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はてなキーワード: 四十九日とは

2024-11-29

607冊読書したけど、成功もしなかったし何も意味がなかった。結局『人生経験』が重要だと気づいただけだった

ニート脱出してから早9年

専門書や学術書を中心に607冊読書したけど

成功もしなかったし、何も意味がなかった


結局『人生経験』や『コミュ力』が重要だと気づいただけだった…

読書をすれば成功するが陰キャ妄想だと気づけただけだった


ちな直近読んだ本5冊

図解徹底分析 IFRS会計基準リース

#MeToo政治学: コリアフェミニズム最前線

朝鮮植民地戦争: 甲午農民戦争から関東大震災まで

サンショウウオ四十九日

最適化手法入門

2024-11-27

日本でまだ根強い迷信一覧

天皇は偉い

別に偉くない。万世一系かい迷信を信じてるだけ

六曜

大安とか仏滅とかあり得ない

おみくじ

くじで未来が分かるはずがない

星占い

占星術天文学と分かれた時点で意味を失った

四十九日

根拠がない

お経

死者がそんなので救われるはずがない

戒名

お金で買える名前効果があるはずがない

二礼二拍手一礼

根拠がない

厄年

あるわけない

お守り

そんなもので運が良くなるわけがない

名前の画数

画数で運が変わるはずがない

パワーストーン数珠

石に力があるというエビデンスがない

夜の蜘蛛縁起が悪い

ただ単に蜘蛛が出ただけ

手相占い

のしわに意味があるわけがない

2024-09-28

父親馬鹿だった

母が死んで四十九日法要が終わり、遺品の整理も最終局面を迎えていた

いろいろ出てきたのだが、困ったのは包みからも出していない、未使用着物(もちろん和服)の数々

親戚に女性は少なく、着物を着るような習慣のある人間もいない

そこで父は言い出した

「今大変だろうから能登半島)に送ろう」

何を言い出したのかと思った

「着るものがなくて大変だろうから、着るものを送って何が悪い

「着る人間がいなかったら、向こうで換金してもらって支援に充ててくれればいいだろう」

返す言葉もなかった。何を言っているのだろう

向こうの人間の都合は一切考えない父の思考愕然とした

こんな父と一緒にいた母の苦労を今更ながらに理解した

2024-09-27

二次会準備が面倒すぎて結婚式離脱

流石に一番の理由家族危篤一歩手前で遠方に行ける状態じゃないからなんだけど。

四十九日と被ったら慶事に出席できないし。

まぁ、タイトル通りこれ幸いに欠席の連絡を入れたのは否めない。

ちなみに直近の打ち合わせには仕事で欠席したほぼ戦力外の私が消えたところで10人以上幹事いるか問題なし。

(そういえば幹事を含めた参加者が40人前後なのだけど幹事の人数って一般的に何人くらいなんだろう…)

そもそもコロナ禍で二次会絶滅したと思ってたわ。

今でも二次会メジャー行事なのか教えてほしい。

女性の友人関係あるあるだけど、新婦とは学生時代の友人グループが一緒なだけでサシで遊んだり連絡取ったりする仲じゃないんだよな。

友達の友達くらいの距離感

みんなで集まったらワイワイ楽しく過ごすし不仲ではないけど、この関係値の友人の二次会幹事は荷が重かった…すまん…

身バレしそうなので詳細は言及しないが、友人が結婚式を挙げることが決まって以降の立ち振る舞いに疑問が生じることがあったのも大きい。

式の準備で余裕がないのだろうし、私の器が小さいとも思う。

幹事からサプライズのお祝いコメント動画の依頼がきてるけど、ろくに二次会の準備もせず最終的に式すら欠席することになった私のお祝いコメント需要なんて無いだろ…

ましてやサプライズ

ま、とりあえずそれをクリアしたら自由だ〜〜!!の気持ち

会場が微妙雰囲気になっても知りません〜〜

2024-07-05

anond:20240704033106

宗教によるけど四十九日初盆と続くのですること多くて本当に大変。

涙流す間もない

2024-06-05

がん治療終了記念写真を撮ってもらった

去年の夏、がんが発覚し 即抗がん剤治療が始まり 怒涛の治療期間半年が終わった。

ということで、先日 夫の両親、自分の親を呼んで 親族全員の記念撮影をした。

大げさかなと感じつつも、区切りとしたかった。

(親にはわざわざ「治療終了記念」とは言っていないけれど)

子ども一人っ子。第二子などいると親族まったりもするんだろうけど、下の子いないしそういう機会もなかった。

七五三にも親は呼んでいなかったので、両家の親族が集まるのは子のお食い初め以降初めてだった。

良かった。

私が亡くなると、お葬式四十九日一周忌などちょこちょこと集まることになるんだろうけど、私がいないじゃん!

自分がいる間に、ちょこちょこと親族が集まる機会 作っていきたいなと思った。

子供は両方のおじいちゃんおばあちゃんと会えてとても嬉しそうだった!

2024-06-04

ちょっと嫌いになった

こないだ家族四十九日法要があった

特にどこかの檀家とかやってるわけではなかったから、葬儀屋さんに紹介された浄土真宗のお寺でしたんだけど

坊さんが飼ってる猫が式中ずっと目の前うろうろしてて本当に鬱陶しかった

ずっと畳の上走り回ってニャーニャー鳴いてんの

そんでお寺の人もそれ見てフフwってヘラヘラしてんの

親族全員イライラしてたかな、姪っ子はまだ5歳で法事とかよくわかってないかニコニコしてたけど

別に猫が嫌いとかではない むしろ今までどちらかといえば好きだった、飼ったことないけど

そりゃ身内だけの、小さいお寺での法事ではあるけどさ

亡くなってから少し時間は経ったとはいえ、亡くなり方がかなり悲惨ものだったからまだ皆ちょっとブルーだったんだ 本人がまだ若かったし

俺も親父もお通夜で倒れそうになるぐらい辛くて悲しかったんだよ

から一同真面目な気持ち法事に来てるのにさ、坊さんがずっとヘラヘラしてて本当に鬱陶しかった

法事終わってからも「この子やんちゃなんですよwすみませんw」みたいな

坊さんも坊さんの嫁も全然悪いと思ってないみたいだった

いや、じゃあ別の部屋にいさせろよ なんでドア全開で猫入ってくるようにしてるんだよ

終わったあとに姪っ子に「猫ちゃん可愛いでしょ」みたいなこと言ってんのも不快だった

死因とか伝えてないからこう、フランクな感じになったのか?って親父に聞いたけど、

坊さんにはお通夜の時点で死因も身内の雰囲気説明したって

かに通夜ときは真面目にお経読んでたし「まだ若いのに残念で…」みたいなことも言ってた

じゃあ尚更なんで?なんで今そんな茶化すようなことすんの?

納骨もこの人に頼もうって話になってたけど、もうやめることになった 腹立つもん

これ以上関わったら俺も身内も何か言ってしまいそうだし、余計なトラブルにはなりたくない

またご納骨の際はご連絡してくださいって言ってたけどさ

猫も坊さんももう嫌いになりそう

2024-05-04

祖父の死から考えたこ

私の祖父は昨年の夏に90歳で亡くなった。田舎農家長男に産まれ兄弟は皆就職結婚を機に家を出るも、長男なので家に残り、生まれた家から一度も引っ越すことはなかった。遂には生家で急に倒れてそのまま亡くなった。

祖父典型的田舎の爺さんだった。一家の長である自分が一番風呂でないと気が済まないし、台所には絶対立たない。祖母家事を全てしていた。祖母入院したときは、娘(私の母)が料理を作り置きしたり、レトルト食品なんかを用意したりしていた。

そんな祖父だが、娘三人は大学短大まで出していた。田舎なので地元大学はなく、娘三人にはそれぞれ一人暮らしをさせた。頭の古い祖父ことなので、「女に学問はいらん」などと言いそうなものだが、そんなことはなかった。

おそらく、祖父子どもの頃に進学したくても進学できなかった悔しさがあったのだと思う。祖父高卒で就農し、しばらくしてから地元町役場に勤めたが、通信制慶応義塾フリースクール(?)のようなものに通っていたらしい。大卒資格はもらえないが、科目履修のようなものだろうか。

祖父から慶応フリースクールに通っていたことを何度も聞かせられた。民法が難しかったと言っていた気がする。特に私が法学部に進学してからは、その話をよくしていた。同じ法学徒同士で嬉しかったのだろうか。

私は特に祖父には可愛がってもらった。私は初めての孫で、しかも男。祖父感覚からしたら嫡孫だろうか。前述の通り、祖父には娘しかいなかったので、長女の夫(私の父)を養子に迎えて家を継がせている。家にこだわる祖父は念願の男児誕生にとても喜んでいたらしい。

私は結婚しているが、現在子どもはいない。妻が子を望んでいないし、私もそこまで子どもに興味が無いからだ。妻が望むなら子作りをしてもいいが、望まないのなら無理にする必要は無いかなくらいに考えている。祖父は毎回会うたびに、子どもを作るなら早い方がいいぞ、と言っていた。私はそのつど適当な返事をしていた。祖父は生きているうちにひ孫が見たかったのだろう。

祖父が亡くなった日、子どもを作らなかったことを初めて猛烈に後悔した。生きてるうちにひ孫の顔を見せてやればよかったと、何度も悔いた。

しかし、祖父四十九日が終わる頃にはその後悔はどこへやら。無理して子どもを作る必要はないか、と元の考えに戻ってしまった。

おそらく私の代でわが家は途絶えるだろう。祖父があれほど大切にしていた家を途絶えさせてしまうのは忍びないが、子どもを作る気が湧かないのだ。

子無しの我々夫婦がどういう老後を迎えるのか、私にはまだ想像がつかない。妻に先立たれたら、私は天涯孤独になるのだろうか。その孤独に私は耐えられるのだろうか。

だが、子どもがいても面倒を見てくれるとも限らない。ましてや、障害を持った子が産まれ場合子ども社会適応出来なかった場合は、私が一生子どもの面倒を見なければいけない。

おそらく、子を持つべきかどうかに正解はないのだろう。だからどういう選択をしても良い。まぁ、だからこそ、一生悩む羽目になるのだが。

2024-05-02

悲しい話。

今年度に40を迎える学年なんだが

大学高校でそれぞれ同期が亡くなったことを聞かされた。

そんな歳か、健康には気をつけないと的なことを思って調べてみたら

健康保険会社調査した結果は40歳の死亡率は1000人に対して0.96人と出ているのに同年齢で関わってる人は100人そこそこのはずなのに2人も聞かされるとは。


高校の同期はすでに四十九日が近い。

さらに、高校卒業時は高校の近くの団地から通ってたが、親が家を建てて引っ越したことで卒業アルバムの住所にはもう実家はない。唯一知ってる連絡先の携帯もすでに解約済み…

ということで、せめてもの御霊前も弔電も出せず。

大学の同期は普段なら毎年年賀に対する応答があるはずが、それがなく一瞬同期グループがざわついた。その後簡単な応答があり安堵したが…

本日昼、公衆電話からと表示された電話があった。何かと思ったら何度かお会いした奥様の声。残念なことに…だそうで。

詳しくは聞けなかったが、昨年末から体調が悪く、1月中旬病気が発覚し闘病しながら仕事を続けてたもの4月から一気に悪く仕事も休むことになり…とのこと。

こちらは数年前から転勤し、葬儀の日程案からすると参列には有休休暇を取らないとキツいが、私自身が転職したばかりでそれは叶いそうもなく、向こうも家族葬にするということで弔電を出すことにさせてもらった。

弔電の出費は虚しい。GWなどの長期連休に集まって共に馬鹿騒ぎする金だったらどれほどよかったか


とかく、死は自らの隣にいてもおかしくないということと、自らの健康には気を使わないといけないなと思い知った話。

2024-04-12

冠婚葬祭

冠婚葬祭のうち「葬」だけ四十九日一周忌三回忌と何回もやるわけですが、ふと思ったこと。

昔って平均的に兄弟の数が多かったので「近い親戚」の人数も多かったはず?

そうしたら毎年何らかの法事やることにならない?

実際なってた?

それともそんなに真面目に三回忌とかやってなかった?

2024-03-05

四十九日法要は早めにして、納骨も済ませていたのだが、本当の四十九日今日なのだった。

夫がいなくなってからうそんなに経つのか、なのに私は何もできていないよと伝えるため、というわけではないけれど何となくお墓に行った。行ったほうが良い気がして。

法事をするときはいつも誰かがいるから泣かないようにしていたのだけれど、ひとりでバスに乗って墓地に行ってお墓の前に立ったら涙が止まらなくなってしまった。雨だし周りに誰も居なかったのでたくさん言いたいことを声に出した。色々言った、けれどどれも「ごめん」と「会いたい」の言い方を変えただけだったような気がする。ごめん。会いたいよ。

帰りのバスで見てたSNSで桜の写真が流れてきて、これからふたりで過ごすはずだった季節のことを考える。もうすぐ桜が咲くよ。缶ビールからあげ棒買って花見したいね

季節が一周する頃には、ひとりで過ごすことに慣れているだろうか。今はまだ全然からない。

2024-02-14

お母ちゃんがどんどんおかしくなっていく。

お母ちゃんは60代半ば。

コロナが始まったら頃から今日に至るまで、少しずつおかしくなっている。

 

昨年、お母ちゃんにとっての義姉がなくなってからもっとおかしくなった。

四十九日までは外食も外出もしない。楽しいことはしちゃダメと言って行動を制限した。

あれやこれやとマナーを調べては「あれはダメ、これはダメ、これもダメ、それもダメ」と、Yahoo知恵袋とかアクセス稼ぎの謎いサイトかに書かれた謎ルールを見つけてきては制限つけまくる。

 

自分がそうすることで楽になるなら止めはしないけど、私たちにそれを強いちゃダメだよ」と言ったら私たち外食をするななどと強いることはなかったけど、家族外食しても自分だけはいかないとか。

 

どんどんひどくなって、書こうにも書ききれないほどお母ちゃんの謎のこだわりは強くなっている。

 

「お母ちゃんは、お母ちゃん教に入信してしまった」。それがいちばんしっくりくる。清潔を求めて手が荒れるまで手を洗って、1日分の洗濯をするのに数時間かけている。干した洗濯物が乾いたか乾いてないか自分判断できなくて、3日くらい干し続けて、乾いた洗濯物が床や絨毯に少しでもつくのをものすごく嫌がる。

 

こんなところに書ききれないほど、お母ちゃんの謎ルール毎日増え続けている。

四十九日が終わるまでにと言っていた謎ルールは、いつのまにか義姉の次の命日(一年後)までに延長されていた。

 

喪中の間は寺はいいが神社に行ってはいけない。洗濯の仕方やら何やらをなんでもメーカー電話しては「これで正しいか」「自分は間違っていないか」を確認するので、「神社の人にも聞いてみたら?喪中の間は行っちゃいけないんですか?って」と言ったら「神社の人はいいって言う。これは私の気持ち問題から神社の人には聞かない」だと。

 

どこかの知恵袋や謎サイトに書いてることを信じて、神社には問い合わせない。お母ちゃんは、前なら私が「〇〇の神社に行こうよ」と行ったらどこにだっていつだって喜んでついてきてくれた。私がご朱印帳をプレゼントしてからは、自分一人でもいろんな神社寺に行っては御朱印を集めていたのに。

 

今は、どれだけ言っても来てくれない。

お母ちゃん楽しい思い出をたくさんつくりたいのに、お母ちゃんは「喪中から楽しいことはしない」と言って家の中で汚いものを探してはそれに取り憑かれる生活をしてる。

 

もちろん、精神障害自覚は本人も家族もある。私は新幹線を乗らなきゃたどりつかない距離で離れて暮らしているけど、父は実家に、兄妹は地元にいるので母は一人ではない。父は衛生観念死んでるので母のストレスの根源でもあるのだけど。

 

病院も「口コミがいいところがいい」と、なかなか行かないので、つい先日、私が付き添っていってよつやく抗うつ剤を処方してもらった。

 

これでよくなればいいが、本人も心配していたが薬に依存性してしまわなかも不安はある。ただ、もう自分では治せない域にいるので病院にかかるほかない。

 

そんな中、夢を見た。

お母ちゃんが、何かをしている。

私は浴衣着付けてもらいたいらしいのだけど、お母ちゃん自分マイルールを済ますのに忙しくて私の浴衣着付けてくれない。

「早くしないとお祭りに間に合わないよ」と私は困ってしまうのだけど、お母ちゃんは私の方なんて見向きもしないで「この汚れを取らなきゃ」とか「この床を磨かなきゃ」と言ってるばかりだ。

私が持ってる浴衣は、学生の頃にお母ちゃん着付けてくれたものだった。お母ちゃんお祭りときはいつも必ず「着物はできないけどね」と言いながら、積極的浴衣着付けてくれた。

お母ちゃん浴衣着せておくれよ。私は自分では浴衣着られないんだよ。お母ちゃんって、お母ちゃん背中に向かって言うのにお母ちゃん全然こっちを見てくれない。そんなところで目が覚めた。

 

いつだって私たち子供のこといちばんに考えてくれて、人生で何よりも優先してきてくれたお母ちゃんお金がなくても、どれだけ貧乏でも、それだけはずっと伝わっていた。

もう私も中年なので、子どもの頃と同じように甘えようとは思わない。お母ちゃん子どもよりも夢中になれるものがあるなら、それを優先すればいいと思う。

でも、そんなに手を荒らして、ストレスと向き合いって、辛そうに辛そうにするものを見るくらいなら、私を見てほしい。一緒にお出かけしたいし、神社に行くときに「私入れないから外で待ってるね」なんて言わないでほしいし、浴衣をまた前のように着付けて欲しい。

 

大好きなお母ちゃん

お母ちゃん教に取り憑かれてしまったお母ちゃん。笑っててほしいのに、なんでこうなってしまったんだろうな。

 

もちろん、これが私たち家族介護の始まりかもしれないという気持ちもある。お母ちゃんは、もう自分自分で元気にする力がないんだろう。薬を飲んで、少しでも良くなってくれたらいいけれど。

 

このままじゃ、お母ちゃんあの世に行っても汚いものを探し続けて彷徨ってしまう。

私が死んであの世で再開しても、私の方なんて見向きもしないかもしれない。

悲しい。

2024-01-09

坊主「お通夜葬式はしっかり金かけてやれよ!あと四十九日一周忌もあるから金と飯用意しとけ!!」

仏陀葬式坊主を呼ぶなと言ったのに

坊主葬式で金儲け

遺族が悲しんでいるのに金の話をする

地獄があるなら落ちるのは坊主

2023-11-25

娘の保育園運動会に参加したことについて

娘の運動会には毎年必ず参加する。

今年は運動会プログラム強制参加の保護者競技があった。

私が娘の帽子をもらって入場門の列に並ぶと、周りは誰かの父親ばっかりだった。応援席では誰かの母親が頑張れって応援してて、児童席では私の娘が真顔でこっちを見ていた。私は元々運動は得意では無いので、保護者競技は余裕で最下位だった。

うちに夫はいない、2021年他界している。

保護者競技が終わったあと、

退場列の中で、他所の家庭の声援を聞きながら、ふと、ここに夫がいれば良かったのに、と思ってしまった。

「いれば良かったのに」が脳内勝手

「(生きて)いれば良かったのに」に高速変換される。そして「もういない」と続く文章自覚した瞬間に、突然いろんな言い訳と後悔と思い出がどばどば溢れてきて涙が止まらなくなった。

肩凝りがやばいって笑う夫に湿布を貼ったこと、なんてマヌケなんだろう。コロナ禍なんて気にせず病院に連れて行けばよかったのに、せめて私がもう少し早く仕事から帰っていれば良かったのに。

救急車の赤いライトが眩しかたこととか、病院のよくわからない部屋の前で立ち尽くしたこととか、喪服代わりの黒いワンピースを着た2歳の娘とか、お寺の手配とか、元義両親との今後の会話とか

夫と過ごしたなんでも無い日のこととか、

一瞬で色々なことがフラッシュバックした。

四十九日の時に元義両親からあなたは強いね」と言われた。ずっと取り乱さず、落ち着いていたね、えらかったね、と。元義母が泣きながら「あなたみたいに強くなりたい」と私に言った。私はずっと呆然としていた。私が落ち着いているように見えたのは、彼が死んだ実感がずっと無かったからだ。ずっと他人事のようで、現実から目を背けて、淡々ふわふわとしていた。でも何故か体重は12kgほど落ちていて、実の両親は私を見て何故か泣いていた。

そして約3年後の今、娘の運動会保護者競技後に、私は何故か死ぬほど取り乱している。

夫のことは、もうどうにもならないとわかっているはずなのに、涙が止まらず、目の奥で水風船が爆発したみたいだと思った。

たぶん私は自分地雷自分で踏んでしまった。それも娘の保育園保護者競技の退場列の中で。よその家庭と自分の家庭を無意識のうちに比べ、夫がいない実感に自爆した。

運動会の帰り道、首から金メダルを下げた娘に、「○○ちゃん、はしるのにがてなんだね」と言われて、ごめん、と謝った。べつにいいけど、と娘が返す。

娘は、夫が死んでからしばらくして何故かママと呼んでくれなくなった。私をママと呼ぶ人は少数派だからか、私の実両親や実姉のように、私を「○○ちゃん」とあだ名で呼ぶようになった。あだ名で呼ばれる度に、この子にかけた心労とこれからを考えると地味に辛くなる。娘はもう父親を覚えていない。

元義両親との会話を思い出す。

元義両親とはまだ仲が良くて、「20代で、まだ若いんだから、」と再婚を勧められる。

元義両親はずっと優しい。本当に私の人生を思ってくれていて、早く再婚した方が良いと言う。けれど、もうその話をしないで欲しいと断っている。死んだ人の代わりを探すなんて、宝物の無い宝探しみたいだと思う。こんな発想しかできないから、このままでいるべきだとも思う。

運動会写真データ保育園から買った。

保護者競技写真、走ってる時の私の顔が必死過ぎて、本当に不細工だった。展示するのをやめてくれと思った。

買った写真を見ながら娘が「⚪︎⚪︎ちゃんがうんどうかいにきてくれてうれしかったんだー」と言う、言ってくれる。それが、本当に自分勝手な自惚れだけど、救われる。私も嬉しかった。

2023-09-25

anond:20230917224916

うちもこれ。ロビー仏像はないけどなんか飾りがあった)に棺運び込んでお経よんでもらって、

(うちの場合特殊事情があって遺族待合で軽く昼ご飯食べてる親族の前で戒名説明だけしてもらうことになったけど)

そこでお坊さんは解散

四十九日を待たずに納骨まで一気にやれる=一族墓地が近くにあるときは待っててもらって墓前の経まで頼むんだろうけど、

逆に都会のほうがそういう機会て少なそう(近くには墓地がなさそう)。

2023-08-28

anond:20230828051923

ワイのマッマはジッジバッバが死んだ後も四十九日すら何もしなかったやで

2023-08-12

anond:20230808200202

これ四十九日がおわってないとまだ初盆にならないんだな。そっか。

2023-08-09

anond:20230808201445

うちの宗派のことを調べておしえるまえから

葬儀場のエージェントが「本来はいちおうこれだけあります普通初七日四十九日だけやりますいかがいたしましょう」て教えてくれたやで

anond:20230808200555

葬式あげたことないし葬儀社のカタログすら見てない幸せ増田とそのだぼはぜだね

初七日から7刻みでずっとあるんよ しょなのか、になのか、さんなのかってね。

7回目の四十九日しじゅうくにち、で上がりなんだ。 

うちはまあ4回目くらいだねっていう話なんだ

まあ全部やる人はいないけどね

2023-07-30

お前ら、りゅうちぇるさんのこと忘れてんなよ!

四十九日もまだなんだぞ!

2023-07-09

祖父との思い出

祖父は私のことが大好きだった。

小さい頃は近所の公園まで連れて行ってくれて、もう少し歳が大きくなると自転車の後ろに乗せてイオンまで連れて行ってくれたり、お祭りに連れて行ってくれたりしたことをよく覚えている。

夏休みほとんど親の実家に帰る家だったから、子供の頃の夏の思い出は大体がこんな感じだ。

私が20歳くらいの頃だ。

祖母祖父が家に遊びに来ることになった。

祖父祖母父母私で食事に行った。4人乗りの車だったので、私だけ自転車で店まで行き帰りをすることになった。店も自転車20分くらいだし、仕方ないことなので特に何も思わなかったのだが、車で帰ったはずの祖父は私の帰りを道の途中で待っていてくれた。

心配だったのだろうか?まさか待ってくれているとは思わなかった。いいのに、と思うが同時になんて優しいんだろうと感動した。かなり印象深い思い出の一つだ。

そんな祖父も、近年は認知症を患って周りの人間のことを忘れたり、思い出したりしていた。詳しくないが、進行はかなりゆっくりだったのではないかな、と思っている。

私はもうアラサーになっており、さら一人暮らしをしている。なかなか祖父祖母に会いに行くのは難しくなっていたので母が実家に帰ったタイミングビデオ電話で少し話したりしていた。

ある時のビデオ電話だ。

母が祖父に「この人誰だか分かる?」と聞いた。私のことだ。「わからん。綺麗だなあ」と言った。

私のことを忘れていたことが辛かったのもあるが、それでもまだ私を褒めてくれるんだなという思いでグチャグチャになって通話を切ってからおいおい泣いた。

私の名前は覚えているけど…と言っていたところもまた嬉しいような悲しいような気持ちになった。

去年会いにいった時は私のことを時々思い出していて、テレビ電話と実際に会うのでは違ったりするのかな?と思った。よく分からないが、たまにでも思い出してくれてたのは嬉しかった。

そんな祖父が先日亡くなった。私の31歳の誕生日だった。

周りの人のことを忘れたり思い出したりする祖父は、性格こそ穏やかだったし前と変わらなかったように思うが、私と遊んでくれていた頃の前の祖父とは厳密には違う人だったのかもしれない。

でも、あの頃の祖父と会えなくなることと、もう祖父とは会えないことはやはり全く違う。

もう90も近いしかなりの大往生だった。

詳細は聞けてないが、おそらく老衰のような感じなのではないかと思っている。大きな病気はしていなかったはずだ。

それで90近くまで生きられるのはなかなかにすごい事だ。

なので、良かったなあと言う感情で悲しみを和らげることができるのはありがたいことだ。

まだ心の整理はついてないし、ふとした時に祖父との思い出を思い出して涙ぐんでしまう。本当にかわいがってくれていたなあと改めて思う。私も祖父のことが大好きだった。

お葬式には行けなかったが、今祭壇に囲まれ祖父遺影なんて見ようものなら号泣してしまうだろうから行けなくて良かったと言う気持ちが少しある。四十九日には行く。

父方の祖父は私が小さい頃に、祖母中学生の頃に亡くなったので、親族が亡くなるのはかなりひさしぶりのことだった。友人や知人を亡くしたこともない。ペット金魚しか飼ったことがない。それも小学生の時だ。

人と比べたことがないからわからないが、どっちかと言うと死に触れることが少ない人生のような気がする。

私はもういい大人だが、大人になったからと言って辛い事や悲しい事とうまく折り合いがつけられるようにはなってない。

自分自分の地続きでしかないんだなあと強く思った。当然のことなんだろうが、考えたことがなかった。

50になっても80になっても同じように大切な人の死はつらいんだろう。

から毎日大事に生きようとか周りの人を大切にしようとか、やっぱりそう言う結論になるんだけどそれがなかなか。前者は特に仕事をしてたら無感情のまま1日が終わっている。難しいな。

今の気持ちを書き起こしておこうと思ったので、めちゃくちゃだが終わり。

2023-04-25

家族が亡くなったときのこと

ある日の深夜、親族グループラインに「亡くなりました」と連絡が来た。

最初は受け入れられなかったし、実際にその場に行って火葬前に顔を見ても実感がわかなかった。

けど、それからもうすぐ四十九日が終わりそうな今日この頃もっと会いに行けば良かった、もっとたくさん元気なうちに手料理を食べていれば良かった、写真を撮っていれば良かった、と後悔ばかりが押し寄せてくる。

悲しい。苦しい。私にできることはもっとたくさんあったかもしれないのに。

生きている人は縁が切れようとどこかで会う可能性はあるけれど、死んでしまった人はまかり間違っても会うことはできない。

何も伝えられない。

悲しい。ただただ、今は悲しい。

2023-04-23

遺影めっちゃ困るディ

父の四十九日法要で、母から文庫本サイズぐらいの遺影(なんか物凄くちゃんとしたフォトフレーム入り)を渡された

こ、こ、こ、困る〜〜〜めっちゃ困る〜〜〜〜

いや父のことは好きだったし亡くなって寂しい気持ちは勿論あるけど、ほかのきょうだいと違って未だ独身のクソ狭アパートに置く場所ないよ〜〜〜

そもそも暮らしの中で「写真を飾る」習慣がないんだよ〜〜〜ポスターすら貼らないんだよ〜〜〜

あとついでに言えば遺影写真、肌とか画像加工強くて、なんというか「父に似た演歌歌手アー写」みたいで違和感あるんだよな…あの父が毎日目に入るのもキツい

たぶん言い出したのは妹だろうな…情に厚くて子持ちで新築一戸建てのそこらに家族写真とか飾ってるもんな…母は良かれと思ってきょうだい3人分の用意をしてくれただけなんだ…おそらく葬儀社に有料で頼んで…

家族LINEグループには、すでに妹と兄が「じいじの遺影に手を合わせる甥姪」の写真を送ってきている

いわゆる「何をしているかよくわからない親戚」であるところのわたくしは、包みから出してすらいない父に内心侘びながらちいかわのスタンプをただ送るのみなのであった

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