はてなキーワード: 鉄砲とは
今回のシャーム解放機構による宗教や民族や外国に依存しない政権打倒はそれこそ韓国のデモなんかよりもよっぽどすごいことで、ロシアとイランとヒズボラの弱体化が生んだ奇跡
イスラム過激派でアメリカからテロ組織指定されてるアルカイーダの関連団体だろ。
前はIS憎しでぶっ叩いてたが、ウクライナ奪われてムカついたから親露アサド憎しになってイスラエル経由で陰で支援したのが明白。
フセイン憎しでアルカイーダやタリバンを支援してた時と同じだよ。
ウクライナ侵攻をウクライナの領土割譲で手打ちにする代わりに、親露シリアはウクライナの属国化容認。
「ネトウヨはすぐに他国の軍事弾圧を肯定するくせに、なぜ天安門とか六四天安門とかbioに書くのか」という話をしばしば見かける。何か妙な勘違いなのだが、ネトウヨの連中は「敵国に迷惑がかかる行為を称揚し、自国に迷惑がかかる(と思い込んでいる)行為を批難する」という点において一貫しているだけであり、何も矛盾はない。中国の現体制に対して何かしら迷惑やダメージがある現象なら何でもいいのであり、つまり軍事弾圧の是非や民主主義イデオロギーは最初から問題としていない。要は一昔前の、自由と民主主義の国アメリカがその辺の独裁国家を支援していたのと同じである(ピノチェトとかフセインとか)(パフラヴィー朝なんかは話がちょうど良い具合にややこしくなると思う)。
軍隊による民衆弾圧に親和的なのもある意味当たり前の話で、むしろ「軍人は何のために銃を握るのか」という議題に対し、少なくとも日本人の歴史観においては「国民を守るために銃を握ることはありえない。それは異常である。国体または軍隊自身を守るために銃を握るのが一般的であり、その目的達成のために国民に各種の危害を加えるのは比較的当然のことである」という認識のはずだ。そもそもそれこそが日本国憲法第九条の前提そのものではあるまいか。恐らく「普通の日本人」とやらにとって、軍隊が自国民を守るために存在し行動する、という「印象(コンセンサスと言い換えてもよいだろうか)」そのものが存在しないはずだ。それは案外、「普通の」どころか左右両翼の共通認識ではないだろうか。
確かに、明治以降の旧軍は侵略戦争か、なんとなくその場のノリでその辺の戦争に参戦するか、いずれかの経験ばかりだったわけで、直接的に国民を守るための軍事行動というのは教科書に載るレベルでは存在しない(占領地に住んでる人を守るというのも、そりゃまず占領してんだし……という話が先に来る。まあスタコラサッサと逃げた関東軍は流石にちょっと凄い気はするが)。当然、ここで元寇や災害救助の話をしても仕方ない。それは過去の話ではないのか、現代にあってミャンマーやシリアと同レベルで恥ずかしくないのか、ではない。軍隊とは本質的に恥ずかしくて危険なもの、できればこの世に存在しない方がいいものなのだ。繰り返すが9条はそういう話のはずで、ここに論理の飛躍は一切ない。
話をあえて脱線させるが、日本人は恐らく「尊敬に値する軍隊」を近現代において認知したことがなく(自衛隊は日々努力し結果も出しているものと思うが、まあ個人単位で時々変なの沸いてはいるしなとも)、また「軍隊に対する正しい尊敬の仕方」も習得していない。これらは良い手本となる先達国があるのか、またそこから学ぶだけでどうにかなるものなのか、は良く分からないが、これからでも議論はあっても良いと思う。国民に銃を向けない軍隊や近似組織は当たり前ではなく、どうにかして作り続けなければいけないものではなかろうか。「デモ中に鉄砲を掴んだら危ないぞ」ぐらいは正直それはそう程度の反射的感想でもありえるところで、大事なのはわざわざそこを起点にしてまで危険な発言をすること等を阻止することであろう。
また別の方向に脱線させれば、日本人はまた「イデオロギーの基に生きて、時々うっかりイデオロギーのために死ぬ」という生活を想像できないのではないか。国益になるなら自他のイデオロギーを問わない、というのはネトウヨの根底の(ごく一部ではあろうが)どこかにあるし、本来それ自体はあまり頭ごなしに否定するものでもない気がする。
逆に言えば、日本国民はネトウヨの「9条のせいで日本が駄目になる」という妄言を、妄言ではなく実際に真剣に実現する義務を怠っている。9条を守って国体の崩壊や日本国民の財産、生命が著しく損害を受ける事態になれば、それは国際社会において極めて重宝される歴史や教訓となるはずであり、「お国のために死ぬ」より数十段もマシな「お世界のために死ぬ」が実現するにはする。これは割と皮肉や冗談ではなくて、一国の利益がために他国を侵略するという不正義の対極である以上、国際社会はそこに何らかの価値と教訓を見出し称揚する責務が存在するはずだ(責をさぼる可能性は大分あるが)。国際社会への貢献とはそのようなものであり、できないのであれば素直に「すみません終戦時点ではアジア諸国をマジで見下していて方々に攻め入るだけの国力を持つに至るとは思っていませんでした。完全に大東亜共栄圏脳のまんまでした。これからは行きすぎない程度の暴力装置で自由と民主主義のために集団的自衛権とかPKFとかぐらいはします」と謝罪したうえで改憲議論でもしたほうがよろしい。
話をタイトルに戻せば、価値観を共有できない国とどう向き合うのか、というより「友好的に向き合ってはいけない」という、普通は世界各国と仲良くするのは良いことでは……?という直感に反するイデオロギー準拠の行動指針にどう向き合えばいいのか、(すぐ撃てばいいという話では断じてないことこそをも含め)考えなければいけない訳である。もちろん「考えなければいけない」などというみっともない文末はよろしくないのだが、これはもう完全にしようがない。
先日、全部見終わったのでレビューを書いてみようかなと。
ゲームをプレイしたこともあるため、なるべく比較にならないようにしたつもりですが、ばっちり引きずられてます。
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前提として「龍が如く:アナザー」としてパラレルワールド的に話が構成されています。
設定についても流用された点が多く、ゲームファンからすると視聴前に期待が高まるのもうなずけます。
<ゲームと同じ設定>
・澤村由美も孤児院で過ごした仲間
・錦山には妹がいる
・桐生は"親殺し"をしたことで刑務所に入り、出所から物語がスタートする
・100億の行方を追うことになる
ただ、それらをつなぐパーツが少しずつ異なっているため、
ゲームファンからすると設定を"勘違い"させられる箇所が多数出てきます。
<異なっている設定>
・桐生は"龍の男"(地下格闘技のファイター)にあこがれており、
・桐生、錦山、由美、ミホ(錦の妹)は親しい兄弟姉妹のような関係で、悪友のような関係でもある
・若い時が1995年、出所後が2005年の設定であり、年代だけでなく桐生・錦山らの若者像も異なる
・その他、ゲームと同じ名前の人物が出てくるが、性格や設定が基本的に大きく異なる
ゲームそのままではないオリジナル要素の取入れについて、自分は抵抗はないですが、
元を知っているゆえに要所要所で勘違いをとがめられるような感覚がめんどくさくはあります。
▼わかりやすさ
ただ個人的には別展開として楽しんでいけるタイプなので、ここまでは許容範囲内です。
受け入れがたいのは大きく異なっている設定・背景の説明があっさりしすぎていること。
例えば子供のころに見た龍の男にあこがれる設定も、いつ、どういうきっかけで見たのか?
それがなぜ少年桐生ちゃんのハートをつかんだのかよくわからないのです。
その上でとある事件をきっかけに桐生は自分を堂島組に売り込むのですが、
計画的に売り込んだのか、それとも仲間を守るために売り込んだことにしたのかがイマイチわかりにくかったです。
(桐生自身が予想をしていなかった展開として進んでいるため、守るため…のように見えるのですが
憧れも口にするのでどっちやねん!となってました)
こういう重要な要素はゲームという別の設定に親しんだ人がたくさんいるからこそ、
丁寧に、わかりやすく、「ここが違うんですよ!」と示すべきだと思うのですが、どうもその辺が弱い。
それゆえに話が進んでいくごとに「あれ?どうだったっけ?」みたいなことがちょいちょい自分の中で発生してしまい、
ノイズと言えばもう一つ。
背景がゲームと異なることを説明する目的もあると思うのですが、映画は1995年と2005年を行き来する形で進みます。
過去がこんな風に違うから、現在のかれらもこんな風に違うんだよ~と説明する意味では
が!!
行き来が多い上に時代の違いをわかりやすく示すものが少ないため、
今はどっちの時代の話なのかわからなくなることが度々ありました。
画面としても片方が明るいとか、過去編はノイズを少し入れてるとか、
そういうわかりやすさがあってよかったのかなと。
で、最終的な解決に至るまでに、体感で過去:現在=7:3くらいの比率だったので、
よくよく考えたら重要であるはずの現在のエピソードが大したことないんじゃないか?って気がしてくるんです。
丁寧な説明が大事と書いておいてアレですが、流石に比率が寄りすぎててイマイチ。
「この話はどうなるんだろう?」ではなく
「どうだったんだろう?」という答え合わせばかりで進んでしまうため、
▼なんとなくの点数
ストーリー:50点
構成:40点
→もう少しやりようはあったと思う
演出:40点
→こっちも工夫できたんじゃないかなと
エンタメ:60点
→わりとワクワクして、次々見ちゃった
印象:70点
→ちょっとVシネっぽい雰囲気を感じたけど、まぁアリかな。よせすぎるとアウトレイジに勝てないし
出演者:65点
→線の細さは気になるけど、個人的には及第点。でも対戦相手がガチのムキムキすぎるので比較してしまうんだよな…
映像:50点
→まぁ普通かな
総合:55点
→あんまり高くない気がするけど、見れないほどじゃない。暇つぶしとしては十分。
こんな感じでした。
以下、にネタバレ分を含む内容も書きますので、視聴済みの方はどうぞ。
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狂犬だし、強いし、怖いし。十分すぎるくらいにゲームを再現していたかなと。
再現してるからこそ、なんであんなちょっとだけしか使わないのかが気になってしまうんです。
狂犬と呼ばれる武闘派で、東城会の会長も頼りにするような強い男なのに、
使われ方が完全ににぎやかしのソレ。
バトルジャンキーなら地下格闘技で対戦しかけたり、強さをアピールする描写が欲しかったし、
秘密兵器なら頼りになったり、狂気的な描写があってもよかった。
固有名詞で呼び出された上に乱闘でめちゃくちゃ活躍したのに、特に盛り上がることはなく、
何かわからんけど若桐生ちゃんとケンカしたことを覚えてて、空気を読めない軽い鉄砲玉…。
▼死の描写の不足
冴島大河とかアリスとか、重要な人物がめちゃくちゃあっさり死んでいくのがとても納得いかない。
尺の問題とか重要じゃないからとかわかるんだけど、だったらモブのままにしておくとか、アリスとエドガーは一緒にしてしまうとか、
やりようはあったんじゃないかなと…。
グロい描写を増やす必要はないけど、あっさりと死んだことにされすぎて、
あの人は何だったんだ???となってしまうのがとてももったいないと感じました。
▼錦山が重たい
ラストで桐生ちゃんがお姫様抱っこする錦山。なんでその運び方にしてしまったんだろうか…。
いや、もう、竹内涼真も重たくってプルプルしてるし、その運び方に意味があると思えないし…。
あと錦山が死んだのか、死んでないのかもはっきりしないままに終わるのはどうかと思います。
他にもいろいろあったけど、終わらないのでこの辺で。
イーロン・マスクがTwitter買ってXにして、ロクでもない改悪ばっか重ねて。
「なんでこいつロケットも車も作れるのにSNS運営はヘタクソなんだ」って思ってたけど、
最終的に、Xの存在が米国の大統領選挙においてトランプ勝利に大きな役割を果たした。
アメリカのメディア、どこ向いても民主党べったりで、そういうニュースばっか見てる左派は
鳩が豆鉄砲食らったような顔で「ハリスの敗北は予想外だった」とか嘆いてるわけで。
従来のメディアに頼らない言論空間を確保する、というのがイーロン・マスクの戦略だったとすれば、
それが本当にぴったりハマったことになる。
陸上自衛隊では射撃音を口で表現をする訓練があります。小銃の射撃姿勢を取って、引き金を引いて「バン」と言います。擬音は自由なので「ズドン」「ドカン」などなんでもOKです。ただ「ピキューン」というと「誰だ!ビームライフル撃ってる奴は!」と怒られます。実弾の音のみOKです。
さてと、「闇バイトか判定する方法」なんてもんを書きたいのだけど、あいにく「コレコレで闇バイトか判定できる!」なんてテストは存在しない。というか、巧妙な連中が「〇〇で簡単に鉄砲玉をゲット!しかも、これなら『闇バイト判定法』も通過できる!」なんて考慮しないわけじゃないじゃん。だから、はっきりいえば「ブラックバイトに関わらない方法」なんて存在しない。それに、なんか「フツーの会社員な俺が、指定されて行ったのが闇バイトだった件」って可能性もあるわけで、それだったらもっと逃げにくいよ!(と経験者は語りたいのだ!)
じゃぁ、どうすりゃ良いの? ... ってなるわけですが、こればかりは便利なツールはないので、
という観点から、自分の過去を振り返って「もう罪をおかしたけど、それでも娑婆にいれるような方法」を自分の恥をここで書いて、若い人が避けれるようにしたい。
全力で走って逃げ込め。光のあるほうへ突っ込め。人のいる方向に逃げ込め。コンビニや警察署、はたまた火災報知器のスイッチを鳴らす、警備会社のステッカーの貼ってあるところに突っ込む、とか防犯カメラのあるところにいく、... という妄想をした。というか、はっきりいえばここまでのことはわからん。ただ、ここで逃げないと、時間が経過すればするほど最悪に至ることは自覚すること。言い方は悪いけど「ポリスマンが公的にヤバイことして罪人になってからのこと身内と刑務所での生活」「指定暴力団〇〇組のメンバーが鉄砲玉になって収監されている最中に組みが蒸発してしまったときの処遇」よりは絶対に良いと思うぜ?
レプリコンワクチンを開発したアメリカの会社が、「何年もデータを集め、長期的な効果や安全性を文献で発表したい」と、日本で認可された後に今更ほざいている。
医者や科学者たちからなる、真っ当な日本看護倫理学会による警告によると、このワクチンは、凄まじく危険であるだけでなく、シェディング=感染力まである可能性があり、だとすると、注射でサリンをばら撒いているようなものだ。
もはや、「打った奴だけの自己責任」では済まされないのである。
明治製薬は、露骨なほどのスラップ訴訟で、この団体を黙らせようとしており、マスゴミに宣伝費をばら撒いて、非科学的だと、逆に誹謗中傷の限りを行っている。
オーストラリアでは、52人の医師、弁護士、学者、政治家から深刻なDNA汚染を理由に、このワクチンの即時中止が要請されており、政治問題化しているのに、日本のマスゴミは、もちろん誰も報じないどころか、ワクチンの安全性に懸念を持っただけで、反ワクの異常な陰謀論じゃだと、ボロクソにバッシングしている。
こんな殺人マスゴミに加担して、ネット民や陰謀論叩きを行ってきた日本人たちは、いい加減に恥を知って目を覚ませ。
こんなサリン同然かもしれないワクチンをばら撒こうと、それに警告しているだけの科学者や医者を誹謗中傷するマスゴミ共は、日本などどうなっても良い、いざとなれば簡単に捨てて、海外に移住できますと公言しているのも同然なのだ。
まあそう思ってるだけで、本気で自国を利己的な理由だけで滅ぼせるような売国奴を受け入れる権力者など、世界に居るわけもなく、まず間違いなく、こいつらクソどもは、使い捨てで殺されることが決定されてるだろうが。
こいつらが、目先の利益だけで簡単に寝返った連中は、そういう屑の鉄砲玉を、もう用無しと思っただけで、平気で数えきれない人数始末してきたような奴らなのだ。
こいつらのノンモラルなことは、数々の事件と、こんな大量無差別殺人を目論むことからも、簡単に推測できるだろうに、なぜ自分たち、トビキリの屑で自己中で裏切り者の最低最悪の売国奴に限って助けてもらえると思えるのか、バカは死ぬまで治らないらしい。
仮に、このワクチンに、そこまでの感染力がなかったとしても、今後、どこかの外国資本の製薬会社が、ワクチンに偽装した本物の生物兵器をばら撒こうと画策しても、こんなスラップ訴訟がまかり通る国では、誰もそれに警告することは出来なくなるだろう。
当のテレビ大好きカスジャップ自体が、日本人の安全を危惧して、明らかに怪しいワクチンを警告している真っ当な人々より、それを罵って陰謀論者呼ばわりするマスゴミに味方して、陰謀論叩きに執心しているのだ。
誰がそんな奴らの命を守るために、訴訟リスクを被ってまで警告してくれると思うのか?
この疑惑ワクチン認可が、岸田政権の最後っ屁だろうことは明らかに思える。
明治ファルマが訴訟を起こしたのも、岸田政権が終わるたった一日前。