『御所・蛤御門の傷』
『京都府庁』
『京都タワー』
『京都・近江屋跡』
『京都・弥次喜多像』
『近江国・御上神社』
『滋賀・大笹原神社』
滋賀県野洲市に鎮座する国宝の大笹原神社本殿である。
創建は平安時代であるが、この本堂は室町時代に岩倉城主馬淵定信により再建されたもので、造りは三間社入母屋檜皮葺で、多くの彫刻が施されていて、東山文化を良く伝えるものである。
祭神には須佐之男神(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、二神の子供の八柱御子神(やはしらみこがみ)の他、後世の宇多天皇、敦實親王(あつざねしんのう)、佐々木高綱公を祀る。
またこの国宝本殿の向かって左隣に石凝姥命(いしこりどめのみこと)を祀る国の重要文化財、境内社篠原神社本殿もある。
篠原神社は「餅の宮」とも呼ばれている。
この辺りで獲れる良質の餅米から作った餅が売られ、街道を行き交う旅人の間でもてはやされたことから、餅の宮と云われるようになったと云う。
『大阪・中之島バラ』
『大阪・天下茶屋跡』
『三条大橋の傷』
『江田島・海軍兵学校』
『広島・音戸の瀬戸』
『備後国・福山城』
山陽新幹線の福山駅のすぐ北に隣接して建っている福山城の天守である。
この城は江戸時代になってから徳川家康の従兄弟である福山藩主水野勝成によって築城されたものである。
その後、水野氏の後継が無く、福山藩は一時天領となって丸亀藩京極氏によって管理された。
その後松平忠雅が入封、その後阿部正邦が入封し明治まで続いた。
廃藩置県で福山県となったものの、その後の県の再編で福山城は廃城とされ、城の主郭部を除いて民間に払い下げられた。
太平洋戦争の空爆で天守が破壊されたが、破壊を免れた筋鉄御門、伏見櫓が重要文化財に指定されている。
この二つの文化財は、伏見城から移築されたものでもある。
冒頭の天守もその後再建され、当時の雄姿を見せている。
尚、福山駅であるが三の丸の跡地に建設されたものである。
『坂出・瀬戸大橋』
『名古屋・金城ふ頭』
名古屋市の南部、名古屋港金城ふ頭に停泊している自動車運搬船である。
自動車運搬船とは、販売用の自動車を専用に運搬する船のことである。
輸出や国に向け配送にもこのような専用船が用いられる。
自動車は、かつては他の貨物と混載することが一般的であったが、1960年代、我が国の自動車生産の大量化に伴い、車体に傷つけることなく運ぶことができる自動車輸送に特化した船が求められるようになった。
その結果、N社やT社が最初に専用運搬船を就航させ現在に至っている。
自動車運搬船は内部が何層にもなっていて、数千台の自動車を運ぶことができる。
金城ふ頭を含む名古屋港の自動車輸出は台数、金額ともに日本一である。
輸出台数は年間135万台にも及んでいると云われる。