長野で目撃した中国人の愛国運動(下)
2008/04/30/Wed
長野駅前で聖火リレー走者は、中国人の大歓声を受けながら走り去って行った。そして中国人集団は、まるであたかもスポーツ観戦での自国チームの勝利に酔っているかのような歓声、歌声を上げながら、あるいは日本人に挑発を行いながら、聖火到着地点である若里公園へ向かって移動を開始した。人も国旗も物凄い数である。そのような集団に日本人は罵声を浴びせ、騒擾は延々と続いた。とくに我々の左側(東急デパート入り口前)に陣取っていた中国人集団は、我々が前に立ち塞がっているために動くことができず、双方の旗の奪い合いなどでふたたび肉弾の衝突が繰り返された。そこへ他所から移動してくる中国人たちが大勢入り込んでくる。彼らはまだ日本人の抗議の激しさを見ていないから、つまり日本人をなめきっているから、挑発もじつに大胆だった。たとえば平気で日本人陣営に入り込み、旗竿で日本人を突付いてきた子連れ夫婦もいたが、やがて周囲のただならぬ雰囲気にはたと気づき、子供を抱えて脱兎のごとく逃げ出した。
やがて中国人は警察に誘導されたのか、近くの裏路地を通って移動を開始した。そこで日本人も若里公園までデモ行進を行うことに。西村修平氏がマイクで「若里公園へ行くぞ!」と叫ぶと、百数十名の群衆が「オー!」と大歓声を上げた。駅前から同公園までは約二キロほどの道のりだが、中国人の集団と同じ道を歩くこととなる。そこで警察は止めに入ったのだがとても止めきれず、諦めていた。
集団は「フリーチベット!」を大声で連呼しながら、まずは駅構内を突き抜けて前進、沿道には随所に赤旗集団が屯し、あるいは同じ道を同じ方向に歩いており、そのつど「中国、加油!」「ウソツキ!」のコールを浴びせようとするのだが、日本人の「勢い」を見て、みな沈黙するのだった。
長野駅構内を突き抜け前進
行軍中見かけた中国人集団
狭い歩道を進むため、やがて隊列は延びすぎて、いくつもの少人数グループに分断され、それぞれ中国人集団と入り混じっての行軍となったが、中国人は士気の高い我々には敢えて手を出したくはなかったようだ。相手が弱いと見れば突っかかってくるが、そうでなければ無用な争いは挑まないと言う民族性がよく表れていた。
三十分ほどの行軍後、我々は若里公園に達した。このあたりから雨が強く降り始めた。公園入口には中国人集団がおり、ここでも若干の衝突が展開された。彼らが我々に対して得意げに振って見せる大きな中国国旗を日本人が奪取し、それを巡って日本人、中国人、警察官による三つ巴の争奪戦が展開された。その間、足で散々踏み躙られた国旗は警察官に保護されたが、それを受け取った中国人は、「我々の国旗が! 我々の国旗が!」と芝居がかった涙声の叫びを上げていた。それまで日本人を散々威嚇しておいて、いまさら被害者面をして何を言うかだ。
若里公園前に陣取る中国人
公園に入ると警察がガードを固めており、中国人を右前方へ、日本人を左前方へと誘導した。そして我々がたどり着いた先は公園の端にある一角。そこにはチベット人やチベット人支援団体のメンバーが集会をやっていた。そして目の前にある幅百メートルほどの広場をはさんだはるか向こうの公園の中心部には夥しい中国国旗と中国人の大集団が見えた。要するに広場は立ち入り禁止の「緩衝地帯」。聖火を歓迎する中国人だけが到着式典の会場に入り、反対する我々は隔離されたのである。それに気づいた日本人は警察を激越に抗議したが、もはやどうしようもない。中国人集団はこちらに向かい「ざま見ろ」と言わんばかりの大歓声。対峙する両陣営の間では「フリーチベット!」「中国加油!」のコール合戦が延々と続いた。
公園内で対峙する日本+チベット陣営と中国陣営
やがて十二時ごろだったか、公園付近の上空をヘリコプターが旋回しだし、聖火が間もなく到着することを知った。我々は公園を出てコース沿道の歩道へ移動。警察によってそれほど広くない道路の東側が中国人陣営、西側が抗議陣営と設定されていたが、中国人は国旗を林立させて「中国加油」を叫んだり、国家を歌ったりしている。「祖国は明日はさらに良くなる」などと書かれたプラカードも見え、彼らがこの聖火リレーをあくまで中国一国の国家行事と捉えていることが伺えた。
チベットの旗を持ち、東側に入り込んだ日本人が中国人に囲まれてど突かれるのを何度も見た。西側に入り込み、日本人を罵倒する中国人も日本人に襲われた。市民も大勢出ていたが、彼らはこうした衝突などに意を介さず、ただ聖火が来るのを楽しみにしているようだった。
公園前のリレーコース沿道
そしてやがて聖火を掲げた走者が走ってきた。日本人側からは怒声を発せられ、多くが道に飛び出そうとして警察官に制止されたと。
聖火を掲げ持つ走者は背の高い男で運動選手のように見えた。怒声は中国人の歓声に打ち消されてしまったのか、彼には聞こえなかったようだ。有名人なのだろうか、スターがファンにサービスしてやるような満面の笑顔でこちらに手を振っていた。私にはそれが中国人の笑顔と重なって見えた。
ここでも「恥を知れ!」との声があちらことらから上がったが、市民は中国人と一緒になって歓声を上げていた。その後ろを走ってきた聖火リレー実行委員たちの乗った車の窓が開いた。そして聖火がみなから歓迎されていると勘違いし、笑顔を投げかけてきたのだが、それに対しても怒声が飛び、恐怖のあまり慌てて窓を閉めた。
聖火が公園に入りリレーは終了した。これによって中華ナショナリズムはそうとう高揚したのだろう。「人民日報」系の「環球時報」は「数千人の中国留学生が聖火歓迎に駆けつけ、現場は五星紅旗の海となった」と報じた。
公園からは大勢の中国人が大声で国歌を歌いながら出てきた。そこで再び道路を挟んで日本人との対峙が始まった。日本人が「チベットから出て行け!」「人殺し!」「独餃子!」などを連呼すれば、彼らは日本人をせせら笑うかのように国旗を振りつつ国歌の合唱で応じた。
その一方で西側に入ってきて屋根のある一角に雨宿りをしていた中国人の集団は警官隊にガードされていたものの、それでも目と鼻の先に経つ我々に怯えていた。安全地帯にいる中国人と、そうではない中国人は明らかに異なっていた。
このようにして聖火リレーを歓迎する中国人集団に対抗する行動は終了した。
中国人の動員や統制ある行動、または数え切れないほどの国旗の調達は、明らかに中国政府の支持があってのものだった。ではこのときの中国政府の目的は何かと言えば、歓声を上げさせて日本人から冷ややかに見られている聖火リレーを華やかなものに変えることや、抗議の声を打ち消すことだけではない。留学生たちはなぜ国旗を振り、国歌を歌ったのか。それは国旗・国歌が「国威」であり、その「国威」を以って日本人を威圧しようとしたのだ。日本人には意味のわからない「加油」のコールをわざわざ叫ばしたのも、それは威圧のための叫びだたからだ。沿道にいる者だけでなく、全国の日本人への威圧、恫喝でもあった。
それには聖火リレーや北京五輪自体に抗議する日本を黙らせたいとの心理が働いていたはずだ。そもそもこの国の対日政策など、基本的にはみな圧力行使で日本人を付き従わせると言うものではなかったか。
このような中国人動員の聖火歓迎工作は韓国でも見られたが、韓国のそれが日本以上に暴力的だったのは、それだけ韓国は日本以上に中国になめられていると言うことか。
このような留学生、華僑、マフィアなど在日中国人を動員して行う日本人への恫喝は、属国や殖民地において、宗主国の人間が行うようなものだったが、これからも必要とあれば行われるのではないだろうか。たとえば日本政府が歴史問題、東支那海問題などで所謂「中国人民の感情を傷つける」ような政策に出るとき、「在日中国人は黙っていないぞ。デモをやるぞ」と仄めかすだけで、日本政府はトラブルを恐れて例により、「相手の嫌がることはしない」などと言って中国に妥協するかもしれない。何しろこの日の中国人側が演出した光景は、日本人が見たこともないような迫力があった。臆病者なら簡単に縮み上がる。
この光景を見た台湾人の友人は、中国人の歴史で海外において初めて見せた団結ではないかと言っていたが、同じことは翌日のテレビ番組でも在日中国人学者が言っていた。言わば日本は中国の愛国主義運動の一つの新たな実験の場となったわけである。そしてこの愛国主義は中華覇権主義に基づいたものであって、「日中友好」にはまったく相反するものであると言うことを、日本人は今回の騒動を通じてしっかりと肝に銘じなくてはならない。
ではこうした中華ナショナリズムにどう対処すればいいのか。それは日本人が弱みを見ず、断固対抗するの意志を見せることである。そのことも今回の騒動を通じ、はっきりと理解できたところだ。もともこれはすでに支那事変当時から、日本人が得てきた歴史的な教訓ではあるが。
その意味では今回の行動は、中国政府の日本人観に若干の修正をもたらしたかもしれない。同政府(御用メディア)は「少数の右翼」の仕業として片付け、自国民の反日感情の高まりを押さえ込もうとしているが、我々の行動は日本国民の普遍的な中国への怒りを代表したものであり、中国国民にはそのことを知ってもらい、どんどん反日愛国を叫んで中国と言う国の危険な本質をもっと日本人にわからせてもらいたい。そしてそのとき、中国政府にも愛国愚民教育を行ってきたツケが回ってくることになるのだ。
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やがて中国人は警察に誘導されたのか、近くの裏路地を通って移動を開始した。そこで日本人も若里公園までデモ行進を行うことに。西村修平氏がマイクで「若里公園へ行くぞ!」と叫ぶと、百数十名の群衆が「オー!」と大歓声を上げた。駅前から同公園までは約二キロほどの道のりだが、中国人の集団と同じ道を歩くこととなる。そこで警察は止めに入ったのだがとても止めきれず、諦めていた。
集団は「フリーチベット!」を大声で連呼しながら、まずは駅構内を突き抜けて前進、沿道には随所に赤旗集団が屯し、あるいは同じ道を同じ方向に歩いており、そのつど「中国、加油!」「ウソツキ!」のコールを浴びせようとするのだが、日本人の「勢い」を見て、みな沈黙するのだった。
長野駅構内を突き抜け前進
行軍中見かけた中国人集団
狭い歩道を進むため、やがて隊列は延びすぎて、いくつもの少人数グループに分断され、それぞれ中国人集団と入り混じっての行軍となったが、中国人は士気の高い我々には敢えて手を出したくはなかったようだ。相手が弱いと見れば突っかかってくるが、そうでなければ無用な争いは挑まないと言う民族性がよく表れていた。
三十分ほどの行軍後、我々は若里公園に達した。このあたりから雨が強く降り始めた。公園入口には中国人集団がおり、ここでも若干の衝突が展開された。彼らが我々に対して得意げに振って見せる大きな中国国旗を日本人が奪取し、それを巡って日本人、中国人、警察官による三つ巴の争奪戦が展開された。その間、足で散々踏み躙られた国旗は警察官に保護されたが、それを受け取った中国人は、「我々の国旗が! 我々の国旗が!」と芝居がかった涙声の叫びを上げていた。それまで日本人を散々威嚇しておいて、いまさら被害者面をして何を言うかだ。
若里公園前に陣取る中国人
公園に入ると警察がガードを固めており、中国人を右前方へ、日本人を左前方へと誘導した。そして我々がたどり着いた先は公園の端にある一角。そこにはチベット人やチベット人支援団体のメンバーが集会をやっていた。そして目の前にある幅百メートルほどの広場をはさんだはるか向こうの公園の中心部には夥しい中国国旗と中国人の大集団が見えた。要するに広場は立ち入り禁止の「緩衝地帯」。聖火を歓迎する中国人だけが到着式典の会場に入り、反対する我々は隔離されたのである。それに気づいた日本人は警察を激越に抗議したが、もはやどうしようもない。中国人集団はこちらに向かい「ざま見ろ」と言わんばかりの大歓声。対峙する両陣営の間では「フリーチベット!」「中国加油!」のコール合戦が延々と続いた。
公園内で対峙する日本+チベット陣営と中国陣営
やがて十二時ごろだったか、公園付近の上空をヘリコプターが旋回しだし、聖火が間もなく到着することを知った。我々は公園を出てコース沿道の歩道へ移動。警察によってそれほど広くない道路の東側が中国人陣営、西側が抗議陣営と設定されていたが、中国人は国旗を林立させて「中国加油」を叫んだり、国家を歌ったりしている。「祖国は明日はさらに良くなる」などと書かれたプラカードも見え、彼らがこの聖火リレーをあくまで中国一国の国家行事と捉えていることが伺えた。
チベットの旗を持ち、東側に入り込んだ日本人が中国人に囲まれてど突かれるのを何度も見た。西側に入り込み、日本人を罵倒する中国人も日本人に襲われた。市民も大勢出ていたが、彼らはこうした衝突などに意を介さず、ただ聖火が来るのを楽しみにしているようだった。
公園前のリレーコース沿道
そしてやがて聖火を掲げた走者が走ってきた。日本人側からは怒声を発せられ、多くが道に飛び出そうとして警察官に制止されたと。
聖火を掲げ持つ走者は背の高い男で運動選手のように見えた。怒声は中国人の歓声に打ち消されてしまったのか、彼には聞こえなかったようだ。有名人なのだろうか、スターがファンにサービスしてやるような満面の笑顔でこちらに手を振っていた。私にはそれが中国人の笑顔と重なって見えた。
ここでも「恥を知れ!」との声があちらことらから上がったが、市民は中国人と一緒になって歓声を上げていた。その後ろを走ってきた聖火リレー実行委員たちの乗った車の窓が開いた。そして聖火がみなから歓迎されていると勘違いし、笑顔を投げかけてきたのだが、それに対しても怒声が飛び、恐怖のあまり慌てて窓を閉めた。
聖火が公園に入りリレーは終了した。これによって中華ナショナリズムはそうとう高揚したのだろう。「人民日報」系の「環球時報」は「数千人の中国留学生が聖火歓迎に駆けつけ、現場は五星紅旗の海となった」と報じた。
公園からは大勢の中国人が大声で国歌を歌いながら出てきた。そこで再び道路を挟んで日本人との対峙が始まった。日本人が「チベットから出て行け!」「人殺し!」「独餃子!」などを連呼すれば、彼らは日本人をせせら笑うかのように国旗を振りつつ国歌の合唱で応じた。
その一方で西側に入ってきて屋根のある一角に雨宿りをしていた中国人の集団は警官隊にガードされていたものの、それでも目と鼻の先に経つ我々に怯えていた。安全地帯にいる中国人と、そうではない中国人は明らかに異なっていた。
このようにして聖火リレーを歓迎する中国人集団に対抗する行動は終了した。
中国人の動員や統制ある行動、または数え切れないほどの国旗の調達は、明らかに中国政府の支持があってのものだった。ではこのときの中国政府の目的は何かと言えば、歓声を上げさせて日本人から冷ややかに見られている聖火リレーを華やかなものに変えることや、抗議の声を打ち消すことだけではない。留学生たちはなぜ国旗を振り、国歌を歌ったのか。それは国旗・国歌が「国威」であり、その「国威」を以って日本人を威圧しようとしたのだ。日本人には意味のわからない「加油」のコールをわざわざ叫ばしたのも、それは威圧のための叫びだたからだ。沿道にいる者だけでなく、全国の日本人への威圧、恫喝でもあった。
それには聖火リレーや北京五輪自体に抗議する日本を黙らせたいとの心理が働いていたはずだ。そもそもこの国の対日政策など、基本的にはみな圧力行使で日本人を付き従わせると言うものではなかったか。
このような中国人動員の聖火歓迎工作は韓国でも見られたが、韓国のそれが日本以上に暴力的だったのは、それだけ韓国は日本以上に中国になめられていると言うことか。
このような留学生、華僑、マフィアなど在日中国人を動員して行う日本人への恫喝は、属国や殖民地において、宗主国の人間が行うようなものだったが、これからも必要とあれば行われるのではないだろうか。たとえば日本政府が歴史問題、東支那海問題などで所謂「中国人民の感情を傷つける」ような政策に出るとき、「在日中国人は黙っていないぞ。デモをやるぞ」と仄めかすだけで、日本政府はトラブルを恐れて例により、「相手の嫌がることはしない」などと言って中国に妥協するかもしれない。何しろこの日の中国人側が演出した光景は、日本人が見たこともないような迫力があった。臆病者なら簡単に縮み上がる。
この光景を見た台湾人の友人は、中国人の歴史で海外において初めて見せた団結ではないかと言っていたが、同じことは翌日のテレビ番組でも在日中国人学者が言っていた。言わば日本は中国の愛国主義運動の一つの新たな実験の場となったわけである。そしてこの愛国主義は中華覇権主義に基づいたものであって、「日中友好」にはまったく相反するものであると言うことを、日本人は今回の騒動を通じてしっかりと肝に銘じなくてはならない。
ではこうした中華ナショナリズムにどう対処すればいいのか。それは日本人が弱みを見ず、断固対抗するの意志を見せることである。そのことも今回の騒動を通じ、はっきりと理解できたところだ。もともこれはすでに支那事変当時から、日本人が得てきた歴史的な教訓ではあるが。
その意味では今回の行動は、中国政府の日本人観に若干の修正をもたらしたかもしれない。同政府(御用メディア)は「少数の右翼」の仕業として片付け、自国民の反日感情の高まりを押さえ込もうとしているが、我々の行動は日本国民の普遍的な中国への怒りを代表したものであり、中国国民にはそのことを知ってもらい、どんどん反日愛国を叫んで中国と言う国の危険な本質をもっと日本人にわからせてもらいたい。そしてそのとき、中国政府にも愛国愚民教育を行ってきたツケが回ってくることになるのだ。
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