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JR神戸線11・住吉駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から10番目の神戸市東灘区の「住吉駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「住吉駅」で下車する。
 ホームから、下車後訪れる予定の「本住吉神社」の杜が見える。
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 その「本住吉神社」を訪問してみる。
 神社は南向きで正面に鳥居・社号柱が建つ。
 鳥居の正面を旧西国街道が、神社右手に有馬街道が通っている交差点の北西角である。
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 この「本住吉神社」の創建であるが、神社の社伝では、三韓征伐からの帰途、神功皇后の船がこの地の沖で進まなくなり、神託により、陸のこの地に底筒男命、中筒男命、表筒男命の住吉三神を祀ったのが始まりである。
 そして本住吉と云われる由縁は、大阪の住吉大社はこの神社からの勧請であるとのことで、その後、神功皇后も主祭神の1柱として、配祀として天兒屋根命、大山津見命が祀られている。

 鳥居を潜るとすぐに境内である。
 鳥居や拝殿は20年前の阪神淡路大震災で大きな被害を受けたが、現在は立派に修復されている。
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 正面には拝殿が祀られている。
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 拝殿の背後には本殿が祀られているが、少し見えにくい。
 周りは時節柄、紅葉が綺麗である。
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 また、本殿の瑞垣の横には境内社が一列に祀られている。
 稲荷神や天照大神などである。
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 駅近の神社だけでは訪問不足である。
 バスで住吉川を遡り、上流まで行ってみる
 白鶴美術館前で下車する。
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 白鶴美術館は東洋の古美術を収集している公益財団法人の美術館で、国宝2点、重要文化財22点を収蔵しているとされる。
 また、本館などが登録有形文化財である。
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 その南側には「旧乾家住宅」がある。
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 また西側には「若宮八幡宮」が鎮座している。
 祭神は、住吉神社の祭神の神功皇后の子の応神天皇である。
 そして震災後も、氏子の人たちの力で、いち早く復興されたとされている。
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 「住吉駅」の山側を探索したことで、今回はここまでとする。

JR神戸線10・摂津本山駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から9番目の神戸市東灘区の「摂津本山駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「摂津本山駅」の山側には、4社の八幡神社が鎮座している。
 今回は、「摂津本山駅」で下車し、山手幹線を渡り、阪急「岡本駅」の傍を過ぎて、それらの神社を訪ねてみる。
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 岡本駅の東側の道を六甲山目指して登って行く。
 ひとしきり歩き、天上川を渡ったところが「岡本八幡神社」の社頭である。
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 社頭には鳥居が建ち、そして石段を昇る。
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 石段を昇り詰めると正面に拝殿が祀られている。
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 拝殿の両手前には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は、応神天皇、神功皇后である。
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 この神社は、源頼朝が1192年に鎌倉に幕府を開いた頃に、岡本は村としての姿を整えたようで、源家の勢にあやかろうと、源氏の氏神八幡神を村の高台に祀ったとされている。
 これに因んで一帯は八幡林と呼ばれ、境内の東にある谷は八幡谷と呼ばれたとのことである。

 神社境内にはしゃもじに願い事が書かれた絵杓子が沢山奉納されている。
 また灯篭には安政五年の刻印も見られる。
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 また神社境内はかなりの高台で、神戸東灘の街を見下ろすことができる。
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 次に東に進み、「鷺宮八幡神社」を訪ねてみる。

 神社の鎮座地は本山北町6丁目、石段を昇ると鳥居が建つ。
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 境内は広く、裏参道には保久良神社の御旅所も兼ねているとのことである。
 また地車庫も建っている。
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 鳥居を潜った正面は社号柱と玉垣に囲まれた拝殿である。
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 また玉垣には付近の八幡宮との連携であろうか、神社名が書かれている。
 中野八幡神社、小路八幡宮、そして保久良御旅所である。
 そして玉垣前には、一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は、天照皇大神、八幡大神、春日大神である。
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 本殿左手に境内社が祀られている。
 玉崎稲荷社である。
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 神社の創建等に係る由緒書きが建てられている。
 それによると、
 「古くより鷺宮八幡宮、鷺宮、産宮と親しまれ、大和、貞享、元禄5年(1692)の寺社改帳に記載されております。
  総氏神保久良神社のお旅所として境外末社の前社にして、後社の境外末社である熊野、古山、山、塞の神々を合祀申し上 げ、北畑を中心に崇敬されております。」

 更に東の2社を駆け足で訪ねてみる。
 
 先ずは「小路八幡宮神社」である。
 鎮座地は本山北町5丁目で、祭神は八幡大神である。
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 かつて、源満仲の四天王の1人である臼井貞光が後年この小路に永住し、源氏の守護神たる八幡大神の信仰に習って、当地に祭祀したと伝わっている神社である。

 最後はもっと東の「中野八幡神社」である。
 鎮座地は本山北町4丁目で、祭神は八幡大神、配祀は大山積神、奥津比古神、奥津比売神とされている。
 古い記録によると、1339年に京都大山崎の八幡宮の神人より勧請・祭祀したとのことである。
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 4社の八幡神社を訪ね終えた。
 この地点で、「摂津本山駅」のミニ探索を終了する。

JR神戸線9・甲南山手駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から8番目の神戸市東灘区の「甲南山手駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「甲南山手駅」は、平成8年に新設された比較的新しい駅である。
 「甲南山手駅」で下車する。
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 山側のロータリーの北には「山手幹線」が通っている。
 これを西へと進み、次の信号を右折し、「魚屋道(ととやみち)」へと入る。
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 「魚屋道」とは、六甲山を越えて有馬温泉へ魚を運んだ道と云われる。

 阪急神戸線の線路を潜り、進むと右手に神社が現れる。
 「森稲荷神社」の二ノ鳥居である。
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 狛犬・灯篭を見ながら石段を昇る。
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 正面は拝殿である。
 そしてその背後は本殿である。
 祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、配祀神は天照皇大神、豊受女命、建南方命、応神天皇、菅原道真、大山祇神、八衢比古神である。
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 この神社の創建は8世紀と伝わっている。
 また、多くの配祀神が見られるのは、近隣の神社を合祀したものであろう。
 その他、幾つかの境内社も祀られている。

 神社裏には、児童遊具がある。
 そして元の「魚屋道」へと戻り、北へと進む。
 急な登りである。
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 しばらく行くと、左手に「甲南女子大学」がある。
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 学舎を眺めてみる。
 道路の右手にはテニスコートもある。
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 学舎全体を離れて見てみる。
 その西には、神戸薬科大学の学舎も見える。
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 今度は東へと進む。
 「甲南女子中・高校」がある。
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 高校前の道路からの風景である。
 遠くに芦屋浜高層住宅が見える。
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 学校前を下ると、傾斜地に建つ集合住宅が綺麗である。
 さすがに神戸の風景である。
 その後、阪急の線路を歩行者用のトンネルで潜り、出発点の「甲南山手駅」へと到着し、ミニ探索を終了したのであった。
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JR神戸線8・芦屋駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から7番目の兵庫県芦屋市の「芦屋駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 JR神戸線の「芦屋駅」で下車する。
 芦屋駅には、保線車両(イエローウエストMTT)が常備されているようである。
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 芦屋市は高級住宅街として知られているが、それ以外にも注目されるものがある筈である。
 芦屋駅近傍で言えば、それは「在原業平(ありわらのなりひら)」であろう。
 「業平」は、「古今和歌集」や「百人一首」の歌にもmられ、また「伊勢物語」の作者でもある。

 その「業平」が関係する遺跡を訪ねることにし、駅の南から西へと時計回りに訪ねてみることにする。

 先ずは駅の南側の上宮川町には「阿保天神宮」が鎮座する。
 「阿保(あぼ)」とは阿保親王のことである。阿保親王は業平の父親であり、この芦屋にも住まいしたとされている。
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 社頭から参道を進むと、一ノ鳥居が建つ。
 この神社の由緒書きによると、祭神は、「阿保親王」、「在原業平亞尊公」、「菅原道真公」の3神である。
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 鳥居を潜って進んで行くと、正面は拝殿、そしてその奥は本殿である。
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 創建年代は不詳であるが、芦屋居住の阿保親王を主として祀ったものである。
 また、この北には阿保親王の墓で、宮内庁管理の「阿保親王塚」もある。

 神社境内には、境内社が幾つか祀られている。
 稲荷神社、大山祇(おおやまづみ)神社、大国神社である。
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 神社を後にして、南側の国道2号線を西へと進むと「芦屋川」へと至る。
 架かっている橋は「業平橋」、手前の交番は「業平橋交番」である。
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 「業平橋」から「業平さくら通り」を川沿いに北へと進む。
 右手の住所地は「業平町」という。
 この「業平町」に業平の別荘があったのではないか、とされている。
 芦屋川の対岸には大きな邸宅も見られる。
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 そして進んで行くと、「市民センター」、大小のホールを備えた「ルナホール」がある。
 また対岸には、「芦屋仏教会館」という建物がある。
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 その北側の緑地には、業平桜、そして業平の歌碑が建っている。
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 歌碑には、
  「世の中に たえて桜の なかりせば  
          春の心は のどけからまし」(古今和歌集)
 が刻されている。

 緑地の前の芦屋川には「大正橋」が架かっている。
 これを渡り、今度は芦屋川の右岸(西側)を上流へと進む。
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 左手には、「月若公園」あり、歌碑もある。
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 そして公園には、芦屋川の両岸の地図が掲示されている。
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 公園の北側の道を西へと進む。
 「俵美術館」というのがある。
 江戸時代の筆記道具「矢立」をコレクションする日本で唯一の美術館とのことである。
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 その西側に、「業平・公光の祠」がある。
 公光(きんみつ)とは、謡曲「雲林院」に登場する架空の人物である。
 架空ではなく実在の人物かも知れないが、業平大神、公光大神が並んで石の祠で祀られている。
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 芦屋と在原業平、その関係を見て回った所で、「芦屋駅」のミニ探索を終了する。

JR神戸線7・さくら夙川駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から6番目の兵庫県西宮市の「さくら夙川駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「さくら夙川駅」は、2007年に新設された新しい駅である。
 「さくら夙川駅」で下車する。
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 先ずは駅から東へと進む。
 国道2号線を500m程度進んだところに「産所町」という交差点があり、交差点を北の線路側へと入るとそこに「マンボウトンネル」がある。
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 トンネルを抜け出たところは「平松町」である。
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 トンネルを眺め、元へと戻る。
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 この「マンボウトンネル」は西宮市の2つ目のトンネルである。

 駅へと戻り、今度は国道2号線を西へと進む。
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 駅から200m程度の所の夙川を渡る。
 夙川公園となっていて、桜の名所である。
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 そして駅から1km強のところに「マンボウトンネル」がある。
 「大谷道」と記されている。
 そして住所地は「御免(ごうめん)町」である。
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 通り抜けて、反対側から眺めて見る。
 ねじりマンボウと云われているが、ほぼストレートである。
 これが西宮市の3つ目のマンボウである。
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 駅へと戻る方向に進む。
 北側に「須佐之男神社」が鎮座しているので訪問してみる。
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 この神社は「森具の宮」と呼ばれ、江戸慶長年間の創建とされている。
 神社の前を西国街道が通っていて、大名行列が休息する時に村人が道具類を守っていたので「守具」と呼ばれ、やがて「森具」に変わったとの謂れである。

 拝本殿である。
 祭神は、須佐之男命、天照皇大神、建御名方神の3柱とされている。
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 神社には多くの境内社がある。
 その一部であるが、行者社、大国主神社、八幡神社である。
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 「須佐之男神社」に参拝し、駅へと戻り、「さくら夙川駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR神戸線6・西宮駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から5番目の兵庫県西宮市の「西宮駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「西宮駅」下車する。
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 駅の南側、そして北側の風景である。
 駅の南側は、西宮の中心街へと続き、阪神西宮駅、その向こうの西宮戎神社へと繋がっている。
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 今回は、「西宮駅」の北の神明町に鎮座する「神明八幡神社」を訪ね、その先の「阪急西宮北口駅」まで行ってみることにする。

 駅から「東川」沿いに進み、「山手幹線道路」の橋の手前には広場があり、「阪神淡路大震災」の記念碑が建つ。
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 そして山手幹線の北側に 南向きの社頭で神社は鎮座する。
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 正面の鳥居の笠木の左半分が修復の後なのか新しい様である。
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 鳥居を潜り進むと、注連縄柱である。
 そしてその先には一対の狛犬が祀られている。
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 そしてその先は拝殿・本殿である。
 祭神は八幡大神である。
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 境内社は無く、綺麗に整備された神社である。
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 尚この神社の創建は不詳であるが、江戸時代との謂れがある。
 また、この神社は「もどりの神さん」という信仰があるそうで、家出・行方不明の人が「戻って来る」という御利益があるとのことである。

 神社を後に北へと進み、右折して「球場前通り」を東へと進む。
 途中、「津門(つと)川」を「球場橋」で渡る。
 右手に「芸術文化センター」を見て進むと、正面は「西宮球場跡」の「西宮ガーデンズ」である。
 その手前を右折して、阪急電鉄「西宮北口駅」へと到着した。
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 そしてこの地点で「西宮駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR神戸線5・甲子園口駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から4番目で、神戸方面へ武庫川を渡った直ぐのところにある兵庫県西宮市の「甲子園口駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「甲子園口駅」で下車する。
 駅舎の南側と北側である。
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 南側の風景には、甲子園球場を意識したバットとボールのモニュメントがあるが、甲子園球場までは2km強で、遠い。
 駅正面には「ほんわか商店街」が南の球場方向へと延びている。
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 商店街は後の探索にして、線路沿いを西へと進む。

 歩行者用で線路の下を潜ることができる「マンボウトンネル」の南の入り口がある。
 線路を敷設する時に用水路として設けたそうであるが、その後、人が通れるように改造されたものとされている。
 西宮市には3つのマンボウトンネルがあり、その一番東のものである。
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 「マンボウトンネル」の北側の出口である。
 南は四角、北は半円形の出入り口となっている。
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 マンボウトンネルを後に、駅南口へと戻る。

 「甲子園口駅」周辺は、戦後に開発された住宅地で、落ち着いた住宅地が広がっている。
 「ほんわか商店街」は、国道2号線にかけてアーケード庇の長い商店街である。
 先ずはこの商店街を通ってみる。
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 アーケード庇の入り口は「甲子園口駅前商店街」と云う。
 庇の色は緑である。
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 そしてアーケード庇の色が朱色に変わる右手の路地に、別の庇があり、これを辿る。
 少し行くと左手にアーケードのゲートがある。
 「甲子園口センター街」であり、これを進む。
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 更に進む。
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 途中の左右の路地にも短いアーケードがある。
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 「甲子園口センター街」は、120mのそう長くないアーケードである。
 直ぐに出口となる。
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 出口の左手(東側)には、稲荷神社が祀られている。
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 出口ゲートあたりから道路の南方向の商店街を眺めると、庇が朱色から灰色へと変わる。
 その場所に甲子園球場へと向かうバス停がある。
 停留所の名前には「口」が無い。
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 朱色の商店街は、「甲子園口中央商店街」と云う。
 また灰色の商店街は、「甲子園口南商店街」と云う。

 商店街が尽きると、国道2号線へと出る。
 国道を西へと進み、交差点「瓦木」を左折する。
 瓦木交差点とその南の上甲子園中学との間に、「甲子園八幡神社」が鎮座している。
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 甲子園八幡神社の社頭は東向きである。
 社号柱、一ノ鳥居が建つ。
 そしてその先に二ノ鳥居が建つ。
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 正面は拝殿である。
 拝殿手前には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は、誉田別尊、天照皇大神、天児屋根命、中筒之男命、甲子出世大国の5神である。
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 境内社には、徳光神社(稲荷大神)、八大神社(素戔嗚尊)が祀られている。
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 また社殿は八棟造りで見事なものである。
 拝殿の左にはガラス張りの御輿庫もあり、華やかな神輿を眺めることができる。
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 尚、この神社の創建については不詳ではあるが、拝殿前にある石灯籠の刻字には天和二年(1681年)とあり、江戸初期以前の創建と考えられる。
 そして、以前は瓦木八幡神社と言われていたとのことである。

 甲子園球場までは、まだ半ばであるが、この地点で「甲子園口駅」のミニ探索を終了した。

JR神戸線4・立花駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から3番目の兵庫県尼崎市にある「立花駅」で下車し、付近を探索してみる。
 尚、大阪駅から2番目の「尼崎駅」は「東西線」で訪れているので、割愛する。

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 「立花駅」周辺は、昭和9年に東海道線の電化に伴い新設された駅である。
 田園地帯であったこの地区に、駅新設にあたり、区画整理が行われ、上図のように先ずは道路が整備されたものである。

 「立花駅」で下車する。
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 駅の北側は商店街である。
 東側は「立花東通商店街」、西側は「立花商店街」である。
 「立花商店街」はアーケード商店街で、約300mの長いものである。
 横にも枝分かれしている部分もある。
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 次は駅の南側である。
 「七松(ななまつ)八幡神社」を訪問して見る。

 駅から南東方向へ住宅街を歩き、神社の社頭へと到着する。
 神社の鳥居は東向きである。
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 鳥居を潜ると正面は拝殿である。
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 拝殿の手前には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は、応神天皇である。
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 境内社が祀られている。
 玉光稲荷神社、そして薬神社である。
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 神社にはもう一つ、北向きの注連縄柱の入り口がある。
 また境内には戦国時代に七松付近で亡くなった荒木村重の家来とその家族の慰霊碑がある。
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 また神社の北側には浄土真宗の寺院「弘誓寺」があり、太鼓楼が見られる七松3丁目である。
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 尚、この七松八幡神社の創建は、後一条天皇の時代の寛仁3年(1019年)、源頼信がこの地を訪れた時、小童が農民の窮状を訴えたのに感じ入り、松の下にあった小祠を改装したのが始まりと云われている。
 また、松の子株を六本植え、7本にしたことから「七松」という社名、そして地名が生まれたとも云われている。

 七松八幡神社に参拝したことで、「立花駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR神戸線2・塚本駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。

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 今回は「大阪駅」の隣の駅の大阪市淀川区にある「塚本駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「塚本駅」は、大阪駅から神戸方面へ向かい、淀川を越えた所の直ぐの駅である。
 「塚本駅」で下車し、駅の東口へと出る。
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 駅前は商店街である。
 アーケードの「塚本駅前通商店街」、そして右手にはノンアーケードの商店街がある。
 このノンアーケードの方を進む。
 商店街が尽きると姫島通を横切り、住宅街へと進む。
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 そして少し行くと公園がある。
 「新北野公園」と云う。
 公園内にはクマのモニュメントがあり、「クマ公園」とも呼ばれる。
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 尚、新北野という地名は、かつて大阪駅の辺りにあった「旧制北野中学(現北野高校)」が移転したことにより、この辺りの町名も「新北野」となったとのことである。

 背の高い、横に長く連なった住宅の横を通り、淀川堤防へと向かう。
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 堤防上からの風景である。
 堤防下は今通ってきた高層住宅が並ぶ。
 川向うは、「大阪駅」の周辺である。
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 川向うのビル群を左側から見てみる。
 左は阪急梅田駅・茶屋町である。
 中央は大阪駅の北、グランフロントやスカイビルが見える。
 右は、大阪駅の西側で、奥には関西電力のビルが見える。
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 堤防を後にして北へと向かう。
 北野高校のグラウンドに行き当たる
 グラウンドの周りを北へと進む。
 校舎も見えて来る。
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 隣に古い校舎がある。
 亡くなった生徒を偲ぶ「殉難乃碑もある。
 戦時中、米軍のグラマン戦闘機の機銃掃射の跡であり、「メモリアルウォール」として保存されている。
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 学校の北側へと廻る。
 正門である。
 レンガ様の建築物が保存されている。
 北野中学校の校舎屋上の飾り壁で、窓には「北中」の文字がはめ込まれている。
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 正門から覗いてみる。
 校舎の一部が見える。
 また正門脇の変わった建物は、同窓会の「六稜会館」である。
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 学校の東側へと廻る。
 校舎やグラウンドが見える。
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 北野高校の北側は「十三公園」である。
 十三公園は、堀城の城とも云われている。
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 公園を後にして、国道176号線の高架脇を北へと進む。
 途中、アーケードの商店街を横切る。
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 進んで行くと、武田薬品工業の大阪工場へと到着する。
 武田薬品の創業の地である。
 そして体育館の所を左折し、工場の東側へと出る。
 阪急神戸線の線路と向かいあっている。
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 手前に通用門がある。
 その門柱に、堀城跡の伝承地の説明がなされている。
 織田信長の野田・福島の戦いで、将軍足利義昭が入城したとされている。
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 少し北へ行くと、正門である。
 阪急電車も走っている。
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 そして阪急線路に沿って南へと戻る。
 かつて火災に見舞われ、見事復興を遂げた「十三駅前西商店街」を抜け、阪急十三駅へと到着し、「塚本駅」のミニ探索を終了したのであった。
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JR京都線17/JR神戸線1/大阪環状線1・大阪駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から16番目の大阪市北区にある「大阪駅」で下車し、付近を探索してみる。
 尚、「大阪駅」は、今後に訪ねる「JR神戸線」、「大阪環状線」の起終点駅でもある。

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 「大阪駅」で下車する。
 駅の正面は南向きで、現在の駅舎は5代目とのことである。
 また駅の向かいには、ヒルトンやマルビルなどおなじみの風景が見られる。
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 今回は駅舎と、その北側の、風景を探索してみることにする。
 「大阪駅」は、大まかには大屋根の駅機能の中心部と、南側の大丸デパートとホテルが入居する「サウスゲートビル」、北側は大型ショッピングのルクアが入居する「ノースゲートビル」で構成されている。

 ホームから階上の改札を出て、その上のフロアーには大屋根下に「時空(とき)の広場」がある。
 大規模な休憩施設である。
 更に上へと行くと、屋上に近くなるが、「風の広場」があり、見晴らしの良い所となる。
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 間近の「グランフロント」、「うめきた2期工事現場」が眼下に見える。
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 そして、その向こうに「新梅田シティ」、遠く六甲山も見える。
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 駅ビルはこれくらいにして、地上へと降りる。
 そして工事現場を周回しながら、周りを見てみる。

 グランフロント、新梅田シティである。
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 工事現場の西の端には線路があり、南へ行くと道路を横切る踏切となっている。
 貨物線を活用した「新大阪駅」からの特急の迂回線路であり、この付近では珍しい風景である。
 この風景も、後しばらくで、2期工事が完成すれば、線路は地下となり、地下駅ができるとの計画である。
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 そして、周りのビル群を、昼間と夜間の対比で見てみる。

 工事現場の北東方向である。
 グランフロント大阪の4本のビルである。
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 次に西方向、梅田スカイビル、ウエスティンホテルである。
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 そして南側、西梅田のビル群である。
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 最後に東側の「大阪駅」である。
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 「大阪駅」風景を眺め、今回のミニ探索を終了したのであった。

JR京都線16・新大阪駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から15番目の大阪市淀川区にある「新大阪駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「新大阪駅」は「JR京都線」と「東海道山陽新幹線」との乗り換え駅であり、大きなターミナルビルである。
 今回はそのビルを探索してみる。

 「新大阪駅」で下車する。
 在来線のホームは1階であり、エスカレーターや階段で階上へと上がる。
 上がった所は3階であり、新幹線への乗り換え口である。
 そして屋上は新幹線のホームとなっている。
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 3階フロアー

 在来線の改札内は在来線のコンコースである。
 中央に大阪の自動車メーカーの車展示がある。
 そし新幹線の切符売り場、乗り換え口がある。
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 そして大規模な商店街がある。
 40に近い店舗がが並ぶ「駅マルシェ」である。
 商店群の中心には待合所がある。
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 飲食では、大阪の有名店が幾つかある。
 「神座」、「浪花そば」、姫路のえきそば「まねき」がある。
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 そして、駅弁やコンビニ、そして多くはお土産屋である。
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 改札を出て、西へと通路を進む。
 左側はパネルが建ち、改装中である。
 多くの人が行き来しているのは、地下鉄駅との乗り換え通路でもあるからと思われる。
 途中右手に、新幹線の乗り場「南口」もある。
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 更に進む。
 右に広い場所が広がる。
 新幹線の中央口である。
 改札の逆側は、幾つかの店舗に囲まれた待合所もある。
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 この中央口のコンコースには、大阪名物の「千成ひょうたん」、「文楽人形」も飾られている。
 3階はここが終点である。
 階段を降りる。
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 2階フロアー

 階段を降りて西へと進むと、地下鉄の大阪メトロ「新大阪駅」で行き止まる。
 そして折り返すと、一帯は「アルデ新大阪」と云うショッピング街である。
 飲食もあり、ファッションもあり、日用品もありで、50店はありそうな大型のショッピングセンターである。
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 飲食には、大阪の有名店が出店している。
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 たこ焼きの有名店があったり、駅弁の店もある。
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 1階フロアー

 1階への階段があるので降りてみる。
 「新大阪駅 正面口」である。
 階段裏には、コインロッカー群がある。 
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 階段横に、かつて活躍した動輪展示もなされている。
 中央は機関車C57、左側は21-50で、新幹線の車輪とのことである。
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 一階には「味の小路」と云う飲食街がある。
 赤ちょうちんが並ぶエリアである。
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 約30店舗があり、赤ちょうちんが並ぶディープな雰囲気のするところである。
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 そして最後に、駅ビルを離れ、「新大阪駅」を眺めて、ミニ探索を終了したのであった。
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JR京都線15・東淀川駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から14番目の大阪市東淀川区にある「東淀川駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「東淀川駅」で下車する。
 この駅と隣駅の「新大阪駅」との間は約400mしか離れていなく、間近にそのホームを見ることができる。
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 駅を出て南東方向へと歩く。
 東海道新幹線のホームを潜ると大きな寺院へと到着する。
 曹洞宗「凌雲山 崇禅寺(そうぜんじ)」である。

 参道口は東向きである。
 入ってみると、寺の上空は伊丹空港への着陸路にあたっているのであろう、ひっきりなしなしに航空機の騒音が降って来る。
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 崇禅寺は奈良時代の天平年間に法相宗の行基によって創建された寺院である。
 その後荒廃していたが、室町第6代将軍足利義教(よしのり)を暗殺した赤松満祐(みつすけ)が自国播磨へ首を携え帰国途中にこの寺に埋めたとされる。
 室町幕府は義教の菩提をその地で弔うため、細川持賢に菩提寺として崇禅寺を再興させたと云われる。
 以来、細川家とも関係が深い寺院となった。

 また、時代は降って戦国時代、関ヶ原の戦いの前に、石田三成が大坂の細川屋敷に明智光秀の娘で細川忠興の妻であった玉(ガラシャ)を襲い、自害させた。
 焼け跡から宣教師オルガンチーノが遺骨を拾い、この崇禅寺に弔ったとされる。
 境内には、その義教の首塚、細川玉子の五輪の塔の墓が並び祀られている。
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 その他、境内墓地には、仇討を演じたが返り討ちにあった「遠城(えんじょう)兄弟の墓」、墓地ではないが珍しい聖徳太子の小像も祀られている。
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 本堂正面の寺門の横には、摂津県並びに豊崎県の県庁所在地跡の碑がある。
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 崇禅寺の西隣には、「中島惣社」と云う神社がある。
 一ノ鳥居はずっと南にある。
 参道を北上すると、二ノ鳥居、三ノ鳥居を潜り、境内へと達する。
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 「中島惣社」は、7世紀の創建で、もとは稲荷神社と称していた。
 明治になって、付近の神社8社を合祀したものとされている。
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 そしてこの地点で「東淀川駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR京都線14・・吹田駅

  「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から13番目の大阪府吹田市にある「吹田駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「吹田駅」で下車する。
 駅のホームから、北側はアサヒビールの工場が見える。
 後程、行ってみることにする。
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 駅の南側は階上の出口である。
 駅舎を眺め、街を眺めると商店街となっている。
 「旭通商店街」である。それにこの商店街に平行して西側にアーケード商店街もある。
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 次は駅の北側へと出る。
 アサヒビール側である。
 進んで行くと丘陵地である。
 その丘陵地の入り口には、模擬城門がある。
 丘陵地は片山公園という。
 かつての吹田城が築城されていたところである。
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 吹田城はJR京都線の「吹田駅」の西部一帯に築かれていたと云われている。
 それは丘陵地である片山公園と、アサヒビールの吹田工場一帯である。

 片山公園には、この虎口の周辺に模擬石垣なども造られていて雰囲気を醸し出している。
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 隣には片山神社が鎮座している。
 素戔嗚命を主祭神とする旧片山村の産土神であった。
 室町時代以降の戦火で、城と同様に何度も焼かれたと云われている。
    CIMG4935_convert_20140914065533.jpg  CIMG4939_convert_20140914055157.jpg  2011bmIMG_4432.jpg

 城跡の公園を登って行くと高台の中央付近に句碑がある。
 吹田城に関係していると云われるが確認はできていない。
 また公園の北斜面には大学もある。
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 吹田城は地元の武将吹田氏が室町時代に築城したと云われる。
 応仁の乱では東軍細川方に与した。
 その後、細川澄元、晴元と細川高国の戦いに巻き込まれた。

 そして、三好衆の台頭に与したが、最終的には織田信長に滅ぼされたと云われる。
 その後摂津国主荒木村重の傘下に入ったが、村重が滅ぼされると城も荒廃したと云われている。

 片山公園東南半分はアサヒビールの庭園である。
 綺麗に整備され、三春滝桜も何本か植えられている。
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 そしてアサヒビールの「迎賓館」、さらに「旭神社」も祀られている。
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 そして奥には、「先人の碑」が祀られている。
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 そして道路を挟んでビール工場である。
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 また、ビール工場の南側の街中には泉殿宮(いづどのぐう)と云う神社がある。
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 素戔嗚命がこの神社に立ち寄った時、付近の田畑は大旱魃に見舞われていた。
 その時、神社境内から清水が湧き出し、田畑は救われたとの逸話がある。
 その清水、ドイツのミュンヘンでビール醸造に最適と評価され、旧大阪麦酒(アサヒビール)がこの場所に工場を建てたとの謂れがある。

 この「泉殿宮」まで来ると、近くには阪急千里線の「吹田駅」が隣である。
 また駅向こうに、「吹田市役所」もある。
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 そしてこの時点で「吹田駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR京都線13・岸辺駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から12番目の大阪府吹田市にある「岸辺駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「岸辺駅」とその周辺は近年、新しい街並みに整備されたところである。
 特に駅北側は、吹田操車場跡地が「北大阪健康医療都市(略称:健都)」として整備され、大型医療施設、医療・商業施設、マンションなどが建設され、稼働を開始している。

 「岸辺駅」で下車する。
 駅の南側である。
 駅舎はあたらしいものの、街並みはそんなに変わっていない。
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 跨線の通路を通り、北へと向かう。
 西側の線路の風景、北側の風景である。
 北側には、隣にある阪急電鉄の「正雀(しょうじゃく)工場・車庫」が見える。
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 線路群の北には、今回移転し設置された「医療施設「国立循環器病研究センター」の建物が見える。
 そして、北側の駅出口となる。
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 階上の通路を右手へ行くと、先ほど眺めた病院へ行くことができる。
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 左手へと行くと、医療・商業ビルの「ビエラ岸辺健都」へと入って行く。
 右手はクリニックモール、直進方向は飲食やショップである。
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 そして通り抜けると、「市立吹田市民病院」への入り口である。
 病院の一階正面へと抜け出ると、大きな建物であることが良くわかる。
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 市立病院前を東方向へと進む。
 駅前の交差点へと出る。
 先ほどの循環器病センターを反対側から眺める。
 そして階上から再度駅舎の北口を眺めて「岸辺駅」のミニ探索を終了した。
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JR京都線12・千里丘駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から11番目の大阪府摂津市にある「千里丘駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「千里丘駅」で下車する。
 千里丘の駅舎は以前とは違い、高架駅となっている。
 駅の通路から、北、南の線路が見える。
 幾つもの線路は貨物駅のものである。
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 改札を出て、東へと向かい、駅舎を振り返る。
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 そして橋上からのロータリーの風景である。
 以前とは違う「千里丘駅」の風景に、摂津市の「千里丘駅」周辺の変貌を実感したのであった。
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 駅を後に、近場の大阪府茨木市蔵垣内に鎮座する式内社「井於(いお)神社」を訪ねてみる。

 神社の一ノ鳥居、そして鳥居脇の社名標柱である。
 「いお」とは現在の読みで、かつては「いのべ」「いのへ」と云われていて、名の通りもっと北の宇野辺(うのべ)地区に鎮座していたが、戦国時代に現在地に遷座されたものと云われている。
 鳥居を潜ると、西方向に参道が延び、境内への入り口には神門が設けられている。
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 神門の先には、一対の狛犬が祀られ、拝殿本殿である。
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 本殿の現在の祭神は、素盞鳴命、天児屋根命、菅原道真であるが、これらは戦国時代の対信長策によるところが大きいと思われる。
 元々の祭神は、この地の豪族である井於連が氏神として崇敬していた「井の神」を祀っていたと伝えられる。

 境内には付近の神社を合祀した経過を示す幾つかの境内社が祀られている。
 宇野辺に祀られていた八幡神社もその一つである。
 八幡神社の祭神は、八幡大神の他に、須賀八耳命(すがのやつみみのみこと)、天照皇大神、豊受大神も祀られている。
 また境内には神楽所もある。
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 神社から東方向の蔵垣内公園に三宅城跡の石柱が立てられている。
 戦国時代、この付近に三宅出羽守国政が築いた城と云われている。
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 細川晴元軍の香西元成に攻められ明け渡し、元成が城主となったが、これも三好長慶に滅ぼされ廃城となったと云われる。

 香西元成に攻められた時、城主の娘と重鎮の娘が出家し、神社の南の現摂津市域の一角に「防風庵」という草庵を設け、敵が去ることを念じたと云われているその庵跡がある。
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JR京都線11・茨木駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から10番目の大阪府茨木市にある「茨木駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「茨木駅」と、この東にある阪急電鉄の「茨木市駅」との間が茨木市の中心街である。
 また「茨木駅」から西へ行ったところには、万博公園がある。

 「茨木駅」で下車する。
 駅の東側から出ると階上の広場となっていて、東方向に市役所の建物が見える。
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 東向きに、阪急駅の方向へと進む。
 右手に市役所を見ると、その先は、廃川となった「元茨木川」の公園であり、そこに架かっている「高橋」を渡る。
 橋の親柱には「茨木童子」の像が立っている。
 茨木童子とは京都の大江山の酒呑童子の家来になった鬼で、茨木の水尾が出身と云われる。
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 橋を渡ると左手に神社の鳥居、社号柱がある。
 「茨木神社」「天石門別(あめのいわとわけ)神社」である。
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 参道を進むと、正面は茨木神社の拝殿である。
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 拝殿の手前両側には、一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 祭神は「建速素戔嗚尊」で、摂津国内では良く見られる織田信長の破壊を恐れて以来の祭神とのことである。
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 この神社は平安初期の創建であるが、中世、楠木正成が茨木城を築くにあたり、この場所へと移築したとされている。

 本殿裏には、豊臣秀吉の茶の湯にも供され、赤井の清水・青井の清水とともに古くから嶋下郡三名水の一つ「黒井の清水」がある。
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 そして、今は奥宮の式内社「天石門別神社」が祀られている。
 本殿は神明造りで、祭神は「天手力男命(あめのたぢからおのみこと)」である。
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 その横には、境内社の「皇大神社」が祀られている。
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 神社には、東参道がある。
 鳥居、神門が備えられている。
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 この門は茨木城の搦手門が移築されたものとされている。
 また、東参道は、アーケード商店街の「阪急本通」から繋がっていて、商店街を抜けると、「阪急茨木市駅」へと行くことができる。
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 神社を後にして、東北方向へと進む。
 茨木城の本丸跡と云われている「茨木市立茨木小学校」がある。
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 そしてこの小学校の東にある校門が、櫓門が復元されたものであるが、茨木城の特徴を残している。
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 茨木城は、当初、楠木正成によって築城されたとされる。
 その後、国人の茨木氏、村重の荒木氏、中川清秀が城主となった。
 そして、関ケ原の後に、片桐且元、貞隆兄弟が茨木城の城主となったが、大坂の陣の後、移封され、その後一国一城令にて、廃城となったものである。
 尚、弟の貞隆は大和小泉藩主となっているが、先日の大和路線「大和小泉駅」の探索で訪問した小泉城の城主となったのであった。

 この本丸付近の住所地は「片桐町」と云う。
 その前は、「殿町」であったとのことである。
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 この時点で、「茨木駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR京都線10・JR総持寺駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から9番目の大阪府茨木市にある「JR総持寺駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「JR総持寺駅」は、2018年に設置された新しい駅である。
 駅の用地の前身は、「FUJITEC」と云うエレベーター・エスカレーターの製造・販売・設置を主業とする企業の本社の地であり、本社は滋賀県彦根市に移転したが、駅に隣接して、一部企業の機能(アフターサービス拠点)を残す建物がある。

 「JR総持寺駅」で下車する。
 そのFUJITECの建物が直近に見える。
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 駅から東方向へ5分程度歩くと、そこには高野山真言宗「補陀落山 総持寺」がある。
 この寺は西国三十三ヶ所巡礼の22番の寺院でもある。
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 正面の参道石段を昇ると大きな山門が建つ。山門は南向きである。
 山門を潜ると境内で、正面に本堂がある。
 本堂に祀られる本尊は「木造千手観音立像」であり、亀の背に乗っている。
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 本堂の左隣は「金堂」、右は「太子堂」、正面右(山門の横)には「開山堂」がある。
 金堂には、薬師如来像が祀られている。
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 そして境内の右には、「寺務所」がある。
 更に、本堂の右に繋がって中門があり、奥の東門へと繋がっている。
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 東門から反時計回りに、本堂・金堂を取り巻く堂宇を見てみる。
 ボケ封じの「善悲観音」、「包丁塚」、「鎮守社(大黒天・弁財天・青面金剛)」である。
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 そして、「経堂」が2棟、「荒神社」である。
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 更に、「閻魔堂」、「五社稲荷」である。
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 そして一巡した所で、「JR総持寺駅」のミニ探索を終了したのであった。

 尚、「総持寺」の起源であるが、亀の恩返しと云われている。
 平安時代、開基である藤原山蔭の父・藤原高房が、漁師たちが大亀を捕らえているのを見て、亀を買い取って川へ逃がしてやった。
 その夜、山蔭が継母の計略で船から川に落とされてしまた高房はこれを悲しみ、観音に祈ったところ、高房が助けた亀が山蔭を甲羅に乗せて現れたという。
 高房の没後、山蔭が報恩のため観音像を造立し祀ったのが当寺の起源とされている。

JR京都線9・摂津富田駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から8番目の大阪府高槻市にある「摂津富田駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「摂津富田(せっつとんだ)駅」は「JR京都線」では唯一の旧国名を被せた駅名である。
 旧国鉄では、全国で見て同一の駅名となる場合には、旧穀名を頭に付けると云う決まりがあり、それに習ったものである。
 その先にできた「富田(とみた)駅」は関西本線の駅で、三重県内にある。

 駅近くで、車窓から見える「明治のチョコレート」を眺め、「摂津富田駅」で下車する。
 そして北口から出る。
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 尚、南口は阪急電車の「富田駅」と商店街を挟んでいる形となっている。
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 北口の真北に、道のりで約2km、歩行30分の所に、国の史跡「今城塚(いましろ)古墳」があるので訪れてみる。
 今城塚古墳は、6世紀前半の墳墓で、三島野古墳群の一つとされ、第26代継体天皇の墓と推定されているが、宮内庁の管轄ではない。
 今城塚古墳の墳丘の長さは190m、そして二重の濠が巡り、内濠、外濠を含めた古墳の領域は340m×350mの釣鐘状の区画である。

 今城塚古墳の全景と、模型や図面である。
 古墳は前方後円墳で、縊れ部に造出部を有する。
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 先ずは西側の前方部である。
 周濠には水がたたえられている。
 そして前方部の頂上である。
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 続いて後円部とその頂上である。
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 そして築造当初の姿を残していると云われる南西隅部である。
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 周濠の外側の内堤上に埴輪群が並べられている。
 築造当時、大王の死に関わって行われた儀式の場とのことである。
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 古墳を一巡したところで、「摂津富田駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR京都線8・高槻駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から7番目の大阪府高槻市にある「高槻駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「高槻駅」で下車し、南口へと出る。
 駅の対面には、デパート「松坂屋」がある。
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 進んで行くと、アーケード商店街「高槻センター街」があり、阪急駅にも近づく。
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 そして「城北通」と云う商店街を過ぎると、国道171号線を渡り、高槻城跡へと近づいて行く。
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 その通りには、右手に「カトリック高槻教会」、「高槻現代劇場」がある。
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 その先に、江戸時代高槻藩主永井氏が崇敬した式内社「野見神社」が祀られている。
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 鳥居を潜ると、右手に「永井神社」、そして奥の右手に拝殿・本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、須佐之男命、野見宿禰命である。
 また永井神社には、初代高槻藩主永井直清が祀られている。
 尚、この神社は、戦国時代にキリスト教徒でった高山右近が高槻城主になった時には、一旦破壊されたとされている。
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 神社前の道路を直進し、右折すると城跡へと近づく。
 その左手には中学校があり、その隣に軍隊施設の跡がある。
 「工兵第四聯隊跡」である。
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 そして「高槻城跡」と「城跡公園」である。
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 公園に入った右手には、「高山右近」の像が立っている。
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 高山右近は摂津国の国人の武将で、織田信長、荒木村重、豊臣秀吉に仕え、この高槻城を居城としたが、キリスト教徒であったため、江戸時代になってバテレン追放令のために、マニラに追放されたとされる。
 神社仏閣は破壊したとされるが、統治には親政を敷いたため、領民からは慕われ、今もこのように大切にされていると思われる。

 そして像の前方は池を巡る庭園である。
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 また、江戸時代の町屋「笹井家住宅」を移築した「歴史民俗資料館」がある。
 そして公園のシンボルモニュメントも建っている。
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 その他、城跡公園には遊具施設もある。
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 公園を東に出ると、出口近くに「東大手門跡」がある。
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 そして、再び入り口付近に戻って来ると、その手前に「市立しろあと歴史館」がある。
 中では、城の縄張り図などが説明されている。
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 城下町と思われる北の部分には、本行寺という寺院がある。
 その寺門は高槻城内の「高麗門」とのことである。
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 その他にも城下を歩いてみると趣のある町屋が見られる。
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 そしてこの地点で「高槻駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR京都線7・島本駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から6番目の大阪府島本町にある「島本駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 大阪府に入っての最初の駅「島本駅」は、先の「桂川駅」と同じく、2008年に設置された新しい駅である。
 「島本駅」で下車する。
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 駅ホームから西側の山側を見ると、凸版、小野薬品などの事業所がある。
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 駅の東口から出る。
 一本東の道路「西国街道」との間に「史跡 櫻井驛阯」がある。
 奈良時代から、西国に向かう「西国街道」に設けられた「駅」である。
 そして、南北朝時代には、南朝の武将である楠木正成、正行(まさつら)の父子の別れで知られるところである。
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 入ってみると、入り口左側に、父子の別れの像がある。
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 更に巡ってみると、「楠公父子訣別之所」と刻された碑がある。
 陸軍大将 乃木希典の書だそうである。
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 そして、明治天皇御製の碑がある。
 表書きは、東郷平八郎元帥とのことである。
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 最後に北側奥に、建屋がある。
 左側は「手水鉢」、右側は旗掛松・子別れ松とも呼ばれる「旗立松」である。
 この松は、西国街道の横に立っていたとのことである。 
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 明治時代の唱歌に「楠公の歌ー桜井の訣別ー」がある。
 ご存じの方もいるのでなないかと思われる。
 「1.青葉茂れる桜井の  里のわたりの夕まぐれ
    木(こ)の下陰に駒とめて  世の行く末をつくづくと
    忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に  散るは涙かはた露か」

 「島本駅」の直近の「桜井の駅阯」を訪れたことで、この駅のミニ探索を終了したのであった。

JR京都線6・山崎駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から5番目の京都府大山崎町にある「山崎駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「山崎駅」で下車する。
 駅前広場を淀川の方へ行くと、斎藤道三が油売りをしていたと云われる「離宮八幡宮」へと行ける。
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 今回は駅の山側の天王山の山頂を目指すことにする。
 山道を登って行くと、先ず現れるのは「聖武天皇勅願所 宝積寺(ほうしゃくじ)」で僧行基の創建と云われる。
 有名なのは、豊臣秀吉が一夜のうちに建てたと云われるこれも重文の「三重塔」である。
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 その他にも幾つかの堂宇がある。
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 山門には重要文化財の「仁王像」が建っている。
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 この宝積寺には、山崎の合戦の時に、秀吉の本陣が置かれたとされている。

 少し上へと登ると、眼下の風景が見える。
 淀川向こうの石清水八幡宮が鎮座する「男山」、また高速道路のICなどである。
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 さらに登ると長岡京市を眼下に見る場所に出る。
 「旗立松」と云われ、秀吉軍が軍旗を掲げた場所とされている。
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 更に登ると十七烈士の墓がある。
 幕末の禁門の変で敗れ、天王山山中で自刃した真木和泉守以下十七名が眠る墓である。
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 更に登ると右手に式内社「自玉手祭来 酒解神社」が鎮座している。
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 そして山頂である。
 山崎城の本郭があった所で、かなり広い場所である。
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 井戸などもある。
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 また山頂からは周辺の景色が見えるが、木々に遮られているのは残念である。
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 山頂まで登り詰めたところで「山崎駅」のミニ探索を終了した。

JR京都線5・長岡京駅

 「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする「JR京都線」の駅を「京都駅」から順に訪ねている。
 今回は「京都駅」から4番目の京都府長岡京市にある「長岡京駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「長岡京駅」で下車し、東口へと出る。
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 駅のロータリーには、列車の車輪、貨車が置かれている。
 また、勝龍寺城への案内柱も建っている。
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 また駅に隣接して京都発祥の「村田製作所」の高層ビル本社がある。
 そして駅の東側の通りは、「ガラシャ通り」と云う。
 明智光秀の3女は「玉 ガラシャ」と云い、細川忠興に嫁ぎ、ここ長岡京の勝龍寺城に住まいしたその所縁である。
 このガラシャ通りを南下する。
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 左手向こうに、旧のパナソニックの事業所がったが、現在は売却され「ヌヴォトン・テクノロジー」となっている。
 また、長岡第九小学校がある。
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 左手に「式内社 神足神社」があるが、神社との間に勝龍寺城の土塁跡がある。
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 神社の参道口は南にあるので回り込む。
 一ノ鳥居を潜り、二ノ鳥居と進むと境内となり、正面には拝殿がある。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は、神足大明神で、 天神立命(あめのかみたちのみこと)あるいは舎人親王とされる。
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 神社を後に、ガラシャ通りを南へと向かう。
 勝龍寺城が見えて来る。
 先ずは隅櫓である。
 そして南へと回り込むと、正面で堀、模擬櫓(管理棟)と南虎口跡が見える。
 ガラシャの標柱も建っている。
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 橋を渡り、門を潜り城内へと進む。
 城内は本丸跡である。
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 ガラシャ「おもかげの水」の碑、忠興・ガラシャの夫婦像もある。
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 また周辺の建物は、塀、隅櫓、事務棟の櫓が見える。
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 紅葉の時期も始まっている。
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 北にも虎口がある。
 その西には、石垣が残っている。
 虎口を出ると、堀の風景も見える。
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 西側には土塁がある。
 土塁は、北・南に分かれている。
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 先ずは南側である。
 山崎合戦の天王山も望める。
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 北側である。
 北門跡の桝形も見える。
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 南西隅にも出入り口がある。
 堀の眺めである。
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 本丸跡の西には「沼田丸跡」があり、これも公園である。
 井戸があり、「ガラシャおもかげの水」と云われる。
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 勝龍城跡を後に、西へと向かう。
 JR京都線の線路を潜ると、西国街道であり、街道は右手(北方向)へと「神足商店街」となっている。
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 商店街を北上する。
 趣のある町屋も見られる。
 旧石田家住宅もあり、「神足ふれあい町屋」となっている。
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 他にも町屋がある。
 そして公民館前には、「神足駅」の駅名標が保存されている。
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 更に進むと、右手には大型ショッピングビルがあり、商店街は終わる。
 そして右折すると、「長岡京駅」の西口へと到着する。
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 駅前のショッピングビルの間では、丁度、市民ブラスバンドであろうか、演奏会を行っていたのでしばらく聞いてみる。
 ビルに囲まれたコンサートゾーンなので、ブラバン演奏には最適であろう。
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 長岡京市にはもう一つ大きな企業がある。
 その前まで行ってみる。
 駅の東のガラシャ通りを北へと進む。
 途中に「小畑川」を渡る。
 橋上からの、南、北の風景である。
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 少し行くと、道路は「三菱通り」に突き当たる。
 「ガラシャ通り」もここまでである。
 そして「三菱電機 京都製作所」前に着く。
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 駅へと戻る。
 途中に、マンボウトンネルのようなものがあったので、線路を潜ってみる。
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 そして線路沿いに駅へと向かい、この時点で「長岡京駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR京都線3・桂川駅/JR京都線4・向日町駅

 「JR京都線」は「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする路線である。
 今回は、京都駅から2駅目で、京都市南区にある「桂川駅」から山手にある「竹の径」を訪ね、3駅目の向日市にある「向日町駅」に戻って来ると云うミニ探索を行ってみる。

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                         (上図の上は西方向)


桂川駅

 「桂川駅」で下車する。
 桂川駅は、2008年に開業された新しい駅である。
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 駅舎の2階から眺めると、左手には大型スーパーが、正面にはロータリーが、右手には陸上自衛隊の桂駐屯地が見える。
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 そして駅の線路の下では府道「中山稲荷線」が地下トンネルとなっている。
 この府道を西へと進む。
 しばらく歩くと、阪急電車の「洛西口駅」に着く。
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 更に西へと進む。
 「いろは呑龍トンネル」と云うのがある。
 大雨の時に、そのトンネルに蓄え、大雨が去った時に放流するというシステムである。
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 まだまだ西へと進む。
 物集女(もずめ)のバス停、物集女街道との交差点を過ぎる。
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 そして少し進んでから左折し、小道へと入る。
 そこには「物集女城跡」がある。
 物集女城は中世の乙訓の土豪のリーダーであった「物集女氏」の居城であったが、織田信長配下の細川藤孝の手により謀殺されたとのことである。
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 今度は西南方向へと街中の小路を進む。
 そして「竹の径」の入り口へと達したのであった。
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 案内図は下図である。
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 上図の現在地の所から、図の上方向(南方向)へと進んでみるが、その前に珍しい竹があったので、ここに留めておく。
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 南へと進む。
 この辺りの竹垣は、「竹穂垣」と云う。
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 更に進むと右手に古墳がある。
 「寺戸大塚古墳」と云う。
 そして古墳の竹垣は「古墳垣」である。
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 更に進む。
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 色んな竹垣が現れる。
 その一つ、「寺戸垣」である。
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 更に進む。
 やはり「竹穂垣」は見事である。
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 「物集女垣」と云うのもある。
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 「来迎寺垣」と云うのもある。
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 更には、「かぐや垣」と云うのもある。
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 もう一つ、「海道垣」と云うのもある。
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 あれこれと眺めている内に「竹の径」の出口となってしまった。


向日町駅

 向日町駅へと向かう。
 この竹の道は「西ノ岡竹林通」と云う。
 そして南へ抜け出たところは、「向日市立第6向陽小学校」である。
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 少し下ると左手に陵墓がある。
 平安京遷都の「桓武天皇皇后高畠陵」である。
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 今度は南へと少し下る。
 西山の麓の大原野へと向かう「大原野道」へと出る。
 これを駅の方向へと下る。
 右手に「慶昌寺」、左手に「来迎寺」がある。
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 更に進むと、阪急の踏切近くで「西国街道」と交差する。
 趣のある町屋も見られる。
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 そして今度は交差した「西国街道」に沿って、阪急電車の踏切を渡り、北東方向へと進む。
 向日町駅が近くなった時点で、JRの線路を眺めて見る。
 相変わらずの大きな車両基地である。
 この基地の名称は「吹田総合車両所 京都支所」と云う。
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 特急列車も止まっている。
 在来線の「ドクターイエロー」も見られるのは珍しい。
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 そして「向日町駅」の駅頭に到着し、「西国街道」を振り返ってみる。
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 駅へと入り、ホームから京都発の企業である「日本電産」の本社を眺め、「桂川駅」、「向日町駅」のミニ探索を終了したのであった。
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JR京都線2・西大路駅

 各駅下車でのミニ探索、今回からは「JR京都線」を訪ねてみる。

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 愛称である「JR京都線」は東海道本線の一部で、「京都駅」・「大阪駅」を起終点とする路線で、電鉄他社の阪急、近鉄にも京都線と云う名称があるので、「JR」を頭に置いているとのことである。

 今回は「京都駅」の次の駅であり、京都市南区にある「西大路駅」で下車し、付近を探索してみる。

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 「西大路駅」で下車する。
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 駅の近くには京都を代表する大企業の本社がある。
 GSユアサ、日本新薬、ワコールで、この西大路駅付近の特徴である。
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 駅から西大路通りを南へと向かう。
 途中、九条通りを交差する「西大路九条」の交差点があり、過ぎると左手に大型のショッピングモールがある。
 この辺りの住所地は「吉祥院」である。
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 そしてショッピングモールを過ぎた右手(西側)の天満宮と刻された灯篭が建つ。
 天満宮への参道入り口で、灯篭の年代は「嘉永3年(1850年)」である。
 西へ参道を進むと「西高瀬川」へと出る。
 川べりを南へと進む。
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 橋を渡ると「吉祥院天満宮」の杜への入り口である。
 灯篭、社号柱が建っている。
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 参道を進む。
 左手に鳥居がある。
 辯財天が祀られている祠である。
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 そして進むと、道真公ゆかりの「鑑の井」遺跡がある。
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 更に、道真公ゆかりの「産湯の井」跡も復元されている。
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 また、「菅公御誕生之地」の石碑も建てられている。
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 そして鳥居があり、潜ると境内である。
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 正面に、お堂が現れる。
 吉祥天女を祀る菅原家の氏寺「吉祥院」である。
 「吉祥天女社」ともいう。
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 平安京遷都の時、道真公の曽祖父が天皇の供として入京し、この地を賜り、邸を構えたとされる。
 道真公の祖父が遣唐使として唐の途上、嵐に遭遇しながらも吉祥天女の霊験により難を逃れたとされ、以降菅原家では吉祥天信仰となり、道真公の父・菅原是善が、この地の自邸内に祀り吉祥院としたとのことである。

 そして道真はこの地で誕生し、18歳までこの地で過ごしたとされる。
 道真公が大宰府の地で没した後、この地に吉祥院聖廟を設置し、更に社殿を築くなどして道真公の霊を祀ったことが天満宮の始まりとされている。

 尚、この吉祥院天満宮は、松浦武四郎氏が選んだ道真公の「聖蹟二十五拝」の第4番でもある。

 境内の左手に東向きに天満宮の拝殿がある。
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 拝殿前には、一対の狛犬が祀られている。
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 また、もちろんのこと神牛なども祀られているが、カラフルである。
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 拝殿の背後は道真公が祀られている本殿である。
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 本殿横には境内社の五社が祀られている。
 白太夫社、松梅社、吉野社、琴比羅社、秋葉社である。
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 拝本殿を離れた前には、道真公の「胞衣(えな)塚」が祀られている。
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 また境内には、「硯之水」、「舞楽殿」などが祀られている。
 そして宮司宅と隔てる鳥居から退出し、「西大路駅」のミニ探索を終了したのであった。
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嵯峨野線16・園部駅

 「京都駅」、「園部駅」を起終点とする愛称「嵯峨野線」の駅を各駅下車し、付近の見どころを訪ねてみる。
 今回は、「京都駅」から15駅目で、起終点の南丹市の「園部駅」である。

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 「園部駅」で下車する。
 駅上の通路からの、北方向、南方向の線路の風景である。
 起終点であるので、電車の車両基地ともなっている。
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 駅外へと出る。
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 道路を挟んだ駅舎の向かい側は学校である。
 「二本松学園」と云い、幾つかの学校で構成されている学園である。
 また、付近の学校等の案内板も建てられている。
 この案内に従って、付近を廻ってみる。
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 先ずは右手(北側)の丘にある「京都医療科学大学」である。
 昭和の初期に創設された学校で、島津製作所関連の学校法人で、診療放射線技師育成のパイオニアとのことである。
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 その丘の裏側である。
 そこにも学園がある。
 「京都聖カタリナ高校」、そして「聖家族幼稚園」である。
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 そしてその北隣に神社がある。
 この丘は天神山と云い、「生身(いきみ)天満宮」が鎮座している。

 菅原道真公が大宰府に左遷された折り、この道真公の荘園の代官であった武部源蔵は道真公8男の慶能の養育の内命を受け、それに応えるべく道真公の木像を彫り生祠を設け道真の無事を祈願したのがこの生身天満宮の始まりとされている。
 道真公生存時からの天満宮であるので生身と呼ばれ、わが国最古の天満宮と云われている。
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 生身天満宮は創建時は城跡であるこの西の小麦山に鎮座していた。
 江戸時代になって小出吉親が園部城を築城するにあたり、東側にあった現天神山に遷座されたのであった。

 境内には、上掲の本拝殿の他、神楽殿、使いの神牛なども祀られている。
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 そして天満宮の始祖を祀る武部源蔵社も祀られている。
 この社の前には、菅公出迎松の碑と、陰に隠れているが源蔵氏の墓である宝篋印塔も祀られている。
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 尚、現在の宮司も子孫の武部氏が務められているとのことである。

 鳥居前には道路を挟んで高燈籠と、その向こうに城の天守閣のような建造物がある。
 天守閣様の建物は南丹市の国際交流館・文化博物館で小麦山の園部城跡に建てられている。
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 駅方向へと戻る。
 今度は南側の丘、先ほどの「二本松学園」の丘の周囲を巡る。
 西側は学舎の裏手である。
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 そして南側の正面(正門)である。
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 そして駅方向へと向かい、東側の学舎である。
 それぞれの名称は分からないが、多くの建物で構成されている学園である。
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 駅前に戻った。
 もう一つ「春日神社」が鎮座している。
 お参りし、駅北側の「京都府園部総合庁舎」を眺め、駅へと戻った。
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 駅のホームには京都丹後鉄道の特急列車「丹後の海」が丁度入ってきたところであった。
 この時点で「園部駅」そして「嵯峨野線」のミニ探索は終了とした。
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嵯峨野線15・吉富駅

 「京都駅」、「園部駅」を起終点とする愛称「嵯峨野線」の駅を各駅下車し、付近の見どころを訪ねてみる。
 今回は、「京都駅」から14駅目の南丹市の「吉富駅」である。

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 「吉富駅」で下車する。
 駅舎は、「吉富郵便局」及び市民ふれあい広場「コミュニティプラザよしとみ」との合同舎である。
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 駅前には北に向かう国道9号線と東に向かう府道の「吉富」交差点がある。
 また交差点には、雪印メグミルク京都工場の矢印もある。
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 府道を東へと歩く。
 直ぐの右手に京都縦貫道の八木北ICがある。
 そしてその先に右手に山麓へと入る道路がある。寺院の参道である。
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 進んでみると、伽藍が見える。
 曹洞宗の「康安寺」である。
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 手水所、五輪塔、石碑がある。
 石碑には、「大阪因講 豊竹柾太夫」と彫られている。
 詳細は分からないが、ゆかりの地なのであろう。
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 寺を後にして、元の府道に戻り、北方向の「園部川」「の川べりへと出る。
 橋が架かっていて、そこから雪印の工場を望める。
 工場は園部川と大堰川との合流点に立地している。
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 後程調べて見たが、この工場ではパック牛乳、牧場の朝ヨーグルト、ガセリ菌SP株ヨーグルトなどが製造されているとのことであった。

 園部川の風景である。
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 駅前を一周して駅まで戻った。
 ホームでは山陰本線を走る特急に出会い、そして普通電車に乗って「吉富駅」のミニ探索を終了したのであった。
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嵯峨野線14・八木駅

 「京都駅」、「園部駅」を起終点とする愛称「嵯峨野線」の駅を各駅下車し、付近の見どころを訪ねてみる。
 今回は、「京都駅」から13駅目の南丹市の「八木駅」である。

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 「八木駅」下車した。
 ホームは変わっていないが、駅舎や跨線橋は新規建て替えの真っ最中であった。
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 駅舎は仮駅舎で、工事現場を囲むパネルには、旧駅と建築後のパース図が掲示されていた。
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 それはともかく、付近を見てみる。
 駅前の道を北へと進む。
 そこには、線路を跨ぎ、京都中部総合医療センターの大きな建物が見える。
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 近づいて見ると、線路の右に一つ、渡った左に一つ、大きな棟がある。
 そして右建物の裏に廻ってみると、病院玄関である。
 この病院は、かつては「公立南丹病院」であったが、「京都中部総合医療センター」と名称変更したとのことである。
 病床数は500床に迫る大規模病院であり、この沿線の中核病院と思われる。
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 病院の周辺には、南丹市役所の支所や南丹市商工会、八木郵便局がある。
 さながら南丹市八木町の官庁街である。
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 官庁街を後にして、東へと進む。
 大堰川に架かる「大堰橋」へと出る。
 北方向、南方向の川を眺めた。
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 大堰川を後にして、駅方向へと戻る。
 道路の両側は商店街であり、駅手前で元の道路である国道9号線の八木交差点へと出る。
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 私事であるが、かつて務めていた会社の同僚に、右手前の電器店「ヒ・・ムセン」の御曹司がいた。
 懐かしく同僚の顔を思い浮かべたのであった。

 そして駅へと戻り、工事現場を見ながら、次の駅へと電車に乗り、「八木駅」のミニ探索を終了したのであった。
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『滋賀県琵琶湖竹生島・都久夫須麻神社』

 滋賀県長浜市早崎町の琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)に鎮座する式内社「都久夫須麻(つくぶすま)神社』を訪ねてみる。
 一般には「竹生島神社」と云われ、西国三十三ヶ所観音霊場の「宝厳寺」と合わせ神仏習合時代の形を残している神社である。

 竹生島には、近江今津港、長浜港、彦根港から航路で行くことができる。
 今回は今津港から向かうことにした。
 竹生島港に着くと、島の右斜面に神社の社殿が見える。
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 上陸して、神社へと向かう。
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 商店のアーケードの先で入山手続きを済まし、石段を少し昇ると鳥居がある。
 扁額には「竹生島神社」と書かれている。
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 神社参道は右手へと進む。
 途中左手に木組み支持体がある。
 後で分かったのだが、この上に神社と寺を結ぶ重要文化財の「舟廊下」がある。
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 参道右手に「黒龍大神」「黒龍姫大神」が祀られている。
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 進んで行くと境内である。
 先ずは右手に、「弁財天社」、「白巳社」が祀られている。
 白巳社には、両サイドに阿吽の狛白蛇が祀られている。
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 更に右手、湖側である。
 「八大竜王拝所」である。
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 拝所の下の突端の波打ち際に「宮崎鳥居」が建っていて、願いを込めて、鳥居に向けての「かわらけ投げ」が盛んである。
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 境内の山側は本殿である。
 その本殿の手前左手に聖武天皇が創建したとされる「天忍穂耳神社 大己貴神社」が鎮座する。
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 また右手には、竹生島大神(市杵島比売命)と同神の「厳島大神 江島大神」が祀られている。
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 そして中央の石段を昇ると国宝「本殿」である。
 本殿は、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として、伏見城の「日暮御殿」を移築したものとされている。
 本殿の祭神は、市杵島比売命、宇賀福神、浅井比売命、龍神の4柱とされている。
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 また、本殿から隣の宝厳寺に向けて重文の「舟廊下」が設けられている。
 そして舟廊下の先は、国宝の「唐門」を備えた「観音堂」である。
 これらも、神社本堂の移築の際に、京都東山にあった豊国廟から合わせて移築されたものとされている。
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 本殿の右奥には、新しく「常行殿」が建てられている。
 修業道場や参篭の場として使われるとのことである。
 そして本殿をもう一度眺め、神社の一巡を終了したのであった。
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 尚、この「都久夫須麻神社」の創建であるが、5世紀の古墳時代中期に「浅井比売命」を祀る小祠が建てられたと伝えられている。
 また、7世紀後半の天智天皇による志賀宮の創建の際に、宮中の守護神として竹生島に浅井比売命が祀られたという説もある。

嵯峨野線13・千代川駅

 「京都駅」、「園部駅」を起終点とする愛称「嵯峨野線」の駅を各駅下車し、付近の見どころを訪ねてみる。
 今回は、「京都駅」から12駅目の亀岡市の「千代川駅」である。

2011baIMG_9463 (2)

 嵯峨野線は、「亀岡駅」から、この先の「吉富駅」までは、大堰川(桂川)と国道9号線に沿って進んで行く。
 「千代川駅」下車する。
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 駅前のロータリーから西の国道9号線へと進む。
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 国道に出ると、そこに歩道トンネルがある。
 トンネルには、可愛らしい絵が描かれている。
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 それを潜り、一本西の道に入ると、小川沿いに長屋門見える。
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 亀岡市立千代川小学校の校門である。
 この校門は、亀山城内の三ノ丸の新御殿門が移築されたものとされている。
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 門の左右を眺めて見る。
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 小学校の右手に廻る。
 校舎の正面が見え、校門の裏側も左手に見える。
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 小学校を後にして、今度は東方向に向かう。
 踏切から「千代川駅」を眺め、踏切を越え、少し行くと「大堰川」である。
 そこには「月読橋」が架けられている。
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 月読橋の歩道部には月の満ち欠けのタイルが嵌め込まれている。
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 そして大堰川(桂川)の水を眺め、「千代川駅」のミニ探索を終了したのであった。
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嵯峨野線12・並河駅

 「京都駅」、「園部駅」を起終点とする愛称「嵯峨野線」の駅を各駅下車し、付近の見どころを訪ねてみる。
 今回は、「京都駅」から11駅目の亀岡市の「並河駅」である。

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 「並河駅」下車する。
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 駅前のロータリーから、駅南の踏切を駅を見ながら渡ると左手に駅に沿って「鉄道歴史公園」があるので入ってみる。
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 0系新幹線の先頭部分、が展示されている。
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 その向こうに、ディーゼル機関車DD51が展示されている。
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 この鉄道記念公園は、並河駅は住民の請願駅として設置され、その50周年記念として設置されたとのことである。
 公園を北側から出ると、そこは「大井町かすみヶ丘」で、小学校がある。
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 小学校の隣は式内社「大井神社」である。
 社頭は東向きで、社号柱、鳥居が建つ。
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 鳥居を潜ると、正面は拝殿、そして本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、月読命、市杵島姫命、別名を御井神(みいのかみ)と云う木俣命(きのまたのみこと) である。
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 この大井神社は、創建が和同3年(710年)とされる。

 創建に関わる伝承は、京都の松尾大社から月読命と市杵島姫命が亀の背に乗って大堰川を遡上したが、保津峡の急流で進めなくなったため、鯉に乗り換え、亀岡まで着いた、とされている。
 これらのことからこの神社では、鯉が神使とされていて、氏子は鯉を食べることを禁忌とし、端午の節句には鯉のぼりを上げることもしないとされている。

 旱魃でも枯れない「大いなる井戸」として永く残ったのがこの大井神社の「大井」の名の由来とされる。
 そしてこの井戸に万一のことがあれば亀岡が湖に戻るか、旱魃になるかで、井戸の神である木俣神(御井神)が勧請され祀られたとされる神社である。

 神社から街中の小路を南へと行く。
 長屋門の住宅もある。
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 そして行くと、住宅に囲まれた所に「並河城跡」があるが、土塁状の台地となっているだけで、それ以外に遺構と思われるものはないのは残念である。
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 城跡の西隣に寺院がある。
 標柱には「浄土宗開基円光大師遺跡 法然寺」である。
 西山浄土宗の寺院で、法然上人が念仏道場としたとのことである。
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 横や後ろの道路から本堂を眺め、法然寺を後にし、駅方向へと戻る。
 途中、趣のある民家も見られる。
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 しばらく行くと、左手に入った所に神社がある。
 珍しい社名の「天皇神社」である。
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 鳥居を潜ると、灯篭、そして一対の狛犬が祀られている。
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 そして本殿である。
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 祭神は、宇多天皇と牛頭天王とのことで、天皇神社とされる所以である。
 近衛守護で観音寺城主の三宅一族が織田信長の策略により落城し、この丹波の地に近江の沙々貴神社から分霊したのがこの神社の創始とのことである。

 天皇神社は駅に近い場所にある。
 そしてこの地点で、「並河駅」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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