馬英九「尖閣は台湾の付属島嶼」説の虚構を暴くー中国人の宣伝の前で有効な石原都知事の購入計画
2012/05/08/Tue
■中国人の尖閣研究の「権威」が馬英九
一九七〇年代初めに日本が実効支配する尖閣諸島の領有権を主張し始めた台湾の中華民国、そして中華人民共和国だが、これらの主張の根拠はともに同諸島が「台湾の付属島嶼」であるということ。
日本は一八九五年の下関条約により、清国から「台湾全島及其の附屬諸島嶼」と 「澎湖列島」の割譲を受けたが、それらは一九四五年の日本の敗戦で中国(当時は中華民国)に返還されており、「付属島嶼」の一部である尖閣諸島の主権は中国(中華人民共和国、あるいは中華民国)に帰属するというわけだ。
中華人民共和国も中華民国も、尖閣諸島を「中国台湾の
附属島嶼」とすることで一致している
もっとも日本はそれらを中国へは「返還」せず、一九五二年のサンフランシスコ講和条約で放棄のみ。しかしそれでも尖閣諸島が「付属島嶼」に含まれているのであれば、そこは台湾の一部となり、日本の主権は否定されることになる。
だがこうした主張は最初から破綻している。ここではっきりと断言できるのは、下関条約の言うところの「付属島嶼」には尖閣諸島は包含されていなかったということなのだ。
なぜなら下関条約が調印されたのは一八九五年の四月十七日だが、その年の一月十四日、すでに日本政府は沖縄県知事の上申を受け、同諸島が無主の地であることを確認した上で、領土編入を閣議決定していたからである。
こうした厳然たる事実を受け、中国人が必死になって行うのが歴史捏造の宣伝であるが、それにはどのようなものがあるのだろう。
中国人の尖閣問題研究の権威と言えば、現中華民国総統の馬英九だ。台湾大学在学中の七一年に国際法の観点から研究に着手し、ハーバード大学での博士論文でもその問題を扱っていたわけだが、「権威」と言っても所詮は「歴史捏造の権威」にしかすぎない。
そこでその主張がいかにインチキなものであるかを検証してみよう。それだけで中国人全体の主張の虚構性が明らかになるはずだ。
■歴史捏造しかできないハーバード大法学博士
台湾の政治大学現代日本研究センターが二〇一一年九月に開催した「釣魚台列嶼問題国際学術シンポジウム」に参加のため訪台した香港の中文大楽アジア太平洋研究所の鄭海麟研究員の手記「馬英九に釣魚台問題の話を聞く」(カナダ星島日報、九月十三日)によれば、同月二日に会見した馬英九は次のように「研究について詳しく語った」という。
鄭海麟(右1)ら尖閣研究者たちの前で、歴史の「講義」を行った馬英九
――― 一四〇三年の『順風相送』で初めて島嶼の名前が現われた。明代の『籌海図編』では釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼などが海防拠点として描かれ、清代の黄叔敬の『台海使槎録』では「山後(台湾中央山脈以東)の大洋の北に釣魚台という名の山(島)がある」と書かれるなど、釣魚台が清の康熙年間ではすでに台湾の付属島嶼と見られていたことが証明できる。
よくもこんな出鱈目を言ったものだと思う。
『順風相送』は年代、著者不詳の航路指南書で、確かにそこには航路の目標の一つとして「釣魚嶼」の名が記載されている。しかしそれだけで、当時の中国が尖閣を領有していたという証拠にはならないのである。
『籌海図編』にしても、描いているのは中国の海防拠点ではなく、明らかに中国の勢力が及ばない倭寇の拠点である。
『籌海図編』(1562年)に載る海図。「釣魚嶼」のほかに「鶏籠山」も見える
が、これは台湾北端にある今日の基隆。当時ここは倭寇の拠点で、中国人は
台湾の存在すらほとんど知らなかった。したがってこの図は海防拠点を表し
たものとは言えない。
「康熙年間」に書かれた『台海使槎録』の記述も「(釣魚台では)大船十余が泊まること可」とはあるが、ただそれだけで清朝の尖閣領有は史実だと言えるのか。
馬英九はさらに、次のようにも「特に強調」したらしい。
―――釣魚台列嶼は馬関条約(下関条約)調印後、台湾が割譲されたときに日本が占領したもの。馬関条約では、日本に割譲される澎湖列島については経緯度が明記されているのに対し、台湾についてはそれがなく、ただ「台湾及び付属島嶼」と曖昧にされている。
―――これはおそらく日本が条約調印前に盗取していた釣魚台列嶼を付属島嶼に入れるためだったのだろう。なぜなら甲午戦争(日清戦争)前、上海の「申報」が「日本人は台湾東北の小島(すなわち釣魚台列嶼)を狙っていると報道したため、日本の外務大臣、井上馨は(清国の)世論の圧力を鑑み、釣魚台を沖縄県へ編入する動きを暫時停止し、一八九五年一月十四日に至って初めて閣議を通じて沖縄県へ編入した。当時日本の戦勝は近いと見られており、世論の圧力を恐れることなく盗取したのだ。
これが「ハーバード大学法学博士」の言説などとはとても思えない。馬英九がどれほど「強調」しても、すべてが歴史捏造なのである。
■下関条約の真実―日本は尖閣領有を隠蔽していない
確かに下関条約では、日本へ割譲する澎湖列島に関しては「英国グリーンウィチ東経百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度の間に在る諸島嶼」と明記し、台湾に関しては「台湾全島及其の附屬諸島嶼」としか規定されていない。そしてそれは日本側の意向によるものだったのだが、しかしそれは、何も尖閣諸島占領の事実を隠蔽するためではなかったのである。
一八九五年六月二日、日清間で「台湾授受に関する交換文書」が調印される際、日本の全権委員、水野遵と清国の全権委員、李経方とのやり取りが伊能嘉矩の『台湾文化誌』(一九二八年)に収録されている。それを要約すると、
李:台湾付属島嶼の名を目録に挙げる必要はないか。後日、福建省付近の島嶼を台湾付属島嶼と言われ、紛議になるのを懸念している。
水野:島嶼の名称を列記すれば、脱漏したもの、無名島はいずれの政府の所領にも属さないことになり、不都合だ。海図、地図で台湾付近の島嶼を台湾所属島嶼と公認しておけば、他日日本政府が福建省付近の島までも台湾所属と主張することは決してない。
台湾の付属島嶼の範囲を確定しなかったのは、こうした理由からだったのだ。これを聞いて李経方は、頷いたという。
日本政府は尖閣諸島が無主の地であることを慎重に確認した上で領土に編入したのであって、それを隠さなければならない理由などなかったのである。
「釣魚島は馬関条約に従い、(台湾と)一緒に日本へ割譲したもの」と記者団に語る馬英九
■「言ったが勝ち」が中国人研究者の手口
井上馨外務大臣(正確には外務卿)が「編入する動きを暫時停止した」のは事実であり、馬英九の指摘は正しい。
沖縄県知事が開拓事業者の依頼を受け、政府に同諸島の沖縄県への編入を上申したのは一八八五年。それまで行われた調査の結果、清国の尖閣諸島領有の事実がないことを確認した上でのものだったが、井上馨は「近時清国の新聞等にも我政府に於て台湾近傍清国所属の島嶼を占拠せし等の風説を掲載し、我国に対して猜疑を抱き、頻に清政府の注意を促し」たことから、「此際遂に公然国標を建設する等の處置」をとっては「清国の疑惑を招」くため、「国標を建て開拓等に着手するは、他日の機会に譲」るべき(内務卿山縣有朋への書簡)だとして、上申を閣議にかけるのを見送ったのだ。
当時、日清間には琉球の帰属問題や朝鮮問題などでの対立があり、日本としては大国である清国との摩擦を恐れていたため、ここまで慎重だったわけだが、やがて日清戦争で日本が優勢となったため、ためらいなく尖閣諸島に国標を建てる閣議決定を行ったのである。
ところが馬英九は、日本側のこうした経緯を取り上げ、密かに尖閣諸島を掠め取ったとの陰謀話を作り上げているのだ。
もちろん馬英九だけに限らない。少しでも調べられればウソとばれる話でも、「言ったが勝ち」と言わんばかりに強調するのが、中国人研究者がしばしば見せるやり口である。
たとえば石原慎太郎都知事が米国で尖閣購入計画を明らかにしたことを受け、台湾の政治大学国際法研究センターの邵漢儀研究員は五月四日の米紙ウォールストリートジャーナルに投稿し、「一八八五年から一八九五年までの日本政府の公文書は、明治政府が釣魚台を中国領と承認していたことを示している」と主張した。
それではいかなる公文書があったのかと言えば、何てことはない、先に触れた山縣有朋に宛てた井上馨の、国標設置の見送りを訴えた書簡なのである。
言うまでもなくこれは「釣魚台を中国領と承認した」ものなどではないのだが、あたかも「承認した」かのような印象を、米国ならびに国際社会に「広めたが勝ち」と考えてのことに違いない。
■やはり有効だった石原都知事の尖閣購入計画
馬英九は鄭海麟に対し、次のようにも断言している。
――釣魚島は一八九五年以前は無主の地だったとする日本の主張は成り立たない。なぜなら数百年前から中国人は、そこを開発、使用していたからだ。
「開発、使用の事実を示す証拠を見せてみろ」と言いたくなるが、研究の権威と言うより、今や一国の元首である人物が、公然とこうした断定を行えば、国際社会もそれが虚構宣伝であるとは思えず、耳を傾けざるを得なくなるのではないか。
中国人の宣伝力とは、これほど強力なものなのである。中国が尖閣領有権の対外宣伝工作を強化しつつある今日、そうした状況を前にして、日本はいかなる対応を採ればいいのだろうか。
まずは、この問題の「棚上げ」はやめるべきだろう。
井上馨ではないが、日本自らが中国から反中国だとする「猜疑心」を恐れ、実効支配の強化を躊躇しつづけるなら、中国人の主張に理ありとの印象を世界に与えること必至である。
そうした苦境に日本を追いやらないためにも、石原慎太郎都知事の購入計画の打ち出しはとても有効だったと言えるのである。
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日本が危ない!皇室典範と皇位継承問題を考える埼玉県民の集い
日時 平成24年5月12日(土) 13時40分 (13時00分開場)
場所 さいたま市民会館うらわ ホール
http://www.shisetsu.city.saitama.jp/Public/PC/shisetsu/407.html
内容
《開会式》
特別挨拶 … 上田清司(埼玉県知事)
《第一部》 基調講演
講師:百地章(日本大学法学部教授)
《第二部》 パネルディスカッション
パネリスト:
百地章(日本大学法学部教授)
村田春樹(外国人参政権に反対する会東京代表)
吉田律子(日本会議日本女性の会埼玉支部長・氷川女體神社宮司)
コーディネーター:
水島総(頑張れ日本!全国行動委員会幹事長)
※ 終了後、1階レストランにて懇親会(約3,000円)あり。出席御希望の方は、事前のお申し込みが必要です。
資料代 1,000円
主催 日本が危ない!皇室典範と皇位継承を考える埼玉県民の集い実行委員会
実行委員長・吉田弘(日本会議埼玉県本部理事長)
共催 頑張れ日本!全国行動委員会埼玉県本部、日本会議 埼玉県本部
後援 日本を良くする埼玉県民の会、埼玉民社協会、日本李登輝友の会埼玉県支部、
埼玉ビジョンの会、新教育者連盟埼玉支部、日本会議日本女性の会埼玉支部、
日本会議埼玉県議会議員連盟
事務局 埼玉県教科書改善連絡協議会(代表・中田勝己)
頑張れ日本!全国行動委員会埼玉県本部(幹事長・宮内貞守)
日本会議埼玉県本部(事務局次長・酒井慶太)
御連絡先 TEL 090-5759-8712 (愛甲)
一九七〇年代初めに日本が実効支配する尖閣諸島の領有権を主張し始めた台湾の中華民国、そして中華人民共和国だが、これらの主張の根拠はともに同諸島が「台湾の付属島嶼」であるということ。
日本は一八九五年の下関条約により、清国から「台湾全島及其の附屬諸島嶼」と 「澎湖列島」の割譲を受けたが、それらは一九四五年の日本の敗戦で中国(当時は中華民国)に返還されており、「付属島嶼」の一部である尖閣諸島の主権は中国(中華人民共和国、あるいは中華民国)に帰属するというわけだ。
中華人民共和国も中華民国も、尖閣諸島を「中国台湾の
附属島嶼」とすることで一致している
もっとも日本はそれらを中国へは「返還」せず、一九五二年のサンフランシスコ講和条約で放棄のみ。しかしそれでも尖閣諸島が「付属島嶼」に含まれているのであれば、そこは台湾の一部となり、日本の主権は否定されることになる。
だがこうした主張は最初から破綻している。ここではっきりと断言できるのは、下関条約の言うところの「付属島嶼」には尖閣諸島は包含されていなかったということなのだ。
なぜなら下関条約が調印されたのは一八九五年の四月十七日だが、その年の一月十四日、すでに日本政府は沖縄県知事の上申を受け、同諸島が無主の地であることを確認した上で、領土編入を閣議決定していたからである。
こうした厳然たる事実を受け、中国人が必死になって行うのが歴史捏造の宣伝であるが、それにはどのようなものがあるのだろう。
中国人の尖閣問題研究の権威と言えば、現中華民国総統の馬英九だ。台湾大学在学中の七一年に国際法の観点から研究に着手し、ハーバード大学での博士論文でもその問題を扱っていたわけだが、「権威」と言っても所詮は「歴史捏造の権威」にしかすぎない。
そこでその主張がいかにインチキなものであるかを検証してみよう。それだけで中国人全体の主張の虚構性が明らかになるはずだ。
■歴史捏造しかできないハーバード大法学博士
台湾の政治大学現代日本研究センターが二〇一一年九月に開催した「釣魚台列嶼問題国際学術シンポジウム」に参加のため訪台した香港の中文大楽アジア太平洋研究所の鄭海麟研究員の手記「馬英九に釣魚台問題の話を聞く」(カナダ星島日報、九月十三日)によれば、同月二日に会見した馬英九は次のように「研究について詳しく語った」という。
鄭海麟(右1)ら尖閣研究者たちの前で、歴史の「講義」を行った馬英九
――― 一四〇三年の『順風相送』で初めて島嶼の名前が現われた。明代の『籌海図編』では釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼などが海防拠点として描かれ、清代の黄叔敬の『台海使槎録』では「山後(台湾中央山脈以東)の大洋の北に釣魚台という名の山(島)がある」と書かれるなど、釣魚台が清の康熙年間ではすでに台湾の付属島嶼と見られていたことが証明できる。
よくもこんな出鱈目を言ったものだと思う。
『順風相送』は年代、著者不詳の航路指南書で、確かにそこには航路の目標の一つとして「釣魚嶼」の名が記載されている。しかしそれだけで、当時の中国が尖閣を領有していたという証拠にはならないのである。
『籌海図編』にしても、描いているのは中国の海防拠点ではなく、明らかに中国の勢力が及ばない倭寇の拠点である。
『籌海図編』(1562年)に載る海図。「釣魚嶼」のほかに「鶏籠山」も見える
が、これは台湾北端にある今日の基隆。当時ここは倭寇の拠点で、中国人は
台湾の存在すらほとんど知らなかった。したがってこの図は海防拠点を表し
たものとは言えない。
「康熙年間」に書かれた『台海使槎録』の記述も「(釣魚台では)大船十余が泊まること可」とはあるが、ただそれだけで清朝の尖閣領有は史実だと言えるのか。
馬英九はさらに、次のようにも「特に強調」したらしい。
―――釣魚台列嶼は馬関条約(下関条約)調印後、台湾が割譲されたときに日本が占領したもの。馬関条約では、日本に割譲される澎湖列島については経緯度が明記されているのに対し、台湾についてはそれがなく、ただ「台湾及び付属島嶼」と曖昧にされている。
―――これはおそらく日本が条約調印前に盗取していた釣魚台列嶼を付属島嶼に入れるためだったのだろう。なぜなら甲午戦争(日清戦争)前、上海の「申報」が「日本人は台湾東北の小島(すなわち釣魚台列嶼)を狙っていると報道したため、日本の外務大臣、井上馨は(清国の)世論の圧力を鑑み、釣魚台を沖縄県へ編入する動きを暫時停止し、一八九五年一月十四日に至って初めて閣議を通じて沖縄県へ編入した。当時日本の戦勝は近いと見られており、世論の圧力を恐れることなく盗取したのだ。
これが「ハーバード大学法学博士」の言説などとはとても思えない。馬英九がどれほど「強調」しても、すべてが歴史捏造なのである。
■下関条約の真実―日本は尖閣領有を隠蔽していない
確かに下関条約では、日本へ割譲する澎湖列島に関しては「英国グリーンウィチ東経百十九度乃至百二十度及北緯二十三度乃至二十四度の間に在る諸島嶼」と明記し、台湾に関しては「台湾全島及其の附屬諸島嶼」としか規定されていない。そしてそれは日本側の意向によるものだったのだが、しかしそれは、何も尖閣諸島占領の事実を隠蔽するためではなかったのである。
一八九五年六月二日、日清間で「台湾授受に関する交換文書」が調印される際、日本の全権委員、水野遵と清国の全権委員、李経方とのやり取りが伊能嘉矩の『台湾文化誌』(一九二八年)に収録されている。それを要約すると、
李:台湾付属島嶼の名を目録に挙げる必要はないか。後日、福建省付近の島嶼を台湾付属島嶼と言われ、紛議になるのを懸念している。
水野:島嶼の名称を列記すれば、脱漏したもの、無名島はいずれの政府の所領にも属さないことになり、不都合だ。海図、地図で台湾付近の島嶼を台湾所属島嶼と公認しておけば、他日日本政府が福建省付近の島までも台湾所属と主張することは決してない。
台湾の付属島嶼の範囲を確定しなかったのは、こうした理由からだったのだ。これを聞いて李経方は、頷いたという。
日本政府は尖閣諸島が無主の地であることを慎重に確認した上で領土に編入したのであって、それを隠さなければならない理由などなかったのである。
「釣魚島は馬関条約に従い、(台湾と)一緒に日本へ割譲したもの」と記者団に語る馬英九
■「言ったが勝ち」が中国人研究者の手口
井上馨外務大臣(正確には外務卿)が「編入する動きを暫時停止した」のは事実であり、馬英九の指摘は正しい。
沖縄県知事が開拓事業者の依頼を受け、政府に同諸島の沖縄県への編入を上申したのは一八八五年。それまで行われた調査の結果、清国の尖閣諸島領有の事実がないことを確認した上でのものだったが、井上馨は「近時清国の新聞等にも我政府に於て台湾近傍清国所属の島嶼を占拠せし等の風説を掲載し、我国に対して猜疑を抱き、頻に清政府の注意を促し」たことから、「此際遂に公然国標を建設する等の處置」をとっては「清国の疑惑を招」くため、「国標を建て開拓等に着手するは、他日の機会に譲」るべき(内務卿山縣有朋への書簡)だとして、上申を閣議にかけるのを見送ったのだ。
当時、日清間には琉球の帰属問題や朝鮮問題などでの対立があり、日本としては大国である清国との摩擦を恐れていたため、ここまで慎重だったわけだが、やがて日清戦争で日本が優勢となったため、ためらいなく尖閣諸島に国標を建てる閣議決定を行ったのである。
ところが馬英九は、日本側のこうした経緯を取り上げ、密かに尖閣諸島を掠め取ったとの陰謀話を作り上げているのだ。
もちろん馬英九だけに限らない。少しでも調べられればウソとばれる話でも、「言ったが勝ち」と言わんばかりに強調するのが、中国人研究者がしばしば見せるやり口である。
たとえば石原慎太郎都知事が米国で尖閣購入計画を明らかにしたことを受け、台湾の政治大学国際法研究センターの邵漢儀研究員は五月四日の米紙ウォールストリートジャーナルに投稿し、「一八八五年から一八九五年までの日本政府の公文書は、明治政府が釣魚台を中国領と承認していたことを示している」と主張した。
それではいかなる公文書があったのかと言えば、何てことはない、先に触れた山縣有朋に宛てた井上馨の、国標設置の見送りを訴えた書簡なのである。
言うまでもなくこれは「釣魚台を中国領と承認した」ものなどではないのだが、あたかも「承認した」かのような印象を、米国ならびに国際社会に「広めたが勝ち」と考えてのことに違いない。
■やはり有効だった石原都知事の尖閣購入計画
馬英九は鄭海麟に対し、次のようにも断言している。
――釣魚島は一八九五年以前は無主の地だったとする日本の主張は成り立たない。なぜなら数百年前から中国人は、そこを開発、使用していたからだ。
「開発、使用の事実を示す証拠を見せてみろ」と言いたくなるが、研究の権威と言うより、今や一国の元首である人物が、公然とこうした断定を行えば、国際社会もそれが虚構宣伝であるとは思えず、耳を傾けざるを得なくなるのではないか。
中国人の宣伝力とは、これほど強力なものなのである。中国が尖閣領有権の対外宣伝工作を強化しつつある今日、そうした状況を前にして、日本はいかなる対応を採ればいいのだろうか。
まずは、この問題の「棚上げ」はやめるべきだろう。
井上馨ではないが、日本自らが中国から反中国だとする「猜疑心」を恐れ、実効支配の強化を躊躇しつづけるなら、中国人の主張に理ありとの印象を世界に与えること必至である。
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百地章(日本大学法学部教授)
村田春樹(外国人参政権に反対する会東京代表)
吉田律子(日本会議日本女性の会埼玉支部長・氷川女體神社宮司)
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