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湖西線7・小野駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から6つ目の大津市にある「小野駅」である。

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 「小野駅」で下車する。
 駅は東向きの斜面に設置されているので、琵琶湖側が良く見える。
 左手に近江富士、右手に琵琶湖大橋である。
    
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 駅舎の出口は山側である。
 駅前には総合ビル「ローズプラザ小野」がある。
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 この「小野駅」は京阪電鉄が琵琶湖ローズタウンを開発し、その最寄り駅として設置された新しい請願駅である。
 駅前の道路から、住宅街の中を進む。
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 10分程度で「小野妹子(いもこ)公園」に到着する。
 正面には「小野妹子神社」の鳥居と社号柱が建ち、鳥居を潜り階段を昇る。
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 参道階段を上ると丘の頂上辺りに出る。
 そこに小さな祠が祀られているが、これが「小野妹子神社」である。
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 小野妹子は遣隋使という中国との交流を開いた人物で、聖徳太子の使節として隋に渡った折り、「日出る国の天子 日没する国の天子に書を致す 恙なきや」と対等な外交を成就させたことで良く知られている。

 祠の裏の最頂部には妹子の墓標と云われている石組の残骸もある。
 そしてこの丘は、「唐臼山古墳」と云われ、小野妹子(いもこ)の墓とされている。
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 丘の上からは、西に比良山、東に琵琶湖、そしてその向こうに近江富士が見える。
 また南方向には琵琶湖大橋も見える。
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 「小野妹子神社」の丘の北側は大津市立小野小学校である。
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 そして探索はここまでとし、駅に戻り、丁度通りかかった特急サンダーバードを眺め、各駅停車に乗って、次の駅に向かったのであった。
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湖西線6・堅田駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から5つ目の大津市にある「堅田駅」である。

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 「堅田駅」で下車する。
 ホームからの東方向は堅田の市街地で、その先は琵琶湖を横断する琵琶湖大橋が架かっていて、東岸は守山市である。
 マンションの間に近江富士も見える。
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 駅前のロータリから北・西へと進む。
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 道は「新堀川」沿いで、川には鴨も泳いでいる。
 そして住宅街を抜け、正面に比良山系蓬莱山が見えて来る。
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 広い道路を越え、村中へと入る。
 神社の参道があるので辿ってみる。
 鳥居が見えて来る。
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 「中村八幡宮」である。
 石碑には「香岡屢大神遥拝」とある。
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 住所地は「真野一丁目」、神社の背後には広場もあり、庚申塚も建っている。
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 神社裏から元の村中の道に戻ると、西向きに「谷口八幡宮」の社号柱が建つ参道である。
 住所地は「真野谷口」である。
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 左手に寺院があり、その先には祠がある。
 更に進む。
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 そして神社の社頭に到着する。
 「谷口八幡宮」である。
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 鳥居を潜る。
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 参道は奥へと続く。
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 そして本殿である。
 本殿の造りは一間社流造、主祭神は、素盞鳴尊、應神天皇 である。
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 本殿の棚には一対の狛犬も祀られている。
 また左手には、多くの地蔵像も祀られている。
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 この谷口八幡神社の創建は、室町時代の文明3年(1471年)と伝えられている。
 当初は牛頭天王社をこの地に奉斎し、後の戦国時代である永禄年間に應神天皇を合祀し、明治になって八幡宮と改称されたと云う経緯を有する。

 そしてこの地点で「堅田駅」のミニ探索を終了したのであった。

湖西線5・おごと温泉駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から4つ目の大津市にある「おごと温泉駅」である。

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 「おごと温泉」とは、寺院の境内に霊泉があり、それが大正時代にラジウム温泉に当たることから、温泉地「雄琴」として発展したものである。
 近年一時、滋賀県が当地の一角をトルコ風呂の「禁止除外区域」に指定し、性風俗産業の進出が急増して歓楽街化が進み、多くの特殊浴場が立地するに至り、「雄琴」はその代名詞ともなっていたことで知られている。
 開設当時の駅名は「雄琴」であったが、今までの印象を払拭しようと地元側から駅名の変更が申し入れられ、現在の駅名となったものとされている。

 「おごと温泉駅」で下車する。
 ホームからの琵琶湖側の風景である。遠くに対岸の近江富士も見える。
 そして駅舎東側である。
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 駅前には温泉地らしく、六角足湯がある。
 そして、駅から湖岸方向への道路を進み、旧国道161号線に出る手前を「雄琴神社」方向へと右折する。
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 この道路は旧街道であろう。
 趣のある石垣や土塀が見られる。
 この辺りの住所地は「雄琴2丁目」である。
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 南方向へと進む。
 右手に「雄琴神社」の社号標柱と参道があり、これを進む。
 参道左手に寺院がある。
 かつては神宮寺であった「東海山 福領寺」である。
 そして神社の鳥居が建つ。
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 灯篭が並ぶ石段を昇ると境内である。
 正面に拝殿がある。
 その先は中門と瑞垣に囲まれた本殿エリアである。
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 本殿前には、一対の狛犬が祀られている。
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 そして本殿である。
 祭神は、平安時代の初期からこの雄琴の地を治めたとされる「大炊神 今雄宿禰命(おおいのかみ いまおすくねのみこと)」とされる。
 また神社の創建も平安時代とされる。
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 そして本殿の左脇には、大己貴命の二峯神社、右脇には、祟道天皇の樟本神社が祀られている。
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 神社境内の風景である。
 そして、東の琵琶湖方向を眺めると、大きな建物が見える。
 この建物は、高齢者住宅・介護付き高齢者施設の「アクティバ琵琶」である。
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 そしてこの地点で「おごと温泉駅」のミニ探索を終了したのであった。

湖西線4・比叡山坂本駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から3つ目の大津市にある「比叡山坂本駅」である。

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 「比叡山坂本駅」で下車する。
 ホームの西側正面には、比叡山が見える。
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 比叡山頂の延暦寺を探索したいところであるが、少々遠いので、山麓の「日吉大社」を目指すことにする。
 「日吉大社」は、近江国二ノ宮で式内社名神大社二十二社の一社である。
 また、「日吉大社」は、山王権現と呼ばれ、全国に約2,000社ある日吉、日枝、山王神社の総本社でもある。
 
 日吉大社へは、「比叡山坂本駅」から、比叡山に向かう参道を進む。
 門前町坂本の中を進む参道には、一ノ鳥居、二ノ鳥居、そして神社社号柱が建てられている。
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 比叡山東麓の「日吉大社」の境内は広い。
 先ずは参道を右手へと取り、東本宮へ向かい、二宮橋を過ぎる。
 かつての東本宮は二宮と呼ばれたため、この名称がある。
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 東本宮の手前に猿の顔に似たりの「猿の霊石」が祀られていて、その先は楼門である。
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 東本宮の境内には、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀る拝殿本殿が祀られている。
 しかし国宝の本殿は修復中で見ることはできない。
 本宮拝殿に直行して鴨玉依姫神を祀る樹下(じゅげ)神社の拝殿本殿も祀られている。
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 次に西本殿に向かう。
 参道途中には幾つかの境内社が祀られているが、その一つ宇佐宮である。
 また、祇󠄀園石が祀られている。牛頭天王が宿る磐座である。
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 そして西本宮の楼門である。
 その先、拝殿と国宝本殿である。
 西本宮には大己貴命(おほなむちのみこと、大国主命)が祀られ、かつては大宮と云われていたものである。
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 西本宮を退出し、参道を戻る。
 途中で山王鳥居を潜り、大宮橋を過ぎる。
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 次に末社の東照宮に向かう。
 途中穴太積みの石垣を見て、石の鳥居に到着する。
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 石段の上は唐門を正面に、透塀で囲まれた権現造りの社殿が祀られている。
 この日吉東照宮は、日光を造営した天海僧正の手により、将軍家光の時代に創建されたと云われる。
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 その天海僧正の廟が近くにある。恵日院慈眼堂である。
 明智光秀の化身とも云われ、初期徳川幕府の顧問であった慈眼大師南光坊天海大僧正の廟である。
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 また、近くに滋賀院門跡がある。
 比叡山延暦寺の本坊で、これも天海僧正の創建によるものである。
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 「日吉大社」は、かつては「ひえ大社」と呼ばれた。
 社殿はほとんどのものが重要文化財に指定され、境内も国の史跡に指定されている。

 坂本と云えば蕎麦処でもある。
 叡山の千日回峰修行には五穀絶ちが必須であるが、蕎麦はその五穀には含まれていないことからも、蕎麦の文化が出来上がった考えられる。
 門前町には大きな構えの店がある。
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 「日吉大社」の門前はこれくらいにして、琵琶湖側へと進む。
 琵琶湖側と云えば明智光秀築城の「坂本城」である。

 「比叡山坂本駅」の少し南に、「坂本城跡」の石碑が建っている。
 この場所は「坂本城」の二ノ丸とのことである。
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 そして、湖側の本丸と二ノ丸の境目辺りに「明智塚」が祀られている。
 坂本城落城の際に光秀の脇差名刀や宝物を埋めた跡で、明智一族の墓所とされている。
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 「坂本城」は、光秀軍が天王山の戦いに敗れた後、攻められ炎上した。
 その後、丹羽長秀が再建に取りかかった。
 羽柴秀吉と柴田勝家との賤ヶ岳の戦いの時、長秀は湖水を渡って戦場に駆け付けた話は有名である。
 続いて杉原氏、浅野長政が入城したが、4年後長政は大津城を築城し、廃城となった。
 坂本城の廃材は大津城築城に活用されたと云われている。

 そしてこの地点で「比叡山坂本駅」のミニ探索を終了したのであった。

湖西線3・唐崎駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から2つ目の大津市にある「唐崎駅」である。

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 「唐崎駅」で下車する。
 ホームから、駅の西側には比叡山、東側には湖岸へ向かう道路が見える。
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 駅舎を東へと出る。
 駅前には「唐崎は茶の発祥の地」という説明板が建てられている。
 そして駅前の道路を琵琶湖方向の南東方向へと進む。
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 左手には大きな建物がある。
 「(公財)全国市町村国際文化研修所」である。
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 また右手には「唐崎中学校」がある。
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 更に進んで行くと、湖岸道路を越えて、「唐崎神社」の参道となる。
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 「唐崎神社」の社頭は西向きである。
 朱塗りの鳥居を潜ると直ぐに拝殿である。
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 そして拝殿の背後は本殿である。
 祭神は女別当命(わけすきひめのみこと)とされている。
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 「唐崎神社」は日吉大社の境外摂社で、鎮座地は琵琶湖に少し突き出たところである。
 創建は持統天皇の時代の7世紀の後半とされている。

 境内には、歌碑などが見られる。
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 そして湖岸には、「近江八景 唐崎の夜雨」の石碑が建ち、広く琵琶湖を望むことができる。
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 また境内には、朱塗りの鳥居と柵に囲まれた「霊松 唐崎の松」がある。
 芭蕉の句碑「唐崎の 松は花より 朧にて」も掲げられている。
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 また神社前には、この地が発祥とされるみたらし団子の店もある。
 そして趣のある町屋も並ぶ唐崎である。
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 そしてこの地点で「唐崎駅」のミニ探索を終了したのであった。

湖西線2・大津京駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。

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 先ずは「山科駅」の隣で、大津市にある「大津京駅」である。

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 「大津京駅」は開業当初は「西大津駅」であったが、平成20年に現在の駅名に改称された駅である。
 「大津京駅」で下車する。
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 天智天皇の大津宮は駅から北へと向かうが、先ずは駅の南を見てみる。
 京阪電車石山坂本線の駅がある。
 この駅は元は「皇子山駅」という名称であったが、JRとの乗り換えの便を考えて「京阪大津京駅」と改称されたものである。
 この駅の直ぐそばには「皇子山球場」があり、そのスタンドが見える。
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 「大津京駅」の西側の道路を北へと進む。
 右手の住宅の間に公園状に幾つかのエリアが見えて来る。
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 遺跡として守られている。
 柿本人麻呂の歌碑や志賀宮址碑も建っている。
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 大津宮跡は、「近江大津宮錦織遺跡」として国の史跡にも指定されている。
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 更に北へと進む。
 「近江神宮」が近づく。
 「近江神宮」は天智天皇を主祭神とする神社で、皇紀2600年を記念して、1940年(昭和15年)に創建された新しい神社である。
 競技かるたの大会が開催されることで良く知られている。

 「近江神宮」は東向きである。
 京阪電車の踏切の所に一ノ鳥居と社号柱が建つ。
 そして長い表参道を進む。
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 神社の境内図概略である。
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 そして石段を昇り、二ノ鳥居を潜る。
 そこには、高市黒人の歌碑が設置されている。
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 そして右手へと進むと再び石段となり、昇り切ると楼門である。
 楼門を潜ると広い境内である。
 楼門の右手奥に見えるのは、時計館宝物館である。
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 楼門からの正面は外拝殿・内拝殿である。
 そしてその奥に本殿が祀られている。
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 拝殿の手前には、一対の狛犬が祀られている。
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 また境内には、神楽殿、栖松(せいしょう)遥拝殿も祀られている。
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 天智天皇は水時計「漏刻」で知られている。
 それを模した「漏刻」が祀られている「近江神宮」である。
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 そしてこの地点で「大津京駅」のミニ探索を終了したのであった。

草津線11・柘植駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から10駅目で起終点の三重県伊賀市の「柘植(つげ)駅」である。

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 鉄道建設の当時、「草津駅」から「柘植駅」まで線路が延びて来て、そのまま三重県内を亀山方向へと繋げていったという経緯がある。
 従って、草津線と関西本線は直線的につながっており、その後敷設された上野方面への関西本線は、この駅から西で大きなカーブを描いていると云うことになっている。
 そんなことから「柘植駅」は、三重県内で最初に開業された駅ともされている。

 「柘植駅」下車する。
 先ずは、「草津線」の駅名標と列車である。
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 そして「関西本線」の駅名標と車両である。
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 駅のホームから、先ずは南側(亀山方向)を眺めて見る。
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 今度はホームから北方向(草津方向)の眺めである。
 「関西本線」はこの先、左へと曲がって行く。
 また構内には、この左側に開業時(明治23年)に設置された煉瓦造りのランプ小屋もある。
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 駅舎から出て見る。
 結構古い駅舎である。恐らくは開業当時の原型を保っているものと思われる。
 また駅舎前には、「安全の泉」と記された石碑が建っている。
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 駅前広場である。 
 「柘植駅」の南方向には大和街道が通っていて、宿場町があったとのことであるが、駅周囲には特に市街地はない。
 当時は駅前に旅館が軒を連ねていたとのことであるが、その名残として「柘植タクシー」の営業所があり、かつて柘植駅内外で駅弁等を販売していた「中村屋」が改装して、喫茶と売店を営業しているのみである。
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 駅を少し離れてみると、芭蕉公園への道があり、人家も並んでいるが、賑やかなところではない。
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 そしてこの地点で、「柘植駅」と「草津線」のミニ探索を終了したのであった。

草津線10・油日駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から9駅目の甲賀市甲賀町の「油日(あぶらひ)駅」である。

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 「油日駅」で下車する。
 単式ホームであり、ホームには「忍者たぬき」が迎えてくれる。
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 駅舎にはくつろぎスペースがあり、レンタルの自転車も置かれている。
 外観は、忍者っぽいイメージである。
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 駅前(西側)の風景である。
 少し行くと油日小学校もある。
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 線路を渡って東側へと進む。
 線路の東側は商店街「上野商店会」である。
 旧油日役場跡もある。
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 南方向へ少し進むと朱塗りの鳥居が建っている。
 「油日神社」の一ノ鳥居である。
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 鳥居を潜って神社の参道を進む。
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 参道には趣のある町屋もある。
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 道路が広くなった所に城跡がある。
 「木内城趾」である。
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 城跡の林の中に入ってみるが、木々の他はも見られない。
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 参道を進む。
 正面に油日岳が見える。
 この山は、「油日神社」の神体山であり、山頂には罔象女神を祀る岳神社があるとのことである。
 そして、進んで行くと灯篭が並び神社の社頭が近づく。
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 式内社「川枯神社」の論社の「油日神社」の社頭である。
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 楼門、回廊は国の重要文化財である。
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 楼門の先は拝殿である。
 拝殿もまた重文である。
 また振り返ると、楼門・回廊の風景が見事である。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿もまた重文である。
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 本殿の祭神は、油日大神(あぶらひのおおかみ)、東相殿に罔象女神、西相殿に猿田彦神が祀られている。

 幾つかの境内社も祀られている。
 しかし表示がなく、社名不明である。
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 尚、油日神社は、戦国時代、甲賀衆の拠り所となり、甲賀武士の崇敬を受けたとのことである。

 そしてこの地点で「油日駅」のミニ探索を終了したのであった。

草津線9・甲賀駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から8駅目の甲賀市甲賀町の「甲賀(こうか)駅」である。

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 「甲賀駅」は、駅のずっと北方向に「甲賀の里 忍術村」があることで知られる忍者の里の中心駅である。

 「甲賀駅」で下車する。
 この「甲賀駅」は駅内が名所である。
 それは駅舎内に、「忍者トリックアート」が7点、掲示されていることである。
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 そのトリックアート、先ずは2階の改札内の壁と天井である。
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 そして2階の通路や1階へ降りる階段の踊り場に2点。
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 そして1階に2点である。
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 駅舎の2階からは、草津線の北西方向(貴生川方向)、南東方向(柘植方向)を望むことができる。
 南東方向の山は、油日岳など滋賀・三重県境の山々である。
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 駅舎の外へと出る。
 先ずは東側である。
 ロータリーには「忍者像」がある。
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 駅舎の西側である。
 子忍者の案内板もある。
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 街中を進み北へと行くと、左手に杣川が流れている。
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 杣川を渡ると、趣のある民家が見られる。
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 左手(南側)の民家の中へ入って行くと、この辺りは武家屋敷があったとのことである。
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 多少の雰囲気を味わい、この地点で「甲賀駅」のミニ探索を終了したのであった。

草津線8・寺庄駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から7駅目の甲賀市甲南町の「寺庄(てらしょう)駅」である。

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 「寺庄駅」で下車する。
 甲賀市は、甲賀忍者の里であると同時に信楽町は狸の焼き物の産地なので、それを合わせた「忍者たぬき」がマスコットとして、駅構内に置かれている。
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 「寺庄駅」は単式ホームの地上駅であるが、跨線橋を伴った駅舎で、10年前に新築されたものである。
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 「寺庄駅」では駅の西側を探索してみる。

 先ずは学校である。
 甲南高校、甲南養護学校である。
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 学校前を南へと進む。
 次の大きな交差点に「六角堂」が建っている。
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 江戸天明期に建てられた向拝付きの地蔵堂で、木造地蔵尊を祀る。
 杣の六地蔵巡礼の第一番札所である。
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 もう少し南へ進むと「杣川」が流れ、千歳橋が架かっている。
 「六角堂」と「杣川」の間には大きな屋敷が見られる。
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 「六角堂」から、西方向へと進む。
 左手に、ヴォーリズ設計の「旧寺庄銀行本店」・「旧滋賀銀行甲南支店」がある。
 市の重要文化財となっているが、現在は使われていないようである。
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 今度は北へと進む。
 左手に寺院がある。「浄土宗 浄土寺」である。
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 寺院の周辺には趣のある町屋や民家が見られる。
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 そしてこの地点で、「寺庄駅」のミニ探索を終了したのであった。

草津線7・甲南駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から6駅目の甲賀市甲南町の「甲南駅」である。

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 「甲南駅」で下車する。
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 「甲南駅」の駅舎の新設はほぼ終了し、現在は駅舎の外構部の工事が行われている。
 南西側の入り口から出る。
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 駅前から街中の道を北西方向へと進む。
 途中、長徳寺と云う寺院の前を通る。
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 そして、杣川に架かる矢川橋の東詰めに到着する。
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 式内社「矢川神社」の参道入り口である。
 ここまで、駅から15分程度の歩きである。
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 鳥居の横には「勝手大明神元境内趾」の標柱が建っている。
 そして長い参道が北へと続く。
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 境内入り口には、石造りの太鼓橋(下馬橋)があり、茅葺の楼門が構えている。
 この楼門は室町時代の寄進によるものとされている。
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 楼門の先は舞台様の拝殿、そしてその先には本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、 矢川枝姫命(やがわえひめのみこと)である。

 この神社の創建は、天平年間で聖武天皇の紫香楽宮造営の時と伝えられている。
 そして江戸時代には、水口藩の崇敬社であったとされている。

 神社に纏わる一揆騒動がある。
 江戸時代末期の天保13年の秋、幕府の検地に反対して神社の社頭に決起した天保一揆(甲賀騒動)を後世に伝えるために、そのメモリアルパークが神社入り口の直ぐの西、杣川に架かる矢川橋の東詰めに設けられている。
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 神社を後に、駅方向へと戻る。
 途中に、杣の六地蔵尊や趣のある町屋が見られる。
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 駅に到着し、駅舎の東側を眺めてみる。
 向かいの山腹の寺院・浄福寺には、コロナ克服の檄文が掲示されいる。
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 そしてこの地点で「甲南駅」のミニ探索を終了したのであった。

草津線6・貴生川駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から5駅目の甲賀(こうか)市の「貴生川(きぶかわ)駅」である。

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 「貴生川駅」が属する「甲賀市」は、隣の「湖南市」と同様に、平成16年に、水口町、土山町、甲賀町、甲南町、信楽町の5町が合併し、市政が施行された市である。
 「貴生川駅」は、水口(みなくち)町に属し、草津線から水口町への入り口の位置にあり、市内を走る「近江鉄道」、「信楽高原鉄道」の起終点駅でもある。

 「貴生川駅」で下車する。
 駅舎の跨線橋部分からの北側、南側の眺めである。 
 北には近江鉄道のホーム、南には信楽高原鉄道のホームがある。
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 そしてホームへの降り口がある。
 先ずは近江鉄道、そして信楽高原鉄道である。
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 駅舎の南口へと出る。
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 西方向へ少し歩くと「杣川(そまがわ)」が流れているので眺めてみる。
 川の下流(北西方向)、対岸の公園、川の上流(南東方向)である。
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 駅まで戻り、次は北口である。
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 水口町の中心部に向けて街中の道を進む。
 途中、「野洲川」の手前の「北内貴(きたないき)」と云う住所地の右手に、神社がある。
 式内社並名神大社の「川田神社」である。
 正面の鳥居を潜り、更に参道を進むと二ノ鳥居、石段を上がると境内へと達する。
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 社殿は右手にある。
 先ずは舞台風の拝殿である。
 そして、拝所、本殿であり、参道からUターンする方向にある。
 本殿の祭神は、天湯川桁命 天川田奈命で、配祀は天児屋根命、大己貴命である。
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 この神社は、社伝によると、垂仁天皇の時代に創建されたと云われる。
 倭姫命が天照大神を奉じて、甲可の日雲宮に止まった時、甲可山直郷に景勝の地があり、鎮座せんと欲するとの神託があり、人を遣わして川田山に祀らせたのが起源であり、川田二所明神と号したと云われる。

 神社を後にして、野洲川を渡る。
 橋は{内貴橋」である。
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 橋を渡って少し行くと、水口町・甲賀市の官庁街に至る。
 市政に伴って、新しく建設された役所群が見られる。
 甲賀警察署、滋賀県甲賀合同庁舎、甲賀市役所である。
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 市役所前から参道となり、再び神社に至る。
 式内社「水口神社」である。
社頭は南向きである。
 この神社にも滋賀県でよく見られる石造りの下馬橋が備えられている。
 そして鳥居を潜ると拝殿である。
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 舞殿の先には神門があり、祝詞舎、そして本殿へと繋がっている。
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 本殿の主祭神は「大水口宿禰命(おおみなくちのすくねのみこと)」で、相殿に「大己貴命」「素盞嗚尊」「稲田姫命「」が祀られている。
 大水口宿禰命は饒速日命 六世の孫出石心大臣命の子であり、祖母淡海川枯姫の縁により当地に居住されたと思われる土地開拓の祖神との説明がなされている。

 境内には沢山の境内社が祀られているが、今回は割愛する。

 神社の北側(裏手)には近江鉄道が通り、駅「水口城南駅」がある。
 これを過ぎて少し北へ行くと、「水口城跡」である。
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 水口は、江戸時代になって幕府直轄領となり、東海道の水口宿として整備された。
 そして徳川将軍が上洛の際の宿舎として築城されたのがこの水口城である。
 別名、水口御茶屋とも云われる。
 築城の奉行は二条城をも設計監理した名人大名小堀遠州で、二条城と似た作りであったと云われる。 
 しかし実際に使われたのは将軍家光の時の一度だけで、その後はこの地に水口藩が成立し、藩主加藤氏の居城となり明治維新まで続き、廃城となった。
 
 現在残っているのは堀、石垣に囲まれた本丸と出丸の部分で、門と出丸櫓が復元されている。
 下記の案内図は上部が南である。
 広い本丸跡の部分は城の東にある水口高校のグラウンドとして利用されている。
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 本丸堀の周りを時計回りに一巡してみる。
 出丸に架けられている木橋、出丸にある櫓の東側面、南側面である。
 この櫓の内部は水口城資料館となっている。
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 堀の東側、南側である。
 南側には明確な石垣は見られない。
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 堀の西側、北側である。
 北西の隅には石垣が積まれている。
 櫓が建てられていたのであろう。
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 本丸以外の縄張りでは、北側に藩主の居宅の二ノ丸があった。
 藩主は決して幕府の持ち物である本丸御茶屋には入らなかったとされる。
 その二ノ丸跡、現在は水口中央公民館とその駐車場となっている。
 また東側には水口高校があるので、ここも縄張りの一部であったと思われる。
 そして南側、西側は普通の住宅地となっている。

 この地点で、「水口城跡」の探索と、「貴生川駅」のミニ探索を終了したのであった。

草津線5・三雲駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から4駅目の湖南市の「三雲(みくも)駅」である。

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 「三雲駅」は湖南市の東端に近く、甲賀市水口町と接する所にある駅である。
 旧東海道は、東の「水口宿」から先に下車した「石部宿」へと続いているが、この「三雲駅」の近辺で野洲川を渡っている。

 「三雲駅」で下車する。
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 駅の北口には、「東海道」を横切り北へと進む道路がるので、行ってみる。
 交差点には、趣のある町屋が建っていて、その脇に「微妙大師萬里小路藤房卿御墓所」の標柱が建っている。
 建武の三忠臣の一人の萬里小路藤房の墓所は、南西方向の藤房が創建した「妙感寺」と云う寺院にあるとのことである。
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 北へと進む。
 高架道路を潜り、その道路へと上がって行くと野洲川に架かる橋「横田橋」に出る。
 橋の向こうの対岸は国道1号線、そして上流・下流の風景である。
 下流には「近江富士」も見える。
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 先ほどの「東海道」との交差点まで戻り、先ずは西へと進む。
 右手の住宅の前に「明治天皇聖蹟」碑がある。
 そして東海道は続いて行くが、この地点で折り返す。
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 駅前の交差点まで戻り、今度は東方向へと進む。
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 カラー舗装の東海道はここで終わる。
 その左手には「常夜灯」が建っている。
 東海道の渡しの場所であろと思われる。
 右折れして、右手に駅を見ながら線路を渡り、進んで行く。
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 山裾にかかると左手に「天保義民の丘」の案内がある。
 登ってみる。
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 柵で仕切られた広場があり、「天保義民之碑」が建っている。
 天保13年、代官の不正な検地に抗議するため、総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。犠牲も大きく、明治になって慰霊碑が建てられたものである。
 そして、この高台から、「三雲駅」を眺め、ミニ探索を終了したのであった。
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草津線4・甲西駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から3駅目の湖南市の「甲西(こうせい)駅」である。

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 「甲西駅」の属する「湖南市」は、平成16年に隣の「石部町」と「甲西町」が合併した市である。
 「湖南市」は、市の中心部を東南から北西にかけて「野洲川」が流れ、川の北側には国道1号線、南側にはJR草津線、その南に旧東海道が通る市で、草津線の駅は「石部駅」、「甲西駅」、「三雲駅」がある。
 そして「甲西駅」は市の中心位置にある駅である。

 その「甲西駅」で下車し、駅舎を南西側から眺めて見る。
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 駅の北東側に市の中心機能がありそうなので、探索してみる。

 駅の東側の道路を北へと進む。
 右手には「甲西中学校」がある。
 県道4号線まで進むと、右手に大型スーパーがあり、その東には甲西高校があるが、今回はそこまでは行かない。
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 県道を渡り進むと、左手に共同福祉施設の「サンライフ甲西」、その隣に「湖南市商工会館」がある。
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 その先は湖南市役所(東庁舎)である。
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 市役所の北側の通りは「カルチャー通り」と云う。
 東方向には銀行などがある。
 また西方向には「甲西文化ホール」、その奥に「甲西図書館」がある。
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 この地点で、市政・文化ゾーンの一周は完了である。
 西側の道路を駅へと戻り、やってきた電車に乗ったのであった。
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草津線3・石部駅

 「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植(つげ)駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
 今回は、「草津駅」から2駅目の湖南市の「石部駅」である。

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 「石部駅」で下車する。
 上り下りのホームがあり、ホームの北側には「ヒューム管」の工場がある。
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 駅舎から出る。
 駅舎の西隣には、町屋を模したような大きな建物がある。
 「石部駅コミュニティーハウス」であるが、昨年末に閉鎖されている。
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 駅前正面は「東海道 石部宿」をモチーフとした公園である。
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 この公園の横を南方向へと進むと、東西道路の旧東海道に行き当たる。
 旧東海道から東へと進むと「石部宿」である。
 西方向には近江富士が見える。旅人はこの富士を目指して歩いたのであろう。
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 東へと進む。
 趣のある町屋、電柱の看板が並ぶ。
 一軒の家には「旅館」の表札が上がっているのも、それなりの雰囲気である。
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 更に進む。
 同様に趣のある町屋が見られる。
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 この雰囲気の中を進んで行くと、東海道は右折し、その先は南方向へと進む。
 「鉤の手道」と云い、道路を意識的に曲げて、見通せないようにしているとのことである。
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 ここにも雰囲気のある町屋があり、商店もある。
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 少し進むと、また突き当たる。
 今度は左折で東向きとなる。
 その「鉤の手」の右側に茶店がある。「田楽茶屋」と云う。
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 東へと東海道を進む。
 右手には幾つかの路地があり、その先は寺院である。
 趣のある町屋もある。
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 商店もある。
 もちろんのこと町屋もある。
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 そして、進んで行く。
 右手に石部宿の「小島本陣跡」の石柱がある所に到着する。
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 説明板も立っている。
 そして、「明治天皇聖蹟」の標柱も建てられている。
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 説明板によると、「石部宿」には、幕府直轄と膳所藩直轄の2つの本陣が置かれ、全盛期には商家が216軒、旅篭が62軒あっり、東海道の51番目の宿場として栄えたとのことである。
 尚、「小島本陣」とは、本陣職を許された「小島氏」の名を被せたものである。

 そして、この本陣に到着したことで、「石部宿」のミニ探索を終了したのであった。

草津線2・手原駅

 「琵琶湖線」の各駅下車に関連して、「琵琶湖線」の「草津駅」と「関西本線の「柘植(つげ)駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。

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 先ずは「草津駅」の隣の栗東(りっとう)市の「手原駅」である。
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 「手原駅」で下車する。
 駅舎は旧東海道沿いの入母屋造をイメージした三角屋根の橋上駅舎である。
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 ロータリには、「統計136度の通る駅」、「源平布引滝」のモニュメント、また「手原遺跡」の標柱も建っている。
 そしてロータリーから南方向へと広い道が延び、その先に栗東市役所がある。
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 その広い道を少しだけ行くと、旧東海道と交差している。
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 東へと進んでみるが、その前に交差点の南側を探索する。

 先ずは稲荷神社である。
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 境内には、本殿の「里中大明神」、そして「御太刀大明神」が祀られている。
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 稲荷神社の横(南側)が公園になっていて、そこには「デゴイチ」が静展示されている。
 「手原駅」開設50周年を記念して借り受けて展示しているとのことである。
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 旧東海道へと戻り、東へと進む。
 左手に趣のある商家「手原醤油」の建物がある。
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 その隣に「里中呉服店」の建物がある。
 有形登録文化財である。
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 更に進むと、高速道路の手前、雰囲気のある町屋の先に、これも左手に「行者堂」がある。 
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 高速道路を潜って、15分ほど歩いてみると、左手に「一里塚」がある。
 そしてその先に、名勝の「大角氏庭園」がある。
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 そして大角氏住宅の「旧和中散本舗」の建物がある。
 建物は国の重要文化財とのことである。
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 そして、この地点で「手原駅」のミニ探索を終了したのであった。

琵琶湖線23・長浜駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から22駅目で起終点の「長浜駅」である。

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 「長浜駅」で下車する。
 駅舎内の跨線橋から西方向に「長浜城天守」が見える。
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 今回は、城のある西方向へ出て、公園内やその近辺を探索してみる。
 「長浜駅」西口から城へと向かう。
 公園は「豊公園」と云う。
 ゆかりの長浜城主・豊臣秀吉から名づけたものであろう。
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 天守前へと進む。
 「長浜城跡」の標柱も建っている。
 この天守は、戦後に伏見城などをモデルとして復元された模擬天守で、歴史博物館として機能しているものである。
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 本丸跡もある。
 また天守の琵琶湖側は琵琶湖国定公園特別地域となっている。
 更に、「長浜城石垣出土地」という表示もある。
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 そして琵琶湖岸には、「太閤井戸阯」の石碑も建っている。
 また、湖岸沿いには大きなホテルも見える。
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 広い「豊公園」を歩いてみる。
 中央に噴水があり、テニスコートなどもある。
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 東方向へと戻る。
 琵琶湖線(北陸本線)の線路の手前に「長浜鉄道スクエア」があるので覗いてみる。
 正面の建物は「旧長浜駅舎」で、日本で一番古い駅舎とされている。
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 中へと入ってみる。
 駅舎の中身が、そのまま保存されている。
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 また。駅長室などもそのままである。
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 駅舎の裏側には、かつての機関車が静展示されている。
 先ずはSL「デゴイチ」である。
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 そして、北陸本線の交流電化後に登場した「ED70形交流電気機関車」も展示されている。
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 鉄道スクエアを後にして、線路を渡り、「長浜駅」の東口へと戻る。
 東口の風景は、先ほどの「旧長浜駅舎」を模したものであった。
 そしてこの地点で「長浜駅」のミニ探索を終了したのであった。
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 以下、蛇足である。
 かつて何度か「長浜駅」の東側の街を探索したことがあるのでご参考に…。

 先ずは、商店街である。
  http://fujisirorei.blog.fc2.com/blog-entry-1964.html

 そして、「長浜八幡宮」である。
  http://fujisirorei.blog.fc2.com/blog-entry-2139.html

琵琶湖線22・田村駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から21駅目の滋賀県長浜市の「田村駅」である。

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 「田村駅」で下車する。
 駅の跨線橋から、南方向(米原方向)には、右手にドームが見える。
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 また、北方向(長浜方向)には、左手に学校が見える。
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 駅の外へと出る。
 駅前はゆったりとしている。
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 北側は大学である。
 「学法 関西文理総合学園 長浜バイオ大学」である。
 開学は2003年で、比較的新しい。

 大学の周りを見てみる。
 南側が正門であろう。
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 西へ進むと、時計台がある。
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 南側には道路を挟んで大学の規模からみて大きな「インキュベーションセンター」がある。
 産学連携などを重視している大学なのであろう。
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 次に、大学エリアの南側である。
 幾つかの企業が立地していて、その向こうにドームがある。
 「滋賀県立 長浜ドーム」である。
 多くの人が集まるところであろうが、コロナ禍の中なので人は見かけない。
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 そして駅へと戻り、「田村駅」のミニ探索を終了したのであった。
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琵琶湖線21・坂田駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から20駅目の滋賀県米原市の「坂田駅」である。

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 「琵琶湖線」は「米原駅」を過ぎると、北陸本線へと継承される。
 その最初の駅が「坂田駅」であり、下車する。
 駅はホームだけの駅であるが、東側へ出ると、駅に隣接して「近江母の郷コミュニティハウス」があり、「田んぼっ湖カフェ」がある。
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 駅前ロータリーの向こうには、右手に大型ショッピングがある。
 ロータリーの中央には、「近江真綿」の蚕の繭を抱いたモニュメント、そしてその隣に、「山内一豊とその妻千代女」の像が建っている。
 内助の功で知られる千代女はこの地の出身と云われている。
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 駅前の道路を北へと進む。
 右手には公園がある。「神明自然公園」と云う。
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 公園を過ぎると北向きに神社の社頭があり、鳥居と社号柱が建つ。
 社号柱は2本、左側は「岡神社」、右側は「坂田宮」である。
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 神社は「坂田神明宮」と云う。
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 鳥居を潜ると参道は右折する。
 そして道路を渡ると太鼓橋の神橋がある。
 進むと二ノ鳥居、祖霊社が祀られている。
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 その先、左折、右折すると電車の踏切である。
 JR琵琶湖線である。
 踏切は「神明神社踏切」である。
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 踏切を渡り、参道を進むと左手に「祓所」、そして右手は社殿が連なる境内である。
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 正面には拝殿が建つ。
 そしてその右手は、舞殿舞台である。
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 拝殿の奥は、幣殿拝所である。
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 そして瑞垣の中に外宮、内宮の本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、左手の式内社論社の外宮・岡神社は豊受毘売命、右手の内宮は天照皇大神とされている。

 本殿の左手に境内社が祀られている。
 左から順に、倭姫神社、旧本殿2社である。
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 本殿の右手にも境内社が祀られている。
 本殿に近い方から、「四所宮」、「七所宮」、「稲荷神社」である。
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 また境内には、眞名井池がある。
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 そして下部が変わった灯篭、境内に接近して鉄路が見え、裏参道の鳥居も建つ。
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 神社からの退出は琵琶湖線の西側からである。
 正面に大きな農業施設「JAレーク伊吹 近江カントリーエレベーター」がある。
 そして、振り返って神社の杜を眺め、坂田駅へと戻った。
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 ホームへと出て、「坂田駅」のミニ探索を終了したのであった。
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琵琶湖線20・米原駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から19駅目の滋賀県米原市の「米原駅」である。

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 「米原駅」は、琵琶湖線の駅であると同時に、東海道新幹線の駅でもある。
 また、近江鉄道の彦根・多賀大社線の起終点駅でもある。
 この「米原駅」で下車し、東口へと出る。
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 駅前広場の一角に「米原湊跡」の石柱がある。
 彦根藩が成立して開港された湊で、西2kmにある琵琶湖と中山道・北国街道とを結ぶ物資輸送の拠点であったとのことである。
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 また、駅前には国道8号線が通っている。
 岐阜方面、彦根方面の風景である。
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 国道を渡り少し行くと、「米原宿」の説明パネルが建っている。
 そして、「湯谷神社」の社号柱が建っている。
 神社への参道であり、進んで行くと神社が近づいてくる。
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 最初の鳥居、そして曳山庫、次の鳥居が建っている。
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 鳥居を潜ると拝殿・本殿である。
 祭神は、大己貴命、水門神、保食神とされている。
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 この「湯谷神社」は古代に、出雲国人がこの地に通りかかり、村人に池を掘らせると、温泉が湧き出、又荒地を開墾したところ、五穀がよく成育したので、出雲の祖神大己貴命を奉斎したのが起こりであるとされている。
 古代は「六所権現」と称されたが、明治になって「湯谷神社」と改められたとのことである。

 境内には多くの境内社が祀られている。
 左は「大神宮」で、元は米原機関区の構内に祀られていたものである。
 右は「山王権現社」で、平安時代の創建とされるものである。
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 神社を後にして、東側の寺院「青岸寺」へと向かう。

 「青岸寺」の参道入り口の右手に「金比羅大権現」が祀られている。
 この神社は、彦根藩が米原湊を開場した時に、湖上交通の安全を祈願して勧請されたものとされている。
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 そして「青岸寺」の参道である。
 「名勝 青岸寺庭園」の標柱も建っている。
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 山門を潜ると正面は本堂である。
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 本堂の右手に拝観口があるので入ってみる。
 先ずは名勝の庭園を眺める。
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 「築山林泉式枯山水庭園」である。
 キリシタン灯篭も建てられている。
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 この寺の創建は室町時代の初期で、開基は近江守護の佐々木と云われている。
 また近代には書院「六湛庵」が建てられ、庭園の風景とマッチしている。
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 そして御朱印を頂き、寺を後に、「米原駅」のミニ探索を終了したのであった。

琵琶湖線19・彦根駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から18駅目の滋賀県彦根市の「彦根駅」である。

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 「彦根駅」で下車する。
 「彦根駅」には近江鉄道のホームもあり、乗り換え駅でもある。
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 駅舎の階上から、北方向のホームの向こうに「佐和山城跡」の佐和山が見える。
 また、西方向の駅前から続く道路の先の高台に、「彦根城天守」が見える
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 駅舎を西口へと出る。
 駅前には、彦根藩初代藩主で、関ケ原の戦いで活躍した徳川四天王の「井伊直政」の像が建てられている。
 そして西には「彦根城天守」が見える。
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 彦根城へと進む。
 到着するのは「佐和口」である。
 「佐和口」には、重要文化財の「馬屋」があり、中を覗いてみる。
 また、これも重文の「佐和口多聞櫓」もある。
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 その先は内堀である。
 内堀を「表門橋」で渡る。
 彦根城は、「月明 彦根城」として近江八幡景の一つである。
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 橋を渡り、石段を昇る。
 頭上に橋が現れる。「廊下橋」と云う。
 橋の袂まで登り、橋を渡ると重文の「天秤櫓」である。
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 「廊下橋」上からの風景である。
 左手は彦根市の市街地である。
 右手には「佐和山」が見える。
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 「天秤櫓」を潜ると「時報鐘」がある。
 そして、その先はこれも重文の「太鼓門櫓」である。
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 「太鼓門櫓」の付櫓と裏側を見て、本丸へと入る。
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 本丸には、国宝の「天守」が聳える。
 天守の表側、裏側を眺める。
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 その先の西ノ丸隅の重文の「三重櫓」を眺め、石段を降りる。
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 本丸周囲の石垣を眺めて見る。
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 城郭はこれくらいにして、内堀まで降りる。
 城の北側の内堀の外は特別史跡で大名庭園の「玄宮園」である。
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 「玄宮園」に入ってみる。
 池泉を巡るような庭園で、いくつかの橋が架かっている。
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 中心的な建物は臨池閣で、上部には彦根城天守も見える風景がある。
 また「玄宮園」の外には、幕末の彦根藩主「井伊直弼大老」の銅像が建っている。
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 城を跡にする前に内堀を伝って、南側の「大手門橋」を見てみる。
 橋を渡った石垣は大手門があった所であろう
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 彦根城を後にして、佐和山の方向へと向かう。
 「佐和山城」は石田三成の居城で、麓には石田三成屋敷跡の碑がある。
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 そして北方向へ進むと、「井伊神社」が祀られている。
 井伊家歴代の神霊が祀られている。
 本殿は痛みが激しいため覆屋に覆われているので、全体が見えないのは残念である。
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 そしてこの地点で「彦根駅」のミニ探索を終了したのであった。

琵琶湖線18・南彦根駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から17駅目の滋賀県彦根市の「南彦根駅」である。

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 先の「河瀬駅」から犬上川を渡ると「南彦根駅」である。
 「南彦根駅」は、約40年前に開設された比較的新しい駅である。
 「南彦根駅」で下車し、南東側の出口から出る。
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 駅前の通りは「おさつ街道」と云う。
 「おさつ」とは紙幣のことで、駅の北東方向に紙幣の製造所「国立印刷局」があることによる。
 その方向へと向かう。
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 途中右手にケーブルテレビ局がある。
 ZTVの彦根放送局である。
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 更に進むと左手に、カラフルなバルブが並んでいる。
 バルブメーカーの工場である。
 その右手に綺麗な工場が見えて来る。
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 国立印刷局彦根工場である。
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 印刷局からUターンする。
 駅前から今度は南西方向へと進む。
 道路の左手に大型ショッピングが見える。
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 詳しく見てみると、左手はショッピングのエントランス、右手はその本部の社屋である。
 社名は滋賀県の最大手、「平和堂」である。
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 更に進むと川があり橋が架かっている。
 川は「犬上川」、橋は「春日大橋」と云う。
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 橋の上から流れを見てみる。
 上流、下流の風景である。
 下流の鉄橋は、「琵琶湖線」である。
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 堤防上の県道から北側の真下に神社が見える。
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 降りてみると、「都惠神社」である。
 この神社は、延喜式神名長に記載されている式内社である。
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 境内はシンプルで、拝殿・本殿、そして社務所である。
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 本殿は神明造りとのことであるが、覆屋に囲まれていて、残念ながら見えない。
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 神社の創建は不明であるが、犬上川の上流に近い「多賀大社」との関係が深い神社とされている。
 尚、本殿の祭神は、大国主神、久那斗神、配祀は事代主神、綿津見神とされている。

 そしてこの地点で「南彦根駅」のミニ探索を終了したのであった。

琵琶湖線17・河瀬駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から16駅目の滋賀県彦根市の「河瀬駅」である。

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 隣の「稲枝駅」から北東方向へと進み、北西方向の琵琶湖側に「荒神山」を見て、「宇曽川」を渡り、「昭和電工」の工場を過ぎると「河瀬駅」である。
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 「河瀬駅」で下車する。
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 駅舎を南東側へと出て、駅前の道路を線路に沿う北東方向へと進む。
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 県道へと出て右折、南東方向へと進む。
 途中左手に、「昭和電工」の別の工場がある。
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 県道は途中から住宅街の中を進む。
 そして「おさつ街道」との交差点を左折、北東方向へと進む。
 「おさつ街道」の「おさつ」とは紙幣のことで、この次の「南彦根駅」の近くの「国立印刷局」に由来している。
 「おさつ街道」から途中で神社の参道へと切り替え、進む。
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 「河瀬神社」の鳥居が見えて来る。
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 「河瀬神社」は式内社「川桁神社」の論社とされる神社である。
 祭神は、大名牟遅神、品陀別神、大山咋神である。
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 境内へと進む。
 正面は拝殿である。
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 拝殿の先は本殿エリアであり、中門・拝所がある。
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 そして本殿である。
 この本殿は、京都の上賀茂神社から移築されたものとされている。
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 本殿前には一対の狛犬が祀られているが、顔は斜め横向きの珍しい仕草のものである。
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 また境内には、神楽殿、神具庫、さざれ石などが祀られている。
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 神社を後に、駅へと戻る方向に進む。
 この辺りの民家は、切妻が多いが、中には入母屋もある造りである。
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 そして「河瀬駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

琵琶湖線16・稲枝駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から15駅目の滋賀県彦根市の「稲枝(いなえ)駅」である。

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 琵琶湖線(東海道本線)は愛知川(えちがわ)を渡り、彦根市内へと入る。
 その最初の駅「稲枝駅」で下車する。
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 駅舎の階上通路から、東南方向にマンション、南方向に観音寺山(繖山 きぬがさやま)が見える。
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 また西側遠くには比叡・比良連峰が見え、北西側近くの住宅の先の田圃の中に「稲部遺跡」が見える。
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 この「稲部遺跡」に行ってみる。
 住宅街の中を進む。
 南稲部町と云う住所地である。
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 4~500m先の道路の南側の草地の先に遺跡はある筈である。
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 進んで行き、足場の悪い所の橋を渡る。
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 遺跡に到着する。
 遺跡は、残念ながらシートで覆われている。
 発掘の跡の土の形などが破壊されてしまうのを防止しているのであろう。
 遺跡は、ほぼ正方形で、1000平方メートルぐらいの大きさである。
 北西角に三角形の部分がある。この集落への入り口かも知れない。
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 そして正方形の部分を眺めて見る。
 東からの眺めと、西斜めからの眺めである。
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 この「稲部遺跡」は、弥生時代末期から古墳時代にかけて(3世紀前半)の遺跡とされる。
 他の場所にも遺跡があるとのことである。
 発掘調査によると、この遺跡の部分は「鉄器工房」であったとされている。

 遺跡の周りを巡ってみて駅へと戻り、「稲枝駅」のミニ探索を終了したのであった。

琵琶湖線15・能登川駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から14駅目の滋賀県東近江市の「能登川駅」である。

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 「能登川駅」で下車する。
 ホームの西北側に大型スーパーが見える。
 そして、駅舎の階上通路から、北方向の線路の向こう遠くに伊吹山などが見える。
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 駅舎の東側へと出る。
 駅舎のデザインは、能登川を象徴する水車である。
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 駅の南東側は戦前からの商店街である。
 また、北西側はかつて日清紡の工場があったが、現在は工場跡地を再開発している所である。

 東南側を歩いてみる。
 かつては華やかな商店街であったのであろうが、今は寂しい雰囲気である。
 駅から正面方向に進み、突き当りを左折し、少し行くと左手にお堂がある。
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 更に進むと左手に神社が祀られている。
 鳥居扁額から、「能登川神社」と分かる。
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 境内に入ってみる。
 右側に拝殿・本殿が祀られている。
 祭神は事代主神で、ゑびす神である。
 この神社は、能登川駅開設に伴い、この地に勧請されてとされている。
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 恵比寿像や面も祀られている。
 灯篭は遠州灯篭である。
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 神社前の道を通り抜けると、県道と交差する。
 通ってきた商店街は「元町通り商店街」である。
 右手も商店街であり、「旭町通り」と云う。
 左手も商店街で「末広通り」の表示がある。
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 駅へと戻る商店街を歩く。
 「本二通り」という。
 そして駅前へと戻る。
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 駅前のさらに先は、「一丁目共栄会」と云う。
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 駅舎の北西側へと移動する。
 駅前ロータリーには、能登川のシンボルである「水車」のモニュメントが建っている。
 そしてこの地点で「能登川駅」のミニ探索を終了したのであった。
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琵琶湖線14・安土駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から13駅目の滋賀県近江八幡市の「安土駅」である。

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 「安土(あづち)」と云えば織田信長が「安土城」を築いた所としてよく知られている。
 今回は「安土駅」から、その「安土城阯」まで、ミニ探索を行うこととする。

 「安土駅」で下車する。
 駅のホームの隣に「安土城郭資料館」がある。
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 また駅の階上通路から下方の駅前広場に「信長像」が見える。
 駅舎を出て、「信長像」と駅舎を眺める。
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 駅前広場から、北方向へと進む。
 進んで行くと左手に「天台宗 平等寺」がある。
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 寺の手前を左手に入り、左折すると神社がある。
 「八幡神社」という。
 鳥居を潜り右折すると境内である。
 先ずは正面に拝殿がある。
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 その奥は本殿である。
 本殿の祭神は、誉田別尊、神功皇后、玉依姫命とされる。
 創建は不詳であるが、一説に大同3年(808年)とされ、当初は春日4神を勧請した春日神社であったとされている。
 その後、1590年頃に八幡神社が勧請されたとされている。
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 そして境内社として、春日神社、稲荷神社が祀られている。
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 神社を離れ、田圃の中を北東方向へと進む。
 しばらくの歩きで、安土城の登城口へと到着する。
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 石段を昇る。
 右手に「前田利家邸址」、左手に「豊臣秀吉邸址」、そして「武井夕庵邸址」がある。
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 更に登る。
 「織田信忠邸址」があり、その先は「黒金門址」である。
 その左手奥に、「織田信澄邸址」、「森蘭丸邸址」がある。
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 そして「二ノ丸阯」である。
 そこには信長廟が設けられている。
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 更に登る。
 頂上の天守閣址へと到着し、天守の礎石を眺める。
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 城址はここまでとし、南西方向へと下る。
 そこには信長の菩提寺である「總見寺」の伽藍がある。
 本堂は火災で焼失、重要文化財の「三重塔」と「二王門」が往時の姿を留めている。
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 二王門を後にして更に下る。
 途中に難所もあるが、式内社で安土城鎮守の「石部神社」の社頭に至る。
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 鳥居を潜ると、境内である。
 境内には、拝殿・本殿が祀られている。
 祭神は、少彦名命、天照皇大神、高皇産霊神、大己貴命とされている。
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 神社を降りると、安土城の別入り口である。
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 またそこには安土川が流れ、「百々橋」が架かっている。
 「百々橋」を渡り、駅方向へと戻る方向で進む。
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 南方向へと進んで行くと、途中「セミナリヨ趾」がある。
 安土城下のキリスト教の小神学校趾である。
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 そしてこの地点で「安土駅」のミニ探索を終了し、駅へと戻ったのであった。

琵琶湖線13・近江八幡駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から12駅目の滋賀県近江八幡市の「近江八幡駅」である。

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 「近江八幡駅」で下車する。
 駅前広場には、「近江商人発祥の地」の石碑がある。
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 駅前広場から北西方向のバス通りを進む。
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 近江八幡市には国の重要伝統的建造物群保存地区がある。
 そして、古代から祀られている「日牟禮(ひむれ)八幡宮」の西の八幡山に豊臣秀吉の甥の秀次が城を築き、城下町を安土城下から移転させて整備した城下町がこれにあたる。

 保存地区は、日牟禮八幡宮、八幡堀、新町通り、永原町通りの4地区で構成されている。
 先ずはバス通りの一本右の通りである「新町通り」の商家群である。

 商家群には京街道が通っている。
 重要文化財の旧西川家住宅、市指定の元小学校の旧伴家住宅などがある。 
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 他にも近江商人のルーツとなる商家が数多くあり、商家の庭には見越しの松が植えられているのも特徴の一つである。
 旧朝鮮人街道もある。
 また、この地と関係が深いヴォリーズの記念館もあり、多彩である。   
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 商家群が尽きると「八幡堀」である。
 豊臣秀次が、城下町を造る時に、琵琶湖への船の出入りを考慮して、造られたものである。
 「八幡堀」には幾つかの橋も架かっている。その一つの明治橋である。
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 堀の先は、「日牟禮八幡宮」の参道である。
 右手には老舗の菓子舗「たねや」がある。
 そして、神社の楼門が建っている。
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 楼門を潜ると拝殿、本殿拝所、そして能舞台である。
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 この神社の創建は2世紀とされ、当初は大国主神を祀っていたとされるが、時代は降って現在の祭神は、誉田別尊、息長足姫尊、比賣神とされている。

 八幡宮の先には、八幡山に登るロープウェイがある。
 これに乗って八幡山への登山である。
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 八幡山には、八幡山城跡がある。
 283mの山頂を本丸とした城であった。

 八幡山城は、信長が本能寺事件で亡くなった後、近江国を治めるために、安土城に代って南西のこの山に豊臣秀吉の手で築城されたもので、秀吉の甥の秀次が居住した。
 しかし秀吉に実子秀頼が生まれたため、秀次に謀反ありとの理由で自害させられ、その後廃城となった。

 本丸跡には秀吉の姉で秀次の母日秀尼が京都嵯峨に創建した村雲御所瑞龍寺門跡が城跡に移築されて来ていて、その山門が本丸への虎口である。
 本丸周辺には石垣の遺構が残っている。
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 本丸石垣の下を歩く。
 北の丸跡があり、北東方向に、手前に安土山そして右手に観音山(繖山)が良く見える。
 様々な積み方の石垣が見られる。
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 さらに石垣に沿って回ると、今度は西の丸跡に到達する。
 琵琶湖方向が良く見える場所である。
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 下山は登城道を辿ってみる。
 近江八幡の市街地が見える。
 秀次が安土の城下町を移築して産業商業の隆盛を図り、近江商人で知られる所となった。
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 さらに降りると、八幡公園内に秀次の像がある。
 そして、近江八幡の地名の由来となった「日牟禮八幡宮」まで戻り、この地点で「近江八幡駅」のミニ探索を終了したのであった。
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琵琶湖線12・篠原駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から11駅目の滋賀県近江八幡市の「篠原駅」である。

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 「篠原駅」で下車し、駅の南東側へと出る。
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 駅舎に沿って北東方向へ延びる道路があるので、これを辿る。
 突き当りには、神社がある。「上野神社」である。
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 正面の鳥居を潜ると参道が奥へと続き、拝殿へと到達する。
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 拝殿の奥は拝所の中門、そして本殿である。
 祭神は、主祭神の健速須佐之男命で、配祀は、建御名方神他、近隣の神社の神々の合祀である。
 この神社は、延暦13年(794年、平安京発足時)に鎮座し、元は鴨建角身(かもたてつぬみ)命を祀っていたとされている。
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 3祠の境内社が祀られている。
 左から、新宮社、多賀神社、稲荷神社、大神宮社、岩瀧神社、子安神社である。
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 また境内には、宝永八年(1711年)と刻された灯篭も建っている。
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 神社の右隣りは寺院である。
 「浄土宗 荘厳寺」である。
 かつては上野神社の神宮寺であったとの謂れがある。
 境内には、付近の田畑から出土した小石仏が集められていて、室町期のものが多いとのことである。
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 神社・寺院前の道路を南下すると広い交差点に出る。
 その交差点の向こう直ぐの道路脇に五重塔が置かれている。
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 説明板によると重要文化財の「石造五重塔」で、高さは4.18m、寛元四年(1246年)と刻されている。
 また周囲には、色んな石塔が並べられている。
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 駅に戻る方向で、住宅街の中を進む。
 趣のある民家もある。
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 駅へと戻り、駅舎を北東側から眺めてみる。
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 駅舎の階上は自由通路で、そこからの風景である。
 南西方向には琵琶湖の向こうに比叡山、西方向には比良連峰が見える。
 また眼下の南西側は、野洲方向で、近江富士が見えている。
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 そしてこの時点で、「篠原駅」のミニ探索を終了したのであった。

琵琶湖線11・野洲駅

 「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
 今回は「京都駅」から10駅目の滋賀県野洲市の「野洲駅」である。

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 「琵琶湖線」は野洲川を渡り、「野洲駅」に到着する。
 「野洲駅」で下車し、駅舎を東側へと出る。
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 駅前広場から、東へ延びる道路「野洲停車場線」を進む。
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 少し行くと、近江富士「三上山」が見える。
 「三上山」に近づいてみる。
 標高500m足らずであるが、この優美な姿は滋賀県のシンボルである。
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 途中でやり過ごした「旧中山道」に合流し、北東方向へと進む。
 東海道新幹線の高架線路を潜って進んで行くと、「稲荷神社」の西向の社頭を通る。
 少しの寄り道をしてみる。
 鳥居、拝殿である。
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 拝所の中門、本殿である。
 祭神は豊宇氣毘賣神、配祀神は速須佐之男命である。
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 「旧中山道」を進む。
 趣のある町屋や、振り返ると「三上山」も見える。
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 しばらく進むと、銅鐸の公園へと到着する。
 「弥生の森歴史公園」である。
 公園内には「歴史民俗博物館」(愛称:「銅鐸博物館」)がある。
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 館内には、この付近で発見された「銅鐸」が展示がなされている。
 この野洲の銅鐸は、明治14年に山遊びに来ていた中学生達に3口発見され、その知らせを受けた大人達により11口の発見があったとされる。
 その後、新幹線工事も含め、10口の銅鐸が発見され、合計24口にも及ぶとされる。

 その展示物を眺めてみる。
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 博物館の外は弥生文化の公園である。
 竪穴式住居群が見られる。
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 そして高床式の倉庫、また赤米の水田も再現されている
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 「野洲駅」の探索はここで終了であるが、別途に参拝を行った野洲市の式内社・名神大社の「御上神社」の写真を参考として掲載させていただく。

 御上神社は近江富士・三上山の山麓に鎮座し、三上山を神体として祀る神社である。
 「御上神社」の創建は孝霊天皇の時代と云われ、古墳時代である。
 社殿は奈良時代、藤原不比等によって現在の地に造営されたと云われている。

 社頭は東向きで、鳥居、楼門を潜ると境内である。
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 境内は、拝殿本殿と並ぶ。
 本殿の祭神は、天之御影命 (あめのみかげのみこと)である。
 そして、神体の「近江富士」も見える。
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 尚、本殿は国宝、拝殿、楼門、若宮神社は重要文化財である。
 
プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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