琵琶湖線11・野洲駅
「京都駅」と滋賀県長浜市の「長浜駅」を起終点とし、琵琶湖の東部地域を走る愛称「琵琶湖線」を郭駅下車で訪ねてみる。
今回は「京都駅」から10駅目の滋賀県野洲市の「野洲駅」である。
「琵琶湖線」は野洲川を渡り、「野洲駅」に到着する。
「野洲駅」で下車し、駅舎を東側へと出る。
駅前広場から、東へ延びる道路「野洲停車場線」を進む。
少し行くと、近江富士「三上山」が見える。
「三上山」に近づいてみる。
標高500m足らずであるが、この優美な姿は滋賀県のシンボルである。
途中でやり過ごした「旧中山道」に合流し、北東方向へと進む。
東海道新幹線の高架線路を潜って進んで行くと、「稲荷神社」の西向の社頭を通る。
少しの寄り道をしてみる。
鳥居、拝殿である。
拝所の中門、本殿である。
祭神は豊宇氣毘賣神、配祀神は速須佐之男命である。
「旧中山道」を進む。
趣のある町屋や、振り返ると「三上山」も見える。
しばらく進むと、銅鐸の公園へと到着する。
「弥生の森歴史公園」である。
公園内には「歴史民俗博物館」(愛称:「銅鐸博物館」)がある。
館内には、この付近で発見された「銅鐸」が展示がなされている。
この野洲の銅鐸は、明治14年に山遊びに来ていた中学生達に3口発見され、その知らせを受けた大人達により11口の発見があったとされる。
その後、新幹線工事も含め、10口の銅鐸が発見され、合計24口にも及ぶとされる。
その展示物を眺めてみる。
博物館の外は弥生文化の公園である。
竪穴式住居群が見られる。
そして高床式の倉庫、また赤米の水田も再現されている
「野洲駅」の探索はここで終了であるが、別途に参拝を行った野洲市の式内社・名神大社の「御上神社」の写真を参考として掲載させていただく。
御上神社は近江富士・三上山の山麓に鎮座し、三上山を神体として祀る神社である。
「御上神社」の創建は孝霊天皇の時代と云われ、古墳時代である。
社殿は奈良時代、藤原不比等によって現在の地に造営されたと云われている。
社頭は東向きで、鳥居、楼門を潜ると境内である。
境内は、拝殿本殿と並ぶ。
本殿の祭神は、天之御影命 (あめのみかげのみこと)である。
そして、神体の「近江富士」も見える。
尚、本殿は国宝、拝殿、楼門、若宮神社は重要文化財である。
今回は「京都駅」から10駅目の滋賀県野洲市の「野洲駅」である。
「琵琶湖線」は野洲川を渡り、「野洲駅」に到着する。
「野洲駅」で下車し、駅舎を東側へと出る。
駅前広場から、東へ延びる道路「野洲停車場線」を進む。
少し行くと、近江富士「三上山」が見える。
「三上山」に近づいてみる。
標高500m足らずであるが、この優美な姿は滋賀県のシンボルである。
途中でやり過ごした「旧中山道」に合流し、北東方向へと進む。
東海道新幹線の高架線路を潜って進んで行くと、「稲荷神社」の西向の社頭を通る。
少しの寄り道をしてみる。
鳥居、拝殿である。
拝所の中門、本殿である。
祭神は豊宇氣毘賣神、配祀神は速須佐之男命である。
「旧中山道」を進む。
趣のある町屋や、振り返ると「三上山」も見える。
しばらく進むと、銅鐸の公園へと到着する。
「弥生の森歴史公園」である。
公園内には「歴史民俗博物館」(愛称:「銅鐸博物館」)がある。
館内には、この付近で発見された「銅鐸」が展示がなされている。
この野洲の銅鐸は、明治14年に山遊びに来ていた中学生達に3口発見され、その知らせを受けた大人達により11口の発見があったとされる。
その後、新幹線工事も含め、10口の銅鐸が発見され、合計24口にも及ぶとされる。
その展示物を眺めてみる。
博物館の外は弥生文化の公園である。
竪穴式住居群が見られる。
そして高床式の倉庫、また赤米の水田も再現されている
「野洲駅」の探索はここで終了であるが、別途に参拝を行った野洲市の式内社・名神大社の「御上神社」の写真を参考として掲載させていただく。
御上神社は近江富士・三上山の山麓に鎮座し、三上山を神体として祀る神社である。
「御上神社」の創建は孝霊天皇の時代と云われ、古墳時代である。
社殿は奈良時代、藤原不比等によって現在の地に造営されたと云われている。
社頭は東向きで、鳥居、楼門を潜ると境内である。
境内は、拝殿本殿と並ぶ。
本殿の祭神は、天之御影命 (あめのみかげのみこと)である。
そして、神体の「近江富士」も見える。
尚、本殿は国宝、拝殿、楼門、若宮神社は重要文化財である。