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はてなキーワード: 長方形とは

2025-06-06

子供のころ好きだったけど今だと手に入らない

ジュースかなんかを母が定期的に買って家にあったので飲んでいた。

透明な黄緑で炭酸が無い、おそらくグレープフルーツかなんかの味だった。

なぜ曖昧かというと何の味か全く気にせず飲んでいて大人になってからLAZOOLというグレープフルーツリキュールそっくり同じ味だったから。こっちも終売なので悲しい。

入れ物は紙パックだった。それも牛乳パックじゃなく調整豆乳と同じ形の長方形の1Lパック。

何て探せばいいんだろう。

2025-05-22

dorawii

長方形の板の巨大な構造物が、屋根のように、道路に対してその幅方向に架かっていた。

中央には円形の穴が開かれている。

日差しを広い範囲遮って暗くしているだけじゃんと、何も魅力を感じない。

こんなもの安藤忠雄の作だという。

安藤忠雄」って言われてなお何も印象が好転しないのだからよっぽど魅力がないのだろう。

普通逆だろ。太陽の塔特に解説もない状態で見た時点で、なんかすごいなって思って、その作者が岡本太郎という人だとしって、岡本太郎ってすごいんだなって思う。

建築家ってもの自体胡散臭いものなのかもしれないなあ。

2025-03-27

夢 No.217 (1999/3/7)

←前 | 後→

薄暗い場末バーであった。入り口から奥に向かってやや細長い作り。既に客が入っている。ぼくは一番右奥の角に陣取り、改めて店内を見回した。ここからちょうど対角線の反対側に当たる入口の扉近く、狭いカウンターの奥には無表情なマスター入口の扉を挟んでマスターの向かいにいるのが女占い師。そして左奥の隅、すなわちぼくの向かい側には、長いコートを着込んだ得体の知れない人物が佇んでいる。つまり店内にいるこの四人の人物たちが四隅を埋めていたということになる。さらにぼくには気掛かりがもうひとつ。それはコートの男とマスターとの中間辺りの壁に描かれた人物である。不気味なほどリアルなのだ。じっと見つめていると、まるでそれがもう一人の客であるかのような錯覚引き起こしそうになる。しばらくして暗がりに目が慣れてくると、ぼくはさらにいくつか新しい発見をしたようだ。まず人物画と向き合った反対側の壁だが、これといった照明もないのに、そこだけ茫と明るんでいること。人物から未知の光が照射され、ネガポジのようにそこに自らの複製を作り出しているのだ。次にぼくとコートの男の間の壁、すなわち入口の扉と反対側のこの壁にももう一枚の扉があること。この退廃的な雰囲気にすっかり同化しているため、うっかりしているとなかなか気付かない。おそらくこの扉の先にあるのは地下へと続く長い長い階段であるはずだ。

事件は何の前触れもなく起きた。コートの男が、いつのまにか刀を手にして立ち上がっていた。そして全く無表情のまま、占い師の女を斬りつけたのだ。鮮やかな一振りであった。まるで暖めたナイフバターを切るように、何の抵抗もなく、この長方形の部屋に一本の対角線を引いたのだ。だがその途端呻き声をあげたのは女占い師ではなく、壁に描かれた人物画の方であった。刀の一閃により、向かいの壁に浮かんだ明るみと自分とを結ぶ直線が断ち切られてしまったがための苦悶であった。人物画は激しく絶叫しながら悶え苦しんでいる。ぼくは咄嗟マスターに合図を送った。狭い部屋を入り乱れるいくつもの直線。マスターは、後から行くので先に逃げろと促す。ぼくはすぐさま目の前の扉を開き、真っ暗な階段を全速力で駆け下りていった。

しばらくして突然明るい場所に出た。どうやら巨大な客船の甲板らしい。ぼくは客室から飛び出してきたところであった。足下がゆっくりとした振幅で揺れている。眩しい、目が痛い。遠く水平線の方にハイウェイが横たわっているのが見える。辺りを見回すと、ハイウェイはこの船の周囲をぐるりと取り囲んでいる。ということは、ここは巨大な湖のちょうど中央付近ということになるのだろうか。とはいえどの岸までもほとんど水平線すれすれの距離があるため、その真偽のほどは定かではない。もうひとつ、船首の向いた方向の湖面に何か人工的な建造物が見えるが、やはりここからでは距離があるため、船とも浮島とも判然としない。ぼくはそこへ行きたいと考える。とにかくこの場から離れたいのだ。だがこの船は先程から少しも進んでいないようだ。穏やかな水面が静かに波打つばかりで、どこへも近付きもしなければ、どこからも遠ざかりもしていない。仕方なくぼくはマストによじ登る。先端に立ってみると、高さは十分のようだった。ぼくは巨大な翼をもたげるように両腕を広げ、大きく息を吸い込むと、そのまま風に乗って滑空した。抵抗のない滑らかな浮遊感であった。

辿り着いてみるとそこはビニールの袋を空気で膨らましただけの浮島であった。いわば巨大なゴムボートである大勢の人々が行き交い、騒ついた雰囲気なのだが、皆忙しそうであった。流れに溶け込めずに立ち尽くしていると、一人の幼い少年が何か駄々をこねているのに出会った。いや、実はその少年というのはぼく自身であり、ぼくが何か邪なものに手を触れようとしているとことろを、見知らぬ男に止められてしまったのだ。ぼくはどうしてもそれに触りたいと繰り返すのだが、男は頑なに禁止する。そして最後には強引に手を引きながら、もう帰ろうと言いだす始末であった。帰る方法もやはり滑空だ。なぜ滑空するのかといえば、それ以外に水面を越える方法がないかである。ぼくらは一度目の滑空を試みる。だがうまくいかない。風向きが良くなかったのだ。再度試みる。そして失敗。今度は翼が壊れてしまったのだ。さらにもう一度。またも失敗。今度は軌道が橋をくぐってしまった。さらに次は高度不足。もう一度、もう一度、もう一度……。だが何度繰り返してみてもうまく行かない。ぼくは次第に本来目的を忘れ始める。いや、初めから目的などなかったのかもしれない。それさえも分からない。

←前 | 後→

2025-03-05

anond:20250305204542

むかし学校給食で「ワンタンスープ」なる献立で、餃子の皮とか八橋の皮みたいなのをを短冊切りしただけの長方形のピラっとしたものを入れただけのスープが供されてたが、あれをワンタンと呼んでたの未だに納得いってない

ミュージション(防音マンション)のメリデメ

24時間楽器演奏可能な防音マンションミュージション」というのがある。

2000年から始まったリブランマインドという不動産賃貸マンションブランド都内近郊に物件が多数。

もちろん高価格帯だ。

なお、アンプにつなぐ系の楽器や重低音が出る楽器時間制限があるため、人によっては誇大広告に感じるだろう。

https://www.musision.jp/

 

自分音楽鑑賞と趣味歌唱を周りに気兼ねなく行えること、他の部屋の音が聞こえないことにメリット感じて入居。

複数ミュージション物件に住んだため、それを元にメリデメをだらだら記載する。

先に言っておくと、大きなメリットもあるが大きなデメリットもある。

個人的には高価格のものを扱う会社はそれなりにしっかりしていると思っていたのだが、リブランマインドは悪い意味不動産らしい会社だった。

 

概要

デメリット

 

メリット

※同価格帯では普通にある部分(設備がいいなど)は除外

 

人によるとこ

 

デメリット

持ち家のローンぐらいの値段(のはず)。

もともと高いが、最近家賃は値上がりし続けている。新しい物件はかなり高めの値付け。

既存物件も人が入れ替わるタイミングで上がっていることが多い。

 

  • 人気のため入居しにくい

毎年のように新しいマンションが建っているがまだまだ需要がある様子。

家賃を上げすぎて中々埋まらない新築も数ヶ月経てば少しすれば埋まってたりする。

退去が決定した物件情報公式LINEで流されるんのだが大体すぐ埋まる。物件によっては流れた瞬間に埋まる。

それでも埋まらなかった空き物件サイトに載る。

基本的内見契約後で、前入居者が退去した後のクリーニング前に可能

新築物件なら事前内見できることもあるみたいだ。

 

色々な付帯サービスへの加入が必須

数年前には入居者用のサービスサイト勝手に立ち上げ、その使用料として年間1万円以上の支払いが必須に。

内容は入居時の案内や設備マニュアル、お知らせ、解約申請、問い合わせなどがあるがいずれも別で参照できたり申し込めるため不要

基本的不動産側の広告媒体しかなっておらず、イベントの告知や任意の有料サービス各種、オウンドメディアなどが置いてある。

入居者はほぼ使う機会が訪れず不動産側も使いこなせていない謎の有料サイト

その他、定番24時間サポート家賃保証会社の加入も必須

付帯サービスメリットは感じたことない。

 

  • 金にがめつい

敷金が全額回収される契約→違った。申し訳ない。高い修繕費差し引いた額が振り込まれる。

退去時は修復箇所をチェックする外注の人が来て見積もりを渡されるのだが金額はかなり高い。

自分はかなりキレイに使うほうで過去の他社物件も含めて追加費用を払ったことはないが、ミュージションは敷金ギリギリ見積もりだった。

他にも駐輪場は別途月額料金がかかるし駐車場付近相場より高めで設定されている。

他のデメリットの内容も含めて一部分なら納得できもするが…ここまでになると自社だけの利益を上げようとする姿勢辟易する。

 

有料サービスサイトの問い合わせ窓口に連絡しても1週間以上返事がなく別ルートで問い合わせしなおし。

内見担当者の基礎的な物件知識が不足している。

入居後に自分設備の不備を発見したのだが、業者が直した後に確認謝罪の連絡をしてこない。補填もない。

ちなみにその不備は工事しないと直せないもので一時対処で終了。

 

入居後に設備などの不備が複数あったが補填なし。

クリーニング時に直すべき箇所がそのままになっていることがあった。一時退去しないと補修できないため対応なし。補填なし。

駐輪場に月額料金を払わず自転車を置いている入居者を放置

楽器演奏ルールを守っていない騒音入居者を長期間放置したことがある。

事前に告知しないと引っ越し直後にトラブルになりそうなゴミ捨て系の自治体ルールなどの事前周知がない。

物件によってはゴミ捨て場がかなり汚い。(掃除のおばちゃんはいから建物コストカットしすぎ?)

マンション入口電球切れで真っ暗だったが1ヶ月以上放置したことがある。

 

かい部分でたくさん不満があるが割愛基本的には住みやすさを軽視している感じ。

一番「は?」と思ったのは長方形の片側の短辺にエントランスがあって、反対側の短辺にエレベーターがある物件エレベーターまで遠すぎ。

ただし、ここ2、3年ぐらいの物件は入居者の声を取り入れて改善してきているようす。

逆にいうと2000年に始まったブランドなのにそれ以前は改善できていないということかー…となるが。

 

コストカット。他にも細かくコストカットされている。

担当者に聞くと素知らぬ顔でそれらしい言い訳をするがコストカット以外の何者でもない。

それで躱せると思ってるとこからしてアレ。

 

メリット

もともと家にこだわりが強いので不満はめちゃくちゃあるが、防音の部分だけで選ばざるをえない…。

 

人によるところ

防音性のためにそうなっているとのこと。

通常は左右の物件との区切りは簡易的な衝立みたいになっていて、上部は開放的になっていると思う。

ミュージションはベランダの左右も上から下までしっかりコンクリで覆われている。

開口部が狭いか最初は圧迫感があるし若干日差しも入りにくい。

 

蛇足

都内近郊に防音賃貸マンションブランドは3つある。

 

ミュージションには頑張ってほしいところだけどどうだろうなあ。

ばんばん新しい物件が建っているし、大手が参入してもよさそうなもんだけど。

2025-02-06

初午いなり寿司、あすけん、混乱

関西人増田はさきほど混乱に陥りました。

いなり寿司は大体1つ120kcalだそうで、5つも食べようものなら600kcalを超えます

ちょっと待てよと。

いなり寿司10個くらい食べてたぞと。

1,200kcal余裕で食ってたことになります

まあ食べれないもんじゃない。でもそんな爆弾食べ物だったのか…?

ここで検索をかけていたのですが、こういうことらしいです。

関東いなり寿司は俵型で、長方形油揚げを半分にして酢飯を詰めているようなのです。

かになんかコンビニとかで見るのはこれです。なんかでかいなと思ってましたが、そういうサービス的な商品かなとも思ってました。

しか関西で多くの人が認識するいなり寿司は、正方形油揚げ(2枚で長方形油揚げサイズです)を対角線上で切って、三角にしたものに、具材が入った酢飯を詰めたものなのです。

まり…ざっくり…関東いなり寿司の半分くらいのサイズなのです。

そもそもですが具材も違うので、あすけんにどうやって登録すればいいのか混乱は続いていますが、面倒なので10個食べたら5個で登録していいですかね…。

っていうか半分って認識で合ってるんですかね。

いや、なんかもう、誰かあすけんに関西風のやつ登録してくれないっすかね…。

2025-02-02

博多恵方巻きのつくりかた

博多恵方巻き明太子を使った恵方巻きです!ピリ辛で風味豊かな明太子は、恵方巻き具材としても人気です。色々な具材との組み合わせが楽しめるので、ぜひお好みの恵方巻きを作ってみてください。

基本の明太子恵方巻き

材料

寿司

焼き海苔

明太子

卵焼き

きゅうり

桜でんぶ

かんぴょう

作り方

明太子は薄皮を取り、ほぐしておく。

卵焼き長方形に焼いておく。

きゅうりは細長く切っておく。

巻きすに海苔を広げ、寿司飯を乗せる。

寿司飯の上に、明太子卵焼ききゅうり桜でんぶかんぴょうを彩りよく並べる。

手前からしっかりと巻く。

食べやすい大きさに切る。

その他おすすめ具材

サーモン

エビ

イカ

ツナマヨネーズ

大葉

ネギ

作り方のポイント

明太子は、生のまま使うのはもちろん、軽く炙っても香ばしくなって美味しいです。

具材はお好みでアレンジ可能です。

巻き終わりはしっかりと閉じましょう。

切る際は、濡らした包丁を使うと綺麗に切れます

明太子恵方巻きアレンジ

明太マヨ恵方巻き明太子マヨネーズを混ぜて、コクのある味わいに。

チーズ明太恵方巻き明太子チーズを組み合わせて、洋風な味わいに。

明太アボカド恵方巻き明太子アボカドを組み合わせて、まろやかな味わいに。

2025-01-12

ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?

 スマートフォンが主流になって久しい。街中を見れば老若男女関係なく、誰もが同じような長方形の端末を手にしているし、電車に乗ればみんな下を向いてSNSやらゲームやらに没頭している。いや、それ自体否定するつもりはないんだ。だけどさ、本当にみんながスマートフォン必要としているのかなって思うことはある。いまやスマホ機能パソコンをも凌ぐものになってきているけど、それって果たして全員にとって必要不可欠なのだろうか。そもそもガラケーで事足りる人って、意外と多いんじゃないかと思うんだよね。

 そりゃ、便利だよ、スマホは。アプリを入れれば何だってできるし、SNSだって投稿簡単にできる。動画地図もあれこれ全部一つの端末に詰め込んで、ポケットに入れて持ち運べるなんて、かつてのパソコン時代ガラケー時代から比べたら夢のようだ。それに加えて大容量のデータ通信可能プラン契約すれば、外でもガンガン動画を観られるし、リアルタイムでのやり取りもスムーズ。そういう意味では、確かにスマホはすごい。でも、その“すごさ”を真に活用できている人がどれほどいるのかは、ちょっと疑問だ。

 たとえば、メール電話、それにちょっとしたSNSブラウザ検索くらいができれば十分という人は少なくないはずだ。その程度の用途なら、別にガラケーでもいいんじゃないの? と思うわけ。必要最小限の機能を備えていれば、そもそもネットが重い」「アプリが落ちる」「OSバージョンアップできないかアプリが使えない」といった煩わしさとは無縁だし、バッテリーも長持ちする。なんせガラケーなら2〜3日は充電しなくても平気だ、なんてこともザラにあるからね。スマホだと日常的に毎晩充電しなきゃいけないから、その手間を考えるとガラケーの利点もやっぱり大きい。

 もちろん、スマホにはカメラ性能が高いとか、決済機能があるとか、生活を快適にするいろいろな便利機能が詰まっている。でも、カメラだって一眼レフデジカメを持っている人からすれば、スマホカメラじゃ満足できないこともあるはずだし、逆にスナップ写真くらいしか撮らない人ならガラケーカメラで十分事足りる。決済についても、スマホ決済が便利なのは間違いないけど、クレジットカード交通系ICカードがあれば大抵の場所で用は足りるんだよね。結局、なんでもかんでもスマホに集約して「スマホがないと生活できない」状態になるのは少し危うい気さえする。

 思えば、ガラケーと呼ばれる前の時代は、みんなが当たり前にあの二つ折りやスライド型の携帯電話を使っていたわけで。それでも社会は動いていたし、人間関係だってきちんと成り立っていた。実際、あの頃は電話メールだけでコミュニケーションが十分成立していたし、インターネットをしたいならパソコンを使えばよかった。そして何より、ちょっとしたネット閲覧や着うた着メロダウンロードには、ガラケー専用のサイトが用意されていたから、それを不便だと感じていた人は今ほど多くなかったんじゃないかと思うんだ。

 そう考えると、やっぱり「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」と思うこともある。だって通話メールが使えれば連絡は取れるし、カメラも簡易的な撮影には不自由しない。さらに、多くのガラケーにはストラップを付けられる穴があって、そこにお気に入りキャラグッズをぶら下げてアピールする楽しみ方なんかもあった。いまのスマホには、そういう「ケータイ個性化」を楽しむ余地が薄い気がするんだよ。スマホケースやカバー差別化するっていう人もいるけど、昔のようにジャラジャラとストラップをぶら下げる感じとは違うんだよな。

 ときどき言われるのが、「いやいや、いまの世の中はLINEでのやり取りが必須からガラケーじゃ不便でしょう」という意見。でも、それって本当に全員が必要かな? たしか仕事サークル、あるいは家族・友人のグループチャット情報を一斉共有したり、スタンプカジュアルコミュニケーションしたりするのは楽で便利だ。でも、電話メールじゃダメなの? 昔はそれでやりくりしていたわけで、無理にLINEに縛られる必要はないんじゃないかと思う。もちろん「いや、仕事でどうしても必要なんだ」っていう人はいるだろう。そういう人はスマホを使えばいい。でも、誰もが「LINE至上主義」に合わせている現状に、ちょっと違和感を覚えるのも事実だ。

 もっと言えば、「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」と言いたくなることだってある。そう、ガラケーにはiモードという独自ネット接続サービスがあって、昔はあれで天気予報ニュースサイトを見たり、ちょっとした調べごとをしたりしてたわけだ。いまはさすがに対応サイトが減ってしまたかもしれないけど、それでも基本的情報収集ならできなくもない。「スマホじゃなきゃネットができない」わけじゃないんだよな。

 とはいえ、世の中にはガラケーを愛用しつつも、必要最低限の用途だけスマホを使う「2台持ち」という人もいる。スマホは持っているけど通話ガラケーでする、みたいなスタイルだ。これってわりと理にかなっていて、ガラケー通話用にバッテリーが長持ちし、スマホSNSアプリ専用と割り切ると、余計な通知に煩わされることも減る。料金プランをうまく選べば、そこまでコストも高くならないから、案外「スマホ1台より2台持ち」のほうがストレスフリーという人だっているわけだ。

 ただ、「ガラケースマホを両方持つとか、管理が面倒くさい」という声もあるだろうし、そもそも二台持ちが一般的になると、街中で両手に端末を持って歩くようになるのかな? なんて想像すると少し滑稽でもある。そこまでしてガラケーにこだわらなくてもいいじゃないか、という意見があるのも理解できる。でも、一部のガラケーユーザーにとっては、あの折りたたみの感触物理ボタンの打ちやすさ、そして着信音を選ぶ楽しみなんかが、今でも捨てがたいんだろうなって思うんだ。

 ガラケー物理ボタンは、スマホタッチスクリーンにはない魅力があると思う。画面を見なくても、手探りでボタン操作ができるし、押した感触がハッキリしている。メールを打つにも、慣れればかなりのスピード文字入力ができるから、指先が画面を飛び回るスマホよりも誤操作が少ないという人もいる。実際、ガラケー世代人間からすると、あのテンキー入力のほうが「身体に染み付いている」感覚があって、スマホフリック入力がどうにも馴染まないなんて話もよく聞く。だから、使い勝手という面では、ガラケーを「機能が少ない」と一蹴するのは早計だという気がする。

 また、ガラケーには折りたたみやスライドなど、端末自体の形状にバリエーションがあった。そのせいか、端末のデザインにも個性が感じられたものだ。カメラ部分の形が凝っていたり、アンテナが伸びるタイプだったり、質感も金属プラスチックなど機種ごとに違う。自分の好みや使いやすさに合わせて端末を選ぶ楽しみがあった。スマホ基本的に「大きなタッチ画面がどんっとある長方形」という形状が大半だからデザイン的な違いはあっても機能面はほとんど似たり寄ったり。文字通り“画一化”している印象が強い。

 カバーやケースを付ければ見た目も変えられるし、画面上の壁紙アイコン配置で多少の個性演出できる。でも、ガラケー時代にあったワクワク感、たとえば「次はどんな機種を買おうかな?」みたいな楽しさは、スマホ時代とはちょっと違う。「新作スマホが出た」と言われても、画面のサイズベゼルの細さが変わったくらいで、そこまで大きくは変わらない印象がある。もちろんカメラ性能やCPU進化もあるんだけど、日常的にそこまで性能を使いこなす場面がない人にとっては、あんまり魅力を感じない場合もあるだろう。

 それに、スマホはついつい「時間泥棒」になりがちだ。SNSちょっと見るだけのつもりが、いつの間にか1時間も経っていたとか、寝る前にスマホを触っていたら気づけば深夜になっていたなんて話は、ザラにある。ガラケーだと、動画視聴やSNSタイムライン閲覧はそこまで快適とはいえないぶん、長時間だらだら触り続けるということはあまりない。そもそも画面が小さいから、がっつり見るには不向きだし、ネット料金が従量制だとしたらむやみに使えないという制限がある。そのおかげで、自分時間無駄にしすぎない、という利点すら感じることがある。

 「ガラケー時代には戻れない」とよく言われる。確かに通信インフラ社会の仕組みがスマホを前提とした形に急速に変わりつつあるから、一人で頑固にガラケーを使い続けるのは不利かもしれない。銀行アプリ役所関係手続きなんかも、スマホ前提で設計されていたりして、ガラケーだけでは対応できないことも増えている。そこはちょっと残念なところだ。時代の流れに逆行するとなると、どうしても不便を甘受しなきゃいけない部分が出てくるのは仕方ない。

 でも、その不便を受け入れてでも「ガラケーだけでいい」と思う人がいるのは、やっぱりそれなりの理由があるんじゃないか。何より、常に最新のSNSアプリの動向を追う必要がないし、スマホをいじりすぎて疲れることも減る。コミュニケーション情報収集に追われないから、心に余裕が生まれるかもしれない。実際、スマホをやめてガラケーに戻した友人が、「今までSNSブラウザ更新ばかり気にしていた時間を、ほかのことに使えるようになった。すごく楽になったよ」と言っていた。まさにデジタルデトックス効果だろう。

 さらに言えば、ガラケーを持っていると周囲から興味を持たれたり、「まだガラケー使ってるんだ」と話のネタになったりすることもある。ひと昔前には、最新のスマホを持つことがステータスのように扱われていたけれど、いまはみんなが同じようなスマホを持っているから、逆にガラケーのほうが個性として面白がられるんだ。「なつかしい!」なんて言われると、そこから会話が広がったりして、それはそれで悪くない。

 もちろん、ガラケー提供を続けるキャリアもどんどん減っているし、新品の端末を購入するのは難しくなってきている現実がある。将来的には4G・5Gの通信環境に完全移行して、ガラケー時代通信方式廃止される可能性もある。そのときは、事実ガラケーが使えなくなるかもしれないし、いわゆる「ガラホ」と呼ばれる、ガラケー風のAndroid端末に移行するしかない時代が来るかもしれない。とはいえ、今すぐに「ガラケー文化がすべて滅びる」わけではないだろうし、それまでガラケー愛好家はしぶとく生き残るはずだ。

 結局、「スマホガラケー、どっちがいいか」っていうのは、その人の使い方や好みによる。スマホが便利で手放せないという人もいれば、ガラケーシンプルさがちょうどいいという人もいる。世の中にはいろんなライフスタイルがあっていいはずだから、無理に合わせる必要はないと思う。誰かが「スマホを使ってないなんて遅れてる」と言ってきても、それを「押し付けがましいなあ」と聞き流すくらいの心の余裕があればいい。結局、自分が何をしたいか重要なんだから

 もし「周りがみんなスマホから自分スマホにしなきゃ」と思っているだけで、本当はそんなにSNSアプリを使わないという人がいるなら、思いきってガラケーに戻すのも手だと思う。通話メールだけならガラケーのほうが圧倒的にバッテリーも保つし、料金も抑えられるかもしれないし、「端末をどこかに置き忘れても、スマホほど重要情報が入ってないか不安にならない」なんていうメリットだってあるだろう。「みんなと同じだから安心」じゃなくて、「自分必要機能ちゃんとある」ことこそが大事なんじゃないか

 もちろん、スマホが悪いわけじゃないし、ガラケー至上主義を唱えたいわけでもない。ただ、「必要以上にスマホを使って疲れちゃうくらいなら、ガラケーで十分なんじゃないの?」という提案をしたいだけなんだよね。実はわたし自身仕事スマホとは別にガラケーをサブ機として使っているんだけど、やっぱりガラケーをパカッと開いてガシガシと文字を打つ感覚は良いもんだよ。慣れ親しんだ操作性と、あの独特の押し心地には、どこか安心感がある。電車スマホの通知に追われずに済むのもストレスが少ないし、本を読んだり音楽を聴いたりする時間が増えた気がするんだ。

 そういうわけで、ガラケーという選択肢は決して時代遅れのものではない、と声を大にして言いたい。機能の充実や最新テクノロジーに目を奪われるのも悪くはないけれど、シンプルに生きるための道具としては、いまだガラケーは捨てがたい魅力を持っている。もしあなた日常ほとんどをスマホに奪われていると感じるなら、一度ガラケーで過ごす日常を思い出してみるのもいいかもしれない。通話メール、それに少しのネットがあれば不自由しない生活に戻るのも、ある意味では豊かな選択なのではないだろうか。

 繰り返すが、「ケータイなんてガラケーだけで十分じゃね?」とまでは言わなくても、ガラケーで十分足りるような人もたくさんいるんじゃないか。昔みたいに、キーボタンをカチカチ押しながら、「そうそう、あれこれこうだよね」とメールを送るのだって味わい深い。意外と悪くない、というかむしろ懐かしくて温かい気持ちになれるかもしれない。少なくとも、ガラケー派の人たちを「時代遅れ」とバッサリ切り捨てるのはもったいない話だと思うんだ。最新のスマホけが正解じゃない。だからこそ、みんなが自分にとってベストな形で“ケータイ”という道具を選べる社会であってほしいと思う。

 もしあなたが、いつの間にかスマホでの習慣に疲れているなら、こう考えてみてはどうだろう。「ケータイって何のためにあるんだろう?」と。連絡手段として割り切るなら、ガラケーこそ理想的な答えかもしれない。もちろん人によっては、「やっぱりスマホがないと生活が成り立たない」という人もいるだろう。それでいいんだ。それこそ「自由」じゃないか。だから、「スマホが当たり前」という常識に縛られず、自分に本当に必要機能がどれくらいなのかを見極めるのが大事。いまの時代からこそ、逆にガラケーを見直す価値があるんじゃないかと思う。

 最終的には「そんなにインターネットがしたかったらiモードもあるし」、通話メールで十分ならガラケーでもいい。そこにプラスアルファスマホを持つか持たないかは、個人自由。要するに、スマホ一辺倒の世の中だからといって、ガラケーを諦める必要はないんだよね。わたしはそう信じている。あなたケータイライフに、少しでもガラケー復権可能性を感じてくれたら、これほど嬉しいことはないよ。

2024-12-29

anond:20241229215121

氷の彫刻を初めて作った。

調理人やら職人やらが、彫刻刀だか包丁だかを使って、無色の長方形というか直方体から何物かを作り出すマジックのようなショーのような素晴らしさを見て、無職自分でもやりたくなってしょーがなくなって試してみた。

今は何でもネット記事ネット動画になっているので、それを見ながら氷屋から経営し始めて、わりと簡単にぱぱっと美しく作ることができてよかった。ネットと元気があれば何でもできる、って本当なんだなぁ!

そして、年末最近に至ってはけっこう作り慣れてきて、氷に触れるどころか氷を買ってこなくても、白鳥薔薇シェルピンスキーのギャスケットなど、自分の思う像がイメージしただけで氷像として生み出せるようになった。彫刻技術以上のものにまで卓越した自分にほれぼれしてる。

それと、そのいくつかは我ながら出来がよかったので、美術館で何年か野外展示してもらうことにした。交渉には三年くらいかかったので本当に嬉しい。なお、氷の彫刻常設展示は、その美術館では初めてとのことらしい。子供たちで賑わう夏休みが今から待ち遠しい。

2024-12-10

anond:20241210164716

別にそのへんは全部手作業なんだから正方形よりの長方形がいい」とか発注者の好みのオーダーで気ままにつくらせりゃいいだろ

あと天皇家とかまつりごとやってるとこは決まりでなんかあるかもだけどどうしても知りたいわけじゃねえわ

でもおまえら「本当に戦国時代の畳は正方形だったかどうか」って調べてないだろ?

そりゃ実際には長方形だったんだろうと思うよ。

でもおまえらちゃん根拠を持って「畳が正方形なのはおかしい」って言ってるわけじゃないよな。

自分がいままで見た畳は長方形だった」とか「大河ドラマではそうだった」くらいの感覚的な話だろ。

実際に調べてみるとわかるけど意外と確認が難しいんだよな。

当時の城の内部を描いた絵なんか見当たらないし。

今も現存してる城はあるけど、もちろん内装まで戦国時代のままってわけじゃないし。

如何なはてなーと言えども軒並み揃って歴史専門家ってわけじゃないだろうから

まあ、知ったかぶりで叩いてるんだろうね。

2024-11-20

[]ペサパッロ

フィンランドスポーツ野球アレンジされたもの

フィンランドには野球場がなく、代わりにサッカー場を使ったため、フィールドが全体的に長方形になっており、ベースの配置も変則的である

ピッチャーバッターの横に立って、ボールを上にトスする。

柵越えのホームランがなく、フェアゾーンで打球がバウンドしなければヒットにならないので、叩きつけるような低く速いライナーを狙うことが多い。

「ウンデッド」などの独自ルールもあり、バントやヒットエンドランなどの足を絡めた戦術が多く、クロスプレイが見どころになる。

2024-11-03

anond:20241102162158

稲村亜美さんのやつってお触りどうこうよりも、単純に圧死の方が問題だよな

あと、円形になると誰かが動くとみんな動きたくなるからそれも危険

やはり軍隊長方形に並ぶ基本教練は大切である

稲村亜美の件、円形なのがまずくて半径20mの円から半径10mの円をくり抜いた形状に中学生男子が充填されているため、20mの外円にいるやつが1cm詰めたら10mの内円にいるやつは2cm詰めないといけなくて、外円17mになるころには内円の速度は∞になるから圧死して当然なんですよね

速度が∞になった男子中学生人間に衝突したらそれがグラビアアイドルであろうとなかろうと乳くらい触ることになるし、野球やるような男子中学生が以上の理論理解しているわけないので、最初に取り囲んだ時点で結果は決まってたので、全ての責任は円形に並べた人にある

この件で運営でなく男子中学生を叩いてる曖昧フェミニストたちは上記理論理解してないわけで、自分がこの運営立場になったら絶対円形に人間を配置して同じ轍を踏むんですよ、無知レイプの元、こわ〜、自分が同じレイプをする可能性極めて高いのにフェミニスト名乗るの、もっとこわ〜〜〜

俺は曖昧フェミニストでなく明晰フェミニストなので無知でなく有知だし人間を円形に配置しません、というお話です

2024-10-25

風呂の正しい入り方?

あるニコニコ動画でそういうのがあったものの、その動画には掃除観点など含むべき内容が足りていない、内容的に過激ということで使いにくいという問題がある

そこでもっと戦略的に出来ないかと思ってまとめておく

以下の前提を守ってください

ジャグジー的なものだとかは必要としない、いわゆる一般的な「風呂」というのを想定している

よってシャワールームしかない、そもそもそういう設備がないというのは論外です

直ちにその物件から逃げてください)

別に弱者であろうとなかろうとちんでもまんでも第三であっても一人暮らしであることを前提にしている

家族だとかそういうのがいる場合はそっちを優先するべきなので、この戦略は使えません

このエントリでは「正常な精神戦略的風呂に入らない」というのも辞さないため、風呂キャンセルしている人はまずはそれを治しましょう

なお類似語の風呂スキップだとか風呂パスがありますが、この2つは「正常な精神で行う戦略的行動」と勝手解釈しています

ぐんぴぃやけらえいこがおかれている状況で正常な精神が働くかという議論は別で行ってください

特にけらえいこは別の漫画で「風呂なんてちゃっちゃっちゃ~」ともはや逆なでするような内容もあるので非推奨です

風呂に入るタイミング

以下のようにすれば実は風呂って毎日入らなくてもいいよね、というのはあるはず

夏であればほぼ毎日入ってしまった方が、汗なども水で流せるので問題ない

しかし冬だとガス料金ヒートショックなどのリスクもあるため、風呂までしなくてもシャワー対処するという戦略的な一面もあるはずだ

シャワー風呂はどこで?

前提条件で浴槽の構造ほとんど同じだが、シャワーをする際は浴槽にしてしまった方が良いだろう

というのも後々清掃することを考えると、汚染地域を一つに固めてしまって後で清掃できるというメリットがある

ポリシーなどを考慮しないのであれば、泡などがついた浴槽で体を温めると究極ではあるが、汚れが引っ付いているので別途シャワー必要となる

清掃方法

一応、推奨されているのが風呂入った後とはなっているのだが、別に毎日行わなくてもギリギリなんとかなるだろう

ただ何もしないよりもスポンジいらずのやつだとかを使う方が絶対良いので、何かしらの処置はすること

(この前の春とヒコーキの動画はこのあたりで大議論となっていたが、清掃してきれいな風呂で入れよという正論動画再生しないで終わるでしょう)

人間洗濯機まだぁ?

結局こういうのを作る時間ももったいないのではよ

2024-10-01

最後にうれしいことを思いついた。美禰子は与次郎に金を貸すと言った。けれども与次郎には渡さないと言った。じっさい与次郎金銭のうえにおいては、信用しにくい男かもしれない。しかしその意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑わしい。もしその意味でないとすると、自分にははなはだたのもしいことになる。ただ金を貸してくれるだけでも十分の好意である自分に会って手渡しにしたいというのは――三四郎はここまで己惚れてみたが、たちまち、 「やっぱり愚弄じゃないか」と考えだして、急に赤くなった。もし、ある人があって、その女はなんのために君を愚弄するのかと聞いたら、三四郎はおそらく答ええなかったろう。しいて考えてみろと言われたら、三四郎は愚弄そのものに興味をもっている女だからとまでは答えたかもしれない。自分の己惚れを罰するためとはまったく考ええなかったに違いない。――三四郎は美禰子のために己惚れしめられたんだと信じている。  翌日はさいわい教師が二人欠席して、昼からの授業が休みになった。下宿へ帰るのもめんどうだから、途中で一品料理の腹をこしらえて、美禰子の家へ行った。前を通ったことはなんべんでもある。けれどもはいるのははじめてである。瓦葺の門の柱に里見恭助という標札が出ている。三四郎はここを通るたびに、里見恭助という人はどんな男だろうと思う。まだ会ったことがない。門は締まっている。潜りからはいると玄関までの距離は存外短かい長方形御影石が飛び飛びに敷いてある。玄関は細いきれいな格子でたてきってある。ベルを押す。取次ぎの下女に、「美禰子さんはお宅ですか」と言った時、三四郎自分ながら気恥ずかしいような妙な心持ちがした。ひとの玄関で、妙齢の女の在否を尋ねたことはまだない。はなはだ尋ねにくい気がする。下女のほうは案外まじめであるしかもうやうやしい。いったん奥へはいって、また出て来て、丁寧にお辞儀をして、どうぞと言うからついて上がると応接間へ通した。重い窓掛けの掛かっている西洋である。少し暗い。  下女はまた、「しばらく、どうか……」と挨拶して出て行った。三四郎は静かな部屋の中に席を占めた。正面に壁を切り抜いた小さい暖炉がある。その上が横に長い鏡になっていて前に蝋燭立が二本ある。三四郎は左右の蝋燭立のまん中に自分の顔を写して見て、またすわった。  すると奥の方でバイオリンの音がした。それがどこからか、風が持って来て捨てて行ったように、すぐ消えてしまった。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背によりかかって、もう少しやればいいがと思って耳を澄ましていたが、音はそれぎりでやんだ。約一分もたつうちに、三四郎バイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立をながめている。妙に西洋のにおいがする。それからカソリック連想がある。なぜカソリックだか三四郎にもわからない。その時バイオリンがまた鳴った。今度は高い音と低い音が二、三度急に続いて響いた。それでぱったり消えてしまった。三四郎はまったく西洋音楽を知らない。しかし今の音は、けっして、まとまったものの一部分をひいたとは受け取れない。ただ鳴らしただけである。その無作法にただ鳴らしたところが三四郎情緒によく合った。不意に天から二、三粒落ちて来た、でたらめの雹のようである。  三四郎がなかば感覚を失った目を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子がいつのまにか立っている。下女がたてたと思った戸があいている。戸のうしろにかけてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写っている。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑った。 「いらっしゃい」  女の声はうしろで聞こえた。三四郎は振り向かなければならなかった。女と男はじかに顔を見合わせた。その時女は廂の広い髪をちょっと前に動かして礼をした。礼をするにはおよばないくらいに親しい態度であった。男のほうはかえって椅子から腰を浮かして頭を下げた。女は知らぬふうをして、向こうへ回って、鏡を背に、三四郎の正面に腰をおろした。 「とうとういらしった」  同じような親しい調子である三四郎にはこの一言が非常にうれしく聞こえた。女は光る絹を着ている。さっきからだいぶ待たしたところをもってみると、応接間へ出るためにわざわざきれいなのに着換えたのかもしれない。それで端然とすわっている。目と口に笑を帯びて無言のまま三四郎を見守った姿に、男はむしろ甘い苦しみを感じた。じっとして見らるるに堪えない心の起こったのは、そのくせ女の腰をおろすやいなやである三四郎はすぐ口を開いた。ほとんど発作に近い。 「佐々木が」 「佐々木さんが、あなたの所へいらしったでしょう」と言って例の白い歯を現わした。女のうしろにはさきの蝋燭立がマントルピースの左右に並んでいる。金で細工をした妙な形の台である。これを蝋燭立と見たのは三四郎の臆断で、じつはなんだかわからない。この不可思議蝋燭立のうしろに明らかな鏡がある。光線は厚い窓掛けにさえぎられて、十分にはいらない。そのうえ天気は曇っている。三四郎はこのあいだに美禰子の白い歯を見た。 「佐々木が来ました」 「なんと言っていらっしゃいました」 「ぼくにあなたの所へ行けと言って来ました」 「そうでしょう。――それでいらしったの」とわざわざ聞いた。 「ええ」と言って少し躊躇した。あとから「まあ、そうです」と答えた。女はまったく歯を隠した。静かに席を立って、窓の所へ行って、外面をながめだした。 「曇りましたね。寒いでしょう、戸外は」 「いいえ、存外暖かい。風はまるでありません」 「そう」と言いながら席へ帰って来た。 「じつは佐々木が金を……」と三四郎から言いだした。 「わかってるの」と中途でとめた。三四郎も黙った。すると 「どうしておなくしになったの」と聞いた。 「馬券を買ったのです」  女は「まあ」と言った。まあと言ったわりに顔は驚いていない。かえって笑っている。すこしたって、「悪いかたね」とつけ加えた。三四郎は答えずにいた。 「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしいじゃありませんか。あなた索引のついている人の心さえあててみようとなさらないのん気なかただのに」 「ぼくが馬券を買ったんじゃありません」 「あら。だれが買ったの」 「佐々木が買ったのです」  女は急に笑いだした。三四郎おかしくなった。 「じゃ、あなたお金がお入用じゃなかったのね。ばかばかしい」 「いることはぼくがいるのです」 「ほんとうに?」 「ほんとうに」 「だってそれじゃおかしいわね」 「だから借りなくってもいいんです」 「なぜ。おいやなの?」 「いやじゃないが、お兄いさんに黙って、あなたから借りちゃ、好くないからです」 「どういうわけで? でも兄は承知しているんですもの」 「そうですか。じゃ借りてもいい。――しかし借りないでもいい。家へそう言ってやりさえすれば、一週間ぐらいすると来ますから」 「御迷惑なら、しいて……」  美禰子は急に冷淡になった。今までそばにいたものが一町ばかり遠のいた気がする。三四郎は借りておけばよかったと思った。けれども、もうしかたがない。蝋燭立を見てすましている。三四郎自分から進んで、ひとのきげんをとったことのない男である。女も遠ざかったぎり近づいて来ない。しばらくするとまた立ち上がった。窓から戸外をすかして見て、 「降りそうもありませんね」と言う。三四郎も同じ調子で、「降りそうもありません」と答えた。 「降らなければ、私ちょっと出て来ようかしら」と窓の所で立ったまま言う。三四郎は帰ってくれという意味解釈した。光る絹を着換えたのも自分のためではなかった。 「もう帰りましょう」と立ち上がった。美禰子は玄関まで送って来た。沓脱へ降りて、靴をはいていると、上から美禰子が、 「そこまでごいっしょに出ましょう。いいでしょう」と言った。三四郎は靴の紐を結びながら、「ええ、どうでも」と答えた。女はいつのまにか、和土の上へ下りた。下りながら三四郎の耳のそばへ口を持ってきて、「おこっていらっしゃるの」とささやいた。ところへ下女があわてながら、送りに出て来た。  二人は半町ほど無言のまま連れだって来た。そのあい三四郎はしじゅう美禰子の事を考えている。この女はわがままに育ったに違いない。それから家庭にいて、普通女性以上の自由を有して、万事意のごとくふるまうに違いない。こうして、だれの許諾も経ずに、自分といっしょに、往来を歩くのでもわかる。年寄りの親がなくって、若い兄が放任主義から、こうもできるのだろうが、これがいなかであったらさぞ困ることだろう。この女に三輪田のお光さんのような生活を送れと言ったら、どうする気かしらん。東京はいなかと違って、万事があけ放しだからこちらの女は、たいていこうなのかもわからないが、遠くから想像してみると、もう少しは旧式のようでもある。すると与次郎が美禰子をイブセン流と評したのもなるほどと思い当る。ただし俗礼にかかわらないところだけがイブセン流なのか、あるいは腹の底の思想までも、そうなのか。そこはわからない。  そのうち本郷の通りへ出た。いっしょに歩いている二人は、いっしょに歩いていながら、相手がどこへ行くのだか、まったく知らない。今までに横町を三つばかり曲がった。曲がるたびに、二人の足は申し合わせたように無言のまま同じ方角へ曲がった。本郷の通りを四丁目の角へ来る途中で、女が聞いた。 「どこへいらっしゃるの」 「あなたはどこへ行くんです」  二人はちょっと顔を見合わせた。三四郎はしごくまじめである。女はこらえきれずにまた白い歯をあらわした。 「いっしょにいらっしゃい」  二人は四丁目の角を切り通しの方へ折れた。三十間ほど行くと、右側に大きな西洋館がある。美禰子はその前にとまった。帯の間から薄い帳面と、印形を出して、 「お願い」と言った。 「なんですか」 「これでお金を取ってちょうだい」  三四郎は手を出して、帳面を受取った。まん中に小口当座預金通帳とあって、横に里見美禰子殿と書いてある。三四郎帳面と印形を持ったまま、女の顔を見て立った。 「三十円」と女が金高を言った。あたか毎日銀行へ金を取りに行きつけた者に対する口ぶりである。さいわい、三四郎は国にいる時分、こういう帳面を持ってたびたび豊津まで出かけたことがある。すぐ石段を上って、戸をあけて、銀行の中へはいった。帳面と印形を係りの者に渡して、必要金額を受け取って出てみると、美禰子は待っていない。もう切り通しの方へ二十間ばかり歩きだしている。三四郎は急いで追いついた。すぐ受け取ったものを渡そうとして、ポッケットへ手を入れると、美禰子が、 「丹青会の展覧会を御覧になって」と聞いた。 「まだ見ません」 「招待券を二枚もらったんですけれども、つい暇がなかったものからまだ行かずにいたんですが、行ってみましょうか」 「行ってもいいです」 「行きましょう。もうじき閉会になりますから。私、一ぺんは見ておかないと原口さんに済まないのです」 「原口さんが招待券をくれたんですか」 「ええ。あなた原口さんを御存じなの?」 「広田先生の所で一度会いました」 「おもしろいかたでしょう。馬鹿囃子稽古なさるんですって」 「このあいだは鼓をならいたいと言っていました。それから――」 「それから?」 「それからあなた肖像をかくとか言っていました。本当ですか」 「ええ、高等モデルなの」と言った。男はこれより以上に気の利いたことが言えない性質である。それで黙ってしまった。女はなんとか言ってもらいたかったらしい。  三四郎はまた隠袋へ手を入れた。銀行の通帳と印形を出して、女に渡した。金は帳面の間にはさんでおいたはずであるしかるに女が、 「お金は」と言った。見ると、間にはない。三四郎はまたポッケットを探った。中から手ずれのした札をつかみ出した。女は手を出さない。 「預かっておいてちょうだい」と言った。三四郎はいささか迷惑のような気がした。しかしこんな時に争うことを好まぬ男である。そのうえ往来だからなおさら遠慮をした。せっかく握った札をまたもとの所へ収めて、妙な女だと思った。  学生が多く通る。すれ違う時にきっと二人を見る。なかには遠くから目をつけて来る者もある。三四郎は池の端へ出るまでの道をすこぶる長く感じた。それでも電車に乗る気にはならない。二人とものそのそ歩いている。会場へ着いたのはほとんど三時近くである。妙な看板が出ている。丹青会という字も、字の周囲についている図案も、三四郎の目にはことごとく新しい。しか熊本では見ることのできない意味で新しいので、むしろ一種異様の感がある。中はなおさらである三四郎の目にはただ油絵水彩画区別が判然と映ずるくらいのものにすぎない。  それでも好悪はある。買ってもいいと思うのもある。しか巧拙はまったくわからない。したがって鑑別力のないものと、初手からあきらめた三四郎は、いっこう口をあかない。  美禰子がこれはどうですかと言うと、そうですなという。これはおもしろいじゃありませんかと言うと、おもしろそうですなという。まるで張り合いがない。話のできないばかか、こっちを相手にしない偉い男か、どっちかにみえる。ばかとすればてらわないところに愛嬌がある。偉いとすれば、相手にならないところが憎らしい。  長い間外国旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。双方とも同じ姓で、しかも一つ所に並べてかけてある。美禰子はその一枚の前にとまった。

anond:20241001222935

ベニスでしょう」

 これは三四郎にもわかった。なんだかベニスらしい。ゴンドラにでも乗ってみたい心持ちがする。三四郎高等学校にいる時分ゴンドラという字を覚えた。それからこの字が好きになった。ゴンドラというと、女といっしょに乗らなければすまないような気がする。黙って青い水と、水と左右の高い家と、さかさに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とをながめていた。すると、

「兄さんのほうがよほどうまいようですね」と美禰子が言った。三四郎にはこの意味が通じなかった。

「兄さんとは……」

「この絵は兄さんのほうでしょう」

「だれの?」

 美禰子は不思議そうな顔をして、三四郎を見た。

だって、あっちのほうが妹さんので、こっちのほうが兄さんのじゃありませんか」

 三四郎は一歩退いて、今通って来た道の片側を振り返って見た。同じように外国景色かいものが幾点となくかかっている。

「違うんですか」

「一人と思っていらしったの」

「ええ」と言って、ぼんやりしている。やがて二人が顔を見合わした。そうして一度に笑いだした。美禰子は、驚いたように、わざと大きな目をして、しかもいちだんと調子を落とした小声になって、

「ずいぶんね」と言いながら、一間ばかり、ずんずん先へ行ってしまった。三四郎は立ちどまったまま、もう一ぺんベニスの掘割りをながめだした。先へ抜けた女は、この時振り返った。三四郎自分の方を見ていない。女は先へ行く足をぴたりと留めた。向こうから三四郎の横顔を熟視していた。

里見さん」

 だしぬけにだれか大きな声で呼んだ者がある。

 美禰子も三四郎も等しく顔を向け直した。事務室と書いた入口を一間ばかり離れて、原口さんが立っている。原口さんのうしろに、少し重なり合って、野々宮さんが立っている。美禰子は呼ばれた原口よりは、原口より遠くの野々宮を見た。見るやいなや、二、三歩あともどりをして三四郎そばへ来た。人に目立たぬくらいに、自分の口を三四郎の耳へ近寄せた。そうして何かささやいた。三四郎には何を言ったのか、少しもわからない。聞き直そうとするうちに、美禰子は二人の方へ引き返していった。もう挨拶をしている。野々宮は三四郎に向かって、

「妙な連と来ましたね」と言った。三四郎が何か答えようとするうちに、美禰子が、

「似合うでしょう」と言った。野々宮さんはなんとも言わなかった。くるりとうしろを向いた。うしろには畳一枚ほどの大きな絵がある。その絵は肖像画である。そうしていちめんに黒い。着物帽子も背景から区別のできないほど光線を受けていないなかに、顔ばかり白い。顔はやせて、頬の肉が落ちている。

「模写ですね」と野々宮さんが原口さんに言った。原口は今しきりに美禰子に何か話している。――もう閉会である来観者もだいぶ減った。開会の初めには毎日事務所へ来ていたが、このごろはめったに顔を出さない。きょうはひさしぶりに、こっちへ用があって、野々宮さんを引っ張って来たところだ。うまく出っくわしたものだ。この会をしまうと、すぐ来年の準備にかからなければならないから、非常に忙しい。いつもは花の時分に開くのだが、来年は少し会員のつごうで早くするつもりだから、ちょうど会を二つ続けて開くと同じことになる。必死勉強をやらなければならない。それまでにぜひ美禰子の肖像をかきあげてしまうつもりである迷惑だろうが大晦日でもかかしてくれ。

「その代りここん所へかけるつもりです」

 原口さんはこの時はじめて、黒い絵の方を向いた。野々宮さんはそのあいだぽかんとして同じ絵をながめていた。

「どうです。ベラスケスは。もっとも模写ですがね。しかもあまり上できではない」と原口がはじめて説明する。野々宮さんはなんにも言う必要がなくなった。

「どなたがお写しになったの」と女が聞いた。

三井です。三井もっとうまいんですがね。この絵はあまり感服できない」と一、二歩さがって見た。「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものから、うまくいかいね

 原口は首を曲げた。三四郎原口の首を曲げたところを見ていた。

「もう、みんな見たんですか」と画工が美禰子に聞いた。原口は美禰子にばかり話しかける。

「まだ」

「どうです。もうよして、いっしょに出ちゃ。精養軒でお茶でもあげます。なにわたしは用があるから、どうせちょっと行かなければならない。――会の事でね、マネジャー相談しておきたい事がある。懇意の男だから。――今ちょうどお茶にいい時分です。もう少しするとね、お茶にはおそし晩餐には早し、中途はんぱになる。どうです。いっしょにいらっしゃいな」

 美禰子は三四郎を見た。三四郎はどうでもいい顔をしている。野々宮は立ったまま関係しない。

「せっかく来たものから、みんな見てゆきましょう。ねえ、小川さん」

 三四郎はええと言った。

「じゃ、こうなさい。この奥の別室にね。深見さんの遺画があるから、それだけ見て、帰りに精養軒へいらっしゃい。先へ行って待っていますから

「ありがとう」

「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから。実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を言ってその後影を見送った。二人は振り返らなかった。

 女は歩をめぐらして、別室へはいった。男は一足あとから続いた。光線の乏しい暗い部屋である。細長い壁に一列にかかっている深見先生の遺画を見ると、なるほど原口さんの注意したごとくほとんど水彩ばかりである三四郎が著しく感じたのは、その水彩の色が、どれもこれも薄くて、数が少なくって、対照に乏しくって、日向へでも出さないと引き立たないと思うほど地味にかいてあるという事である。その代り筆がちっとも滞っていない。ほとんど一気呵成に仕上げた趣がある。絵の具の下に鉛筆輪郭が明らかに透いて見えるのでも、洒落な画風がわかる。人間などになると、細くて長くて、まるで殻竿のようである。ここにもベニスが一枚ある。

「これもベニスですね」と女が寄って来た。

「ええ」と言ったが、ベニスで急に思い出した。

「さっき何を言ったんですか」

 女は「さっき?」と聞き返した。

「さっき、ぼくが立って、あっちのベニスを見ている時です」

 女はまたまっ白な歯をあらわした。けれどもなんとも言わない。

「用でなければ聞かなくってもいいです」

「用じゃないのよ」

 三四郎はまだ変な顔をしている。曇った秋の日はもう四時を越した。部屋は薄暗くなってくる。観覧人はきわめて少ない。別室のうちには、ただ男女二人の影があるのみである。女は絵を離れて、三四郎真正面に立った。

「野々宮さん。ね、ね」

「野々宮さん……」

「わかったでしょう」

 美禰子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。

「野々宮さんを愚弄したのですか」

「なんで?」

 女の語気はまったく無邪気である三四郎は忽然として、あとを言う勇気がなくなった。無言のまま二、三歩動きだした。女はすがるようについて来た。

あなたを愚弄したんじゃないのよ」

 三四郎はまた立ちどまった。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見おろした。

「それでいいです」

「なぜ悪いの?」

「だからいいです」

 女は顔をそむけた。二人とも戸口の方へ歩いて来た。戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。美禰子の肉に触れたところが、夢にうずくような心持ちがした。

「ほんとうにいいの?」と美禰子が小さい声で聞いた。向こうから二、三人連の観覧者が来る。

「ともかく出ましょう」と三四郎が言った。下足を受け取って、出ると戸外は雨だ。

「精養軒へ行きますか」

 美禰子は答えなかった。雨のなかをぬれながら、博物館前の広い原のなかに立った。さいわい雨は今降りだしたばかりである。そのうえ激しくはない。女は雨のなかに立って、見回しながら、向こうの森をさした。

「あの木の陰へはいりましょう」

 少し待てばやみそうである。二人は大きな杉の下にはいった。雨を防ぐにはつごうのよくない木である。けれども二人とも動かない。ぬれても立っている。二人とも寒くなった。女が「小川さん」と言う。男は八の字を寄せて、空を見ていた顔を女の方へ向けた。

「悪くって? さっきのこと」

「いいです」

だって」と言いながら、寄って来た。「私、なぜだか、ああしたかったんですもの。野々宮さんに失礼するつもりじゃないんですけれども」

 女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎はその瞳のなかに言葉よりも深き訴えを認めた。――必竟あなたのためにした事じゃありませんかと、二重瞼の奥で訴えている。三四郎は、もう一ぺん、

「だから、いいです」と答えた。

 雨はだんだん濃くなった。雫の落ちない場所わずしかない。二人はだんだん一つ所へかたまってきた。肩と肩とすれ合うくらいにして立ちすくんでいた。雨の音のなかで、美禰子が、

「さっきのお金をお使いなさい」と言った。

「借りましょう。要るだけ」と答えた。

「みんな、お使いなさい」と言った。

与次郎用事というのはこうである。――今夜の会自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎与次郎に口を添えて極力先生賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎広田食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩い広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいから大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来性質のいい運動から三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町神社鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久かいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわあいにおちついて静かである煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎熊本赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である熊本学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しか与次郎相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎ますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生ハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったもの自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である演説いたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合ビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通会合であるしかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間普通人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己運命の膨脹を自覚しえた。  政治自由を説いたのは昔の事である言論の自由を説いたのも過去の事である自由とは単にこれらの表面にあらわれやす事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋文芸研究する者であるしか研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通人間とは異なっている。文芸技術でもない、事務でもない。より多く人生根本義に触れた社会原動力である。我々はこの意味において文芸研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通ビールコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールコーヒーである。  演説意味ざっとこんなものである演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎もっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないか大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっと三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまりわずに出た。ゆうべから急に新時代青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆ価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口運動場の南のすみにある。大きな日の丸イギリス国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリス国旗はなんのためだかからない。三四郎日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟大学陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しか外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎失望したのは婦人席が別になっていて、普通人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離から顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しか婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎自分無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはい婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。

砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。

 それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会めいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。

 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。

 三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちからまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。

あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐ものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいもの出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。

 美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。

「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。

「今まで見ていたんですが、つまらいからやめて来たのです」

 よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、

「それより、あなたたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。

「もう宅へ帰るんですか」

 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。

「どこかへ行くんですか」

「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。

高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」

 美禰子は軽く笑ったばかりである三四郎も黙っている。三四郎高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。

「この上には何かおもしろものがあって?」

 この上には石があって、崖があるばかりであるおもしろものがありようはずがない。

「なんにもないです」

「そう」と疑いを残したように言った。

「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。

あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。

「いいからいらっしゃいよ」

 よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、

「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」

 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。

あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。

「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。

 やがて女二人のあいだに用談が始まった。

あなた、いらしって」と美禰子が言う。

「ええ。あなたは」とよし子が言う。

「どうしましょう」

「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」

「そうね」

 なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院看護婦のところへ、ついでだからちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。

 よし子は、すなおに気の軽い女だからしまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。

 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。

「あの木を知っていらしって」と言う。

「あれは椎」

 女は笑い出した。

「よく覚えていらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

 今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」

 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院あんまり暑いものから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」

「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから

だってだいぶ得意のようじゃありませんか」

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」

「なぜですか」

だってまさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」

 三四郎はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」

「会場で?」

「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。

あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」

 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。

あなた原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「そう」

「どうかしましたか

「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」

 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎自分いかにも愚物のような気がした。

「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの

 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやす下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活永久にやめる時機がこないともかぎらない。

 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。

 三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

「お兄いさんは下宿なすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。

「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。

 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通学生同様な下宿はいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである

 三四郎赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分田舎から出て大学はいったばかりである学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらいから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生帽子をとって礼をしながら、

「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

anond:20241001201601

2024-09-27

ゲルググサーフボードみたいな形のシールド

史実カイトシールドなどは馬上で片足だけ守ればいいので下が尖った形をしていたと記憶しているのだが

ゲルググシールド上下を尖らせている合理的意味は何?

誰か理屈考えているよね、きっと

もし、資源節約だったとしたら、生産性の向上狙いで長方形にした方がよくね?

2024-09-26

中途エンジニア採用面談を任されたんだが、エンジニア面接のお題ってどんなものがいいんだろう

SQLを渡して)「このクエリ高速化するとしたらどうしますか」

とあるバックエンドの負荷テストを任されたとするとまず何をしますか」

モバイルアプリで使える投票システムの開発を任されました。技術構成とおおまかな設計を考えてください。スピード重視のパターン機能拡張重視のパターンで考えてください。」

検索エンジンが大量のデータから高速に検索できている仕組みを簡単説明してください」

インタビュアーの得意分野のコードを渡して)「このコード不具合があります不具合修正してください。」

(穴埋め式のコードを渡して)「円と長方形の当たり判定の途中のコードです。このコードを完成させてください。」

2024-09-16

首都圏だと生活保護世帯借金を踏み倒したことのある人、ホームレス自己破産者など生活困窮者保証会社審査に通らないことが多いし、原則としてアパートを借りることができないし、住宅扶助範囲内で出してるアパートがまずないです。

一応郊外だと、住宅扶助範囲であるにはあるけど、保証会社必須で、一口IHか二口ガスコンロ設置可能、3点ユニットバスプロパンガスという普通の人が選ばないような物件ぐらいしか勤務先は紹介できないです。

これに関してはほかの業者もおおむね同じだったりします。

地域によっては生活困窮者仲介が非常に面倒ですし、心がマジで折れます

ただ、生活困窮者みたいな保証会社審査が通らない人でも一応手はあります

まずは不動産会社保有管理物件に頼る方法

勤務先の社長の知り合いの大屋さんは生活保護がOKなので、大家さんに情報を伝えて、入れてもらうという手があります

ほかの地域ではどうか知らないけど、首都圏だと、障害があったり、ほかの物件がなく、ドヤに入れてもあまり意味がないケースの場合風呂が共同のアパートに入れるという手も使えることがあります

管理物件風呂なしの共同アパートみたいなのはあり、ここに生活保護の方を入れたことは何度かあります

ただ、金銭管理ができないなどの事情がない限り、福祉事務所代理納付をしてくれず、滞納リスクはそれなりにありますし、ガラス1枚を壊して逮捕され、拘留され、生活保護が停止になったケースもあるにはあります

ある生活保護世帯が部屋をゴミだらけにし、ゴミ捨てと掃除で1か月ぐらいかかったことあります

業者に頼むと早いのですが、それだと二桁万円はいくので、1か月間遊ばせたほうが安いのです)

もう一つの手はNPO一般社団法人の紹介で入れてもらうという手があります

この手の物件の作り方は大体は以下の通りで

1.不動産屋が競売アパートを買う

郊外かつ3点ユニットバスプロパンガスガスの物件は非常に人気がなく、家賃2万円で契約が取れないことが多々あります。このケースだとアパートを購入する際に借りたお金を返せず、競売に出されることがあります

この手の物件は鑑定評価郊外の6割程度です。

競売なので、ハザードリスクもなく、土地の形が正方形長方形に近く、きれいに分割でき、退去費用を払ってもなお、ペイする物件は建売業者が買いますが、そうでない物件は建売業者すら手を出しません。

なので、そういう物件安く買うことができます

例えば、アパート原則として家賃収入÷利回りでで値段を出すので、家賃2万円、利回り10%、10部屋のアパートだとおおむね1440万円で買うことができます

土地の形状やハザードリスクによっては公示価格×土地面積×形状やハザードリスク補正で値段を計算し、うまいこと混ぜ合わせるので、さらに安くなることがあります

2.一般社団法人NPO設立する

不動産屋がそのまま生活困窮者を入れてもいいのですが、生活困窮者精神疾患を持っていたり、高齢者だったり、ホームレスかつ境界知能を持っていたり、と相応の知識必要になることが多いです。

さすがに不動産屋には手が余るので、お医者さんや精神保健福祉士無料低額宿泊所管理必要資格を持ってる人を雇い入れ、法人名義で寮とアパートを借り上げる。

寮に生活困窮者を住まわせ、しかるべきタイミング――金銭管理ができるかとか知能、預貯金収入の有無の凹凸に関して確認し、問題ないようであれば、アパートを紹介します。

場合によってはアパートにそのまま住まわせることもあります

3.生活保護申請をする

生活困窮者と同行し、生活保護申請します。

2の段階で要件を満たしていることが多いので、申請は通ることが多いです。

申請が通ったら、住宅扶助費が4万円支給されるので、一部屋につき2万円の利益を得ることができます

4.不動産屋がポータルサイトで売却をする

1のようなアパートです家賃4万円だと4800万円が売値になります仕入れ値は1440万円なので、粗利益は3360万円+仲介手数料になります

仲介手数料は3360万円ですと、106万円ぐらいになり、トータルの粗利益は3466万円ぐらいになります

もちろん、リフォーム費用広告費、競売仕入れ費用登録免許税や金利とか)などが別途かかり、入居がうまくいかないケースだと炊き出しをしたり、ほかの業者広告費を払って、入居者を集めないといけないです

なので、粗利益3466万円がまるまる残るわけではありません。

銀行がだめだといえば4800万円で売ることができないし、空室が埋まらなければ、手元に残る金額もっと減ってしまます

で、入居者からするとかなりありがたい存在ではあります

住む家が見つかり、ホームレス状態からは脱することができます

ただ、買主目線だと、リスクは高く、最低でもレントロールを見せてもらってください。レントロールに書かれている家賃住宅扶助と同じ金額であれば、生活保護世帯が入ってるので警戒したほうがいいです。

また、この家賃住宅扶助費よりも下回っている場合も注意したほうがいいです。

大家さんが適当に値付けをし、自力で治せるなら、時間との兼ね合いになりますが、まずくはないですが、家賃が低いということは低所得者層がそれなりに入り込んでおり、かなえ先生が言うように自分自分のケツを吹く必要があります

誰も助けてはくれません。(要配慮住宅要件を満たしているなら、補助はありますが…)

なので、アパートを買う前にアパートの周囲と歩き、近所の不動産屋の相場家賃を見ておいたほうがいいです。

ハザードマップポータルサイトグーグルマップである程度はわかりますが、坂の感覚匂いなどは実際に歩いてみたほうが手っ取り早いです。

なお、住宅扶助費に関してですが、コラボなどいくつかの団体やらかしてくれたので、流れが変わる可能性があります

住宅扶助費がある日突然下がる可能性があるということだけは覚えておいてほしいです。

2.住宅扶助費設定に考慮されるべき事項

住宅扶助費の水準設定は,該当地域の民間賃貸

住宅家賃分布基準に,公営住宅の同種近傍

賃のように明確な基準によって設定されるべきも

のであろう.また,管理費・共益費が生活費に食

い込んでいる可能性がある現状を考慮すれば,住

扶助費には管理費・共益費等を含めることも必

である

ただし,東京都心のように一般的生活者

あっても住居費を負担することが困難であると考

えられるような地域では,住宅扶助費の水準を相

対的に抑制することも公平性観点から考慮が必

である

そして,もし基準額の見直しが行われたとして

も,その適用新規入居,引越時等に適用される

べきもので,入居中の家賃に対して無条件に適用

されるべきものではないことは言うまでもない

https://www.suumo-research.com/research/2016-5

蛇足

なお、かなえ先生ライブ配信でいっていたようにDIYリフォーム費用を抑えるという手もありますが、ペンキを塗るのは結構面倒ですし、壁紙もうまくやらないと穴が開くことがありますし、斜めに貼ってしまうこともあります

工事業者に頼むと高いですが、なるべくなら、業者に頼んだほうがいいです。

れいにやってくれます

あと、プロパンガススキームと言って、プロパンガス屋に設備の設置をただで依頼して、入居者にガス料金設備設置費用などをふたんする方法流行ってますが、都市ガスエリアだと埋めるのが非常に難しくなります

また、お客さんが部屋を借りるとき重要事項説明書でここら辺を説明しないといけない方向性に傾きつつあるので、プロパンガススキームはやらないほうがいいと思います

2024-08-21

かけ算の順序と長方形の面積

長方形の面積=たて✕横

「たて3cm、横4cm長方形の面積を求めなさい」と聞かれたら、「長方形の面積=たて✕横」だから「3✕4=12」と答えるはず。

もしこれを「4✕3=12」としたら不正解になるのか。

不正解にはならないでしょう

りんごが3個のったお皿が4枚ありますりんごはいくつあるでしょう」の場合は「3[個/枚]✕4[枚]=12[個]」と答えないと不正解

「(かけられる数)✕(かける数)」の順番で書かなくては不正解ということになっています

でも長方形の面積は「3[cm]✕4[cm]=12[cm^2]」で、どちらかが「かけられる数」で、どちらかが「かける数」という関係ではないので、3✕4=12でも4✕3=12でも正解になるのでは

と思いきや、やはり不正解かも

長方形の面積を考えるときは、まず、1[cm]✕1[cm]の正方形が縦に3個ならんだ図形を考えます。この図形の面積は3[cm^2]です。

そして、この基準になる図形が横に4個ならんだものがたて3cm、横4cm長方形と考えます

なので「3[cm^2/個]✕4[個]=12[cm^2]」となるので、かけ算の順序が重要です。

よって、4✕3=12だとたて4cm、横3cm長方形の面積を求めたことになり、不正解です。

そんなこと言っても結局は正解でしょう

長方形の面積を求めるときに「かけられる数」「かける数」は、もう忘れてます

「かけられる数」「かける数」が重要で、順序があるとこだわるのは、「かけられる数」「かける数」を教わる単元の間のみでしょう。

なので我々は日常生活で乗算をするとき、例えば「5,000人から10円ずつもらえば50,000円だな」と考える時に10がかけられる数で、5,000がかける数だとは意識せずに計算をしてます

2024-08-10

anond:20240810175106

三角形の面積の計算

縦×横×高さ÷2

これはなんなんだよ!

いやほんとにこれはなんなんだよ…

面積(L^2)なのにLを3回かけるわけがないだろ

そういうところだぞ

近隣の教科書取扱で5年生の算数教科書買ってこい

  1. 長方形の面積(グリッドを数える)
  2. 平行四辺形切り貼りしたら長方形と同じになる)
  3. 三角形平行四辺形の半分⇔2倍したら平行四辺形

の順番で書いてある

万が一教科書に書いてなくても副教材がそうなってる

億が一教科書と副教材がそうなってなくても教員がそう教える

2024-07-24

anond:20240724093350

半畳畳そのものは昔からあるからなあ。

江戸城大広間を描いた浮世絵とか見ると、

畳の一方向にしか縁飾りがなくて、

もう一方の長さがわかりづらいようになっているが、

現代人の感覚としては当然長方形だったんだろうと思いつつも、

100%絶対にそうだと断言できるほどの歴史知識自分にはないな。

2024-06-18

anond:20240609210028

金玉から金玉箱という名称になった世界

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