山川出版「日本史A」に誤記(中国の政治宣伝)発見/良識信じ、訂正要請中
2011/02/28/Mon
高校教科書の出版で知られる山川出版社の「日本史A」で、このたび重大な誤記が発見された。
P207には次のように、日本の国土が一九四五年の敗戦後、連合国に占領されてたことが書かれている。
「日本は受諾したポツダム宣言に基づいて、連合国に占領されることになった。朝鮮半島北部・南樺太・千島列島などはソ連軍が、朝鮮半島南部、及び奄美諸島・琉球諸島・小笠原諸島はアメリカ軍が占領し、直接軍政を敷いた。台湾も中国に返還されたので、日本の領土は北海道・本州…」
このなかで「台湾も中国に返還された」というのはまったくの誤りである。しかもそれは中国(中国国民党と中国共産党)による台湾不法支配を正当化するための政治宣伝を書き写しただけのものだ。
それに関して史実を言えば、連合国の一員である中国(当時は中華民国)は米軍、ソ連軍などと同様に連合軍司令官の命令に従い、日本軍の降伏を受け入れるために台湾を占領したが、その際に同国は不法にも一方的に台湾の領有を宣言した。そのときの同国の言い分は、日本から台湾の「返還」を受けたというものだが、日本が台湾を中国に割譲したという事実はない。
一九四九年、中国では国共内戦の結果、中華人民共和国が成立し、中華民国政権は台湾へ亡命し、同島支配を継続し、今日に至っているが、「返還」はこの亡命政権の台湾支配を正当化するための法的根拠(虚構宣伝)となって今日に至っている。
一方中華人民共和国は、中華民国は内戦で滅亡したとの立場から、中華民国に「返還」された台湾の領有権は中華人民共和国に帰属するに至ったと主張している。つまりこの国にとって「返還」は、台湾侵略を正当化する法的根拠(虚構宣伝)となり、やはり今日に至っている。
それでは台湾が中国に割譲されていないのならば、実際にはどうなったのだろうか。
それについてはこの「日本史A」自身、P225で、次のような正確な記述を行っているのである。
「1951年(昭和26年)9月、…日本とアメリカなど連合国の交戦国と間でサンフランシスコ平和条約が調印された。…この条約は、交戦国に対する日本の賠償責任を著しく軽減したが、領土については厳しい限定を加えた。朝鮮の独立、台湾・南樺太・千島列島などの放棄が定められ、沖縄・小笠原列島はアメリカの施政権下に移された」
このように日本は台湾を放棄しただけなのである。南樺太、千島列島をソ連に割譲しなかったのと同様、中国などいかなる国にも譲り渡していないのだ。
サンフランシスコ平和条約で台湾の放棄が「定められた」という事実も重要だ。これが物語るのは、それが調印された「1951年(昭和26年)9月」の時点でなお台湾は、日本の領土だったということなのだ。中国などを除く連合国は、領土割譲条約も経ていない中国の一方的な台湾の領土編入など認めていなかった証拠でもある。
したがって日本に放棄された後の台湾帰属先(法的地位)は未定のままなのだ。そのため〇九年に交流協会台北事務所長(日本の台湾駐在大使に相当)が台湾国内での講演で、「台湾の法的地位は未確定」との事実に言及したとたん、国民党政権が激怒し、同所長との会見をボイコットしたばかりか、中国共産党までが外交問題に発展させ、日本側に口封じの圧力をかけるという騒ぎを引き起こしている。
なにしろ中国共産党にとり、「返還」が虚構宣伝に過ぎず、したがって「一つの中国」も虚構であることが暴露されることは、怖くてならない。それは政権の存亡にすら関わる台湾統一という国家目標が、実は不法な対外拡張でしかないことが証明されてしまうからだ。
私は「日本史A」の執筆者が、中国に迎合してこの虚構宣伝を記述したとは、必ずしも思っていない。なぜなら国共両党の宣伝が相当強烈だったからだろう、戦後の日本社会では、「台湾返還」が史実として定着してしまっているからだ。
問題は山川出版社が今後、この誤記を誤記と認め、修正を行うことができるかどうかである。私は二月二十八日、編集部に誤記の指摘を行った。相手は史実を確認すると言っていた。
同社の良識に期待したい。そして中国の台湾侵略を正当化するための政治宣伝を、日本社会から駆逐するためのきっかけを作ってもらいたい。
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P207には次のように、日本の国土が一九四五年の敗戦後、連合国に占領されてたことが書かれている。
「日本は受諾したポツダム宣言に基づいて、連合国に占領されることになった。朝鮮半島北部・南樺太・千島列島などはソ連軍が、朝鮮半島南部、及び奄美諸島・琉球諸島・小笠原諸島はアメリカ軍が占領し、直接軍政を敷いた。台湾も中国に返還されたので、日本の領土は北海道・本州…」
このなかで「台湾も中国に返還された」というのはまったくの誤りである。しかもそれは中国(中国国民党と中国共産党)による台湾不法支配を正当化するための政治宣伝を書き写しただけのものだ。
それに関して史実を言えば、連合国の一員である中国(当時は中華民国)は米軍、ソ連軍などと同様に連合軍司令官の命令に従い、日本軍の降伏を受け入れるために台湾を占領したが、その際に同国は不法にも一方的に台湾の領有を宣言した。そのときの同国の言い分は、日本から台湾の「返還」を受けたというものだが、日本が台湾を中国に割譲したという事実はない。
一九四九年、中国では国共内戦の結果、中華人民共和国が成立し、中華民国政権は台湾へ亡命し、同島支配を継続し、今日に至っているが、「返還」はこの亡命政権の台湾支配を正当化するための法的根拠(虚構宣伝)となって今日に至っている。
一方中華人民共和国は、中華民国は内戦で滅亡したとの立場から、中華民国に「返還」された台湾の領有権は中華人民共和国に帰属するに至ったと主張している。つまりこの国にとって「返還」は、台湾侵略を正当化する法的根拠(虚構宣伝)となり、やはり今日に至っている。
それでは台湾が中国に割譲されていないのならば、実際にはどうなったのだろうか。
それについてはこの「日本史A」自身、P225で、次のような正確な記述を行っているのである。
「1951年(昭和26年)9月、…日本とアメリカなど連合国の交戦国と間でサンフランシスコ平和条約が調印された。…この条約は、交戦国に対する日本の賠償責任を著しく軽減したが、領土については厳しい限定を加えた。朝鮮の独立、台湾・南樺太・千島列島などの放棄が定められ、沖縄・小笠原列島はアメリカの施政権下に移された」
このように日本は台湾を放棄しただけなのである。南樺太、千島列島をソ連に割譲しなかったのと同様、中国などいかなる国にも譲り渡していないのだ。
サンフランシスコ平和条約で台湾の放棄が「定められた」という事実も重要だ。これが物語るのは、それが調印された「1951年(昭和26年)9月」の時点でなお台湾は、日本の領土だったということなのだ。中国などを除く連合国は、領土割譲条約も経ていない中国の一方的な台湾の領土編入など認めていなかった証拠でもある。
したがって日本に放棄された後の台湾帰属先(法的地位)は未定のままなのだ。そのため〇九年に交流協会台北事務所長(日本の台湾駐在大使に相当)が台湾国内での講演で、「台湾の法的地位は未確定」との事実に言及したとたん、国民党政権が激怒し、同所長との会見をボイコットしたばかりか、中国共産党までが外交問題に発展させ、日本側に口封じの圧力をかけるという騒ぎを引き起こしている。
なにしろ中国共産党にとり、「返還」が虚構宣伝に過ぎず、したがって「一つの中国」も虚構であることが暴露されることは、怖くてならない。それは政権の存亡にすら関わる台湾統一という国家目標が、実は不法な対外拡張でしかないことが証明されてしまうからだ。
私は「日本史A」の執筆者が、中国に迎合してこの虚構宣伝を記述したとは、必ずしも思っていない。なぜなら国共両党の宣伝が相当強烈だったからだろう、戦後の日本社会では、「台湾返還」が史実として定着してしまっているからだ。
問題は山川出版社が今後、この誤記を誤記と認め、修正を行うことができるかどうかである。私は二月二十八日、編集部に誤記の指摘を行った。相手は史実を確認すると言っていた。
同社の良識に期待したい。そして中国の台湾侵略を正当化するための政治宣伝を、日本社会から駆逐するためのきっかけを作ってもらいたい。
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