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『大津市・近江神宮』

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 滋賀県大津市神宮町に鎮座し、昭和15年に祀紀され、天智天皇を祀る近江神宮である。

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 神社へは京阪電車坂本線の近江神宮前駅から、北にある参道の神宮道へ出て、西へと進むと冒頭の一ノ鳥居へと到達する。
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 参道は木立の中を進む。
 石段が設けられ、それを登ると二ノ鳥居を潜る。
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 参道は右へと曲がり、少し行くと石段の上に楼門が聳えている。
 そしてその先が境内である。
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 正面には、石段の上に外拝殿、そして内拝殿、本殿と並んでいる。
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 天智天皇は漏刻を宮殿に設置したことで良く知られている。
 神社境内左には、その漏刻の再現がなされている。
 銘板を見ると、スイスのオメガ社からの寄贈であるとのことである。
 また、その前には日時計も設けられている。
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 駅への帰り道は、京阪電車線路の西側を通る。
 その辺りは天智天皇が遷宮した大津京の跡地である。
 部分的にしか残っていないが、都の跡を訪れた柿本人麻呂の歌碑が設置されている。
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 大津京は、良く知られるように、天智天皇亡き後の、百済系であり天皇の子である大友皇子と、新羅系の天皇の弟である大海人皇子(天武天皇)との代理戦争のような壬申の乱で焼失してしまっている。

 尚、近江神宮では、小倉百人一首の一番目の歌を詠じた天智天皇に因み、毎年正月に、かるた選手権が開催されている。

『近江国・天孫神社』

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 滋賀県大津市京町に鎮座する近江国四ノ宮の「天孫神社」の社頭である。
 場所は、JR大津駅の琵琶湖側で、県庁と旧東海道との間にある。
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 鳥居を潜ると、正面に舞殿、拝殿と続く。
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 その背後は本殿である。
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 本殿には、彦火々出見命( ひこほほでのみこと )、大名牟遅命 (おおなむちのみこと )、国常立命( くにとこたちのみこと )、帯中津日子命( たらしなかつひこのみこと)の4柱が祀られている。

 この神社は、国の重要無形民俗文化財に指定され、絢爛豪華な曳山で知られる大津まつりの元宮である。
 拝殿から舞殿を振り返ると、大津まつりの曳山を模した飾りがなされている。
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 境内には幾つかの社が祀られている。
 福富稲荷、他である。
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 神社の北の旧東海道へ出てみると、趣のある建物も見られる。
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『近江国・太郎坊宮』

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 近江国、滋賀県東近江市小脇町に鎮座する「太郎坊・阿賀神社」の一ノ鳥居である。

 天智天皇の蒲生野の野行きのときに額田王が天智天皇に宛て詠んだ
  「茜指す 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」 
 で知られる蒲生野の北方にある赤神山に鎮座している神社である。

 この神社の創建は極めて古い。
 欽明天皇の時代に聖徳太子が創建したと云われる。
 また後に、天台宗始祖の伝教大師が参篭し、50有余の社坊を建立したと云われる。
 そして山岳信仰の霊地として多くの修験者が参篭した。
 その修験者たちの守護神とされたのが「太郎坊の天狗」であり、現在も神社の守護神とされている。

 太郎坊宮へは近江鉄道太郎坊宮前駅が最寄りである。
 駅の北側に冒頭の一ノ鳥居がある。
 鳥居を潜り岩肌がところどころ露出した赤神山へと参道を進むと二ノ鳥居がある。
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 参道からは赤神山がくっきりと見える。
 拡大してみると、写真下部の中央左手が本殿で、右下に拝殿がある。
 その間にある大きな岩は夫婦岩と云われるものである。
 二ノ鳥居の先からいよいよ山登りの石段参道となる。
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 石段は三ノ鳥居までは約500段、その先本殿までは250段程度である。
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 三ノ鳥居の横には、祈祷殿があり、願掛け天狗も祀られている。
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 上へは再び石段である。
 石段の横には十二支が祀られていたりする。
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 石段も上部に差し掛かると、社殿が左手に並ぶ。
 長楽殿、永安殿、そして拝殿である。
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 登り詰めると、そこには稲荷神社、そして義経が奥羽に下向するときに参拝し、腰を掛けたという腰掛岩もある。
 そしてその左手には夫婦岩である。
 隙間80cmの夫婦岩通行では、悪心のあるものは挟まれると云われる。 
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 夫婦岩の間を進むと本殿である。
 本殿を横から眺めると、垂直な岩盤の上に建立されているのがよく分かる。
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 本殿の祭神は天照大神の第一皇子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)である。

 本殿の横には展望所がある。
 暫く、比高200mの眺望を楽しんだのであった。
 左写真は東方向、右写真は南方向で、蒲生野である。
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 下りは裏参道を利用する。
 石段脇には七福神が祀られている。
 先ずは布袋尊、寿老人、毘沙門天、弁財天である。
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 そして中間点に、一願成就社が祀られている。
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 そして続きの七福神の恵比須神、大黒天、福禄寿である。 
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 そして不動明王、絵馬殿を通過し、元の願掛け天狗のところに戻り、参詣は終了である。
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『滋賀・大笹原神社』

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 滋賀県野洲市に鎮座する国宝の大笹原神社本殿である。

 創建は平安時代であるが、この本堂は室町時代に岩倉城主馬淵定信により再建されたもので、造りは三間社入母屋檜皮葺で、多くの彫刻が施されていて、東山文化を良く伝えるものである。

 祭神には須佐之男神(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、二神の子供の八柱御子神(やはしらみこがみ)の他、後世の宇多天皇、敦實親王(あつざねしんのう)、佐々木高綱公を祀る。

 またこの国宝本殿の向かって左隣に石凝姥命(いしこりどめのみこと)を祀る国の重要文化財、境内社篠原神社本殿もある。

 篠原神社は「餅の宮」とも呼ばれている。
 この辺りで獲れる良質の餅米から作った餅が売られ、街道を行き交う旅人の間でもてはやされたことから、餅の宮と云われるようになったと云う。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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