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近鉄南大阪線17・高鷲駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から16駅目の大阪府羽曳野市にある「高鷲駅」である。

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 近鉄南大阪線は、「羽曳野市」を通過した後、「藤井寺市」を通り抜け、再び「羽曳野市」へと入る。
 その「高鷲(たかわし)駅」で下車し、駅舎を北側へと出る。
 駅舎は今までとは違い、見栄えのする建物である。
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 駅前はロータリーで、北に中学校のグラウンドが見える。
 そして東方向へと住宅街の中を進み、左折し北へと進む。
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 北へ進むと府道と交差する。
 この辺りの住所地は「島泉(しまいずみ)」と云う。
 進んで行くと、左手に古墳の拝所がある。
 「雄略天皇丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)」である。
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 天皇陵を北へ進むと、「長尾街道」に出る。
 その交差点には、陵の標柱が建っている。
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 西へ進むと周濠の外側の道となる。
 古墳を見ながら「長尾街道」を進む。
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 途中にある説明板の上空からの写真を見ると、前方後円墳のようではあるが、前方部と後円部が切り離され、後円部だけが周濠に囲まれているという変則的な形をしている珍しいものである。
 前方部は「島泉平塚古墳」、後円部は「島泉丸山古墳」と個別の古墳名が付けられ、合わせて「天皇陵」に治定されている。
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 古墳の頂点(西側)からの眺めである。
 周濠には満々と水が湛えられている。
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 古墳の南側には道がないので、府道を東へと進む。
 レストラン、そして消防署などもある。
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 そしてその先には、市の施設である図書館・公民館・老人福祉センターの「陵南の森総合センター」がある。
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 センター内には、授産施設などもあり、そしてモクレンの花が咲く風景も見られる。
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 また、広いグラウンドもあり、その北側に「雄略天皇陵」の前方部が見える。
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 更に、グラウンドと施設の間から後円部も望むことができる。
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 そしてこの地点で、ミニ探索を終了し、「高鷲駅」へと戻り、次の駅へと向かったのであった。
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近鉄南大阪線16・藤井寺駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から15駅目の大阪府藤井寺市にある「藤井寺駅」である。

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 「藤井寺駅」で下車する。
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 「藤井寺駅」は市の中心街にある駅で、駅の東側の踏切の北側、南側にはアーケードの商店街がある。
 先ずは北側の「藤井寺駅前北商店街」である。
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 今度は南側の「藤井寺一番街」である。
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 商店街を進む。
 途中右手に分かれるが、まっすぐ進むとアーケードの出口となる。
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 アーケードを出ると左手に「四脚門」がある。
 西国巡礼第5番の「葛井寺(ふじいでら)」の重要文化財の西門である。
 境内に入ってみると、「楠公史蹟 河南八勝第八蹟葛井寺」の標柱とその後ろに旗掛けの松がある。
 また、鳥居の先に弁財天が祀られている。
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 正面は本堂である。
 本尊は、国宝の十一面千手千眼観音菩薩とされる。
 そして、重要文化財の南大門である。
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 「葛井寺」は聖武天皇の勅願にて開山、僧行基が開山したとされる寺院で、現在は真言宗御室派である。
 勿論のこと、「藤井寺市」の市名の由来となった寺である。

 「葛井寺」を退出し、西へと進むと今度は神社の参道口がある。
 式内社「辛國神社(からくにじんじゃ)」の参道である。
 社号柱も建っている。
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 参道は、一ノ鳥居を潜り、二ノ鳥居を潜る。
 緑に覆われた長い参道である。
 また、二ノ鳥居は石造りで、長野神社より移設されたものとのことである。
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 参道を抜けると正面は拝殿である。
 そしてその背後には本殿が祀られている。
 本殿の主祭神は、饒速日命(にぎはやひのみこと)、天児屋根命、素盞鳴命で、相殿には、市杵島姫命、品陀別命(応神天皇)が祀られている。
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 尚、この神社名の「辛國」とは、物部氏の一支族である「辛國連」のことで、物部氏の祖神の「饒速日命」を祀ったものとされている。

 また、神社境内には境内社の、「春日天満宮」、「春日稲荷神社」が祀られている。
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 そして、神社の参拝はここまでとし、「藤井寺駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄南大阪線15・土師ノ里駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から14駅目の大阪府藤井寺市にある「土師ノ里駅」である。

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 「土師ノ里駅」は上図のように、応神天皇の「仲姫皇后陵」と「允恭天皇陵」、そして4社の八幡神社の中心にある。
 この駅は、近鉄南大阪線では珍しい切通しにある駅で、地上よりは低い所にある。
 「土師ノ里駅」で下車する。
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 先ずは駅の南西方向を訪ねてみる。

 駅の南西の中心は「仲姫命仲津山陵」である。
 仲姫命(なかつひめのみこと)は応神天皇の皇后で、この陵墓は全国で第9位の大きさで、「応神天皇陵」の北にある。
 
 駅前の道路を渡ると、そこには陪塚である「鍋塚古墳」がある。
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 そして「鍋塚古墳」の頂上から、「仲姫命陵」の墳丘を眺めることができる。
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 「仲姫命陵」に向かうと、先ずは到達するのは後円部である。
 後円部から反時計回りに周濠・墳丘を眺めてみる。
 周濠は空濠である。
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 後円部から前方部に至る周濠・墳丘の側面(下図の左側面)、そして前方部(下図の底面)である。
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 そして側面の周濠の外に神社が祀られている。
 応神天皇を祀る「沢田八幡神社」と云う。
 北向きで、境内を近鉄電車が横切っている。
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 拝殿・本殿は一段と高い石段の上にあり、その背後は「仲姫命陵」である。
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 周濠を前方部へと進んで行くと、八幡神社が現れる。
 「古室八幡神社」である。
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 この場所は陵の角になる。
 方向を変え前方部へと進む。
 そして拝所に到着に、「仲姫命陵」の探索を完了したことになった。
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 「土師ノ里駅」へと戻り、今度は駅の北東方向の探索である。
 駅の北東方向の中心は「允恭天皇陵」、「市野山古墳」である。
 宮内庁には「允恭(いんぎょう)天皇恵我(えが)長野北陵」と治定されている古墳である。

 「允恭天皇陵」は古市古墳群の北東端に位置し、大きさは第20位である。
 駅前の国道170号線(旧道)を北上すると、そう遠くない所に標柱が建つ拝所入り口である。
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 前方後円墳で前方部は北向きで、拝所も北向きである。
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 古墳の周りは住宅が立ち並んでいる所が多いが、反時計回りに可能な限り墳丘と内濠を眺めてみることにする。

 駅の方向に戻り、消防署がある路地から古墳内濠へと近づく。
 古墳の西側、そして後円部を眺めることができる。
 但し内濠には水が見られない。
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住宅地を迂回して、古墳の東側に来ると、今度は水を湛えた内濠が見られる。
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 東側には八幡神社が祀られている。
 「国府八幡神社」である。
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 そして再び拝所へと戻り、前方部の左右、そして西側の濠を確認して、「允恭天皇陵」の探索を終了したのであった。
 尚、允恭天皇は応神天皇の孫で、仁徳天皇の子息でもある。
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 最後に線路の南側へと向かう。
 そこには「土師ノ里八幡神社」が祀られている。
 そして参拝を終え、「土師ノ里駅」へと戻り、この駅のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄南大阪線14・道明寺駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から13駅目の大阪府藤井寺市にある「道明寺駅」である。

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 「道明寺駅」で下車する。
 この駅から「石川」が合流する「大和川」対岸の「JR柏原(かしわら)駅」に向けて、近鉄道明寺線が繋げている。
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 駅横には「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」が建っている。
 伊達政宗らの徳川軍と後藤基次らの豊臣軍が戦ったという記念碑である。
 駅前から西方向へと商店街となっているので、これを進む。
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 商店街を抜けた右手には遺跡が復元されている。
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 神社の境外で、「埴輪窯跡復元」とされている。
 このような窯が20基程度あったとのことである。
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 そしてその先右手には神社の社頭がある。
 「道明寺天満宮」の石段、社号柱、神門である。
 菅原道真公の聖蹟二十五拝の第八番目の天満宮である。
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 神門横には、「土師(はじ)窯跡」の石碑が建っている。
 神門を潜ると注連縄柱の参道が続き、左手に社務所の「天寿殿」が建っている。
 立派な建物で、結婚式などに使われるとのことである。
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 参道を進んで行くと時節柄、天満宮にはふさわしい梅の花も咲いている。
 そして鳥居を潜る。
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 長い参道が続く。
 神牛も祀られている。
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 正面は拝殿である。
 そしてその背後は、本殿である。
 祭神は、菅原道真公、天穂日命(あめのほひのみこと、天照大神の子)、覚寿尼(かくじゅに)公である。
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 その手前には能楽殿があり、この時は合氣道の演武が行われている風景があった。
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 社殿の裏側へと廻ってみる。
 広い梅林の風景が見える。
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 「道明寺天満宮」境内には、そのルーツと云われる神社「土師社」が祀られている。
 「土師社」は境内の西領域に祀られている。
 神社は東向きで、先ずは鳥居、社号柱である。
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 鳥居を潜ると、割拝式拝殿と一対の狛犬が祀られている。
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 そして本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)、野見宿祢、大国主命の三柱である。
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 この地は、菅原氏の祖先土師(はじ)氏、そのまた祖先に当たる野見宿禰の所領であり、野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社があった。

 その後、仏教伝来に合わせ聖徳太子の発願により土師氏の氏寺である土師寺が建立され、道真の叔母覚寿尼が住まいしたと云われている。

 土師寺は五重塔とともに大伽藍を持った大規模なものであったと云われる。
 また本尊は道真が刻んだと云われる十一面観世音菩薩(国宝)であった。

 大宰府に左遷される途中の道真が、この寺へ立ち寄り叔母の覚寿尼を訪ね、
「鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の なからん里の 暁もかな」
 と詠み、別れを惜しんだと伝えられている。
 この場面は人形浄瑠璃や歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』に描かれている。

 道真の死後、寺名は道真の号である「道明」に因んで改められ、また神社も道真を偲び「道明寺天満宮」と改められた。
 この天満宮には、道真そして叔母の覚寿尼、それに元々の祭神である天穂日命が祀られている。
 またこの天満宮には道真の遺品が数多く保存されていて、そのうち6点が国宝に指定されている。

 当時は道明寺と天満宮は南北に配置されていたが、明治の神仏分離により、現在は東高野街道を挟んで寺院を移し、東西の位置関係になっている。
 
 次に、隣の「道明寺」を訪れてみる。
 東高野街道を挟んで西側に「真言宗御室派 道明寺」が建つ。
 境内入り口は楼門である。
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 楼門を潜ると正面は「太子堂」である。
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 そして右手に「護摩堂」、左手に国宝の木造十一面観音菩薩立像が祀られている「本堂」である。
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 そして御朱印を頂き、「道明寺駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄南大阪線13/長野線1・古市駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から12駅目の大阪府羽曳野市にある「古市駅」である。

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 「古市駅」で下車する。
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 駅の西側には日本武尊を祀る「白鳥陵古墳」があるので、先ずはそれを訪れてみる。
 国道170号線の交差点「白鳥」を渡り、少し南へ行くと、「竹内街道」があり、「白鳥陵」への参道口である。
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 「竹内街道」を西へと進んで行くと、古墳に差し掛かかり、墳丘の全景、北側の周濠、そして前方部の濠を眺めることができる。
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 前方部(西向き)の対岸は住宅等があり、拝所周辺のみが開放されている。
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 次に古墳の南側へと回る。
 周濠の向こうに前方部、後円部を眺めることができる。
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 そして住宅街の間を、後円部へと回る。
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 古文書によると、日本武尊は伊勢の能煩野(のぼの)で没し、白鳥となって伊勢国から飛び立ち、河内国の志幾(しき)に留まったと云われ、そこに陵を造ったのがこの白鳥陵とされている。
 更に、白鳥は舞い上がり、埴生の丘を羽を曳くがごとく飛び立ったという伝承が羽曳野市の市名の由来であるとも云われている。

 そして、後円部から前方部を眺めて「竹内街道」へと戻り、「古市駅」へと戻ったのである。

 次は駅の東側に隣接する「白鳥神社」である。
 踏切を渡り進むと左手に神社の側面の参道がある。
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 これをやり過ごして東へと進む。
 東高野街道に出るので、北へと進むと左手に「白鳥神社」の参道があり、一ノ鳥居、社号柱が建つ。
 参道を進む。
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 そして境内下の二ノ鳥居となり、参道石段を昇ると境内である。
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 境内正面には、一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
 拝殿には、伊岐宮の社名額が掛けられている。
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 拝殿の背後は覆屋に包まれた本殿である。
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 本殿の祭神は、日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命、そして明治に合祀した高屋神社の祭神の饒速日命、広国押武金日命(安閑天皇)である。
 「白鳥神社」は元々は「伊岐宮(いきのみや)」と云われ、現在地の西方の白鳥陵古墳の近くの伊岐谷に祀られていたものであるが、江戸時代初めのに現在の地に遷座したと伝えられている。
 また、式内社「高屋神社」を合祀したことから、式内社でもある。

 境内社として、白龍大神、白玉大明神、白長大明神が祀られている。
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 そして最初に見た南参道から退出し、「古市駅」のミニ探索を終了したのであった。

 尚、「古市駅」の北方には、世界遺産で、わが国で二番目に大きい「応神天皇陵」がある。
 ご興味の方は、拙作ご覧頂きたい。
      http://fujisirorei.blog.fc2.com/blog-entry-1722.html

近鉄南大阪線12・駒ヶ谷駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から11駅目の大阪府羽曳野市にある「駒ヶ谷駅」である。

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 「駒ヶ谷」と云う地名は、古代に聖徳太子が大和へ向かう途中に、これから山越えをするので、休憩し駒(馬)を乗り継いだとの謂れがある。
 「駒ヶ谷駅」で下車する。
 ホームから、テレビCMで良く知られる「チョーヤ梅酒」と云う看板が見える。
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 駅舎を出ると、直ぐに「チョーヤ梅酒本社」である。
 そして、会社の前には古代の官道「竹内街道」の碑が建っている。
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 「竹内街道」の説明もなされている。
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 駅の北東側はここまでとし、踏切を渡り、西へと進む。
 右手(北側)に公園がある。
 大阪府営の「石川河川公園」である。
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 公園内を進む。
 センターのような建物、また売店もある。
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 そして沢山の人が遊んでいる風景もある。
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 公園を離れ、南側の道を西へと進むと、寺院がある。
 曹洞宗の「天童山 大黒寺」である。
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 境内には、大きな七福神の石像が並び、本殿へと至る。
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 この寺は日本最初の大黒天出現の寺とされている。
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 「大黒寺」の創建は奈良時代以前、修験道開祖の役行者の開祖とされる。
 役行者が金剛山で修行をしているときに、大黒天が現れてお告げがあり、この地に祀ったとされている。

 また境内には、三面大黒天のお堂、中国清代の鐘、願いが叶う小槌などが祀られている。
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 「大黒寺」の裏手には神社がある。
 式内社「大祁於賀美神社(おおおかみじんじゃ)」である。
 「高龗神(たかおかみ)」を祀る神社である。
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 神社へは、先ずは一ノ鳥居を潜る。
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 そして、社号柱も傍に建つ二ノ鳥居を潜る。
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 石段を昇り、最後の鳥居を潜ると境内である。
 由緒書きも掲示され、この神社は水の神の「高龗神」を祀り、この辺りの水田耕作を護ったと云われる。
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 境内には拝殿が祀られている。
 その両脇には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 また、由緒書きも掲示され、この神社は水の神の「高龗神」を祀り、この辺りの水田耕作を護ったと云われる。
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 そして神社を後にして、「駒ヶ谷駅」のミニ探索を終了し、「阿部野橋駅」方面への電車に乗ったのであった。
 「駒ヶ谷駅」を出ると「石川河川公園」を過ぎて「石川」を渡る。
 左岸(西側)の河川敷は、サッカー場になっているのが見える風景であった。
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近鉄南大阪線11・上ノ太子駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から10駅目の大阪府羽曳野市飛鳥にある「上ノ太子駅」である。

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 近鉄南大阪線は奈良j県から府県境を越えて大阪府に入った最初の駅が「上ノ太子駅」である。
 「上ノ太子駅」で下車し、駅の北側へと出る。
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 駅前の道路は、古代の官道「竹内街道」である。
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 この道を北西方向へと進む。
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 趣のある邸宅が続く。
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 そして丘陵(東方向)へ向かう道へと右折すると、鳥居が見えて来る。
 「飛鳥戸(あすかべ)神社」の一ノ鳥居が建つ参道である。
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 しばらく進んで行くと右手に「飛鳥戸神社」の社号柱が建ち、奥に石段があり、境内である。
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 「飛鳥戸神社」は式内社名神大社である。
 その創建は、5世紀ごろに渡来した百済王族・昆伎王の子孫である飛鳥戸造(あすかべのみやつこ)氏族の居住地であり、祖神の琨伎王(こんきおう)を祀ったものとされる。
 その後、牛頭天王を祀っていたが、明治になって素戔嗚尊を祭神とした神社である。
 尚、この地域は「飛鳥」と云うが、「難波宮」から見て、この「飛鳥」を「近つ飛鳥」、奈良の方を「遠つ飛鳥」と区別されるようになっている。

 石段を昇ると拝殿である。
 手前両側に一対の狛犬が祀られている。
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 背後は素戔嗚尊を祀る本殿である。
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 他に境内社として稲荷神社が祀られている。
 蛇足であるが、神紋は素戔嗚尊を祀ることから、京都の八坂神社と同じ「木瓜(もっこう)紋」である。
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 神社を後に駅方向へと戻るように進む。
 途中には「ワイン工場」がある風景も見られる。
 そして「上ノ太子駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄南大阪線10・二上山駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から9駅目の奈良県香芝市にある「二上山駅」である。

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 「二上山駅」で下車する。
 駅前の道路を北方向へと進む。
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 東西の車道(国道165号線)へと出て、これを西方向へと進む。
 右手に集落内を通る旧道があるので、これを進む。
 この道路は旧の「長尾街道」であるが、帰り道にその風景を見てみる。
 そして再び国道へと合流するが、そのコーナーに「大の松之墓」が建っている。
 「大の松」とは、この地出身の大阪相撲の力士で、勧進相撲の総元締として功績があった人物とされている。
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 国道を西へと進む。
 途中右手の山麓に綺麗な建物の病院が建っている。
 4年前に開院された241床の中規模病院である。
 そして、何本かの道路が交差する「穴虫」交差点へと出る。
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 「穴虫」交差点から、近鉄線路に沿って西へ向かう県道を選び、進む。
 右手に池がある。
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 そして左手に駐車場が現れると、今回の目的地である「屯鶴峯(どんづるぼう)」入り口へと達する。
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 入り口から階段、道路を進むと、中央の休憩所へと到達する。
 説明板によると、「屯鶴峯」とは、森の中に鶴が屯(たむろ)しているような景観を名付けたもので、今から千数百万年前に、二上山の火山活動による火砕流や火山灰が年月を経て、現在の姿になったものとされている。
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 先ずは北方向へと階段を上る。
 北側の斜面が見える。
 また、南方向には「二上山」を望むことができる。
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 続いて、中央部から東方向の眺めである。
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 そして南から北方向の眺めである。
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 また、南からは岩盤の上を歩くことができるので、入ってみる。
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 「屯鶴峯」を満喫した所で、駅方向へ戻ることにした。

 先ほどは通過した「長尾街道」の家々を眺めて見る。
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 いろいろな形の邸宅が並ぶ風景を見て、「二上山駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。
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近鉄南大阪線9・二上神社口駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から8駅目の奈良県葛城市にある「二上神社口駅」である。

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 「二上神社口駅」の駅名は、駅の西方向にある「二上山 雄岳」の山頂に鎮座する「葛木 二上神社」に由来するとされる。
 その「二上神社口駅」で下車する。
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 駅前の道路を西方向へと進む。
 道筋には大きな民家も見られる。
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 少し行くと広い道路と交差する。
 山麓線と云われる国道165号線であり、交差点は「加守」と云う。
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 その交差点を渡って、更に西へと進む。
 「二上山 雄岳」が正面に見える。
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 左側に池があり、池畔は駐車場となっているが、八重桜が盛りと咲いている。
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 更に進む。
 右手に社務所があり、正面に神社の石段が見えて来る。
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 「加守(掃守)神社」、「葛木倭文座天羽雷命(かつらぎしとりにいますあめのはいかづちのみこと)神社」、「葛木二上神社」の3社の社頭である。
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 石段を昇ると境内である。
 そして一段と高い所に社殿が祀られている。
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 石段を昇り詰めた所に拝殿が祀られている。
 扁額の中央には「倭文(しとり)神社」と記されている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿は見えにくいが、中央に天羽雷命(あまはいかづちのみこと)を祀り、右殿に天忍人命を祀る掃守(加守)神社、左殿に大国魂命を祀る二上神社が配祀されている。
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 尚、この「倭文神社」は、創建は不詳であるが、式内社大社であり、各地の「倭文神社」の根本の神社とされている。

 一段下の境内から北方向へと退出する。
 そして西へと小道を進むと、建屋が見えて来る。
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 坂道を登った所が「加守廃寺跡」である。
 この寺院跡は、大津皇子ゆかりの寺院とされ、大津皇子の鎮魂のために建立されたとされている。
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 中央に「四天王堂」が祀られている。
 傍に十三重の石塔も建っている。
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 その他、境内には池もあり、藤の花も咲いている。
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 そしてこの地点で「二上神社口駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄南大阪線8・当麻寺駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から7駅目の奈良県葛城市にある「当麻寺(たいまでら)駅」である。

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 「当麻寺駅」で下車する。
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 線路を横切っている南北の道路は「長尾街道」である。
 この街道と直交する道路が「県道当麻寺線」で、交差点に「中将餅」の店舗がある。
 県道を西へと進む。
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 進んで行くと右手に、「相撲館 けはや座」と云うのがある。
 相撲の開祖である「當麻の蹶速(けはや)」を顕彰する目的で設立された資料館で、館中央には本物と同じ土俵があるとのことである。
 また、館の外には「鉄砲柱」が設置され、そして「蹶速塚」が祀られている。
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 またその西には、地蔵と思われる祠、そして「當麻だんじり」と記された山車庫もある。
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 その先、広い道路を渡り、「當麻寺」への参道を進む。
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 途中から、参道の先に「當麻寺」の「仁王門」が見える風景となる。
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 趣のある町屋もあり、食事処として活用されているものもある。
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 そして「仁王門」である。
 「仁王門」を潜ると境内が広がる。
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 「當麻寺」の境内図も示されている(上が北方向)。
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 広い境内の向こうに「二上山」が見える。
 境内の左側に「梵鐘」が設置され、国宝との表示がなされている。
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 そして右手には藤の花が咲いている塔頭「宗胤院」、続いて「千佛院」、左手には「中之坊」が並んでいる。
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 正面には、右「講堂」、左「金堂」その向こうに国宝の「本堂(曼荼羅堂)」が構えている風景がある。
 右の「講堂」、左の「金堂」(南側の正面から)はいずれも重要文化財である。
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 そして「本堂」である。
 「本堂」には、中将姫伝説で知られる国宝「綴織当麻曼荼羅図」が厨子の中に収められ、本尊とされている。
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 「當麻寺」の創建は、奈良時代以前の推古天皇の時代の612年とされている。
 また寺は真言宗、浄土宗の寺院で、各塔頭はどちらかの宗派に属していて、一年毎に真言宗、浄土宗が交代で運営を行っているという珍しい寺院でもある。

 本堂周囲からは、国宝の三重塔の2棟が見える。
 先ずは、東の「東塔」である。
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 次に「西塔」である。
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 また「本堂」の左手には、重要文化財の「石燈籠」があり、その西側に塔頭「西南院」がある。
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 そして「本堂」の裏手は「奥の院」である。
 入ってみると、正面に2棟の堂宇が祀られている。
 左手に「阿弥陀堂」、右手に重要文化財の「本堂」である。
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 また、この寺院には、重文の「鐘楼門」もあり、見事である。
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 しかしこの時期「奥の院」は「浄土庭園」の牡丹である。
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 池泉の周囲に配された牡丹園は、目を楽しませてくれる。
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 また「牡丹園」の端、「奥の院」の境内からは「東塔」「西塔」を望むこともできる。
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 「奥の院」を出て、「當麻寺」境内の北側を見てみる。
 黒門(北門)、そして別の「薬師門」の向こうに重文の「薬師堂」が祀られ、付近に大神宮の灯篭も建っている。
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 「當麻寺」を一周したところで駅へと戻り、「当麻寺駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄南大阪線7・磐城駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から6駅目の奈良県葛城市にある「磐城駅」である。

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 「磐城駅」で下車する。
 駅のホームから、「二上山」が身近に見える風景がある。
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 駅前から南方向に神社の森が見える。
 この駅前の道は「横大路」である。
 そして神社は「長尾神社」である。
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 この「磐城駅」の南側に鎮座する「長尾神社」は、古代の官道「竹内街道」、「長尾街道」、「横大路」が交わるところである。
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 今回は、その「長尾神社」に参拝してみることにする。

 少し手間であるが、東方向に向かい、「一ノ鳥居」がらスタートし、参道を進む。
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 「長尾神社」の「二ノ鳥居」と扁額、そして社号柱である。
 長尾神社は「式内社大社」である。
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 鳥居の両脇には、狛犬ならぬ「なで蛙」が祀られている。
 その頭をなでると、「無事帰る」「若返る」「お金が返る」「安産祈願」など願い事が叶うと言い伝えられている。
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 境内正面の玉垣の向こうは拝殿である。
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 その両手前には、一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿は2座祀られていて、祭神は、右に水光姫命(みひかりひめのみこと)、左に白雲別命(しらくもわけのみこと)が祀られている。
 尚、天照大神、豊受大神も祭神とされている。
 神社の創建は不詳であるが、当地を支配した長尾氏の祖神とされている神社である。
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 境内右手に「絵馬殿」があり、中には壁一杯に絵馬が懸けられている。
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 また境内社として、「厳島神社、」「春日神社」も祀られている。
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 そして神社境内を一周した所で、「磐城駅」に戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄南大阪線6・尺土駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から5駅目の奈良県葛城市にある「尺土(しゃくど)駅」である。

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 「尺土駅」で下車する。
 駅の跨線橋から、沿線の山々、「二上山」、「葛城山」が見える。
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 「尺土駅」から南方向へ、支線の「御所(ごせ)線」が出ていて、「御所駅」へ行くこともできる。
 駅舎を北口から出て、駅を振り返る。
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 北方向へと街中を進むと「国道168号線」の交差点へと出る。
 この国道は、大阪府枚方市で「国道1号線」から別れ、交野市、奈良県生駒市へ入り、南下して奈良県内を縦断して、和歌山県の新宮市に至る国道である。
 その国道の、東方向の風景、西方向の風景である。
 尚、この国道の南側は「葛城市」、北側は「大和高田市」である・
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 西方向の右手(北側)には土手が見えるので、その上に上がってみる。
 「三ッ池」の土手である。
 東の池は空池である。
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 次に中央の池である。
 水を満々と湛えている。
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  池から西には「二上山」が望める風景がある。
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 中央の池と西の池との間の堤防である。
 そして西側の池である。
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 池畔の堤防を西へ進むと池は終わりとなり、そこから西の国道筋は「大和高田市」から「葛城市」へと変わる。
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 そして、「尺土駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄南大阪線5・高田市駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から4駅目の奈良県大和高田市にある「高田市駅」である。

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 「高田市駅」で下車する。
 駅前はそう広くない。
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 上図の①から③の順番に従って、駅の北側を廻ってみる。

 先ずは駅の直ぐの北側の①の「石園坐多久虫玉(いわぞのにいますたくむしたま)神社」である。
 社頭には、鳥居、社号柱、そしてかつて皇居があったと云う「安寧天皇片塩浮孔宮阯」の標柱が建つ。
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 境内正面には拝殿が祀られている。
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 そして拝殿のその両手前脇に一対の狛犬が祀られている。
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 その背後には本殿が祀られている。
 祭神は、建玉依比古命・建玉依比賣命で、配祀は豊玉比古命・豊玉比賣命である。
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 尚、この神社は式内社大社で、創建は不詳出るが、標柱にあるように台代の安寧天皇の「片塩浮孔宮」の跡に創建されたとされる。

 次に神社の裏手へと廻る。
 ②の「片塩商店街」である。
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 アーケード屋根のある商店街である。
 途中には、招き猫のモニュメントもあり、次の駅前商店街に突き当たる。
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 そしてその突き当たった③の「高田市駅前商店街」を東側から西へと進む。
 途中に、突き当りの三叉路もある。
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 更に進んで行くと商店街から抜け出て、元の「高田市駅」に戻って来る。
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 そしてこの地点で「高田市駅」のミニ探索を終了したのであった。

 蛇足であるがこの「大和高田市」の主要部に「高田」と付く3つの鉄道駅がある。
 北から、近鉄大阪線の「大和高田駅」、JR和歌山線の{高田駅」、そしてこの「高田市駅」である。

近鉄南大阪線4・浮孔駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から3駅目の奈良県大和高田市にある「浮孔(うきあな)駅」である。

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 「浮孔駅」で下車する。
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 先ずは駅前を南北に通る道路を南方向へと進んでみる。
 直ぐの交差点を右折し少し行くと「庚申塚」がある。
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 その右手が「田井池」である。
 池の向こうには「二上山」が見える風景がある。
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 駅へと戻り、今度は北側である。
 進んで行くと、右からの道路と交差し、交差点には大きな邸宅がある。
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 邸宅の西側の路地へ入ると、旧街道と思われる「太神宮」灯篭がある。
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 路地を通り抜けると幾つかの町工場風の建物が見られる。
 奈良のこの辺りは、靴下の製造業が多いと聞いているので、その工場かも知れない。
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 他にも大きな邸宅が見られる。
 田畑と建造物が織りなす風景を楽しみながら「浮孔駅」へと戻り、やって来た電車に乗って、ミニ探索を終了したのであった。
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近鉄南大阪線3・坊城駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」から2駅目で橿原市にある「坊城駅」である。

2104p坊城駅

 「坊城駅」で下車する。
 駅の南口から出る。
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 駅前に広場の向こうの街道筋に、明治11年に旧高野初瀬街道にて創業した老舗の「だんご庄」がある。 
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 「だんご庄」の裏側(東側)へと進む。
 「坊城八幡神社」が鎮座する。
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 大神宮灯篭を眺め、「曽我川」を渡る。
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 そして北東方向へ住宅街を進んで行くと、今度は「春日神社」が鎮座している。
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 東へと進む。
 メタセコイヤが色づいている公園がある。
 そして東方向に「畝傍山」が間近に見える。
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 「橿原運動公園」である。(探索は12月)
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 中央部に野球場がある。
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 南へ下がると「サッカー場」がある。
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 更には「屋根付運動場」、バラ園などの「庭園」もあり、南の出口となる。
 広い運動公園で、「畝傍山」とのコントラストも映えている。
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 そして、駅の北口へと戻り、やって来た電車に乗って、「坊城駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄南大阪線2・橿原神宮西口駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「橿原神宮前駅」の次の駅の「橿原神宮西口駅」である。
2104o西口駅

 「橿原神宮西口駅」で下車する。
 駅舎の南側、北側の風景である。
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 今回は、駅の北側を探索してみる。
 北へ進むと右手に「橿原神宮」の西参道口の社号柱・鳥居が建つ。
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 進んで行くと右手に天皇陵がある。
 第4代の「懿徳(いとく)天皇陵」である。
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 更に進むと左手にも天皇陵がある。
 第3代「安寧(あんねい)天皇」である。
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 更に北へと進むと。「畝火(おむね)山口神社」の案内板があり、東の「畝傍山」の方向に向けて参道が延びる。
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 参道を進んで行くと、神社入り口には社号柱・朱塗りの鳥居が建つ。
 そしてその先には拝殿が見える。
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 一対の狛犬が祀られ、一段と高い所に拝殿である。
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 拝殿には「畝火山口神社」の「扁額」、そして「神功皇后」、「仁徳天皇」を抱く「武内宿禰」の絵画が掲げられている。
 また祭神の表示もなされている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は、「氣長足姫命」、「豊受比賣命」、「表筒男命」である。
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 この神社の創建は不詳であるが、式内社大社として延喜式には記載されている由緒ある神社である。

 境内には、境内社、神具庫、などの独立した建物が見られる。
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 また境内には、「子授石」、万葉歌碑、更には畝傍山への登山口もある。
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 神社を離れ、「畝傍山」を見返してみる。
 そこには100年来の医薬品メーカーの本店もある。
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 そして元の「橿原神宮西口駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄南大阪線1・橿原神宮前駅

 奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」と大阪市阿倍野区の「大阪阿部野橋駅」を起終点とする「近鉄南大阪線」を各駅下車で訪ねてみる。
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 先ずは「橿原神宮前駅」からのスタートとする。
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 「橿原神宮前駅」で下車する。
 駅構内には駅ナカの店が並んでいる。
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 またこの駅には、北からの「近鉄京都線・近鉄橿原線」が合流している。
 そして中央口から駅舎を出る。
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 街中は「橿原神宮」の門前である。
 進んで行くと、東向きに「社号柱」、「一ノ鳥居」に到着する。
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 表参道を進む。
 途中に「神橋」、「二ノ鳥居」がある。
 「二ノ鳥居」を潜り振り返ると、「一ノ鳥居」も見える。
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 そして突き当りの右手には「南神門」がある。
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 「神門」を潜ると広い境内である。
 左手に拝本殿、そしてその背後に「畝傍山」がある。
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 外拝殿、内拝殿、幣殿、本殿である。
 本殿は全く見えないが、本殿には初代天皇の「神武天皇」と皇后の「媛蹈鞴五十鈴媛命」が祀られていて、重要文化財である。
 尚、「橿原神宮」の創建は、明治23年である。
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 本殿左手には「神楽殿」、また境内の奥側には「北神門」が備えられている。
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 「南神門」から出ると、そこには「深田池」が広がっている。
 池の向こうに建物が見えるが、「奈良芸術短期大学」と高校・中学である。
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 池畔の西参道を西へと進む。
 左手に「神餞田」を見て、その先が西の参道口であり、「橿原神宮西口駅」の近くへと到達する。
 そしてこの地点で、「橿原神宮前駅」のミニ探索を終了したのであった。
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和歌山線35・田井ノ瀬駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から33駅目で和歌山市岩橋(いわせ)にある「田井ノ瀬駅」である。

2104m田井ノ瀬駅 (2)

 「田井ノ瀬駅」で下車する。
 駅は相対式ホーム2面2線で、電車の行き違いができる構造である。
 またホームには、「和歌山線」の特徴である絵画も掲げられている。
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 駅の外へ出る。
 駅前は少しの広場となっている。
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 駅から北方向(紀ノ川方向)へと進む。
 堤防上の県道に出ると、そこは「岩橋(いわせ)」の交差点であり、紀ノ川の流れを少しだけ見ることができる。
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 その交差点の南東側に、大きな施設がある。
 「社会福祉法人 麦の郷」である。
 身障者の生活向上や、地域の健康弱者の生活向上を目指した施設であり、多くの事業に取り組んでいる。
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 「麦の郷」から南へと進むと、直ぐに線路が現れる。
 線路の手前を右折して、「田井ノ瀬駅」へと戻り、「和歌山駅」へと向かったミニ探索であった。
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 そして、起終点の「和歌山駅」へと到着し、「和歌山線」のミニ探索を終了したのであった。
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和歌山線34・千旦駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から32駅目の和歌山県和歌山市の「千旦(せんだ)駅」である。

2104l千旦駅

 「千旦駅」が設置されているところは、かつての「和佐村」である。
 「和佐」と云えば、電器産業「パナソニック」の創業者である「松下幸之助」の出身地として知られているので、それを訪ねてみる。

 「千旦駅」で下車する。
 駅構造は単式ホーム1面1線であり、駅舎はない。
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 南側の出口を出て、駅から少し離れ道路から周囲を眺めると、田園・住宅の風景が広がる。
 東側は頂上に神社が鎮座する「高積山」が、北側は線路の向こう遠くに「紀ノ川」の先の「和泉山脈」が見える風景である。
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 住宅の間を西へと進むと「和佐児童公園」がある。
 公園内には、神社の小祠、そして石碑が建っている。
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 石碑には、「松下幸之助君 生誕の地 湯川秀樹」と刻されている。
 この地が幸之助の生誕地とのことである。
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 この公園から道路を挟んで斜め向かいに大きな公園がある。
 「松下公園」と云う。
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 遊具あり、グラウンドありの公園である。
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 両公園に挟まれたところが「松下家」である。
 邸宅や墓もあり、幸之助氏が偲ばれるところである。
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 余談である。
 この「和佐」と云えば、江戸時代前期の紀州藩士で弓術家の「和佐大八郎」の出身地としても知られる。
 大八郎は、京都「三十三間堂」の通し矢にて、最高の記録8,133本を出し、いまだに破られていない天下一である。

 その顛末を拙作「三十三間堂通し矢物語」に記しているので、ご興味の方はご覧頂きたい。
    https://fujishirorei.com/2018/07/28/%e4%b8%89%e5%8d%81%e4%b8%89%e9%96%93%e5%a0%82-%e9%80%9a%e3%81%97%e7%9f%a2%e7%89%a9%e8%aa%9e/

 そしてこの時点で「千旦駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線33・布施屋駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から32駅目の和歌山県和歌山市の「布施屋(ほしや)駅」である。

2104k布施屋駅

 「布施屋(ほしや)」という地名・駅名は、この地区に「熊野古道」が通っていて、この辺りの人々が、旅人を接待(お布施)したことに由来するとされる。
 「おふせ」が訛って、「ほしや」となったとのことである。

 「布施屋駅」で下車する。
 駅は単式2面2線のホーム構造で、跨線橋で行き来する。
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 駅の直ぐ東に踏切がある。
 南北に通っている「熊野古道」である。
 それを北(紀ノ川方向)へと向かう。
 説明板n「川辺王子」とは、「紀ノ川」の北、JR阪和線「紀伊駅」の南にある王子である。
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 堤防の道路へと出るが、河川敷は広いので川面は見えない。
 しかしそこには「布施屋の渡し跡」の説明板がある。
 ここから北300mに川があり、それを渡し船で渡っていたとのことである。
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 元の踏切まで戻り、今度は南へと進む。
 「熊野古道」の提灯やら、案内板がある。
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 進んで行くと「川端王子」の祠がある。
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 詳しく見てみると、旅人はこの「川端王子」から東方向の「吐前(はんざき)王子」へと進んだとのことである。
 但し、「川端王子」が設けられたのは、江戸時代とのことで、それまでは「紀ノ川」を「吐前王子」へと渡っていたとのことである。
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 「熊野古道」の一端に触れたことで、この「布施屋駅」のミニ探索は終了となったのであった。

和歌山線32・紀伊小倉駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から31駅目の和歌山県和歌山市の「紀伊小倉駅」である。

2104iIMG_5418 (2)

 「和歌山線」はこの「紀伊小倉駅」から和歌山市へと入る。
 「紀伊小倉駅」で下車する。
 駅は単式ホーム1面1線である。
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 駅周辺は田園と住宅が織りなす風景である。
 駅の南側の近場を探索してみる。

 駅から南下すると、まず小学校が見つかる。
 「小倉小学校」と云う。
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 正門前の通りは、「あいさつのこみち」と云う。
 子供たちの元気な声が交わされるところであろう。
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 小学校から東方向へと進む。
 そこには大きな建物がある。
 「小倉保育所」と云う。
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 駅の方向へと戻る。
 途中、南の山を見上げると、中腹にソーラー畑の風景があった。
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 そして、駅に戻った所で、「紀伊小倉駅」のミニ探索を終了したのであった。

時節の花たち(4月9日)

 この時期、桜もほぼ終わりとなり、今年は特に花変わりが早く、忙しい時節となってきている。
 近所で見かけた花々を順に見てみることにする。

 先ずはバトンを受けた「八重桜」が真っ盛り。
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 次に「ハナミズキ」。
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 そして「藤」の花も忙しい。
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 更には「石楠花」の花も。
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 「ツツジ」の花も急いでいる。
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 「モッコウバラ」も結構賑やかである。
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 そして「サツキ」の花も。
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 「サクラソウ」や「シバザクラ」も満開である。
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 花ではないが、「メタセコイヤ」も春の葉を付け始めている。
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 今年の季節は、格段に速い移り変わりで、楽しませてくれている。

和歌山線31・船戸駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から30駅目の和歌山県岩出市の「船戸(ふなと)駅」である。

2104h船戸駅

 「和歌山線」は「岩出駅」を過ぎると「紀ノ川」を渡り、左岸を「和歌山駅」に向けて進むことになる。
 その最初の駅が「船戸駅」である。
 「大和街道」もこの地点で「紀ノ川」を渡ることになっていて、その渡しの船小屋が沢山あったことから「船戸」と云う地名が付けられたとされているが、単純に「船渡」の言い換えであるかも知れない。
 「船戸駅」で下車し、駅前を北へと進む。
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 「紀ノ川」縁に出ると、「岩出橋」が見えてくるので、それを渡る。
 上流には「和歌山線」の鉄橋が架かっていて、その向こうに「紀州富士」が見える。
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 「岩出橋」を渡ると左側に大きな神社がある。
 「大宮神社」と云う。
 鳥居、社号柱が建っているが、社号柱には「郷社 岩出神社」と記されている。
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 この「大宮神社」は、奈良時代和銅年間に熱田神宮より日本武尊を勧請して創建されたとされる。
 そして、高野山の高僧「覚鑁(かくばん)」が「根来寺」創建に際し、三部権現を祀ったとされ、鳥羽上皇の勅願所に定められたとされる。
 更に、古代に出雲民族がこの地を開拓し、多くの樹種を蒔き、育った木が他国より優れていた事から、木の国と呼ばれる所以であり、その守り神である素戔嗚尊を祀ったとされる。
 しかし、秀吉の根来攻めで神社は焼かれ、その後紀州徳川家の手で再建され、現在の姿となっている。

 正面は拝殿である。
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 その背後は本殿エリアである。
 拝所には、多くの神々が一覧で記されている。
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 そして本殿である。
 本殿には、日本武尊を主祭神として、仏法の守護神である 神祇官八神が祀られている。
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 本殿の一つ置いて右は、素戔嗚尊他12神を祀る拝所・本殿である。
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 境内社が祀られている。
 年神社、祇園神社、五社宮である。
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 他にも、稲荷神社、魔除獅子殿が祀られている。
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 神社を後にして、道路へと上がる。
 神社を振り返ると本殿、道路の反対側にはホテルが建っている風景である。
 そして「船戸駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。
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和歌山線30・岩出駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から29駅目の和歌山県岩出市の「岩出(いわで)駅」である。

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 「岩出駅」で下車する。
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 岩出市は那賀郡岩出町が平成18年に市制を施行した市である。
 「岩出駅」はその岩出市の最南部の紀ノ川沿いにあり、市の中央部には大寺院「新義真言宗 根来寺」がある。

 今回はその「根来寺」を駅前からのバス便を利用して、訪ねてみる。
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 バスは10分ほどで、「岩出図書館」バス停に着く。
 道路を歩き、朱塗りの「天真橋」を渡る。
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 「根来寺」の主要部が近づく。
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 「天真橋」を渡った先が重要文化財の「大門」である。
 仁王像も祀られている。
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 大門の裏手には、塔頭「愛染院」がある。
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 そして進んで行くと、塔頭の「蓮華院」と「律乗院」、そしてその間に総鎮守社の「三部権現」がある。
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 その先、寺号柱が建ち、境内への参道となる。
 進んで行くと、「鐘楼門」そして重要文化財の「光明真言殿」が建っている。
 開山興教大師覚鑁(かくばん)の尊像などが安置しされ、日夜回向がなされているとのことである。
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 その左手には、聖天池があり、畔に重要文化財の「行者堂」、「聖天堂」が建っている。
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 また、紀州徳川家から拝領した、名草御殿(なぐさごてん)に面した江戸時代の名勝庭園もある。
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 そして東側が境内のメインの部分である。
 先ずは国宝の「大塔」である。
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 その隣に、重要文化財の「大伝法堂」が建つ。
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 大塔の左手には、重要文化財の「大師堂」があり、「大塔」、「大伝法堂」と組み合わせた眺めである。
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 この「根来寺」は、高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁(かくばん)が、高野山内に「伝法院」を創建したことに始まる。
 また、鳥羽上皇は覚鑁に帰依し、荘園を寄進するなど手厚く保護したとされている。
 そして、覚鑁は、当時堕落していた高野山の信仰を建て直し、宗祖・空海の教義を復興しようと努めたが、反対勢力により覚鑁一門の寺院が焼き討ちされるという事件が発生した。
 覚鑁一門は高野山を下りて、心機一転、「根来寺」を創建したとの経緯がある。

 また「根来寺」は、戦国時代、紀州の雑賀衆・根来衆として一大勢力を持っていたが、豊臣秀吉に攻められ、「大塔」を除き焼き討ちにされたと云う経緯があり、今でも「秀吉に焼かれた」と語り継がれている。

 そして「根来寺」の探索を終了し、同時に「岩出駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線29・下井阪駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から28駅目の和歌山県紀の川市の「下井阪(しもいさか)駅」である。

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 「下井阪駅」で下車する。
 駅は単式ホーム1面1線である。
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 駅の北方向へ少し歩いたところに「紀伊国分寺阯」があるので、行ってみる。
 国分寺阯は南向きで、入り口に標柱、左手に「紀の川市歴史民俗資料館」がある。
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 案内図があるので眺めて見る。
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 入り口は南門基壇跡である。
 先ずは中門基壇跡へと進む。
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 その先の左手には池、右手には大楠がある。
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 中央を進む。
 中央は金堂基壇跡、右手は塔基壇跡である。
 そしてその先に、本堂が建つ講堂基壇跡が見える。
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 この国分寺も聖武天皇の奈良時代に全国に創建されたものの一つであるが、本堂の建物だけは江戸時代元禄年間に建てられたものである。
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 国分寺阯は広い公園状である。
 角度を変えて、金堂基壇跡を眺めて見る。
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 そして国分寺阯を離れ、駅へと戻り、紀州富士(龍門山)を眺め、「下井阪駅」のミニ探索を終了したのであった。
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和歌山線28・打田駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から27駅目の和歌山県紀の川市の「打田駅」である。

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 「打田駅」で下車する。
 駅は、相対式2面2線のホームを持つ行違い可能な駅である。
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 北側の五条方面行きのホームには、絵画が掲げられ、庭園の造作も置かれている。
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 南側のホームから出る。
 駅前は駐車場などがある。
 住宅の間を東方向へと進む。
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 東へ進み、南北の広い道路に出た所の東側に大きな工場がある。
 パナソニック㈱の和歌山工場である。
 小型の二次電池などを製造している事業所とのことである。
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 和歌山県は創業者の松下幸之助のありながら、全国都道府県で唯一工場が無かったが、今から30年前にこの地に工場が開設されたことで知られる。

 工場の南側には神社が祀られている。
 そして、工場の道路側は北から南まで外構工事がなされている。
 南へ進むと大きな道路である「国道24号線 岩出バイパス」へと出て、紀州富士を望むことができる。
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 国道を西へと進む。
 大きな民家も見られる。
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 そしてその先に病院が見えて来る。
 病床数300床強の「公立 那賀病院」である。
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 そして、病院の前を通り、「内田駅」へと向かい、今回のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線27・紀伊長田駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から26駅目の和歌山県紀の川市の「紀伊長田駅」である。

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 「紀伊長田駅」で下車する。
 駅は単式ホーム1面1線である。  
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 駅横の道路には、「如意山厄除観音寺」の寺号柱や灯篭が建っている。
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 北へと進んで行くと、「観音寺」の境内入り口の「大門」が見えて来る。
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 「大門」には両側に仁王像が祀られている。
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 「大門」を潜ると、境内が見渡せ、左手に「茶所」があり、右手には「弁財天」が祀られている。
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 正面には本堂がある。
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 先ずは、「本堂」への参拝である。
 本尊は如意輪観世音菩で、平安時代の延喜年間921年の創建とされている。
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 「本堂」右手には、薬師堂、鐘楼堂、稲荷大明神が祀られている。
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 寺院を後に駅へと戻る。
 南方向には桃畑、その向こう、紀ノ川の先には紀州富士と云われる「龍門山」が見える。
 そして、やって来た電車に乗って、「紀伊長田駅」のミニ探索を終了したのであった。
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和歌山線26・粉河駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から25駅目の和歌山県紀の川市の「粉河駅」である。

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 「粉河駅」で下車する。
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 「粉河駅」は、西国三十三ヶ所巡礼の第三番の「粉河寺」で知られるところである。
 駅前にもその案内があり、「粉河寺」を訪問すべく、駅舎に直交する広い道路を北へと進む。
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 道路沿いには、趣のある町屋が幾つか見られる。
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 そして進んで行くと、行く手に朱塗りの大門が見えて来る。
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 「粉河寺」である。
 大門の前後には、神社が祀られている。
 左手前が「大神宮」、右奥が「蛭子社」である。
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 そして、江戸時代宝永年間に建立された重要文化財の「大門」である。
 両側には、仏師春日作と伝えられる金剛力士像が安置されている。
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 境内図を眺め、参道を進む。
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 参道左手に多くの堂宇が並ぶ。
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 進んで行くと、「中門」、「本堂」などの主要部が見えて来る。
 これも重要文化財で江戸時代天保年間完成の「中門」を潜る。
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 「中門」を潜ると、歌碑が建つ。
 若山牧水、松尾芭蕉である。
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 そして山側の正面には「石庭」、その上に「本堂」が見える。
 巨石を並べた庭園は国の名勝、重要文化財で江戸時代享保年間建立の「本堂」には、公開されたことがない「千手千眼観音菩薩」が本尊として祀られているとのことでる。
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 「本堂」前には。「六角堂」、「丈六堂」が建っている。
 また「本堂」左には、重要文化財の「千手堂」が建つ。
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 「本堂」と「千手堂」の間の奥側には神社が祀られている。
 粉河寺と同時期(770年)に創建された粉河地区の総社の「粉河産土神社」である。

 境内石段下には一対の狛犬が祀られている。
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 正面の石段上には、拝殿とその奥に2つの本殿が祀られている。
 左側の本殿の祭神は丹生津比賣命、右側は天忍穂耳命である。
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 また本殿と拝本殿と並んで、幾つかの境内社が祀られている。
 天福神社、粉河稲荷神社などである。
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 そしてこの地点で「粉河駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線25・名手駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から24駅目の和歌山県紀の川市の「名手駅」である。
 尚、紀の川市は、平成の大合併で平成17年に、那賀郡打田町、貴志川町、粉河町、那賀町、桃山町の合併により発足した市である。

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 「名手(なて)駅」で下車する。
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 駅前から東方向へと進み、北方向へと進むと「大和街道」と交差する。
 その交差点の角の左手には、大きな屋敷がある。
 屋敷の北側の「大和街道」の西方向を眺めて見る。
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 今度は東方向である。
 「大和街道」を東に進むと左手に白壁塀の大きな屋敷がある。
 「旧名手宿本陣妹尾家住宅」である。
 手前が通用門、先が「御成門」である。
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 この「旧名手宿本陣」は見学が可能である。
 「御成門」から入ると受付があり、屋敷内に入場する。
 南側は、重要文化財の主屋の正面であり、玄関もある。
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 右側(東側)へと回る。
 吊るし雛が飾られている。
 そして回り込んだ主屋の裏側である。
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 そして裏には庭園がある。
 庭園の北側の塀の向こうは「郡役所」で「御白洲」もあったとされている。
 また庭園の西側には重要文化財「米蔵」が建っている。
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 「米蔵」の南隣は、これも重要文化財の「南庫」である。
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 蔵の東、主屋に近い所に「井戸屋形」がある。
 主屋の裏口から入ると土間で、炊事用の竈が並んでいる。
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 土間から座敷を眺めたものである。
 そして、主屋の正面から吊るし雛を介して、座敷を眺めたものである。
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 この「旧名手宿本陣」は紀州藩の参勤交代で利用したと云われている。
 「大和街道」、「伊勢南街道」を進み、「東海道」へと出たとされている。
 尚、この「旧名手宿本陣」は国の史跡でもあり、「華岡青洲」の妻加恵の実家でもある。

 本陣前は「大和街道」である。
 東隣も大きな屋敷である。
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 更に東へと進む。
 趣ある町屋を眺め、名手谷川を渡った所で、「名手駅」のミニ探索を終了したのであった。
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和歌山線24・西笠田駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から23駅目の和歌山県伊都郡かつらぎ町の「西笠田駅」である。

2104a西笠田駅

 「西笠田(にしかせだ)駅」で下車する。
 「西笠田駅」は、一面一線の単式ホームである。
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 駅は、紀ノ川の段丘にあり、駅の下には紀ノ川の流れが見える。
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 また、駅は、南側の国道24号線、北側の「大和街道」に挟まれた所にあり、その「大和街道」を西へと進む。
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 街道は線路を渡ると国道と合流する。
 更に西へと進む。
 途中に右の山から流れて来る「穴伏川」を渡り、国道と分かれ街中へと進み、右折し、踏切を渡る。
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 踏切を渡り、左手へと進んで行くと遊具や温室がある「ふれあい公園」である。
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 公園からつづら折りの坂道を登って行くと、右手に「道の駅 青洲の里」がある。
 アプローチ左手に「華岡青洲の像」がある。
 正面の建物は、黒川紀章設計の建築物である。
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 この辺り一帯は、全身麻酔術を開発し、外科医として多くの患者を救ったことで知られる「華岡青洲(はなおかせいしゅう)」の生誕地であり、住居兼診療所があった所である。
 「有吉佐和子」の小説「華岡青洲の妻」でも良く知られている。

 道の駅から北へと進むと正面に「華岡青洲(はなおかせいしゅう)顕彰記念公園」がある。
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 顕彰碑と合わせて、華岡家一族の墓石も並んでいる。
 その中央には「華岡青洲」の墓石もある。
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 記念公園の近くの地蔵尊の祠には、青洲が使ったと云う石の手術台が祀られている。
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 少し東へと進んだ道の駅の入り口に対面して青洲の住居兼診療所・医学校の「春林(しゅんりん)軒」の裏門がある。
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 裏門から覗いて見ると、左側が住居兼診療所の主屋、右側が門下生の居室や薬調合所である。
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 「華岡青洲」に係る場所を一周した所で、「西笠田駅」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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