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近鉄奈良線23・日本橋駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から22番目の駅の大阪市中央区の「日本橋駅」である。

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 「日本橋(にっぽんばし)駅」で下車する。
 「大阪上本町駅」に引き続き、この駅も地下駅である。
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 この駅は、大阪メトロ「堺筋線」の「日本橋駅」との乗換駅でもある。
 駅の地下道通路を東方向へと進む。
 通路には、「国立文楽劇場」の案内もある。
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 進んで行くと突き当りとなり、階段を上がる。
 駅の出口となる。
 そして、出た所は「千日前通」の北側歩道である。
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 東方向に「国立文楽劇場」が見える。
 また、その前の車道べりに「二ッ井戸舊蹟」がある。
 「二ッ井戸」とは、元々は道頓堀の東にあり。貨幣の鋳造等にも利用された井戸とのことである。
 その後、区画整理などの影響を受け、最終的には菓子舗の「津の清」が店頭へと引き取ったとのことで、現在はこの場所に設置されている。
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 「国立文楽劇場」の正面である。
 世界無形遺産に指定された日本独自の伝統芸能「文楽」を観劇できる劇場で、1984年に黒川紀章氏の設計によって開館されたものである。
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 前にある高速道路の下の南側から劇場の全体を眺めてみた。
 結構大きな建物で、大ホール・小ホール合わせて、1000名弱の観客が可能とのことである。
 「千日前通」を西へと進むと、交差点「文楽・黒門」がある。
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 そして南側の歩道を西へと向かうと、南側に「黒門市場」のゲートがある。
 南方向へアーケードが繋がっているので、歩いてみる。
 閉まっている店もあるが、大部分は賑やかに営業している。
 しかし、コロナ禍でインバウンドや観光客は皆無である。
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 メインの通りから、西方向、東方向にも枝のアーケードがある。
 トロ箱を積んだ自転車は、飲食店の仕入れであろうか。
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 メインの通りを進む。
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 約350mのアーケード、通り抜けたのであった。
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 終点を西へと進むと、「堺筋」へと出る。
 「堺筋」を北へ行くと、「日本橋駅」への降り口がある。
 これを降りて、「日本橋駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄奈良線22・大阪上本町駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から21番目の駅の大阪市天王寺区の「大阪上本町駅」である。

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 「近鉄奈良線」は、「鶴橋駅」を過ぎると「千日前通」の地下へと入る。
 「大阪上本町駅」で下車する。
 「近鉄奈良線」の駅は地下駅で、「近鉄大阪線」の駅は地上駅の起終点駅である。
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 改札口は「デパート」の入り口へと繋がる。
 駅舎は「近鉄百貨店」との共用となっている。
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 駅を出た所は「千日前通」と「上町筋」の交差点で、「上本町6」と云う。
 通称「上六(うえろく)」と呼ばれるところである。
 南側には賑やかな幟が立てられているので近づいてみる。
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 2010年に「難波(なんば)」から移転された「新歌舞伎座」である。
 この時には興行は無かったが、6階のロビーの風景である。
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 この「新歌舞伎座」のビルは「上本町YUFURA」と云う。
 ビルの間を東方向へと進む。
 ここにも駅の出入り口がある。
 そして進むと右手に「近鉄」の本社があり、その先に警察病院の施設もある。
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 更に東へと進む。
 赤い十字が付けられた建物が見える。
 「大阪日赤」、正式には「日本赤十字社 大阪赤十字病院」である。
 近づいてみる。
 アプローチは公園状である。
 中央の道路は「ホスピタリィのみち」と名付けられていて、「日赤」の入り口へと向かう。
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 新しいビル群で掲載されているが、その中に一段と高いマンションがある。
 周囲には、「サルスベリ」の花も盛りである。
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 「日赤」へのアプローチである。
 病院本館の西玄関へと通じている。
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 少しバックして、南方向の病院正面へと通じる道を東へと進む。
 正面に別の病院「早石病院」が見える。
 そして左手には「日赤病院」の本館と、先ほどの本館西玄関への陸橋が見える。
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 「日赤病院」の入り口である。
 道路を挟んだ南側には、古い建物の「別館」がある。
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 病院の構内へと入ってみる。
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 玄関の横には、診療用の簡易テントが建てられている。
 そしてロビーの風景である。
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 本館の右手(東側)を歩いてみる。
 手前は「看護専門学校」、奥側の高い建物は「東館病棟」である。
 また、「東館」には、「大手前整肢学園」、「堺支援学校大手前分校」も併設されている。
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 「日赤病院」を外から眺め、今回の「大阪上本町駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線21・鶴橋駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から20番目の駅の大阪市生野区の「鶴橋駅」である。

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 「鶴橋駅」で下車する。
 「鶴橋駅」は「JR大阪環状線」との乗り換え駅としての利用が多い。 
 近鉄線のホームから階段を上がると、JRの改札口へと出るので、きわめて便利な乗り換えである。
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 近鉄線のホームの東端の東口から出る。
 改札を出ると、既に商店街の中である。
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 アーケードの中を進む。
 日用品やアパレル、あるいは生鮮食品と多彩な「市場エリア」である。
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 北方向へと進む。
 アーケードを抜け出るとそこは「千日前通」で、商店街の名称は「鶴橋本通 東小橋南商店街」と記されている。
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 「千日前通」の東の交差点は「玉津3」である。
 北へと行くと左手に神社の入り口がある。
 式内社名神大社の「比賈許曽(ひめこそ)神社」の横からの参道である。
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 進むと正面の鳥居に達するので、それを潜ると、境内となる。
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 境内の左には、主祭神「下照比賈(したてるひめ)命」の親神の「大国主大神」が祀られている。
 また、境内の右奥には「稲荷大神」が祀られている。
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 境内正面には一対の狛犬が祀られている。
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 その先は拝殿、そして本殿である。
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 本殿の祭神は、主祭神が「下照比賈命」、相殿には「速素盞嗚命」、下照比賈命の兄である「味鉏高彦根(あぢすきたかひこね)命」、「大小橋(おおおばせ)命」、「大鷦鷯(おおささぎ、仁徳天皇)命」、「橘豊日(たちばなとよひ、用明天皇)命」が祀られている。

 この神社は、元々は、垂仁天皇の時代に現在地の西の小橋町の「愛來目山(あくめやま)」に創建された神社である。

 戦国時代になって、織田信長の石山本願寺攻めの時、被災を受け、この地の東小橋にあった摂社の牛頭天王社の所に移設・遷座され、現在まで続いている。

 その旧社地は「鶴橋駅」の北西方向に祀られている「産湯稲荷神社」である。
 今度は、その神社を訪ねてみる。
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 境内には、旧社地を示す石柱が建てられていて、本社の摂社並びに御旅所となっている。
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 「産湯稲荷神社」とは、「大小橋命」が産湯を使ったことから名づけられたものである。
 「大小橋命」は、「天児屋根の命」の後胤で、この辺りの土地を開発したと云われている。 
 境内にはその産湯の「玉乃井」が祀られている。
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 玉乃井には、手押しポンプも据え付けられ、上部に神棚が祀られている。
 祭神は左から「大己貴神」、「少彦名神」、「弥都波能売神」、「御井神」、「祓戸神」、「味鉏高彦根神」である。
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 神社2社を訪れたところでミニ探索は終了であるが、「鶴橋」と云えば焼肉の聖地である。
 最後に駅西側の、焼肉店街を歩いて、「鶴橋駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄奈良線20・今里駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から19番目の駅の大阪市生野区の「今里駅」である。

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 「今里駅」で下車する。
 駅には、大阪線のホームもあり、2線×2の4線である。
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 かつて、大阪メトロ「今里筋線」が出来たころ、この「今里駅」で乗り換えようとしたことがあった。
 地図をよく見ていなかったが、同じ「今里」と云う駅名なので、駅同士が相互に繋がっていると思ってである。
 しかしながら、歩いても歩いても駅は現れなく、かなり時間がかかった。
 今回は、その駅間がどれくらい掛かるのであろうか、実際に歩いてみることにした。

 駅の出口は南側である。
 駅前には商店街があり、駅前道路を東へと進む。
 直ぐに「平野川分水路」に出る。
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 分水路の手前の道を北上する。
 川べりに「城東運河改修碑」が建っている。
 またこの辺りの住所地は、「大今里南3丁目」である。
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 少し広い道と交差し、斜めに行ける道路があるので、これを進む。
 途中に保育園もある。
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 そして広い道路に出る。
 「千日前通」である。
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 「千日前通」を西へと進む。
 左手に大阪メトロの「今里駅」の出入り口が見つかる。
 ここまでの所要時間約15分であった。
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 しかしこの出入り口は、「千日前線」の東の端である。
 「今里」の交差点(かつては「今里ロータリー」)まではまだ少しある。
 西へと進み、「今里」交差点へと到着する。
 ここまでは、約20分の所要時間であった。
 大阪メトロ「今里駅」の入り口を降り、「今里筋線」のホームへと出て、「今里」と云う駅名標を確認したのであった。
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 この地点で「今里駅」のミニ探索を終了するが、同じ駅名が、かなり離れているのは、利用客には優しくないと思うが、どうであろうか?

近鉄奈良線19・布施駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から18番目の駅の大阪府東大阪市の「布施駅」である。

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 「布施駅」で下車する。
 「布施駅」は、「近鉄奈良線」と「近鉄大阪線」が合流する駅である。
 「奈良線」のホームからは、南東方向からの「大阪線」のホームが見える。
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 階段を1階降りると、「大阪線」のホームとなり、珍しい2層ホームの駅である。
 そして「改札・コンコース」はもう1階下の2階で、「えべっさんの街布施」のキャラクターも置かれている。
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 駅舎を南側へと出る。
 南方向に、アーケード庇の商店街が繋がる。
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 また、西方向にもアーケード庇の商店街が繋がる。
 その中に、「元禄寿司」という店がある。
 回転ずしの発祥の元祖である。
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 アーケード庇が尽きると、南北のアーケード商店街となる。
 先ずは線路を潜った北側のアーケードである。
 「ブランドーリふせ」と云う。
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 今度は南側である。
 アーケードの「ほんまちどおり商店街」である。
 商店街を進む。
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 しばらく進んで行くと、「布施戎神社」の道しるべが吊るされている。
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 右折して進む。
 この辺りの住所地は「足代(あじろ)1丁目」である。
 小路を進むと「布施戎神社」の社頭である。
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 境内には鯛を釣り上げた戎像が祀られている。
 また、この境内は、大正時代までは「式内社 都留弥(つるみ)神社」の旧社地であったとのことである。
 (現在の「都留弥神社」は、この東の1Km弱の所に遷座されている。)
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 境内正面は、拝殿・本殿である。
 そして並んで「 都留弥神社 御旅所」の祠が祀られている。
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 そしてこの地点で「布施駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線18・河内永和駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から17番目の駅の大阪府東大阪市の「河内永和駅」である。

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 「河内永和駅」で下車する。
 「河内永和駅」は「JRおおさか東線」の「JR河内永和駅」と交差する乗換駅でもあり、以前途中下車している。
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 今回は、「河内永和駅」のホームから東方向に見える「樟蔭学園」まで行ってみることにする。
 線路の南側を東方向へと進む。
 駅から直ぐの、新しく建てられた「東大阪商工会議所」がある。
 そして進んで行くと「樟蔭学園」の建物が見えて来る。
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 「樟蔭学園」の名称は、「楠木正成」ゆかりの地であることから付けられたとされている。
 道路沿いには北門がある。
 学舎にはクラブ活動の成績などが掲げられている。
 そして、学舎に沿って進む。
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 学舎が尽きる所に「長瀬川」が流れている。
 「長瀬川いきいき水路」と云う。
 またこの辺りの住所地は「菱屋」である。
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 「長瀬川」に沿って学舎は並ぶ。
 対岸から学舎を眺めながら進む。
 川に「橘橋」が架かっていて、その先は「正門」である。
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 「正門」付近の風景である。
 「正門」を入った右手に見えるのは、昭和2年に建設されたもので、現在は「記念館」である。
 また、「正門」の右奥には、大正7年の創立当時の建物である「樟古館」があり、いずれも国の「登録有形文化財」である。
 尚、「樟蔭学園」は大正7年に創立された「樟蔭高等女学校」を創始としている。
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 「樟蔭学園」あとにして、「河内永和駅」へと戻る。
 住所地は「高井田元町」となっている。
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 駅の北側の小路の先に神社がある。
 「式内社 鴨高田神社」である。
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 そして、その先には聖徳太子が創建したとされる「長榮寺」がある。
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 これらの社寺は、「おおさか東線6・JR河内永和駅」のタイトルで訪問しているので、ご興味の方は参照願いたい。

 そしてこの地点で、「河内永和駅」のミニ探索を終了とする。

近鉄奈良線17・河内小阪駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から16番目の駅の大阪府東大阪市の「河内小阪駅」である。

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 「河内小阪駅」で下車する。
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 南口の駅前ロータリーの一隅には、「平和を祈る乙女像」、そして「見守地蔵」が祀られている。
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 そしてロータリーにはアーケード商店街の入り口がある。
 「スカイドーム小阪本通」である。
 更に、「司馬遼太郎記念館」の案内もなされている。
 アーケードを進むと、上部に「ドーム」がある。
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 更に進むと、食品スーパーがあり、アーケードの出口となる。
 途中で商店街の名称が変わったのであろう。
 出口側の表示は、「サザンモール」である。
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 その南には公園がある。
 「中小阪公園」である。
 園内には、「司馬遼太郎」からのメッセージ「21世紀に生きる君たちへ」の一文が掲げられている。
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 小説家の「司馬遼太郎」は、1964年から、この東大阪市の小阪に住まいし、多くの作品を書き上げていることは良く知られている。
 その住まいは、現在は「司馬遼太郎記念館」として運営されている。

 その「司馬遼太郎記念館」を訪ねてみる。
 南へ下がって行くと、この辺りは「東大阪 歴史の道」である。
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 進んで行くと、「記念館」の正門へと到着する。
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 中に入ってみる。
 「司馬遼太郎」の書斎がある。
 歌碑もある。居宅もある。
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 左手へと進んで行くと、建築家「安藤忠雄」の設の展示室である。
 「遼太郎」の蔵書は6万冊もあると云われる。
 そのうちの約2万冊が、書棚に所せましと並べられている。
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 「司馬遼太郎記念館」を後にして、「河内小阪駅」方向へと進む。 
 記念館の西側に神社の参道が見えて来る。
 「小坂神社」である。
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 この神社は、天正20年(1592年)豊臣秀吉の許しを得て、この小坂の地に十八軒の家が移り住み、新たに開いた農地が水に恵まれ作物が実るよう、吉野の子守明神(吉野水分神社)と勝手明神(勝手神社)を迎えて小坂神社は創建されたとされる。

 鳥居を潜ると拝殿、本殿である。
 本殿の祭神は、天水分神(あめのみくまりのかみ)、國水分神(くにのみくまりのかみ)、受鬘神(うけのりのかみ)とされる。
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 境内には三間社の末社合祀社があり、「白龍稲荷大神」、「金刀比羅宮」、「豊栄大神」が祀られている。
 また、境外には「行者神變大菩薩」の標柱が建つ「金峰神社」が祀られている。
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 そして、「河内小阪駅」まで戻り、今回のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線16・八戸ノ里駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から15番目の駅の大阪府東大阪市の「八戸ノ里(やえのさと)駅」である。

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 東隣りの「若江岩田駅」を出て、西方向へ、中央環状線と第二寝屋川を越えると、「八戸ノ里駅」に到着する。
 駅に入る手前の第二寝屋川の右岸・左岸はマンションが立ち並ぶ風景が見られる。
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 「八戸ノ里」の由来は、江戸時代初期、入植した豊臣家旧臣達の家の数が8戸であったことに由来する。

 「八戸ノ里駅」で下車し、マンション群を振り返り、先ずは駅舎の南側へと出る。
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 駅前はバス停を含むロータリーとなっている。
 ロータリー続いて、大型スーパーがあり、その先は「布施警察署」の建物である。
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 その向かい側(西側)には、「大阪府立布施高校」がある。
 正門、体育館、グラウンドである。
 グラウンドは別区画で、かなりの広さである。
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 今度は、線路を潜り、北方向へと行く。
 少し行くと、新しい文化ホールのようなものが建っている。
 2年ほど前に建設された「東大阪市文化創造館」である。
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 右側の背の高い部分は「大ホール」、左側は、「ライブラリー」、「小ホール」、「多目的室」などである。
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 正面の緑の部分は「街角広場」といい、その先にはエントランスロビーや「まちライブラリーカフェ」も設けられている。
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 「東大阪市文化創造館」の道路向かいには、学校がある。
 道路沿いは体育館で、その横を進むと校門や校舎が建っている「大阪商業大学附属高校」である。
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 そしてこの地点で、「八戸ノ里駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線15・若江岩田駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から14番目の駅の大阪府東大阪市の「若江岩田駅」である。

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 「若江岩田駅」は、「岩田町」にある駅である。
 発足当時の駅名はその南にある「若江本町」の名を取って「若江駅」であったが、その後、「岩田町」と合わせて駅名が「若江岩田駅」と変更され、現在に至っている駅である。

 「若江岩田駅」で下車する。
 ホームは高架で、改札・コンコースは階下である。
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 駅の周辺を見てみる。
 東側には通称「八尾街道」が通っていて、直ぐの南に電線メーカーの「タツタ電線本社」がある。
 また駅の西南側はアーケードは無いが、「岩田本通商店街」である。
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 商店街から線路を渡って北側の通りを進むと、左手直ぐに神社の灯篭がある。
 「石田(いわた)神社」の参道である。
 参道を進む。
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 「式内社 石田(いわた)神社」の社頭の鳥居である。
 延喜式神名帳には、「河内国磐田郡石田神社三座」と記されている。
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 「石田神社」の創建は古代、欽明天皇の時代で、近くの田圃の中に5mほどもある岩船があり、その上に三神が現れたので、社壇を築いて奉祀したのが始まりと云われている。
 江戸時代までは、「八幡神社」と云われ、明治になって「石田神社」と改名されたものである。

 この辺りは古代より「石田連(いわたれん)」の住んでいた場所で、創建の三神とは、石田連の祖神の「五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)」、妃の「比売神(ひめのかみ)」、そして応神天皇の「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」であるという説もあるが、現在の三神は、「応神天皇」、「仲哀天皇」、「神功皇后」である。

 鳥居を潜った正面は拝殿である。
 拝殿前には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿は、昭和前期、台風にて倒壊したため、再建されたものである。
 また本拝殿の右手前には、「天照大神」 「天児屋命(あめのこやねのみこと)」、「宇迦之御魂神(うかのみたまの かみ)」を祀る境内社がある。
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 境内の南参道の鳥居、そして鳥居脇の手水鉢である。
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 また、境内には、壊れた鳥居の柱部分、大きな神木も祀られている。
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 この神社には神宮寺「善城寺」が北側にあった。
 明治の神仏分離で廃寺とされたが、室町時代作の不動明王像と他2体が近隣の西光寺に移され、現存しているとのことである。
 その他、この付近には、河内西国巡礼の「観音寺」もある。
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 また、両方の寺院の中間あたりには、神社の傍を流れていた川に通称「猫橋」が架かっていたが、改修の折に発掘調査が行われた。
 数体の地蔵と、室町後期と思われる五輪の塔が発見された。
 それが猫橋地蔵として石碑と共に祀られている。
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 そしてこの地点で「若江岩田駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線14・河内花園駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から13番目の駅の大阪府東大阪市の「河内花園駅」である。

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 「河内花園駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、階上の改札から駅舎を北側へと出る。
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 駅舎の中を潜り、南側へと出る。
 住所地は「花園本町」である
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 駅の南東側へと進む。
 通りを南下し、花園北小学校の前を通過し、回り込むと神社の社頭へと到着する。
 「式内社 津原神社」である。

 社頭は南面している。
 その社頭から南へと延びている道は、かつての馬場で、約600mもあったと云われている。
 社号柱が建ち、注連縄柱を潜ると社殿の手前に一対の狛犬が配され、そして拝殿である。
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 そして本殿である。
 本殿は覆屋に包まれている。
 本殿の祭神は、天児屋根命、玉櫛の荘の祖神である天玉櫛彦之命(あめのたまくしひこのみこと)、天櫛玉命である。
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 この神社の創建に関わる謂れは、奈良時代の終り頃、この河内郡一帯の風水害がはなはだしく、村人は極度に窮迫していた。
 そこに、加美村の八幡宮の祀部に、「大和川の上流より橘の枝と櫛笥の流れの止まる所に神を祀ったなれば、風水の禍は自ら治まるであろう……」と神託があった。
 それに従い、橘の枝と櫛笥を大和と河内の国境より流したところ、流れに乗った櫛笥が、津原の池の澱みに流れ着いて止まったと云われる。
 そこで玉櫛之荘の人々が相談し、この池の傍に社を建て、天児屋根命並びに玉櫛之荘の祖神天玉櫛彦之命、天櫛玉命を併せて祀ると、風水たちどころに治まったとされている。

 神社には多くの境内社が祀られている。
 本殿の左には、「若宮神社」、「一葉神社」、「白峰神社」である。
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 そして、「白瀧大明神」、「瀧姫大明神」、「白玉龍王」を祀る末社、「水神社」、さらに「石榎龍王」、「道明大神」、「丸津田神」を祀る末社である。
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 最後に、「八幡宮」と「稲荷神社」の合祀殿、社殿の奥にある「津原池」である。
 池の中には数羽の鴨が遊んでいたのが印象的であった。
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 そしてこの地点で、「河内花園駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線13・東花園駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から12番目の駅の大阪府東大阪市の「東花園駅」である。

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 東大阪市の「花園」と云えば「ラグビーの聖地」としてよく知られている所である。
 「東花園駅」で下車する。
 「台湾」の鉄道会社との連携車両も停まっている。
 そして、ホームの北東方向には「生駒山」のアンテナ群も見える。
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 コンコースは地上階である。
 社会人「近鉄ライナーズ」の写真が、賑やかであり、ラグビーの雰囲気が盛り上がる。
 そして、改札口から出る。
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 「東花園駅」の北側はロータリーである。
 多くのバスも発着する。
 マスコットの「トライくん」、そして今年の高校ラグビーの垂れ幕も吊るされている。
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 駅前の北東にあり、ラグビー場へ向かう道路は「スクラムロード花園」と云う。
 これをひた方向へと進む。
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 両側には歴代の優勝校のジャージ・校名パネルが貼られている。
 また、飲食はあまりないが、奈良で知られる「天スタ」の店がある・
 そして、5分程度で、ラグビー場がある「花園中央公園」へと到着する。
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 センターラインには、装飾が施されている。
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 公園の案内図も掲げられている。
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 手前、左手には、比較的新しい建物がある。
 「市民美術センター」である。
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 そして右手には、「ラグビーの森」と云うエリアがある。
 高校ラグビーの歴代の優勝校の校章のレリーフが貼り付けられている。
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 その北側には花壇があり、「メインスタジアム」正面の左前には、「ワールドカップ」のモニュメントが建てられている。
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 正面はメインスタジアムである。
 スタンドの隙間から観客席の一部も見える。
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 「メインスタジアム」は閉じられているので、その周辺を反時計回りに廻ってみる。
 右手には、一段と低くなったエリアで、南から、「陸上競技場」、「多目的広場」と並んでいる。
 その向こうには、児童文化スポーツセンター「ドリーム21」と云う文化体育施設がある。
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 尚、これら「陸上競技場」、「多目的広場」は、その東にある「恩地川(おんじがわ)」の洪水対策の施設も兼ねる「遊水地」である。

 更に北には野球場もあり、これも「遊水地」の一部である。
 そして、ラグビー場側には「練習グラウンド」、そして「メインスタジアム」の北側に「第二グラウンド」がある。
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 そして。ラグビー場を一周して、「東花園駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線12・瓢箪山駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から11番目の駅の大阪府東大阪市の「瓢箪山駅」である。

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 「瓢箪山」とは珍しい地名・駅名であるが、駅の東南部にある「瓢箪山古墳」に由来する。

 「瓢箪山駅」で下車する。
 駅の奈良方面ホームには、「楠木正行公墓 往生院」の標柱が建っている。
 これも、駅の東南方向にあると云うが、少し遠い。
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 駅の改札・コンコースは階上である。
 線路の東方向は奈良方向であるが、線路は登っているのが分かる。
 また、駅の南側は、2年前まではバスターミナルであったが、廃止されて、憩いの広場となっている。
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 駅の北側、南側はアーケードの商店街である。
 尚、この商店街は「国道170号線」で「東高野街道」の道路にあり、自動車が通れない国道として知られる。

 北側のアーケードは、「サンロード商店街」と云う。
 七夕飾りが賑やかで、北方向へと延びる。
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 そして南側は、「ジンジャモール商店街」である。
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 賑やかな商店街である。
 進んで行くと左手に鳥居が建っているのが見える。
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 「瓢箪山稲荷神社」の鳥居である。
 鳥居を潜り、参道を進む。
 左手に「太鼓台」の地車庫もある。
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 参道を進む。
 朱塗りの「二ノ鳥居」が建つ。
 その先に「石の鳥居」が建っている。
 鳥居には、「狐山神社」と記された扁額が掛けられている。
 「狐山」とは、この神社の後ろにある「瓢箪山古墳」との関係であろう。
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 神社の境内図も掲げられている。
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 一対の狛狐が祀られ、石段の先は「拝殿」である。
 時節柄、「茅の輪潜り」も設置されている。
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 訪問した当日は「例大祭」の日であった。
 「拝殿」では、白装束の巫女の舞が奉納されていた。
 そして拝殿の背後は、覆屋の「本殿」である。
 本殿の祭神は、「保食大神」の「若宇迦乃賣命」である。
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 この「瓢箪山稲荷神社」は、1583年、羽柴秀吉が大坂城築城にあたり、大坂城の南東三里の地に鎮護神として、伏見城から「ふくべ稲荷」を勧請したことが由緒とされている。
 また、秀吉は瓢箪を好んでいたので、神社を古墳前に創建し、「瓢箪山」と名付けた可能性もある。

 拝本殿の周囲には、多くの境内社が祀られている。
 右手には、「宮比神社」、「菅原神社」、「水分神社」である。
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 また、右手前には、氏神の「花草神社」が、本殿左手には、「三柱神社」や石造りの神々が祀られている。
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 神社の背後は、「瓢箪山古墳」である。
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 全長50mの双円墳で、古墳時代後期のものとされている。
 北側の丘を「大塚(狐塚)」、南側は「鬼塚」と呼ばれている。
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 また、「瓢箪山稲荷神社」は「辻占」の総本社である。
 神社前の「東高野街道」において、辻占いの風習があったとのことであるが、明治時代初めごろに宮司が「辻占」を創始し、「河内ひょうたん山恋の辻占」として日本全国に知られるようになったものである。
 神社の裏参道である「東参道」には、「辻占」の風景が見られる。
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 そしてこの地点で、「瓢箪山駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線11・枚岡駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から10番目の駅の大阪府東大阪市の「枚岡駅」である。

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 「枚岡駅」も生駒山麓に西面する駅で、標高は約50mである。
 「枚岡駅」で下車する。
 ホームの北に踏切があり、走行中の電車が見える。
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 駅の東側は神社である。
 駅に隣接して「元春日 平岡大社」の標柱が建ち、石段には注連縄柱、そして昇り詰めると「枚岡神社」の社号柱が建っている。
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 「枚岡神社」は、「河内国一之宮」で、「式内社 名神大社」である。

 また、「枚岡神社」は元春日と云われる。
 「春日大社」の創建以前、「神武天皇東征」の折、天皇の侍臣で「中臣氏」の祖である「天種子命(あめのたねこのみこと)」が、中臣氏祖神の「天児屋根命」と「比売御神」を祀ったのが創建とされている。
 そして、創建時は山上に祀られていたが、孝徳天皇の時代に、現在の中腹に遷座されたと云われている。

 石段を昇った所に、南北の道路が通っている。
 北側には、鳥居と「豊浦地車 太鼓台蔵」があり、南側は住宅街である。
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 正面の神社の参道へと進む。
 「二ノ鳥居」が建つ。
 そして参道は奥へと続く。
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 「枚岡神社」の境内図、「高灯篭」、そして右手の石段上に「斎館」が見える。
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 参道を進む。
 「注連縄柱」を潜り、「神橋」を渡り、石段を昇ると境内である。
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 境内正面には、「拝殿」が祀られている。
 そして「拝殿」の奥に本殿が見える。
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 「中門」と「透き塀」に囲まれた「本殿」である。
 本殿には、第一殿天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第二殿比売御神(ひめみかみ、天児屋根命の后神)、第三殿武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第四殿斎主命(いわいぬしのみこと)が祀られている。
 これらは奈良の春日大社に祀られている神々とも同じである。
 尚、「本殿」は「東大阪市指定文化財」である。
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 境内社として、「天神地祇社」「若宮社」、そして「一言神社」が祀られている。
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 また、境内には、神の使いの神鹿の親子も祀られている。
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 右手(南方向)へと行く。
 工事中の「天神地祇社」が石段上に、その先には「枚岡梅林」が広がっている。
 そして裏参道の鳥居を潜り、神社を退出したのであった。
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 「枚岡駅」へと戻り、この駅のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線10・額田駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から9つ目駅の大阪府東大阪市の「額田駅」である。

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 「額田」と云う地名は、古代に、応神天皇の第一皇子の額田大仲日子命を祖とする額田一族が住んでいたところから名付けらたと云われる。
 さらに、「万葉集」で知られる「額田王」もその一族であったとの説もある。

 「額田駅」で下車する。
 「額田駅」の標高は70m強である。
 ホームから大阪市内の「あべのハルカス」を望むことができる。
 そして駅の西側でと出る。
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 踏切を渡り、東側ロータリーから、集落内の道路を東進する。
 かなりきつい上りである。
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 右手に、「政家住宅」がある。
 明治中期の建物で、東大阪市の民族文化財に指定されている。
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 横や裏側を眺めてみる。
 外観は、そう特徴のあるものでは無い。
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 「政家住宅」を後に、更に登る。
 標高は100mを越え、大阪の風景が良く見えて来る。
 阿倍野の「あべのハルカス」、そして「六甲山」を背景に、大阪北地区のビル群である。
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 そして陣は、「浄土宗 重願寺」である。
 豊臣秀吉の本願で、1594年5月18日に岸譽雲海上人が開基したとされている。
 「聖観音立像」は、藤原様式の優美な姿で、大坂三十三ヶ所観音めぐりの第17番札所として江戸時代以来信仰されているとのことである。
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 門前に、「境内にハスの花が咲いてます」との案内があるので魅かれてみる。
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 右手は「額田聖観音」が祀られている「多宝塔」である。
 そして正面は本堂である。
 そして横には参集所が連なっている。
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 境内には「十三重の石塔」もある。
 「多宝塔」をもう一度眺め、寺院を退出した。
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 神社の南側は「枚岡公園」である。
 2ヶ所の入り口が備えられている。
 この辺りは、標高115mくらいである。
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 元の道へと戻り、更に登る。
 右手に神社が見える。
 「大石大明神」である。
 大きな石を神体とする神社である。
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 少し下って、北へと進む。
 鳥居が建ち、その先左手に、「楠木正行(まさつら)の首塚」が祀られている。
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 四條・縄手の戦いにて敗れた「正行」の首が石龕に安置されているとのことである。
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 また周囲には、「顕彰碑」、「法華経」、そして「山の神」が祀られている。
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 「額田駅」のミニ探索はここまでである。
 駅の東口の改札を入り、やって来た電車に乗って、次に向かったのであった。
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近鉄奈良線9・石切駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から8つ目駅の大阪府東大阪市の「石切駅」である。

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 前回の「生駒駅」から大阪方面へトンネルを抜けると、直ぐに「石切駅」である。

 「石切駅」で下車する。
 ホームの端から、抜けてきた「新生駒トンネル」も見える。
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 改札・駅舎は階上である。
 線路やホームを見下ろしてみる。
 この「石切駅」は標高110mの所にあり、下界の風景も良く見える。
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 今回は、更に山側の「石切劔箭神社上之社」を訪問してみる。

 駅の山側(東側)の車道を南へと進む。
 カーブの先で、小路へと右折する。
 山より流れて来る川「音川」を渡り進む。
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 少し行くと下から上がって来る道と合流する。
 その道の少し下に、「爪切地蔵」が祀られている。
 そして、案内板に従い更に登る。
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 右手の注連縄柱が建つ間の参道を進む。
 手前横には、近代的な建物がある。
 「夢観音堂」であったが、今は看板も外されている。
 そして神社の鳥居前に到着する。
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 社号柱には、「石切劔箭神社上之社」と記されている。
 参道を進むと、神牛の親子が祀られている。
 そして石段となる。
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 石段を昇ると境内である。
 左手には、「参集殿」、右手には「社務所」がある。
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 そして正面は「拝殿」、「本殿」である。
 祭神は、「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」、「可美真手命(うましまでのみこと)」とされている。
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 この「上之社」は神武2年の創建とされる。
 その後崇神天皇の時代に「下之社」(現在の「石切劔箭神社本社)」が創建されたとされる。

 境内には、2基の井戸、そして拝殿の渡り廊下、その向こうに「石切劔箭神社上之社址」と云う石碑が建っている。
 神武期の創建時には、この場所に本殿があったとのことだと思われる。
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 神社の周辺を廻ってみる。
 饒速日尊の妃「三炊屋媛(みかしきやひめ)」が祀られている「石切登美霊社」、八大竜王が祀られる「八大竜王社」、そして「御礼池」などが祀られている。
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 この時点で「石切駅」のミニ探索は終了であるが、「石切駅」から参道商店街を下って行くと、本社の「石切劔箭神社」が祀られている。
 過去に訪問したことがあるので、ご興味の方は、下記URLをご参照願いたい。

   http://fujisirorei.blog.fc2.com/blog-entry-1103.html

今年の祇園祭

 京都では、本日7月17日は、例年だと「祇園祭・先祭」の山鉾巡行の日である。
 巡行は中止となったが、「山鉾建て」は行われたので、山鉾を見ることはできる。

 場所は、「京都市下京区」の京都市地下鉄の「 四条駅」、「阪急 烏丸駅」の周辺である。

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 「四条駅」で下車する。
 地上は「四条烏丸」の交差点である。
 銀行の建物やビルが並ぶ通りに、「鉾」も見える。
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 常に山鉾巡行の先頭を行く「長刀鉾」である。
 この鉾だけは「烏丸通」の東にあり、近づいてみる。
 特に、「懸装品(けそうひん)」の「前掛」、「胴掛」、「見送」の優美な織物が見事である。
 この鉾にのみ稚児が乗ることになっていて、「注連縄切り」が行われ、神域へと山鉾が巡行することの行事が行われる。
 また、鉾の由来は、平安時代の名工「三条小鍛冶宗近」が娘の病気平癒を祈って「祇園社」に奉納した長刀とされている。
 また、「天王座」には、鎌倉時代の武士「和泉小次郎親衡」の人形が祀られている。
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 「四条烏丸」の交差点を西へと行く。
 今度は「函谷鉾(かんこぼこ)」である。
 この鉾は鉾2番目で巡行する「くじ取らず」の鉾である。
 中国の戦国時代に「斉」の宰相の「孟嘗君」が「函谷関」で、家来に鶏の鳴き声を真似させて関門を開かせ難を逃れたという故事が由来となっている。
 そして、「天王座」は「孟嘗君」である。
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 更に西へ行き、「室町通」を渡ると、「四条通」の南側に「月鉾」が建っている。
 「月鉾」は「山鉾」の中でも最も大きく、重い鉾である。
 そして、鉾を飾る、「懸装品」も細部に至るまで素晴らしく、動く美術館と云われている。
 鉾頭に「月」を装備し、「天王座」には「月読尊」を祀っていることから、「月鉾」と呼称されるようになったと云われる。
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 「室町通」を南下する。
 右手に「池坊短期大学・文化学院」が建っている。
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 そしてその南隣には「鶏鉾(にわとりぼこ)」が建っている。
 名称は、中国の故事によるもので、唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓も用がなく苔が生え鶏が宿ったとのことによる。
 また、「天王座」には航海の神といわれる「住吉明神」が祀られている。
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 「四条烏丸」周辺で見つけた山鉾は、ここまでである。
 今回の「山鉾建て」は、34基中の17基が建てられたとされている。
 来年は、是非とも「山鉾巡行」の開催を願うものである。

近鉄奈良線8・生駒駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から7つ目駅の生駒市の「生駒駅」である。

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 「生駒駅」で下車する。
 この「生駒駅」は、支線の「近鉄生駒線」の起終点でもあり、「奈良線」ホームの南隣にはそのホームもある。
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 更に、「奈良線」ホームの北隣には、「大阪メトロ中央線」と相互乗り入れをしている「近鉄けいはんな線」のホームもある。
 そしてホームの西には、大阪へと抜ける「新生駒トンネル」の入り口も見える。
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 改札・コンコースは階上である。
 駅ナカには幾つかの店舗もあり、改札を出ると、駅は2つに分かれていることが分かる。
 そして、駅舎の外は陸橋となっている。
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 駅舎とは陸橋を介して近鉄デパートがある。
 そして、陸橋の下にはロータリーがあり、西側には「生駒山」が見える風景がある。
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 次に駅舎の南側へと移動する。
 南側には、アーケード商店街「びっくり通り」がある。
 西へ進むと「生駒聖天」へと続く商店街があり、これを進む。
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 商店街を抜けると「生駒ケーブル」の駅「鳥居前」である。
 駅構内に入ると、丁度、ケーブルカーが出発した所であった。
 そしてケーブルに乗って、「大和十三仏巡り」の第一番「生駒聖天 宝山寺」へと行ってみる。
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 ケーブルは下界を見ながら「宝山寺駅」へと着き、参道案内標柱に従い、商店街の石段を登る。
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 この「宝山寺」への石段であるが、下から寺院まで約1,000段あるそうで、讃岐の金毘羅山に匹敵するものである。
 石段を登ってゆくと、石灯篭が並び、「一ノ鳥居」が建っている。
 この鳥居は、地上の登り口に祀られていたものであるが、この場所に移設されたとのことである。
 ケーブルの下の駅が「鳥居前駅」と云うのも、この鳥居に由来するものであろう。
 そして、鳥居を潜り石段を昇ると、その先は「惣門」である。
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 「惣門」を潜ると、その先は「中門」である。
 「中門」を潜ると、右手に5層の銅製の宝塔「朝日宝塔」、そして「本堂」が祀られている。
 尚、「本堂」の本尊は「不動明王」である。
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 正面には鳥居が建っている。
 この鳥居はその右手の「聖天堂」へと続くものである。
 「聖天堂」は、「外拝殿」、「中拝殿」、「聖天堂」から構成される檜皮葺き八棟造りで、「大聖歓喜天」が祀られている。
 尚、「聖天堂」の奥に見えるのは「観音堂」の屋根の部分である。
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 また、中心となる堂宇群の周辺には、「多宝塔」、「文殊堂」など多くの堂宇が祀られている。
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 そして、背後の岩場である。
 「弥勒菩薩像」、「小祠」が祀られている。
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 「宝山寺」は、奈良時代に「役行者」が般若窟を修行道場として開いたものが起こりとされている。
 そして、江戸時代になって、湛海律師が再興したとされている。

 この「宝山寺」と近鉄「生駒駅」とのかかわりであるが、一説によると、前身の「大阪電気鉄道(大軌) 奈良線」建設時に、「宝山寺」側が麓に駅の設置を請願したとされている。
 その駅の建設に伴う「生駒トンネル」の開削が難工事で、大軌の経営は悪化したとされ、寺側へ借金を申し入れ、寺側も責任を感じ、「賽銭」を貸し付けたとされる。
 当時の大軌の社員の給料袋はずっしりと重かった云うエピソードもある。
 そして、その借金のお礼として、日本初のケーブルカーをこの地に敷設したと云われている。

 「生駒聖天 宝山寺」への参拝を終了し、この地点で「生駒駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線7・東生駒駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から6つ目駅の生駒市の「東生駒駅」である。

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 「東生駒駅」で下車する。
 「東生駒駅」の北隣は、「大阪メトロ中央線」に乗り入れている「近鉄けはんな線」の車庫となっている。
 車庫の線路群の向こうには、「近鉄けいはんな線」の線路が敷設されている。
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 「東生駒駅」の駅舎から出る。
 この駅は、1階がバス停のロータリー、2階には車での送迎エリアがあると云う2階建ての珍しい構造となっている。
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 駅前の道路から東方向を眺めると、右手に「近鉄東生駒ビル」、左手に「生駒市立病院」が見える。
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 先ずは左手の病院前まで行ってみる。
 看板を見ると、病院の指定管理者は医療法人の「徳洲会」となっている。
 最近は公立病院で企業が運営に当たるという病院が増る傾向にある。
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 次は右手の近鉄東生駒ビルである。
 このビルの上層階には都市型ケーブルテレビの「近鉄ケーブルネット(KCN)」の本社がある。
 2階の店舗では、4K、8Kの放送受信がなされていた。
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 本社の道路を挟んで駅側には、ケーブル局のアンテナ群がある。
 そしてその横には、白い頑丈な建物がある。
 ケーブルテレビの心臓部である「センター設備 ヘッドエンド」と思われる。
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 この「近鉄ケーブルネット」は1980年代に開局した、我が国の草分けのケーブル局であり、感慨深いものであった。
 そしてこの地点で、「東生駒駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線6・富雄駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から5つ目駅の奈良市の「富雄駅」である。

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 「富雄駅」で下車し、南口から駅舎を出る。
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 ロータリから南方向へ行く道路を進むと、東西の広い道路と交差する。 
 東方向は「学園富雄通り」、西方向は「とりみ通り」と云う。
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 道路の向こう側に旧道と思われる入り口があるので、それへと入り、進む。
 小路は用水路に沿って南下する。
 途中、左手に「多聞院」への参道口があるが、後程ということにして進む。
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 途中、右手(西方向)に「生駒山」が見える。
 付近の地蔵尊などが、集合して祭祀されている所もある。
 そして左手の公民館前に、「三碓(みつがらす)小学校跡」という石柱も建てられている。
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 少し行くと、左手に神社の入り口がある。
 今回の目的地である「式内社大社 添御縣坐(そうのみあがたにます)神社」の参道で、東へと続く。
 住所地は「三碓(みつがらす)である。
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 参道を進むと、境内下へと到着する。
 社号柱が建ち、石段となる。
 そして昇り詰めると、境内である。
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 境内の右側は「本殿エリア」である。
 重要文化財の立て札も立てられている。
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 境内左側には「舞台」、右側の本殿前には割拝式の「拝殿」が建っている。
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 そして奥の「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「建速須佐ノ男命」、「武乳速之命」、「櫛稲田姫之命」の三神とされている。
 「武乳速之命」は、春日神の「天児屋命」の別名とされ、一説では、その実名は富雄川中域を治めていた首長で、「神武東征」に敗れた「長髄彦(ながすねひこ)」とされている。
 また、「長髄彦」は、別名を「登美毘古(とみびこ)」と云い、「富雄」の地名の由来にもなっている。
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 境内には、境内社が祀られている。
 「拝殿」に向かいあう「恵美須神社」、「本殿」左手の「九之明神」、「福神宮」である。
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 尚、この「添御縣坐神社」の創建は、古墳時代で、この地を治めていた小野氏の手によるものとされている。

 神社を宇r参道から退出する。
 石段下には、「真言律宗 根聖院(こんしょういん)」の寺門がある。
 神社との位置関係から神宮寺であったようであるが、現在は「西大寺」の末寺とのことである。
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 境内右手には、「鐘楼」、そして「宝篋印塔」などの拝所、正面には「本堂」が建つ。
 「本堂」には本尊として「薬師如来」が祀られている。
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 この寺の境内には、この地域「三碓」の地名由来となる「地名起源の石」が祀られている。
 三つの窪みが設けられた朝鮮から渡来の米搗き用の石臼で、「三ッ碓」(みつつきうす)から、聖武天皇が名付けたものとされている。
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 「根聖院」を後に、元来た道を駅方向へと戻る。
 街道を戻って行くと、正面に先ほど脇を過ぎてきた「多聞院」の正面参道がある。
 そして石段となり、昇り詰めると「たもんちゃん」がむかえてくれる「寺門」である。
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 「融通念仏宗 井辻山 多聞院」と云う。
 正面に「本堂」、右手に「毘沙門堂」が祀られている。
 そして裏参道から退出し、駅へと戻ったのであった。
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 駅のホームから、ホームの西先端の北側に連歌作りの種物が見える。
 調べて見ると近鉄電車の旧の変電所とのことである。
 使われなくなった建物はスペイン料理の店として活用されていたが、その店も「近鉄奈良駅」の近くに移動し、その遺構となっているとのことであった。
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 そして、やって来た電車に乗り、「富雄駅」のミニ探索を終了したのであった。
 

近鉄奈良線5・学園前駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から4つ目駅の奈良市の「学園前駅」である。

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 「学園前駅」は、1942年に開設された奈良線では比較的新しい駅である。
 この辺りは元々は、松林ばかりの山地であったが、大阪の帝塚山学院と近鉄の考えが一致し、「帝塚山学園」の「帝塚山中学校」が開校され、それに伴い新設された駅である。

 「学園前駅」で下車し、南口から駅舎を出る。
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 駅の南は、「帝塚山学園」の校舎・学舎が集積しているところである。
 北向き(駅向き)に門がある。
 中・高の正門であろうか、門の中にはモニュメントも建っている。
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 また陸橋の続きにも門がある。
 その下の道路にも西向きに門があり、中・高の校舎であろう、大きな建物が幾つか並んでいるのが見える。
 道路に沿って南側にも建物が並ぶ。
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 陸橋の上からもう一度眺めてみる。
 西方向には「帝塚山大学」の建物、その北(右側)には「奈良市西部会館」である。
 また東側には、道路を挟んで大学の教育学部の建物がある。
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 地上へ降りて車道を南へと進む。
 右手は、グラウンドとなっているが、その先に「帝塚山小学校」の校門がある。
 校舎は見えないが、校門から続く道には、恐らく学童達の製作によるものであろう、「面」が並んでいる。
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 一旦、駅へと戻り、駅に沿って「奈良市西部会館」との間を西へと行く。
 抜けた所に、「帝塚山幼稚園」の門がある。
 回り込むと、園舎の側面が見える。
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 「帝塚山学園」は幼稚園から大学まで備えた大教育機関である。
 但し、ここでは「帝塚山大学」の学舎は少ないが、「富雄駅」と「東生駒駅」との間の南に大きな「東生駒キャンパス」が存在している。

 駅へと戻る。
 東方向へと行く。
 「帝塚山大学」の前を通過する道路を東へと進む。
 「大和文華館」の案内に従って右折する。
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 少し進むと、「大和文華館」の正門である。
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 広場へと入ってみると、左手に趣のある建物、正面には「文華館」への入り口がある。
 建物は「文華ホール」と云い、明治42年に辰野金吾の設計により建てられた奈良ホテルのラウンジの一部が移築されたものとのことである。
 「文華ホール」を眺めたところで、「文華館」へは行かずに、駅へと戻ったのであった。
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 今度は、駅の北側である。
 駅ロータリーの北側はショッピング街で、その先は住宅街へと繋がる。
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 途中左折し、進んで行くと、両側に学校が見えて来る。
 「学園前」であるので、別の学園も見てみようとのことである。
 左手は「奈良女子大学附属小学校」、右側は「奈良女子大学附属幼稚園」で、いずれも国立大学法人である。
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 小学校は明治44年に開校された「奈良女子高等師範学校附属小学校」が前身であり、昭和40年にこの「学園前」の地に移転されたものである。
 また、幼稚園は大正元年に開園され、一年遅れでこの地に移転されたものである。

 先ずは、幼稚園を眺めてみる。
 園内は樹々に阻まれ、中々見えないが、多くの施設が備えられているようである。
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 幼稚園の道路向かいは、小学校の裏門である。
 グラウンドには、バスケットボールのコートが3面並んでいる。
 さすがに国立の学校で、恵まれているのが見える。
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 小学校の東面が正門である。
 メインの校舎であろうか、時計台も備わっている。
 また遊具やグラウンドも見える。
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 「奈良女大附属小・幼」を後に、駅へ戻る方向である南へと進むと車道へと出る。
 「近鉄奈良線」の線路があり、踏切から「学園前駅」のホームが見える。
 また、踏切先からは、「帝塚山学園」の風景も確認し、「学園前駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄奈良線4・菖蒲池駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から3つ目駅の奈良市の「菖蒲池駅」である。

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 「菖蒲池駅」の北側は、大正15年に開園され。平成16年に閉園された「近鉄あやめ池遊園地」であった。

 「菖蒲池駅」で下車する。
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 駅前は整備されていて、食品スーパーなどもあるが、最も目立つのは、駅斜め向かいの学校である。
 「近畿大学附属小学校」、「近畿大学附属幼稚園」が並んでいる。
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 駅前の左手(西側)へ行く。
 「菖蒲池」の西端が見え、高級焼肉バイキングの「AYAMEKAN」がある。
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 東へ進むと、「菖蒲池」の風景が見えて来る。
 池を横断する遊歩橋「さつき橋」も見える。
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 そして、ら・テラスやHANAなどのカフェレストランなどがある。
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 回り込むと、オープンテラスもあり、賑やかである。
 ヤマボウシも咲いているが、そろそろ終わりに近づいている。
 テラスの先は、池を渡る「さつき橋」の入り口である。
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 池の周りを北東方向へと進む。
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 広い「菖蒲池」である。
 池畔に大遊園地があったかと思うと、感慨もひとしおである。
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 そしてこの地点で「菖蒲池駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線3・大和西大寺駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」から2つ目駅の奈良市の「大和西大寺駅」である。

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 「大和西大寺駅」は、「近鉄奈良線」に北方向から「近鉄京都線」、南から「近鉄橿原線」が合流する乗り換え接続駅である。
 「大和西大寺駅」で下車する。
 ホームは地上であるが、改札・コンコースは階上で、階上には駅ナカのショッピングが数多く設けられている。
 また、「大和西大寺駅」はここ数年の間に改修され、南口のロータリーは今年の4月に使用開始されたばかりである。
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 駅舎を南口から出る。
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 駅前広場を駅に沿って北西方向へと進み、交差点を南下すると、「真言律宗総本山 西大寺」という寺院の「東門」前に到着する。
 「東門」の東側の境外には、「石落神社」が鎮座している。
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 「西大寺」は、奈良時代に称徳天皇の鎮護国家の勅願によって創建され、 南都七大寺の一つである。
 そして平安時代の一時退転の後、鎌倉時代に叡尊上人の「興法利生の思念」によって再建され、 密・律双修の真言律の根本道場として再生された寺院である。

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 「東門」から入る。
 右手に、「四王堂」、「護摩堂」と続く。
 「四王堂」は、観音堂とも云われ、重要文化財の木造十一面観音立像が祀られている。
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 その先右手は「本堂」である。
 「本堂」は重要文化財で、本尊のこれも重要文化財の「釈迦如来」が安置されている。
 そして、「本堂」前には、「東塔」の基礎部分と礎石が残されている。
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 「本堂」の西側は「本坊」であるが、並んで南側に、「大黒堂」、「愛染堂」、「大師堂」と並ぶ。
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 そして南側には、「鐘楼堂があり」、「清瀧権現社」も祀られている。
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 境内を一周したところで、「南門」から退出する。
 寺院の外側を廻ってみるが、北側には趣のある土塀が守られていることが分かったのであった。
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 そしてこの地点で、「大和西大寺駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線2・新大宮駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 今回は、「近鉄奈良駅」の次の駅の奈良市の「新大宮駅」である。

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 「新大宮駅」で下車する。
 「近鉄奈良駅」と「新大宮駅」との間は地下線路であったが、「新大宮駅」からは地上駅となる。
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 駅から少し南へ行くと国道へと出る。
 「国道369号線」で、「大宮通り」と云い、これを西方向へと進む。
 この道路は大阪と奈良を結ぶ一般道の幹線道路で、前回の「登大路」、「奈良公園」、「奈良県庁」へと繋がる。
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 進んで行くと、「佐保川」を「大宮橋」で渡る。
 川を渡って少し行くと、右手(北側)に大きな建物が見える。
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 「奈良市役所」である。
 そして向かい側には、新しく建設された「ホテル」も建ち、その南側には「奈良県コンベンションセンター」がある。
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 更に西へと進む。
 「菰川」を「大宮小橋」で渡る。
 その先右手はかつての「ならそごう」というデパートで、現在は「ミ・ナーラ」という大型ショッピング施設である。
 その道路沿いに「長屋王邸跡」の説明板が設けられている。
 「長屋王」は奈良時代の左大臣で政界の重鎮であったが、対立する藤原四兄弟の陰謀といわれる長屋王の変で自殺した人物であり、この場所に大邸宅を構えていたとされている。
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 その道路を挟んで南側は、「平城京左京三条二坊宮廷庭園である。
 庭園は奈良時代から平安時代にかけて、貴族の間で「曲水の宴」の場として用いられていた池泉回遊式庭園とのことで、復元整備されているものである。
 「大宮通り」を跨ぐ歩道橋から庭園を眺めてみる。
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 その西の国道24号線の高架を潜る。
 進んで行くと右手に長い土塀が近づく。
 「平城京跡」である。
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 この辺りは「朱雀門ひろば」と云う。
 正面には、「朱雀門」が建っている。
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  右手には、先ほどの土塀、その北側に「平城宮いざない館」の建物が並んでいる。
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 左手は新しい領域である。
 「観光交流施設」である。
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 2棟の建物が並ぶが、その間の南側に「せんとくん」の案内で、「遣唐使船」が復元展示されている。
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 「遣唐使船」を見学してみる。
 全長は30m、全幅は9.6m、排水量は300トン、最大積載量は150トンとのことである。
 4隻で航行し、1隻当たり150人が乗船していたとされる。
 そんな大きな船でないので、人で溢れかえっていたと想像できる。
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 船首には錨、帆は竹や葦を薄く削った「網代帆」となっている。
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 また船尾には、舵が装備されている。
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 最後に「遣唐使船」の甲板から「観光交流施設」の建物を眺めてみる。
 左は「天平みつき館」、地元の特産品やお土産を販売する建物である。
 右は「天平うまし館」、名の通りの飲食店舗が並ぶ建物である。
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 尚、この平城京の「朱雀門」の北側には「近鉄奈良線」の線路があり、時々、電車が走る光景が見られると云う珍しい風景もある。
 そしてこの地点で、「新大宮駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄奈良線1・近鉄奈良駅

 奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
 「近鉄奈良線」は運転系統での呼称であり、正確には、「奈良線」(近鉄奈良駅―布施駅)、「大阪線」(布施駅―大阪上本町駅)、「難波線」(大阪上本町駅―近鉄難波駅)、の各線の集合路線である。

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 今回は、奈良市側の起終点である「近鉄奈良駅」で下車し、付近の近場を探索してみる。

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 「近鉄奈良駅」で下車する。
 「近鉄奈良線」には、「阪神電鉄」や「京都市地下鉄」が乗り入れている。
 丁度、阪神の「神戸三宮駅」行きの電車が、停車しているところであった。
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 駅や改札は地下である。
 東側から地上へと出る。
 駅前広場には「僧 行基」の像が立ち、その向こうは「東向(ひがしむき)商店街の入り口である。
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 駅前の道路は「登大路」と云い、交差点となっている。
 交差点の北方向は「東向北商店街」、南側は先ほどの駅に続く「東向商店街」である。
 そして「登大路」は東へと続く。
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 先ずは東方向へ、「登大路」を進んでみる。
 右手には「興福寺」があるが、後程にして進んで行くと、左手に「奈良県庁」の庁舎が建っている。
 そして一角には、奈良県の花、奈良市の花である「奈良八重桜旧蹟」の碑が建っている。
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 駅まで戻る。
 今度は、「東向北商店街」へと進む。
 こちらは、「和」と云うより、「洋」の飲食が多い感じである。
 商店街の途中には、「カトリック奈良教会」があり、奥には幼稚園もある。
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 商店街は突き当たる。
 右折すると、趣のある町屋、直ぐに左折すると、「初宮神社」、そして旧鍋屋交番の「きたまち案内所」がある。
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 その北側左手が「奈良女子大学」である。
 正面から見える「正門」、「守衛室」、「旧本館(現記念館)」は重要文化財である。
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 「近鉄奈良駅」の駅前へと戻る。
 今度は、「東向商店街」を南下してみる。
 尚、「東向(ひがしむき)」とは、通りの東側は興福寺の境内で、当初は西側にのみ店が建てられたので、全ての店が東を向いていたことに端を発している。
 土産物屋や老舗の多い商店街であるが、近年はカフェやアパレルなども増えてきている。
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 中には、珍しい所では「興福寺」と背中を接して「奈良基督教会」、さして老舗の奈良漬の店舗もある。
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 商店街を抜けると「三条通」である。
 西へ行けば、「JR奈良駅」へと行くことができる。
 また南側は「もちいどのセンター街」の入り口である。
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 東方向へ進む。
 左手に、「螺良健里程元標」、「高札場」があり、右手に「采女(うめね)神社」が祀られている。
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 そして東側右手には、「猿沢池」、ずっと先には「春日大社 一ノ鳥居」が見える。
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 「猿沢池」の北側は「興福寺」であるので、それを訪れてみる。

 「興福寺」は法相宗の大本山で、前身は「山階寺(やましなでら)」とされる。
 飛鳥時代に、藤原鎌足の病気回復を願って、夫人・鏡女王が造営したものと伝えられている。
 そして、710年の平城遷都の際に、藤原不比等の手によって現在地に移され、「興福寺」と名付けられましたとされている。

 伽藍の中で、「中金堂」は3年前に復元されたものであり、正面に見える。
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 そして右手(東側)には、いずれも国宝の「東金堂」、「五重塔」が建つ。
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 左手の西南側には、あまり知られていないが国宝の「三重塔」、良く知られている西国三十三ヶ所第9番の重要文化財「南円堂」が建つ。
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 そして北西側には、国宝の「北円堂」が建っている。
 また、境内の庭園部分では、「奈良の鹿」も遊んでいる風景がある。
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 そしてこの地点で「近鉄奈良駅」のミニ探索を終了したのであった。

京阪交野線8・私市駅

 京阪電鉄の支線で、「枚方市駅」と交野市の「私市(きさいち)駅」を起終点とする「交野線」の各駅を探索してみる。
 今回は、「枚方市駅」から7番目で、「起終点」の大阪府交野市の「私市駅」である。

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 「私市(きさいち)」とは、推古天皇時代から交野の村々は皇后の部民(べのたみ、私部(きさべ)であり、その中心が「私部内(きさべうち)」で、訛って「私市」となったとされる。

 「私市駅」で下車する。
 終点駅であるので、線路には車輪止めが設置され、丁度、この交野線のラッピング電車「トーマス号」も入線しているのが見える。
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 駅舎の外へと出ると、正面は小さな公園で、中を進むと「植物園」の案内看板がある。
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 「植物園」の看板に従って道路を進むと、「磐船街道(国道168号線)」と交差し、その先は「植物園」への通路である。
 進んで行くと、「天野川」に架かる橋が近づく。
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 橋の左手には、公園状の遊び場がある。
 「私市水辺プラザ」と云い、丁度、子供たちが遊んでいるのが見える。
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 「天野川」に架かる橋は「日の出橋」である。
 橋を渡ると「大阪市立大学理学部附属植物園」の入り口であり、これを入る。
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 右手の事務所で入場手続きをすると、「植物園」が広がる。
 左手は丘陵、正面は水生植物の広場である。
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 先ずは正面の水生植物の方へと進む。
 「スイレン」が並んでいるので、順番に見ながら進む。
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 スイレンの右手の少しの高台は鉢植えの「ハス園」である。
 色んなハスが並べられている。
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 順番に眺めて「ハス園」を終了する。
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 「スイレン」「ハス」の奥に、作業小屋があるので近づいてみる。
 丁度。ムクゲの花が咲いている。
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 丘の方へと行く。
 研究棟、展示棟、温室などがある。
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 左手に「夾竹桃」の林があるので、少し覗いてみる。
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 丘を進んで行くと、右手に「ヤシ」の木が並ぶ。
 道の逆側に、気象計測の基地も見られる。
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 そして少しの「アジサイ」も見られる。
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 ここでUターンし、池の傍へと降り、「メタセコイア」の林の中を抜け、熱帯・亜熱帯植物園の前を通り、元の入り口へと戻ったのであった。
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 そしてこの地点で、「私市駅」と「京阪交野線」のミニ探索を終了したのであった。

京阪交野線7・河内森駅

 京阪電鉄の支線で、「枚方市駅」と交野市の「私市(きさいち)駅」を起終点とする「交野線」の各駅を探索してみる。
 今回は、「枚方市駅」から6番目の駅である大阪府交野市の「河内森駅」である。

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 「河内森駅」で下車する。
 「河内森駅」手前で、「JR学研都市線」と交差し、JRの駅は{河内磐船駅」で、乗り換え可能駅である。
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 「河内森駅」を出て東へと進み、右折れして少し進むと「天田神社」の社頭に到着する。
 少し南へと後退した所に一ノ鳥居が建つ。
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 鳥居を潜り参道を進むと、右手に保育所がある。
 道路と交差すると住所地は「私市(きさいち)」の表示、そして境内入り口である。
 そこには社号柱が建つ。
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 境内正面は拝殿である。
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 そして、拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は住吉4神である。
 この地は、かつては物部氏の領地であったので饒速日命(にぎはやひのみこと)が祭神であったが、平安時代になって多数の貴族が猟に訪れたことから、住吉神に変更されたとのことである。
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 古代この地方は、地味が肥えた作物豊かな野であったので、「甘野」と云われ、川は「甘野川」、田は「甘田」であった。
 この「甘田」に田の神を祀って建てた甘田の宮が「天田神社」の起源であるとされている。
 平安時代に貴族が遊猟に来て、歌を詠んだとされるが、七夕伝説に因んで、甘が天となったとされている。

 境内社の集合祠が祀られている。
 集合社の明細石板も掲げられている。
         2006IMG_9208.jpg  2006IMG_9209.jpg

 「天田神社」の本殿の後ろ側にもう一つの神社がある。
 品陀別命を祭神とする八幡神社の「川東神社」である。
 古来、この地区は京都の石清水八幡宮の荘園であったことから祀られたものとされている。
    2006IMG_9215.jpg  2006IMG_9213.jpg  2006IMG_9216.jpg

 この神社には西方向から入る。
 鳥居、高灯篭があり、こちらの住所は「森南」である。
 このことから、「天田神社」は、私市と森南の村の合同の鎮守であることが分かる。
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 そしてこの地点で、「河内森駅」のミニ探索を終了したのであった。

京阪交野線6・交野市駅

 京阪電鉄の支線で、「枚方市駅」と交野市の「私市(きさいち)駅」を起終点とする「交野線」の各駅を探索してみる。
 今回は、「枚方市駅」から4番目の駅である大阪府交野市の「交野市駅」である。

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 「交野市駅」で下車する。
 「交野市駅」は、相対式2面2線のホームを持つ駅であるが、この「交野線」では唯一の橋上駅舎の駅である。
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 駅の東口から東方向へと向かう。
 進んで行くと、行く手に「交野市役所」の庁舎が見えて来るが、その手前を右折し、北へと向かう。
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 北へと進んで行くと、左手に「交野郵便局」があり、その先の交差点を右折し、少し行くと南側に「私部(きさべ)城跡」という看板が設置されている。
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 「私部城」は戦国時代に、「織田信長」が「足利義昭」を伴い上洛したタイミングに合わせて、河内の実力者「安見右近」により築城されたとされている。
 城跡は、「本郭」を中にして、西に「二郭」、東に「三郭」で構成され、堀と土塁で構成されたとされる。
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 看板が建っている所は、「二郭」であり、現在は駐車場所が設けられている。
 南側に少しの高台があるが、「天守台」と思われる。
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 「二郭」から「本郭」を見ると、間に堀が設けられている。
 そして南側の道路へと出ると、そこには「私部城跡」の石柱が建っている。
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 「本郭」や「三郭」へと入ってみようと東へ進むが、住宅街となり入り口は無い。
 また、「三郭」は住宅地となっているので、良くは分からない。

 住宅街を大きく回り込んで、「本郭」の北側へと出る。
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 一ヶ所だけ花がある。紫陽花である。
 そして、「本郭」と「二郭」の間の堀を眺めて、城跡見学は終了である。
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 「私部城」は、信長が襲われた本能寺事件の後に、廃城となったとされている。
 ここで云う「私部(きさべ)」の地名の由来であるが、当時のこの辺りは天皇家の領地で、「私部」は皇后のための稲作を行う人の役職名であったが、 それが地名に残されたとのことである。

 城跡から南方向へと行くと、3つの寺院がある。
 先ずは「長寿山 光通寺」という臨済宗の寺院である。
 南北朝時代に、「後村上天皇」の勅願により、播磨の守護大名「赤松円心」が檀越となり開山されたとの寺院である。
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 その南には「修元山 想善寺」がある。
 西山浄土宗の寺院で、創建は「織田信長」の時代の天正年間とされている。
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 その東には、浄土真宗の「無量光寺」が建っている。
 創建は、平安末期から鎌倉とされている。
 信長の石山本願寺の戦いにも関連があったとのことであるが、今回はパスとする。
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 その南へと行く。
 重要文化財の「北田家住宅」という大きな屋敷がある。
 「北田家」は私部城主安見氏の家老であり、江戸時代になって代官を努めたとの家柄である。
 55m強の「長屋門」は我が国最大のものであろうか。
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 そして、主屋、乾蔵、北蔵も重要文化財である。
 また、土塀も見事なものである。
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 そしてこの地点で「交野市駅」のミニ探索を終了したのであった。

京阪交野線5・郡津駅

 京阪電鉄の支線で、「枚方市駅」と交野市の「私市(きさいち)駅」を起終点とする「交野線」の各駅を探索してみる。
 今回は、「枚方市駅」から3番目の駅である大阪府交野市の「郡津(こうづ)駅」である。

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 「郡津(こうづ)」とは、古代律令社会における役所、「交野(かたの)郡」の「郡衙(くんが)」があった所で、最初は「郡門(こうど)村」と呼ばれたが、江戸時代に大坂奉行所の命により「郡津」と改めたとされる。

 「郡津駅」で下車する。
 駅の西側は、公園状のロータリーとなっていて、駅向かいには「交野市国際交流協会」などが入っている「交野会館」がある。
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 駅の東側から東方向へと進む。
 少し行くと、南北の府道18号線と交差する。
 交差点名は「郡津」である。
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 更に東へと進む。
 標示は無いが、南北に通っている「東高野街道」と交差する。
 「東高野街道」を北へと行ってみる。
 この辺りには「茶屋」と云われ、茶店や旅篭が並んでいたとのことであるが、その面影はない。
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 先ほどの交差点へと戻り、今度は南方向へと向かう。
 こちらにも「茶屋」と云うが、立派な民家が並ぶのみで、その雰囲気は無い。
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 元に戻り、東へと進む。
 右手に「明遍寺」と記された標柱があるので、その先を右折する。
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 「明遍(みょうへん)寺」の寺門前である。
 「明遍寺」は、治承年間(平安末期)、明遍僧都は高野山と京都の行き帰りの休息所として小庵を設け、合わせて説法をしたのが始まりとされている。
 山門と本堂である。
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 境内には、明遍僧都が腰を掛けて説法を行ったとされる「明遍僧都腰掛石」も保存されている。
 釣鐘もあり、その奥の隅には、「郡衙跡」の標柱もある筈であるが、発見できなかった。
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 元の通りに戻り、東へと進む。
 付近には、大きな民家も幾つか見られる。
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 その先の右手の小路を入り、南下する。
 しばらく行くと、神社の玉垣が見えて来る。
 そして回り込むと、参道石段がある。
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 「郡津神社」の社頭であり、社号柱が建っている。
 参道石段を昇り、鳥居を潜る。
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 正面は拝殿、そして右手に社務所が設けられている。
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 そして拝殿の背後には、本殿が祀られている。
 祭神は、素盞嗚命、住吉明神、天照大神とされている。
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 「郡津神社」は、白鳳年間に「長宝寺」と共に神仏習合にて創建された、神社である。
 明治までは、一ノ宮で、明治になって二ノ宮、三ノ宮を合祀し、現在の形となっている。

 本殿横には、4連の集合社が祀られている。
 祭神は、金刀比羅大神、天神地祀、稲荷大神、貴船明神である。
 また、本殿背後は「長宝跡」であるが、遊具のある公園となっている。
 そして、拝本殿をもう一度眺め、「郡津神社」を後にして、「郡津駅」のミニ探索を終了したのであった。
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京阪交野線4・村野駅

 京阪電鉄の支線で、「枚方市駅」と交野市の「私市(きさいち)駅」を起終点とする「交野線」の各駅を探索してみる。
 今回は、「枚方市駅」から3番目の駅である枚方市の「村野駅」である。

2107bIMG_9081 (2)

 「村野駅」で下車する。
 駅舎を出ると正面に、「東海大学附属仰星中高校」の看板があるので、それを目指してみる。
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 駅前道路を少し南へと下がり、左側の小路に入る。
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 少しの上りとなるが、進んで行く。
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 石積みの塀の間を進んで行くと、左手に「村野高札場」がある。
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 「高札場」は、その地域の統治者の住民への告知板を設けた場所で、枚方市で唯一残っているもので、市の有形文化財とのことである。
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 小路は続く。
 旧の街道であろうが、名称は不明である。
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 小路は左右にカーブし、東へと進む。
 曲がり角にはひまわりも咲いている。
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 更に進むと左手に神社の石標が建っている。
 「村野神社」である。
 そして、石標の横の左の参道へと入る。
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 参道は下って行く。
 そして下り切った所で、東西の道路と交差し、石段参道となり、昇り切って鳥居を潜ると境内である。
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 境内左手には灯篭が並ぶ。
 そして、拝殿・本殿の社殿である。
 社殿は、コンクリート建築で、比較的新しい。
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 正面には、拝殿前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
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 拝殿の背後には、本殿が祀られている。
 祭神は、「素盞嗚命」、「櫛稲田姫命」である。
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 この神社の創建は、13世紀の鎌倉時代とされている。
 社殿は、昭和に時代に建て直され、現在の形を有している。
 神域は広がっていたが、一部、東海大学に売却されたとのことである。

 本殿裏の社叢を通り抜けると、裏参道の鳥居があり、神社を退出する。
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 道路を挟んで、「東海大仰星中高校」のグラウンドである。
 そしてグラウンドに沿って、東へと進むと校舎が見えて来る。
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 そして校舎に沿って左折すると、正門である。
 綺麗な校舎が並ぶ。
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 「東海大仰星高校」のラグビー部は全国大会優勝5回の名門であり、良く知られている。

 仰星高校の周囲には、地元の学校が取り巻いていて、文教エリアとなっている。
 南側に「市立桜丘小学校」、東側に「市立桜丘中学校」、そして、そのコーナーに廃園となっている保育園である。
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 文教エリアの東に、大きな建造物がある。
 「村野浄水場」である。
 浄水場の建物の東向こうには、生駒山系の北端の「交野山(こうのさん) 341m」も見える。
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 そしてこの地点で「村野駅」のミニ探索を終了したのであった。


 

京阪交野線3・星ケ丘駅

 京阪電鉄の支線で、「枚方市駅」と交野市の「私市(きさいち)駅」を起終点とする「交野線」の各駅を探索してみる。
 今回は、「枚方市駅」から2番目の駅である枚方市の「星ケ丘駅」である。

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 「京阪交野線」は、「天野川(天の川)」に沿って、「交野市」の「私市駅」まで繋がっている。
 この「天野川」には「七夕伝説」があり、「星ケ丘」という地名は、その代表的なものである。

 「星ケ丘駅」で下車する。
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 駅前には東西を結ぶ道が通っているが、駅横を北へと進む路地もあるので、これを進む。
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 路地を進んで行くと、高架道路が見えて来る。
 「国道1号線」であり、これを潜って進む。
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 進んで行くと、左手に電車の線路とこんもりとした林が見えて来る。
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 林は古墳の後円部である。
 踏切を渡り、古墳に近づく。
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 古墳全体は「前方後円墳」である。
 古墳の南側を進むと、遊具も置かれ、公園となっている。
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 後円部と前方部が繋がる辺りには、標石もある。
 「史跡 禁野(きんや)車塚古墳」と記されている。
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 古墳の中央に入る。
 墳丘主軸は東西方向で、全長は120m、西側は「前方部」、東側は「後円部」であるが、高さは無い。
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 この「禁野車塚古墳」は、4世紀後半の築造で、大阪府で最古の古墳とされる。
 そして、この付近を治めていた大王の墓とされている。

 古墳の西側には「天野川」が流れている。
 北方向は「枚方市駅」方向、南方向は「国道1号線」方向である。
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 川向うには、「府立枚方高校」の校舎も見える。
 そして、古墳を振り返ってみる。
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 古墳の南側の花壇には、クチナシの花、アガパンサスが盛りであった。
 そしてこの地点で、「星ケ丘駅」のミニ探索を終了したのであった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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