大阪市天王寺区や天王寺駅の名付けの由来となっている我が国最古の官寺四天王寺を訪ねた。
四天王寺は現在のどの宗派にも属さない和宗である。
古代、聖徳太子と蘇我氏が物部守屋と戦った時、太子は四天王を彫り、勝利の祈願をした。
勝利した太子は願掛け通りに四天王を祀ったのがこの寺であった。
しかし当初の場所は現在の森ノ宮の辺りと云われ、その後古墳があった現在の場所、荒陵(あらはか)に移設してして、興隆を迎えることになったという経緯がある。
四天王寺の最寄駅は大阪市地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ケ丘」である。
駅から近い中之門から境内に入り、塔頭や元三大師堂や大黒堂の間を抜け、最大のお堂である「六時堂」にお参りする。
六時堂の前には両側に亀の池、中央に石舞台がある。
六時堂とともに重要文化財でもある。
またその前には引導の鐘「北鐘堂」、そして「亀井堂」がある。
亀井堂では清水が湧き出ていて、祈祷された木札を浮かべると極楽往生が叶うと云われている。
今まで行ったことがなかった「太子廟」にお参りする。
六角の奥殿の東側に物部守屋等を祀る「守屋祠」があるのは新しい発見であった。
中心伽藍を眺めてみる。
中心伽藍は塀で囲まれていて、南の正面から仁王門、五重塔、金堂、講堂の順で並んでいる。
残念ながら戦後に再建されたもので、四天王寺式伽藍と云われる並びである。
また仁王門の南には境内に入る寺門である南門がある。
境内に戻り、「西大門」そして西大門の西にあるこれも重文の「石鳥居」を潜った。
石鳥居の扁額には「釈迦如来 天法輪所 当極楽土 東門中心」と書かれている。
平安時代、西大門はその西方の海の彼方にある極楽浄土の東門であると信仰されていた。
この鳥居から海に沈む夕日を拝し浄土を思う霊地と云われている。