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『宇治市・宇治神社』

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 京都府宇治市宇治山田、宇治川右岸に建つ式内社「宇治神社」の社名標柱である。

 宇治神社は、京阪電車宇治駅で下車し、宇治川の右岸を遡行し、朝霧橋の東詰めを参道入り口とする。
 尚、参道入り口には鳥居があったが、この秋の台風で倒壊したとのことで、その痕跡が見られる。
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 参道口には一対の狛犬も祀られている。
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 参道を進むと石段となり、石段上には拝殿である桐原殿が建っている。
 その背後には鳥居、そして石段の上に中門(拝所)、そして本殿が見える。
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 先ずは鳥居、そして一対の狛犬である。
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 そして、拝所である中門とその背後の本殿である。
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 本殿の祭神は、石柱に書かれているように、菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)である。
 菟道稚郎子命は応神天皇の皇子で仁徳天皇の弟で、仁徳天皇に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる皇子である。

 尚、本殿は鎌倉後期の造営とされ、国の重要文化財に指定されている。
  
 そして、この神社の奥に世界遺産「宇治上神社」が鎮座している。

『京都市・貴船神社』

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 京都市左京区鞍馬貴船町に鎮座する式内社名神大社の「貴船神社」の一ノ鳥居そばの社名標石である。
 
 貴船神社へは、叡電あるいは京都バスの貴船口で下車する。
 バスの停留所から、右の鞍馬山と左の山との間を流れる貴船川に沿って、貴船町内へ行くことになる。
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 幸いに小型のバス便があり、歩かなくても貴船の町内入り口へ行くことができる。
 バスを降り、貴船川に沿って清流を見ながらしばらく歩くと街中である。
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 貴船神社の二ノ鳥居である。
 灯篭に挟まれた石段を昇ると中門に達し、その先は本宮の境内である。
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 境内は多彩である。
 拝殿・本殿である。本殿の祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で降雨や止雨を司る神とされている。
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 本宮から上流300m程度の所に中宮(結社)が祀られている。
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 結社本殿には磐長姫命が祀られ、縁結びの神として信仰されている。
 また境内には、天乃磐船、和泉式部の歌碑がある。
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 更に上流へ400m程度行くと奥宮が祀られている。
 以前はここが本宮であったとのことである。
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 神門を潜ると境内である。
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 境内には、拝殿とその両側に一対の狛犬が祀られている。
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 その背後は本殿である。
 本殿には、高龗神と同じ神であるとされる闇龗神(くらおかみのかみ)が祀られている。
 尚、貴船神社の創建は古く、約1600年前の反正天皇の時代とされる説もある。
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 貴船川に沿って、懐石料理の店が並んでいる。
 夏場のシーズンには川床が設置され、料理を楽しんでいる風景も見られる貴船である。
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『京都市市原・大神宮社、厳島神社』

 京都市の賀茂川・高野川の合流点の東の叡山電鉄出町柳駅から出ている鞍馬線が山間部に入ったところに市原駅がある。
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 この市原駅の近隣に式内社「鴨岡本神社」の論社である「大神宮社」、そして道路を挟んだあ向かいに同じ論社である「厳島神社」が鎮座している。

 「大神宮社」
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 大神宮社の参道口に設けられた社名石碑である。

 参道を進むと、叡山電鉄の線路を潜る。
 そして石段と一ノ鳥居となる。
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 境内の二ノ鳥居を潜ると、南向きにて本拝殿が鎮座している。
 祭神は、天照皇大神である。
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 拝本殿の後部、北側には境内社四社が祀られている。
 左から、八幡宮、貴船大明神、神明大明神、片岡大明神である。
 また境内にはもう一社、お秀大明神が祀られている。
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「厳島神社」
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 向かいの厳島神社の境内入り口の朱塗りの鳥居の社名額である。

 鳥居を潜ると右手が拝本殿である。
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 本殿の祭神は市杵島姫命(:いちきしまひめのみこと()で、明治になるまでは明治までは粟穂弁財天、厳島弁財天と称されたと云われている。
 境内には、その他の社殿は見られない。

『京都市・隼神社』

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 京都市中京区壬生梛ノ宮町の「元祇園梛(なぎ)神社」の境内に鎮座する式内社大社の「隼神社」の社名標柱である。
 隼神社は、元々は三条と四条の間の朱雀大路の西にあった天皇の隠居所「朱雀院」の内に祀られていた神社と云われ、その後何度かの遷座の後、最終的には大正時代に現在地に鎮座したと云われている。

 神社は四条大宮駅の西の、四条通りと坊城通りの交差点の西南角に鎮座している。
 隼神社の拝殿本殿は梛神社本殿の北に境内社として隣接鎮座していて、主祭神は建甕槌神(たけみかづちのかみ)、配祀は経津主神(ふつぬしのかみ)である。
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 本社の元祇園梛神社であるが、入り口は東と北にある。
 東が正面で、鳥居を潜ると参道の正面に本社と隼神社の拝殿本殿が並んでいる。
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 左側(南側)が梛神社の拝殿本殿で、主祭神は素戔嗚尊、配祀は宇賀御魂命、伊弉冉命、誉田別尊などである。
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 元祇園と云われる由来は、京に疫病が流行した際、悪疫を払い病を鎮めるため、播磨国廣峰神社より牛頭天王を勧請し、その分霊を乗せた神輿を梛の林中に安置し祀ったことからである。
 また、牛頭天王の神霊を八坂に祀って祇園社を創建する際に、梛の住民が花飾りの風流傘を立て、神輿を八坂に送ったと云われる。
 これが現在の祇園祭、祇園会の起源であるとされている。

 境内には、神饌を供えたと云われる御供石(ごくいし)も祀られている。
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 神社の北の入り口である。
 標柱、鳥居、狛犬が祀られている。
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 境内には、境内社が祀られている。
 先ずは川上稲荷神社である。
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 そして、田中神社である。
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 神社東の坊城通りを南へ下がると、新撰組で知られる地域がある。
 屯所の前川邸や壬生寺などである。
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『京田辺市・咋岡神社』

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 京都府京田辺市飯岡の東斜面に鎮座する式内社「咋岡(くいおか)神社」の社頭である。
 咋岡神社は古代には、現在地の少し北方の木津川と普賢寺川との合流点に鎮座していたが、洪水にて何度も被害に遭うため、江戸元禄期に南側の現在地の飯岡に遷座されたものと云われている。

 神社は東面し、参道石段・鳥居を潜ると正面は割拝式の拝殿である。
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 拝殿を潜ると狛犬が2段に祀られている。
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 その先は本殿である。
 本殿の祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、菅原道真公である。
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 境内には、境内社として皇太神宮、八幡宮、厳島神社、そして道真公ゆかりの神牛が祀られている。
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 神社の社叢は奥に広がっている。
 また神社から眼下に木津川を確認することができる。
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 尚、神社の「咋岡」と云う名であるが、「クイ」は食物を指し、また食物を指す言葉として「飯(イイ)」があることから、年代と共に転じ、現在の飯岡(イノオカ)となったものと考えられる。
 更に余談であるが、この飯岡のちは古代の古墳地であること、そして南麓墓地に、徳川家康の伊賀越えの逃避行に際し、家臣の
穴山梅雪が殺害され、土地の人たちが弔ったと云われる墓があることでも知られる。

 一方、咋岡神社はこの神社の北西1kmくらいの所に、創建が鎌倉時代と云われる咋岡神社が鎮座している。
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 室町時代や戦国時代には「草路城」として地元豪族の根城として活用された経緯もある。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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