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『吹田市・佐井寺』

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 大阪府吹田市佐井寺(さいでら)の伊射奈岐神社の南隣にある佐井寺を訪ねた。

 佐井寺は三蔵法師に付いて修行した僧道昭により、白鳳時代に草創され、その弟子の2世道楽、3世行基と奈良時代にかけて、七堂伽藍と六坊の大寺院が完成されたと云われている。 
 行基が寺の西の山(愛宕山、行基山ともいう)に瑞光を見て、その山の土中より栴檀の十一面観音像を掘り出し、祀ったのが創建であると云われている。
 また佐井寺は別名、山田寺(さんでんじ)とも号されている。

 参道石段を登り切ると、左手に地蔵堂、右手に摂津国八十八ヵ所霊場の第四十四番の薬師堂が建っている。
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 そして左手に「佐井の清水」という標柱がある。
 この清水は行基の祈祷にて湧き出したとの逸話があり、現在も湧水がある。
 江戸時代の初期、京都所司代板倉重宗がこの清水で母の目の看病をしたところ、眼病が治ったとの逸話もある。
 それに感謝した重宗は清水の参道向かいに鐘楼を寄進したと云われている。
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 正面は本堂であるが、その手前に灯篭がある。
 その灯籠には、寄進年代が一つは天明、もう一つは享保と彫られている十八世紀後半のものと前半のものである。
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 本堂には、﨑寺山の扁額が掲げられている。
 本尊は行基が掘り出した十一面観音像である。
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 また、鐘楼の裏には、近隣から集められたのであろうか、多くの地蔵仏が五輪の塔を囲んでいる。
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 寺の周辺は佐井寺の集落である。
 趣のある土蔵や住宅が見られる。
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『堺市・鉢峯山法道寺』

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 大阪府堺市の古代からの歴史を支えた石津川遡行のミニ旅、最終点は上流の鉢ヶ峰である。
 この場所へもバス便があるので、「鉢ヶ峰(はちがみね)」バス停で下車、先ずは高野山真言宗の法道寺(ほうどうじ)へと向かう。
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 正面の参道石段を登ると中門である。
 楼門形式の仁王門であり、左右に鎌倉時代作の金剛力士像が配されている。
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 中門を潜ると境内である。
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 正面には本堂、右手には太子堂を構えている。
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 そして左手には、鎌倉後期の食堂(じきどう)、南北朝中期の多宝塔が建っている。
 これらはいずれも重要文化財に指定されている。
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 法道寺は奈良時代になる前の白鳳時代に、法道仙人が開いたとされ、本尊は薬師如来である。
 当初から長福寺と云う寺号で、沢山の寺坊があったと云われている。
 そして平安時代には空海や最澄、円仁らが参篭したと云われている。
 江戸時代の半ば、将軍吉宗の嫡男長福丸が次代の将軍となったため、寺号を法道寺と改めたものである。

 尚、鉢ヶ峯 の地名であるが、この法道仙人が大切にしていた鉢を、周辺の山に埋めたことに由来するとのことである。

 法道寺の道路を挟んで前に国神社がある。
 古代、鳳凰に姿を変えた天照大神が、この地に降臨したことから、社殿を築いたのが始まりとされる神社である。
 そして神鳳は、その後、石津川左岸の現在の大鳥大社へと遷座されたと云われている。
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 もう一つ、鉢ヶ峯では山全体が霊園として活用されている。
 自然地形を壊すことなく、多くの墓地が作られているのは見事である。
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『堺市・一乗山家原寺』

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 大阪府堺市西区家原寺町の高野山真言宗「家原寺(えばらじ)」の山門(仁王門)である。

 先の踞尾(つくの)八幡神社から石津川を南へ遡ること数百mで家原大池に到達し、その東に家原寺の境内があり、上掲の山門に至る。
               家原大池

 山門を潜ると正面に本堂がある。
 本堂およびその周囲には、多くの祈願ハンカチが並べられているのがこの寺の特徴である。
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 家原寺の本尊は文殊菩薩で、知恵の文殊さんとして、お参りの多い寺院である。

 家原寺の創建は白鳳時代と云われている。
 開祖は僧行基で、この場所は行基の生まれたところであると云われる。

 境内には、地蔵堂、弘法大師のかがみ井戸などがある。
         地蔵堂  CIMG0575.jpg  

 また境内には、小高い所に三重塔、そして西国薬師霊場第十五番の薬師堂などもあり、多彩な姿を保っている寺院である。
         CIMG0576.jpg  薬師堂

 尚、家原寺は石津川の右岸(東側)であるが、左岸(西側)には和泉国一之宮大鳥神社、式内社の大鳥美波比(みはひ)神社が鎮座するが、既に一之宮として触れているので、今回は詳細は割愛する。
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『加古川市・鶴林寺』

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 兵庫県加古川市の古代に聖徳太子が開基した大寺院「天台宗 鶴林寺(かくりんじ)」である。
 創建当初は「四天王寺聖霊院」と云われ栄えたが、その後荒廃した。
 そして平安時代に刀田(とた)山鶴林寺と改められ、そのころから現存する多くの堂宇が再建され始めたといわれているている。

 戦国時代には、多くの寺が焼かれたが、この寺は黒田職隆(もとたか)、黒田官兵衛親子の説得により、織田信長に所領を差し出したため、戦火を免れている。
 鶴林寺は播磨の法隆寺とも呼ばれている。

 先ずは仁王門がある。江戸時代の建築である。
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 その先は広い境内である。
 先ずは三重塔が目立つ。近年内部の火災があり、修復されたものである。
 その手前には重文の行者堂がある。
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 その先進むと国宝の本堂である。
 堂内には、重要文化財の薬師三尊像と二天像が祀られている。
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 本堂の左手には、常行堂、新薬師堂、講堂がある。うち常行堂は重文である。
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 また本堂の左手には、国宝の太子堂、重文の鐘楼がある。
 太子堂には重文の堂内には本尊釈迦三尊像が祀られている。
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 更に右手には、観音堂と重文の護摩堂がある。
 そして観音堂前の池の小島に弁財天が祀られている。
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 さらに本堂の奥には塔頭が3寺並んでいる。
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 また、鶴林寺の周囲は公園として整備されていて、C11型のSLが展示されている風景もある。
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『神戸市・須磨寺』

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 神戸市須磨区の新西国三十三ヵ所の第二十四番の真言宗須磨寺派の大本山「須磨寺」の本堂である。
 須磨寺は平安時代の初め、光孝天皇の勅命により、聖観音菩薩像をを本尊として開かれた寺である。
 一説には、漁師が和田岬沖の海中から聖観音像を引き上げたものを祀ったとある。
 
 須磨寺は須磨の海岸から山の手に行ったところにある。
 龍華橋を渡り、仁王門を潜ると境内である。
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 いくつかの塔頭が並んでいる。
 その前庭には、蕪村や子規の句碑が建てられている。
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 そして左手には源平の庭がある。
 源平合戦の、熊谷直実(なおざね)と平敦盛(あつもり)との戦いのシーンが再現されている。
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 石畳を進み石段の先には唐門があり、その先は冒頭の本堂である。
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 本堂の横には大師堂、そして義経の腰掛の松が保存されている。
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 更に左手に進むと30年ほど前に再建された三重塔がある。
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 そしてその先に、親子地蔵、敦盛の首塚が祀られている。
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 まだ年端も行かぬ清盛の甥の敦盛を打ち取った熊谷直実であるが、世の無常を儚み出家して蓮生坊と名乗った。
 その蓮生坊に由来する蓮生院も塔頭の一つにある。
 また、敦盛の胴体は須磨浦公園に祀られている。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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