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『近江国・金剛輪寺城跡』

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 滋賀県の湖東三山の一つ金剛輪寺(こんごうりんじ)も戦国時代には城郭であった。
 南近江の佐々木六角氏が百済寺と同じように拠点として利用したのであった。
 寺は寺として、その裏の更に高い部分に郭を築いていたと云われる。
 そうなると当然のことながら、近江に攻め来る織田信長には邪魔な存在となったので焼こうとした。

 しかしこの寺の僧たちは工夫をこらした。
 織田信長の軍勢が寺に攻め寄せた時、寺の伽藍が火の海になっているように見せかけたのである。
 その甲斐あって寺は焼かれず、本堂は国宝、三重塔は重文として厳然として存在している。
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 参道を登ると、石垣や郭があったと思われる削平地が見られる。
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 しかしこの時期、何といっても湖東三山一の紅葉が見事である。
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 また、黄モミジや青モミジも殊の外綺麗な金剛輪寺である。
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『近江国・百済寺城跡』

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 滋賀県の湖東三山の一つ百済寺(ひゃくさいじ)から西の琵琶湖方向を眺めた風景である。
 遠くに見える山は、左から太郎坊、安土城跡の安土山、観音寺城があった観音寺山である。
 この百済寺は戦国時代には城郭化されていた。

 この南近江の地は佐々木六角氏の領地で、百済寺をはじめ天台宗の多くの寺々は、六角氏と密約を結んでいた。
 それが東の尾張・美濃から攻め来る織田信長に知られる知られるところとなり、寺はことごとく焼かれた。
 おまけにこの百済寺城からは安土城築城のために目ぼしい石を持ち出したと云われている。
 そのため崩れた石垣も見られる。
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 小石で構成された石垣や多くの削平地は残されている。
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 百済寺は紅葉で知られる古刹である。
 石段を登ると仁王門、そして重要文化財の本堂に至る。
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 また本坊喜見院の池回遊式の庭園もあり、紅葉も見られる。
 そして境内にはミツマタの木が多くある。
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『近江甲賀・小川城跡』

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 滋賀県甲賀市信楽にある小川城跡である。
 鎌倉時代から室町時代にかけて小川氏と改姓した鶴見氏によって築城されたとされる。
 その後近隣の多羅尾氏に滅ぼされ、以後は多羅尾氏の城となった。
 場所はタヌキの焼き物で知られる信楽の山中にあり、政略的にはさして重要なところではない。

 この城が世間に知られるようになったのは、織田信長が本能寺事件で横死した後、徳川家康が堺から三河に伊賀山中を辿り向かうが、その時に逗留したことである。
 家康は堺から京に向かう途中の大坂北河内で信長の死を知らされ、そのまま方向を東に変え、木津川を渡り、途中山口城、遍照院と立ち寄り、信楽のこの小川城まで辿り着き、一泊したと云われている。

 小川城へは小川集落から横にそれて林道口から沢添いに敷設された林道を登る。 
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 途中林道と別れて城への道を登る。
 道は整備されていて軽自動車なら通れそうである。
 沢とともに登って行くが、途中で水音が聞こえなくなる。
 いよいよの登りとなる。
 両側の谷は急峻で深い。
 尾根筋へ出てしばらく行くと土橋を渡る。 
 いよいよ小川城が近づく。
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 途中、曲輪があったような平地部分がある。
 小川城跡の標識があった。
 いよいよ主郭である。
 中の城への分岐道もある。
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 主郭跡へ進む。
 説明版がある。
 その背後は少し高くなっている。
 登ってみると三等三角点が設置されていた。
 恐らくは天守のような望櫓があったところであろう。
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 更に進むと冒頭の写真の主郭跡となる。
 低い土塁で周りが囲まれている。
 力石というのが、その中に置かれている。
 山は急峻で、眼下に麓の集落を見ることができる。
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 周辺には、休憩所のようなところがあった。
 主郭と同程度の広さである。
 二ノ丸であろうか。
 建屋の中には、小川城跡の歌が掲げられていた。
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 周辺を歩いてみる。
 主郭への虎口、またしっかりとした土塁も残っていたのであった。
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 小川城跡は良く整備されている。
 地元の関係者の方に敬意を表し下山したのであった。

『近江国・水口城』

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 旧東海道の城の3城目である。
 滋賀県甲賀市水口町の街中にある水口城跡である。

 江戸時代になって水口は幕府直轄領となり、東海道の水口宿として整備された。
 そして徳川将軍が上洛の際の宿舎として築城されたのがこの水口城である。
 別名、水口御茶屋とも云われる。
 築城の奉行は二条城をも設計監理した名人大名小堀遠州で、二条城と似た作りであったと云われる。
 
 しかし実際に使われたのは将軍家光の時の一度だけで、その後はこの地に水口藩が成立し、藩主加藤氏の居城となり明治維新まで続き、廃城となった。

 現在残っているのは堀、石垣に囲まれた本丸と出丸の部分で、門と出丸櫓が復元されている。
 下記の案内図は上部が南である。
 広い本丸跡の部分は城の東にある水口高校のグラウンドとして利用されている。
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 本丸堀の周りを時計回りに一巡してみる。
 出丸に架けられている木橋、出丸にある櫓の東側面、南側面である。
 この櫓の内部は水口城資料館となっている。
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 堀の東側、南側である。
 南側には明確な石垣は見られない。
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 堀の西側、北側である。
 北西の隅には石垣が積まれている。
 櫓が建てられていたのであろう。
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 本丸以外の縄張りでは、北側に藩主の居宅の二ノ丸があった。
 藩主は決して幕府の持ち物である本丸御茶屋には入らなかったとされる。
 その二ノ丸跡、現在は水口中央公民館とその駐車場となっている。
 また東側には水口高校があるので、ここも縄張りの一部であったと思われる。
 そして南側、西側は普通の住宅地となっている。

『近江国・水口岡山城』

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 滋賀県甲賀市水口町にある水口岡山城跡である。
 この城は羽柴秀吉の命により、秀吉の家臣中村一氏(かずうじ)が282mの岡山に築いた山城である。
 築城の狙いは、鈴鹿峠を越えてくる東海道や伊勢街道の守りを固めたものである。
 
 登城口には標柱がある。
 山道を登って行くと曲輪跡がある。
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 更に登ると西の丸跡、そして西方向に水口の街が見える。
 中央の林は江戸時代に築かれた水口城の城跡で、左の方に櫓を見ることができる。
 更に登ると堀切の跡があり、本丸へと進む。
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 本丸下の石垣が僅かに残っている。
 本丸跡は2か所に標柱が建っていて、発掘調査が行われている。
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 天守跡もある。
 見下ろすと二ノ丸、三ノ丸が見える。
 こちらは山の南側斜面である。
 これを降りると虎口跡がある。
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 急な斜面の道を降りる。
 別の登城口ある。
 そこには白玉稲荷神社が祀られている。
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 水口岡山城は、中村一氏が小田原北条攻めの功により駿府に移府した後、増田長盛が入城した。
 そして秀吉没後には、五奉行の一人である長束正家が入城した。
 正家は関ヶ原で西軍に属し敗戦後に城に逃げ帰ったが、東軍に攻められ開城した。
 関ヶ原の後、水口は幕府直轄領となり、東海道の宿場町として整備された。
 そして将軍家光の時に岡山の西の街中に水口城が新たに築かれ廃城となった。
プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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