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『薔薇三題』

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通り掛かりの薔薇園で見つけた花たちである。
先日の台風でかなり傷んでいて気の毒な状態であったが、その中でも可憐に咲いていたものを集めた。

薔薇のシーズンも終わりかけている。
残り少ない季節を楽しみたいものである。

『御所・蛤御門の傷』

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 京都市の京都御苑の西入口の一つ、蛤御門の門扉に付けられた鉄砲の傷である。

 幕末に、長州藩がある公家の手引きで御所に押し入り天皇を誘拐しようとして、守備側の京都守護職・会津藩それに薩摩藩の軍と争った時にできたものである。
 蛤御門の変、禁門の変と云われる事件である。

 門柱や門扉に多数の傷がついているが、1~2cmぐらいの直径で、深さ1cmぐらいである。
 流れ弾であろうが、当時の鉄砲の性能も感じられる。

『京都府庁』

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 京都府庁旧本館である。
 明治37年に竣工され、府庁本館として昭和46年まで使用されたもので、国の重要文化財である。

 現在も執務室や会議室として使用されていて、現役の官公庁建物としては日本最古のものである。
 また、場合によっては各種イベントやウエディングに使用されている。
 
 場所は京都御苑の少し西、釜座(かまんざ)通り下立売(しもたちうり)通りにある。

『京都タワー』

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 お馴染み京都駅前にある京都タワーである。
 東京オリンピックや東海道新幹線開業の年、1964年に竣工されたものである。
 土台のビルも入れて地上高131mで、京都市内で最も高い建造物である。

 実はこのタワー、ほかのタワーと構造が違っている。
 鉄骨は一切使っていなく、円筒形の厚さ10から20mmの鋼板を溶接で繋ぎ合わせたものである。
 この構造はモノコック構造と云うらしい。

 このタワーの姿は、京都市内の町家の瓦葺きを海の波に見立て、その海を照らす灯台をイメージしたと云われている。

『京都・近江屋跡』

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 京都の河原町蛸薬師の交差点付近にある坂本竜馬、中岡慎太郎遭難の碑である。
 この場所は幕末期にあった近江屋の跡地である。

 寺田屋事件で幕府から追われていた坂本竜馬が土佐藩の出入り商人であるこの近江屋に潜伏していた時、盟友の中岡慎太郎が訪ねてきて、そこを十津川郷士と称する一団に襲われ、竜馬はその場で絶命、慎太郎は2ヶ後にこの世を去ったのである。

 この場所は、以前はコンビニか何かの店舗であったが、訪問した時にはビルの建て替え工事が行われている工事現場であった。

『京都・弥次喜多像』

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 京都の三条大橋の西詰め南側に建っている滑稽本「東海道中膝栗毛」で知られる弥次郎兵衛、喜多八の像である。
 右が弥次郎兵衛50歳、左・喜多八30歳である。

 江戸の八丁堀に住んでいた2人は度重なる不幸から、厄落しを思い立ち、東海道を伊勢神宮へと向かう。
 行く先々で騒ぎを起こすが、狂歌や洒落でかわして行く。

 お伊勢さんの参拝後足を延ばして、京・大坂見物と洒落込んだ。
 京に到着したばかりの弥次さん喜多さん、何を見つけ何を喋っているのでしょうか?

『近江国・御上神社』

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 滋賀県野洲市にある式内社「御上(みかみ)神社」の国宝の本殿である。
 御上神社は近江富士・三上山の山麓に鎮座し、三上山を神体として祀る。

 創建は孝霊天皇の時代と云われ、古墳時代である。
 社殿は奈良時代、藤原不比等によって現在の地に造営されたという。
 天之御影命 (あめのみかげのみこと)を祀る。
 
 この本殿は神社・寺院・寝殿の様式を合わせたような造りで、鎌倉時代後期の造営だそうである。
 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺である。
 
 その他、拝殿、楼門、若宮神社も同時代の作で、いづれも重要文化財である。

『滋賀・大笹原神社』

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 滋賀県野洲市に鎮座する国宝の大笹原神社本殿である。

 創建は平安時代であるが、この本堂は室町時代に岩倉城主馬淵定信により再建されたもので、造りは三間社入母屋檜皮葺で、多くの彫刻が施されていて、東山文化を良く伝えるものである。

 祭神には須佐之男神(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、二神の子供の八柱御子神(やはしらみこがみ)の他、後世の宇多天皇、敦實親王(あつざねしんのう)、佐々木高綱公を祀る。

 またこの国宝本殿の向かって左隣に石凝姥命(いしこりどめのみこと)を祀る国の重要文化財、境内社篠原神社本殿もある。

 篠原神社は「餅の宮」とも呼ばれている。
 この辺りで獲れる良質の餅米から作った餅が売られ、街道を行き交う旅人の間でもてはやされたことから、餅の宮と云われるようになったと云う。

『大阪・中之島バラ』

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 大阪のキタ、中之島バラ園に咲いていた一輪のバラである。
 このバラ園は、春、秋のシーズンには、この辺りを通りかかると必ず立ち寄ってみる場所でもある。

 沢山のバラが咲いているので、一つ一つ眺めているうちに思いがけない時間を費やしてしまったりもする。
 バラ公園は東西約500m、面積約13,000平方メートルもあるそうで、約310品種、約3,700株のバラが咲いているとのことである。

 このバラ園には、淀屋橋から、あるいはなにわ橋から、そして天神橋から行くことができる。
 大川を航行するクルーズ船を眺めたり、カフェで寛いだりできる都会のオアシスともなっている。

『大阪・天下茶屋跡』

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 大阪市西成区にあり、地名や駅名の由来となった「天下茶屋(てんがちゃや)跡」である。

 この天下茶屋は、かつて豊臣秀吉が大坂城から住吉大社や堺へ行き来する折り、茶の湯を楽しんだ屋敷跡で、往時は5000平米の広さがあったと云われる。
 
 また、屋敷の東側には住吉街道・紀州街道が通っており、その向こうは紹鷗の森と云われ、千利休の師・武野紹鴎が住んでいたと云われている。

 昭和20年の空襲で屋敷は破壊されてしまったが、この地区の人たちの尽力により、跡地の西北隅にこの碑と土蔵、太閤ゆかりの楠が護られている。

『三条大橋の傷』

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 京都市の鴨川に架かる三条大橋の擬宝珠である。
 下流南側欄干の西から2本目のもので、良く見ると真ん中付近に刃物の傷のようなものが付いている。

 この傷は、幕末の池田屋騒動の時に新撰組と勤王浪士たちが切りあった時にできた刀傷であると云われている。
 時は130年以上も過ぎているので、その後の改修とかもあり真偽のほどは定かではないが、ありうる話ではある。

 三条大橋は東海道の京都の起点・終点でもあるので、この橋の袂には東海道中膝栗毛の弥次喜多の像や、駅伝の碑、御所を仰ぐ高山彦九郎の像、少し西へ行くとこの地で一族39名が処刑にあった関白豊臣秀次の墓所・瑞泉寺などがあって、賑やかなところである。

『江田島・海軍兵学校』

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 広島県の瀬戸内海、江田島市の海上自衛隊江田島基地にある旧海軍兵学校で、現在は海上自衛隊幹部候補生学校の校舎となっている建物である。
 明治の26年、軍部の力が強くなった日清戦争開戦の前年に建築されたものである。
 現在は観光名所ともなっていて、基地内ツアーも実施されている。

 この建物のほか基地内には、大正時代に建てられた大講堂、旧海軍の遺品を展示したギリシャ建築風の教育参考館、第一術科学校校舎などの建物がある。
 
 屋外展示物としては、潜水艦や戦艦むつの大砲などが展示されている。

『広島・音戸の瀬戸』

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 広島県呉市の本土側と倉橋島の間の音戸の瀬戸に架かる音戸大橋、第二音戸大橋である。

 呉市の本土側の高台、高島台公園から眺めたもので、左奥が音戸大橋、右手前が第二音戸大橋、それぞれ昭和36年と今年平成25年に開通したものである。

 かつてこの高台で、平清盛が沈む夕日を扇で招いて1日で開削したという「日招き」という伝承が残っている。

 第二音戸大橋を渡った国道487号線は、倉橋島の先、江田島まで繋がっている。

『備後国・福山城』

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 山陽新幹線の福山駅のすぐ北に隣接して建っている福山城の天守である。
 この城は江戸時代になってから徳川家康の従兄弟である福山藩主水野勝成によって築城されたものである。

 その後、水野氏の後継が無く、福山藩は一時天領となって丸亀藩京極氏によって管理された。
 その後松平忠雅が入封、その後阿部正邦が入封し明治まで続いた。
 廃藩置県で福山県となったものの、その後の県の再編で福山城は廃城とされ、城の主郭部を除いて民間に払い下げられた。

 太平洋戦争の空爆で天守が破壊されたが、破壊を免れた筋鉄御門、伏見櫓が重要文化財に指定されている。
 この二つの文化財は、伏見城から移築されたものでもある。
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 冒頭の天守もその後再建され、当時の雄姿を見せている。

 尚、福山駅であるが三の丸の跡地に建設されたものである。

『坂出・瀬戸大橋』

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 香川県と岡山県を結ぶ瀬戸大橋6橋のうち、坂出側から見た手前から南備讃瀬戸大橋・北備讃瀬戸大橋の2橋である。
 2橋合わせて長さは3.33km、2橋の間にある島は三ッ子島という小さな無人島である。
 2橋の先にある島は与島で、パーキングが設けられている。

 遠くに見える山々は、左手が倉敷市、右手が玉野市で、共に岡山県側である。

 丁度、架橋25年を迎え、橋の袂にある瀬戸大橋記念館では丁度この日にリニューアルオープンの記念式典が行われていた。

『名古屋・金城ふ頭』

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 名古屋市の南部、名古屋港金城ふ頭に停泊している自動車運搬船である。
 自動車運搬船とは、販売用の自動車を専用に運搬する船のことである。
 輸出や国に向け配送にもこのような専用船が用いられる。

 自動車は、かつては他の貨物と混載することが一般的であったが、1960年代、我が国の自動車生産の大量化に伴い、車体に傷つけることなく運ぶことができる自動車輸送に特化した船が求められるようになった。
 その結果、N社やT社が最初に専用運搬船を就航させ現在に至っている。
 自動車運搬船は内部が何層にもなっていて、数千台の自動車を運ぶことができる。

 金城ふ頭を含む名古屋港の自動車輸出は台数、金額ともに日本一である。
 輸出台数は年間135万台にも及んでいると云われる。

『岐阜・大垣城』

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 岐阜県大垣市にある大垣城天守である。
 戦国時代に、美濃守護土岐一族宮川安定の手により築城されたと云われている。

 関ヶ原の戦いのときに一旦は西軍の本拠地となり、東軍とこの地で決戦をする予定であったが、なぜか石田三成軍が関ヶ原まで後退したため、この地での本格的な戦いはなかった。
 徳川の時代になって、先ずは石川康通、その後戸田氏鉄が城主となり明治まで続いた。

 昭和に国宝に指定されたが、空襲で破壊され、その後再建されたものである。

『10月桜』

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 今頃に咲いている桜、10月桜と云うのだそうである。
 蕾の3分の1位が10月頃に咲き、残りは春に咲くのだそうである。

 1年に2回楽しめる桜である。
 但し、春の花のほうが少し大きいらしい。

 冬に咲く桜、冬桜というのもあって、紛らわしいが、
 10月桜は八重、冬桜は一重とはっきりしている。

 今年の秋は異常に暑くて、ソメイヨシノが咲いているという便りもある。

 秋にも桜が楽しめるのは、良いことであると思う。

『尾張国一之宮・真清田神社』

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 愛知県一宮市にある尾張一宮「真清田(ますみだ)神社」の楼門である。

 一宮市は尾張一宮が鎮座することでこの市名である。
 この神社は神武天皇33年の年の創建で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫である天火明命 (あめのほあかりのみこと)を祀っている。

 天火明命は、この地を「尾張」と名づけ開拓した天香山命の父神でもある。
 この天香山命の子孫が尾張氏とされ、天火明命は尾張氏の祖神とされている。

 残念ながらこの神社も太平洋戦争の空爆で破壊され、この楼門もその後の再建である。

 全国に一宮は国の数だけあるが、一宮を市名とするのはここ愛知県の一宮市だけでもある。

『オリーブ樹』

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 神戸市の中央区、JR神戸駅の近くにある湊川神社境内のオリーブの樹である。
 
 説明看板には、 
「この木は明治11年パリ万国博で日本館長をしていた前田正名がフランスより持ち帰ったものの一つで日本最初のオリーブ樹と云われている」
 と説明されている。

 湊川神社は建武の中興の時代に、後醍醐天皇側に付いて足利高氏と戦い敗れた楠木正成の終焉の地、正成を祀っている神社である。

 なぜオリーブの樹があるのか? 謎ではある。

『紫式部』

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 今日、偶然にもムラサキシキブを見つけた。
 コムラサキシキブと云った方が良いくらいの小さな実である。

 写真では、色は上手く出ないが、この紫の色は自然の色とは云え、神秘的で素晴らしい色となっている。

 この植物にムラサキシキブの名が付けられたのは、元々「ムラサキシキミ」と呼ばれていたのを、紫式部に変えたものである。
 シキミとは重る実のことを表している。

 紫式部を称えた、わかりやすい名前となっていて、親しみ易い。

『シロシキブ』

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 シロシキブ、白実の小紫とも云われる白い実である。    
 ムラサキシキブ属の植物で、ムラサキシキブは紫の実を付けるのに対して、白い実を付ける。

 6月~7月に真白な花を咲かせ、この時期になると白い実を付ける。
 ムラサキシキブの異変種である。
 
 薬草としても知られ、寄生性皮膚疾患の治療用に使われたりする。

『ツユクサ』

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 道端の草叢で良く見かける「ツユクサ」である。
 どこかミッキーマウスに似た顔をしている。

 ツユクサの名前は、朝露とともに咲いて、昼には萎むということに由来すると云われている。

 ツユクサは古くは「つきくさ」と呼ばれていたそうで、その「つきくさ」が転じてツユクサになったという説もある。
 「つきくさ」は月草と書かれ、古代から親しまれた草花で、万葉集などではよく詠われている。

『富士山?』

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 神戸市のJR神戸駅から北方向、六甲山の方向へ歩くと、神戸市体育館の向こうに神戸大学病院と並んで大倉山公園がある。
 大倉山公園は明治の末ごろ、当時の大富豪大倉喜八郎の別荘であった土地が神戸市に寄贈され、公園整備がなされたものである。

 この公園には、神戸市内の35県人会が整備している「ふるさとの森」という各県のエリアがある。
 この写真は富士山を表したもので、静岡県の森に聳えている。
 
 この「ふるさとの森」の他にも、野球場、神戸市立図書館、児童遊園などが整備されていて、公園全体が市民の憩いの場所となっている。

『サルビア属』

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 川の土手沿いの道を歩いているときに見かけたものである。
 サルビア属で「チェリーセージー ホットリップス」と云う名前が付いているそうであるが、別名もあるらしい。

 メキシコ原産で、初夏から秋まで温度次第で成長開花する。
 但し、気温の変化で花の色が変わる。
 気温が高いと赤一色、気温が低くなるにつれてこのように赤白二色に変化する特徴がある。

 今は、日中はともかく朝夕涼しくなったので、赤白の可愛らしい花が見られる。

『奈良・春日燈籠』

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 奈良市の南部、京終(きょうばて)地域に並ぶ春日燈籠である。

 京終という地名は、かつての平城京の京域の南の果てを由来としたもので、この場所には平城京から飛鳥地域へ向かう3つの街道のうち上ッ道が通っている。  
 春日大社へお参りする人々はこの燈籠を目印として、京域を北上したのである。

 現在も上ッ道を辿り春日大社へ行くことができる。
 しかし当時とは違い、街道沿いは江戸時代に整備された「ならまち」という町屋が立ち並ぶ地域となっていて、観光名所となっている。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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