『安房国・館山城跡』
千葉県館山市館山にある「史跡 館山城跡」である。現在は城山公園となっているところである。
館山城は戦国時代末期に、南総里見八犬伝で知られる里見氏の第九代里見義康により築城された平山城である。
最盛期の里見氏は、安房、上総、下総の三国57万石を領有していたと云われる。
しかし秀吉の小田原攻めに遅参したことを理由に安房一国に減封され、その後関ケ原で徳川方に付いたことで加増されたが、大坂の陣の前に妻の祖父である小田原城主大久保忠隣の改易に連座し、幕府から安房一国も没収され、館山城は廃城となったとされている。
館山城へは内房線館山駅からバス便が最寄りである。
バスを降りると公園入り口には、冒頭の標石がある。
そして右手の広場の奥の城山山頂(標高72m)には天守が聳えているのが見える。(但し天守は残念ながら模擬天守である)
天守に向かうには左右のルートがある。
右手のルートは車も通れるようであるが、これを避けて、左側を辿ることにする。
入り口の左手は鹿島堀跡である。城の防衛上の濠である。
そしてルートは先へと進む。
この辺りは、時節柄、紫陽花が最盛期である。
途中の右手には孔雀園があるが、パスである。
また途中には削平地もある。郭が設けられていた跡地であろうか。
登城路を登り詰めると、本丸広場に出る。
本丸広場の片隅には、里見城跡の石碑も設けられている。
そしてそこには、浅間神社が祀られている。
正面に天守が佇む。
三層四階の望楼付きの天守で、一説には丸岡城の天守を模したものと云われている。
天守の中身は、館山市立博物館分館となっていて、滝沢馬琴の南総里見八犬伝の資料が展示されているとのことである。
天守を裏側から見てみる。
また裏側からは海が見える。
中央遠くに見えるグリーンとコンクリートの広いところは海上自衛隊の館山航空基地である。
下城してバス停に戻ると、少し西に館山神社が鎮座している。
館山神社は、近隣の稲荷神社4社、諏訪神社2社、そして八坂神社1社の計7社が合祀された神社である。
一見は館山城跡の護り神の様である。
尚、江戸時代後期に、稲葉正明が館山藩主となって館山に入ったが、城を再建するではなく、城の麓に館山陣屋を構えて、そこを新たな政庁としたとのことである。