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湖西線4・比叡山坂本駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から3つ目の大津市にある「比叡山坂本駅」である。

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 「比叡山坂本駅」で下車する。
 ホームの西側正面には、比叡山が見える。
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 比叡山頂の延暦寺を探索したいところであるが、少々遠いので、山麓の「日吉大社」を目指すことにする。
 「日吉大社」は、近江国二ノ宮で式内社名神大社二十二社の一社である。
 また、「日吉大社」は、山王権現と呼ばれ、全国に約2,000社ある日吉、日枝、山王神社の総本社でもある。
 
 日吉大社へは、「比叡山坂本駅」から、比叡山に向かう参道を進む。
 門前町坂本の中を進む参道には、一ノ鳥居、二ノ鳥居、そして神社社号柱が建てられている。
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 比叡山東麓の「日吉大社」の境内は広い。
 先ずは参道を右手へと取り、東本宮へ向かい、二宮橋を過ぎる。
 かつての東本宮は二宮と呼ばれたため、この名称がある。
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 東本宮の手前に猿の顔に似たりの「猿の霊石」が祀られていて、その先は楼門である。
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 東本宮の境内には、大山咋神(おおやまくいのかみ)を祀る拝殿本殿が祀られている。
 しかし国宝の本殿は修復中で見ることはできない。
 本宮拝殿に直行して鴨玉依姫神を祀る樹下(じゅげ)神社の拝殿本殿も祀られている。
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 次に西本殿に向かう。
 参道途中には幾つかの境内社が祀られているが、その一つ宇佐宮である。
 また、祇󠄀園石が祀られている。牛頭天王が宿る磐座である。
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 そして西本宮の楼門である。
 その先、拝殿と国宝本殿である。
 西本宮には大己貴命(おほなむちのみこと、大国主命)が祀られ、かつては大宮と云われていたものである。
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 西本宮を退出し、参道を戻る。
 途中で山王鳥居を潜り、大宮橋を過ぎる。
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 次に末社の東照宮に向かう。
 途中穴太積みの石垣を見て、石の鳥居に到着する。
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 石段の上は唐門を正面に、透塀で囲まれた権現造りの社殿が祀られている。
 この日吉東照宮は、日光を造営した天海僧正の手により、将軍家光の時代に創建されたと云われる。
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 その天海僧正の廟が近くにある。恵日院慈眼堂である。
 明智光秀の化身とも云われ、初期徳川幕府の顧問であった慈眼大師南光坊天海大僧正の廟である。
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 また、近くに滋賀院門跡がある。
 比叡山延暦寺の本坊で、これも天海僧正の創建によるものである。
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 「日吉大社」は、かつては「ひえ大社」と呼ばれた。
 社殿はほとんどのものが重要文化財に指定され、境内も国の史跡に指定されている。

 坂本と云えば蕎麦処でもある。
 叡山の千日回峰修行には五穀絶ちが必須であるが、蕎麦はその五穀には含まれていないことからも、蕎麦の文化が出来上がった考えられる。
 門前町には大きな構えの店がある。
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 「日吉大社」の門前はこれくらいにして、琵琶湖側へと進む。
 琵琶湖側と云えば明智光秀築城の「坂本城」である。

 「比叡山坂本駅」の少し南に、「坂本城跡」の石碑が建っている。
 この場所は「坂本城」の二ノ丸とのことである。
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 そして、湖側の本丸と二ノ丸の境目辺りに「明智塚」が祀られている。
 坂本城落城の際に光秀の脇差名刀や宝物を埋めた跡で、明智一族の墓所とされている。
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 「坂本城」は、光秀軍が天王山の戦いに敗れた後、攻められ炎上した。
 その後、丹羽長秀が再建に取りかかった。
 羽柴秀吉と柴田勝家との賤ヶ岳の戦いの時、長秀は湖水を渡って戦場に駆け付けた話は有名である。
 続いて杉原氏、浅野長政が入城したが、4年後長政は大津城を築城し、廃城となった。
 坂本城の廃材は大津城築城に活用されたと云われている。

 そしてこの地点で「比叡山坂本駅」のミニ探索を終了したのであった。

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藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
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よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
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併せてよろしくお願いします。

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