■はじめに来年一月の総統選挙で国民党の馬英九総統が再選され、台湾がさらに中国の影響下へと転落することが懸念される中、台北で十月二十三日に行われる台湾独立派のシンポジウムに招かれた。
そこで日本ウイグル協会のイリハム・マハムティ会長とともに二十一日から二十七日まで、台湾を訪問することとなった。実は二人の台湾訪問は早くから計画していたものだった。
中国の拡張(侵略)から台湾を守るためには、つまり第一列島線を守るためには、日本と台湾、そしてウイグル、チベット、南モンゴルの諸民族の連帯による国際社会に向けた反「侵略」アピールの必要性を、とくに総統選挙前までに訴えなければならないと考えていたのだ。
以下は、我々の台湾滞在中の記録である。
■10月21日ーイリハム氏が無事に台湾入国 我々が台北の松山空港に到着したのは午後一時過ぎだった。入国を果たした私が直ちに報告の電話を入れた相手は、前日から台湾に滞在していた評論家の黄文雄氏である。
実はイリハム氏は中国が警戒する世界ウイグル会議傘下の人物であるため、中国の影響を受ける国民党政権から、入国を拒否されるのではないかとの懸念が広く持たれており、黄氏は万が一の場合に対応できるよう、台湾国内の政界やマスメディアなどとの連絡態勢を整えてくれていたのだ(黄氏以外にも、同様の態勢をとてくれた人々もいた)。
このように黄氏には滞在中、さまざまな支援をしてもらっている。
さて、空港に出迎えにきてくれたのは、台湾在住のチベット人、タシィ・ツゥリン・前チベット青年会議台湾支部主席と、彼と我々の共通の友人である台湾の人々だった。
タシィ氏とは〇八年、長野での北京五輪聖火リレーの前に「フリーチベット」を叫んで飛び出して逮捕された、かの「長野の英雄」である。
松山空港では東トルキスタン国旗を纏ったタシィ氏らの歓迎を受けた この日の晩、我々は李登輝民主協会の蔡焜燦会長夫妻から温かな歓迎の晩餐会を開いてもらった。黄文雄氏、黄昭堂・台湾建国連盟主席、許世楷・前駐日代表、林保華・台湾青年反共救国団団長夫妻なども参会し、これら台湾独立運動の指導者や台湾最大手紙自由時報の呉阿明会長にも来ていただき、この人々とイリハム氏、タシィ氏などウイグル、チベットの独立の志士たちが交流できたことは、とても有意義なことだった。
【参考】イリハム氏(日本ウイグル協会会長)が無事に台湾入国
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http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1673.html■10月22日ー高雄で独立派主催の座談会 黄文雄氏、イリハム氏とともに、台北から高雄へ移動し、黄氏の親戚の方に招かれ昼食会。そこでは高雄の台湾独立建国連盟のメンバーと交流した。
そして午後からは高雄国賓大飯店で開催された「周辺から見た台湾、中国」と題する座談会に臨む。主催は独立派のニュースサイトである南方快報。邱国禎社長の司会の下、黄氏のコーディネートに従いながら、私とイリハム氏がそれぞれ日本人、ウイグル人の立場から、台湾、そしてアジア諸民族の中国への対処の在り方に関する提言を行った。
独立派のシンポは通常台湾語で行われるが、私とイリハム氏は中国語でしか話せないため、黄氏も含めて中国語で進行したのだが、私が中国語を話し始めると、「日本語を話せ」との要求の声が会場から噴き出したので、私は日本語に切り替え、イリハム氏が中国語で、あるいは黄氏が台湾語で通訳してくれた。閉会後に知ったのだが、みな日本語が聞きたかったのだという。
一方のイリハム氏だが、台湾人はチベットの状況は知っていても、ウイグル問題に関してはあまり理解していない。その原因の一つはこの国にウイグル人がほとんどおらず、この民族の生の声が届いていないことだ。だからこそイリハム氏は、そうした状況を打開するため、訪台したわけだが、彼が流暢な中国語を話すのは台湾人にはとても意外だったようだ。そして初めてウイグル人から直接聞かされる東トルキスタンの状況に、大きな衝撃を受けたのだった。
なお、そうした衝撃はこの日以降、この国の人々の間でどんどんと広がって行く。
閉会後、邱国禎氏の招きで夕食を共にし、ふたたび独立派の人々と交歓した。
【参考】日本と台湾、そしてウイグルは連帯できる!ー台湾高雄の独立派シンポに参加して(付 動画)
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mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1676.html■10月23日(1)ー台北でシンポジウムに参加 午前中に高雄から台北へ戻り、私とイリハム氏は午後から、台湾医社が台湾大学校友会館で開催した「台湾双重受難日」シンポジウムに参加した。
「台湾双重受難日」(台湾が二つの苦難に見舞われた日)とは、その二日後の十月二十五日のこと。
四五年のこの日、日本の降伏受け入れのため台湾へ進駐した中華民国軍は、一方的に台湾の領土編入を宣言し、それが戦後の過酷な中国人支配の始まりとなった。また七一年のこの日は、国連が蒋介石政府(中華民国政府)の追放を決議したのを受け、同政府は国連を脱退し、台湾は国際社会で孤立して行くことになった。こうした禍の源である中華民国体制から、いかに台湾を救出するべきかを考えるのが、このシンポジウムの趣旨だった。
司会は郭正典台湾医社社長。登壇者は戴宝村・政治大学台湾史研究所教授、林保華・台湾青年反共救国団理事長、羅栄光・台湾連合国協進会理事長、黄清雄・元外交官、蔡丁貴・公投護台湾連盟総召集人、劉重義・台湾民族同盟総召集人、陳達成・台湾人民監督法院協会理事長、沈建・台湾国臨時政府総召集人といった台湾独立派のオピニオンリーダーと、イリハム氏と私の十人だった。
私は「日台の団結が台湾を救う」と題するスピーチを行い、台湾人の多大な東日本大震災支援が日本人を感動させ、両国民の心が接近していることを指摘し、共同で国際社会に「一つの中国」が虚構であることをアピールし、中国の脅威の抑止を目指す日台連帯運動の推進を訴えた。
イリハム氏は「ウイグルの観点から見た台湾」と題して話をしたが、ここでも同氏の中国語の講演は参会者の心を動かした。「今日のウイグルは明日の台湾」という認識とウイグル人との連帯感が人々に持たれたように感じた。
台湾人はイリハム氏の故国を「新疆」と呼び(「中国の新領土」の意。中華民国体制に従えば、そこは中華民国新疆省となる)、会場内でもその呼称が盛んに使われたが、イリハム氏は「東トルキスタン」と呼ぶべきだと重ねて強調。その結果、それは会場内ではすっかり定着したのに私は注目した。このようにウイグル人が歴史の真実を話せば、台湾人ならそれを理解することができると確信したのだ。
閉会後、登壇した人々と今後の交流を約束した。
【参考】
日台団結が必要だ!-中共に対する両国民の共闘を訴えた台北での講演録
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mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1684.html演講錄「日台團結救台湾」(漢語)
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mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1686.html■10月23日(2)ー台湾青年反共救国団に招かれ シンポジウム終了後の夜、私とイリハム氏は台湾青年反共救国団の林保華理事長と、夫人で執行長の楊月清氏から、台北市内の日本料理屋での歓迎の夕食会に招かれた。
林保華氏は台湾における中共問題研究の第一人者として活躍するジャーナリストだ。中国出身だがその後海外へ亡命し、今では台湾に帰化して台湾建国のための言論活動を展開している。
会場には約三十人ほどの救国団のメンバーや関係者が集まった。著名な文化人も多数含まれていた。食後は積極的な発言、討論が行われ、このグループが活気に満ちていることがわかった。
私は林氏に台湾研究フォーラムの会旗を贈り、今後の連帯をお願いした。
林保華夫妻と閉会後、ホテルに戻った私とイリハム氏は、台湾独立運動を展開する台湾人の友人たちの来訪を受け、酒を酌み合いながら今後の運動の在り方などについて遅くまで語り合った。
■10月24日―黄文雄氏の出版発表会で李登輝氏と午後二時から台北市内のホテルで黄文雄氏の『哲人政治家・李登輝の原点』(台湾版)の出版発表会が開催されたので参加した。
スピーチする黄文雄氏この日は李登輝元総統も出席するとあり、私と以前から交流のある李登輝学校(今後の台湾の背負う人材育成のカリキュラム)の卒業生も大勢来ており、旧交を温めた。
この日の内容は豪華だった。黄文雄氏、李登輝氏以外には、羅福全・元駐日大使、許世楷・元駐日大使、黄昭堂・台湾独立建国連盟主席、張炎憲・元国史館館長などが次々とスピーチに立った。また会場の時間の都合で取り消されたのだが、黄昆輝・台湾団結連盟主席、蔡焜燦・李登輝民主協会理事長らも登壇する予定だった。
左から黄昭堂、黄文雄、李登輝、黄昆輝氏まさに日本でも有名な台湾独立派が顔を揃えたわけだが、このときもう一つ意義深かったのが、イリハム氏とタシィ氏の二人が、みなの前で紹介され、李登輝氏と握手したことだった。タシィ氏からカターと呼ばれるチベット伝統のマフラーをかけられた李登輝氏は、「私たちは友達だ」と語って二人を歓迎、場内も台湾の人々の温かい拍手で包まれた。
中共には見たくない李登輝氏とイリハム、タシィ氏との対面中国から「台独ゴッドファーザー」と罵られてきた李登輝氏が、このように「疆独」分子と「蔵独」分子の二人と握手を交わしたことは、中国には見たくない光景に違いなかったはずだ。もちろんウイグル人やチベット人にとっては逆に、大きな励みとなる光景ではあった。
【参考】大拍手を浴びた李登輝氏とイリハム氏(ウイグル)、タシィ氏(チベット)との握手
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mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1678.htmlこの日は国連創立記念日であり、夜には市内の教会で台湾の国連加盟を推進する民間組織、台湾連合国協進会(会長=羅栄光牧師)が「台湾国際孤立四十周年 台湾国連加盟の国民投票推進を」と題するシンポジウムを開催したが、ここでもイリハム氏とタシィ氏は紹介され、盛大な拍手を浴びている。
■10月25日(1)―ウイグル・チベット・南モンゴル合同記者会見午前に台湾大学校友会館において台湾チベット友の会(周美里会長)主催による「中国覇権主義に対抗する東トルキスタン・チベット・内モンゴル合同記者会見」が行われ、イリ周会長とともにハム氏、タシィ氏、そして袁紅氷氏の三人が登壇した。
袁紅氷氏は南モンゴル出身だが漢民族の作家だ。現在ニュージーランドに亡命中だが、中共の台湾併呑工作の全貌を暴露した著書『台湾大劫難』(邦題=暴かれた中国の極秘戦略)が、その衝撃的内容から政治問題にまで発展したため、今や台湾では大変有名である。
左からタシィ、周美里、イリハム、袁紅氷氏また黄文雄氏も台湾独立派を代表する形でマイクを握った。
数日前に馬英九総統が中共との間での平和協定締結の可能性を仄めかしたことから、台湾では「今日のチベット、東トルキスタンは明日の台湾か」との懸念も高まっているため、この記者会見には複数のメディアが来ていた。そしてこの日のうちに、自由時報、三立テレビ、民視(フォルモサテレビ)などが会見の模様を報道している。
かくてイリハム氏、つまりウイグル人の運動の存在が、この国でも広く認知され始めたのである。
■10月25日(2)―台湾派のラジオ番組で訴えるこの日の午後、私とイリハム氏は台湾派のラジオ番組「夢中的国家」に出演し、パーソナリティを務めるジャーナリストの謝徳謙氏と対談した。
イリハム氏は中共支配を受ける東トルキスタンや海外のウイグル運動の現況などを話した。
私は、なぜ日本人でありながら台湾独立を応援するのかを聞かれて話した。台湾は中国の「一つの中国」の宣伝を打ち破る声を、今まで以上に国際社会に発信するべきだと訴えた。
この番組は台湾各地のFM放送局やインターネットラジオにより、その日のうちに放送されたそうだ。
左がパーソナリティーの謝徳謙氏その後我々はタシィ氏に連れられ、同氏が属する人権団体アムネスティ・インターナショナル台湾支部の事務所を訪問。
さらに夜には在台チベット人諸団体による夕食会に招かれた。場所は市内のネパール料理店。タシィ氏はもとより、チベット亡命政府の駐台代表部にあたるダライ・ラマチベット宗教基金会のダワ・ツェリィン理事長ら十数人のチベット人から歓迎を受けた。
会場にはチベット、日本、東トルキスタンの旗が飾られていた。
ホテルに戻ると、運動家の友人がビデオカメラを持ってタシィ、イリハム氏、私の三人の取材に来た。そして終了後は、やはり夜が更けるまで酒を飲みながら意見交換を行った。
■10月26日(1)―チベット人と自転車PR活動タシィ・ツェリン氏が八月以来の毎週二回、台北市内で黙々と繰り返している活動に参加した。それはチベット国旗を掲げた自転車を駆り、中国人観光客が大勢集まる市内の観光スポットを巡り、パンフレットを配りながら、中共がチベット人にいかなる弾圧を行っているかを伝えるというものだ。
午前、出発地点である二・二八記念公園に集合したのはタシィ氏のほか、台湾人のチベットサポーター二人と私を含む日本人二人。五台の銀輪部隊を編成し、二時間ほどかけて総統府前、自由広場前、台北一〇一(世界第二のノッポビル)と回った。
台北一〇一前でのことだ。そこには観光バスが次々と乗り付け、続々と中国人観光客が降りてくる。見学を終えた中国人もそこで大勢屯していた。
そのような場所だから、法輪功の人々もやってくる。観光客の前で座禅を組むなど気功の集団練習を行ったり、中共に迫害、虐殺された法輪功学習者の惨たらしい写真パネルを展示したりしていた。
中共は台湾へ向かう観光客が法輪功と接触し、印刷物を受け取ることを禁じているが、おそらくチベット独立運動家との接触も許すことはないだろう。
なぜなら中共は法輪功弾圧の真相と同様にチベット弾圧の真相も人民には知られたくないからだ。タシィィ氏の活動の意義は、そうした中共のアキレス腱を突くところにあるのではないだろうか。
中国人観光客は多くはチベット人の活動に無関心に見えた。つまりチベット問題に無知なのだ。だから「チベットとは一家一国ではないか。大陸に持って帰って記念にしたい」とチベット国旗をねだってきた者もいた。もちろんみなが無知なはずはなく、ただ中共の怒りを恐れ、無知を装っていた者もいたはずである。
中国人にチベット弾圧の真相を綴った小冊子を渡すタシィ氏一方、チベット問題に無知ではない中国人グループも現れた。在台中国人の中華愛国主義団体である愛国同心会がそれである。
聞けばタシィ氏ら在台チベット人が活動を行うたび、彼らは街宣車に乗って出現し、騒音をかき鳴らして妨害するらしい。東日本大地震発生直後、タシィ氏らは日本の被災者のため、祈祷集会を開催したが、それすらも妨害したそうだ。
この日、その会のメンバーは街宣車から降りるや、マイクを握って観光客に向かい「我々は中国の平和統一を希望する。台湾独立には反対」と叫び、観光客から拍手をもらって得意げだった。
法輪功の人々にも罵声を浴びせていたが、このように中華愛国主義とは、理性も良心も捨て去った民族主義であることがよくわかった。
タシィ氏の後に立つのが愛国同心会のメンバー活動の激励に来たチベット人高僧【参考】台北で中国人観光客を前にチベット人権アピール/タシィ・ツェリン氏(長野の英雄)の銀輪部隊に参加
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mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1677.html ■10月26日(2)―ウイグル問題への関心に高まり夜、市内のレストラン「学校珈琲館」で台湾チベット友の会主催による「『失われた東トルキスタン』か、『中国新疆』か」と題するイリハム氏の講演会が開催された。前日の記者会見を受け、自由時報が講演会の予告記事を書いたこともあり、それほど広くない会場には、若者を中心とした大勢の人々が詰め掛け、パワーポイントを駆使しながら東トルキスタンの現状を話すイリハム氏の講演に熱心に耳を傾けた。
中共のウイグル人に対する無差別逮捕の映像が流されると、多くは涙を流しながら見ていた。「四七年の台湾二・二八事件(国民党による台湾人虐殺事件)もこうだったんだ」との声も上がった。
そして台湾チベット友の会に次ぐ、台湾ウイグル友の会も設置しようとの意見も出され、参会者の賛同を受けていた。
日本よりウイグル問題に関する情報が少なく見える台湾だが、その情報が一度広がれば、ウイグル民族に対する同情心は、日本国内以上の速さで拡大するかも知れないと、会場の雰囲気からも感じとることができた。
この日も我々のホテルの部屋に、台湾の運動家たちが集まった。我々の台湾訪問の最後の晩ということもあり、明け方まで飲み、語り合った。
■10月27日ー運動発展の可能性を感じつつ帰国イリハム氏は午前から自由時報などのインタビューを受けた。同氏の記者会見、そして講演会を通じ、ウイグル問題はメディアの関心を集め、そしてそれにより、さらに多くの台湾人に、この問題が紹介されることとなったのだ。
午後、我々は松山空港を飛び立ち、日本へ戻った。
台湾滞在中、日本、台湾、ウイグル、チベット、南モンゴルの諸民族連帯の基礎作りはたしかに進展したと思う。「進展した」のは当然だ。なぜならこれまでそれはゼロに近かったからだ。
今後求められるのはさらなる努力なのだが、こうした運動が台湾の人々には受け入れられるとの感触は、我々にとっては実に大きな励みとなっているのである。
最後に、我々の旅を成功へと導いてくれた大勢の方々に、心からお礼を申し上げたい。
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