近鉄長野線8・河内長野駅
「近鉄南大阪線」の羽曳野市の「古市駅」を起終点として、「河内長野駅」との間を繋ぐ「近鉄長野線」の各液を途中下車で訪ねてみる。
今回は、「古市駅」から7番目で、起終点の河内長野市の「河内長野駅」である。
「河内長野駅」で下車する。
「近鉄長野線」のホームと線路を挟んで「南海高野線」のホームがある。
駅の改札は階上で、近鉄、南海は別々である。
駅ビルからの地上のロータリーが見える。
そして駅ビルの地上からの眺めである。
地上では、アーケードの出口に、「高野街道」と云う標柱と、略図が設置されている。
「近鉄長野線」と並んで通っている「東高野街道」と、堺市に端を発する「西高野街道」が合流し、一本化する所である。
「西高野街道」はアーケード商店街「長野商店街」を通り抜けているので、少し覗いて見る。
ロータリーの南側にも「高野街道」の標柱が建っている。
「高野街道」の入り口である。
街道の左側には、「吉年(よどし)邸」がある。
鋳物師で商社機能も兼ね備えていた大商家である。
「大クス」が天然記念物に指定されている。
「吉年邸」の向こうに神社が鎮座している。
この地の氏神である「長野神社」である。
神社へは石段を昇り、昇った所が広場である。
長野神社境内は、上下段に別れて、上段の石造りの瑞垣の中に社殿が祀られている。
瑞垣の中の樹木は立派で、カヤの木は大阪府の天然記念物に指定されている。
鳥居を潜り、石段を昇ると正面に社殿が並んでいる。
中央は本殿である。
本殿は一間社流造で、正面千鳥破風と軒唐破風の檜皮葺で、室町時代末期の造営と考えられ、国の重要文化財に指定されている。
本殿には牛頭天王の素戔嗚大神が祀られている。
本殿の左には、事代主大神と祀る恵美須社が、右には五社宮が鎮座する。
五社宮とは、熊野宮、多賀宮、八幡宮、春日宮、高良宮である。
更に右端には中央の方を向いて菅原道真公の天神宮が鎮座している。
この神社は、江戸時代には木屋堂宮(こやどうのみや)あるいは牛頭天王宮(ごずてんのうのみや)と呼ばれていたが、明治になって長野神社と改称されたとのことである。
神社の南側を右折する。
この道は「高野街道」ではなく、そのバイパスとされている道である。
左手、右手に趣のある住宅が見られる。
そして玄関には、行灯、杉玉が飾られている。
右から「高野街道」が合流し、道は「高野街道」となる。
そして両側は、西條合資会社の酒蔵が主である。
酒銘は「天野酒」と云う。
そしてこの通りの部分は、「酒蔵通り」と云う。
東から順に見て見ると、北側に先ずは主屋(販売所)である。
そして南側には、登録有形文化財の旧主屋・土蔵である。
そして北側には作業場と思われる建物があり、その西に民家と思われるが、杉玉が吊るされている。
また、その南側、道路向かいに、窓の配置が変わっている倉庫がある。
そして、その倉庫を回り込むと橋が架かっている。
「石川」に架かる「舊西條橋」で、「高野街道」橋を渡り、南へと続く。
駅へ戻る方向である。
先ほどバイパス道を通ったため見逃した「高野街道」の趣のある邸宅を見てみる。
そして、駅へと戻り、「河内長野駅」と「近鉄長野線」のミニ探索を終了したのであった。
今回は、「古市駅」から7番目で、起終点の河内長野市の「河内長野駅」である。
「河内長野駅」で下車する。
「近鉄長野線」のホームと線路を挟んで「南海高野線」のホームがある。
駅の改札は階上で、近鉄、南海は別々である。
駅ビルからの地上のロータリーが見える。
そして駅ビルの地上からの眺めである。
地上では、アーケードの出口に、「高野街道」と云う標柱と、略図が設置されている。
「近鉄長野線」と並んで通っている「東高野街道」と、堺市に端を発する「西高野街道」が合流し、一本化する所である。
「西高野街道」はアーケード商店街「長野商店街」を通り抜けているので、少し覗いて見る。
ロータリーの南側にも「高野街道」の標柱が建っている。
「高野街道」の入り口である。
街道の左側には、「吉年(よどし)邸」がある。
鋳物師で商社機能も兼ね備えていた大商家である。
「大クス」が天然記念物に指定されている。
「吉年邸」の向こうに神社が鎮座している。
この地の氏神である「長野神社」である。
神社へは石段を昇り、昇った所が広場である。
長野神社境内は、上下段に別れて、上段の石造りの瑞垣の中に社殿が祀られている。
瑞垣の中の樹木は立派で、カヤの木は大阪府の天然記念物に指定されている。
鳥居を潜り、石段を昇ると正面に社殿が並んでいる。
中央は本殿である。
本殿は一間社流造で、正面千鳥破風と軒唐破風の檜皮葺で、室町時代末期の造営と考えられ、国の重要文化財に指定されている。
本殿には牛頭天王の素戔嗚大神が祀られている。
本殿の左には、事代主大神と祀る恵美須社が、右には五社宮が鎮座する。
五社宮とは、熊野宮、多賀宮、八幡宮、春日宮、高良宮である。
更に右端には中央の方を向いて菅原道真公の天神宮が鎮座している。
この神社は、江戸時代には木屋堂宮(こやどうのみや)あるいは牛頭天王宮(ごずてんのうのみや)と呼ばれていたが、明治になって長野神社と改称されたとのことである。
神社の南側を右折する。
この道は「高野街道」ではなく、そのバイパスとされている道である。
左手、右手に趣のある住宅が見られる。
そして玄関には、行灯、杉玉が飾られている。
右から「高野街道」が合流し、道は「高野街道」となる。
そして両側は、西條合資会社の酒蔵が主である。
酒銘は「天野酒」と云う。
そしてこの通りの部分は、「酒蔵通り」と云う。
東から順に見て見ると、北側に先ずは主屋(販売所)である。
そして南側には、登録有形文化財の旧主屋・土蔵である。
そして北側には作業場と思われる建物があり、その西に民家と思われるが、杉玉が吊るされている。
また、その南側、道路向かいに、窓の配置が変わっている倉庫がある。
そして、その倉庫を回り込むと橋が架かっている。
「石川」に架かる「舊西條橋」で、「高野街道」橋を渡り、南へと続く。
駅へ戻る方向である。
先ほどバイパス道を通ったため見逃した「高野街道」の趣のある邸宅を見てみる。
そして、駅へと戻り、「河内長野駅」と「近鉄長野線」のミニ探索を終了したのであった。