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大阪メトロ中央線11・緑橋駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から10番目の駅である大阪市東成区の「緑橋駅」である。

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 「緑橋駅」で下車する。
 この駅は、「大阪メトロ今里筋線」との接続駅でもある。
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 北側の地上へと出る。
 南北の通りは「今里筋」で、その南方向、北方向の風景である。
 南方向には、「大阪メトロ 中央線」の上に「中央大通り」の高架部分、更にその上に「阪神高速道路 東大阪線」の高架道路が見える。
 また、通りの西側には、食品スーパーもある。
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 「今里筋」の東側の道路の入り口に、「千間川(せんげんがわ)と緑橋」の説明盤が建てられている。
 それによると、「千間川」とは、この西の「平野川」と、東の「高井田」の手前の「中高野街道」とを結ぶ、長さが約1000間(1.8Km)の用水路であったとされている。
 また、この「千間川」は、「東成区」と「城東区」を南北に分ける「区界」でもある。
 この川には、多くの橋が架かっていて、この付近には「緑橋」が架かっていたとのことである。
 しかし、「千間川」は時代の流れで、水運や灌漑の用途がなくなり、汚濁も進んだことから、昭和46までに埋め立てられ、現在の緑陰道路となったとのことである。
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 この道路を東へと進む。
 結構進んだ辺りから、道路沿いの公園が整備されている。
 「千間川みどり公園」と云う。
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 公園内を進んで行く。
 フェンスに挟まれた長細い公園である。
 所々に遊具も設置されている。
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 公園の長さは300m弱で、程なく終点の「平野川分水路」に到着し、歩道橋にて分水路を渡ることになる。
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 この先は、次の「深江橋駅」の地域であるので、この地点で「緑橋駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ中央線10・森ノ宮駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から9番目の駅である大阪市中央区の「森ノ宮駅」である。

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 「森ノ宮駅」で下車する。
 「大阪メトロ」の駅上には、「JR大阪環状線」の「森ノ宮駅」あり、乗換駅でもある。
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 「森ノ宮駅」は、以前の「JR大阪環状線」の探索で下車し、駅の西側地域を巡ったことがある。
 今回は、駅の東側地域を探索してみることにする。

 東に向かう通りは「中央大通り」である。
 右手にフェンスに囲まれた建物がある。
 「旧大阪府立成人病センター」である。
 工事に関する掲示を眺めてみると、撤去工事と書かれている。
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 「中央大通り」を歩道橋で北側へと渡る。
 歩道橋からの西方向、東方向の風景である。
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 歩道橋を渡り、東側の道路を北へと進む。
 右手には、「日赤 血液センター」がある。
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 「日赤」の北側には、「大道会 森之宮病院」が建っている。
 その間の道路から奥の方向に「扶桑薬品工業」の事業所が見える。
 また、北に目をやると、高層住宅も並んでいるのが見える。
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 今度は道路の向かい側(西側)である。
 先ずは、「森之宮小学校」がある。
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 そしてその北側に公立の研究所が建っている。
 「大阪産業技術総合研究所 森之宮センター」である。
 以前は、「大阪市立工業研究所」であったが、府市の施設の合併により地方独立行政法人となったものである。
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 元の「中央大通り」まで戻る。
 「中央大通り」の北側には、「UR 森之宮団地」がある。
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 そしてその西側には、新しい試みの「水素ステーション」がある。
 更にその西側には、「大阪がん循環器病予防センター」が建っている。
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 ここで駅の近くまで戻ってきたので、「森ノ宮駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ中央線9・谷町四丁目駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から8番目の駅である大阪市中央区の「谷町四丁目駅」である。

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 「谷町四丁目駅」で下車する。
 この駅は、「大阪メトロ中央線」と「谷町線」との乗換駅でもある。
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 駅の地下道を東へと進み、地上へと出た所は、「中央大通り」と「上町筋」との交差点の「法円坂」である。
 交差点の角には、「国立病院機構 大阪医療センター」、「難波宮跡公園」、「大阪城」などがある。
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 また交差点の上部には歩道橋があるので、風景を眺めて見る。
 道路は「中央大通り」の東方向である。
 そして上記と同様に、「国立病院機構 大阪医療センター」、「難波宮跡公園」、「大阪城」であある。
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 先ずは、「難波宮(なにわのみや)跡公園」を探索してみる。
 「難波宮」はややこしいが、前期と後期があり、飛鳥やその他の宮殿と行ったり来たりし、天皇としては、主として「孝徳天皇」、「天武天皇」、「聖武天皇」が関わり、その他の天皇や皇族も多く関わっているとのことである。
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 「法円坂」交差点から「難波宮跡公園に入る。
 案内板を眺め、進んで行く。
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 最初に現れるのは、前期の「八角殿院」跡がある。
 そして、右手(南方向へ行くと、「朝堂院」跡が幾つかある。
 東方向には「大極殿」跡の基壇が見える。
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 少し南には、「五脚門」跡であろうか、コンクリートで再現されている。
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 南の正面へと回り込む。
 そして、「大極殿」の基壇へと近づく。
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 「大極殿」の上部にて、礎石を眺めてみる。
 正面、左方向、右方向である。
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 そして、南西方向、南東方向である。
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 次は、北側に隣接している「大極殿後殿」である。
 「大極殿」から眺めると、向こうに「大阪城」が見える。
 そして、「後殿」と「大極殿」の基壇の両方の関係を眺めたものである。
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 今度は、「法円坂」交差点の北西側へと行ってみる。
 新しい建物が建っている。
 そしてこの場所も「難波宮跡」である。
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 右手(東側)には、古墳時代の「法円坂遺跡 高床式倉庫」の復元がなされている。
 そして、「大阪歴史博物館」、「NHK大阪放送会館」と並ぶ。
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 この西側には、「大阪合同庁舎」が幾つか並んでいる。
 そして、その南の「谷町四丁目駅」への降り口から駅へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。
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大阪メトロ中央線8・堺筋本町駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から7番目の駅である大阪市中央区の「堺筋本町駅」である。

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 「堺筋本町駅」で下車する。
 駅から上がったところは「中央大通り」である。
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 「中央大通り」の上り・下りを分離するのは「本町駅」から続く「船場センタービル」である。
 「堺筋」を挟んで「本町駅」側が4号館、東側が3号館である。
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 3号館の1階を覗いて見る。
 南通りと北通りに分かれ、衣料品の販売店が並び、奥まで続いている
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 「堺筋」を少し北へと進むと「本町通り」である。
 その通りの西側、東側である。
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 「堺筋」を北上する。
 左手に「りそな銀行」「関西みらい銀行」の本店がある。
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 更に北へと進む。
 「平野町通り」の手前左にレトロビルが建っている。
 「生駒時計店」の「生駒ビル」で、「登録有形文化財」である。
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 その北の通りは「道修町(どしょうまち)通り」である。
 今回は、この通りを探索してみる。

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 「堺筋」を北上して来ると、「道修町」の交差点の左側の北東角に「旧小西家住宅」がある。
 明治36年に建築された「小西儀助商店」の建物で、大部分が重要文化財に指定されている。
 現在も「コニシ株式会社」として、「ボンド」で良く知られる企業である。
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 そして、住宅の西側の側面、東側の側面である。
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 「堺筋」から西側の「道修町」を上図に従って探索する。
 入り口右手に「小野薬品工業」の本店ビルがある。
 登記上の本店である。
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 その隣に、薬の神の「少彦名(すくなひこな)神社」が鎮座している。
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 参道口には、左に「くすりの道修町資料館」、右手に「谷崎潤一郎」の「道修町」を舞台にした小説「春琴抄」の碑が建っている。
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 途中に鳥居があり、潜る。
 正面は「拝殿」である。
 本殿は見えないが、「拝殿」右手に「五社神社」が祀られている。
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 神社を後にして、「道修町通り」を西へと進む。
 左手にレトロなビルがある。
 「武田薬品工業」であり、江戸時代に「武田長兵衛」が創業した所である。
 「武田薬品」は「漢方薬」から「洋薬」へと変遷を遂げ、我が国の製薬のパイオニアでもある。
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 「武田薬品ビル」の西側には、通りを挟んで「大日本住友製薬」の大阪本社がある。
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 「大日本住友製薬」の「道修町通り」を挟んだ北側には、風邪薬で知られる「カイゲンファーマー」の本社ビルがある。
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 「カイゲンファーマー」の前、「大日本住友製薬」の西側の通りは「三休橋筋」と云う。
 その通りの西側には、「田辺三菱製薬」の本社ビルがある。
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 その前には、「塩野義製薬」の本社がある
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 その本社前には、「大阪薬科大学」発祥の地の石碑がある。
 明治37年に、塩野吉兵衛の尽力により前身の「大阪道修町薬学校」が設立された地である。
 その先、まだ西へと続くが、この地点で「堺筋本町」のミニ探索を終了することにしたのであった。
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大阪メトロ中央線7・本町駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から6番目の駅である大阪市中央区の「本町駅」である。

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 「本町駅」は南北の「御堂筋」と東西の「中央大通り」との交差点にある駅で、「大阪メトロ御堂筋線」との交差・乗換駅でもある。
 今回は、その「御堂筋」の由来となっている南と北の「御堂」とその周辺を探索してみる。

 「本町駅」で下車する。
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 駅上の交差点は、地上道路が「中央大通り」、高架道路が「阪神高速」であり、高速道路のを屋根とした「船場センタービル」が、10号館から1号館まで、東の「堺筋本町駅」周辺にかけて続く。
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 「御堂筋」の東側の歩道を南へと進む。
 本道と側道との間の緑地帯に石碑が建っている。
 「此附近芭蕉翁終焉ノ地ト傳フ」との記載である。
 「花屋仁左衛門宅跡」で、松尾芭蕉はこの屋敷内で生涯を閉じたとされているところである。
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 その斜め向かいに新しいビルが建っていて、その奥にお堂が見える。
 ビルは、山門を兼ねた「エクセルホテル東急」で、寺院は「真宗大谷派難波別院」通称「南御堂」である。
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 山門から入ると、正面は「本堂」である。
 「阿弥陀如来」を本尊とし、厳粛な雰囲気のするお堂である。
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 左手には、「獅子吼園」という庭園がある。
 手前の「梵鐘」に続いて、芭蕉の句碑が建っている。
 しかし、木の葉に覆われて見えないのは残念であるが、句は、説明板によると、
    「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」と記されている。
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 続いて、「阿波野青畝(せいほ)」の句碑、「山口誓子」の句碑が建てられている。
 句はそれぞれ、
    「翁忌に行かむ 晴れても 時雨れても」
    「金色の 御堂に芭蕉 忌を修す」 である。
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 そして続いて枯山水の庭園がある。
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 「南御堂」を退出し、西側へと行く。
 そこには、式内社大社で摂津国一之宮の「坐摩(いかすり)神社」が鎮座する。
 正面の鳥居は「三ツ鳥居」である。
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 この神社の始まりについては、「神功皇后」が三韓征伐より帰還したとき、当時の大川河口の「渡辺津」に「坐摩神」を祀り、花を献じたとされている。

 鳥居を潜ると境内である。
 正面に、「拝殿」そして「本殿」が祀られている。
 祭神は「坐摩神」と総称される「生井神」、「福井神」、「綱長井神」、「波比岐神」、「阿須波神」の5神とされている。
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 また、裏参道には西向きに「稲荷神社」、「陶器神社」の境内社が祀られている。
 そして陶器の灯篭も建っている。
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 神社を後に北へと進む。
 「中央大通り」を越えた所に、中・高・大の「相愛学園」がある。
 数多くの対外活動の成果が並べられてもいる。
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 西側に回り込むと、大学である。
 そして、古いビルの駐車場も備えたキャンパスである。
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 「相愛学園」から東の「御堂筋」へと出る。
 そこには「北御堂」が建っている。
 「本願寺津村別院」である。
 石段を上がり寺門を潜ると、両側に像が建っている。
 左は「蓮如上人」、右は「親鸞聖人」である。
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 正面の石段を上った所が「本堂」である。
 内部は敬虔な雰囲気である。
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 本堂石段から寺門を眺め退出、そしてミニ探索を終了し、寺門横の「本町駅」の出入り口から駅へと戻ったのであった。
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大阪メトロ中央線6・阿波座駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から5番目の駅である大阪市西区の「阿波座駅」である。

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 「阿波座」と云う地名は、江戸時代に、阿波藩主蜂須賀家の大坂屋敷を拠点として、徳島商人たちが商いを手掛け、徳島産の藍染めの藍や木材、砂糖などを商っていたことに由来するとされている。

 「阿波座駅」で下車する。
 「大阪メトロ中央線」はこの駅から地下へと入る。
 またこの駅では、「千日前線」が直交していて、乗換駅でもある。
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 地上へと出る。
 地上は「阿波座駅前」と云う「中央大通り」と「新なにわ筋」との交差点である。
 「中央大通り」に沿って西方向へと進む。
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 「木津川」に沿った道路に出るので、これを右折する。
 そこには、「大阪府立江之子島文化芸術創造センター」と表示された建物がある。
 またそこには、「舊大阪府廰」と記された標柱が建っている。
 この江之子島2丁目一帯は、明治7年から大正末期まで、「2代目大阪府庁舎」があった所である。
 そしてその後は、「工業技術奨励館」、「産業技術総合研究所」と活用され、研究所群が「大阪府和泉市」に移転したあとは、建物の一部が、「文化芸術創造センター」と残されているものである。
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 これらの跡地の大部分は、タワーマンションや「日本生命病院」となっている。
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 また東隣には、「津波・高潮ステーション」も設置されている。
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 「江之子島2丁目」は研究所の移転後、長らくフェンスに囲まれた空き地であったが、このように人々の住まいや、健康、文化などに関する施設として活用されているのは、嬉しいことである。

 北側の通りは「本町通り」である。
 余談であるが、「大阪府庁」は、初代は「中央区 本町橋」の「西奉行所」跡に、2代目はこの「江之子島」に、そして3代目は「大阪城」前にとこの「本町通り」を行き来しているのである。

 「本町通り」の北側には「ざこばはし」と記された親柱が残されている。
 「江之子島」は、大阪大空襲までは西側の「木津川」と「百閒堀川」に挟まれた中の島であったとされている名残である。
 「百間堀川」の「雑喉場(ざこば)橋」を渡ると、そこには「雑喉場」と云われる「魚市場」があったとのことからの名付けである。
 この「雑喉場」は、「木津川」、「安治川」の向こうに「大阪市中央卸売市場」の設置によって廃止されたとのことである。

 そして、西の「木津川」へと向かう。
 「木津川橋」は、この「江之子島」と大阪開港を迎える「川口」との間に、慶応4年に架けられた橋との説明もある。
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 「木津川橋」を渡る。
 北側の風景である。
 「中之島」の「センタービル」も見える。
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 橋を渡り北方向へと行ってみる。
 「端建蔵(はたてくら)橋」が「土佐堀川」に架かっていて、中之島や野田・福島へと通じている。
 そして橋の左手には「大阪市中央卸売市場」が見える。
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 「土佐堀川」と「堂島川」はこの地点で合流し、「安治川」となって大阪湾へと流れ込む。
 その「安治川」左岸を少し下流へ行ってみると、「安治川橋」の看板がある。
 「安治川橋」は明治の初めに架けられた「旋回橋」であった。
 強固な橋であったため、増水により流木などが橋桁に纏わりつき、洪水の恐れが出たため、工兵隊により爆破撤去されたとのことである。
 また、この場所は「中央市場」の向かいでもある。
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 「安治川」沿いに更に下る。
 道路は折れ曲がるが、「安治川」縁に、「大阪開港の地」があり、フェンスの中に標柱が建っている。
 大阪税関の前身の「運上所」や「電信所」が開設された場所である。
 江戸から明治に掛けて、大阪の恩人「五代友厚」が活躍した場所の一つでもある。
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 またこの付近には、「富島天主堂跡」や「外人雑居地の跡」との表示もある。
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 東方向の「みなと通り」の川口中心部へと戻る。
 通りには、「川口居留地跡」の標柱が建っている。
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 慶応4年に、住宅地が外国人に競売され、明治32年まで「外国人居留地」となったとの説明である。
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 そしてその東には、「川口基督教会」も健在である。
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 明治時代の初めに設立された大聖堂で、ヴィクトリアン・ゴシック様式の美しい建築で、国の「登録有形文化財」に指定されている。
 また設立の米国宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教を称える掲示もある。
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 そしてこの地点で、「江之子島」、「川口」を一周したことになり、「阿波座駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ中央線5・九条駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から4番目の駅である大阪市西区の「九条駅」である。

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 「九条駅」で下車する。 
 「九条駅」では、以前に、乗換駅である阪神電鉄の「西大阪線 九条駅」で下車して、駅の東側の商店街「ナインモール九条」などを探索した。
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 今回は駅から出て、西方向へと向かう。
 出口の階段を降りると、九条東小学校の前にレリーフと説明が掲げられている。
 昭和9年の「暴風水害記念碑」で、「室戸台風」により、被災した記念である。
 北方向へ進むと、「キララ九条商店街」のアーケード入り口があるので、それを入ってみる。
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 「キララ九条商店街」は、真っ直ぐなアーケードである。
 コロナ対応の横断幕なども掲示されている。
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 更に進むと、大衆演劇の横断幕もある。
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 そして約600mの商店街は、右にカーブして出口を迎える。
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 出口の先は交差点「源兵衛渡」である。
 そこには「安治川トンネル」出入り口のビルが建っている。
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 エレベーターや階段で上下し、トンネルを潜ることができる。
 そしてこの先は、此花区の「西九条」へと通じている。
 「安治川トンネル」は、は戦時中に作られた日本最古の沈埋式トンネルで、長さは約80mである。

 エレベーターで下降し、トンネル内を眺め、エレベーターで折り返し、地上へと戻ったのであった。
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 そしてこの地点で、「九条駅」のミニ探索を終了を終了したのであった。

大阪メトロ中央線4・弁天町駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から3番目の駅である大阪市港区の「弁天町駅」である。

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 「弁天町駅」で下車する。
 ホームには、「近鉄電車」も入線する。
 またホームから、南方向に2年前に設置された「JCHO 大阪みなと中央病院」も見える。
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 「弁天町駅」では、以前に、接続駅であるJRの「大阪環状線 弁天町駅」で下車して、駅の北側を探索したので、今回は南側の探索とする。
 駅から出て、東南方向へと向かう。
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 「大阪府立市岡高校」が見えて来る。
 北向きの正門を眺めて見る。
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 「市岡高校」は、戦前の旧制中学で、戦後、「市岡高等女学校」等と合併し、新制高校となった学校である。
 校舎の西側である。
 道路を挟んで、中学校と隣接していて、その裏門やグラウンドが見える。
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 中学校の北側、そして正門がある西側へと回り込む。
 「大阪市立市岡東中学校」である。
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 「市岡東中学」の西側に公園がある。
 「市岡元町公園」と云う。
 広い公園で、児童向けの遊具も備えられている。
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 公園から西へと進む。
 阪神国道の「国道43号線」があり、これを歩道橋で渡る。
 頭上には、「阪神高速17号西大阪線」が通っている。
 また国道沿いには、遊歩道も設けられている。
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 国道の西側にも中学校がある。
 「大阪市立市岡中学校」である。
 西向きの正門へと回り込む。
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 そして北側へと回り込むと、グラウンドが見える風景となる。
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 「弁天町駅」の南側にある3つの学校を眺めた。
 そしてこの地点で、「弁天町駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ中央線3・朝潮橋駅

 「大阪メトロ南港ポートタウン線」を引き継ぎ、大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から2番目の駅である大阪市港区の「朝潮橋駅」である。

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 「朝潮橋駅」で下車する。
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 駅は「中央大通り」と「みなと通り」の合流点に設置されている。
 跨道橋からの、道路の眺めである。
 左写真は西方向、右写真は東方向である。
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 駅の正面には、「大阪プール」が建っている。
 この地は、「大阪国際見本市港会場」跡地で、現在は「八幡屋公園」となっている。
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 花壇なども見られる。
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 西へ進むと道路の北側に、今度は「大阪市立中央体育館」の入り口がある。
 しかし、その上部は木々が生い茂った丘で、珍しい造りとなっている。
 体育館入口横に丘へと登る遊歩道があるので、登ってみる。
 螺旋状の遊歩道を横切る階段もあるので、短縮できる。
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 石を組み上げた景観もある。
 そして、更に短縮階段を登ると、頂上へと着く。
 頂上はドームとなっている。
 「太陽の花かんむり」と云う名で、体育館の明り取りの機能であろう。
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 丘の頂上からの眺めである。
 西方向には、大阪港の「大観覧車」、北西方向にUSJのホテル群、北東方向に「大阪プール」とその向こうの「弁天町」のビル群が見える。
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 丘をプールの方向へと下る。
 そして「大阪プール」の周囲を眺め、「八幡屋公園」を退出したのであった。
 尚、「大阪プール」は、冬場はスケートリンクになることでも知られている。
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 次は、「朝潮橋駅」から、「みなと通り」を挟んだ西側である。
 そこには、アーケードの商店街がある。
 「八幡屋商店街」と云う。
 この商店街は、中央の交差ヶ所に「ドーム」があるのが特徴である。
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 しっかりとした商店街である。
 横からも「ドーム」の突出部が見える。
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 この「八幡屋商店街」の一角に別名称の商店街がある。
 「港中央市場」と云う。
 市場と云う名にふさわしい食品関係の店がぎっしりと並んでいる光景である。
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 そして、「朝潮橋駅」の商店街を眺めた所で、この駅のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ中央線2・大阪港駅

 「大阪メトロ南港ポートタウン線」を引き継ぎ、大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。

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 今回は、「コスモスクエア駅」の隣の駅である大阪市港区の「大阪港駅」である。

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 「大阪港駅」で下車する。
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 駅の北側には、「大阪港埠頭」、「海遊館」、「観覧車」、そして日本一低い山の「天保山公園」などがある。
 これらは、以前の「JRゆめ咲線 桜島駅」の下車で訪問しているので、今回は駅の南側を探索してみる。

 駅の南の2本目の筋に高野山真言宗の「築港高野山 釈迦院」がある。
 「弘法大師」が遣唐使で唐に渡った出港の地に、その顕彰として明治43年に創建されたものである。
 寺門を潜ると境内である。
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 境内には、本堂などの堂宇、稲荷神社、そして浪曲の祖とされる「藤原澄憲」を祀る「浪曲塔」も祀られている。
 本堂の本尊は、「弘法大師」である。
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 「築港高野山」は、大正時代から昭和初期にかけて大師信仰の中心地として栄え、東の「四天王寺」、西の「築港高野山」と云われるほどであったとのことである。
 「築港高野山」は、元々は現在の東の地にあったが、大阪大空襲により全焼し、現在地に移転したとされている。
 しかし、本堂は、阪神淡路大震災にて、倒壊寸前となり、鉄筋コンクリートで再興されたものである。

 また、現役当時の大相撲の「稀勢の里」が所属する「田子ノ浦部屋」の大阪場所の宿舎が、この寺院とのことである。

  「築港高野山」を退出する。
 道路を挟んで「築港小学校」がある。
 学校に沿って、東方向に回り込むと公園がある。
 「築港南公園」と云い、公園内には「室戸台風」で大被害があったことに起因する「風水害記念塔」も建てられている。
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 また公園入口には、灯篭や神社の社号柱も建っている。
 「住吉大社」の境外末社の「港住吉神社」である。
 公園の中が参道なので、これを進む。
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 正面の鳥居脇には、一対の狛犬が祀られている。
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 そして、鳥居を潜ると境内である。
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 境内正面は「拝殿」、「本殿」である。
 本殿の祭神は、住吉三神」と「神功皇后」である。
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 この「港住吉神社」の創建は江戸時代の後期の天保年間とされている。
 大阪港の鎮守や港の道しるべの目的で、住吉大社の境外末社として天保山山頂に祀ったのがとのことである。
 その後、天保山には砲台が設置されたため、現在地に遷座されたとされている。

 境内社として、「楠玉稲荷社」が祀られている。
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 その他境内には、兎の手洗い所、また、西区の靭(うつぼ)の「永代浜」から移設された「塩干魚商の市場」碑などが建てられている。
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 この地点で、「大阪港駅」の南部分のミニ探索を終了とするが、この「港住吉神社」へは、「築港高野山」を宿舎とした「田子ノ浦部屋」の一行も、勝利の祈願を行ったとされている。
 そして「稀勢の里」の横綱昇進にも御利益があったものと思われる。

大阪メトロ南港ポートタウン線10/中央線1・コスモスクエア駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」から9つ目で、起終点の「コスモスクエア駅」である。
 尚、「コスモスクエア駅」は、「大阪メトロ中央線」の起終点でもある。

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 「コスモスクエア駅」で下車する。
 駅は4層構造で、出入り口は、階上である。
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 また、階上の出入り口横の広場には、バスのロータリーが設けられている。
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 駅は「大阪港」に面していて、先ずは海岸縁へと進む。
 海岸は「シーサイドコスモ」と云い、南西方向へと延びている。
 正面には「夢洲」、右手北西方向には「明石海峡大橋」が見える。
 そして奥の山は「六甲山系」である。
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 海岸縁の遊歩道を進む。
 「古代船 なみはや」が展示されている。
 古墳から出土した埴輪を基にして再現したものとのことである。
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 その先には、廃館となっている「なにわ海の時空館」跡がある。
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 その背後の海上に不思議なドームがある。
時空間の建物と海中の通路で繋がっていて、内部には江戸時代の「菱垣廻船 浪華丸」が展示されている(いた)とのことであるが、廃館にて見ることはできない。
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 海岸を後にして、東方向へと進む。
 ウエディングの建物がある。
 そして「咲洲キャナル」と云う人口の水のプロムナードがあるので、これを進む。
 「ATC」の傍も通る。
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 進んで行くと、大学の建物の横へと出る。
 「森ノ宮医療大学」である。
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 大学の周囲を廻ってみる。
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 そして、もう一度正門付近まで戻り、駅への通路に向かったのであった。
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 「コスモスクエア駅」に戻り、地下2階の「中央線」のホームに到着した。
 この地点で「大阪メトロ南港ポートタウン線」の各駅のミニ探索を終了し、今度は「大阪メトロ中央線」のミニ探索の開始とする。
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大阪メトロ南港ポートタウン線9・トレードセンター前駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」から8つ目の「トレードセンター前駅」である。

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 「大阪メトロ南港ポートタウン線」の開業は、「住之江公園駅」と「中ふ頭駅」の間にて、「ポートタウン」の街並みの完成後の1981年であった。
 その後、1994~5年に、「咲洲エリア」の「ATC」や「WTC」が竣工し、1997年に「大阪港駅」~「コスモスクエア駅」~「中ふ頭駅」の間に別路線(「テクノポート線」、「ニュートラムテクノポート線」)の運行が開始された。
 更にその後、2005年に「コスモスクエア駅」~「住之江公園駅」までが現在の「南港ポートタウン線」として一体化されたと云う経緯を辿っている。

 「トレードセンター前駅」で下車する。
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 駅の南西側には、駅と繋がった「ATC(アジア太平洋トレードセンター)」がある。
 「ATC」は、高層の「ITM棟」と、長屋の「O’s棟」で構成され、主としてイベントやショッピングのゾーンである。
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 海側へ出ると、海側にはフェリーの埠頭があり、「鹿児島志布志」及び「大分別府」との間に「さんふらわ」が就航している。
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 次は駅の東側である。
 東側は、隣接して「コスモタワー(大阪府咲洲庁舎)」が建つ。
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 「コスモタワー」の周りの風景であるが、南から「ハイアットリージェンシー」、「コスモプラザビル」、ミズノ㈱大阪本社ビル」が建っている。
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 駅から少し北方向へと行ってみる。
 そして北から眺めた「コスモタワー」と「ミズノタワー」の風景である。
 尚、「コスモタワー」は高さ256m、地上55階・地下3階である。
 「ミズノタワー」は、高さ147m、地上31階、地下3階である。
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 そしてこの地点で、「トレードセンター前駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ南港ポートタウン線8・中ふ頭駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」から7つ目の「中ふ頭駅」である。

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 「中ふ頭駅」で下車する。
 「ポートタウン」と云われる高層マンション街はここまでで終わる。
 駅から地上に降りると、右手に「インテックス大阪(国際見本市会場)」が見える。
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 「インテックス大阪」への通路を進む。
 左手に、「ホテル ハイアットリージェンシー」、そして「コスモプラザビル」の建物がある。
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 「インテックス大阪」の正面である。
 大阪市のワクチン接種会場も設置されている。
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 右手には「1号館」が張り出している。
 そして正面入り口へと向かい、ドーム下へと入る。
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 ドームを抜けると、左手に「4号館」、「5号館」、正面には「3号館」、右手には「2号館」が建っている。
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 正面の「3号館」、右手の「2号館」である。
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 またドーム下には、今まで気付かなかったが、「ベイヤードカリヨン」と云うベルギーの世界最大級の野外演奏楽器が展示されている。
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 そして「インテックス大阪」を後にして、「中ふ頭駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ南港ポートタウン線7・ポートタウン西駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」から6つ目の「ポートタウン西駅」である。

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 その「ポートタウン西駅」で下車する。
 ホームからの、北方向、南方向の風景である。
 大阪南港の「ポートタウン東駅」から「ポートタウン西駅」に掛けては、その名の通り住宅街で、高層マンションが並ぶ。
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 駅舎を出る。
 駅前には広い自転車置き場もある。
 そしてその東は、食品スーパーである。
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 駅前を北へと進む。
 道路に沿って「川の流れる緑道」がある。
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 そしてその北側に学校の建物が見える。
 かつての「大阪府立咲洲高等学校」で、3年前に閉鎖となった高校である。
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 少し東へ進み、南へと下がる。
 公園の入り口がある。
 「南港公園」と云う。
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 中に入る。
 斜めに連結した「四阿」がある。
 そしてその先、広場が見える。
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 その広場の南部分には、遊具の広場もある。
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 その東は木々が生い茂る丘である。
 その北側は、公園の東側の入り口となっていて、「ポートタウン東駅」へと行くことができる。
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 この「南港ポートタウン」は、計画都市なので、住宅、公園、ショッピング、そして駅が揃った、生活し易い所であろうと思われる。

 そしてこの地点で、「ポートタウン東駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ南港ポートタウン線6・ポートタウン東駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」から5つ目の「ポートタウン東駅」である。

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 「ポートタウン東駅」で下車する。
 ホームの東側の景色は、「フェリーターミナル駅」から北向きの進んできた「ニュートラム」が「ポートタウン東駅」の手前で方向を変え、西向きに進んできたのが見える。
 そして線路の向こうに、球場の照明灯が見える。
 また、ホームの西側には、「ショッピングセンター」や団地が見える。
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 駅舎から出て、先ずは東へと進む。
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 地上との車道を陸橋で渡り、降りると、そこには「南港中央公園」の入り口がある。
 そして振り返ると、駅と車両が見える。
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 公園の案内図である。(入り口は最下部の左手)
 この公園には、「野球場」、「テニスコート」、「多目的広場」、「バーベキュー広場」、「遊具広場」、「少年野球場」などがある。
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 公園への石段を上る。
 先ずは、一番北の「多目的広場」である。
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 そして、東側の丘に上がって行くと、「バーベキュー広場」がある。
 この辺りからは、「コスモタワー」が良く見える。
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 その南方向は「遊具広場」である。
 白い展望塔も備えられている。
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 南へと進む。
 「鐘の樹」というベルを吊るしたモニュメントがあり、「テニスコート」がある。
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 「テニスコート」の南側は野球場である。
 「南港中央野球場」と云い、大学や高校野球の公式戦が行われるところである。
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 スタンドに上がってみる。
 大学野球の試合前で、練習が行われていた。(但し探索はコロナ前)
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 野球場の南には、高架の高速道路が通っている。
 その下を利用して、「テニスコート」が設置されている。
 また「野球場」との間には、「モニュメント」も建っている。
 そして高速道路の向こうにも「テニスコート」がある。
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 更に、高速道路の下を抜けた所の南東隅に「少年野球場」もある。
 そしてこの地点で「南港中央公園」の探索を終了し、駅へと戻る。
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 今度は、駅の西側である。
 直ぐの西に「ショッピングセンター」ある。
 食品・日用品スーパーを始め、飲食も含めて多くの店舗で構成されている南港最大のゾーンである。
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 また、高層のマンションが並ぶ、大団地となっている「ポートタウン」である。
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 そしてこの地点で、「ポートタウン東駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ南港ポートタウン線5・フェリーターミナル駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」から4つ目の「フェリーターミナル駅」である。

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 「住之江公園駅」から西方向に進んできた「南港ポートタウン線(ニュートラム)」は、「南港東駅」を過ぎると北上する。
 その最初の駅である「フェリーターミナル駅」で下車する。
 駅のホームから、通ってきた南方向、そして「フェリーターミナル」がある西方向の風景である。
 埠頭には、3隻のフェリーが停泊しているのが見える。
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 駅舎を出て西方向へと進む。
 ターミナルの建屋の1階には、乗船手続き窓口がある。
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 次は埠頭へと向かう。
 3本の埠頭があり、着船はそれぞれの両側で、南から、F1バース・・・F6バースとなっている。
 そして使用されているのは、F1、F3,、F5の3バースである。
 この3バースを2社の船会社が使用している。

 先ずは一番北のF5バースである。
 「名門大洋フェリー」の新門司港へ向かう第1便「ふくおかⅡ」が停泊している。
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 真ん中のF3バースには、「オレンジフェリー」が停泊している。
 愛媛県西条市の「東予港」に向かう「おれんじ えひめ」が停まっている。
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 最後は一番南のF1バースである。
 ここには、これも「名門大洋フェリー」の新門司港に向かう第2便「きたきゅうしゅうⅡ」が停まっているのが見える。
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 一日のフェリー便はこの3便だけで、夕方から夜の出港となっているので、昼間は徐々に自動車が集まってきているところである。

 そしてフェリー埠頭の様子を眺め終わったところで「フェリーターミナル駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ南港ポートタウン線4・南港東駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」から3つ目の「南港東駅」である。

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 「南港東駅」で下車する。
 駅ホームから、通ってきた「南港口駅」方向を見てみると、遠くに大阪奈良の境の「信貴山」が見える。
 また、ホームの北方向に、多くの自動車が置かれている風景がある。
 この地域は、関西最大級の「中古車オークション」があるとのことである。
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 駅舎を出る。
 出た所は、「住之江通」と「阪神高速」の下道の交差点であるが、道路に沿って「緑道」が敷設されているのでこれを北へと進む。
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 間もなく自動車が集められている広い場所が見えてくる。
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 回り込んでみると、オークションのメインの建物がある。
 「ベイ・オーク」と云うのだそうである。
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 フェンスの中には入れないので、ここまでとし、駅下の交差点へと戻る。
 交差点の南東には大型スーパーの物流倉庫、北西にはロジスティクスの大きな建物がある。
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 これらのことから、この辺りは、南港地域における中古車も含めた物流の拠点のようである。
 そしてこの地点で、「南港東駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ南港ポートタウン線3・南港口駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」から2つ目の「南港口駅」である。

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 「南港口駅」で下車する。
 駅のホームから西側を眺めてみると、右手(北側)は事業所のエリア、左手(南側)は高層マンションエリアとなっている。
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 大阪の南港エリアは、埋め立て地として「大阪万博(EXPO70)」以降に完成し、都市建設が始まったものとされている。
 右手の木材市場は、東の貯木場を主としたそれ以前からの木材ビジネスの継承地であろう。
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 左手は「UR団地」である。
 数棟の高層マンションが並んでいて、商店街も設けられている。
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 この辺りの住所地は、「南港東1丁目」であり、南港の東の端である。
 また、中央を通る道路は、上部に「ニュートラム」の高架橋がある「住之江通」である。
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 少し西へ行くと、左手に学校がある。
 正門前まで進むと。「大阪府立港南造形高等学校」と云う美術系専門の学校である。
    2110jIMG_2459.jpg  2110jIMG_2461.jpg  2110jIMG_2461 ②

 正門内には、作品も置かれている。
 そして、正門から西方向へと進む。
 この学校は、以前は「港南高校」と云う名称であったが、近年普通科を廃止し、「造形高校」となったとのことである。
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 この地点は、次の駅「南港東駅」との中間あたりである。
 この地点で、「南港口駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ南港ポートタウン線2・平林駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。
 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅であり、起終点の「住之江公園駅」の次の駅の「平林駅」である。

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 「平林駅」で下車する。
 この路線は、電車の進行方向に運転手がいない「無人運転」である。
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 また駅のホームから北方向に「貯木場」が見える。
 以前は、大量の輸入木材が浮かんでいたとのことであるが、現在は寂しい。
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 この平林地区は戦前までは耕作地でがあったが、耕作する人が少なくなり、戦時中は陸軍の大阪湾に向けた高射砲陣地「北島新田台場」が設置されたとのことである。
 その土地を提供したのは、平林某と云う人で、以後、「平林」と称されたとのことである。

 更に古い話であるが、「北島新田」とは、江戸時代の初期の「大和川」の付け替えにて「加賀屋甚兵衛」にて開発された新田の1つで、今もその地名が使用されている。

 今回は、「北島新田」に関連して、駅を出て、交差点を東南方向へ進んだところにある公園を訪問してみる。
 公園は「新北島西公園」と云う。
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 公園内には、児童遊具がある。
 その先は、木立に囲まれた癒しのゾーンである。
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 公園の東側にも入り口がある。
 それを入ると奥に名称は分からないが、「像」が建てられている。
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 そして「像」の周りの木立の中を散策し、最初の入り口から駅へと戻り、「平林駅」のミニ探索を終了したのであった。
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大阪メトロ南港ポートタウン線1・住之江公園駅

 大阪市南西部の住之江区の南港地域において、「住之江公園駅」と「コスモスクエア駅」を起終点とする「大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)」の各駅を探索してみる。

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 今回は、「大阪メトロ四つ橋線」との接続駅である「住之江公園駅」である。

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 「住之江公園駅」で下車する。
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 駅は高架駅である。
 駅舎を出ると、広い道路の交差点上には歩道橋が敷設されている。
 東西の道路は「新なにわ筋」であり、その南方向と北方向の風景である。
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 次は東方向の「住之江通」の風景である。
 左手に、神社の杜が見える。
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 次は北東側である。
 「住之江ボートレース場」が見える。
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 陸橋を神社の杜側へ降りる。
 神社は「大阪護國神社」である。
 鳥居を潜ると正面は拝殿である。
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 拝殿の背後は「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、10万5千余柱の英霊であるとされている。
 また、「さざれ石」も祀られている。
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 神社の横や奥は公園である。
 「住之江公園」と云う。
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 南側(上図の右手)から入ってみる。
 入った所は児童用の遊具が並んでいる。
 神社の杜に沿って進んで行くと、「プール」がある。
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 そこを過ぎると、「花と緑のスクエア」である。
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 その東側は「大池」である。
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 「大池」の東側には、「テニスコート」がある。
 そしてその手前南には、「住之江公園野球場」がある。
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 この地点で、公園内を一巡したので、「住之江公園駅」のミニ探索を終了したのであった。

京阪電鉄京津線7・びわ湖浜大津駅

 「京都市営地下鉄 東西線」の「御陵駅」から分かれて、滋賀県大津市の「びわ湖浜大津駅」へと向かう「京阪電鉄京津(けいしん)線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「御陵駅」から6駅目で、滋賀県大津市にある起終点の「びわ湖浜大津駅」周辺のミニ探索である。

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 「びわ湖浜大津駅」で下車する。
 「びわ湖浜大津駅」は、京都方面からの終点であるが、この駅は同じ京阪電鉄の「石山寺駅」と「坂本比叡山口駅」とを結び、琵琶湖沿いの路線である「石山坂本線」との接続駅でもある。
 そして、駅のコンコースは階上である。
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 前回の「上栄町駅」からこの駅までは路面電車となっていて、そのまま駅へと入る。
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 駅のコンコースから、琵琶湖を向いて陸橋が延びているので、これを進む。
 進んで行くと、北東方向に「大津港」や「遊覧船乗り場」が見えて来る。
 琵琶湖の向こうには、「近江富士」も見える。
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 また北方向には「比良山系」や眼下の「大津城跡」、東方向には複合型商業施設である「浜大津アーカス」が見える。
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 地上へと降りる。
 「大津城跡」の石標や案内図が設置されている。
 この石標は「本丸」跡地に建てられている。
 そして城は、南のアーケード商店街の辺りまで広がっていたとされている。
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 「本丸」の北側は琵琶湖であった。
 現在は埋め立てられ、緑地となっている。
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 少し琵琶湖側へ行くと、何かのモニュメントも見られる風景がある。
 「シンボル緑地」と云うそうである。
 その「大津港」の案内図である。
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 「大津港」には、噴水設備があり、この時、放水されていた。
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 見応えがあるのでついつい見入ってしまう。
 夜間は、カラーにライトアップされるとのことである。
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 次は、「大津港」の客船桟橋である。
 豪華客船の「ビアンカ」が停泊している。
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 そうこうしている内に、エンターテイメント船の「ミシガン」の帰港である。
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 その後、公園内を散策した。
 先ずは東方向の風景である。背の高いビルは「大津プリンスホテル」であろう。
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 次に西方向である。
 「びわ湖浜大津駅」も見える。
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 そしてもう一度湖岸へと出て、「比叡山」、「比良山」を眺め、「びわ湖浜大津駅」と「京阪電鉄京津線」のミニ探索を終了したのであった。
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京阪電鉄京津線6・上栄町駅

 「京都市営地下鉄 東西線」の「御陵駅」から分かれて、滋賀県大津市の「びわ湖浜大津駅」へと向かう「京阪電鉄京津(けいしん)線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「御陵駅」から5駅目で、滋賀県大津市にある「上栄町駅」周辺のミニ探索である。

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 「逢坂山」を滋賀県大津市に下って行くと、「上栄町駅」がある。
 その「上栄町駅」で下車する。
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 この駅は上り下りのホームは、道路を挟んで分かれている。
 「上栄町駅」から北へと進み、反時計回りに付近を探索してみる。
 
 北へ進むと「本願寺 近松別院」がある。
 「蓮如上人」の舊蹟で、「近松御坊」との表示がある。
 そして裏側へ廻ると、新しい「本堂」の裏側も見える。
 この寺院は、 京都東山の本願寺が延暦寺衆徒らによって破却されたのちに、三井寺の寺領を貰い別院を設立し、山科に本願寺が創立されるまでの役割を努めたとされるが、現在も本願寺の別院として機能している。
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 「近松別院」の裏手には大きな病院がある。
 「大津赤十字病院」である。
 そして病院の南側の細い道路を西へと進む。
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 標柱と石段がある。
 標柱には、「高観音善光寺如来」と記されている。
 これを昇る。
 山の中腹の道に出て、そこには寺院がある。
 「園城寺別所 近松寺」である。
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 道路と裏山の間の寺院である。
 左から順に巡ってみる。
 
 先ずは、鳥居があり「弁財天」が祀られている。
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 そして隣に「豆粉地蔵尊」が祀られている。
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 その右隣りは、上の写真の「庫裏」である。
 その右隣りは「本堂」である。
 本尊は「千手観音」であり、園城寺(三井寺)の中で、最も高い所に祀られているので「高観音」と云うそうである。
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 そして右隣りの堂は、「善光寺如来」が祀られている「阿弥陀堂」である。
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 また、「本堂」と「阿弥陀堂」との間は「渡廊下」で結ばれていて、その前に「地蔵像」、「渡廊下」に「びんずる尊者」が祀られている。
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 尚、「本堂」、「阿弥陀堂」、「渡廊下」の建造物は、江戸時代のもので、「大津市指定有形文化財」である。

 寺院は高台なので、そこから下の風景を眺めることができる。
 真下の「大津日赤」、「琵琶湖」の遠方風景、そして左手には「比良山」の風景である。
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 この場所の住所地は「逢坂2丁目」である。
 そして「上栄町駅」方向への道標もあり、これに従い、駅へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。
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京阪電鉄京津線5・太谷駅

 「京都市営地下鉄 東西線」の「御陵駅」から分かれて、滋賀県大津市の「びわ湖浜大津駅」へと向かう「京阪電鉄京津(けいしん)線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「御陵駅」から4駅目で、滋賀県大津市にある「大谷駅」周辺のミニ探索である。

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 「大谷駅」は、かつての「近江国」と「山城国」の国境にある「逢坂関」に設置されている駅である。
 その「大谷駅」で下車する。
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 駅を出ると直ぐ北側は「旧東海道」である。
 その角に「元祖走井(はしりい)餅本家」の石碑が建っている。
 「走井餅」はこの地が元祖である。
 江戸時代の中頃に湧水「走井」を用いて、餡餅を作ったのが最初である。
 それが明治の中頃、八幡市の「石清水八幡宮」の「一ノ鳥居」横の店舗に引き継がれて、現在を迎えている。
 旧街道は少しの登りであり、これを東へと進む。
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 直ぐの左手に「蝉丸神社」が祀られている。
 平安時代前期の琵琶の名手であり、歌人でもあり、この地に住んでいた「蝉丸」を祀った神社である。
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 参道石段を昇り、鳥居を潜ると境内である。
 正面は右手で、「拝殿」、その先に「本殿」と並んでいる。
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 本殿前には「中門/拝所」があり、「瑞垣」の中には、一対の狛犬も祀られている。
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 そして「本殿」である。
 本殿の祭神は、諸芸道の祖神の「蝉丸大神」、街道の守護神の「猿田彦命」である。
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 また境内には、「皇大神宮社」、並びに「神輿壹基」と云う石碑も祀られている。
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 神社を後に、更に進む。
 「国道1号線」と合流する。
 「逢坂山」のピークである。
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 そこは「逢坂関址」である。
 石碑と常夜灯が建っている。
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 他にも、小さな建屋、そして「清少納言」の歌碑も建てられている。
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 「逢坂関」は「百人一首」に三首の歌が選ばれている。
 先ずは、「蝉丸」の歌、
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 そして、「清少納言」の石碑に記されている歌、
    『夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ』
 更には、「三条右大臣」の歌、
    『名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな』
 
 「逢坂関」を探索した時は、界隈が大混雑であった。
 次々とマイカーがやって来て、ガードマンが大活躍であった。
 
 その理由は、うなぎ料理の「かねよ」である。
 明治5年の創業である。
 今でも、大人気の店で、知る人ぞ知るのうなぎ屋のようである。
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 そしてこの地点で「大谷駅」のミニ探索を終了したのであった。

京阪電鉄京津線4・追分駅

 「京都市営地下鉄 東西線」の「御陵駅」から分かれて、滋賀県大津市の「びわ湖浜大津駅」へと向かう「京阪電鉄京津(けいしん)線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「御陵駅」から3駅目で、滋賀県大津市にある「追分駅」周辺のミニ探索である。

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 「追分駅」で下車する。
 駅の南側へと出る。
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 東へと進み、途中でもう一本南側の道である「旧東海道」へと出る。
 そして「旧東海道」西の京都方向へと進む。
 街道は、趣のある町屋と新しい住宅が、とりどりに並んでいる風景である。
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 少し行くと、左手への分かれ道があり、道標が建っている。
 直進は「旧東海道」、斜め左折れは「伏見街道」である。
 「髭茶屋追分」と云われる、分岐点の「追分」である。
 駅名や町名もこの「追分」に由来している。
 「旧東海道」を行くと、「東海道五十三次」で、京の「三条大橋」へ行くことができる。
 また、「伏見街道」を行くと、「東海道五十七次」で、伏見・淀・枚方・守口の各宿場を経由して、大阪の「高麗橋」へと到着する。
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 西へ進むと右手に「浄土真宗大谷派 閑栖寺(かんせいじ)」がある。
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 寺門の横に、「車石」が展示されている。
 かつては、荷駄の輸送に牛車が使われていて、その車輪の通るところには敷石がされていたのが、この車石とのことである。
 車輪で削り取られて、窪みとなっているのが特徴である。
 境内にはその道路が再現されているとのことであるが、門が閉まっていて見ることができなかった。
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 西へと進む。
 町屋が並ぶ風景は、趣がある。
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 少し行くと、右手には、国道のインターチェンジが出っ張ってきて、その頂点に「地蔵尊」が祀られている。
 朱塗りの町屋もある。
 この辺りの住所地は「横木1丁目」と云う。
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 もう少し進んだところで、「国道1号線」へと出てみる。
 国道の西方向、東方向である。
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 国道の下のトンネルを潜り、「京阪電鉄」の線路の北側の道へと出て、駅方向へと進む。
 そして駅の北側まで来ると、そこにはカラフルなマンションが建っている。
 この地点で「「追分駅」のミニ探索を終了し、次の駅に向かったのであった。
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京阪電鉄京津線3・四宮駅

 「京都市営地下鉄 東西線」の「御陵駅」から分かれて、滋賀県大津市の「びわ湖浜大津駅」へと向かう「京阪電鉄京津(けいしん)線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。

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 これらの駅の内、「御陵駅」、「京阪山科駅」は地下鉄駅と同一または近接しているのでパスし、今回は、「御陵駅」から2駅目ので、京都市山科区にある「四宮駅」周辺のミニ探索である。

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 その前に、出発点の「御陵駅」である。
 駅は地下の三層構成で、地下3階のホームの両側で、地下鉄と京阪電鉄が分離される。
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 次の「京阪山科駅」であるが、「御陵駅」で分離された線路が、それぞれ地上と地下を走り、「山科」では、地上駅の「京阪山科駅」、地下駅の「山科駅」となっている。
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 そして、今回のミニ探索である「四宮(しのみや)駅」で下車する。
 「四宮駅」には、車両基地がある。
 これをホームから眺め、駅舎を出る。
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 駅の南側の道路は「旧東海道」である。これを西へと進む。
 右手(北側)に「臨済宗南禅寺派 徳林庵」と云う寺院がある。
 「地花堂」には、京の六地蔵の一つである「山科地蔵」が祀られている。
 この奥には、「十禅寺」と云う寺院があり、背景に「諸羽(もろは)山」が見える。
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 西へと進む。
 右手に鳥居・社号柱が建っている。
 「諸羽神社」の「一ノ鳥居」である。
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 「諸羽神社」の参道を進む。
 京阪電車の踏切を渡り、JR線の線路を潜る。
 その先は「二ノ鳥居」であり、それを潜ると「諸羽神社」の境内となる。
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 境内の左には「神具庫」、そして正面は「割拝式拝殿」である。
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 「拝殿」を潜ると「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「天児屋根命」、「天太玉命」、とされている。
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 この「諸羽神社」の創建は、清和天皇の治世の平安時代初期とされるが、詳細は不明とのことである。
 かつては「兩羽大明神(もろはだいみょうじん)」と称したが、やがて「兩羽」は「諸羽」に改められたとされている。
 そして、通称は「四ノ宮」とのことである。

 また、境内には、人康親王が琵琶を弾きながら座っていたとされる「琵琶石」、「磐座」、境内社の「天満宮」「稲荷社」が祀られている。
 尚、人康親王は、若くして失明し出家し、盲人を中心に琵琶や詩歌を教え、琵琶法師の祖神として位置付けられている人物である。
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 神社の裏手に登って行くと、大きくカーブしている旧疏水の遊歩道がある。
 現在は、疏水トンネルで直線的に流路が確保されている。
 先ずはその下流側のトンネル出口で、「船溜」にもなっている。
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 今度は上流へと遊歩道を進む。
 「公園」も整備されている。
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 入り口側のトンネル口と「船溜」がある。
 また、「琵琶湖疏水」の上流側の風景である。
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 そして、この地点で「四宮駅」のミニ探索を終了したのであった。

京都市営地下鉄東西線17・六地蔵駅

 京都市右京区の「太秦天神川駅」と、京都府宇治市の「六地蔵駅」を起終点とし、京都市の市街地を横断すると共に山科区を縦断する「京都市営地下鉄 東西線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「太秦天神川駅」から16駅目で、起終点の京都府宇治市にある「六地蔵駅」周辺のミニ探索である。

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 「六地蔵駅」で下車する。
 地上へと出ると、東隣に3つの「六地蔵駅」の一つである「JR駅」がある。
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 今回は、もう一つの「六地蔵駅」である「京阪電鉄駅」まで行ってみることにする。
 「京阪駅」へは南西方向にあり、「山科川」堤防上の道が最短であり、先ずは「六地蔵小橋」を渡る。
 橋のずっと向こうに「京阪駅」が見える。
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 橋上の北側上流の風景、南側下流の風景である。
 上流には「JR奈良線」の鉄橋が、下流には道路橋の向こうに「京阪電鉄宇治線」の鉄橋・架線が見える。
 そして、下流右岸の堤防を進むと、「京阪駅」が近づいてくる。
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 そして「京阪六地蔵駅」に到着する。
 「地下鉄駅」を出てから、速足で5分程度の距離である。
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 「京阪駅」の近くに、かつて話題となった「京都アニメーション 第一スタジオ」の跡地がある。
 前まで行ってみると、フェンスで囲われていて内部は見えないが、当時の惨劇が偲ばれる。
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 以前の「JR奈良線」のミニ探索で、西にある「六地蔵めぐり 大善寺」を訪れているので、その写真を掲載させていただく。
 「寺門」、「本堂」、「六地蔵堂」である。
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 そして、この時点で、「六地蔵駅」と「京都市営地下鉄東西線」のミニ探索を終了したのであった。

京都市営地下鉄東西線16・石田駅

 京都市右京区の「太秦天神川駅」と、京都府宇治市の「六地蔵駅」を起終点とし、京都市の市街地を横断すると共に山科区を縦断する「京都市営地下鉄 東西線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「太秦天神川駅」から15駅目の京都市伏見区にある「石田駅」周辺のミニ探索である。

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 「石田駅」で下車する。
 駅から上がった交差点に、東南方向に行くと、「親鸞聖人」や「日野富子」で知られる「日野一族」の「日野地区」があり、関連する寺院の案内もある。
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 しかし今回は、「山科川」を渡り、「小栗栖(おぐりす)地区」の探索を行うことにし、北西方向へ進む。
 この「石田駅」周辺は、団地の多い所である。
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 「山科川」を「新小石橋」で渡る。
 川の上流、下流の風景である。
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 進んで行くと、「小栗栖街道」との交差点に出るので、これを右折する。
 そして少し進んだところで、左斜めの脇道へと入る。
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 住宅街の中の少しの登りの道を5分ほど進むと、「明智藪」の石柱が現れる。
 土留擁壁に沿って進んで行くと、「明智藪」が現れる。
 戦国時代、京を護る「明智光秀」と京に攻め上る「羽柴(豊臣)秀吉」の「天王山の戦い」で敗れた「光秀」が逃げる途中で、この付近の農民の落武者狩りに遭って殺害された、とされる謂れがあるところである。
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 その竹槍で突かれているシーンも掲げられている。
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 当時は鬱蒼とした森林であったのであろうが、現在はその北側は、何もない広い場所となっている。
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 「明智藪」の上部には「日蓮本宗 久遠山 本経寺」が建っている。
 16世紀の初めの、「明智藪」事件の前には創建されていた寺院である。
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 江戸時代に、「小栗栖檀林」が開かれたとのことで、その跡地に現本堂が建てられたとのことである。
 また、境内には「明智光秀」の供養塔も建てられている。
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 この辺りは「小栗栖小阪町」という住所地である。
 南方向へ、丘を下って行くと、神社の鳥居が見える。
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 参道石段を昇る。
 正面は社頭の鳥居と社号柱、右手には地区の公会堂が建っている。
 神社の社名は「小栗栖八幡宮」である。
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 鳥居を潜り、更に参道石段を昇る。
 右手に「拝殿」や「神具庫」が見られる。
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 更に石段があるので昇る。
 昇り詰めると、「本殿」拝所である。
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 そして「本殿」が祀られている。
 「本殿」の祭神は、「応神天皇」、「仲哀天皇」、「神功皇后」とされている。
 この神社は、平安時代の創建で、「石清水八幡宮」から分霊を勧請して創建されたとされている。
 また、「本殿」の右手には境内社が祀られている。
 左から、「日吉社」、「大神宮」、「蛭子社」とのことである。
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 尚、戦国時代には、この神社に「小栗栖城」が築かれていたとの説明もある。

 そして、この地点で、小栗栖の見どころを一巡したので、「石田駅」のミニ探索を終了したのであった。

京都市営地下鉄東西線15・醍醐駅

 京都市右京区の「太秦天神川駅」と、京都府宇治市の「六地蔵駅」を起終点とし、京都市の市街地を横断すると共に山科区を縦断する「京都市営地下鉄 東西線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「太秦天神川駅」から14駅目の京都市伏見区にある「醍醐駅」周辺のミニ探索である。

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 「醍醐駅」で下車する。
 駅は「外環状線道路」の地下にある。
 地上へと上がると、大型ショッピングセンターである。
 それを通り抜け、東方向へと進む。
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 団地や住宅街の中を通り抜け、高架道路を潜ると、寺院の門が見えて来る。
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 「世界遺産 真言宗醍醐派総本山 醍醐寺」の「総門」である。
 「西国三十三ヶ所 第十一番」の標柱も建っている。
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 「総門」の左側、右側の塀の様子である。
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 「総門」を潜ると、左手に「三宝院」の寺門、そして国宝の「唐門」が並ぶが、後程として、参道を直進する。
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 参道の先は「仁王門」である。
 「豊臣秀頼」によって再建されたもので、重要文化財の「仁王像」は平安時代末期のの作とのことである。
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 「仁王門」を潜り、拝観受付を済ませて、東へと進む。
 右手に「清瀧宮」の「本殿」、「拝殿」が祀られている。
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 そして左手には、「鐘楼」、そして国宝の「金堂」が祀られている。
 「金堂」は平安時代の建立で、紀伊国から移築されたものとされている。
 そして内部には、本尊の「薬師如来坐像」と日光菩薩、月光菩薩、四天王像が安置されている。
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 「金堂」の斜め向かいには国宝の「五重塔」が聳えている。
 この「五重塔」は、「醍醐天皇」の冥福を祈るために建立されたもので、平安時代中期の建立とされている。
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 「五重塔」の向かい、「金堂」の東側には、「不動堂」、そして内部に金色の涅槃像が祀られている「真如三昧耶堂 」が建っている。
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 それらの東側には、「祖師堂」が祀られ、隣に「旧伝法学院」が建っている。
 「祖師堂」の内部には、「弘法大師」、そして「醍醐寺」開山の「理源大師」が祀られている。
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 更に東へと進む。
 「日月門」がある。
 これより先は、「大伝法院」というエリアである。
 「鐘楼」、そして「西国三十三ヶ所」の札所である「観音堂」が建つ。
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 「観音堂」の東側の池は「弁天池」という。
 池の畔には、「弁天堂」が祀られている。
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 ここから先は「上醍醐」と云う境内となる。
 一時間程度の山登りとなるので、パスして、「総門」の所まで引き返す。

 「三宝院」の境内へと入る。
 正面の「大玄関」で御朱印を頂いて、右手の庭園内へと入る。
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 建物は、「表書院」、「純浄観」と続く。
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 そして庭園である。
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 庭園の向こうには、「唐門」も見える。
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 「三宝院」を出て、南へと進む。
 そこには、「宝聚院(霊宝館)」がある。
 7万5千点の国宝や重要文化財を合わせ、約10万点の文化財が保管されているとのことである。
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 余談であるが、「醍醐寺」は、「豊臣秀吉」の「醍醐の花見」で良く知られている所でもある。

 そして、「下醍醐」を一巡したところで、「醍醐駅」のミニ探索を終了したのであった。

京都市営地下鉄東西線14・小野駅

 京都市右京区の「太秦天神川駅」と、京都府宇治市の「六地蔵駅」を起終点とし、京都市の市街地を横断すると共に山科区を縦断する「京都市営地下鉄 東西線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「太秦天神川駅」から13駅目の京都市山科区にある「小野駅」周辺のミニ探索である。

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 「小野駅」で下車する。
 駅から地上へ上がった所は、「外環状線」が通っている。
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 駅の傍の水路沿いの道を東へと進むと、「奈良街道」と交差するので、これを南へと進む。
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 少し進むと、左手に「真言宗 大本山 随心院」の「総門」があるのでこれを潜って進む。
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 「長屋門」がある。
 その右側の寺門を潜る。
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 「庫裏」の玄関である。
 右手には、「小野小町」の歌碑が建っている。
 『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』という百人一首である。
 また、玄関には「小野小町」を描いた絵画も置かれている。
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 「庫裏」を離れ、南へと行く。
 そこには、「薬医門」とその奥に「表玄関」が見える。
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 その南側には、裏手へと回り込む参道がある。
 「史跡 小野庭園」である。
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 突き当りを左へと進むと、「宝篋印塔」が建ち、そこを右折すると、「文塚」が建っている。
 「文塚」は、「深草少将」をはじめ、多くの貴公子から「小野小町」に寄せられた手紙の束を埋めたとされている。
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 先ほどの突き当りまで戻り、そのまま南へと進む。
 左手に神社がある。
 「清瀧権現宮」である。
 「随心院」の本尊である「如意輪観音」の化身とも云われる「清瀧(せいりゅう)権現」を祀ったものとされている。
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 「薬医門」のところまで戻る。
 向かいには「小野梅園」がある。
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 この「小野」という所は、「小野氏」の本拠地の一つであった。
 「小野氏」は、遣隋使の「小野妹子」や、冥途通いの「小野篁」の一族であり、いくつもの拠点があった。
 この「随心院」は、小野流の開祖として知られる「仁海(にんがい)僧正」が、10世紀に開山したとされている。
 また、絶世の美女と云われる「小野小町」が、宮仕えの後、ここに住まいしたとされている。

 「薬医門」を背にして西へと進むと、左手に「小野小町」の「化粧井戸」もある。
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 「随心院」を一巡した所で、「薬医門」を振り返り、南側の門から退出したのであった。
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 そしてこの地点で、「小野駅」のミニ探索を終了したのであった。

京都市営地下鉄東西線13・椥辻駅

 京都市右京区の「太秦天神川駅」と、京都府宇治市の「六地蔵駅」を起終点とし、京都市の市街地を横断すると共に山科区を縦断する「京都市営地下鉄 東西線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「太秦天神川駅」から12駅目の京都市山科区にある「椥辻(なぎつじ)駅」周辺のミニ探索である。

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 「椥辻駅」で下車する。
 駅の地上は、「外環状線」と「新十条通り」との交差点である。
 この「新十条通り」とは、高速道路の「稲荷山トンネル」を介して、京都市南区の「十条通り」へつながる道路である。
 そしてこの「椥辻」という名称は、この交差点に「椥」の木があることから名付けられたものとされる。
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 「新十条通り」を西へと進む。
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 途中、「山科川」を「椥辻橋」で渡り、進む。
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 少し進み、左側の道路へと入る。
 「中臣遺跡ナイフ形石器発見場所」の看板がある。
 その発見場所は、看板の南の歩道上だとされるが、痕跡はない。
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 その先に公園がある。
 「坂ノ上田村麻呂公園」であり、遊具も備えられている。
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 その公園の奥に、西向きに、「坂上田村麻呂之墓」が祀られている。
 「坂上田村麻呂」は、平安時代の武将で、蝦夷地を平定するために「征夷大将軍」に任命されたことで知られる。
 また、「清水寺」の創建者としても知られている人物である。
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 「新十条通り」に戻り、更に西へと進む。
 しばらく行き右手の通りに入ると、そこには「折上稲荷神社」が鎮座している。
 鳥居を潜り、境内へと入る。
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 正面は、拝殿、本殿である。
 本殿の祭神は、「倉稲魂(うかのみたま)神」、「保食(うけもち)神」、「稚産霊(わくむすび)神」とされている。
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 この「折上稲荷神社」は、伏見の「稲荷大社」と同時期に稲荷神が降りられたとことで、創建は同時期である。
 そして「伏見稲荷大社」の背後の稲荷山を越えた奥に鎮座することから、「奥宮」として創建されたとされている。

 境内左手(北側)の丘陵地には、多くの稲荷社などが祀られている。
 「稲荷塚ご利益めぐり」と云うのだそうである。
 またこの杜を含む周辺一帯は、「中臣群集墳跡」ともされている。
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 また、「三九郎稲荷神社」もある。
 「三九郎」は、稲荷大神を守った三頭の狐のことで、人間が生きて行く上での「三苦労(お金、人間関係、健康)」が報われる神とされている。
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 「開運 腰掛石」と云うのもある。
 江戸時代末期、宮中で多くの女官が病で倒れた折、女官たちがこの神社に祈願し、腰を掛けたところ、病と共に運が開けたとされる石である。
 また、J・P・モルガンの甥と結婚した芸妓である「モルガンお雪」も腰を掛けて御利益を得たともされている。
 これらのことから、この「折上稲荷神社」は「働く女性の守り神」として女性の崇尊を集めているとのことである。
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 そして、神社を一巡したところで、「椥辻駅」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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