はてなキーワード: 稲刈りとは
批判の多くが「日本に見えない」とか「四季がめちゃくちゃ」「中国と日本の区別がついてない」
「馬がホバーしてたり障子が浮いていたり、バチがあたってないのに太鼓を叩いていたり、謎の中国の楽器が登場してる」
「野生の松の木はこんな盆栽みたいじゃないし、畳が真四角なのもおかしいし、桜はこの頃はソメイヨシノはないし、鳥居が村の入口のあるのは変」
「神社でお香は炊かないし、春に稲刈りはしない」「なんていゆうか風景がミャンマー」「錦鯉や今の剣道の竹刀は江戸時代からで、この時代にはない」
そして
「弥助はアフリカ系黒人(ほぼエチオピア人で確定)なのに、裏でヒップホップが流れててドレッドヘアなのはアメリカの黒人の特徴でUBIは何も分かってない」と。
もちろん【伝説の侍】でもない!と。
「日本の歴史を学べるって開発者は言っていた!!」 うん。それで?
しかも開発者は世界中のインタビューで、これまでずっと日本人から「こんなのは日本じゃない!!」って指摘をずーーーーーーっと、3ヶ月以上受け続けてても、それでも
「私達は専門家と常に協力してきた」「歴史描写の正確性」にこだわってきたし、自信がある」「日本に敬意を払い、とても最新の注意を払って作った」
「アサシンクリードシャドウズはシリーズ最高の出来です」と言っている。今でもね。
今作でも「現代パート」がある事はインタビューからも分かっている。
2ヶ月後にゲームが発売されたら俺が預言者だとか内部の犯行だとか言われないか心配だけど、俺には「答え」が分かってしまったよ。
だから、アメリカ系黒人で問題ない。だってこれはゲームでフィクションだからね。史実の弥助ではないからエチオピア人じゃなくていいんだ。Fateのアーサー王が女なのと同じ。
そのタイムトラベルの際に時空の歪みが発生してしまって、日本やタイや中国やミャンマーと地形が入り混じり、四季もめちゃめちゃになってしまったんだ。
もしくは、その歪みを修正するために「伝説の侍、弥助」として戦国時代の日本に赴くんだ。
だから、そこに東大寺の奈良の大仏があるのは何もおかしくないし、無いはずの二条城の天井画があるのも何もおかしくない。
時空が歪んでるんだから、馬もホバーするし、障子も浮くだろうよ。
そういった「間違い」を正すことで、つまりユーザーが【8番出口】のように間違い探しをすることによって「日本の歴史」を学べるんだと思う。
有名な日本の専門家と協力して、歴史的正確性にはかなりこだわったみたいだからね。
これなら、開発者達の説明となんら矛盾しない。そして、彼らが釈明出来ない理由である。
ここで理由を全て説明し、謝罪をしてしまったらネタバレになってしまうからである。 弥助がサラブレッドにまたがってホバー移動しているのにも納得だ。
だから彼らはただ「日本に敬意をもって細心の注意を払ったこと」「日本の皆様に誤解を与えたこと」を謝り「何も問題はありません」「自信をもってリリースします」と言っているわけだ。
これは発売後、一気に神ゲーとして評価が逆転する可能性を秘めている。
実際、昨日1日だけでUBIの株価は5%近く上昇している。
日本円にして、100億円以上も企業価値が上がっているんだ。 1日で100億円以上だよ!?
もともとアサクリは日本での売上なんて期待してないし、外人にさえ支持されれば良い。
つまり、日本人からの評判を気にしたり日本を法律を守る必要はないって事だ。
実際バイオ5は白人が黒人のゾンビ(つまりは死体)を撃ち殺す描写で世界中からバッシングされたけど、
アサクリは世界中のどのゲームメディアも一切の批判をしてない。一切だ。
白人が黒人の死体を撃ち殺すゲームは許されないけど、黒人が日本人を金棒で殴り殺すのは許される。
パリオリンピックや、アメリカでのアジア人差別が酷い話を知ってれば余裕だろう。
黒人にも差別されるのが日本人。死んだ黒人よりも日本人の命は軽い。
ゲームさえ面白ければ日本人を殴り殺す描写なんて中国人韓国人は大喜び。
中国では黒神話悟空みたいに3日で1000万本売れてもおかしくない。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080036
https://web.archive.org/web/20170710055811/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201210
2012.10.25 Thursday18:37
ドラマ「Piece」で使われてる洋楽が耳に残るので、買ってみましたよ。
MATCHBOX TWENTY 「NORTH」
歌詞も、すごくいいな。
「I WILL」って曲の「Take a little piece of me」
(僕のかけらを、少し持っていって)って歌詞の「piece」って単語が、
「かけらを持っていって」ってところが控えめで良いです。
こちらも良いな
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音楽---
2012.10.22 Monday16:35
稲を刈って来ましたよ~。
稲穂を縛ってはざかけしただけですけれど、、。
皆ごめん。
最近とうとう、家庭でのパンの消費量がお米を上回ったそうですね。
日本の食卓の未来を憂いつつ、帰りの海老名SAでパン買って帰る。
私も加担してるなあ。
お米ごめん。
外に出たら出たで気持ちいい。
ってことを、ドラマ「Piece」3話の水たまりのシーンを観ながら思いました。
時には良いです。
「むやみに熱唱!」
「暴飲暴食!」
「深夜に脱走!!」
「胃腸が丈夫!!」
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日記---
2012.10.19 Friday17:43
11月8日(木)発売の「プチコミック」12月号に
まだ発売されてませんよ。11月ですよ。
なにがスゴロクかって説明しだすとあらすじ喋っちゃいそうなので、
漫画読んでください~。
すぐにコミックスに収録されないと思うので、雑誌で読んで頂けると
嬉しいなあ~と。
って意気込んだんですが、担当さんに
「芦原さんにそういうの期待してないから」って言われちゃったので、
でも、恋愛モノですよ。
読んでくださいね。
久々に可愛らしい色味のカラー扉を描いて、ちょっと楽しかったです。
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お仕事---
「Piece」はいつも通り、90ページ。
コウジサイドのお話しと、あと今回やっと、皓の心の内が
ほんの少し暴かれる回になってます。
皓くん、いっぱいいっぱい。
懸命に努力されてる様子がうかがえて、
とっても嬉しい気持ちになりました。
(笑 ・ 私も関西人。。)
「Piece」は来年前半、遅くとも半ばには終了予定です。
「砂時計」と同じくらいの巻数になるはずですが、、、
一番付き合いが長いのですよね。
1
お仕事---
2012.10.07 Sunday00:34
今日うちに第1話が届きましたよ~。
あと、礼美ちゃんがとっても礼美っぽいな。
(痩せてるけど。雰囲気が。)
演技も上手。目がくりくりで可愛い。
な、、、成海が飛んだーーーーーーーっ!!!
(あ~びっくりした!!)
取り敢えず、関東地区の皆様、お楽しみくださいませ~。
今さっき気付きました。
•waybackmachineにある最古のページは2011年6月だったけどそれにはブログ開始の挨拶とかなかったから、実際はもっとあったのかもしれない
↑写真とかも載ってるから興味ある人はちゃんとこっちから読んだ方ががいいです。
或いはこの増田のツリーよりはarchiveの方がPC版とサイズ同じなので読みやすいかもです https://archive.md/or39k
・「ダラス・バイヤーズクラブ」
・「オンリーゴッド」
・姉から鍋つかみをもらった
・顔出し
・「タイピスト」
・集英社で初連載
・競馬
・「月刊フラワーズ」メッセージイラスト(水城せとな先生の20周年)
・中山優馬くんの「Missing Piece」
・MATCHBOX TWENTY 「NORTH」
・稲刈り
・関西弁
・「鈴木先生」
・「桐島、部活やめるってよ」
・ドラマ迷った
・パソコン壊れかけた
・「殺す理由」
・講談社漫画賞授賞式祝賀会(水城せとな先生の失恋ショコラティエ)、迷って日比谷シャンテ周辺をグルグルグル。
・テレビが壊れた
・占い
・最近ライアン・ゴズリングが好き
・「ドライヴ」と「スーパー・チューズデー」
・「ブルーバレンタイン」
・猫が来た
・テニス
・貧血
・「ガタカ」
・「ヘルタースケルター」
・「僕らがいた」
・「第9地区」
・母のロールキャベツ
・「カーネーション」「ジョゼ」「ヒミコ」「コケッコー」渡辺あやさん
・野獣風呂
・iPad買った
・箱根神社
・謝恩会
・テレビ壊した
・芝刈り
・「ガキのためいき」
・「見かけの二重星」。
・犬の箸置き
・ルンバ壊れた
・「天然コケッコー」
・カラスに襲われた
・パンの話が描きたい
最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。
哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。
今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。
去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。
アナグマはイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべで検索するとすぐに出てくる。
で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチ・キツネ・アライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師や地元住民に殺処分されるところを見てきた。
正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。
そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション(農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスやコンビニのホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。
結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。
実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である。農家は手を出さない。
私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植えや稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。
私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋がキツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属のネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。
或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋のネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。
後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父が散弾銃を撃ってた。
キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである。
祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。
「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」
「わしはもっとらん。ひいじいちゃんはもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」
「俺も撃ちたい」
「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」
平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対にマネしないように。
さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ、狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣の駆除行為はひっそりとやりたい。
話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌である。しかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。
その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりしたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議な体験だった。
今度は市街地での話だ。
まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわと路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつに出会った。
歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!
その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しかも車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。
私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。
土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。
どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。
今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギかコナラにくっつけてやる。
これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。
ある日、家の庭の中にある小道(※田舎だから家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。
現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。
息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。
好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。
私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。
その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。
3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。
次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。
「餌をあげてしまったの?」
「うん。お腹すいてると思って」
「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」
「うん」
「……どう思った?」
「わかんない」
「うん」
そんなやり取りをしたかな。
そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。
息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲはちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。
先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女はアスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。
ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。
その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。
次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女はセミをちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。
一応、セミもかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人もいるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。
話は長くなったが、結びにしよう。
大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類や鳥類は可愛いのばかりが残った。
それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。
あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間の場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。
父方の実家が嫌いだ。
最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。
緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父が会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。
いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。
その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。
家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシが大量発生する。
敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。
畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。
その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。
祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないものを大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金そのものだ。
正月や盆にはその親族が大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画のサマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)
私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地に暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)
家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。
その頃にはすでに人口の過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。
長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりのファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。
家業は建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植えや稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。
当然ヒマだったし、それなりに成長してからは仕事が振られるがそれも嫌だった。
小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植えや稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。
仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事のときには父母揃っている姿をよく見た。
羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。
一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家に連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。
運動会頑張ったから今日はレストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族がドラマの世界のようだった。
田舎の自然環境や農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。
道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。
そして田舎特有の距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。
私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。
姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。
しかし田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供は子供、と一括りにされている。
そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。
妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。
中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。
母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。
ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃんと対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。
私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。
人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。
そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。
「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。
上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)
更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。
親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。
高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。
父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)
なんで夫婦の問題に祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質が気持ち悪かった。
元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。
それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分は祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。
幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚そのものにダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。
離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。
(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)
離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。
父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったときが最後だった。
私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。
その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台のチケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。
誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。
私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初で最後の私の怒声だっただろう。
嫌味おばさんが人生終了レベルのトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。
父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。
姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。
数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。
姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母の病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。
最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。
姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。
自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしまう可能性があるかと思うとボケたときなんかが恐ろしくてたまらない。
別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社とかにお願いしておくから適当に無縁仏とかに放り込んでおいてほしい。
最近はそういうことを考える。
いとこでワイだけFじゃない大学入れました。
頭が良くなるからやれと言われた。なんだかんだ一回小さな大会で優勝したり学校で伴奏したり役立った。
→文章力をつけるために寝る前に書かされてた。小学校に入ってからは3行日記が宿題で出てたため解放された。
言い回しとかは毎日添削入ってた。これにより小説書くのが好きになって今のささやかな趣味になってる。
物心毎晩読み聞かせしてもらってて、年少からは自分で絵本とか読んでた。親が10代の頃読んでたちょっとエロい漫画とかも読んでた。ルビ振ってくれてた。
→トランプオセロかるた。家族で園児の頃からめっちゃやった。祖父祖母ともやった。オセロは今でもめちゃくちゃ弱い。
こどもちゃれんじ
→進研ゼミのやつ。2歳くらいから小3くらいまでやってた。サボってたけど課題添削は出してたかなぁ。
→謎に2年くらい習ってた。何にも覚えていない。
土いじり
→親の実家が農家だったんで、田植えや稲刈りやじゃがいもの収穫とか物心ついた時から色々
やっとけばよかった
→英語と数学の先取りを全くやらずに中学に行ったのでキツかった。
→小学校の頃何か一つチームスポーツをやっとくべきだった。メンタル面での成長が欲しかった。
あとは園児の頃からイベント作る系の遊びが好きだった。ごっこ遊びと称してちょっとしたお遊戯会みたいなのを友達と開催したり(演目の練習とかプログラムとかも作ってた)紙芝居を友達と合作したり、お手紙交換も園児の頃からやってた。
砺波平野の散居村が美しい
https://dailyportalz.jp/kiji/Scattered-villages-in-Tonami-Plain
珍しく地元の話題をホッテントリで見かけて面白かったので書いた。
書いてみたけど北海道の農家とかの方が大変そうだよねこういうの。
上下水道が来ているところもあるけど、井戸水と浄化槽のところも結構ある。
井戸と言っても電気で汲み上げるので普段の使用感は普通の水道と変わらない。
井戸水は夏冷たく冬暖かいとかのメリットもあるけど、停電すると水も止まるとか、地震の後は水が濁るとか面倒なところもあるらしい。
浄化槽は庭に浄化槽を埋めて下水がそこに流れ込むようになってるやつ。
井戸+浄化槽+プロパンガスまでは割と独立した感じがあるから、電気も自前の発電機で賄うようにしたら最強に見えるかもしれない。
道路自体は普通に管理されてるけど、道路脇の用水にフェンスが無いので定期的に用水に人が落ちる。富山県が全国で一番用水への転落事故が多いらしい。
散居村の用水全てにフェンスを付けるのは無理なので困ったねみたいな話がニュースになったこともありました。
道路といえば田んぼの真ん中に家があるので、家の敷地内に長い私道があるお宅が多い。どこまでが私道でどこからが公道なのかは住んでる人間もよくわかってない。
水田は洪水を防ぐはたらきがあるので、家が水田に囲まれてる散居村の水害防御力は多分高い。
先人が庄川の治水を頑張ったお陰でここ数十年は水害らしい水害は無いみたいだけど。
幹線道路は融雪装置が付いていたり早朝に除雪されたりするけど、散居村の家の前の細い農道にそんなサービスは無い。除雪車が来るとしても昼。
従って通勤のために車庫~除雪されている道までのルートを自力で切り開かなくてはならない。
上にも書いた通り散居村の私道は長いし、家の前の農道も除雪となると結構な距離になるので、農作業用のトラクターを除雪仕様に換装して除雪する。
トラクターの無い家でも手押しの除雪機持ってる家は多いんじゃないかな。ママさんダンプじゃなくてガソリンエンジンのやつ。
雪は温暖化の影響なのか昔に比べるとかなり少なくなった。
昔は12月に雪が積もると春まで地面が見えなかったけど、最近は一気に沢山降ってすぐ溶けるのを年に2~3回繰り返すみたいな感じになっている。
たくさん降りそうなりそうなときは前日から学校が休校決めたり、会社の社員食堂が食材の仕入れができないって言い出したりするので、
じゃあもう会社も休みにするかとなることが増え、昔よりかなり楽になった。休みなら早起きして除雪しなくていいからね。
ブラックキャップを開発した人はノーベル賞とか貰ったら良いと思う。
最近は温暖化の影響なのか昔は見なかったヤモリが家に入ってくるようになった。勘弁してほしい。
ブコメで見かけたけどあの景色のどこに騒音を見出したんだろう。カエルか?
カエルは実際五月蠅いらしいけど、地元民には聞こえていない(強く意識しないと音と認識できない)ので騒音にはカウントされない。
散居村は楽器やりたい人なんかには良いところってのはよく聞くけど、時期によっては3km離れた城端線を列車が走る音が聞こえるくらい静かなところなので、
季節と時間帯を選ばないと演奏が砺波平野に響き渡ってしまうかもしれない。
見ての通りド田舎なので、散居村を構成する家々は空き家が増えているし、高齢化もすごい。
もうじき敬老の日の催しがあるけど、75歳以上が老人として扱われ、会場の設営を70歳の若者がやっている。
屋敷林の管理や農作業、冬の除雪など、力仕事のできる人間が複数居ないと維持管理が難しいんだよな散居村の家。老人だけでは厳しい。
昭和初期生まれくらいの世代ではきょうだいが10人居るとか普通だったそうだし、そういう一世帯の人数が多かった時代のものなんだろうなと思う。
観光資源としてPRしてるけど、個人の農地と家が平野に並んでいるだけのものだから保全も難しい。土地の持ち主が田んぼをやめるのを止めることはできない。
そんな訳で今しか見れない景色かもしれない散居村、季節によって違う良さがある。
田んぼに水を張る季節が一番フォトジェニック。散居村の水田に映る夕焼けは観光案内なんかでよく見る。
高いところから見下ろすのも良いけど、城端線の車窓から見るのも良いのよって会社の先輩が言ってた。
また、砺波ではチューリップの球根の栽培が盛んで、GWごろには「となみチューリップフェア」というのをやっている。
チューリップ公園で大量のチューリップが咲いているほか、実際のチューリップ畑を見学したりもできる。
夏の散居村を車で走り抜けると草原の中を走ってるような感覚になるので個人的に好きな季節。
稲穂で一面黄金色なのも良いし、稲刈りの終わった後の寂しい感じも人によっては好きかもしれない。
散居村展望台の近くにある夢の平スキー場は秋になると一面の秋桜が咲いてるので結構人気がある。
雪景色が綺麗。積もりたてが特に綺麗だけど、そういうときは大抵公共交通や路面状況が死んでるから観光で来るのは大変そう。
いや公共交通は普段から瀕死だけども。バスも電車(城端線は電車じゃないけど)も本数少ないから、使うなら時間ちゃんと調べた方が良い。
俺はASD/ADHD(不注意優勢型)のハイブリッドだが、明示だろうが黙示だろうが納得できないルールに従うのは難しい。
無意味だと思うルールに従うのが苦痛でバイトを二度辞めた。定型発達者が無意識にこなす「とりあえず従う」がとにかくド下手なのだ。
幼稚園の頃、よその教室に出入りする際は「失礼します」「失礼しました」と言う規則があった。
しかし俺は納得できなかった。
以上の理由からいつもルールを無視して教室移動していたが、ある日先生にバレて廊下に出され、「言うまで入れない」と命じられた。そして授業が終わるまで、ひとり外で泣き続けた。
現在はこの手の日常マナー問題は「犬が尻を嗅ぎ合うようなもので、集団に馴染む意思を表す記号である」と解釈することでクリアしている。
それはそうと、未だ解せないのが外食時にテーブルで「いただきます」「ごちそうさま」を言う人。あれは何なんだ。
スタッフへの感謝ならレジカウンターで直接言えばいい。食材への感謝というが、死骸に手を合わせて何が伝わるというのだ。プレデターに「血肉になってくれてありがとう」とか言われて喜ぶ人がいるだろうか。そんなんええから殺さんでくれと思うのが生き物として自然だろう。食卓でマスターベーションをするな。
「残すと食材に失礼」という謎の負い目もそう。獲って殺した時点で失礼もクソもない。
「米粒残すな農家に失礼」もわからない。稲刈りの時期は田の周りに獲り溢した米が点々と落ちている。米に神が宿るならまず農協にクレームを入れろ。
俺は味覚・嗅覚・触覚が過敏で手先も不器用なため、食事関係の苦手がとても多い。そのため食事教の教義に従わないと無条件で人格否定してくる人間全般に激しい怒りを抱いている。何が「育ちが悪い」だ、死ね。
少し話が逸れた。
インターネットには我こそは発達障害者の代表でございという顔で障害特性を語る当事者が多く本当に辟易する。発達障害はスペクトラム、千差万別、100人いれば100通りの特性がある。傾向こそあれ白と黒に分別できるものではない。
作業所に通っていた時期があるが、知的障害の有無を問わず誰一人として「同じだ」と感じる人はいなかったし、むしろ相入れない人の方が多かった。
だからさぁ、断定調の方がバズりを狙えるのはわかるんだけど、他の当事者が誤解されかねないんで止めてくれませんかね。anond:20230930021538もそうだけど。俺あんたらと全然違うよ。
こんなとこにそんな情報置いても仕方ない気はするが
役に立つかも人もいるかもしれんので置いておく
まず農林系の役所の窓口に行って
を聞く。
堆肥撒いてくれるとこがあったら撒いてもらってそれだけで稲作する。そしたら環境保全型直接支払交付金で堆肥代が浮く。
窓口でこれも斡旋してくれる。
牛糞なら反当たり3トン毎年入れればそれだけで米取れる。
鶏糞は反当たり300kgくらいかな?やってないからわからん。
これで圃場内では有機肥料のみで育てた美味しいお米作れる。
JAで買う苗にふりかける箱材といわれる殺虫剤と殺菌剤はやらなくていい。無駄。
除草剤は絶対いるがかならずフロアブルという液体タイプにする。
粉やら投込むタイプのティーバッグみたいなやつは効きません。濃度が上がるまでに流出して効きにくいのよ。
水は当てっぱなしでいいし中干しいらない。
水の中にはがっつり栄養があるので水がながれないように調整する。
刈り取る前に水は全抜きしてしっかり乾かして。盆明けとかがいいかな。
稲の下から数えて最初の葉っぱがでているところから呼吸すると言われているので、これ以上水位を上げないようにする。
上げるとどんどん伸びてヒョロヒョロになってぶっ倒れる。
仕上げ防除とかいうカメムシ対策の殺虫剤にお金払うくらいなら後で色彩選別機でカメムシにやられた黒い米を取り除いてもらったほうが綺麗な米になる。
他の異物も取れるしな。
乾燥する時は40℃までの低温でやれば割れにくいし美味しい。なんなら17%くらいまでは時間かかるが風だけで乾燥できる。のこり1%だけ灯油使って乾燥すれば灯油代ケチれる。
これだけ抑えとけば付加価値ついたバッチリいいお米作れて大してお金かかりにくい。間違ってもJAの言うとおりにして農薬肥料買いすぎないように。
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→僕は父親がJAの通りにやってたのを全部見直して儲かるように仕組みを作り直した専業2代目です。
全部作業を委託すれば参入障壁は低いですが、機械を買う場合でも近所の幅利かせてる農機具屋に稲作やめて機械手放す人が出てきたら教えてくれるように言っておけば、ただ同然の値段で機械は揃えられます。
→うちの地域はJAの職員でそんな幅利かせてるのいないですね。良くも悪くも公務員みたいな人しかいないです。そもそもJAから機械借りたことないし稲作の機械は稲作してる農家から借りたらいいのであってJAに借りる必要ないのでは?
いい米つくりたかったら良い水流してくれるところに田んぼ持たないとだめなので、何処から水引いてくれるのか確認も必要です。
→これはほんとそう。うちの父は50過ぎて脱サラして始めたため水が漏れるとか水が来にくい田んぼばっかり借りてて、除草剤効かな過ぎて大変なことになってました。フロアブルスプラトゥーンで解決したわ!
水戦争は上流の人間がいつ水触るか全部観察して触った後なら1日後まで触らないので、そのタイミングでさわると確実。上流の人間の入れてる水を少しずつ解らないように減らすことで下流の自分のところに水が来るようにしてください。こうすればバレないしバレても1日後まで水量は回復している。
→その通りです。自分で調整して。
周りが農薬撒いてて地域に虫が少ないからできる奴。 お前んとこ虫の発生源言われてるんちゃう
→むしろ聞きたいけど田んぼにちょっと農薬撒いたぐらいで虫が消せるとでも?それ以外の草むらの面積の方がとんでもなく広いのに。。
ちなみにうちの地域では稲作してる人はかなり減っていて、うちの作ってる面積がかなりを占めてるが問題は起きてないので関係ないと思う。
ゲッ、自然派かよ
→自然派というかコスパ的にも一番安いし、なんなら自然派の人に高く売れるのでただ儲けたいだけでもこの方法がベスト。やってみりゃわかるけど結局うまく育つのって人工物を使っても自然の模倣した方法になるので、じゃあもう自然のものだけにすればええやんってことになる。
JAに逆らうと周りの農家からいじめられて作物駄目にされるのに
→ほんまにそんなとこあるんか正直信じられないけど周りに米農家やろうなんてとこないからそこまで寂れたら関係ないんかな?
中干しって、台風来たときに倒れないように根を伸ばすのが主目的なんじゃないの? 収量は減るかもしれんけど、台風でぶっ倒れたら稲刈り大変だし砂利だらけになるじゃん
→中干しは確かに根は伸びるけど、それは乾いた時専用の根なのでまた水張ったら水の中専用の根に戻る。なので早めに水切って根を伸ばさせる方が理にかなっている。書いた通り水を初期に深く入れすぎると伸び過ぎて倒れるから注意。こけたら砂利は確かに入ることもあるけど石抜き機と色選あるとこに機械とおしてもらえばほぼ100%なくなります。
無農薬とか自然農法とかアホらしいと思ってんだけど 無農薬ですよってラベルに書いておくと高く売れるのか? そんなん証明しようがないし偽装し放題じゃねえの?
→高く売れる。結構バカにしてるひといるみたいだけどお金持ちほどそういうの気にしてるみたい。
偽装し放題はその通りなので信頼できるとこから買いましょう。正直有機JASでもいくらでも偽装できると思う。検査がザルすぎる。
残留農薬の検査しまくってるの知らんの? 無農薬だの有機農法だのラベルにつけると真っ先に検査にやってくるぞ。
→ぜんぜんこない。
中干しは稲が伸びすぎて倒れるのを防ぐためにやるんだよ 倒れて台風でも来た日にはとてもじゃないけど刈り取れなくて酷いことになるぞ。
→やってみればわかるけど稲は倒れてもコンバインが優秀すぎるので刈れる。ちょっと時間はかかるけど。むしろ倒れてる方がよくできてるとか言う人がいるくらい。
JAの苗はハウスの高温で一気に伸ばすので苗が貧弱で倒れやすいから、もし自分で苗を育てられるなら路地で育てると良い。そうすれば短くて倒れにくい苗になるし、初期の状態がそのまま最終の状態にそのまま引き継がれる。
・堆肥撒いてくれる組合はあるか これハードル高いかな。地域によるのか、増田の書いてることは概ね納得出来る。 元兼業だが、田植えして除草剤撒けば後はそんなに稲作は難しく無いよな。 刈り取りは任せてたから、俺の経費除いて計算してみると数万しか利益が無いから他に任せて辞めたけど。 稲作は二丁歩程度じゃ話にならん世の中になってしまった。
→堆肥は畜産やってる地域じゃないと厳しいね。JAの買取が安すぎるので、道の駅等で付加価値つけた分を高く売る等の努力をしないとオペレーター頼むと手元にはあまり残らないですね。
JAってマジでなんのためにあるんだ?日本の農家の国際競争力を削いだり農業従事者減らすために存在してるんか?
→米は保存が効くから自分たちでさばけるけどあしのはやい野菜等はまとめて買い取ってくれるから意味ないことはないですよ。ただJAは公務員的な仕事の仕方しかしないので、値段を上げる努力をあまりしていない印象。ここを改善しないと廃れる一方だと思う。
農業をやりたい方は今までの日本の農業関係の資料が読めるルーラル電子図書館というのがあって、年間15000円くらいだったかな?それ使えばいままでの研究論文等読み放題なので活用するといいです。1年もあれば自分に必要な情報は取捨選択しながら読み切れると思う。
関東の田舎で働いてる。しがない機械工場勤めだ。話したいことがあって増田に投稿する。
いま居るとこは、すげーのどかだ。ほぼ東京の隣であるにもかかわらず田んぼが結構並んでる。あと数か月で稲刈りだな。今週ぐらい、近くの神社で夏祭りがある。嫁も子供もない自分は参加しずらいが、それでも毎年行ってフランクフルトと焼きそばを買って帰る。のどかな地域だと思う。地元なので思い入れはある。
それで、何か事情のある家族もいないし、二週間に一度は飲みに出る。安い焼き鳥の店で千円ちょっとだけ飲み食い(ボーナスが出たばかりだとやや高い店)して、それでスナックやラウンジに行く。田舎だから、そりゃあ安いもんだ。飲み放題で三千円の店とかもある。
自分が好きな店は、スナックとラウンジを足して2で割ったようなお店(以降は「お店」とする)だった。婚姻的な意味を表す英語が店名になっていた。最初はなんとなく寄ってみて、「料金高いな」と思ったけど、スタッフがみんないい子ばかりで気に入った。自分はあまりお金持ってないから、いちばん安いウイスキーボトル(ニッカor角)を入れて、一時間四千円ちょっとでしみじみと粘る。でも、ごく稀には同伴だってしてやるんだぜ。いつもカウンターに座ってる。テーブルには座らない。
さて、そんな具合でお店を楽しんでいたんだが、ある時だった。『町内会長』が店に来たのだ。60過ぎたくらいの。初来店だった。今から1年ほど前。
最近の爺さんって若作りな人が多い印象だけど、この人は年相応かなって感じだった。清潔感というのか、そういうのはあった。スーツと私服を足して2で割った感じの服装だったと思う(追記 調べたらセミフォーマルというらしい)。薄緑?~ダークグレーの装いがお店のうす暗い照明に照らされてた。
この人がタイトルの人だ。店の雰囲気にあまり合ってなかった。自分はこれまで、町内会長という役職の人と会話をしたことはなかった。なんか地域の代表者みたいなイメージしかなかった。一般雑誌とかアニメとか寝取られもののエロ漫画(あらくれ氏が描くような...)に出てくる町内会長しか知らなかった。のほほんとした感じの爺さんで、裏腹に一物もっている感じの。。。
続きだ。見慣れない人が来たなあ、と思っていたら、出入口からそう離れていないところで立ち止まっている。スタッフの女の子数人(平均年齢は30~40)も神妙な雰囲気だった。
「どこに座ったらいいですか」と、その人が言うと、チーママが「どこでもいいですよー」と言いつつ、俺とふたつ離れたカウンター席を案内した。それで、自分に付いていた子が2人いて、うち1人がその人のところに行って、あとはチーママが付いた。
そこで、その人が「すいません。料金の説明をしてもらっていいですか」とチーママに言った。で、説明を受けると、「ボトルは入れません。飲み放題にします」だって。※飲み放題の方がセット料金が高いが、ボトル代払ってキープすると安くなる。どっち派かは人による。
なんか、明らかにほかの客と雰囲気が違う。気になって、会話を聞いてみようという気になった......それで、おおよそ以下のようなキャラクターが判明した。
・お店の隣町の町内会長
・町内の飲み会の帰りに寄ってみようと思った(※徒歩)
・都内の商社で働いていて、定年退職した2年前に地元に帰ってきた
・珍しい店名だと思って寄ってみた
こんなところか。商社の名前もどこかで聞いたことがあった。こんな田舎者でも知ってる会社だ。きっと金を持ってるんだろう。年寄りだからな。
問題なのはこの後だ。会長は飲み放題のコース(1.5hで5,500円)にしていた。女の子のドリンクが1杯につき500円のはず。で、来店から10分くらい経った頃だった。会長に付いていた若手チーママ(34)の1人が、「私、一杯いただいてもいいですか」と言った。
すると、会長は左手を前に突き出して、「どうぞ」と言った。問題はその数分後だ。もう1人付いていた別の女の子(31)が、「1杯いただきますね」と言って、焼酎の水割りを作り始めた。
※上の括弧内の数字は年齢だ。オンラインゲームのレベル表示とかではない。わかってるとは思うが……。
すると、会長が「ちょっと待って」と言った。俺がそっちの方を向くと、会長が女の子(31)をちょっと睨んでいた。チーママが心配そうにしてる。
「その飲み物は、一杯につき料金がかかるんでしょう?」
「はい。500円です」
「だったら、その前に私の了解を得ないといけないんじゃないの」
「あ。はい。ごめんなさい」
「お客さんの了解も得ないで飲み物を作るのは、それは泥棒と一緒じゃないか!?」
女の子(31)は涙目になっていた。で、キッチンの方にすごすごと歩いて入っていった……。
こういうおっさんを見ると、本当にムカつく。わかってないのはあんたの方だろう。たかだか500円で、グチグチグチグチと。本当にケチ臭い人間だ。飲んでて気分が悪くなる。
あんた、金持ってるんだろ。俺と違って。別にいいじゃん。女の子に500円払うくらい。くれてやれよ。場の雰囲気壊してまでやることじゃないだろ。ああ、思い出し怒りがさく裂しそうだ。マジでイラついてきた。
その後は、チーママが謝ってたはずだ。会長が「ダメだよ。あんなことしていたら。ちゃんと教えてあげないと」みたいなことを言っていた。
何がちゃんと、だよ。気持ちが悪い。何様だ。金持ってんだろ。ケチ臭いこといってんじゃねーよ。みたいな思いがして、それから3、4杯だけ飲んで家に帰った(自転車を押して)。
何が問題かというと、この会長がそれからお店を利用するようになったことだ。けっこうな頻度でくるようになった。自分がお店に行く日と曜日が被っていた。
おそらく会長と3回目に鉢合わせた時だったか。自分がお店に入った時は、さっきの女の子(32)とチーママがいて、カウンター席で話していると会長がやってきた。自分のふたつ隣りのカウンターに座って、「飲み放題で焼酎(ウイスキーだったかも...)にします」と言ってたか。いや、確か焼酎だ。でかい梅干しをグラスに入れていた。その際、チーママに「(会長の場合は)ボトル入れた方が明らかに安い~」と言われてたけど断っていた。
その時、会長が女の子(32)に「この間は悪かった」と謝っていた。彼女は「いいです、いいです」みたいなことを言っていた。謝るくらいなら初めから怒ったりするなよと感じたけど、まあ世代が違うだけで、悪い人じゃない、いい人なのかもしれないと思っていた。
でも、やっぱり感覚が合わないんだよな。ほかの常連(一月に1回くらい会う)の人でさ、高齢のじいさんがいるんだよ。多分70くらいかな。細身だったと思う。で、その人がよくキレたりする。酒がまずいとか、今日はいい女がいないとか、カラオケがうるさいから黙らせろとか(※この爺さんも歌う人だから相手が邪魔だったのかもしれない)、とにかくうるさい爺さんだ。ほかの客にもウザがられてる。
できれば、チーママにはこの人を出入り禁止にしてほしいと思っていたし、実際に「出入り禁止にした方がいいよ。お店のためになんないよ」と進言もしていた。しかし、返事ははぐらかされるばかりで、なしのつぶての状態だった。
それでまた、ある時だった。爺さんが、その会長に絡むんだよ。で、会長も相手をする。「出身は?」とか「カラオケは何が好き」とか、あとは家族の話とか。ホステスよりも話してるんじゃないかという時もあった。
そういう時に限って爺さんがうるさい。でかい声で何かを叫んだりする。気が高ぶってるのかもしれんが、こっちはいい迷惑だ。頼むから静かにしてくれ。こっちはこっちで目の前の嬢と話したいんだよ。うるさくて聞こえん。
それからちょっとして、高齢の爺さんは店に来なくなったけど、それまでは本当にあの二人がうるさかったよ。不愉快な時間だった。
で、ようやく静かにお店を楽しめる~と思ったら、今度は若者連中(といっても30代だが…)と会長が話をするようになった。これがまた輩っぽくてうるさい。こんなにうるさいのかと思った。会長は、調子に乗って若者連中におごっていた。ホステスにもな。こっちは端っこの方でちびちびとやるしかない。
やっぱり、調子こいてるんだよな。いい会社に勤めてたからって、インドネシアに行ってたとか、赴任先の国でクーデターが起きたとか、間違えて強盗が徘徊してる列車で一夜を過ごすことになったとか、マジで自慢ばっかり。若者連中は一応は聞いていた様子だったけど、たぶん内心はつまらないに違いない。
なんで自分がこんなに会長のことを覚えてるかというと、それくらい嫌な奴だったからだ。一緒になったのは軽く10回は超えているだろうか。自分にも話しかけてきたことがあった。「男前だな」とか「無理にでも結婚した方がいい」とか「結婚したら人生変わる。大人になれる」とか「気分が暗そうだね。あなたもカラオケ歌わないか」とか、こいつマジで○そうかと思ったくらい、それくらい失礼な奴だった。
こっちだってやりたくて未婚なんじゃない。したくても結婚できねーんだよ。いい人がどうしてもいない。こっちは工場勤めだぞ。出会いなんてねえよ。ゼロだ。あんたの会社だと、男社員に女をあてがってくれる部署があるんだろ。大卒でも専門卒でも、かわいい女の子いっぱい雇って、総合職の男社員とくっつけるんだろ。羨ましい。
ムカつくことが多くて、あの会長のことをよく覚えている。マイナス方向のインパクトが強すぎた。ポジティブな言い方をすると、俺には眩しかったのかもしれない。俺はずっと底辺近くをはいずり回ってきた。まともな親とか、家族とか、教師とか、上司とか、そういうのは知らん。友達には恵まれたかもしれない。今ではもうぜんぶ遅い。もうすぐ40になる。人生は取り返せないのだ...。
そろそろ終わりにする。
会長の初来店から半年が経った頃か。つい先日のように思える。ようやく最後にオサラバができた。
その日、ちょっと嫌なことがあって、イライラしていて、お店に入ってもあまり喋ることがなかった。※工場内の数少ない台車をどの部門が使うかでケンカをしたのだ。マジで低レベルな争いだった。中学生かよってくらいに。
態度でわかるくらい気分が悪かった。チーママもほかのキャストも、ほかに3人いた常連さんも、遠慮のためか話を振ってくることはなかった。
そんな時に、会長が話しかけてきた。「増田さん、いつもより気分悪そうですね。大丈夫ですか」だったかな。
「まあまあですね」と答えたら、「いつもと顔が違いますよ。嫌なことあったんです?」って感じだった。
その時、キレそうになっていた。で、ただ一言、こんなことを俺は言った。「会長さんは、どうしてこのお店にくるんですか。ちょっと遠出すれば金持ってる人が入るような店ありますよ?」と聞いたら、「ここが好きなんだ」って返ってきた。
「この場末のお店のどういうところが好きなんですか?」と聞いたら、「若い人が多くて、スタッフみんなが仲いいところかな」と返答があった。
「でもここ、あんたが来る店じゃないよ!?」
頭に血が上っていた。いつもは言わないであろう言葉が出てきた。ぜんぶこのおっさんのせいだ。
「客層見てみろや。あんたは恥ずかしい!!」
会長は急に黙って、でかい梅干しが入った焼酎のグラスに手をやってた。
「すまない会長。でも、みんなそう思ってるよ……」
と最後に言ったら、「すまんね」とだけ言って、会長はトイレに行って、お会計を済ませてお店を出て行った。
周りを見ると、スタッフも常連さんも自分の方を見ていた。そうか、そうだったんだよ、みんなあのおっさんのことがウザかったんだな。でもお客さんだし、金払いもいいみたいだから何も言わなかったんだな、と合点がいった。
そう思うと気分が晴れて、イライラしてたのがすっとんでいった。目の前にあった安いニッカの水割りを一気に飲み干してグラスを置くと、チーママが俺の方をじっと見ていた。確か、こんなやり取りがあったかな。
・気分が悪そうなのに飲んだらだめ
・もうその一杯で帰った方がいい
・健康のことを考えて、安い酒はやめた方がいい
で、俺もだんだんその店に行くことがなくなった。というのも、自分がお店に行くと、ボトルが切れる度に、スタッフがひとつ壱万円以上のやつばかり勧めてくるようになったからだ。健康のためだという。
断ると、これがまた営業トークがしつこいんだ。高い酒飲めって。いや、もう嫌になってきたよ。あの安いウイスキーボトルが好きだったのに。
今ではふたつ隣の別のお店に行っている。やはり、安いニッカや角が置いてある店がいい。こういう店では、安い値段でゆっくりするのが好きだ。
老若男女問わず大はしゃぎの夏だというのに、嫌な話をしたな。申し訳ない。
でも、どうしても気になってるんだ。これは、関東にある一地方都市の話だ。東京都内など、真の都会暮らしの人には縁が薄い話だったろう。お目汚しを。
やっぱり、あの時、あんなことを言わない方がよかったんだろうな。町内会長さんには悪いことをしたな。後悔してる。もう謝る機会はないけど、胸の中にしまって生きていくわ。
ごめん。