまん…
身バレしそうなので詳細は言及しないが、友人が結婚式を挙げることが決まって以降の立ち振る舞いに疑問が生じることがあったのも大きい。
式の準備で余裕がないのだろうし、私の器が小さいとも思う。
幹事達からサプライズのお祝いコメント動画の依頼がきてるけど、ろくに二次会の準備もせず最終的に式すら欠席することになった私のお祝いコメントの需要なんて無いだろ…
ましてやサプライズ…
基本的にSNSやネットを見てニヤニヤして過ごしてるけど、争い事にはあまり近づかず、趣味が合う人の投稿とか気持ちが明るくなるものを選んで見ている。読書したりもしている。
ライブを聴きに行くのが趣味なので、同好の士と和気藹々と語ったり、みんなで集まって飲んだりすることも多い。
同年代よりも、少し年上の50代半ばやアラ還の知り合いが多いので、いろいろかわいがってもらっている。男女問わず独身の知り合いも多いし、既婚者の知り合いもその年になると子育ての手が離れているから楽しく一緒に遊んで過ごせているよ。
趣味つながりの知り合いが多いので、飲み会の誘いも多いし、飲み会の幹事を任されることもあるので、行きたい店の情報収集もよくしている。
いろいろスキルアップもしたいけど、勉強はサボってるなー。いろんな業種の知り合いがいるので話を聞くのが面白いし刺激になる。
やりたいことはたくさんあるけど、毎日が忙しくてなかなかね。
1人でライブ遠征に行くこともよくある。たいていのところは1人で行くし、各地の知り合いと落ち合って飲んだりしている。
単独行動はすっかり慣れました。
こんな私でも、10年前までは精神疾患を患って闘病していたので、知り合いや友人がほとんどいなかったけど、健康を取り戻して趣味を満喫して10年経ち、たくさんの知り合いに囲まれて楽しく過ごせているから感謝だよ。
端から見ると同じに見えるかも知れないけど、実は今までに築かれてきた「黙認できるライン」をだいぶ踏み越える行為をやっちゃってるので、詳しい人は呆れ混じりに「いわんこっちゃない」と言っているんだと思う。
ブコメはあんまりキレてるとも読めなかったけどまぁそれは感じ方。
ハイキューの話ではなくて、一般論としてこんな風に整理出来る。もちろん黙認出来るラインはそれぞれ違うのは前提として、
これはやっちゃうと確実にまずいと言うのはこんな感じ。
大手出版社だったら、作者の意向がどうであっても容認出来ないんじゃないかな。
と言うところで、今回の件は、記法では2,3,4にひっかかってる。1は分からんけどロゴの警告が出てるのでもしかしたら。5番目はアウトに見えるけど、今回警告で住んでるのは商用ビジネスと見做してなくて、過失だとして対処しているからじゃないかなー。
2番については、最近は制作委員会の中で幹事会社に一任する形で広く戦略的に黙認するケースも多いから一概には言えないけど、ハイキューのケースは映画会社とかアニメと文化が違う人たちの権利が絡んできてるから、容認したい人たちが説得しきれなかった可能性があると思う。
それから、これが重要なんだけど、創作など、クリエイティブな行為が絡まない奴は厳しく当たるケースが多いね。
一般論なので例外はいくらでもあるよ。これは概ね作者がファンアート・同人活動に友好的な場合だよ。
↑↑↑許可・黙認される↑↑↑
↓↓↓ヤバイ・怒られる↓↓↓
https://anond.hatelabo.jp/20240910133623
こっちに書いた。
この漫画のかーちゃんは悪気なく、娘が進路を考えてる様子もないと判断して、頼り無い娘の為に良かれと就職率など調べたり、やってあげている気持ちでいる。
娘がするべき選択や決断に真剣に付き合ってこなかったから、親の顔色見て決断から逃げる娘に育った訳だけど、やっと自分の進路を口にした時に、普段興味なさげな父親はさっと娘の味方について、自分は悪役的になってしまった。
本人決めてる所に悪役として就職率の良い学部をゴリ押すほどの強い気持ちもない。
大学行くのは就職の為って価値観のかーちゃん的に、文学部の就職率の悪さは懸念事項で、この教授のもとで学びたい、これについて研究したいなどの理由もなく、ふわふわした理由に見えるため、選択できた娘を認める所にいけてない。
ADHDが嘘をつけず、なんでも素直に受け取ってしまうのはなぜなんだろう。
そういう自分が意外と嫌いじゃないところもあるが、そういう性分が「発達障害由来」なのは今後詐欺などにあわないよう一考の余地があるなと思う。現に飲み会の幹事や旅行の計画づくりなんかをあれよあれよと引き受けてしまって、あとから後悔することも多い。でも無意味に、無生産に人に優しくするのをやめられない。
「人にやさしくするのが好き」というよりは「人につらくあたるのが理解できない」のでやる意味がないと感じる。
友達のことが大好きで嫌われるのは悲しいし、人生はお互い楽しいことが多いほうが幸せだろうという行動原理は「発達障害的」なんだろうか。自分にも理念があってその結論に至っているが、一見すると無邪気さしか感じられないのがよくないんだろうか。
転職後初の飲み会が、嫌悪感を覚えるほどつまんなくてびっくりした。
新卒期とコロナ禍が重なっていたのもあって、自分の飲み会経験は「バイト先」「サークル新歓」「新卒で入った会社(すぐ辞めてしばらくニートしてた)の送別会」「新卒で入った会社の同期飲み」各1回のみ。ちなみに自分は一切アルコールを受け付けない体質。
今までの飲み会は、正直参加料と料理のクオリティが見合ってないなとは思ったが、大概は楽しかった。例外としてバイト先の飲み会は、次からは行くのをやめようと決意したが、今思えば今回転職先の飲み会ほど最悪ではなかった。
転職先は、給料から事前天引き(一応強制ではない)をしてそこから飲み代を出して、年度末に余った分を「飲み会の参加不参加を加味せずに」均等に返却する、という変なスタイルだ。しかもこの天引き、実質ほぼ飲み会代でありながら、一部課の備品(洗剤等)の購入にも使うため、加入しないと「加入してないのにそこから捻出した備品を使っている」みたいな微妙な雰囲気になるというかなり悪質な仕様。
今年はなぜか入ったばかりで幹事をやらされたので行くしかないが、来年からは、例え天引きされていて行かないと金ドブになったとしても絶対行きたくないと思うほど最悪だった。先ほどバイト先の飲み会が嫌だったと書いたが、天引きされたら夕飯代が浮くと思って我慢していくぐらいの嫌さだったが、こちらは金ドブにしてでも行きたくないほど不快だった。
さすがにここまで嫌悪感を覚える飲み会があるのかとびっくりした。
今まで行ったことのある飲み会は、大体参加人数に関わらず数人くらいの話の合うメンバーで固まって話している集団が何個かある感じだった。お互いの趣味、料理、ダイエット、コスメ、恋愛、旅行とかの当たり障りのない楽しい話とかしてワイワイすることが多かった。
でも今回は、上司の仕事の愚痴や、上司の知り合いがどの部署に移動したとか、上司の上司の悪口とか、昔はこんなパワハラとかあったみたいな、そういうこの上なくどうでもいい話を全員で聞いて同調しているみたいなカス仕様だった。同年代の先輩も、口を開けば仕事がいかにつまんないかみたいな気の滅入る話ばかりだった。なんの有益な情報もないカスとしか言いようがない会だった。
別に普段仕事している上で、特別不快に思うことはない職場だったので、飲み会があそこまで不愉快なものだとは思わずとても驚いた。世の中の飲み会嫌いな気持ちがよーーーーくわかったわ。
はてなブックマーカー三巨頭のダイダラボッチさんと、ブクマカの良心であるミヤウチさんからコメントをいただきました。
望外のしあわせです。あの世に行ったら自慢しようと思います。ありがとうございました😊
(以下本文です)
----------------------------------------------------------
私は62才である。とある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。
地元、そう、本当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。
それから民間で三年ほど働いて、地元の市役所の採用試験を受けて入庁した。
いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である。時間が過ぎるのはあっという間だった。
ずっと土木建築の仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市計画に、施工監理に……少しの間だが、まちづくりの仕事もした。思い出が蘇ってくる。もっと写真を撮っておけばよかった。
本題である。定年延長により、公務員の定年退職はしばらくの間、2年に1回になっている。
私が定年になったのは61才になる年度である。民間企業は誕生月に退職になるのが一般的だが、公務員の場合は年度末まで在籍できる。
今年の3月末をもって分限退職の辞令を受け取り、退職日には労働組合の行事で退職者一同での職場巡りを行い(※有給である。有給が残ってない人は人事がわかってて見逃してくれる)、最後は市長のポケットマネーで退職者のための小宴会が催され、皆それぞれに挨拶をして――私を含めた有志は、翌年度からも再任用(あるいは再雇用)されて働き続ける――はずだった。
タイトルにあるとおり、私は再任用の対象にならなかった。再雇用もNGだった。
2023年の秋頃だったか、再任用の希望票を人事に提出した。その後、返送されてきたのは「再任用は不承認」なる文言の書かれた通知が1枚だけだった。
理由によると、総合的な事情により再任用できないらしい。同じ階にある労働組合の職場委員会を通じて確認したところ、この階の職員だけでも数名が再任用されなかったということだ。
民間企業では、「雇用と年金の接続」という観点から、年金が支給となる65才まで退職者を継続雇用する義務がある。例えば、60歳定年制を採用する企業の場合、65歳までの再雇用は法律上の義務であり、再雇用拒否は原則として違法である。
では、公務員の場合はどうかというと、こちらも原則として再任用をすべき~という旨の総務省通知が平成25年3月に出ている。
内容を要約すると……
「公的年金の報酬比例部分の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引上げられることに伴い、無収入期間が発生しないよう国家公務員の雇用と年金の接続を図るとともに、人事の新陳代謝を図り組織活力を維持しつつ職員の能力を十分活用していくため、当面、定年退職する職員が公的年金の支給開始年齢に達するまでの間、再任用を希望する職員については再任用するものとすること等を内容とする閣議決定をした」
ということだ。
【参考URL】
https://www.soumu.go.jp/main_content/000216510.pdf
http://www.rilg.or.jp/htdocs/main/houmu_qa/2015/43_winter02.html
ただし、この通知はあくまで国から地方自治体への技術的助言であり、法的効力があるわけではない。
組織からその価値がないと判断された職員だと、再任用はされないことになる。
私は、36年間ずっと、このまちで働いてきた。
そこまで目立たない中国地方の地方都市ではあるが、このまちが気に入っている。
できれば、ずっと働きたい、もっと働きたいと思っている。
労働組合に上記の再任用拒否を相談したところ、今後の団体交渉前の当局とのやり取りにおいて、本件に言及いただけるとの回答が執行部からあった。だが、望みは薄いようである。こういった当局の対応は、何年も前から続いているからだ。
市役所にとって不要な人材は、再任用(再雇用)しない。それが人事当局の方針である。
私は怒りやすい人間であり、周囲に迷惑をかけたこともある。若い頃は上司と反りが合わず、反発して死のイベントを無断欠勤したことがある。なんてことをしてしまったんだろう。あのイベントに出ていればよかった。
日常の仕事においても、市民や業者と言い争いになることがよくあった。
感情の振れ幅が大きく、職場の人に迷惑をかけた。用地買収の仕事の時にも、地権者との交渉がうまくいかなかったのは私のせいである。
査定が低かったのは間違いない。でも、私は私で、このまちが好きで市役所職員の仕事を続けていた。もうちょっと働いていたい想いがある。
仕事とは別の方面になるが、二十代の頃からずっと組合活動をしていた。
土木建築の職場委員会はずっと仕切っていたし、反核の平和の火リレー、メーデー、自治労の定期大会その他の行事などは、40代になって体にガタが出るまで前線に出ていた。
平和の火リレーの時は、市立総合体育館の前にある大きい道路をまっすぐに進んでいったっけ。本当に懐かしい。
一番、血気盛んな時期だと……国と県が合同で実施する泊まり込みの研修があった時、私が朝のラジオ体操時の国旗掲揚係になった時だった。私は、つい大声で主張したのだ。自分の平和にかける想いを。
あの時は、江田島にあった国立青少年自然の家だった。集会室での私の言葉は、十数年前の日記に確かに記録してある。
「皆さん。申し訳ありません。これは研修中の職務ではありますが、私は日本国旗を掲揚する係にはなれません。太平洋戦争を引き起こし、被差別部落問題を長年放置してきたのは日本政府です。人権侵害の象徴である、その政府が作った国旗を掲げることは、平和を愛する者として到底できないのであります!」
と、研修参加者50人以上の前ではっきり告げたのだ。これは、当時の労働組合における一般方針のひとつであった。
今では思う。広島県全体の研修の時なのだから、この時ばかりは組合の方針に反してもよかったのではないかと。
実際、研修が終わった後で人事当局に呼び出された私は、総務部長から「増田さん。悪いけど辞めてくれるか?」と言われた。国か県かはわからないが、クレームがあったらしい。
だが、やはり血気盛んだった頃の私は、組合にも相談したうえで、基本は一人っきりで人事当局と戦った。少しばかりは助けを求めたこともあったが。
最終的に、処分ではなく厳重注意に留まった。組合が助けてくれなかった場合、本当に辞めされられていた可能性がある。
私が悪いのだ。私は仕事に対して真摯に向き合ってきた。本気でやってきた。それでも成績が悪かったのは事実であり、その時期の上司の方々の温情に賜れたことに感謝している。
仕事は本気でやっていたけれども、周囲への配慮が足りなかった。令和になっても、今でいうパワハラみたいなことをしていた。
あの時、いつだったか。令和元年のことだ。
税務の子が当時、私が働いていた施工監理(兼庶務管理)の部署に来ることがあった。土地の課税評価のことで、私が依頼していた文書を届けにきたのだ。
その文書には誤りがあった。その時、私は怒鳴ってしまった。今でも反省している。後悔の念を込めて、できうる限り思い出してみる。
確か、私はこんなことを言った。
「お前、まちごうとるぞ。小字(こあざ)がなかろうが、字がっ!! なしてないんならあ、おい」
「え……どういうことですか」
「水吞町だけじゃなかろうが、さらに、その下に水~(※龍だったかもしれない)という小字の名前がなかろうが」
「すいません、つけ忘れました。打ってません」
「なんでそんな大事なもん、付けわすれるんならあ、おい」
「すいません」
「お前、法務局にこれ出してみろやあ~、恥ずかしいどお!!」
「ごめんなさい……」
恥ずかしいのは私の方である。若い子に対して、こんなに失礼なことを言ってしまった。
その次の週に同僚から聞いたのだが、その女の子はうつ病になり、職場に来ることができなくなったという。
元々、抑うつ気味で元気がなかったらしい。私が怒鳴った金曜日だけでなく、土日にあったイベントでも動員があり、その子は仕事ができず辛い思いをしたという。
ただ、私にも原因があるのは明らかである。本当に申し訳ないと思っている。
その子は、労働組合を通して聞いたところだと――翌年に単純事務労働として税務の仕事に復帰したが、なかなか調子が戻らず、結局は新卒2年目で退職したとのことだ。
仕事でヘマをしてるだけだったら、まだ再任用されたのかもしれない。
しかし、それだけではない。私が他者の信頼を損ねる行為を繰り返したからこそ、こうなったのだ。
できれば、今からでもまた市役所で働きたいよ。でも、その資格がないことも重々承知している。
たとえば今、私は市役所で働いていた頃の思い出を書いてるけれども、守秘義務に反している可能性がある。それでもいい。罪があれば償おう。これも責任の取り方というものだ。
私は罪を犯した。犯し続けた。それで再任用されなくなった。仕事人生の責任を、こんな最悪なかたちで取ることになった。
あれは今年の1月だったか。後輩と一緒に現場に出るため、廊下を歩いていると、部長級の職員が前からやってきた。
その人は、正面にいた私に向かってこう言ったのだ。
「なんや増田。お前、まだ辞めとらんかったんか。はよお、辞めろや!!」
後輩が見ている前で、こんなことを言われてしまった。恥ずかしかった。
だから、こんなことになっている。
最終勤務日のことだ。
労働組合が主催する職場巡りの会が終わり、最後に職場に帰って、デスクに座ってしばらく待ち、定時を迎えた時のことだ。
定時のチャイムが鳴って、2~3分くらい後だったか。私は、カバンを抱えてまっすぐに職場を出た。
事務所にいた同僚連中には、「じゃあの~」と軽快な口調でさよならを言った。みな、私に「お疲れ様でした」と返してくれた。
しかし、ひとつだけやっていないことがあった。最終勤務日の前日、職場の親睦会の若い幹事職員に言われたのだ。
「増田さん。最後に僕が花束を渡すので、退職スピーチをお願いします。その後記念撮影をしますから、残っておいてくださいね!」
と、しっかり伝えられ、私はOKの返事をしている。
にもかかわらず、こんなことをしてしまった。チャイムが鳴ったら逃げるように、すぐに家に帰ってしまった。
スピーチなどしたくなかった。再任用されなかったこんな私がスピーチをしても、恥ずかしいだけだと思っていた。
自分に負けたのだ。彼の思いに応えられなかった。
最後になるが、もし増田の利用者の方で思い当たるフシがある方は、どうか職場では自重してほしい。
他者の信頼を損ねる行為ばかりしていると、私のように情けない老後を過ごすことになる。この日記がひとつの警句になってくれたら望外の幸せである。
明日からは、またはてな匿名ダイアリーのイチ利用者である。また面白い日記、楽しい日記をたくさん読んでみたい。
ありがとうございました。
学がない旅行は悲しいという趣旨のXの投稿を見た。旅先で見たものに思いを馳せずにただキレイだと思うしかできないからという理由らしい。
たしかに言っていることは尤もに見える。
たとえば学がある人にとって姫路城は見た目の美しさのみならず、城が辿ってきた歴史の面でも格別である。他の城にも物語があり、それぞれが持つ物語が城を特別で代替不可能なものに変える。一方で学がない人にとっては城なんて全部一緒に見える。木造か鉄筋コンクリかなんて知らないし、関ヶ原以前に建てられた城も昭和に建てられた城もいわれなきゃ気づかないし、わざわざ調べない。学がない姫路旅行は2つの観点から悲しい。姫路城が数百年の間に経験した災難を乗り越えていま自分の目の前に建っている。この感動を抜きにして姫路城をただのランドマークとして消費してしまうのは悲しいことこのうえない。それに、都内に住んでいる人がわざわざ、1時間に1本しかない東京駅発姫路駅停車の「のぞみ号」を調べたり、日帰りで行くのは勿体ないから...とホテルを複数のサイトで比較して安くて良いホテルを探したり、といったことをしても得られる喜びは東海道本線での日帰り旅行で行く熱海城と同程度だとしたら時間とお金の無駄である。
まず第一の観点は今回無視する。絵具をチューブから直接キャンバスの上に出したような現代の抽象画について、どんなに説明を聞いても良いと思わない人がいるのと同じで、学と旅行を結びつけることに根本的に喜びを感じない人もいるからである。そのような人の存在を疑うなら修学旅行を思い出してみてほしい。団体行動の時間にはたいていの場合、歴史の授業で最近習った場所に連れていかれる。それに、ツアーガイドさんの補足説明もある。しかし、帰りの新幹線の中で学がある旅行の感動について語り合っている人はいなかっただろう。
第二の観点についてもう少し拡大して考えたい。すなわち、同じに見えるのにわざわざ遠くの有名な観光地に行くことは時間とお金の無駄だ、という着眼点で「よく分からないけどキレイな観光地」にわざわざお金と時間を余分にかけて行く人がそれなりにいるのはなぜか、ということを考察する。
グループ旅行について考えるほうが簡単なので先にグループ旅行から考える。家族や友人と行く旅行は仲を深めたいだとか、近場での遊びよりも長く一緒に過ごしたいだとか、いろいろな理由があるが、そこの違いは無視する。身も蓋もない言い方で結論をまとめると、みんなでわざわざ遠くまで行くのは共通の思い出作りだ、ということになる。しかし、これでは「なぜ熱海城ではなくて姫路城でなければダメか」の答えになっていないので旅行でよく起こるイベントを丁寧に見ながら先の論題への回答とする。
旅行に関する出来事を時系列でたどると初めには誰かが「旅行に行かないか」と言い出すことから始まる。旅行先は旅行の幹事が勝手に決めることもあれば、みんなが納得するように話し合いで決めることもある。「もしダーツで旅行先を選んだら、旅行先は決めたのではなくて勝手に決まったのではないか?」」という奇異な意見もあるかもしれないが、そのケースでも「ダーツで旅行先を決める」ということを決めている。そして、それぞれの決断にはなんらかの共通認識が必ずある。「みんな社会人になったからスケジュールをコンパクトにしよう。で、その分ちょっと予算多めにしよう」だとか、「卒業旅行だからせっかくだし海外に行こう」だとか、なんでもいいが何かしらの理由がある。そして、行きの新幹線(もちろん飛行機でもなんでも良い)に乗るタイミングでは必ずドラマが発生する。誰かが乗り遅れたらそれはずっと話のネタになる。誰も乗り遅れなかった場合、もし全員が旅慣れしてれば「みんなの深い知識と経験のおかげで誰も遅れることがなかった。」と言えるし、旅慣れていない人がいれば「旅に慣れてないのに複雑な東京駅で迷子にならなかったのは奇跡だ。旅行が楽しみだからみんな早めに家を出たのかもね。」とかなんらかの会話が生まれる。そして、目的地に着いたときに旅行に関する過去の出来事がある特定の景色やランドマークと結びつく。「新幹線に乗り遅れて一時はどうなるかと思ったけど、全員で一緒にこれが見れて良かったね。」とか、「幹事やっぱセンス良いわ~」とかといった具合だ。この瞬間に、「他の城との違いはわからないけど有名らしい姫路城」は「みんなで行った姫路城」になる。冒頭で言及したXの投稿では学がないと何を見ても同じようにキレイとしか思えないとされていたが、自分はエモいという言葉で表現することを提言したい。エモいという言葉はキレイという言葉よりも、汎用的でなんにでも使える。その言葉の広さがもつ暴力性から、攻撃の的とされている言葉だが、この広範さが旅行では逆に良い。旅行に行っていない人に「エモかった」と言っても旅先で見聞きした素晴らしいものは1mmも伝わらないが、むしろそのほうが旅行の当事者だけにしかわからない秘密の合言葉のような効力をもつ。誰かといった旅行で、ここぞというタイミングで「エモいね」と言ってみてほしい。言われたほうは初めは意味がわからなくて首を傾げるかもしれないが、意図がわかれば「そうだね、エモいね。」と返してくれるだろう。もちろんどれだけ待っても意図が理解されない可能性もあるのでタイミングと使う相手には注意していただきたい。「学がある旅行」は旅行の中にぽつりぽつりと学と実物が交差する点があって、そこに感動を覚えるといったニュアンスであると自分は解釈したが、タイトルで先に出していた「エモい旅行」のエモい、は形容詞であるため、旅行の全体にかかる。
学がある旅行以外での一人旅行も実はほぼ同じである。何かしらの理由があって旅行先を決めるし、旅行先に行くまでに何かしらのドラマがある。ひとつだけ違うと感じるのは、一人旅では共通の思い出を作る相手がいない代わり、その時の感情の一部をスナップショットのように観光地に釘付けして保存しておける点だ。たとえば、自分は大学受験の直前にモチベーションを完全に失って、いつも通学に使っている電車の先の海が近い駅に行った。あの海を見ると受験のプレッシャーから一周回って解放されて、燃え尽きるまで頑張った自分を全肯定した清々しさを今でも思い出す。あの頃にはエモいという単語すらなかったが、思い返すとあれもやはりエモい旅行だった。
しかも今年は同じ学年の担当で、何なら4月から斜め前の席でいる。
近いと色々見えてきて、まぁなんでこんなやつと付き合っちゃったんだろうなって感じ。
去年の私は先生になったばっかりで何もわからなかったし、別の学年で絡みもなかったから騙されたけどまじであいつは変なやつすぎる。
そもそも激務の教員で、絡みがないのに新人にやけに話しかけてくる暇そうなやつは、よっぽどの世話好きのフレンドリー野郎か、仕事しない上に他に相手をしてくれる人もいない可哀想な人だわ。完全に後者。
若いってだけでもてはやされたり、いじられたらするのに、元カレに関しては誰も何もないし、何ならみんな目を逸らして苦笑いするあたり察したわ。
教育実習生に話しかけに行ってそのまま数時間居座って会議サボったり、職員室でスプレーして香水の匂い撒き散らしたり、勤務中に普通に居眠りするし、朝の打ち合わせ始まってから出勤して、校長が話してる中ご飯食べるし、まずクラスも学校の仕事やらんし、えっ何のことやってるの?授業だけ??年齢も経験も下のやつが何人もこんなに働いてるのに???まず授業もこだわり強いくせによくミスるよね。確認してるの????
てか普通に間違えたり、悪いことしたら謝れよ。なんですぐ言い訳するの?意味がわからないんだけど。
若手が動けとは言われるのまじ私だって嫌だけど、お前は動かなさ過ぎだよ。なんで暇なお前がやらなくて忙しい学年主任とか他の先生が雑務とか、誰でもできる生徒に呼びかける仕事してるわけ??職員室で呑気に音楽聴いてるんじゃねえよ。
テストのための教室整備ぐらいやりなよ、クソ汚いのを何で隣のクラスの先生が掃除してるの?まず生徒指導もなんでやらないの?生徒に嫌われるのが怖いわけ??指導担当の先生の前ではいい顔するくせに、いなくなった途端に人に押し付けてきて普通に普通に引いたんだけど。
気まずいから必要最低限喋らないし、何なら喋りたくない。話したところで話つまらないし。
まじ久しぶりにLINEきて付き合ってた黒歴史実感したわ。しかもLINEの内容お前のミスったやつの尻拭いの依頼かよ。まずミスったなら謝れ、そしてちゃんとお願いしろ。さも当然のように頼んでくるな。そして私のやった仕事、ミスをバレるのが嫌だったからかわからんけど勝手に消すな。
あー別れてよかったし、付き合ってる時も変なやつだなと思ってたけどまじで恥ずかしい。何も尊敬できない。
生徒に普通に今までの恋愛歴を報告してることとか、付き合ってすぐ匂わせしたことも、何なら別れた報告もして、次の狙ってる彼女候補(3人)について話してたことも、全部生徒から聞いたよ?ほんとにやめたほうがいいよ。
あと職場の飲み会で消えたと思ったら知らない女に声かけてるのやめろ。まじ病気だぞ。あと会費払ってないだろ。私を含めた幹事が負担したぞ。
あーーーー思い出すと色々でてくる。職場での秘密の恋()だったせいで全然話せないけど、まじで無理すぎる。最近は強めのエンターキー押す音さえイライラする。エンターキーがかわいそう。
とりあえず去年の今頃の私に言いたい。同じ学校のやつで、評判悪いやつと付き合うな。LINE交換するな。
早くブロックしたい。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080152
https://web.archive.org/web/20170710054752/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201206
2012.06.29 Friday15:14
2がある前提で、その1。
皆さんとっても忙しい人ばかり。
しばらく会ってない方も来てくれて、ちょっと同窓会気分でした。
作家さんの半数は先輩方で。
初めてベツコミの(小学館の)謝恩会でお会いした時、緊張してドキドキしながら
すっかりグダグダでスミマセン。
笑いっぱなしで楽しかった♪お祝い事は良いですね!
祭りはまだまだ続くよ~
マメじゃないのに、今回幹事っぽい事をやってみた私へのご褒美に、
アシスタントさんがお菓子をくれました。渋谷だ(笑)かわいい♡
会計時、お店の方が気を利かせて先回りして領収書を用意して下さったのですが、、
宛名に「株式会社 講談社様」って書かれてあって、皆でウケました。
ケーキのプレートに「講談社漫画賞」って描いてもらったもんね!
そりゃそうだよね!そう思うよね!
さすがに、受け取らずにおきましたよ~(笑)
1
日記---
お肉を焼くのが上手い!と噂の方と?焼肉に行きましたよ~。
焼肉、1年ぶり。
そんでもって、まずはレバ刺し。
次に食べられる日はいつなんだろう??
好きな食べ物は?と聞かれて、「スウィーツと生肉とお寿司です♪」と、
答えてしまいがちな自分に、若干鼻につく自意識を感じつつ、帰宅。
どれもほんとに大好きなんだけど。
何が言いたいかって言うと、考え過ぎ!って事です。
近くのお店だから、また行きたいな。
1
日記---
私徹夜しないんですけど(眠いから。)、万一追い込まれた時用に。
「眠い眠い」言ってる忙しそうな人に、半分分けてあげようかな。
どうもありがとう♪
端的に言うと、またテレビが壊れたんですけど、
2011.11.25 の事件再びなんですけど、(その日の日記参照)
イマイチ謎が多くてですねえ。。?
話せば長くなるので、詳細はまた今度。
(続くのか。)
たぶん、前よかマシ。
1
日記---
2012.06.14 Thursday23:50
ペロッと聞かせて貰えたりもして、なかなか興味深かったんですね。
結構個人的な事をペラペラ喋って良し!な気分になる自分に、ちょっと驚きました。
占い師って、個人情報&暴露ネタ使って、ユスリタカリ出来そうだよなあ。。??
(性悪アピール)
みたいな。不倫とか社内の際どいトラブルとか、喋っちゃう女子多そう。
脆い所を突かれに行くようなもんだし。
ハマっちゃっても仕方が無い様な。
ちなみに、占って貰った未来は、ピシャッと当たった事もあったし
「アマゾネスのボスになり損ねた女」と「中世ヨーロッパのマッドサイエンティスト」!
お待ちくださいませ~。
資料本などなど。
1
お仕事---
恐ろしい程のスピードで。
よ、予想以上ですね。驚愕です。
2週間前の動画が、すでに懐かしい。
それはそれで可愛らしいです。
•waybackmachineにある最古のページは2011年6月だったけどそれにはブログ開始の挨拶とかなかったから、実際はもっとあったのかもしれない
↑写真とかも載ってるから興味ある人はちゃんとこっちから読んだ方ががいいです。
或いはこの増田のツリーよりはarchiveの方がPC版とサイズ同じなので読みやすいかもです https://archive.md/or39k
・「ダラス・バイヤーズクラブ」
・「オンリーゴッド」
・姉から鍋つかみをもらった
・顔出し
・「タイピスト」
・集英社で初連載
・競馬
・「月刊フラワーズ」メッセージイラスト(水城せとな先生の20周年)
・中山優馬くんの「Missing Piece」
・MATCHBOX TWENTY 「NORTH」
・稲刈り
・関西弁
・「鈴木先生」
・「桐島、部活やめるってよ」
・ドラマ迷った
・パソコン壊れかけた
・「殺す理由」
・講談社漫画賞授賞式祝賀会(水城せとな先生の失恋ショコラティエ)、迷って日比谷シャンテ周辺をグルグルグル。
・テレビが壊れた
・占い
・最近ライアン・ゴズリングが好き
・「ドライヴ」と「スーパー・チューズデー」
・「ブルーバレンタイン」
・猫が来た
・テニス
・貧血
・「ガタカ」
・「ヘルタースケルター」
・「僕らがいた」
・「第9地区」
・母のロールキャベツ
・「カーネーション」「ジョゼ」「ヒミコ」「コケッコー」渡辺あやさん
・野獣風呂
・iPad買った
・箱根神社
・謝恩会
・テレビ壊した
・芝刈り
・「ガキのためいき」
・「見かけの二重星」。
・犬の箸置き
・ルンバ壊れた
・「天然コケッコー」
・カラスに襲われた
・パンの話が描きたい