京阪電鉄中之島線3・大江橋駅
大阪市中央区の「天満橋駅」から、「堂島川」と「土佐堀川」に挟まれた中之島の地下を通り、大阪市北区の「中之島駅」に向かう「京阪電鉄中之島線」の各駅を訪ねてみる。
今回は「天満橋駅」から2番目の大阪市北区の「大江橋駅」である。
「大江橋」駅で下車する。
駅ホームは地下3階で、1面2線の島式である。
地上へ出ると、そこは「堂島川」の河畔で、「大江橋」の南詰である。
この「大江橋」という名前は、万葉歌人の「大伴家持」の歌「玉藻刈る 大江の浦の 浦風に つつじの花は 散りぬべらなり」に由来するとされている。
先ずは、「大江橋」を眺めてみる。
この「大江橋」は、パリのセーヌ川を参考にしたコンクリート造りのアーチ橋で、隣の「淀屋橋」と共に重要文化財に指定されている
そして橋上からの「堂島川」の西方向、東方向の眺めである。
尚、東方向に間近に見える橋は「水晶橋」である。
そして、「水晶橋」からの「大江橋」の眺めである。
「大江橋」の南の「中之島」には、先ずは「大阪市役所」があり、その正面である。
大阪・関西万博のキャラクター「ミャクミャク」が寝転んでいる。
市役所建物の周りをまわってみる。
斜め前、裏口、そして、斜め後ろである。
「大阪市役所」の前は「日本銀行大阪支店」である。
正面の旧館は、東京駅などの建築で有名な「辰野金吾」の設計である。
先ずは正面である。
そして、南側からの斜め方向、南側の側面である。
中之島の南は、「土佐堀川」に架かる「淀屋橋」である。
「淀屋橋」からの「土佐堀川」の東方向の眺めである。
橋の直ぐ南の河岸に「かき広」という料理屋形がある。
もう何十年と見慣れているが。創業は90年も前とのことである。
「淀屋橋」の南側の「土佐堀通り」を西へと進んでみる。
直ぐの右手に豪商「淀屋の碑」がある。
更にその先に、民生委員の父と云われる「林市蔵先生肖像」が建てられている。
そしてこの地点で、「大江橋」のミニ探索を終了したのであった。
今回は「天満橋駅」から2番目の大阪市北区の「大江橋駅」である。
「大江橋」駅で下車する。
駅ホームは地下3階で、1面2線の島式である。
地上へ出ると、そこは「堂島川」の河畔で、「大江橋」の南詰である。
この「大江橋」という名前は、万葉歌人の「大伴家持」の歌「玉藻刈る 大江の浦の 浦風に つつじの花は 散りぬべらなり」に由来するとされている。
先ずは、「大江橋」を眺めてみる。
この「大江橋」は、パリのセーヌ川を参考にしたコンクリート造りのアーチ橋で、隣の「淀屋橋」と共に重要文化財に指定されている
そして橋上からの「堂島川」の西方向、東方向の眺めである。
尚、東方向に間近に見える橋は「水晶橋」である。
そして、「水晶橋」からの「大江橋」の眺めである。
「大江橋」の南の「中之島」には、先ずは「大阪市役所」があり、その正面である。
大阪・関西万博のキャラクター「ミャクミャク」が寝転んでいる。
市役所建物の周りをまわってみる。
斜め前、裏口、そして、斜め後ろである。
「大阪市役所」の前は「日本銀行大阪支店」である。
正面の旧館は、東京駅などの建築で有名な「辰野金吾」の設計である。
先ずは正面である。
そして、南側からの斜め方向、南側の側面である。
中之島の南は、「土佐堀川」に架かる「淀屋橋」である。
「淀屋橋」からの「土佐堀川」の東方向の眺めである。
橋の直ぐ南の河岸に「かき広」という料理屋形がある。
もう何十年と見慣れているが。創業は90年も前とのことである。
「淀屋橋」の南側の「土佐堀通り」を西へと進んでみる。
直ぐの右手に豪商「淀屋の碑」がある。
更にその先に、民生委員の父と云われる「林市蔵先生肖像」が建てられている。
そしてこの地点で、「大江橋」のミニ探索を終了したのであった。