fc2ブログ

『田原本町・千代神社(春日神社境内)』

1711IMG_0839.jpg

 奈良県磯城郡田原本町千代に鎮座する式内社「千代(ちしろ)神社」の論社の「千代神社」の社名標柱である。

 この千代神社は、近鉄橿原線笠縫駅の東方200mの国道24号線千代交差点を渡り、東100m程度の所の「春日神社」の境内に鎮座している。

 先ずは春日神社の社頭である。
 社号柱、鳥居が設置されている。
         1711IMG_0838.jpg  1711IMG_0837.jpg

 鳥居を潜ると正面に一対の狛犬が祀られている。
    1711IMG_0840.jpg  1711IMG_0844.jpg  1711IMG_0843.jpg

 その先は拝殿である。
               1711IMG_0842.jpg

 その背後の玉垣の中に本殿が祀られている。
         1711IMG_0855.jpg  1711IMG_0858.jpg
 
 3殿の内、中央には主祭神の春日四神が祀られている。
 手前の左殿は素戔嗚尊(牛頭天王)を祀る八坂神社、そして右殿が千代神社とされている。
 千代神社の祭神は、八千々姫命(やちぢひめのみこと)とされている。

 元々この地には、千代連が創建した千代神社があったが、平安初期の天長年間の寺川の洪水により流失し、下流の大安寺村に漂着し、そこにあった森市神社の末社として祀られた。
 そして明治時代も後半になって、この元の地にも復興され、春日神社の境内社として祀られたと云う経緯を有する。

 尚、3殿の前の両脇に小祠が祀られているが、琴平神社と稲荷神社とされている。

 神社のすぐ横には境内を同じくして寺院がある。
 本光明寺と云う寺号である。
    1711IMG_0835.jpg  1711IMG_0850.jpg  1711IMG_0853.jpg

 元々はこの地には、勝楽寺があったが、明治の神仏分離で廃寺となり、その跡に添上郡から本光明寺が移されたとのことである。

『田原本町・千代神社(森市神社境内)』

1711IMG_0756.jpg

 奈良県田原本町大安寺に鎮座する式内社「千代神社」の論社の一の「千代(ちしろ)神社」が鎮座する「森市神社」の社頭の標柱である。

 森市神社は、近鉄田原本駅の東方1km強の大安寺集落の東南の大安寺池の北西の細長い堤防上に鎮座している。
 神社社頭には、冒頭の標柱の他に鳥居が設置されている。
         1711IMG_0754.jpg  1711IMG_0757.jpg

 鳥居を潜り境内を進むと、先ずは一対の狛犬が祀られている。
         1711IMG_0761.jpg  1711IMG_0760.jpg

 その先は拝殿である。
 拝殿の奥には左に千代神社、右に少し大きめの本殿が並んで祀られている。
    1711IMG_0759.jpg  1711IMG_0765.jpg  1711IMG_0764.jpg
 千代神社の祭神は、機織りの神である八千々姫命(やちぢひめのみこと)、本殿の祭神は生雷命(いくいかづちのみこと)とされている。

 尚、千代神社は東の十市郡八条村にあったが、平安時代初期の天長年間に洪水で社殿流失し、大安寺村に漂着したので、この地に祀られて森市神社の境内社になったと云われている。

 境内の東北隅には地蔵を祀る祠があり、神社の東南側は大安寺池となっている。
         1711IMG_0767.jpg  1711IMG_0770.jpg

『田原本町・鏡作伊多神社(保津)』

1711IMG_0511.jpg

 奈良県磯城郡田原本町保津に鎮座する式内社「鏡作伊多神社」の論社である「鏡作伊多神社(保津)」の拝殿の社名額である。

 この保津の鏡作伊多神社は、先の宮古の同名神社の南にあり、通りを挟んだ保津環濠集落の中に鎮座している。
    1711IMG_0499.jpg  1711IMG_0498.jpg  1711IMG_0500.jpg

 環濠の東南の濠が縊れた部分に神社への参道口がある。
 ここには、太神宮の灯篭があり、コスモスの花畑も時節柄綺麗である。
         1711IMG_0503.jpg  1711IMG_0523.jpg

 参道は西へと進んで行く。
 突き当りの南側が社頭となっていて、少しの奥に北向きに鳥居が建つ。
    1711IMG_0522.jpg  1711IMG_0504.jpg  1711IMG_0506.jpg

 鳥居の直ぐ先には一対の狛犬、そして境内である。
    1711IMG_0508.jpg  1711IMG_0507.jpg  1711IMG_0519.jpg

 境内の南に西向きで拝殿が設けられていて、冒頭の社名額が掛けられている。
               1711IMG_0509.jpg

 その背後は本殿である。
 本殿は、北本殿、南本殿の春日造の2棟が祀られている。
         1711IMG_0513.jpg  1711IMG_0517.jpg
 本殿の祭神は、石凝姥命(いしこりとめのみこと、石許利止賣命)で、先の宮古の神社と同一神である。

 尚、境内の説明図によると、かつての鏡作伊多神社の鎮座地は保津環濠の東の伊多敷であったとされている。
               1711IMG_0521.jpg

『田原本町・鏡作伊多神社(宮古)』

1711IMG_0475.jpg


 奈良県磯城郡田原本町宮古に鎮座する式内社「鏡作伊多神社」の論社の「鏡作伊多神社」の説明板である。
 
 神社は、近鉄田原本駅の北西方向600~700mの所の池の傍に鎮座する。
         1711IMG_0472.jpg  1711IMG_0547.jpg

 鏡作伊多神社にはもう一社、南の保津環濠集落の中に同名の神社が鎮座していて、同じく論社とされている。

 神社への入り口は池に面して二ヶ所ある。
 一ヶ所には鳥居、他方には注連縄柱が設けられている。
         1711IMG_0474.jpg  1711IMG_0476.jpg

 鳥居の方を潜ると、一対の狛犬が配されている境内となる。
    1711IMG_0478.jpg  1711IMG_0490.jpg  1711IMG_0491.jpg

 正面は横向きの拝殿本殿である。
 拝殿正面へと回り、参拝を行う。
         1711IMG_0494.jpg  1711IMG_0484.jpg

 拝殿の背後には本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、石凝姥命(いしこりとめのみこと)である。
         1711IMG_0497.jpg  1711IMG_0485.jpg

 神社の「伊多」とは、銅や鉄などの金属の板のことであるとされる。
 この辺りで鏡作部が金属を溶かし、板状に注型し、その板を鍛錬したものと考えられている。

 また、神社前の池は、江戸中期まで田畑であり、伊多の坪と云われていたものを池にしたとのことである。
 池の対岸から見た神社の杜である。
               1711IMG_0547.jpg

 境内には境内社が祀られている。
 本殿の左手に、水乃神社、住吉神社の合祀社である。
         1711IMG_0479.jpg  1711IMG_0481.jpg

 更に、拝殿の右手前に、稲荷神社が祀られている。
         1711IMG_0487.jpg  1711IMG_0488.jpg

 池の周辺の街道には太神宮の灯篭がある。
 そして、同様の神社が鎮座する南側の保津集落へ至る道から眺めた神社の杜である。
         1711IMG_0546.jpg  1711IMG_0527.jpg

『田原本町・鏡作麻氣神社』

1711IMG_0619.jpg

 奈良県磯城郡田原本町小阪に鎮座する式内社「鏡作麻氣(かがみづくりまけ)神社」の社頭の社号柱である。

 鎮座地は、先の鏡作天照御魂神社の東方、下ツ道の直ぐに東を流れる寺川を渡り、国道24号線に出て、少し北上した西側である。

 国道から神社の杜が見える。
               1711IMG_0642.jpg

 神社の社頭には、冒頭の標柱の他、鳥居が建っている。
    1711IMG_0618.jpg  1711IMG_0620.jpg  1711IMG_0623.jpg

 鳥居を潜ると正面は一対の狛犬と拝殿である。
    1711IMG_0627.jpg  1711IMG_0625.jpg  1711IMG_0624.jpg

 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は、天麻比止都命(あまのひとつねのみこ)とされ、鍛冶に関わる「天目一 箇命(あめのまひとつのみこと)」と同一神とされている。
               1711IMG_0632.jpg

 境内には、鏡池、金毘羅大権現などが祀られている。
         1711IMG_0641.jpg  1711IMG_0629.jpg

 また、小祠も祀られている。
 祠は、白山社、的場社と云われている。
         1711IMG_0628.jpg  1711IMG_0635.jpg
 
 神社拝殿の隣には観音堂が建っている。
 かつての神宮寺であった観音寺の堂宇とのことで、神仏習合の名残である。
         1711IMG_0633.jpg  1711IMG_0636.jpg

『田原本町・鏡作坐天照御魂神社』

1711IMG_0566.jpg

 奈良県磯城郡田原本町八尾に鎮座する式内社大社の「鏡作坐天照御魂神社」の社号柱である。

 神社は、近鉄田原本駅の北東方向にあり、神社の東側には古代の街道「下ツ道」が通っている。
         1711IMG_0609.jpg  1711IMG_0614.jpg

 神社の社頭には、冒頭の標柱と朱塗りの鳥居が建てられている。
 そして鳥居を潜ると、参道が奥へと続く。
    1711IMG_0567.jpg  1711IMG_0568.jpg  1711IMG_0570.jpg

 正面の拝殿の手前に一対の狛犬が祀られている。
         1711IMG_0580.jpg  1711IMG_0582.jpg

 そして拝殿である。
         1711IMG_0575.jpg  1711IMG_0584.jpg

 拝殿の奥には3連の本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、中央に天照国照日子火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)、右に石凝姥命(いしこりとめのみこと)、天糠戸命(あめのぬかとのみこと)とされている。
 更に、本殿脇には若宮社が祀られている。

    1711IMG_0590.jpg  1711IMG_0587.jpg  1711IMG_0586.jpg

 この神社は、この地を本拠とする鏡作部が、10代祟神天皇の頃、神鏡と祖神を祀る神社を創建したのが始まりとされている。

 そのほか境内には、境内社が祀られている。
 左から、鍵取神社、笛吹神社、愛宕神社、狭依姫神社である。
    1711IMG_0577.jpg  1711IMG_0591.jpg  1711IMG_0605.jpg

 境内には、神仏習合の名残の鐘楼、明治に開学した八尾小学校の校舎とされる鏡会館がある。
         1711IMG_0597.jpg  1711IMG_0603.jpg

 更に、、参道には鏡石が祀られている。
 この石は、鏡製作の最終の研磨工程で、鏡を固定する冶具で、後ろの池の中から出土されたものとされている。
         1711IMG_0571.jpg  1711IMG_0574.jpg

『田原本町・池坐朝霧黄幡比賣神社』

1711IMG_0720.jpg

 奈良県磯城郡田原本町法貴寺に鎮座する式内社大社の「池坐朝霧黄幡比賣(いけにますあさきりきはた)神社」の社頭の社号柱である。
 場所は、田原本町の東部の大和側の左岸(西側)で、国史跡の唐古・鍵遺跡の東南方向である。

 住所の法貴寺という名称からして、古代の豪族である秦氏が氏寺として法貴寺という大寺院を創建し、その鎮守社としてこの神社を合わせ創建したとされている。

 神社は西向きである。
 社頭には、冒頭の標柱の他、鳥居が建てられている。
         1711IMG_0717.jpg  1711IMG_0719.jpg

 鳥居を潜ると参道となり、正面に拝殿が祀られている。
         1711IMG_0721.jpg  1711IMG_0722.jpg

 拝殿の手前には一対の狛犬が祀られている。
         1711IMG_0726.jpg  1711IMG_0725.jpg

 拝殿の拝所の先には本殿を望むことができる。
         1711IMG_0727.jpg  1711IMG_0728.jpg
 本殿の祭神は、天萬栲幡千々比売命(あめのよろずたくはたちぢひめのみこと)、並びに菅原道真公である。
 菅原道真公は、10世紀になってからの勧請・合祀である。
 また、栲幡千々比売は天照大神の子の天忍穂耳の妃となり、饒速日尊と瓊瓊杵尊を産んだとされる神である。
 また織物の神である栲幡千々比売命は養蚕を主業とする秦氏が祀るにふさわしい神でもある。

 本殿を方向を変えて眺めてみると、下の様である。
    1711IMG_0729.jpg  1711IMG_0732.jpg  1711IMG_0735.jpg

 本殿玉垣の中の、本殿の左右に小祠が祀られているが、良くは見えないのでパスをする。

 玉垣外の左手に3社、波知久麻明神社、市杵嶋神社、琴比羅神社、右手に2社、須佐男神社、事代主神社が祀られている。
         1711IMG_0731.jpg  1711IMG_0730.jpg

 また境内の隣には、寺院もある。
 法貴寺の唯一残されている塔頭の千万院である。
 また境内には、社号の石碑も建てられている。
         1711IMG_0733.jpg  1711IMG_0739.jpg

 神社の境内を東に出ると、そこには大和川が流れている。
 堤防上の道路には、太神宮灯篭も建てられている。
         1711IMG_0734.jpg  1711IMG_0738.jpg

『田原本町・村屋坐彌富都比賣神社』

1711IMG_0826.jpg

 奈良県磯城郡田原本町蔵堂に鎮座する式内社大社の「村屋坐彌富都比賣(むらやにますみふつひめじんじゃ)の参道の社号標柱である。

 神社の場所は、古代の街道中ツ道と大和川が交差するところの西側で、参道は南から続いている。
         1711IMG_0785.jpg  1711IMG_0834.jpg

 参道には、先ずは一ノ鳥居、そして二ノ鳥居と冒頭の社号柱が建っている。
         1711IMG_0830.jpg  1711IMG_0829.jpg

 参道を進むと正面が拝殿であるが、その前には一対の狛犬が祀られている。
    1711IMG_0798.jpg  1711IMG_0800.jpg  1711IMG_0799.jpg

 拝殿の向こうは、幣殿そして2連の本殿が祀られている。
    1711IMG_0812.jpg  1711IMG_0813.jpg  1711IMG_0814.jpg
 主祭神は、三穂津姫命、配祀は大物主命である。
 三穂津姫命は大物主の妃と云われ、大物主命を祀る大神神社の別宮とも云われている。
 尚、三穂津姫命は彌富都比賣とも云われ、神社の社名ともなっている。

 この神社の境内には、他に三社の式内社が祀られている。

 式内社「村屋神社」
 経津主神、武甕槌神、室屋大連神、大伴健持大連神を祀る神社で、元は春日神2神であったが、壬申の乱の功により、大連神2神が追加されたと云われている。
 元は現在地の東の川辺、字宮ノ山に鎮座していたが、戦国時代の兵火のため、この地に遷座したと云われている。
         1711IMG_0818.jpg  1711IMG_0816.jpg

 式内社「服部神社」
 祭神は、天之御中主命、天之御鉾命である。
 元は大安寺カキノモリに鎮座していたが、村屋神社と同様に兵火のため、にかかり、この地に遷座したと云われている。
         1711IMG_0806.jpg  1711IMG_0808.jpg

 式内社「久須須美神社」
 祭神は、天之久之比命・事代主命である。
 元は現在地の東の川辺の恵比須山に鎮座していたが、江戸時代の末期に現在地に遷座したと云われている。
         1711IMG_0801.jpg  1711IMG_0804.jpg

 更に、式内社ではないが「物部神社・市杵島神社」が祀られている。
 祭神は、炊屋姫命、宇麻志摩遅命、物部守屋大連である。
         1711IMG_0795.jpg  1711IMG_0797.jpg

 尚この神社では、壬申の乱の功を後世に伝えるために、このとき功のあった三神社を回る御渡が例祭にて行われていたとのことである。
 その三神とは、現在は境内に祀られる村屋神社、久須須美神社、並びに西北方向約600mに鎮座し生雷神を祀る森市神社である。

『生駒市・伊弉諾神社』

1711IMG_2974.jpg

 奈良県生駒市上町の国宝本堂の「長弓(ちょうきゅう)寺」の境内に鎮座する式内社大社の「伊弉諾(いざなぎ)神社」の標柱である。

 長弓寺への最寄りは、バスの運転本数を考えると、近鉄奈良線の学園前駅からのバス便を利用し、寺の上の高台の「真弓四丁目」が便利である。
 バス停から住宅街の中を歩き、長弓寺への道を下り、5分ぐらいで寺へと到着する。
    1711IMG_3029.jpg  1711IMG_2969.jpg  1711IMG_3022.jpg

 寺の境内は下図の如しである。
 目的の伊弉諾神社は正面参道の右手(東側)に鎮座している。
1711IMG_3003.jpg

 神社の社頭には冒頭の案内標柱が建ち、牛頭天皇社の灯篭も建てられている。
 伊弉諾神社は、長弓寺の鎮守社として創建され、江戸時代までは牛頭天皇社と呼ばれてきたことを示している。
         1711IMG_2973.jpg  1711IMG_2975.jpg

 神社境内の正面には、舞台が設けられている。
 その先は石段となり、中門・拝殿が設けられている。
         1711IMG_2977.jpg  1711IMG_2978.jpg

 その先は本殿である。
    1711IMG_2979.jpg  1711IMG_2990.jpg  1711IMG_2992.jpg
 本殿の祭神は、伊邪那岐命、素盞嗚命、大己貴(おおなむち)命の3柱である。

 尚、本殿前に一対の狛犬が祀られている。
         1711IMG_2982.jpg  1711IMG_2981.jpg

 本殿の左手に境内社が祀られている。
 3社で、厳島神社と熊野神社の合祀社、そして素盞嗚神社である。
         1711IMG_2985.jpg  1711IMG_2988.jpg

 長弓の境内も、今は紅葉が見事である。
 そして国宝本殿、手前のまゆみの鐘である。
    1711IMG_3016.jpg  1711IMG_2995.jpg  1711IMG_3006.jpg

 長弓寺の創建は聖武天皇の奈良時代である。
 一説によれば、小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)という人物が聖武天皇に随行して狩りに出た。
 同行していた長弓の息子の長麻呂が不思議な鳥が飛び立つのを見て矢を放ったところ矢は誤って長弓に当たり、死んでしまった。
 不運な長弓父子を哀れんだ聖武は僧行基に命じて長弓寺を建立させたとのことである。

 長弓寺の本堂の辺りから伊弉諾神社を望んだもので、拝殿本殿が見える。
               1711IMG_3001.jpg

『大和郡山市・菅田比賣神社』

1711IMG_0235.jpg

 奈良県大和郡山市筒井町に鎮座する式内社「菅田比賣(すがたひめ)神社」の社頭の社号標柱である。
 
 神社の鎮座地は、近鉄橿原線筒井駅の東方で、戦国時代の筒井順慶が築城した筒井城の土地の一角である。
 城跡の奥に見える杜が神社の鎮座地である。
         1711IMG_0264.jpg  1711IMG_0262.jpg

 神社の社頭には、冒頭の標柱と玉垣があり、参道を少し行くと鳥居が建つ。
 そして参道を右折すると広い境内である。
    1711IMG_0234.jpg  1711IMG_0236.jpg  1711IMG_0253.jpg

 正面には一対の狛犬、そして割拝式拝殿が祀られている。
    1711IMG_0240.jpg  1711IMG_0241.jpg  1711IMG_0252.jpg

 拝殿の先の一段と高い所に本殿が祀られている。
         1711IMG_0249.jpg  1711IMG_0250.jpg
 本殿の祭神は、伊豆能賣神(いずのめのかみ)とされている。
 
 しkし、この神社が八条町の菅田神社と対となる神社とされていることから、菅田神社が菅田首の祖神である菅田比古神を祀っているので、こちらははその妃神である菅田比賣神を主祭神とし、併せて菅田比古神の二座を祀ったと云うのが妥当であろう。

 尚、かつての神社の鎮座地は北方の篠田・北篠田の辺りで、現在の筒井小学校の前とされている。

 本殿両横には境内社四社が祀られている。
 先ずは春日神社、高良神社、加茂神社の3社である。
    1711IMG_0243.jpg  1711IMG_0244.jpg  1711IMG_0246.jpg

 そして、残りの一社は八幡神社である。
         1711IMG_0247.jpg  1711IMG_0248.jpg

 他にも境内社として、社頭からの参道の突き当りに稲荷神社が祀られている。
         1711IMG_0238.jpg  1711IMG_0239.jpg

『大和郡山市・菅田神社』

1711IMG_2915.jpg

 奈良県大和郡山市八条町に鎮座する式内社の「菅田(すがた)神社」の社号標柱である。

 菅田神社の参道入り口は、古代の街道「下ツ道」に面していて、場所は近鉄天理線二階堂駅の北である。
 (下図の左が北方向)
1711IMG_2908.jpg

    1711IMG_2906.jpg  1711IMG_2907.jpg  1711IMG_2910.jpg

 参道入り口には、冒頭の標柱に加えて大鳥居や灯篭が建つ。
    1711IMG_2911.jpg  1711IMG_2913.jpg  1711IMG_2914.jpg

 また灯篭には、「一夜松社」とも記されている。
         1711IMG_2918.jpg  1711IMG_2919.jpg

 参道入り口は八条集落の東側にあり、参道は集落の南を直線的に進み、集落西の神社の森へと到達する。
 また、途中左手に、御旅所も設けられている。
    1711IMG_2917.jpg  1711IMG_2921.jpg  1711IMG_2923.jpg

 社殿は南向きである。
 境内左手には抜戸大神が祀られている。
         1711IMG_2928.jpg  1711IMG_2951.jpg

 境内正面には一対の狛犬が祀られている。
         1711IMG_2932.jpg  1711IMG_2933.jpg

 そして、割拝式の拝殿である。
 拝殿の参道部には、一夜松が保存されている。
    1711IMG_2953.jpg  1711IMG_2931.jpg  1711IMG_2934.jpg
 一夜松とは、昔、女神が二階堂の「菅田池」から現れ、八条町の神楽田の所でしばらく休んでから、そこから西の方へ行って鎮座した。するとそこが一夜にして鬱蒼とした松林になったとの説話からきている。
 また、神社は江戸時代には「一夜松天神」とも呼ばれたとのことである。

 拝殿の先は本殿である。
    1711IMG_2935.jpg  1711IMG_2941.jpg  1711IMG_2948.jpg
 本殿の祭神は菅田比古命で、天目一筒神  (あめのまひとつのかみ)とも云われ、菅田首が祖神を祀ったものとされている。

 また、本殿前には天満宮御神前の灯篭も設置されている。
               1711IMG_2949.jpg

 本殿の左手には境内社が祀られている。
 厳島神社、春日神社、皇大神宮である。
    1711IMG_2939.jpg  1711IMG_2942.jpg  1711IMG_2947.jpg

『香芝市・鹿島神社』

1711IMG_0403.jpg

 奈良県香芝市下田西に鎮座する「鹿島神社」の社名標柱である。
 この鹿島神社は、式内社「深溝神社」の論社との説がある神社である。

 鎮座地は、近鉄大阪線の下田駅前の国道165号線を挟んで直ぐの北である。
 社頭には鳥居が建ち、直ぐに境内となる。
         1711IMG_0401.jpg  1711IMG_0402.jpg

 境内正面は社殿であるが、その前面に狛犬が祀られている。
         1711IMG_0406.jpg  1711IMG_0405.jpg

 そして拝殿が祀られている。
         1711IMG_0404.jpg  1711IMG_0407.jpg

 その奥は本殿であるが、木々に包まれていて良くは見えない。
               1711IMG_0408.jpg
 本殿の祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)で、中世に常陸国の鹿島神宮から勧請したと云われている。

 その経緯は、平治の乱にて源義朝が平清盛に敗れ、東国へ敗走中に義朝は暗殺されたが、筆頭家臣の子であった鎌田政光はかろうじて難を逃れ、常陸国鹿嶋神宮に辿り着いた。
 そして源氏の再興を祈願し参籠したところ、満願の夜の夢に老翁が現れ「庚子の年に源氏栄え、汝の福は西にあり」との御神託により、武甕槌命の分霊を奉じ西方へと向った。
 この地、大和の下田の里で夕暮れとなり、土手で野宿し、翌朝この地の景色が極めて鹿嶋に似ていた為、懐かしく思いここに小祠を建て鹿嶋大明神を祀ったのが創紀と云われている。

 式内社「深溝神社」との関係は不明であるが、すでに神社が祀られていて、そこに武甕槌命を合祀したと考えるのが妥当であろう。

 鹿島神社には、ほかに絵馬殿、神具庫、社務所などがあり、境内社などは見当たらない。
               1711IMG_0409.jpg

『大和高田市・石園座多久虫玉神社』

1711IMG_2516.jpg

 奈良県大和高田市片塩町に鎮座する式内社並大社の「石園座多久虫玉(いそのにますたくむしたま)神社」の社頭の社号柱である。

 神社は、近鉄南大阪線の高田市駅の北に鎮座する。
 また、社頭は大和郡山から五条へ向かう下街道に西面している。
1711IMG_2535.jpg

 また、神社の北側を通る道は三輪山と二上山を結ぶ古代の道「横大路」で、三輪山の大神神社を「龍の頭」、当麻の長尾神社を「龍の尾」とし、この神社を「龍の胴」とされる伝承がある。
 このことから、この神社は「龍王宮」とも呼ばれる。

 社頭には標柱の他に鳥居が建っている。
 また玉垣の中に「安寧天皇片塩浮孔宮趾」の標柱も建ち、この神社が宮跡に建てられた神社であることを示している。
    1711IMG_2514.jpg  1711IMG_2515.jpg  1711IMG_2536.jpg

 正面の鳥居を潜ると正面に社殿が祀られている。
 先ずは拝殿前の一対の狛犬である。
         1711IMG_2522.jpg  1711IMG_2521.jpg

 そして拝殿、その奥に本殿が祀られている。
         1711IMG_2519.jpg  1711IMG_2520.jpg

         1711IMG_2523.jpg  1711IMG_2524.jpg
 本殿の祭神は、北殿に建玉依比古命(たけたまよりひこのみこと)、南殿に建玉依比売命(たけたまよりひめのみこと)である。
 そして相殿に、豊玉比古命(とよたまひこのみこと)、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)が配祀されている。

 神社の創建は、笠や冠への飾り物の制作を業とした爪工連が、その祖神を祀ったものとされる。
 そして当初の祭神は、多久豆玉比古命、多久須玉依比売命とも云われる。

 また境内の北に、鳥居が建ち玉垣で区切られた中に境内社にとして5祠が祀られている。
         1711IMG_2532.jpg  1711IMG_2533.jpg

 その5社、東から、稲荷社、恵比須社、白龍社が並ぶ。
    1711IMG_2526.jpg  1711IMG_2527.jpg  1711IMG_2528.jpg

 引き続いて、笠神明神、金刀比羅社である。
         1711IMG_2530.jpg  1711IMG_2531.jpg

 尚、この地は静御前ゆかりの地である。
 源頼朝に追われるようになった静御前は、母の故郷であるこの磯野に帰ってきたが病気となり、笠神明神に祈ったと云われる。
 その明神が境内に移されていて、境内社の1社となっている。

『奈良市・登彌神社』

1711IMG_0293.jpg

 奈良県奈良市石木町に鎮座する式内社「登彌(とみ)神社」の社頭の標柱である。

 登彌神社の鎮座地は、近鉄橿原線の九条駅の西方約1.5kmで、奈良市の西部を南北に流れる富雄川の左岸の小高い山の南西麓である。

 社頭には、標柱、一ノ鳥居、そして木島大明神と刻された灯篭設けられている。
    1711IMG_0268.jpg  1711IMG_0269.jpg  1711IMG_0271.jpg

 鳥居の先は石段参道である。
 参道途中には二ノ鳥居が設けられ、石段は更に続く。
         1711IMG_0273.jpg  1711IMG_0275.jpg

 石段を昇り詰めると境内である。
 境内には先ずは拝殿が祀られている。
         1711IMG_0276.jpg  1711IMG_0278.jpg

 拝殿の先は、瑞垣に囲まれた本殿である。
    1711IMG_0288.jpg  1711IMG_0279.jpg  1711IMG_0281.jpg
 2つの本殿が祀られ、右手の東本殿の祭神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、左手の西本殿は神皇産霊神(かみむすびのかみ)、登美饒速日命(とみのにぎはやひのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。

 神武天皇東征の際、大和平定に功があった饒速日命の子孫の登美連が、この地に祖神と天地地祇を祀ったのが創建とされている。

 本殿横には境内社が並んでいる。
 左側には2社、左から比良田神社、荒神神社である。
 右側には3社、左から豊穂神社、山室神社、祓殿社である。
         1711IMG_0286.jpg  1711IMG_0287.jpg

 この神社には粥占いという神事が催される。

 2月1日の早朝から、米、小豆と青竹の筒37本を束ねたものを湯釜で炊き、一時間余りで竹筒を引き上げ、農作物の品目ごとに竹筒を小刀で割り、粥の入り具合でその年の作柄の良否を占うものとのことである。
               1711IMG_0277.jpg

『大和郡山市・矢田坐久志玉比古神社』

1711IMG_0312.jpg

 奈良県大和郡山市矢田町に鎮座する式内大社の「矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社」の社頭の標柱である。

 場所は近鉄大和郡山駅や郡山城跡からの西、2km強の所の集落の中で、矢田小学校の直ぐ西のところである。

 神社社頭は南向きである。
 石段の先には一ノ鳥居が建てられている。
 鳥居を潜ると、右手に「矢落社」の灯篭、左手に「ニ之矢塚」が祀られている。
    1711IMG_0313.jpg  1711IMG_0301.jpg  1711IMG_0308.jpg

 その先は神門である。
 神門には、航空祖神として木製プロペラが掲げられている。
         1711IMG_0310.jpg  1711IMG_0311.jpg

 神門を潜ると二ノ鳥居が建てられ、そして拝殿が祀られている。
    1711IMG_0309.jpg  1711IMG_0306.jpg  1711IMG_0305.jpg

 拝殿の先は一段と高い玉垣の中に本殿が祀られている。
 中央には室町時代建築の本殿、左手には鎌倉時代建築の八幡神社、そして右手には若宮神社が祀られている。
               1711IMG_0304.jpg
 本殿の祭神は、櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)、御炊屋姫命(みかしやひめのみこと)とされている。 
 尚、本殿、八幡神社共に重要文化財に指定されている。
 また神社は、この矢田部に居住した矢田首が祖神を祀ったのが創建とされている。

 矢田坐久志玉比古神社には、謂れがある。
 この神社が矢落神社と云われるのは、饒速日命の天降りの時、三本の矢を射て、一の矢が落ちたところが神社となったとのことである。
 また、二の矢の落ちた所が、上掲の「二之矢塚」とのことである。
 
 更に航空神社と云われるのは、「天磐船に乗りて大空を翔行り」の古事に基づくものとのことである。

『奈良市・夜支布山口神社』

1711IMG_2634.jpg

 奈良県奈良市大柳生町に鎮座する式内社の「夜支布山口(やぎうやまぐち)神社」の社号柱である。

 場所は、奈良市の高畑町から柳生・月ヶ瀬へと向かう柳生街道沿いの左手に境内への参道石段が設けられ、その上部に鳥居が見える。
    1711IMG_2631.jpg  1711IMG_2629.jpg  1711IMG_2633.jpg

 鳥居を潜るとその正面には拝殿が祀られている。
    1711IMG_2635.jpg  1711IMG_2636.jpg  1711IMG_2637.jpg

 拝殿の先には、本殿瑞垣の前に一対の狛犬が祀られている。
         1711IMG_2642.jpg  1711IMG_2643.jpg

 そして、朱塗りの瑞垣の中には本殿が祀られている。
         1711IMG_2644.jpg  1711IMG_2640.jpg
 本殿の祭神は素戔鳴命である。

 元々は大字上出の山口に鎮座してたのを、上出の神野の現在地に遷宮されたものされている。

 境内には、多くの境内社が祀られている。
 その内の4社、戸隠神社、御年神社、そして宗像神社と白山神社である。
    1711IMG_2646.jpg  1711IMG_2663.jpg  1711IMG_2656.jpg

 もう一社の重要な境内社が祀られている。
 国の重要文化財の「立盤(たていわ)神社」である。
         1711IMG_2670.jpg  1711IMG_2650.jpg

 立盤神社は古代からこの地に、磐座を祀る神社として崇敬されてきている。
 そして江戸時代の中頃に、本殿として春日大社の第四本殿が移されたとされている。
    1711IMG_2651.jpg  1711IMG_2669.jpg  1711IMG_2665.jpg

 本殿の祭神は、天手力男命(あめのたぢからをのみこと)である。
 天手力男命は天照大神が天岩戸に隠れた時、その岩戸を怪力で引き開けた神とされている。

『奈良市・五百立神社』

1711IMG_2752.jpg

 奈良市雑司町、東大寺の境内に鎮座する式内社の「五百立(いおだて)神社」の参道入り口の石標である。
 「鐵道供養塔」とも併記されている。
 
 場所は東大寺の南大門を潜り、大仏殿の入り口の中門の左手前の五百立山の東麓に祀られている。
         1711r8WaqcyCiZqPZda1510605400_1510605450.jpg  1711TQ1LE6Sr5Cx6aLq1510605197_1510605244.jpg

1711IMG_2740.jpg

 参道は五百立山へと向かう。
               1711IMG_2753.jpg

 少し上ったところの左手に朱塗りの鳥居と祠が祀られているのが五百立神社である。
    1711IMG_2755.jpg  1711IMG_2754.jpg  1711IMG_2762.jpg

 創建の経緯・由緒・祭神は不明であるが、祭神は天富命 (あめのとみのみこと)との説もある。

 神社は五百余所社とも云われる。
 中世の絵巻などには、大仏殿創建に従事した五百余人の工匠が、工事が完成すると五百羅漢となって天空高く飛び立ち、姿を消したと云う説話もある。

 神社は元々は、五百立山の山頂に鎮座していたが、昭和の時代になって山頂に鉄道職員殉職者供養塔が建立されたため、現地に遷座されたと云われている。

 その山頂へ行ってみると、確かに十三重の石塔が建てられている。
    1711IMG_2757.jpg  1711IMG_2761.jpg  1711IMG_2758.jpg

『奈良市・氷室神社』

1711IMG_2714.jpg

 奈良県奈良市春日野町に鎮座する「氷室神社」の社頭の社名標柱である。
 氷室神社は式内社「高橋神社」の論社とされる神社である。

 神社の鎮座地は、近鉄奈良駅から登大路を奈良公園方向へ、県庁を左に見て進み、正倉院展開催中の国立博物館の向かい側である。
    1711IMG_2707.jpg  1711IMG_2708.jpg  1711IMG_2710.jpg

 社頭には冒頭標柱に加え、朱塗りの鳥居が建てられ、参道右手には鏡池がある。
    1711IMG_2716.jpg  1711IMG_2715.jpg  1711IMG_2732.jpg

 参道は、石畳から石段となり、両側に一対の狛犬が祀られている。
    1711IMG_2717.jpg  1711IMG_2720.jpg  1711IMG_2718.jpg

 石段を昇り詰めたところには四脚の神門、そして両側に回廊が設けられている。
         1711IMG_2719.jpg  1711IMG_2727.jpg

 神門を潜ると、拝殿/舞殿が祀られ、脇には氷柱も置かれている。
               1711IMG_2730.jpg

 拝殿の先は三間社流造檜皮葺の本殿でが祀られている。
    1711IMG_2721.jpg  1711IMG_2728.jpg  1711IMG_2725.jpg
 祭神は、闘鶏稲置大山主命(つげのいなぎおおやまぬしのみこと)、大鷦鷯命(おおささぎのみこと)、額田大仲彦命(ぬかたのおおなかつひこのみこと)である。

 氷室神社は、元々はその社名のごとくに、春日山中に祀られ、氷を平城宮中に献上した神社である。
 そして、平安遷都後の清和天皇のときに、現在の地に遷座されたと云われている。

 本殿の右手には、境内社の舞光社、更には仁徳天皇の歌碑が建てられている。
         1711IMG_2723.jpg  1711IMG_2724.jpg

『奈良市・御前原石立命神社』

1711IMG_9957.jpg

 奈良県奈良市古市町に鎮座する式内社「御前原石立命(みさきはらいわたてのみこと)神社」の社名標柱である。
 神社は、奈良市南部の古市町の東市小学校と道路を挟んだ北側に西面して鎮座している。

 社頭の玉垣の向こうには石段があり、その上は割拝式の拝殿である。
         1711IMG_9986.jpg  1711IMG_9960.jpg

 拝殿の向こうは更に石段である。
 石段の両側には一対の狛犬が祀られている。
    1711IMG_9963.jpg  1711IMG_9966.jpg  1711IMG_9965.jpg

 その先には鳥居が建ち、そして朱塗りの瑞垣の本殿である。
    1711IMG_9967.jpg  1711IMG_9968.jpg  1711IMG_9969.jpg

 瑞垣の内側には、中央に御前原石立命を祀る本殿、左殿は天児屋根命を祀る春日神社、右殿は崇道天皇(早良親王)を祀る御霊神社が鎮座している。
    1711IMG_9972.jpg  1711IMG_9970.jpg  1711IMG_9973.jpg

 この神社の創建については不明であるが、祭神の御前原石立命は古市町の鎮守の神であるとのことである。

 境内には境内社が5社祀られている。
 先ずは、五社明神社、龍王神社、巽神社である。
    1711IMG_9980.jpg  1711IMG_9978.jpg  1711IMG_9974.jpg

 そして、西之宮神社、三寶荒神社である。
         1711IMG_9976.jpg  1711IMG_9961.jpg

『奈良市・嶋田神社』

1711IMG_0454.jpg

 奈良県奈良市八島町に鎮座する式内社「嶋田神社」の社頭の社名標柱である。

 神社は、平安初期の長岡京の時代に、藤原種継暗殺に連座した疑いを掛けられ廃皇太子となり、淡路島に流され薨去し、後に崇道(すどう)天皇と追号された早良(さわら)親王を祀る崇道天皇八島陵の東約300mの所の田園地域の中にある。

 この神社は、八島陵に創建された崇道天王社と、神武天皇の皇子の神八井耳命(かむやいみみのみこと)の後裔の仲臣子が、尾張国島田の悪神征伐に功があったとして島田姓を賜り、祖神を祀った島田神社が明治時代に合祀されたものである。

 神社正面には冒頭の社号柱、灯篭、割拝式の拝殿が祀られ、拝殿を潜ると、崇道天王社の灯篭も移設されている。
         1711IMG_0455.jpg  1711IMG_0464.jpg

 そして正面玉垣の中に本殿が祀られている。
    1711IMG_0456.jpg  1711IMG_0458.jpg  1711IMG_0462.jpg
 本殿の祭神は、神八井耳命、並びに崇道天皇(早良親王)である。

 この本殿は、宝永年間に建造され春日大社の式年造替に従い払い下げられたもので、享保年間に崇道天皇社本殿として現八島陵の位置に移築され、合祀に伴って嶋田神社本殿として移築されたものとされていて、奈良市指定文化財でもある。

 本殿前には一対の狛犬も祀られている。
         1711IMG_0460.jpg  1711IMG_0459.jpg

 また境内社として、春日神社、金神社、天照大神社(二社並んだ右側)が祀られている。
         1711IMG_0467.jpg  1711IMG_0468.jpg

『奈良市・赤穂神社』

1711IMG_9992.jpg

 奈良県奈良市高畑町に鎮座する式内社「赤穂神社」の社名標柱である。
 高畑町と云えば、志賀直哉の旧邸で知られるが、その旧邸と南にある奈良教育大学との間の地に神社は鎮座する。

 ブロック塀の間に冒頭の標柱が覗き、社家が並んでいる。
               1711IMG_9996.jpg

 神社境内の社殿として、拝所そして本殿二座が祀られている。
    1711IMG_9989.jpg  1711IMG_9993.jpg  1711IMG_9994.jpg

 祭神は、右殿が天児屋根命、左殿が天満宮・弁財天社とされている。
 元々は、藤原氏が祀った神社で、当初の祭神は「十市皇女」であったとの説もある。

 また、神社は明治になって荒廃し、大正から昭和にかけて再建された。
 その再建時に、天満宮・弁財天社を合わせ祀ったとされている。

『奈良市・高橋神社』

1711IMG_9854.jpg

 奈良県奈良市八条町に鎮座する式内社「高橋神社」の論社の「高橋神社」の社名標柱である。
 鎮座地は、奈良市を南北に通る国道24号線の八条高架橋の東、佐保川の右岸の堤防付近である。
         1711IMG_9863.jpg  1711IMG_9853.jpg

 朱塗りの鳥居を潜ると、一対の狛犬、そして拝所である。
    1711IMG_9857.jpg  1711IMG_9856.jpg  1711IMG_9855.jpg

 そしてその先、玉垣の中に本殿が祀られている。
     1711IMG_9860.jpg  1711IMG_9859.jpg  1711IMG_9858.jpg
 祭神は、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)、磐鹿六雁命 (いわかむつかりのみこと)とされている。
 栲幡千千姫命は全国の高橋姓のルーツの神、磐鹿六雁命は料理人の神と云われ、包丁式という神事も行われるとのことである。

 尚、旧社地は現在地の北約100mの所と云われ、松永久秀の兵火にて焼かれたため、現在地に遷座したとのことである。

『奈良市・奈良豆比古神社』

1711IMG_2676.jpg

 奈良県奈良市奈良阪町に鎮座する式内社「奈良豆比古(ならつひこ)神社」の論社の一である「奈良豆比古神社」の社名標柱である。
 奈良阪町は、奈良県と京都府の境界にあり、東大寺大仏殿から北方向である。

 神社の社頭には、冒頭の標柱が建ち、参道には一ノ鳥居、二ノ鳥居が建つ。
    1711IMG_2677.jpg  1711IMG_2679.jpg  1711IMG_2680.jpg

 その先、長屋風の神門があり、この神社で催され国や県の無形文化財の「翁舞」の説明板が建てられている。
 そして拝殿である。
    1711IMG_2687.jpg  1711IMG_2688.jpg  1711IMG_2689.jpg

 そして朱塗りの瑞垣の中に本殿が祀られているが、その両脇に狛犬が祀られている。
    1711IMG_2691.jpg  1711IMG_2693.jpg  1711IMG_2692.jpg

 本殿は、3棟から構成され、左殿に光仁天皇の父の施基親王(おくり名:田原天皇)、中殿に産土神の平城津彦(ならつひこ)神、右殿に春日王が祀られている。
    1711IMG_2697.jpg  1711IMG_2698.jpg  1711IMG_2699.jpg

 この神社の社地は、古代、施基親王が病気療養のために隠居していた奈良山春日離宮の地であり、その離宮に施基親王を祀ったのが創建とされる。

 境内には、幾つかの境内社が祀られている。
 先ずは、恵比須、毘沙門天王、福の神の3社である。
    1711IMG_2681.jpg  1711IMG_2682.jpg  1711IMG_2684.jpg

 そして、石瓶神、辨財天である。
         1711IMG_2704.jpg  1711IMG_2703.jpg

『奈良市・穴栗神社』

1711IMG_9932.jpg

 奈良県奈良市横井に鎮座する式内社「穴栗神社」の灯篭の社名である。
 
 鎮座地は、JR桜井線の京終(きょうばて)駅と帯解(おびとけ)駅の中間あたりで、東側の国道169号線から100m程度東に入った田園風景の中である。
 社頭には、横井の地名が掲げられているが、鎮座地は横井と古市の境界であるとのことである。
    1711IMG_9926.jpg  1711IMG_9925.jpg  1711IMG_9930.jpg

 鳥居を潜ると真っ直ぐに参道が延び、社叢へと到達する。
 杜の入り口には神門が建てられている。
         1711IMG_9933.jpg  1711IMG_9953.jpg

 神門を潜ると境内である。
 右手に拝殿本殿が祀られている。拝殿は割拝式である。
    1711IMG_9952.jpg  1711IMG_9939.jpg  1711IMG_9948.jpg

 拝殿の奥は本殿のエリアである。
 瑞垣に囲まれた本殿前には一対の狛犬が祀られている。
    1711IMG_9945.jpg  1711IMG_9946.jpg  1711IMG_9947.jpg

 本殿は春日造四社連棟である。右から、太玉命(ふとだまのみこと)を祀る伊栗社、高皇産霊尊(たかむすびのみこと)を祀る穴栗社、青和幣(あおにぎて)を祀る青榊(あおさかき)社、白和幣(しらにぎて)を祀る辛榊(からさかき)社である。
         1711IMG_9942.jpg  1711IMG_9938.jpg

 この神社は、創建については明らかではないが、春日大社とはつながりがあり、大社の境内には、主祭神の四神が境内社として祀られている。

 神社の境内には、万葉歌碑がある。
               1711IMG_9935.jpg
 歌碑には、「妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 
                今来む春も 常かくし見む 高安王」
 と刻されている。

 境内には、境内社も三社祀られている。
 市杵島姫命を祀る厳島神社、神武天皇を祀る御霊神社、保食神 (うけもちのかみ)を祀る稲荷神社である。
    1711IMG_9936.jpg  1711IMG_9954.jpg  1711IMG_9940.jpg

『大和郡山市・和爾下神社』

1711IMG_9866.jpg

 大和郡山市横田町に鎮座する式内社「和爾下(わにした)神社」の社頭の社名標柱である。

 和爾下神社は延喜式神名帳には二座と記され、その一は天理市の櫟本に、もう一座はこの神社とされている。

 鎮座地は、JR桜井線の櫟本駅の西方約1kmの所で、高瀬川の左岸近くである。
 この地は、南北の中ツ道、下ツ道と、東西の櫟本と法隆寺を結ぶ道とが交差する辺りで、古代より交通の要衝とされていたところでもある。
    1711IMG_9864.jpg  1711IMG_9865.jpg  1711IMG_9867.jpg

 この神社は、櫟本の上治道社に対して、下治道社とも云われ、境内に標柱も建てられている。
         1711IMG_9869.jpg  1711IMG_9868.jpg

 広い境内の正面には拝殿、そしてその前に一対の狛犬が祀られている。
    1711IMG_9871.jpg  1711IMG_9873.jpg  1711IMG_9872.jpg

 拝殿の奥は本殿である。
         1711IMG_9881.jpg  1711IMG_9879.jpg
 
 本殿には、櫟本の神社と同様の素盞鳴命、大己貴命、櫛稲田姫命の3神に加え、横田物部命が祀られている。

 この神社の創建は和爾氏に連なる櫟比氏がその祖神を祀ったものであったが、その後、この地を支配した物部氏系の横田物部氏が祖神を合祀したものと考えられる。

 本殿の周囲には、多くの境内社が祀られている。
 左後ろには、本殿に近い方から、春日神社、天照大神社、金刀比羅神社、春日若宮神社の4社である。
 また右後ろには、本殿に近い方から、貴船神社、高龗神社、子守神社、厳島神社、白山神社、住吉神社、八幡神社の7社である。
         1711IMG_9880.jpg  1711IMG_9882.jpg

『天理市・和尓下神社(櫟本)』

1711IMG_9524.jpg

 奈良県天理市櫟本町に鎮座する式内社「和尓下(わにした)神社」の社名標柱である。
 神社入り口は、JR桜井線櫟本駅の東方500m程度の国道169号線に面していて、朱塗りの一ノ鳥居が建つ。
    1711IMG_9520.jpg  1711IMG_9527.jpg  1711IMG_9521.jpg  

 鳥居脇には一対の狛犬が祀られ、他にも、左奈良の道標も建っている。
    1711IMG_9522.jpg  1711IMG_9523.jpg  1711IMG_9525.jpg

 鳥居を潜ると長い参道である。
 参道右脇には、豊川稲荷神社が祀られている。
    1711IMG_9526.jpg  1711IMG_9529.jpg  1711IMG_9532.jpg

 参道を進むと、小祠の末社が祀られている。
 天照皇太神宮、天満神社である。
         1711IMG_9538.jpg  1711IMG_9540.jpg

 参道は左へと曲がり、杜の中へと入る。
 左手に「影媛あわれ」の石碑が建つ。
    1711IMG_9542.jpg  1711IMG_9546.jpg  1711IMG_9545.jpg

 その向かいに鳥居が建ち、参道は右折である。
 参道を進むと、突き当りに十二神社が祀られている。
    1711IMG_9547.jpg  1711IMG_9549.jpg  1711IMG_9550.jpg

 そして参道は左折れし、その右側に厳島神社、熊野神社、琴平神社が並んで祀られ、突き当たり稲荷神社が祀られている。
    1711IMG_9552.jpg  1711IMG_9554.jpg  1711IMG_9557.jpg

 そして参道は右折れし、長い石段となる。
 石段参道を昇り詰めると、正面は拝殿である。
         1711IMG_9559.jpg  1711IMG_9560.jpg

 拝殿手前の左右には、神牛が祀られている。
         1711IMG_9561.jpg  1711IMG_9562.jpg

 拝殿の背後は本殿である。
    1711IMG_9572.jpg  1711IMG_9575.jpg  1711IMG_9574.jpg
 本殿の祭神は、素盞鳴命、大己貴命、櫛稲田姫命である。

 神社の創建は、この地に住まいした和爾氏と同族の柿本氏が、その祖神である天足彦国押人命を祀ったものとされているが、その後祭神は上記のようになったと云われている。
 この神社の地は古墳時代中期の前方後円墳であり、その上に創建されたとのことである。
 
 また和尓「下」と呼ばれるのは、北東に鎮座する和邇坐赤坂比古神社を「上社」とし、こちらを下社としたとの謂れである。

 またこの地は東大寺領で、この地に高瀬川から水路を引いたことから、治道(はるみち)社とも云われる。
 更に素盞鳴命を祀ったことから治道天王社とも云われ、この西の大和郡山市にも治道社が祀られていることから、こちらの方を上治道天王社いう。

 拝殿の左に若宮社が祀られている。
         1711IMG_9563.jpg  1711IMG_9564.jpg

 神社は後円部の頂上に祀られているが、神社の下には神宮寺とみられる柿本寺跡である。
 そして、古墳石室の天井石も置かれている。
         1711IMG_9578.jpg  1711IMG_9579.jpg

『天理市・楢神社』

1711weC35.jpg

 奈良県天理市楢町に鎮座する式内社「奈良豆比古(ならつひこ)神社」の論社の「楢(なら)神社」の社名標柱である。
 鎮座地は、JR桜井線の櫟本駅から直線で500m程度の東北方向で、楢川の左岸である。

 神社は住宅街に隣接していて、この一角が社叢となっている。
 また、神社の東南にある池の傍には太鼓台庫も見られる。
         1711IMG_9603.jpg  1711IMG_9602.jpg

 神社の社頭は住宅街の中である。
 冒頭の標柱と共に、灯篭や銅の鳥居が建つ。
         1711IMG_9584.jpg  1711IMG_9585.jpg

 鳥居を潜ると左手が社殿である。
 拝殿前には、防護柵の中に一対の狛犬が祀られている。
         1711IMG_9591.jpg  1711IMG_9592.jpg

 そして拝殿である。
         1711IMG_9587.jpg  1711IMG_9593.jpg

 拝殿の奥は本殿である。
 春日造の本殿は、春日大社の式年遷宮の折に、払い下げを受けたものとのことである。
    1711IMG_9594.jpg  1711IMG_9600.jpg  1711IMG_9601.jpg
 本殿の祭神は、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)と鬼子母神である。
 五十狭芹彦命は考霊天皇の皇子で、吉備国を平定し、名を吉備津彦命とした神として知られている。

 境内社では、恵比須神社並びに八幡神社、社名不明の石造りの祠が祀られている。
    1711IMG_9596.jpg  1711IMG_9597.jpg  1711IMG_9599.jpg

 楢神社は元禄年間頃には、約1km東の東大寺山に鎮座していたと云われるが、氏子地域と離れているため現地に遷座したと云われている。

『天理市・森神社』

1710IMG_9622.jpg

 奈良県天理市森本町に鎮座する式内社大社の「太祝詞(ふとのりと)神社」に比定される「森神社」の社頭である。
 
 場所は、JR帯解(おびとけ)駅と櫟本(いちのもと)駅の中間あたりで、東の国道169線の東に隣接していて、社頭は東向きである。
 鳥居を潜ると正面は拝殿あるいは社務所の様であり、境内は左右(南北)に長い。
               1710IMG_9633.jpg

 右手に北側に一段高く玉垣が配置され、その手前に一対の狛犬が配されている。
    1710IMG_9624.jpg  1710IMG_9628.jpg  1710IMG_9626.jpg

 石段を昇った玉垣の中に本殿が祀られている。
 本殿の祭神は天児屋根命とのことである。
         1710IMG_9625.jpg  1710IMG_9632.jpg
 ただし、社名からして本来の祭神は太祝詞命、亀津姫命であったのではないかとも云われている。

 本殿左には、八王子神社が祀られている。
               1710IMG_9630.jpg


『天理市・和爾坐赤坂比古神社』

1710IMG_9619.jpg

 奈良県天理市和爾町に鎮座する式内社大社の「和爾坐赤坂比古(わににますあかさかひこ)神社」の社頭の標柱である。
 神社はJR桜井線の櫟本駅の東北方で、直線では1km強の小高い丘の住宅地の中に鎮座している。

 神社の社頭の通りを挟んで、太神宮灯篭、地蔵尊を祀る祠が建てられている。
    1710IMG_9621.jpg  1710IMG_9604.jpg  1710IMG_9605.jpg

 社頭の鳥居を潜ると、直ぐに拝殿である。
         1710IMG_9606.jpg  1710IMG_9608.jpg

 そして本殿との間に一対の狛犬が祀られている。
         1710IMG_9613.jpg  1710IMG_9614.jpg

 本殿エリアは朱塗りの鳥居が建てられ、全容を拝見することは難しい。
 先ずは中央に本社が祀られている。 
 その祭神は、阿田賀田須命(あたかたすのみこと)、 市杵嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)である。
         1710IMG_9610.jpg  1710IMG_9611.jpg

 また本社の左右に、八幡社、春日社の祠も祀られている。
         1710IMG_9616.jpg  1710IMG_9615.jpg

 本社祭神の阿田賀田須命は赤坂比古命とも云われ、古代この地に勢力を持っていた和爾氏の祖神とのことである。
 そして、この神社は、和爾氏の創建と云われている。

『岩国市・白蛇神社&今津天満宮』

1710IMG_2355.jpg

 山口県岩国市今津町に鎮座する「白蛇神社」の鳥居の扁額である。
 場所は、同じ今津町に鎮座する白崎八幡宮の少しの東南側である。

 白蛇神社の社頭は住宅街の中である。
 狛犬ならぬ狛蛇が祀られ、石段を昇ると冒頭の扁額が掛かる鳥居を潜り、神社の境内となる。
         1710IMG_2369.jpg  1710IMG_2354.jpg
 
 下図の現在地が鳥居の位置である。
1710IMG_2368.jpg

 神社の境内は、変則的である。
 鳥居を潜り、Uターン方向に灯篭や社殿が祀られている。
         1710IMG_2367.jpg  1710IMG_2361.jpg

 先ずは拝殿である。
    1710IMG_2349.jpg  1710IMG_2350.jpg  1710IMG_2366.jpg

 そして本殿である。
 本殿には白蛇の彫刻が施されている。
    1710IMG_2362.jpg  1710IMG_2352.jpg  1710IMG_2363.jpg
 
 白蛇神社は、平成24年12月に創建された極めて新しい神社である。
 岩国の白蛇信仰に基づき設立されたものである。
 祭神は、九州の宗像大社から勧請された三女神の田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神に加え、厳島神社から勧請された宇迦之御魂神(宇賀弁財天)である。
 また境内には、白蛇資料館や天然記念物の白蛇の飼育施設もある。


 同じ境内に今津天満宮が祀られている。

 社頭は白蛇神社と逆側である。
         1710IMG_2343.jpg  1710IMG_2344.jpg

 社頭には一対の狛犬が祀られている。
         1710IMG_2346.jpg  1710IMG_2345.jpg

 そして鳥居である。
         1710IMG_2347.jpg  1710IMG_2348.jpg

 天神社の境内もUターン方向である。
         1710IMG_2356.jpg  1710IMG_2357.jpg

 そして拝殿・本殿が祀られている。
    1710IMG_2358.jpg  1710IMG_2359.jpg  1710IMG_2360.jpg
 天満宮であるので、祭神は菅原道真公である。

 この神社は、菅原道真公が九州太宰府に左遷される際に、この地へたどり着き、暫しの間休息したと云う謂れのある神社である。 道真公が櫂(かい)を杖代わりにして丘に上がったと云われ、別名、櫂つき天満宮と云われる神社である。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR