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JR東西線 大阪城北詰駅から藤田邸跡公園へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、大阪市都島区と尼崎市を東西に結ぶ「JR東西線」の「大阪城北詰駅」で下車し、駅の上から北方向に広がる「藤田邸跡公園」をミニ探索することにしている。

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 「大阪城北詰駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
 そして、駅のシンボルマークは大阪城の豊臣秀吉の馬印に因み、「瓢箪」である。
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 地下一階のコンコースには「大阪の詩」という展示パネルが設けられている。
 そして、地上へと出る。
 駅舎出口の東側には、公園へと入る道がある。
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 その東側には「藤田美術館」があり、更に道路の東側では、フェンスに覆われた工事現場がある。
 工事現場は、かつてあった「太閤園」の撤収工事が行われているようである。
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 駅出口の西へと進む。
 そこには「藤田邸跡公園」の南入り口の「表門」が建っている。
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 「藤田邸」とは、藤田財閥の総帥「藤田伝三郎」が「日本郵船会社大阪支店長屋敷」を買い取り、周辺も手に入れて長大な屋敷を完成させたものとされる。
 現在の「邸跡公園」を中心に、東は「太閤園」となった東邸、西は「大阪市公館」となった西邸なども含まれる。

 「表門」を潜る。
 途中で右折し進むと、美術館の横に出る。
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 「藤田邸跡公園」の案内図である。
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 美術館の横から、北方向の眺めである。
 多宝塔の屋根が見えるので、その方向へと進む。
 先ずは、茶室状の建物がある。
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 その先に「多宝塔」が建っている。
 高野山の「光台院」の「多宝塔」を移築したものとされている。
 そしてその先に「旧藤田邸」の「四阿(東屋)」が建っている。
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 「四阿」の手前を右折する。
 広い場所が見えて来る。
 「近松門左衛門」の人形浄瑠璃「心中天網島」の舞台となったとされる「大長寺」の跡とのことである。
 宝篋印塔などの寺院関係の遺物も見られる。
 現在の「大長寺」は、北方向約500mの国道1号線」の北に移転されている。
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 その北は渓流が伴った杜であるが、遊歩橋が架かっている。
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 そして、杜を抜け出ると、太鼓橋が架かり、その下の水路には、水が湧き出る風景もある。
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 そして北へと進むと、北口の門があり、公園の外である。
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 そのまま西へと進むと、「大川」の河畔に出る。
 北方向には、国道1号線の通称「銀橋」、正面には「造幣局」、南方向には歩道橋の「川崎橋」、その先に天満橋のOMMビルなどが見える。
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 「大川」の東側には南北に「ひょうたん池」がある。
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 そして南へと進み、左折し東へ進むと「旧大阪市公館」が建っている。
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 この建物は、現在は「ザ・ガーデンオリエンタル大阪」として結婚式場などに活用されている建物とのことである。
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 更に東へと進み、「大阪城北詰駅」の入り口に到着したので、この地点で、この駅周辺のミニ探索を終了したのであった。

近鉄京都線 小倉駅から巨椋神社へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、京都市と奈良市を結ぶ「近鉄京都線」の「小倉(おぐら)駅」で下車し、駅の北東方向に鎮座する「巨椋(おぐら)神社」を訪問することにしている。

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 「小倉駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式で、上下のホームは改札内では繋がっていない。
 地下道を通り、駅の東側に出る。
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 駅出口から東へと進み、府道に出たところで北進し、次の交差点を右折、「大和街道」の交差を北進する。
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 「大和街道」には、町屋のカフェなども見られる。
 そして前方に神社の杜が見えて来る。
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 「式内社 巨椋(おぐら)神社」の社頭は右手にあり、南向きである。
 「灯篭」の年号は「天明五年(1784年)」で、江戸時代中期である。
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 「鳥居」を潜り、参道を進むと、正面は割拝式の「拝殿」である。
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 「拝殿」の手前には、一対の「狛犬」が祀られ、またアジサイの咲く風景も見られる。
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 「拝殿」の先は、「本殿」の拝所である。
 「本殿」は覆屋に包まれているが、周囲からは朱塗りの建物を眺めることができる。
 そして、「本殿」の主祭神は、「武甕槌神」、「経津主神」、「天児屋根神」、「姫大神」の4柱で、「春日四神」と云われる神々とされている。
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 この「巨椋神社」は、元々は古代氏族「巨椋連」が祖神を祀ったのに始まるとされる神社と考えられている。
 そして、平安時代の末期に「藤原氏」が祀るところとなり、「春日神」が祀られ、近世までは「春日神社」と呼ばれていたとされる。

 境内社であるが、「本拝殿」の裏手に「八幡神社」、「合祀殿(大国主神社、辞代主神社、勝手神社)」、「天満宮」が祀られている。
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 もう一つ、大事な境内社が祀られている。
 「子守神社」と云い、「惟喬親王」が子どもを襲った三羽の大鷲を退治し、帰る途中にこの地に神祠を創ったとされる神社である。
 境内の西に西向きの鳥居が建ち、参道を横切って「子守神社本殿」が祀られている。
 祭神は、「蛭子神」、「天磐樟船神(あめのいわくすぶねのかみ)」とされている。
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 そして、神社境内を一巡したところで、「小倉駅」を下車しての近隣のミニ探索を終了したのであった。

近鉄京都線/京都市営地下鉄 竹田駅(その2) 城南宮から鳥羽離宮跡へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 前回は、京都市と奈良市を結ぶ「近鉄京都線」と京都市内を走る「京都市営地下鉄烏丸線」の接続・共用駅である「竹田駅」で下車し、駅の南西方向の「城南離宮・城南宮」を訪問したが、今回は、その「城南宮」から「竹田駅」に戻る途中にある「鳥羽離宮跡」を訪問することにしている。

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 「城南宮」の北側を東西に通る「新城南宮道」を東方向へと進む。
 進んで行くと、上部に「阪神高速」が通る「油小路通」と交差するが。その左手前に天皇陵が祀られている。
 「白河天皇成菩提院陵」である。
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 「油小路通」を東へ渡ると、左手に南向きに寺院の入り口がある。
 寺門を潜り堂宇に沿った参道を進むと広い場所に出る。
 西向きの寺門があり、その横に「地蔵堂」が祀られている。
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 そして、北向きの「本堂」である。
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 「本堂」に参拝してみる。
 本尊の「不動明王」が祀られている。
 そして、「四天王像」も祀られている。
 更に、座れる龍の作品も展示されている。
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 この「北向山不動院」は、病にかかった「鳥羽上皇」はその病気平癒の祈祷を真言宗の僧「覚鑁」に行わせたところ、「不動明王」が出現し、上皇は回復したとされる。
 そして、上皇は勅命により「覚鑁」を開山としてこの寺院を建立し、「不動明王」を本尊とし、平安京を鎮護する勅願寺としたとされる。

 「本堂」の周囲には、幾つかの像が祀られている。
 「降三世夜叉明王」、「大日如来」などである。
 また、「本堂」の斜め前に「護摩堂」も祀られている。
    2406jIMG_0436降三世夜叉明王  2406jIMG_0434.jpg  2406jIMG_0441.jpg

 また、「本堂」の東側に、「薬師堂」、「不動滝」、そして「陀枳尼天」・「山王大権現」が祀られている。
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 「北向山不動院」の北方向には、「鳥羽天皇安楽寿院陵」が祀られている。
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 「鳥羽天皇陵」の東南の角に、「冠石」、そして「白河法皇・鳥羽法皇 院政之地」の石碑が建っている。
 「冠石」は「鳥羽上皇」が「白河上皇」から「鳥羽離宮」の造営を引き継ぎ、この石の上に冠を置き、指揮にあたったとされるものである。
 そして進んで行くと、「安楽寿院」の門前である。
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 「安楽寿院」は、「真言宗智山派」の寺院である。
 本尊は「阿弥陀如来」とされ、「鳥羽離宮」の「東殿」に「鳥羽上皇」が造営した仏堂を起源とする寺院である。

 門前に、「鳥羽離宮跡」の俯瞰図が掲示されている。
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 この図によると、「鴨川」は「鳥羽離宮」の東側を流れているが、現在は付け替えられているようである。
 尚、「鳥羽離宮」は、11世紀の終わりごろ、「白河上皇」の院政の地として造営が始まったとされている。
 そして、南北1km、東西1.5kmの広大なものであった。

 「安楽寿院」の内部庭園、「書院・庫裏」を外から眺めてみる。
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 そして、西へと進むと、「鐘楼」、「阿弥陀堂」が祀られ、その左隣に「大師堂」が祀られている。
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 更に、西へ進むと、「三宝荒神社」、「三如来石仏」のうちの「釈迦三尊像」と「薬師三尊像」が祀られ、奥の広いところに「本御塔」と表示された収蔵庫が建てられている。
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 「安楽寿院」の正面の道路を進むと、多宝塔の天皇陵がある。
 「近衛天皇安楽寿院南陵」である。
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 そして「鳥羽離宮跡」の探索はここまでとし、「竹田駅」に戻ったのであった。

近鉄京都線/京都市営地下鉄 竹田駅(その1) 城南離宮・城南宮へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、京都市と奈良市を結ぶ「近鉄京都線」と京都市内を走る「京都市営地下鉄烏丸線」の接続・共用駅である「竹田駅」で下車し、駅の南西方向の「城南離宮・城南宮」を訪問することにしている。

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 「竹田駅」で下車する。
 近鉄、地下鉄の接続・共用駅で、駅ホームは地上の2面4線の島式で、外側の2線が近鉄、内側の2線が地下鉄の車両が停車することになっている。
 そして駅舎の西側へと出る。
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 「竹田駅」の上部には「名神高速道路」が高架で通っている。
 その高架道路に沿って西へと進む。
 進んで行くと上部を「阪神高速京都線」が通る「油小路通」と交差するので、これを南へと進む。
 そして、「城南宮東口」のバス停の先で道路を渡る。
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 渡った先の「城南宮」参道の小路を西方向へと進む。
 左手に、「京セラ」の本社ビルが見える。
 そして、先に「城南離宮・城南宮」の鳥居が見えて来る。
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 「城南離宮・城南宮」の「東の鳥居」が建っている。
 鳥居は石造りで、「文久元年」と刻されている。
 また扁額には、「城南離宮」と記されている。
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 「境内図」を城南宮ホームページから引用させていただく。
 全体は「城南離宮」と云い、その中に「城南宮」が祀られている様子が示されている。
2406i城南宮境内図

 鳥居を潜ると左手に「社務所」、右手に「式内社 真幡寸(まはたき)神社」が祀られている。
 そして、参道を進む。
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 参道の左右には、離宮庭園への出入り口がある。
 その先右手に、「芹川神社 唐渡天満宮」が祀られている。
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 その左隣には、「絵馬舎」があり、その参道向かいには「離宮茶屋」が建っているが、今は営業していないようである。
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 その右隣には「三照神社」が祀られ、その右手には「斉館」が建てられ、参道向かいに「手水舎」が祀られ、境内へと繋がっている。
 「手水舎」は「菊水若水」と云い、伏見の名水の一つである。
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 「城南宮」の社頭には、鳥居「城南鳥居」と「社号柱」が建てられている。
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 「城南宮」の創建は不詳ではあるが、平安遷都の際に王城の裏鬼門を守護する神社として創建され、南にあることから「城南神」と称したとの謂れもある。
 その後、白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、離宮の鎮守社とされてきている。
 そして、その後も「京都御所」の裏鬼門を守ってきているとされる。

 神社の社頭付近に、「鳥羽伏見の戦い跡」、「熊野詣出立の地」の立て札も建てられている。
 また、神社の「神苑」への入り口もある。
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 境内の風景である。
 左手には、大楠と社務所、正面には、「拝殿」その背後に「拝所・本殿」が祀られている。
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 右手には、手前から「禁足地」、「神輿舎」、「神楽殿」が祀られている。
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 そして中央には、一対の「狛犬」が祀られ、「本殿・拝所」である。
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 そして「内陣」と「本殿外観」である。
 「本殿」の祭神は、「城南大神(八千矛神、息長帯日売尊、国常立尊)」とされている。
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 また、「本殿」の「透塀」の周囲には、境内社が祀られている。
 左側、右側のその境内社の小祠である。
 更に、塀の外には、「大木の切り株」が祀られている。
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 「城南宮」の境内を出て、東西の参道を西へと向かう。
 「国道1号線」に面して「社号柱」が建ち、東へ進んだところに「西の鳥居」が見える。
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 「鳥居」の「扁額」には「城南離宮」と記され、鳥居の先には「灯篭も建っていて、進んで行くと先ほどの社頭に行くことができる。
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 そして、この地点で、「城南宮」と「城南離宮」のミニ探索を終了したのであった。

京阪電鉄本線 香里園駅 から 成田山不動尊へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、京都市と大阪市を結ぶ「京阪電鉄本線」の「香里園駅」で下車し、駅の東方向の寺院「成田山不動尊 明王院」を訪問することにしている。

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 「香里園駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の島式である。
 改札・コンコースは階上である。
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 出口から続く陸橋状のプロムナードを東へと進む。
 地上はバス停を含むロータリーである。
 今回の目的地である「成田山不動尊」に向け、路線バスが数多く出ているので、これを利用する。
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 「成田山不動尊前」のバス停に到着する。
 西は「成田山不動尊」、東は「なりたようちえん」、そして西の「山門」を目指して進む。
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 「寺号柱」と「山門」」である。
 「山門」は未だ工事中で潜ることはできない。
 「山門」の裏側を見ると、周辺の整備を行っているようである。
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 「成田山不動尊」の境内図である。
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 「山門」右側の石段から境内へと入る。
 正面は「祈祷殿」である。
 「成田山」と云えば、自動車の安全祈祷で知られている。
 同時に100台の車の祈祷ができるとのことである。
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 「祈祷殿」の右並びには「菅相庵」と云う茶室がある。
 これは、「菅原道真公」に従えた「武部源蔵」が寺子屋として人々を教導したもので、この「成田山」に寄進されたとのことである。
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 「山門」から北西方向に延びる参道を辿る。
 「灯篭柱」の間を進むと、一対の「狛犬」が祀られている。
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 進んで行き、「本尊不動明王」と記された門と灯篭の間を進む。
 その先左手に「鐘楼」、正面に「笑魂塚」が建っている。
 「なにわ」が生んだ「笑いの道」の発展のためのものとのことである。
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 左側(西側)の奥に、「地蔵尊」が祀られ、また「新四国八十八カ所霊場」、「花塔」が設置されている。
 「花塔」とは、生け花に使用された花の霊を供養するとともに、華道の上達と発展を祈念して建立されたとのことである。
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 正面は南向きの「本堂」である。
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 そして「本堂」には、「本尊 不動明王」が祀られている。
 更に、「本堂」の裏側には、「胎蔵界大日如来」が祀られている。
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 この「成田山不動尊」は「真言宗智山派」の寺院で、千葉県成田市にある「成田山新勝寺」の別院として昭和9年に、京阪電鉄などの寄進により、「香里遊園地」の跡地に創建されたとされる。
 院号(寺号)は「成田山大阪別院 明王院」とされている。

 「本殿」の右手前には、信徒会館の「吉祥閣」が建っている。
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 その左横(北側)には、「弘法大師」を祀る「大師堂」が建っている。
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 そしてその玄関横には、「弘法大師像」が祀られ、「大師堂」の裏から、北方向遠くに高槻市の「ポンポン山」などの山々が見える風景がある。
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 また、「大師堂」の斜め前には、寝屋川市のシンボルの「鉢かづき姫」が案内に立ち、更に「応仁の乱」の時代の「畠山義豊」の墓が祀られている。
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 また、そのならびの前方には、南向きに、鳥居の「吒枳尼天尊(だきにてんそん)」と「大黒天堂」が祀られている。
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 その右手(東側)に、「奥の院」へ降りる石段がある。
 石段参道を降り切って左折すると朱塗りの入り口が見える。
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 「奥の院」への入り口である。
 トンネルの両側には、八体仏が祀られ、最奥に「大日如来像」が祀られている。
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 「奥の院」を後にして「北山門」から退出する。
 バス通りへ行くと「成田町」というバス停があり、バスに乗って「香里園駅」へと向かい、今回のミニ探索を終了したのであった。
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JR学研都市線 京田辺駅 から 一休寺(酬恩庵)へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、京都府南部と大阪市を結ぶ「JR学研都市線」の「京田辺駅」で下車し、駅の西方向の寺院「酬恩庵 一休寺」を訪問することにしている。

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 「京田辺駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面3線の島式である。
 そして駅舎の西側へと出る。
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 駅前には、「とんちの 一休さん」の像が建っている。
 その像の後ろ側の道を西へと進み、突き当りを右折する。
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 右折した道路は「府道八幡木津線」で、これを北進する。
 途中の左手に、「式内社大社 棚倉孫神社(たなくらひこじんじゃ)」の参道がある。
 そしてその先の交差点を左折する。
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 左折した道路を西進する。
 途中に広い道路「山手幹線」と交差するが、更に西進する。
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 そのまま進むと、左手に「酬恩庵 一休寺」の「総門」・「寺号柱」が現れる。
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 「総門」を潜ると、左手に「一休和尚碑」が建っている。
 碑文には、「諸悪莫作」、「衆善奉行」と記されている。
 そして「青モミジ」の参道は続く。
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 「酬恩庵 一休寺」の境内図をパンフレットから引用させていただく。
 「酬恩庵 一休寺」は臨済宗大徳寺派の寺院である。
 室町時代、大徳寺の僧であった「一休宗純」が草庵を結んで中興し、宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味で「酬恩庵」と号したとされている寺院である。
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 参道の突き当りには、当初「一休禅師」植えたという「三本杉」、その左手前には重要文化財の「浴室」、その左奥に「江庵・待月軒」が佇む。
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 参道を右折れして、西方向へと進む。
 右手前に、「一休禅師墓所」が祀られてる。
 菊の紋の門の中に「宗純王廟」が建てられている。
 「一休禅師」は「後小松天皇」の皇子であることから、この墓所は宮内庁の管理でもある。
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 参道を進むと、右手に「庫裏・方丈」への「唐門」あるが、後程とする。
 左手の高台には重要文化財の「鐘楼」が建っていて、正面は「中門」である。
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 「中門」を潜り、西へと進む。
 正面には重要文化財の「本堂(法堂)」が祀られている。
 本尊は「 釈迦如来坐像」とされている。
 そして「本堂」の右手には、「開山堂」が祀られている。
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 また、これらの仏閣に並んで、「宝物館」も備えられている。
 内部の展示には、「狩野氏信」の「竜門の鯉」、「土御門天皇綸旨」、「後小松天皇百首御和歌」など、多数の展示がなされている。
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 堂宇の奥は「二十世紀の森」と呼ばれる。
 羅漢の石像や池や林などの風景がある。
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 またそこには、「一休禅師像」、「少年一休像」、そして「このはしわたるべからず」の橋も架けられている。
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 先ほど通過した重要文化財の「唐門」を潜り、「庫裏・方丈」のエリアに入る。
 正面にそれぞれが重要文化財の「庫裏」、「方丈」、また左手に重要文化財の「東司」が建っている。
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 正面の「庫裏」、右側の「方丈」、そして右手前の京都東山から移築された当時の文化サロンの「虎丘庵」である。
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 入り口の「庫裏」に入る。
 正面には虎の衝立、そして受付の売店には、「一休寺納豆」が置かれ、販売されている。
 右へ行くと「方丈」である。
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 先ずは「方丈南庭庭園」である。
 石庭は、「宗純王廟」、「虎丘庵」を背景としている。
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 また、「方丈」建物の内部には、「一休禅師」の輿、木像、そして襖絵などが飾られている。
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 次に「方丈」の東側の「東庭」である。
 庭木と石組みの庭園で、北側にまで続く。
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 そして、北側の「北庭」である。
 こちらは、石組みが少ない様子である。
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 「酬恩庵 一休寺」を一巡したので、退出する。
 門前には、「薪能金春芝旧跡」という石碑と石柱が建っている。
 この場所は、「世阿弥」の娘婿の「金春禅竹」という能楽師が「一休禅師」に能を演じた場所とされている。
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 更に、この西の「薪神社」の境内に「能楽発祥の碑」があるとのことで訪れてみて、確認できたのであった。
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 そしてこの地点で、「京田辺駅」を下車しての近隣のミニ探索を終了したのであった。

京都市営地下鉄烏丸線 京都駅から京都市立芸術大学へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、京都市内を南北に結ぶ「京都市営地下鉄烏丸線」の「京都駅」で下車し、駅の東方向に建設され、昨年(令和5年)にこの新築キャンパスに移転した「京都市立芸術大学」を訪問することにしている。

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 「京都駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
 そして、改札・コンコースは地下1階となっている。
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 地上は、「JR京都駅」である。
 駅の北側の道路は、「塩小路通」で、これを東方向へと向かうと、駅前広場の外れ辺りに石柱が建っている。
 よく見てみると、「電気鉄道事業発祥地」で、明治28年に、この辺りから伏見まで、わが国最初の路面電車を走らせたとのことである。
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 「塩小路通」を東方向へと進む。
 「たかばし(高倉跨線橋)」との交差点の東南側に新しいキャンパスが見えて来る。
 「京都市立芸術大学」である。
 外壁やフェンスはなく、一般人も出入りし易い雰囲気である。
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 案内図を眺めてみる。
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 「たかばし」から見える西側のA棟・B棟は、「音楽学部・研究科」とのことである。
 C棟・D棟との間の通路を眺めてみる。
 街中のビル街のような雰囲気である。
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 東側の「河原町通」に廻ってみる。
 C棟の角に、この大学の前身の京都府画学校の創設者である「幸野楳嶺(こうの ばいれい)先生像」が建てられている。
 「美術学部・研究科」のC棟・D棟の側面を眺め、間の通路も眺めたのであった。
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 「河原町通」の東側には、学食などがあるE棟が建っている。
 その北側には、以前からの「柳原銀行記念資料館」もある。
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 「たかばし(高倉跨道橋)」に戻り、これを南へと進む。
 右側(西側)に有名なラーメン店があり、行列も見られる。
 また、芸大の南側からのB棟・D棟とE棟の眺めである。
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 また、「たかばし」上からのJRの線路の眺め、更に、「京都駅」の北側部分の駅舎の眺めである。
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 そしてこの地点で、「京都駅」を下車しての周辺のミニ探索を終了したのであった。

近鉄京都線 東寺駅から六孫王神社へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、京都市と奈良市を南北に結ぶ「近鉄京都線」の「東寺駅」で下車し、北西方向に鎮座する「六孫王神社」を訪問することにしている。

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 「東寺駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
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 階下の地上の出口は「九条通」に面している。
 そしてこの通りを西へと進む。
 南北の「大宮通」との交差点の向こうに「東寺」の「五重塔」が建っている。
 その「東寺」の東の「大土塀」に沿って「大宮通」を北へと進む。
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 「大土塀」の中間あたりに重要文化剤の「東大門」がある。
 「不開門’あかずのもん)」と云われる門で、南北朝時代の「新田義貞」と「足利高氏」の戦闘時に閉められ、そのままとなっているという伝説の門である。
 その北には、これも重要文化財の「慶賀門」がある。
 そして、門内の眺めであり、見える建物は「食堂」である。
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 更に北へと進む。
 「東寺餅」や「東寺うどん」の店がある。
 そして、高架の新幹線や平地のJR東海道線の手前で左折する。
 道路は「八条通」でこれを西へと進む。
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 進んで行くと左手に、「東寺」の「北総門」が建っている。
 これも重要文化財である。
 そして、その先の「壬生通」との交差点に神社の参拝口が設けられている。
 「六孫王神社」の「社号柱」、そして「誕生水辨財天」の石柱が建っている。
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 その中を眺め、そして左手の「八条通」の南向きの「鳥居」、右手北方向の「壬生通」の東向きの「鳥居」前へと進む。
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 東向きの「鳥居(一ノ鳥居?)」から参道を進む。
 右手に「六孫王会館」が建ち、正面には、次の「鳥居」が建てられている。
 その右手に、「稲荷大神」が祀られている。
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 その左隣には、「満仲誕生水」の井戸が祀られ、「誕生水辨財天」が祀られている。
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 参道は、「神龍池」を「神橋」で渡る。
 傍らには、「神龍拝所」の小祠が祀られている。
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 参道を進むと正面は、一対の「狛犬」と「唐門」である。
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 そして、門前の左手には「手水舎」、右手前には「神輿庫」があり、向かいの庭園には「ツツジ」が見頃である。(4月25日)
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 「唐門」から「拝殿」を望むことができる。
 「本殿は見えないので、神社の外側から「本殿」を眺めてみる。
 「本殿」の祭神は、「六孫王大神」、「天照皇大御神」、「八幡大神」とされている。
 尚、「六孫王」とは「源経基(経基王)」を指し、「清和天皇」第六皇子の「貞純親王」の子であり、それが天皇の孫であることから、こう呼ばれているとのことである。
 また、「本殿」の背後には、「源経基」の墓があるとされる。
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 この神社は、「源経基」の邸宅「八条亭」の跡に、嫡子の「源満仲」の手により建てられたとされ、創建は963年とされる。
 また、この神社は「京都十六社朱印巡り」の1社でもある。

 神社を後にして、東海道線の線路を潜り、線路の北側に行ってみる。
 そこは「梅小路公園」で、北側には「京都水族館」、南側に「京都市電」の車両が静展示されている風景がある。
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 そしてこの地点で、「東寺駅」を下車してのミニ探索を終了したのであった。

京都市営地下鉄烏丸線 鞍馬口駅から御靈神社へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、京都市内を南北に走る「京都市営地下鉄烏丸線」の「鞍馬口駅」で下車し、東方向の近くに鎮座する「御靈神社」を訪問することにしている。

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 「鞍馬口駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
 そして「烏丸通」に面した出口から出る。
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 出口横の住宅街を東へと進む。
 突き当りを右折すると、神社の杜や土塀が見えて来る。
 そして、右手に「からいた」の看板が掲げられた「水田玉雲堂」がある。
 疫病よけの「唐板煎餅」を販売している創業数百年にも及ぶ老舗である。
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 この場所が「御靈神社」の社頭である。
 「御霊神社」の「社号柱」、「応仁の乱勃発地」の石柱、そして「花御所八幡宮」の「社号柱」が建っている。
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 そして、「鳥居」、「粉犬」、「楼門」が建てられている。
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 「楼門」を潜り境内へと入る。
 左手に「手水舎」、そしてその先に「芭蕉句碑」が建てられている。
 句碑には「半日ハ 神を友にや とし忘」と刻されている。
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 そして正面は、「神楽殿(舞殿)」で、「神輿」が置かれている。
 その背後は、「本殿拝所」である。
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 そして、「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「崇道天皇(早良親王)」、「井上大皇后」、「他戸(おさべ)親王」、「藤原大夫人(藤原吉子)」、「橘大夫(橘逸勢)」、「文大夫」、「火雷神(六柱の荒魂)」、「吉備大臣(吉備真備)」の8柱とされている。
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 この神社は、平安遷都以前から「出雲氏」の氏寺「上出雲寺」があり、その鎮守社がこの神社であったともされる。
 そして、平安遷都の「桓武天皇」の時代に、疫病が流行し、御霊の祟りであるとして、794年に「早良親王(崇道天皇)」の御霊をこの地に祀ったのが始めだとされる。

 境内を「本殿」の左側(北側)から時計回りに廻ってみる。
 先ずは、「足利義満」の「花の御所」の鎮守社であったとされる「花御所八幡宮」である。
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 そして、その右隣の覆屋の中に、順に「白髭社」、「淡嶋社」、「大舞社」が祀られ、
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 続いて、「天満宮」、「多度社」、「貴舩社」が祀られている。
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 その右隣りは、30の神々が祀られる「長宮三十社」、その先に「厳島社」が祀られている。
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 その右手、「本殿」の裏にあたる部分に「神明神社」が祀られている。
 そしてその右手には、「神輿庫」が設置されている。
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 更に、右の角には、「福寿稲荷神社」が祀られている。
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 そして境内の右手を戻って来ると、先ずは「絵馬所」、更に「応仁の乱發端 御霊合戦舊跡」の石碑が建っている。
 「応仁の乱」は室町時代の応仁元年、室町幕府管領家の畠山氏と斯波氏それぞれの家督争いに端を発し、足利将軍家の後継者問題も絡んで幕政の中心であった「細川勝元」と「山名宗全」の二大有力守護大名の抗争となり、幕府勢力が東西に分かれて争い、そして領国にも争いが拡大したとされるもので、西軍の解体にて決着したとされる。
 その戦乱の発端はこの神社内で、家督相続争いとして「畠山政長」と「畠山義就」の戦闘が開始されたとのことである。
 尚、この石碑の文字は、東軍の総大将「細川勝元」の子孫で元首相の「細川護熙」とのことである。
 そして、「南門」から境内を眺め、退出したのであった。
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 この「御靈神社」は「京都十六社朱印巡り」の1社でもある。
 そして、今回の参拝時に頂いたご特別御朱印である。
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 退出してからの「南門」と「社号柱」の眺めである。
 神社の道路を挟んだところの花壇にはアヤメが盛りでもあった。
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 そしてこの地点で、「鞍馬口駅」のミニ探索を終了したのであった。

嵐電 北野白梅町駅(その2):わら天神宮から平野神社へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 前回は、京都市内を走る「嵐電北野線」の起終点駅「北野白梅町駅」で下車し、「わら天神宮(敷地神社)」を訪問した。  
 今回は、それに引き続き、「わら天神宮」の南方向で、「北野白梅町駅」との中間あたりに鎮座する「平野神社」を訪問することにしている。

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 「わら天神宮」を退出し、「西大路通」を南方向へと下がると、左手に「平野神社」の土塀と社叢が見えて来る。
 そして土塀沿いを進むと、「平野神社」の「鳥居」・「社号柱」が建つ西参道入り口に到達する。
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 「鳥居」を潜ると広い社叢である。
 「平野神社」は約60種400本の桜で知られる神社であるが、既に桜の季節が終わっていたのは残念である。
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 しかし、桜が終われば「アヤメ」である。
 そこここに、花が咲いているのが見られる。
 そして、西参道の「鳥居」を振り返り、境内へと向かったのであった。
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 東向きの「東神門」が建っていて、神紋は桜である。
 「東神門」を潜ると、左手に樹齢400年の大きな「樟」が祀られている。
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 「樟」の背後には、八重桜「突羽根櫻」が盛りである。(4月25日)
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 境内の中央には「拝殿」が祀られている。
 そして「拝殿」と「中門・本殿」との間に、「右近の橘」、「左近の桜」が祀られている。
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 その先の「中門」と「本殿」である。
 「本殿」は2棟で、それぞれが2つの「本殿」に分かれ、屋根の部分はそれそれが独立している形となっている。
 そして右から「第一殿」、「第二殿」、・・・・で、江戸時代初期の建築で、全て重要文化財となっている。
 祭神は、「第一殿:今木皇大神(いまきのすめおおかみ) 、「第二殿:久度大神」、「第三殿:古開大神(ふるあきのおおかみ)」、「第四殿:比売大神」とされている。
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 「本殿」をもう少し詳しく見てみる。
 下部写真の左写真の右側が「第一殿」、中央の右側が「第三殿」、そして「本殿」の左手に祀られているのが「天穂日命」を祭神とする「縣(あがた)神社」である。
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 「平野神社」の創建については、「平安時代」以前とされ、元々は「桓武天皇」の生母の「高野新笠」の祖神を祀る「神祠」であったが、平安京遷都に伴って大内裏近くのこの地に祀られたことに始まるとされている。
 また「平野神社」は、式内社(名神大社)で、二十二社(上七社)の一社でもある。

 境内社であるが、境内の右手に、「四社併祀社(左から、「春日神社」、「住吉神社」、「蛭子神社」、「鈿女(うづめ)神社」)」、並びに「八幡神社」が祀られている。
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 「東神門」を出ると、参道の北側に、「出世導引稲荷神社」と桜池があり、隣に「猿田彦神社」が祀られている。
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 そして、表参道(東参道)を東へと向かい、「鳥居」を潜り、「社号柱」を眺め、「平野神社」を退出したのであった。
 尚、このまま東へ向かうと、「紙屋川」を渡り、「北野天満宮」の裏参道へと行くことができる。
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 そしてこの地点で、「北野白梅町駅」を下車しての周辺のミニ探索を終了したのであった。

嵐電 北野白梅町駅(その1):駅から「わら天神宮」へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、京都市内を走る「嵐電北野線」の起終点駅である「北野白梅町駅」で下車し、北方向に鎮座する「わら天神宮(敷地神社)」を訪問することにしている。

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 「北野白梅町駅」で下車する。
 駅は地上で、2面1線の頭端式である。
 また、駅舎は三方が道路に囲まれている構成となっている。
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 「北野白梅町駅」から、駅前の「西大路通」を北へと進む。
 左手に神社が鎮座している。
 「金攫八幡宮(きんかくはちまんぐう)」と云う。
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 その先に、「わら天神前」と云う交差点がある。
 そしてその先左手に「わら天神宮」の「鳥居」、「敷地神社」と記された「社号柱」が建つ社頭である。
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 扁額に「わら天神宮」と記された鳥居を潜り、参道を進む。
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 参道は右折れする。
 そこには「二ノ鳥居」が建っている。
 そして、左手には「手水舎」、右手には虫籠窓の町屋風の「社務所」が設けられている。
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 参道の先の風景である。
 左手には、「舞殿」が建ち、正面には「拝殿」、「本殿」の風景がある。
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 その「拝殿」前には一対の「狛犬」も祀られている。
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 そして「拝殿」の背後の「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、主祭神が「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」、配祀神が「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」、「栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)」とされている。
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 この神社は、北山の神として祀られていた「天神地祇」の西隣に氷室が設けられ、そこに「菅生石部神社(敷地天神)」の神を勧請したことが創始とされる。
 そして、室町時代、第3代将軍「足利義満」が「北山殿(後の「金閣寺」)」を造営するに当たり、現在地に遷座したとされる。

 尚、「わら天神宮」という通称は、古来より稲わらで編んだ籠で神饌を捧げていて、その抜け落ちたわらを、安産を願う妊婦さんが持ち帰るようになり、後に、そのわらを切り取り、安産のお守りとして妊婦さんに授与するようになったことが起こりとされている。

 また、この神社は「京都一六社朱印めぐり」の1社でもある。

 境内社であるが、先ずは「本拝殿」の右手の「六勝神社」である。
 この神社は、「伊勢神宮」、「石清水八幡宮」、「賀茂神社」、「松尾大社」、「伏見稲荷大社」、「春日大社」の六神を祀った神社で、試験合格などの神とされている。
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 その他にも、「綾杉明神」、「大山祇神社」、「八幡神社」が祀られている。
 「綾杉明神」は、樹齢千数百年のスギの切り株が祀られているものである。
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 また、境内の西側には休憩所があり、その背後から南にかけて「社叢」の風景がある。
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 そしてこの地点で「わら天神宮」の境内を一巡し終えたので、この後は、次の目的地の「平野神社」に向かうことにしたのであった。

大阪メトロ中央線 朝潮橋駅から港区四社巡拝へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 前回は、「JR大阪環状線」の「弁天町駅」で下車し、近隣の「三社神社」を訪問したが、その際、「港区四社御朱印巡拝」という巡礼があることを知った。
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 今回は、「三社神社」以外の3社に関し、「大阪メトロ中央線」の「朝潮橋駅」で下車し、「三津神社」、「三先天満宮」、「福崎住𠮷神社」を巡ることにしている。

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 「朝潮橋駅」で下車する。
 駅ホームは3階で、2面2線の相対式である。
 そしてコンコース・出入口は2階である。
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 階上や地上から周辺を眺めてみる。
 広い道路は「中央大通り」、高架線路の向こうに見えるのは「大阪プール」である。
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 駅の北東方向の近くに、「三津神社」が南向きに鎮座している。
 鳥居を潜り、参道を進む。
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 正面は「拝殿」・「本殿」である。
 祭神は、「三津大神(みつのおおかみ)」とされる「天照皇大神」、「大海大神」、「住吉大神」、「生国魂命」、「宇迦之御魂神」の5柱である。
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 この「三津神社」は、明和元年(1764年) に、「石田新田」開発の工事の安全を祈願し、勧請したことが創始とされる。

 その他、境内には、「神輿・太鼓庫」があり、境内社の「石中稲荷大神」、「戎大神」も祀られている。
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 神社の住所地は「夕凪2丁目」で、神社の東側には、「夕凪公園」がある。
 そして東方向へと進み、「みなと通り」を渡る。
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 そして南下する道路を進むと次の神社が見えてくる。
 「三先(みさき)天満宮」である。
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 鳥居を潜ると正面は「拝殿」、その背後には「本殿」が祀られている。
 祭神は、「菅原大神」、「住吉大神(住吉3神)」、「稲荷大神(宇迦之御魂神)」とされている。
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 この神社は、「池田屋大吉」が「池田新田」の開発に先立ち、天保6年(1835年)に、その成功を祈願して勧請したのが創始とされている。

 境内には、「幸宮」、「松梅稲荷宮」、「寝牛社」の境内社が祀られている。
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 「三先天満宮」の前の道を南へと進む。
 左手に「市立港南中学校」がある。
 そして、左手に神社が見えてくる。
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 「福崎住吉神社」である。
 鳥居を潜り参道を進む。
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 正面は「拝殿」・「本殿」である。
 祭神は、「天照皇大神」、「住吉大神」とされている。
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 この神社は、元は別の地で天保6年(1835年)に勧請され創祀されたとされている。
 その後、洪水で流失し再建されたが、「尻無川」の改修により、現在地に遷座されたとされている。

 境内には、「福徳鈴之森社」、「米元稲荷大明神」の境内社も祀られている。
 また、この神社の「狛犬」は、「笑う狛犬」として知られているとのことでもある。
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 そしてこの地点で、「三社神社」を含め、「港区四社」を巡拝し終えたので、「朝潮橋駅」に戻り、駅周辺のミニ探索を終了したのであった。

JR大阪環状線 弁天町駅から三社神社へ

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、大阪市の「JR大阪環状線」に乗車し、大阪市港区にある「弁天町駅」で下車し、駅近で南西方向に鎮座する「三社神社」を訪問することにしている。

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 「弁天町駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
 そして駅の南側から地上へと降りる。
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 出口の上方には、「大阪環状線」(下部)と「大阪メトロ中央線」(上部)の交差部分がある。
 また、鉄道の交差点の下部は、南北の「国道43号線」と東西の「中央大通り」との交差点でもある。
 この交差点から住宅街の中を進むと、「市岡中学校」の前に出る。
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 その前の道路「磯路町通」の斜め向かいには、「三社神社」が鎮座している。
 「鳥居」、「社号柱」が建っている。
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 「鳥居」を潜り参道を進み「注連縄柱」を潜る。
 その先には、一対の「狛犬」が祀られている。
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 その先は「拝殿」である。
 そして神紋は「左三ツ巴」である。
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 「拝殿」の背後には「本殿」が祀られている。
 また、「本殿」の「透塀」の外には、八重桜が咲いている風景もある(撮影:4月19日)。
 「本殿」の祭神は、「天照皇大神」、「豊受大神」、「住吉大神」、「熱田大神」、「斎主大神」、「秋葉大神」とされている。
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 この「三社神社」の創建は、江戸時代の元禄11年とされている。
 伊勢国桑名の「市岡與左兵衛宗勝」が「市岡新田」開発の守護神として、「天照皇大神」、「豊受大神、「住吉大神」の三柱を勧請し、社殿を建てたのが起源され、当初は、「三社宮」とされた。
 その後、相殿として、「熱田大神」、「斎主大神」、「秋葉大神」を合祀することにより、「三社大神」と称された経緯を有する。

 「本殿」の右横には境内社が祀られている。
 「本殿」に近い方から、「大海神社」、「柿本神社」、「稲荷神社」である。
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 そして、「拝殿・本殿」の並ぶ風景、境内社が並ぶ風景、また、境内から見える「弁天町」の駅前のビルの風景である。
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 境内の東の隅には、「神輿庫、神具庫」が設置されている。
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 そして入り口の「鳥居」付近には「手水舎」があり、石柱も建てられている。
 石柱には、「市岡第一小学校顕彰碑」と記されていて、明治8年に創立された市岡地区最初の小学校とのことである。
 尚、校地は、北西方向の「弁天埠頭」の近くにあったとのことである。
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 「三社神社」の境内を一巡したので、その西にある「磯路中央公園」を訪れてみた。
 運動場や遊具を伴う広い公園である。
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 そしてこの地点で、「弁天町駅」を下車してのミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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