百舌鳥八幡駅下車(その2):百舌鳥八幡宮から百舌鳥古墳群へ
関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
今回から、「南海電鉄高野線」の堺市内にある「百舌鳥(もず)八幡駅」で下車し、駅近の神社や古墳を訪ねてみる。
その2回目で、先の「百舌鳥八幡宮」を後にして、世界遺産「百舌鳥古墳群」の一部などのミニ探索である。
「百舌鳥八幡宮」を後にして、西方向へ進む。
古墳群を目指すが、その手前の街角に、重要文化財指定の「高林家住宅」が建っている。
「高林家」は大庄屋として苗字帯刀を許され、江戸時代を通して、この地域で重要な役割を務めたとされる。
道路に面して立派な長屋門が建ち、その奥には僅かに主屋などの屋根が見えるだけであるが…。
「高林家住宅」前を北へと進み左折すると、世界遺産「御廟山古墳」の後円部の周濠へと到着する。
そして、反時計回りに周濠に沿って歩いてみる。
先ずは、北側の側面である。
周濠では水鳥も遊んでいる。
そして古墳の墳丘の北西からの斜めの風景である。
この「御廟山古墳」は、墳丘長約203メートルで、「百舌鳥古墳群」では4番目の大きさで、築造は5世紀前半とされている。
周濠の外の北西隅には「永尾大神」が祀られている。
そして、西側の古墳の前方部である。
古墳の南西側に回る。
前方部の周濠の風景と、南西側からの古墳全体の眺めである。
「御廟山古墳」を後にして、西へと進む。
左手に、「善右ヱ門山古墳」がある。
築造は5世紀の前半、一辺28mの方形墳で、隣の「いたすけ古墳」に付随する古墳と考えられている。
最後に、隣のこれも世界遺産の「いたすけ古墳」である。
この古墳も5世紀前期の築造の前方後円墳とされている。。
先ずは東側の眺めであるが、墳丘には樹木が殆ど見られない。
そして南側の長辺の眺めには周濠に橋が架かっていた跡が見られる。
これは、以前この古墳の地主が樹木を伐採した名残とされている。
周濠の南西側から墳丘を眺めてみる。
墳丘長は約146メートルで、百舌鳥古墳群では8番目の大きさとのことである。
墳丘の上や手前には、シラサギが遊ぶ姿が見られる古墳であった。
そしてこの地点で、「百舌鳥八幡駅」を下車しての付近のミニ探索を終了したのであった。
今回から、「南海電鉄高野線」の堺市内にある「百舌鳥(もず)八幡駅」で下車し、駅近の神社や古墳を訪ねてみる。
その2回目で、先の「百舌鳥八幡宮」を後にして、世界遺産「百舌鳥古墳群」の一部などのミニ探索である。
「百舌鳥八幡宮」を後にして、西方向へ進む。
古墳群を目指すが、その手前の街角に、重要文化財指定の「高林家住宅」が建っている。
「高林家」は大庄屋として苗字帯刀を許され、江戸時代を通して、この地域で重要な役割を務めたとされる。
道路に面して立派な長屋門が建ち、その奥には僅かに主屋などの屋根が見えるだけであるが…。
「高林家住宅」前を北へと進み左折すると、世界遺産「御廟山古墳」の後円部の周濠へと到着する。
そして、反時計回りに周濠に沿って歩いてみる。
先ずは、北側の側面である。
周濠では水鳥も遊んでいる。
そして古墳の墳丘の北西からの斜めの風景である。
この「御廟山古墳」は、墳丘長約203メートルで、「百舌鳥古墳群」では4番目の大きさで、築造は5世紀前半とされている。
周濠の外の北西隅には「永尾大神」が祀られている。
そして、西側の古墳の前方部である。
古墳の南西側に回る。
前方部の周濠の風景と、南西側からの古墳全体の眺めである。
「御廟山古墳」を後にして、西へと進む。
左手に、「善右ヱ門山古墳」がある。
築造は5世紀の前半、一辺28mの方形墳で、隣の「いたすけ古墳」に付随する古墳と考えられている。
最後に、隣のこれも世界遺産の「いたすけ古墳」である。
この古墳も5世紀前期の築造の前方後円墳とされている。。
先ずは東側の眺めであるが、墳丘には樹木が殆ど見られない。
そして南側の長辺の眺めには周濠に橋が架かっていた跡が見られる。
これは、以前この古墳の地主が樹木を伐採した名残とされている。
周濠の南西側から墳丘を眺めてみる。
墳丘長は約146メートルで、百舌鳥古墳群では8番目の大きさとのことである。
墳丘の上や手前には、シラサギが遊ぶ姿が見られる古墳であった。
そしてこの地点で、「百舌鳥八幡駅」を下車しての付近のミニ探索を終了したのであった。