『阿波国・一宮城跡』
徳島市の西部郊外の一宮町の東竜王山144mの山頂にある一宮城の本丸跡の石垣である。
南北朝時代に阿波の守護であった小笠原氏が築いた城で、麓には一宮神社があり一宮城と名付けられた。
小笠原氏は一宮氏と改め城主を務めたが、ご承知のように阿波の国を巡って、三好氏、長宗我部氏、そして細川氏も絡み戦闘を繰り広げられたが、最後は豊臣秀吉方が勝利し、配下の蜂須賀氏の阿波を治める居城となった。
その後蜂須賀氏は海側に徳島城を築いたので、この城は城代が治め阿波九城の一つに数えられたが、一国一城の令により廃城となり、石材等は徳島城に運ばれたと云う経緯を辿っている。
城跡へは一宮神社の鳥居前から登ることになる。
登り始めると、先ずは左手に神宮寺跡の石碑がある。
もう少し登ると、左手に倉庫跡がある。
更に登ると、右手に曲輪跡、左手に財蔵丸跡がある。
更に行くと本郭への門の跡がある。
右手に行くと南城の明神丸への虎口跡がある。
明神丸跡はかなりの広さである。
井戸跡もあり、またこの場所からは鮎喰川とその先に徳島の眉山と市街地が見える。
次に北城の本丸へと移動する。
本丸は冒頭の写真のように当時の石垣が残っている。
石垣の間の石段を登ると本丸の広場となる。
手入れが行き届いているのは嬉しい。
また本丸には若宮神社も祀られている。
本丸を後に下山へと向かう。
途中堀切や空堀が見られる。
しばらく下山すると湧水地があり、今でも水が蓄えられている。
この湧水地の先には蔭滝がある。そして蔭滝を下るのは鎖場である。
滝を下りきると、平常の道となる。
辿って行くと、出発点の一宮神社の登山口に戻る。