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『安芸宮島・厳島神社天神社』

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 菅原道真公ゆかりの聖蹟二十五拝の第20番は安芸の宮島の厳島神社の社殿の一つである摂社「天神社」である。
 この社は、朱塗りの厳島神社の中にあって、能舞台と共に素木造の建築であるが、能舞台のように板壁でなく漆喰壁であり、国の重要文化財となっている。

 厳島神社へは、JR宮島口駅で下車し、連絡フェリーに乗船することになる。
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 海上の大鳥居を眺め、宮島に降り立ち海岸に沿って歩いて行くと石造りの鳥居を潜る。
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 参道を進むと社殿全体を望むことができる。
 そして注連縄柱を潜り海上の廻廊を進む。
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 廻廊を何度か折れ、本殿前を通り抜ける。
 本殿右手の大国神社の西に天神社は佇んでいる。
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 天神社の内部は広い座敷風になっていて、奥に祭神道真公が祀られている。
 この場所では、明治時代まで連歌の会が催されていて、別名連歌堂とも呼ばれている。
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 天神社の隣の西廻廊からの風景である。
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 天神社に続いて太鼓橋が鮮やかである。
 また目を海上沖に移すと、大鳥居も見える。
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 尚、この厳島神社には、道真公が九州大宰府に左遷される道行にて立ち寄ったかどうかは定かではないが、それはそれとして、戦国時代の厳島合戦により、神社の社地を穢したという反省から、毛利元就の指示で、嫡男の毛利隆元によって天神社が創建されたと云われている。

『福岡市・水鏡神社』

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 福岡県福岡市の繁華街「天神」の名称の由来となった「水鏡神社」社頭の標柱である。
 この水鏡神社の鎮座地は福岡市中央区天神1丁目で、西鉄天神駅の近くである。

 この神社は「水鏡天満宮」あるいは「容見天神(すがたみてんじん)」と呼ばれる。
 由緒は、かつて菅原道真公が京の都から大宰府に左遷され赴任の途中に博多に上陸し、付近の今泉の四十川の川面に自分の姿を映した場所に創建されたものである。
 その後、江戸時代初期に福岡藩初代藩主の黒田長政によって福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転されたものである。

 神社は天神界隈の大通りに面している。
 鳥居を潜ると神門がある。
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 そして石造りの神橋、中門となる。
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 中門前には、4頭の神牛が祀られている。
 夫々時代が異なるのであろう。体形も表情も異なる。
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 その先は拝殿、本殿である。
 本殿の祭神は勿論のこと菅原道真公である。
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 本殿の左横には荒木田稲荷社が祀られている。
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 稲荷社の前には宇賀神社、恵比須神社が祀られている。
 その他に、合祀社も祀られ、左から大黒社、秋葉社、金刀比羅社、宮地嶽社である。
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『金沢市・金澤神社』

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 石川県金沢市の加賀藩藩主庭園兼六園の南隅に鎮座する金澤神社である。
 この鳥居は城の堀を道路とした百万石通りに面している。

 江戸時代の中期、加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)公が藩校明倫堂の鎮守社として創建したもので、前田家の祖先とされる学問の神の菅原道真公を祀ったものである。

 参道の右手には「金城霊沢(きんじょうれいたく)」という泉がある。
 昔、芋掘藤五郎という人物が砂金をこの泉で洗ったことから「金洗沢(かなあらいのさわ)」と云われていた。
 金沢の名の起こりとなった泉である。
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 参道を進むと石の鳥居がある。
 そしてその先は石段を登り随神門である。
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 門を潜ると境内である。
 本拝殿、そして神牛も祀られている。
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 尚、本拝殿は国の登録有形文化財である。
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『太宰府市・大宰府天満宮』

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 福岡県太宰府市に鎮座する大宰府天満宮の本殿である。
 五間社流造りで屋根は檜皮葺、正面には1間の唐破風造の向拝(こうはい)が設けられている。
 それにしても、参拝者の多い神社である。
 本邦人、外国人、半々ぐらいの参拝にて、とても賑やかである。
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 大宰府天満宮は、聖蹟二十五拝の二十三番目である。
 謂れは良くご存じのように、道真公が大宰府政庁屋敷にて没した時、ご遺体を牛に引かせたが、この天満宮の場所まで来た時に、動かなくなった。
 この地を道真公の霊廟として祀り、程なく天満宮としたものである。
 この大宰府と京都の北野天満宮、山口の防府天満宮と併せて、日本三大天満宮と云われる。
 また、大宰府天満宮は全域が国の重要文化財に指定されている。

 大宰府へは、西鉄の電車かバスで向かう。
 参道にはいくつもの石の鳥居が設置されている。
 また、参道には土産物を販売する店が軒並みに立ち並んでいる。
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 また参道には前世紀の町屋、大正時代の町屋をアレンジした喫茶店、明治時代から梅が枝餅を販売する老舗もある。
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 参道を更に進む。
 天満宮の標柱と鳥居があり、そこで左に直角に折れる。
 そこには神牛の撫で牛が祀られているが、心無い記念撮影家に占領されているのは、まったく残念である。
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 参道を左折れすると、心字池を太鼓橋で渡る。
 その先にも鳥居があり、左手に絵馬殿が祀られている。
 その先の鳥居を潜る。
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 鳥居を潜ると見事な楼門である。
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 楼門の先は、冒頭写真の本殿である。
 本殿にお参りし、御朱印を頂き、横へ回ってみる。
 本殿の瑞垣の外には樹齢1000年とも1500年とも云われる大楠が健在である。
 恐らくは道真公が祀られたときには、この楠はあったものと思われる。
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 境内から外へ出る。
 この辺りは、大宰府市宰府(さいふ)と云われる。
 洒落て、財布の店も有ったりする。
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 帰りに大宰府政庁の前を通った。
 ただっ広い場所であるが、この場所で寿命を迎えた道真公は、さどや無念であったろうと推察申し上げる。
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『福岡市・綱敷天満宮』

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 福岡市博多区綱場町に鎮座する綱敷き天満宮である。
 菅原道真公の聖蹟二十五拝の二十二番目にあたる。

 この綱敷天満宮は、道真公が大宰府に左遷され赴任地である大宰府に向かうため、この博多の袖湊に上陸した。
 その時、住民たちは船の艫綱を輪にして敷物を作り。道真公を歓迎したと云われる。

 その後、道真公が大宰府で死去の報に接した住民たちは、道真公を祀る祠を建て綱輪天神と称した。
 綱輪が訛って、綱場となり、現在も鎮座地は綱場町と云われる。
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 神社は街中の路地を入ったところにある。
 そう広くない境内であるが、拝殿本殿が祀られている。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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